海賊の必要性
ひろゆきさんは、人生で考えさせられた出来事は何かありますか?
あー、出来事?
出来事?
出来事ではあんまりないかもしれないですね。
なんか、割と人生楽しくダラダラと生きてきているので、
別に何か他人の起きた出来事で、自分だったらどうするかというのを結構考えるんですよ。
ゲームとして。
なので、例えば自分がソマリアに生まれていました。
海賊になるのか、貧乏な生活をするのかって考えると、
僕、海賊になるタイプだなって思っちゃうんですよね。
海賊って良くないよねって日本人の感覚で言うと思うんですけど、
でも、そもそも産業がありません。農業もできません。
漁業をやろうとして、船を買って一生懸命やろうとすると、
海賊に船を襲われますってなったら、
それは襲う側になるしかなくない?っていう。
なので、漁業をやるためにも、俺ら海賊になるわって言って、
海賊もやりつつ、その地域の漁師の人は漁業をやれるようにして、
そこで産業を作ってっていうので、
まずは外枠の武器・武力を持っている人が、
内側の人たちが攻撃をされないという治安の守り方をしないと、
内側の人たちが安全に、その農業とか産業とか生活ができないんですよ。
そうすると、外と戦う武力というのは海賊なんですよ。
なので、海賊になって、相手との戦いで、
ぶっ殺したところの船とかを奪ったり、武器を奪ったりしてバチバチやるんだけど、
内側はそこの武力とは関係ない形で生活するので、
この人たちには畑とか漁師とかをやってもらって、
産業を育ててもらうっていうのをやらなきゃいけないので、
海賊をやっちゃうタイプだと思うんですよね。
歴史に見る海賊の役割
じゃあ僕が海賊やりますよって言ったら、
広域また犯罪者みたいなこと言ってるってなるんですけど、
犯罪行為的なことをやったほうが、結果として産業が伸びるよね、
みたいな話だと思うんですよ。
昔の海賊とか山賊って、
その地域の治安を守る的な意味もあったんですよ。
普通にその盗賊の頭だったりとかもあるんですよ。
戦国時代とかって、盗賊の頭とか山賊の頭とかが、
米をある程度毎年くれるんだったら、お前ら守ってやるよ。
これ処罰代ですよね。今でいうヤクザと一緒で、
処罰代を出してくれるんだったら農家守るよと。
でも処罰代を出さないんだったら守らないよと。
他の盗賊が来た時に、俺らの処罰代を出す田んぼに、
因縁つけてくれてんねん、みたいなことで戦うっていうのが、
結果として周りから大名とか豪族とか、
頭と呼ばれるようになる。
織田信長の下にいる八字学六とかは、もともと山賊出身だったりだったりするので、
村上水軍とかって言われる、あそこら辺の人たちも、
もともと海賊出身の人たちだったりするんですよね。
戦後も任教と呼ばれる人たちっていうのが、
それをありつつ、周りの人たちを助けていたというのもあったりして、
一概に任教、ヤクザ、暴力団を悪者とするのは、
いかがなものかという価値観もあったんですけど、
もう今の時代は無理だよね。
暴力団とかの存在の正当性を主張するというのは、
今の時代はもう無理なんじゃないかな。
他の国とか、
現代社会における価値観
必要悪という概念っていうのは、
日本はもうちょっと厳しいんじゃないかな。
他の国だったり、ちょこちょこあったりするんですよね。
偽族という考え方。
日本だと、ただ悪いだけだよね。
暴力団とヤクザは違うって、人によって定義が違うと思うんですけど、
竹内力とかいいヤクザだと思いますからね。
竹内さんのことヤクザって言ったことがある。
エリザベス一世って海賊を雇ってなりあがった。
昔の大名的な人とか貴族とか王様とかって、
やっぱり武力が必要なので、傭兵として海賊使うとか、
山賊使うとか普通にあるんですよね。
そのデンマークがなんで強かったのかというと、
デンマークはもともと海賊が異常にいて、バイキングと呼ばれている人たち。
スウェーデンの国王とかが結構強かったよね。
バイキングを使ってイギリスを攻めたりとか。
なので山賊とか海賊というのが、犯罪者集団というより、
力を持っていた集団。
昔は自民党はヤクザと仲良かったんですよね。
戦後のゴタゴタのときっていうのは、街のゴタゴタで治安を維持しなきゃいけないので、
ある程度腕っぷしのあるヤツを集めておいて、
地域の人たちの支持を得るっていうので、
そのヤクザ的な人たちと仲良くして、
結果として治安を守りつつ、その地域の存続を。
ビンランドサーガっていう漫画があるんですけど、
わりと面白いので興味がある人は見てみてください。
闇市っていうのもあって、本来の市場じゃないところで勝手に物の売買とかをするんですけど、
それはでも民間の人にとって見たらそれやったほうが得だよねっていうのがあって、
ただその闇市に商品売ってると、
その商品めがけて泥棒とか盗賊とかスリとかいろんな人が来ちゃうから、
そいつらを捕まえてボコボコにぶん殴るヤツっていうのがいないと、
やっぱり市場の治安が発揮されないんですよね。
とはいえ今だと花火とかで敵や敵な人もいたりしますけども。
クワタさんのチャンネルで募集してるのは企業だけです。
通販のトラのクワタさんのところで、
銀座にある免税店の棚を通販のトラさんと一緒に用意させていただいて、
そこにおいて外国人向けのテストマーケティングをしたい商品を持っている方、
大募集っていうのをやってるんですけど、
一応持ち込み企業の方って言ってるんですけど、
別に個人でもちゃんとそれなりの商品を作れる人であれば、
全然大丈夫だと思ってます。
公明党、最初は自分たちの町に入れるけど、
公明党はしたしないです。
斉藤さんが個人的な思惑という形で言ってました。
党としてはそういうことはしないけど、
ただ斉藤さんって本当に気の優しい人だと思うんですよね。
言うても26年間自民党と一緒にやってきたので、
野党の全然知らない人を入れるぐらいだったら、
自民党の方の名前を書くというのもありじゃないかという表現をしてたんですけど、
あれは本当に斉藤さんの優しさから出るもので、
実際にそれをやるわけではない。
それやるんだったら連立組むから。
決戦投票の時に高市さんの名前書きますよって連立制限じゃん。
もうそれをやらないと決めたというのが、
連立をしないということなので、
党としての方針は決まってるけど、
26年間ずっと一緒にやってきたわけだから、
気持ちとしては自民党の総裁の名前を書きたいよねっていう話だと思うんですけど、
これは党の方針で決めていいことなので。
そう見ると斉藤さんは自民党の人にも嫌われないような表現をしてるんですよね。
斉藤さんって実は一任されてたんですよ。
自民党と組むか、自民党と連立分かれるかというのは、
斉藤一任という形になったので、
高市さんと1時間半話した後に、やっぱり自民党と組みますよっていうのを言える権限を持っていたんですよ。
なんですけど、連立しないっていうのを決めて、
別れたのも斉藤さんなんですよ。
ありながら、心情としては高市さんの名前を書きたいですっていうあたりが、
社会人スキル高いんですよね。
中間管理職的な立ち入り振る舞いをよくご存知で。
斉藤さんは大企業の管理職とかやっても普通に出世するタイプだと思いますよ。
女性発の詩を1回ぐらい見たかったんですけどね。
この秋初スパッシャーです。
以前ヒロキさんが紹介されてた映画「月」を友達と見ました。
私はメジャー例が大変なのに働かないでしかも意識ってほしいのに旦那がクズだと言い、
友達は大変なメジャー例がこれ以上気づかないように中立に踏まっている旦那が一番まともだと言いました。
映画を見る人によって会社が違うことは魅力の一つでわかっていますが、
ヒロキさんはどっち側、旦那がもともとはクズだと思いますか。
僕だったら、その職場で働かせないというのになるので、
やめればというのにいる側なので、
どちらかというと中立に振る舞っている側に近い行動になると思います。
映画「月」のテーマ
要するに大変な思いをしている宮沢理恵さんに寄り添うべきであるという話だと思うんですけど、
月という映画があるんですけども、
神奈川県の山百合学園という、
重度の知的障害の人たちを生活させている施設があって、
そこの職員の人が、一回辞めた職員の人が窓ガラスを割って戻ってきて、
あなたは人間ですかって質問して、
答えられなかった人を一人ずつ殺していくっていう事件があったんですよね。
結局なぜそれを行ったのかというのは、
上松被告自体は言っている趣旗はあるんですけど、
その事件を前提にして、そこの職員の宮沢理恵さんと二階堂文さんという人が、
言葉の通じない重度の障害者の施設で暮らしていて、
知的障害もあるので、やっぱり普通に暴力を振るってくるんですよね。
言い方はあるんですけど、収容されている知的障害者の人たちは、
その人たちのためをもって、そこの働いている職員の人たちは、
いろんな刑をしてるんですけど、
でもそこに収容されている人は、そういうことも分からなくて、
閉じ込められていると思うだけなので、
やっぱり職員の人をぶん殴ったりとか、性的な嫌がらせとかもしたりするんですよ。
そういうきつい職場なんだよねっていうところで、
宮沢玲恵さんが妊娠したりとかっていうのがいろいろあるんですけど、
その時に旦那さんというのは、きつい職場であるということに対して、
あまりそこに助けようとかって関与してこない人なんですよ。
結局、子供を産みたいよね。でも子供を産めないよね。
命が欲しいよね。でもその子供を産むということができない状況だよね。
じゃあ忠誠をしなきゃいけないかもしれないよね。
忠誠というのは命を殺すという判断じゃないですか。
キリスト教的に言うとね。
日本の法律的には忠誠というのはあくまで人間の命ではないという考え方なんですけど、
忠誠という形で命を殺すという判断をするのと、
人間としての判断ができない生き物に対して、
その命を奪うというのは、重さとしてはどちらが重いですかっていう話なんですよ。
何年か前に見たストーリー間違ってたらすみません。僕記憶力そんなに良くないので。
なので、実際の事件の時にあなたは人間ですかっていうのが、
人間としてのリアクションがあるのであればそれは人間である。
だから殺さないでおこうというのをやったんですけど、
人間としてのリアクションがないのであれば、
それは職員に迷惑をかけて税金を使い続けるだけなので、
そういう人がいなくなる方が社会にとってメリットがあるのではないか。
というふうに犯人は考えるという話なんですよ。
実際にそれを起こした植松被告は、社会の負担を減らすためにやるということで、
その当時の首相の代謝たちが直筆の手紙を書いていたんだと思うんですよね。
無駄な税金を使っているという考えていて、
その職員というのもすごく真面目な人たちの職員がずっと危険をして苦労していて、
お荷物のような人がいなくなればその無駄が省ける。
それは日本国にとって良いことであるというふうに犯人は考えたという説があるんですけど、
そういう形で人間の命とはどちらが大事なんですか。
要は人間の命って大事だよねって言ってるんだったら忠実しちゃダメでしょっていうのが、
キリスト教権利主義者の考え方で、テキサス州の人たちっていうのは、
忠実は殺人なんだから忠実をするような医者がいたとしたら、
そいつは逮捕するべきだよねっていう考え方もあるんですよ。
でも忠実をするというのはあくまで母親の判断であるとか家族の判断であって、
それは命ではないというのは人間は考えるんですけど、
じゃあそれは命ではないと人間が決められるのであれば、
その知能を持って人間であるかどうかというリアクションが取れないのであれば、
その人が人間であるかどうかというのを他者が決めてもいいのではないですかっていう。
ウバステ山もそうですよね。
なのでもうこの人の命というのは負担である。
であればそこの世話をする人の判断でもう世話できないよねというのであれば、
世話をしないで自動的に亡くなってしまう。
もしくは餓死してしまうというのもあるし、
であれば山に置いてきてしまうのと本質的には一緒ではないかっていう、
そのウバステ山的な考え方もあるんですけど。
っていう感じのすごい答えのないテーマを映画化して、
宮沢りえさんの役割
宮沢理恵さんとか二階堂文さんとか出て、
割といい映画ですね。
これが面白い映画かと言われると、
見た後にみんないい映画見てみたねって笑顔になるかと言うとそうでもなくて、
見た人がみんな嫌な気持ちになるっていう、そういう映画なんですけど、
なので嫌な気持ちになるのが好きな人は見ていただければいいんじゃないかなと思います。