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詩吟の魅力を発信する、詩吟チャンネル
おはようございます。こんばんは。詩吟チャンネルのheyheyです。
このチャンネルは、詩吟歴20年以上の私、heyheyによる、詩吟というとてもマイナーな日本の伝統芸能の魅力や吟じ方について、分かりやすくザックバラにお話ししていくチャンネルです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
今日はちょっと関東は寒くて、しかも小雨も降っているということで、だいぶなんか肌寒いなあという感じがします。
私の娘はですね、なんか最近ちょっと言葉っぽいようなものをですね、なんか言うようになって、もうニヤニヤニヤニヤして聞いてますね。
ちょっと喋ったら、もうそれを僕がひたすら概ししてですね、何回会話ができる、会話らしいことができるか、今遊んでるところなんですけど。
いやーもうちょっとなんかセリフっぽいものを言う思うんだら、もう僕はニッコニコしそうな感じがしております。
さて今日の本題ですけれども、これはあの定例になっているやつですね。忘れていませんよ。
ソドク、ソドクです。ソドクを1000回やりましょうという話を僕は一度前にやったんですけれど、そこから今コツコツとやってきて、ようやく昨日かな、昨日ソドク500回に到達しました。
1日10回やれればよかったんですけれど、最近全然そうですね、まとまった時間はなかなか取るのが難しいんで、
せめて1日5回、1日5回をできるだけ毎日、まあ2、3日サボりましたけれど、それでコツコツやって、先日なんとか500回いきました。
ということですね、今回またこちらのソドク500回やって気づいたこと、感じたこと、これをやっていきたいと思います。
ではですね、まず先に今回やっているソドク、ソドクやってやるぞ、また改めてやりたいと思います。
やっているのはこちらですね、植杉謙心作、9月13日ですね。
まあちゃんと読んでいくか。
9月13日陣中の作、植杉謙心。
霜は群芸に満ちて秋季清し。
崇高の花岸月三高。
越山あわせ得たり濃秀の景。
さもあらばあれ架橋遠征を思う。
こちらですね、詩文の内容も改めて言っておきましょう。
霜は真っ白く陣野に満ちて秋の気配があくまでもこの澄んで、澄んでいてこの身に染みてくる。
空には幾列かの狩りの群れが響き渡り、真夜中の月は終点に高校とさえ渡っている。
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その月明かりのもとに越後越中の山々、さらに今我が手に収めることができた野戸の景色が見渡せる。
ええいままよと故郷の者たちは我らの遠征の実を案じているだろうか。
今宵はそれすらも忘れて心ゆくまでこの絶景お魚に感をうたぎようかな。
尽くそうではないか、喜びを尽くそうではないかという内容です。
さて、もう本当に毎日毎日この詩文をですね、素読してきて何か気づいたところがあったのかですね、それを5つぐらいかな言っていこうかなと思います。
まずですね、正直な話ですね、だいぶ機械的に素読することが増えてきましたね。
ちょっと辛いですね、ちょっと辛い。300回目の時もなんかだれてきたとか言っちゃったような気がするんですけれど。
いやまあ気持ちは込めてはいるところはあるんですけれど、本当にですね、大きな進歩があるのかどうかそこはちょっとわからなくなって暗中模索感はなくはないのでちょっと辛いなというところはあります。
ただまあ、そうですね、5回10回素読すること自体ですね、素読するということはだいぶ苦じゃなくなってきたなというところがあります。
今ではまあやっぱ3回4回とか言ったらもう十分じゃないかなと思ったんですけれども、5回ぐらいはぱぱぱっとやれるかなと。
10回もまあまあできるかなぐらい。そんな感じに基準がですね、少し成長したかなというところがあります。
そうですね、本当に新しいものが気づいたかというよりは今までこんなことを気にしてたっけなというのを一個一個かみしめるような、そんなフェーズに今入っていますね。
そして最近ちょっとだけ感じ始めてきたことはですね、この詩文のより奥深く、もしくは詩文のその周り背景とかですね、そんなところに思いを馳せるようになってきました。
これどういうことかというとですね、ここの詩文に書いてあることだけが筆者が、作者が言いたいことじゃないんじゃないかっていうふうにちょっと考えるようになったんですね。
詩文にですね、ここに閲覧合わせたりの収納経緯とかですね、もうここでいや俺たちはここを得たんだぞとかですね、様あらばあれ、佳境遠征を思う。家族はどう思っているだろうかとか、ここにもちろん詩文はあるんですけれども、
いやいや、ここに書かれていないような気持ちもやっぱなんかあるんじゃないかなと思うんです。ここに書ききれなかった思い、もしくはあえて書かなかったような思いと言いますか。
そんなところがいろいろあったけれども、その上でこれを、この詩をあえて残そうとしたとかですね、なんかそういうないところですね、なんかちょっと仏教的な感じもしなくもないんですけれど、見えているところ以外のところを少し想像を膨らませるようになってきたかなというところです。
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なので、これもちょっと似たような気づきなんですけれど、詩文で一番伝えたいところですね、僕の場合個人的にはこの様あらばあれあたりがですね、なんかすごくいいなぁと思うんですけれども、あとは強く表現するところ、閲覧合わせたりとか、佳境遠征を思うとか、こういったところも主張したいからといってですね、
強く表現すべきかどうか、それもちょっと本当かなというふうに考えるようになりました。ただここまでやるとちょっと考えすぎじゃないかなと思うんですけれど、その一番見せどころ聞かせどころだけれども、
詩文でさらさらと見たら一番強く見せるところではあるんだけれども、果たしてそれは本当に強くやるべきところなのかというところですね、ところっていっぱい言っちゃいましたけど、あえてちょっと弱くというか引いて詩文を表現するっていうのが面白かったりするんじゃないかなとか、そういうちょっと妄想チックなところが出てきたかなと思います。
今までは詩文をひたすら読むことばかりに集中はしていたんですけれども、ちょっと穿ったというか、あえてそれ以外のところを見るようになったというところが、このソドオク500回の、あえて言うなら気づきかなと、ちょっとまだこれ以上の言語化が難しいんですけれども、
そうですね、ここから600回、700回、800回、900回、1000回となっていったらどういう風になっていくのか、意外と全然変わらないのか、950回ぐらいまでこの気持ちでずっと変わらないのかわからないんですけれども、自分もそうですね、本当に1000回はやったことはないので、こういう風にコツコツやりながら自分でなんとか言葉に残しつつ頑張りたいと思います。
たぶん僕と一緒にソドオク1000回頑張られている方もいるみたいなんで、一緒にコツコツと頑張っていきましょう。
そうですね、ということで今日はこんな感じになります。
ということで、いろいろ思った上で、改めてこの9月13日を吟じていきたいと思います。
9月13日、尋虫の作、植杉謙信。
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植杉謙信
植杉謙信
植杉謙信
いかがでしたでしょうか、ちょっとキー高かったかな、本数ちょっと高めかなという感じはあるんですけれど。
でもそうですね、今回はあえて越山を合わせたりとかですね、この辺りを結構しんみりやってみた感じがします。
で、サモアラバーレでしっかりやって、花京遠征用もここもちょっと強めにという感じ。
普段は多分ですね、越山合わせたりとか結構強めにやったような気はするんですけれど。
まあこれもこれで、相手に伝えたいところが少し変わってくるかなという感じがしました。
いやー本当に難しいですね、でもなんか新しい吟じ方を少し見つけたような気がして、ちょっと面白いなと。
今更ながらこういう詩吟の面白さも一つ見つけられたような気がします。
ということで、今回は定例会にはなりますけど、次は600回ですね、600回に向けて自分もコツコツ頑張っていきたいと思います。
引き続き、感想、コメント、リクエスト、相談、いろいろお待ちしております。とっても嬉しいです。
ではでは、詩吟の魅力を発信する詩吟チャンネルどうもありがとうございました。バイバイ。