40年に渡って日本全国をくまなく歩き、民間の伝承を「生活」という観点から後世に伝えようとした、民俗学者がいます。
宮本常一(みやもと・つねいち)。
宮本は「暮らしの中の工夫こそが文化」と考え、農村漁村を訪ね、失われていく民具や、生活の中に残る言い伝えを、丁寧に掘り起こしていったのです。
彼のアプローチは至ってシンプル。
とにかく聞くこと。
地域の老人、先人の話に、ひたすら耳を傾けました。
そのフィールドワークを書き記したエッセイは、現在の旅の形、観光業にも影響を与え続け、多くのファンの支持を集めています。
明治29年6月15日、三陸地方を襲った大きな津波。
宮本は、ある村のひとたちは、みな高台に逃げ、全員助かったと、老人に聞きました。
なぜ、逃げたか。
それは、沖の方で、ノーンノーンという音がしたから。
昔から、その音がしたら危ない、という伝承があったのです。
静けさの中では、自然の音を聴くことができる。
さらに人間同志の心も、読み取ることができる。
宮本は思いました。
人間は、生活とともにあった自然界の音を、そして、人間同志の何気ない言葉の響きを、聞き分けるチカラを失ってしまったのではないか…。
彼は、全国を歩きながら、生活に根差したたくさんの物語、言い伝えを聞くことで、自らの、そして現代に生きる我々が早々に捨て去ったものを、取り戻そうとしたのです。
瀬戸内海に浮かぶ、屋代島で生まれた宮本は、農家、郵便局員、学校の教師など、職を転々としますが、ひとつだけ、心に決めていたことがありました。
それは、「誰かに必要とされる人間になること」。
おまえは、邪魔だと言われないように、存在理由を意識する。
貧困や病気と闘いながら、自分なりに生涯をかける仕事に出会えたのは、32歳のときでした。
聞くチカラで、日本人の生活誌をまとめあげた賢人・宮本常一が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
宮本常一(みやもと・つねいち)。
宮本は「暮らしの中の工夫こそが文化」と考え、農村漁村を訪ね、失われていく民具や、生活の中に残る言い伝えを、丁寧に掘り起こしていったのです。
彼のアプローチは至ってシンプル。
とにかく聞くこと。
地域の老人、先人の話に、ひたすら耳を傾けました。
そのフィールドワークを書き記したエッセイは、現在の旅の形、観光業にも影響を与え続け、多くのファンの支持を集めています。
明治29年6月15日、三陸地方を襲った大きな津波。
宮本は、ある村のひとたちは、みな高台に逃げ、全員助かったと、老人に聞きました。
なぜ、逃げたか。
それは、沖の方で、ノーンノーンという音がしたから。
昔から、その音がしたら危ない、という伝承があったのです。
静けさの中では、自然の音を聴くことができる。
さらに人間同志の心も、読み取ることができる。
宮本は思いました。
人間は、生活とともにあった自然界の音を、そして、人間同志の何気ない言葉の響きを、聞き分けるチカラを失ってしまったのではないか…。
彼は、全国を歩きながら、生活に根差したたくさんの物語、言い伝えを聞くことで、自らの、そして現代に生きる我々が早々に捨て去ったものを、取り戻そうとしたのです。
瀬戸内海に浮かぶ、屋代島で生まれた宮本は、農家、郵便局員、学校の教師など、職を転々としますが、ひとつだけ、心に決めていたことがありました。
それは、「誰かに必要とされる人間になること」。
おまえは、邪魔だと言われないように、存在理由を意識する。
貧困や病気と闘いながら、自分なりに生涯をかける仕事に出会えたのは、32歳のときでした。
聞くチカラで、日本人の生活誌をまとめあげた賢人・宮本常一が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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