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プログラマーの仕事と転職 / 食物アレルギーと人生の損得 他
2026-06-11 12:49

プログラマーの仕事と転職 / 食物アレルギーと人生の損得 他

今回のテーマ:
プログラマーの仕事と転職 / 食物アレルギーと人生の損得 / 海外の食品表示の危険性 / 他人との価値観の境界線 / お通夜や葬儀の必要性 / 弔い方の文化・宗教的多様性 / 火葬と土葬の歴史的変遷 / 鳥葬など世界の葬送文化 / アプリ開発とプログラミング学習

元動画:
https://www.youtube.com/watch?v=M7KWrHANxHs

感想

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そのプログラムにやらせた方が安全だよねっていう構造は変わんないと思います。
あ、まあ二度と読みたくないんだったら転職した方がいいんじゃないですか。
これなんですか。
リハックでひろゆきさんが日米中期予定に触れるとたかしさんがされてるように感じました。
いや、たぶんね、たかしさんよくわかってないっていうだけだと思いますよ。
あの、よくわかってないからあの、突っ込まないっていう。
えー、現在大学1年男で卵乳製品の食物アレルギーがあります。
これから先の大学生活は就職してから人生でどんなメリットがあると思いますか?
あと、食物アレルギー持ってる人に対する率直な意見も聞きたいです。
いや、たいしてないんじゃない?
別に、食いたくもないものを食わなきゃいいだけだし。
別になんか、マヨネーズとかアレルギーがあるから食ったことないんでしょ?
いいじゃん、それで。
マヨネーズを食べたことのない人生はあなたは損していますみたいな人っているんだけど。
いいよ、別に食いたくねえんだからってだけで。
別にだから食わないまま、今の生活が普通に続くと思うんですけど。
ただ、あの、どうだろうな。
食べ物を食べてこんな食べ物があるんだっていう。
海外とかに行った時に適当に頼んだ食事をして、
へえ、こんな味なんだとか、うわ、まずいとかっていう、
新しい好奇心を満たすということはできないっていうのはあると思うんですよ。
要は何が入っているかわからないから怖いっていうのがあって。
ただ、食べ物にそんなに興味がないんだったら、別にそれはたいしたことではないと思うんですよ。
僕の知り合いで風俗大好きおじさんがいて、海外に行くたびにその国の風俗とかに行ったりするんですよ。
僕はそういうのは全然興味がなきゃいけないんですけど、
風俗大好きおじさんから見ると、海外に行っても外国人の女性とそういうのをやらないのは損であると。
なのでお前は人生損をしているなというふうに思われていると思うんですけど、
僕は別にそもそもそれに興味がないから欲しいとも思わんよっていう話なので、
この食べ物が食べれないというのは人生損してるよって言われる可能性があるんですけど、
いや興味ないしっていう話なんだと思います。
なんで今海外の話をしているかというと、
日本の場合って乳製品とか卵入ってますかって言ったときに、
ちゃんと入っているものは入っている、入ってないものは入ってないって言ってくれるんですけど、
海外は適当です。
乳製品で調理をした鍋の後に別の材料で調理をした場合、
それは別の材料の中に乳製品がなかったとしても、
一回乳製品で調理した鍋で料理したらダメだよねとか分からずに、
いやこれは卵とか入ってないからっていうのを言っちゃったりするんですよ。
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なので日本の場合は卵が入ってませんという場合は、
機械とかカップラーメンに卵が入っているとかで、
カップラーメンを作る製造ラインで卵自体を使っていないというのを証明しないと、
卵が入ってませんって言いなかったりするので、
機械とかラインにも卵が入ってませんよみたいなのもあったりするので、
日本は結構そこらへんの、ちゃんと原材料表記が明確なんですけど、
海外は大雑把だったりするので、
なのでガチアレルギーの方は海外は気をつけたほうがいいですよ。
境界線の引き方。
境界線を引いてない人が多いんだよね。
要は自分はこう考えるのだから相手もこう考えるはずであるっていう境界線の引き方をする人がいて、
それ境界線じゃないよ。
それはあなたと他人は違うんだから境界線引いてないっていうことだよっていうのがあって、
今日もXでたまたま野戸竹さんが流してたんですけど、
嵐のラストツアーの席が取れて、
義理のお父さんが亡くなったのかな?
なのでおつやに行かなくて嵐のラストツアーに行きましたっていうのがあって、
それが正しいのかどうかの論争だったんですけど、
僕は別におつやに行かなくていいんじゃねって思ってたんですよ。
例えば義理のお父さんで親族のみですけど、
亡くなりましたって言って病院行って、
お父さん死んじゃったみたいなのがあって、
いろいろ手続きとかあって、
ここからおつやが始まりますっていうので、
もしの人が別にいるんだったら、
じゃあ後よろしくって僕はいいと思ってるんですよ。
自分がもしだったらなきゃいけないけどね。
肉親との最後の時間を大事にしないのかとかって言うんですけど、
おつやという宗教儀式じゃなくても、
別にその時間を自分が満足する時間やれば十分じゃねって思ってて、
自分が30分間それやったから、
じゃあ後にしていくといけないのもよくて、
おつやに行かないと個人との時間が費やせないみたいな、
よくわかんない理論を言われると知ったこっちゃねーやって。
実の父だっけ?
実の父でも僕の中で一緒なんですけど、
自分自身が死ぬ前に病院行って、
多少喋って、死にましたって言って、
死んだ後にいろいろ悲しかったねって、
自分の中ですっきりしてれば、
別に僕はそれでいいと思うんですよね。
なのでそこがおつやには出るべきであるとか、
おつやで他の人が来た時に受け入れる仕事をすべきであるとか、
僕はそれは価値観の問題だと思っていて、
本人が決めればいいんじゃねって思うんですよね。
これ価値観の問題だよねって言ってるのって、
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要は宗教が違う人にとっては何の意味もない議論なんですよ。
例えばおつやのない宗教もあるんですよ。
国別式がメインですっていう。
そしたらおつや自体そもそもみんなやんないじゃん。
みんなやんないけど、別にそれが無礼だとか、
個人に対するリスペクトが足りないとかならないんですよ。
だって別におつやなんか誰もやらないもんっていう文化なので。
なのでおつやが大事だと思うかどうかというのも、
文化だったり人の考え方だったりするんですよね。
なので僕はおつやが超大事だと思う人であれば、
おつややればいいと思うんですよ。
おつや超大事だからやりたいです。どうぞどうぞどうぞ。
ただ僕は別に必要だと思わないっていう話。
ただこれが母主という役割でおつやというのをやらないと、
その後西村家的な何かがいろいろみたいなね。
うちはあんまないんだけど、
例えば旧家でいろいろ親戚付き合いがあって、
母主がおつやをやらないとその後親戚関係とかめんどくさいよねとかであれば、
それはもうめんどくさいからおつややったほうがいいわってなると思うんですよ。
母主だとしたらね。
っていうところで自分の価値観でめんどくさいと思えばやればいいし、
別に母主じゃないから必要ないってやればやらなくてもいいしっていうよね。
なので価値観というのは僕は基本的に個々人が違うので、
共有すべきでもないし共感すべきものでもなくて、そういう考えなのねっていう。
今までの先祖がアフリカにいた猿のご先祖様からヨーロッパを渡ってアジアを通って、
多分日本に来てると思うんですけど、
この間のおつやをやった割合ってどれくらいだと思う?
多分ヨーロッパとかアジアとかの間はおつややってなくて、
日本でもおつやとか始まったのって多分仏教伝来以降だから空海とか帰ってきた後だよね。
だから剣道師とかだから、
剣道師ってなんだっけ700年?
ナクヨ?違うそれケイアン教だ。
なんだっけ剣道師の名前教えちゃった。
だから多分そこら辺だと思うんだけど、
西暦400年?
多分それぐらいから2000年だから1600年間ぐらいの間に
おつや的な文化が多分日本の中で生まれたと思うんだよね。
人類って10万年の歴史って言われてて、
悪い虫殺そうはこれ大化の関心でしょ?
745だっけ?白死に戻そう剣道師正解。
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そっかじゃあ1100年ぐらいか1200年か。
なので1200年ぐらいで10万年の間はそもそも仏教ではないから、
おつやという概念なんだよ。そもそもブッダいねえし。
だから仏教っていうものがそもそもないから。
なのでそう考えるとおつやというものをやったのは
ごく最近の話なんですよ人類の歴史でいくと。
なので先祖的には何それ?
なんかそんなよくわからない儀式始めたらふーんみたいな話で、
そもそも日本語喋ってないしね先祖。
最初猿だからね。
まあそっかだから先祖が猿じゃないと主張してる方かな?
あと江戸時代とかさ、桶に入れるよね。
横にする缶桶ってあれ多分キリスト教の文化で、
体育座りで桶に入れる文化だよね。もともと日本の場合って。
結局今キリスト教的な横になる缶桶っていうのがなくて、
でっかい桶に足を体育座りみたいな状態で死体をボソッと入れて、
そのまま墓に持ってくるみたいなので、
弔い方っていうのも時代によって全然違うんですよね。
桶屋の桶で。
なのでなんかこう宗教的な儀式が何が正解とか、
弔い方は何が正解かというのが、
僕はなんかそもそもこう、
あなたはそう思うんですね。
例えばじゃあキリスト教だったらこの弔い方が正しいんだとか、
じゃあゾラスター教だったらこの扱い方が正しいんだとか、
その人たちはそう思われるのですねっていうのであって、
何か絶対的に正しいっていうのはどうなのって思うんですけど、
例えばその死体を焼くというのはそもそも日本はない文化なんですよね。
明治以降ですよね。
死体を必ず焼かなければならないっていうのは明治に、
火葬しなければならないって法律ができてなったんですけど、
もともとやっぱり天国に行くので、
燃やしちゃうとかだと苦しむから、
普通に土に埋めて、
その土の中でだんだん肥料になって、
その上で桜の花が咲くとかというのがもともと日本の文化で、
なので土葬の文化だった明治以前の人たちから見ると、
お前何燃やしてんの?って怒られると思うんですよね。
という感じで、
なので宗教的儀式の何が正しいのかっていうこと自体が、
チベットの方とか朝倉っていう、
まず人間の死体を全部切るんですよ。
頭蓋骨もぶっ潰して粉々にするんですよ。
鳥がつついて食べれるようにしなきゃいけないから、
人間の死体そのまま置いておくと食べれないから、
なので足とか腕とかもバンバン殴ってボキボキにして切断して、
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頭蓋骨とかもぶっ潰して高いところに置いておいて、
そこに鳥が来て食うっていう朝倉っていうのがあるんですけど、
これも別に鳥が食べることによって天国に行くっていう価値観であるんですけど、
でもこれが日本で突然死んだお父さんをボコボコにぶん殴って頭蓋骨割ってとかってやりだしたら、
周り止めると思うんだよね。何してんだみたいな。
っていう感じだったりするので、
なので宗教的なものの何が正しいかというのは状況次第なので、
なので絶対的にこうだよねとかっていうものではないので、
そこにこだわりたい人がいるんだったら別にこだわってどうぞだと思うんですけど、
ただこだわらない人もいるよっていうのを理解していただければ。
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