参政党の矛盾
右とか左とかで分けるのは、私としては余りなのですが、参政党は憲法を少しじゃなくて、ごっそりかいようとしていることなど、戦争に向かう法案を出す予定をしていますが、世間ではそれが欲しいと見られています。私から見たら欲しいだろうが、思いっきり会心の言い合いになりますが、実際の言い合いなのですが、右と左とかは関係なく、思いつきでその場で受けることを言うという。
ポピュリズムというのがあるとすると、ポピュリズムに特化しているんだと思うんですよね。
頭のいい人と言われる、論理的な人とか合理性を追求している人の場合って、言っていることの整合性というのを重要視してしまうんですけど、そこの整合性を重要視しない、言っていることが矛盾していても別に良いという。
例えば、グローバリズム反対というのであれば、海外からの輸入とかをすべて止めるべきだし、GoogleとかYouTubeとか使うべきではないんですよ。
要するに、日本の今の問題ってデジタル赤字という問題があって、GoogleとかAppleとかにお金を払い続けているというのがあって、これを何とかした方がいいよねというのがあるんですよ。
で、グローバリズム反対というのであれば、海外のサービスは使うべきではないんですよ。すべて国産にすべきなんですよ。
なので、海外のワインとかも飲むべきではないし、海外から輸入するような食べ物を食べるべきでもないし、GoogleとかAppleとかFacebookとかTikTokとか使うべきではないんですよ。
日本国内のサービスを使うべきなんですよ。ニコニコ動画とかを使うべきだし、ミクシーツーとかを使うべきなんですよ。
でも賛成党、YouTube超使ってない?グローバリズム反対なのに、なんでアメリカのサービス使ってるんですか?っていう。
この辺の矛盾を全く気にしないっていうのが、さすが賛成党シグサ。
なので、そういう時は、筋を通すというのが何なのか。
自分が言ったことが正しいと思うのであれば、その自分の言ったことに自分の行動も合わせるべきであるっていうのが筋を通すなんですけど、筋だと通さなくてよいっていうのが賛成党なので。
教育制度と子どもの問題
なので、右とか左とか保守とか確信じゃなく、思いつきっていうところでいくと説明がつくんじゃないかなと思います。
日本の子どもの自殺の要因は何でしょうか?自分は価値観が多様化した結果なのかなと思ってました。
違いますね。学校に通わなければいけないからですね。
病気で死ぬ子どももいるし、親が嫌いで死ぬ子どももいるんですけど、9月1日に死ぬ子ども多いんですよ。
じゃあ、なぜ9月1日に死ぬのですか?って言うと、学校に行きたくないからです。
なので、学校行かなくていいんじゃないの?
多様化というのは、アメリカとかフランスとかだとホームスクールという仕組みがあって、
学校に行かなくても、別に教育を受ければいいよね。
なので、家で勉強できる仕組みというのを国が用意しましょうっていうのがあるんですよ。
でも日本ってホームスクールはシステム的に存在しないんじゃないかな。
通信性はありますけどね。
なので、通信性でもいいじゃんとかっていう形にすればいいんですけど、
なんか知らんけど、地元の学校に行かなきゃいけないよねっていう縛りがあって、
その縛りに耐えられなくて自殺を選ぶという子どもがいたりするとね。
ユタボンね、よく育ったよね。
僕だから、ユタボンの親はずっと批判してたんですけど、ユタボンは一切批判してなかったんですよ、僕。
なので、ユタボンね、ちゃんといい子どもというか、いい大人というか、いい青年に育ちましたよね。
言ってること全うだし。
なので、学校に行かなかったとしても、勉強のレベルはそんなに高くないかもしれない。
知らないよ、彼の学力は。
でも一応、高卒認定だっけ、中卒認定だっけ、ちゃんと試験通って、
ツイッター見てる限りは、ちゃんと筋の通ったことを言ってるので、
なので、僕はユタボン君はうまくいったんじゃないかなと思いますけど。
ただね、本当に親がクソ野郎っていうだけで。
なので、そういう意味でいくと、子どもというのは親がいなくても育つっていうのは、やっぱりそういうことなのかなっていうので。
なので、もうちょっと学校に行かなくても育つというのを、ちゃんと社会は認めていったほうが、
結果としては、子どもが死ななくて済むんじゃないかなっていう。
少子化なんだからさ、生きてる子どもは殺さないほうがいいでしょう。
ただでさえ子どもが生まれてないんだからさ、せっかく生まれてそれなりに育った人が死んじゃうのはもったいないんじゃないかなっていう。
なので、別に学校なんか通わなくたって、別にまともに暮らしてる人はいっぱいいるんだから、
学校通わなくてもいいという社会にしたほうがいいんじゃないかなと思いますけどね。
通える人は通ったほうがいいですよ。
歴史の恨みを越えて
僕は通信よりは、ちゃんと通える学校に行ったほうがいいと思うんですけど、
ただそれが本当に嫌な子はいかなくてもいいんじゃないのっていう、そういう選択肢というのはあったほうがいいんじゃないかなと思ってます。
というわけで、今日はこんなところにしようかなと思って、もう3時なんでね、どんどんみなさん寝てくださいということで。
あ、でも日曜か、だから寝なくていいのか。
というわけで、子ども部屋ごじせんのか、子ども部屋ごじせんのか、いいとおりの人がいますけど、だんだん暗くなってきたので、
それぞれ僕も夕飯を炊いたお米があるので食べようかなと思います。
ちなみに炊いたお米はコココ米なんですよね。
うちの彼女が前にコココ米を食べさせたら文句は言わなかったんだけど、後でちゃんと言えよって言われたので、いない間に食おうかなと思って炊いております。
あ、タイトル回収忘れてた。
タイトル回収が時間はすべての傷を癒すというのにしたんですけど、これがどこのことわざだったかな。
おとたけさんのyoutubeでも同じようなことを言ったんですけど、
嫌なことがあったときも人間というのは時間が経つとだんだん衝撃が薄れるというシステムがあるんですよ。
なので嫌なことがあったとしてもとりあえず時間が経てばそこを乗り越えることができるって、ギリシャの言葉がですね、時間はすべての傷を癒すっていう。
今日たまたまリハックでレバノンの取材に行っている話というのを、塚川さんと石丸さん、石丸審議さんと一緒に話をしたというのなんですけど、
レバノンの国内の中でもヒズボラの人とキリスト教派の人とか、あとはレバノンの人とかネイトイスラエルの人たちというので、いろいろわだかまりとか怒りとかって言われると思うんですけど、
日本ってそこを乗り越えられた国なんですよね。
アメリカに原爆2発落とされて、原爆以外でもアメリカ人にめちゃくちゃ日本人いっぱい殺されてるんですけど、でもその後仲良くやってるんですよ、日本とアメリカって。
なぜ仲良くやってるかっていうと、僕らの世代は生まれたときにアメリカに怒りを持ってないんですよ。
要は僕らの上の世代がアメリカに対する怒りを子供たちに伝えなかったんですよね。
で、僕らより上の世代とそのもう一つ上の世代は友達とか親戚とか親子兄弟をアメリカ人に殺されてるんですよ。
で、アメリカ人に親兄弟、子供、友達を殺されていて、あいつらマジムかつく絶対許せねえって思ったと思うんですよ、当時。
でもそれを自分たちの心の中で止めて、その怒りを次の世代に伝えないという選択をした世代がいたんですよ。
で、そこの怒りを伝えないという世代がいたおかげで、うちの父親母親もアメリカに対しての怒りは持ってないんですよ。
で、まあ一応うちのおじいちゃんとかは戦争に行ってるんで、うちのおじいちゃんとかは友達殺されたりとかはあったはずなんですよ、近所の人殺されたりとか。
でもそこを伝えないというのをやって、うちの親世代があって、で、僕らの世代というのもアメリカに対する怒りというのは持たないんですよ。
で、多分じゃあ僕らの次の世代っていうのもアメリカに対する怒りというのを持たない世代になってるんですよね。
もちろん今でも原爆を受けた人というのはまだ生きてらっしゃるので、自分たちが原爆の被害を受けたよねとか、親兄弟死んだよねっていう人ももちろん今でも生きてるんですよ。
でもその人たちって戦争は良くないよねって言っても、アメリカを潰そうとかアメリカに痛い目を見せてやれって言わないんですよ。
その恨みのスパイラルを作らずに、あくまで戦争が良くないよね、だから誰とも戦わない日本にしたいよねっていう形で次の世代に伝えてる人たちなんですよね。
なのでそこでその怒りとか憎しみとかというのを心の内でなくした世代というのが日本の場合はいたっていうことが多分他の国との違いなんですよ。
イスラエルの人たちとかドイツの人たちとか、今でもやっぱりユダヤ系の人とかでドイツに対して怒ってる人とかもいるし、
アルゼンチンとかでもイギリスに対して怒ってる人とかもいるし、今でもイスラエルとガザの地域とかでそういうの怒ってる人たちもいるしっていうので、
フランスとドイツでもやっぱり揉めてる人たちはいるんですよ。
各国揉めてる人たちっていうのはいるんですけど、それは揉める正義と起こるだけの理由はありますよ。
でもそれを乗り越えた世代がいるかどうかっていうので、日本の場合はそこを乗り越えた世代がいるっていうのが他の国との違いなんだと思うんですよね。
なので、日本でも今外国に対してのヘイトを持ってる人たちっていうのはいますけど、
いろいろあったというので、もちろん直接被害を受けた人たちが怒りを持つっていうのはわかるんですけど、
それを国に対するヘイトとか民族に対するヘイトを持たずに、あくまで僕は個人に対するヘイトという形にして次の世代に引き継がないというのが、
日本がせっかくつけた知恵なので、その知恵は次の世代にも伝えたほうがいいのではないかなというふうには思っておりますけれども、
どうなることやら、そうじゃない派の人たちがだんだん増えているので、いい派やいい派やと思いますけど、
というわけでお疲れ様でした。