第一の脳と悟りの考察
スーツさんがリアックリ出演して、私は悟りましたと言っていました。第一の脳がとか言っていて、さっぱり目がわかりませんでした。
高橋さんはわかりわかると言っていましたが、カオスな雰囲気になっていました。ひろゆきさん、スーツさんが悟りないと思いますか?それともインフルエンザの影響ですか?
僕、途中、最初のちょっとと後半の10分くらいだけ見たんですけど、僕、わりと話は結構わかってて、
あの、わかりづらいので、第一の脳と第二の脳という区分け方をして、
多くの人というのは第一の脳の中で何をしたいとか、欲望であるとかっていうところを判断するんですよ。
でも別にそこに意味がないよねっていうふうに気づいてしまった場合は、別にその第一の脳のやりたいことというのに価値を持たなくなるんですよね。
仮にじゃあ、モテたいとか、あのなんか承認欲求とかが完全になくなりました。
で、あなたには味覚がなくなりました。で、何を見ても面白いと思わなくなりました。
その時にあなたは何をしますか?っていう質問です。はい、みなさん答えてください。
で、お金は無限にあります。
要するに、多くの人ってやりたいこと、例えばおいしいものを食いたいとかあるんだけど、おいしいと感じなくなるってね。
寝るって、寝るねっていう、打つんちゃう?まあ打つかもしれないですけどね。
瞑想、ただ生きる、事前活動、何もしない、時間が欲しい、読書、哲学、ゲームする、プランも作る、猫さんと暮らす。
まあだいたいこの味です。要するに、スーツさんってもともと旅行好きだったと思うんですけど、ここから僕の想像ですよ。
仕事で旅行を行きまくって、仕事なんでどんな場所でも面白いものを見つけるというのが、
癖としてやるようになった結果、何見ても面白い、裏を返すと何見ても面白くなくなってしまったってことだと思うんですよね。
要するに、何を見ても楽しめるっていうことは、別に何を見なくても楽しめるんですよ。
例えば、地図見ても全然面白くないって人もいれば、地図めっちゃ楽しいって言って、地図2時間楽しめる人って、それで地図だけ楽しめるわけじゃないですか。
っていう感じで、参考書めっちゃ楽しいって人もいるし、っていう感じで、本来面白いと思わないものが面白くなるっていう機能を持ってしまうと、
そうすると、別に何もしなくても楽しい。何もしなくても楽しいじゃないですか。
これは実は平常だとすると、何をしようとしまうと、この楽しいという状況は変わらないよね。
でも楽しいというのが普通だとすると、何をしても楽しくないし、何をしなくても楽しくないっていう。
逆に何も楽しいわけじゃない。何をやっても楽しいわけじゃないし、何をしても楽しくないわけでもないって、ずっとこの平常状態になってしまうと思うんですよ。
っていう状況になってしまうというのは、論理的にはあり得るなと思っていて。
小西さんの使命感
で、これがある種仏教でいう悟りの状態に近いのかなっていう。
要は感情の寄付っていうのは、やっぱ嬉しいとか怒りとかがあると思うんですけど、お金が無限にあったとしたら、
例えば僕が1000兆円あったとしたら、500円ダムとか拾っても嬉しくないですよね。
1000兆500円になったとしても、毎日1億円使ってもお金がどんどん勝手に増えていく人が、
500円増えた時に、500円って嬉しいってならないじゃないですか。
っていう感じで買いたいものがなくなってしまうと、結果として別に要は、
じゃあその何か1億円欲しいって言ってる人って1億円で買いたいものがあるからなんですけど、
じゃああなたが買いたいものを全て買ってあげますよおじさんがいたとして、
全て買ってもらっちゃったら別にもうお金いらないじゃないですか。
多分すずさんはもともと欲しいものがそんなになかった人なんだと思うんですよね。
なので、旅行楽しいと思ってて、でも仕事で旅行行けるようになったから、行きたいところもそれで仕事で行けるし、
さらにつまんない場所に行ったとしても面白がることもできるから、欲しいものないよねっていう、
すごい平坦な平純な状態になったんじゃないかなっていうところが、人によっては鬱であるとか言われちゃうんですけど、
そこを多分すずさんは悟りを開いたという表現なんじゃないかなと思いますけどね。
これは僕、すずさんの略見てないので、全然違和感が落ちてたらすみません。
昨日の夜行を務めました。ひろきさん空気持ちからすごってました。
やっぱり小西さんは悪い人じゃないんですよ。
これがね、小西さんが言ってたのと斎藤浩一さんが言ってたことと結構同じことがあって、
リベラル界隈と呼ばれてる人って、あの人と話をするあなたが嫌いですっていう表現をする人たちがいるらしいんですよ。
ひろゆきと話をするんですが、そんなあなたのことはもう信用できなくなりましたとか。
で多分小西ひろゆきさんは、その石丸さんと話をするんだったら、小西ひろゆきさんあなたはもう信用できないですみたいなことを多分言われたんだと思うんですよ。
ていうので、結局この人たちと付き合っちゃいけないよねっていうのは、どうやらリベラル界隈では起こるらしいんですよ。
これが斎藤さん無理白でたし小西さん無理白でしたので。
なので小西さんとしては、その石丸さんのこういうところが良くないというのをちゃんとメディアで言ってくるためにあうんです。
なのでこれは必要なことですっていう説明をしたっぽいんですよ。
なのでメディアに出たときに、石丸さんの政治に対するスタンスが良くないというのを言わなければならないという、
ある種の約束と義務を負ってしまったっていうのだと思うんですよね。
なのでそれを言わざるを得なくて言うことになったっていうところがあったりするので。
なのでその後に僕が、今回は高橋政権の話なので、石丸さんの話は今度別の機会にしましょうって言ったら、
小西さんはその後、全然その話しなくなったじゃないですか。
まあ最後の終わり前にちょっとしたんですけど、これがなぜなのかというと、
要はその話は小西さんは俺はしようとしたと。
でそれ続けようとしたけど広域に止められなかったからできなくなったんだよねっていう言い訳があれば小西さんはOKっていうその言い訳を提供するっていうのがあって、
なので今日のテーマではないのでこの話はここまででっていうので止めたっていうのがあって。
なので別にあの僕小西さん言ってることは毎回毎回それなりに筋が通ってると思ってるので、
皆さんがそれが好きかどうかとか自慢が多いとか同じ話を何度もするとかは小西さんの癖としてよろしくない部分ではあると思うんですけど、
でもあの人ですごい勉強熱心だし、興味があることはめちゃくちゃ調べるし、
あとやっぱ合理論理でちゃんと物事を見極める人なので、これは確かにそうだよねってところだったら受け入れるっていうのがあるので、
そういう意味ではね結構僕は、小西さんは世間的にはあんまり受け良くないんですけど、
小西さんの政治家としての役割
僕は普通に政治家としては必要な人の一人なんじゃないかなと思ってるんですよね。
その要は憲法解釈なんかどうでもいいよ、必要なことをやるべきだよっていう考え方の人もいれば、
必要なことだったとしても憲法の文言通りにやはり日本としてはやらなければならない。
なぜならそれが法治国家であるからっていう考え方があるんですよ。
中国の場合って法律は後からついてくると、偉い人がこれこうするわって言ったらもうなるし、
いくら法律があってもその律が変わるからねっていうのが、中国とか先進国じゃない国はそうなんですけど、
先進国は法治国家で、そっちに行った方が正しいってみんなわかってたとしても、
でもそれは法律改正、憲法改正をした後でやらないといけないよ。
法律の文言が先だよねっていうのが法治国家なんですよ。
なので小西さんがいつも憲法議論とかでごちゃごちゃうるせえなみたいになると思うんだけど、
あれは必要な手続きではあるんですよ。
もちろんそういうのしたこっちゃねえやってる人もいるけど、
でも少なくともそういう考えと機能は必ず必要にはなるんですよ。
だからそういうのが手続きがうっちゃりたいと。
例えば中国が攻めてきました、ロシアが攻めてきましたとか、
アメリカが原爆を落としてきましたって時になったら、
そんな手続きしてらんないから、そういう時だけある程度法律を制限する。
一般人とかの基本的人権を制限するというのも緊急事態では必要だよねっていう、
緊急事態条項というのは今の憲法にはないんですよ。
じゃあその緊急事態条項というのを入れたほうがいいよねっていうのが、
維新党、自民党の高井さんは言っていて、
だから憲法改正必要だよねとは言ってるんですけど、
でも僕はその緊急事態条項、僕個人はね、あったほうがいいと思うんですけど、
ただそれはどういう条項にするかという文言はものすごく細かく決めるべきで、
首相が言ったら何でもありっていうのが韓国みたいになっちゃうんですよね。
韓国がいきなりクーデターみたいなことをやろうとしちゃうみたいになったりして、
っていうやっぱり何でもあれば良くなくて、
なのでその緊急事態条項にしても、緊急事態条項だからといって、
じゃあ工場を抑えるとか、この途中を通らないと、例えば戦車が通れないと、
じゃあ敵国がせんでますと。
で、道路がこの幅なんだけど、一個だけ飛び出てる家があって、
この家ぶっ壊したらここ戦車で行けるから人の命が守れるんだけど、
この家ぶっ壊さない限りは戦車通れないと。
という時に今の日本の理事だと通れない、終了なんですけど、
これは遠くの街を助けるために戦車通すべきだよね。
なので家という財産は緊急事態だったらぶっ壊してもいいっていう判断は僕はありだと思うんですよ。
でもこれが緊急事態だったら日本人を殺していいっていうのだったらアウトなんですよ。
なのでそこにおじさんが住んでたら、おじさんを力づくでどけてぶっ壊さないけど、
その緊急事態でこっちの3万人住んでる街を守るためだから、
おじさん一人殺してもいいじゃんっていう考えもあるんだけど、
これはやっちゃダメだよねっていうラインをどう引くか。
っていうのって文言をすごく細かく突っ込む人がいないと、
結構自由に何でもできるようにしちゃうぜってなっちゃうんですよね。
だから今で言うと熊も殺せない国になっちゃうんですよね。
まあ熊なんかバンバン殺せやと思うんだけど。
なのでそういう形で法律の文言をギリギリのラインででも必要な機能を与えるっていうのをやらなきゃいけないので、
なので法律解釈細かいおじさんっていうのも、実は社会にとって必要だと僕は思っています。
緊急事態と法律の解釈
なりまーす。積極再生って言ってるからね。
ブラジリアンジュージスと総合格闘技や技術的な喧嘩どっちの方が強い?また柔道VSとか。
これだから前回も答えたと思うんですけど、
人によるで誰がどういう能力を持ってる人がどういう技術を学ぶかにあるんじゃないかなと。