怒りの意味合い
7月16日火曜日、今日も声日記を残したいと思います。
このチャンネルでは、自分と怒りに向き合い続けて4年目の私、ビビリなゆうのが、読書やポッドキャスト、日々の暮らしから気づいたことをシェアしています。
3連休どう過ごしでしたかね、皆さん。
私は、キャンプに行ってたんですよ。香川の方に。もうね、雨です。ずっと。嘘やろってなったんですよ。キャンプで雨って何もすることあるへんやんって思って。ちょっと待って、みたいな。
そのキャンプ、香川に行くキャンプっていうのが、毎年キャンプ誘っていただいてからね、パパのお友達に。職人仲間の方たちと一緒に行くんですけど、誘っていただいてから、ずっと毎年この日にち、7月14日かな。
はそのキャンプ場を撮るように、皆さんしてらっしゃるのでそこにね、一緒に行くようにしてるんですよ。何でかって言ったら、花火、お祭りが香川の地元の東香川のところでお祭りがやってて、花火が上がるんですけど、キャンプ場からね、見えるんですよ。
あんまり人も、夏場やし、電源がないサイトなので、あんまりいないんですね、人が。
だから、ビール飲んで、食べ物食べて、子供がわーって結構走り回ってても迷惑にならへん。ぎゅうぎゅうの中見るみたいなのが花火大会やなって思ってたんですけど、
なにこの楽な椅子に座って、ビール飲んで、子供まあまあほったらかしてて、花火堪能できるとかあんねーやと思って、ここ見えるねーって言って誘ってくださってから、私たちも行きたいですって言って、毎年一緒に予約取っていただいてるんですね。
なので、すごい贅沢な花火大会、花火の見方をね、できる楽しみだったんですけど、雨なんですよ、雨、行ったら。なんでってなって、ついても雨やったしね、もうえーってなりながらね、これないんかなーって言ってたんですけど、
あのー、なんですか、めっちゃ奇跡やんって思ったんやけど、花火がね、8時からやったんですけど、上がるほんまに5分くらい前にピタッとね、雨が止んだんですよ。ほんでもね、やっぱなんかピチョピチョやし、これやらんやろ普通と思ってたのに、雨降ってるときもためし打ちっていうんですか、バンバンみたいなのがすごい聞こえてきて、これやる気なん?すごない?と思って。
こんななんか、やろうってなるんやと思って、すご、延期じゃないんやって、もしあかんかったら翌日の夜に延期しますって、あのー、ネット見たら書いてたから、あーもう翌日はね、帰らなかんから、見られへんなーって思っとったのが、ピタッとね、止んで、雨が、見れたんですよほんで花火が。
めっちゃ甘ってめっちゃついてるやんって思って、ガッバガバビール飲んでね、めっちゃ美味しいわーって言って食べながらね、そう、今年も無事、あの花火をね、堪能することができてめっちゃ嬉しい3連休を過ごしましたっていう小話なんですけど、うん、そうなんです、皆さんどんな3連休を過ごしてはったんかなーってふと思ってね。
ではね、本編というか本題の方の今日のテーマに入っていきたいと思います。
今日のテーマなんですけれども、怒りって厄介者ですかっていうテーマで話していきたいなと思います。
皆さん、怒りって感情にどんなイメージお持ちですかね。
私はね、以前こう思ってたんですよ、もうね、怒るってね、怒りっていいこと一個もないやんみたいな、疲れるし、嫌な気持ちになるし、辛くなるし、なんか怒った側になってもね、自分が。
で、怒られる側であっても、まあ嫌やなって思うのが怒り、怒るっていう感情やなってすごい思ってて、怒りって感情無かったらいいのになーって思うときもあったんですよ。
なんか、子供怒るとかも、自分が決めて怒って、決めてというか、もういいってなって怒ってるのは自分なのに、怒った後の罪悪感というか、何とも言えん気持ちになるんですよね。
あ、もうごめんみたいな、なったりとか、まあ夫婦喧嘩もそうやし、嫌な気持ちになるしね、もう怒りって感情無かったらそもそも、なんかそんな嫌な気持ちにならへんのにっていう感じでね、怒りに対するイメージがすごい厄介者的なイメージやったんですよ、私自身が。
でもね、怒るって感情はもう嬉しいとかね、悲しいとかね、それと同じようにたくさんある感情の中の一つやから、消すこと、なくしてしまう自分の中でっていうのを考えたらすごい抵抗を感じたんですよ、私は。
どんだけ嫌な部分があろうとね、なんかね、怒るっていう感情をなくしてしまう、それ何にもなく平坦な日常を過ごせるかもしれへんけど、なんか人間っぽくないな、なんか怒るって感情なくしたら、嬉しいとか悲しいとか、それ以外の、なんかこう、わーっていう喜ぶとかの感情も薄れそう、鈍くなりそうとか、そんな感じが思えてきて、
なんか怒りってそもそも、何なんかなってすごく興味が湧いたんですよね、私。
ほんで、なんかこう、怒りって、なんかこう、どんなものなんやろう、調べようと思ってね、
自分のイメージね、持ってる厄介物でめんどくさいものっていうイメージは一旦置いといて、そう、怒りってものはどんなものなのか、客観的に見てみたいなって、ただの興味本位なんですけど、それで調べてみたんですね。
そしたら、結構新しい発見というか、そういう風な見方もあるんか、みたいな気づきがあったんですよね。
いくつかある中の一つ目として、今日はご紹介したいなと思うのが、怒りは自分を守ってくれているっていう。
もうそれを読んだ時、え?ってなったんですよ。人を傷つけるものであったとしても、自分を守ってるって、なんかちょっとあんまり発想として湧いてこーへんなと思って。
でもやっぱり、嫌な言葉とか、自分が傷つけられるであろう攻撃的な言葉だったりとか、実際に怖い、傷つけられそうになった時って、やっぱり怒りって感情が震い立たせてくれたりとか、
やめてほしいなっていう、やめてっていう一言を放つ勇気になったりも変わってくれたりもするよなって、怒りっていう、はじめ感情でも、そういう勇気につながるよなと思って。
そういうふうに思ったりとか、やっぱり大切なものを守りたい時とかも、怒りって感情って使われてるなっていうのが思ったんですね。
自己防衛の怒り
なんか人間だけじゃなくて、動物とかも怒ったりとかってあるんですよね。威嚇してきたりとかって。
昔、犬、ワンちゃん飼ってて、お散歩してる時に、野良猫ちゃんが何匹か赤ちゃんを産んでたみたいなんですね。そこを通ってたら、
別に、生まれたての野良猫ちゃんが産んだ赤ちゃんを取ろうとか、悪さしたろうとか、そんなんうちの犬何も思ってへんかって気づいてもなかったんですけど、いきなりシャーってきて、びっくりしたことあるんですよ。一回だけやけど。
むっちゃ攻撃的、この猫何?と思ってたら、赤ちゃんおんねんやって思って、納得したんですよね。そこで自分が。大切なものを守りたいってなったら、こういうふうに怒り、威嚇とか怒るっていう感情で守ろうとするんだなって。
動物もそうだし、人間にもやっぱりあるよなって。何か危機迫るものだったりとかがあると、やっぱり子供を守りたいってなったら、怒りっていう感情で守ろうとしたりとかするって、人間にも多分通じるところあるなと思ってね。
なんかすごい厄介もの、めっちゃめんどくさくて嫌なもの、なくしてしまったらええやんって初めは思ってたんですけど、そういう自分を守ってくれたり、大切なものを守るものかもしれへんっていう新しい見え方、そんなふうな捉え方、怒りに対してあるんやっていうのを知ったら、
ちょっと厄介ものって思ってたイメージが、私の中で少し変わったんですよね。
ただ傷つけようとするものじゃない。自分の身もそうやし、心、大切な自分が大切にしてる者たち、人たちを守るために、怒りって感情を使うこともあるんやって。
怒りってそういう、ただ嫌なものっていうわけじゃないんやなっていう気づきがすごく大きくって、怒りってこんなもんでしょう?厄介でしょ?めんどくさいでしょ?嫌なもんでしょう?
って決めつけて、怒りを邪魔者にする自分の感情の中でも一つだけのけものにするっていうのは、やめようかなって思えたんですよね。
どの部分をどういうふうに見るかって大切だなっていう気づきにもつながったので、怒りっていう一言でもいろんな見え方、見方をすることができるんだなと思ったので、
今日は怒りって厄介者ですか?っていうテーマで、こんな感じで少し掘り下げて、自分で気づいたことを考えたことを、今日は講演日記に残しました。最後まで聞いてくださる方いらっしゃったら、最後までご視聴ありがとうございます。ではまたこの辺で失礼します。