1. 産後鬱からウェルビーイングな働き方に。
  2. #177 私の30代の振り返り、産..
2024-09-09 10:38

#177 私の30代の振り返り、産後鬱。

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サマリー

このエピソードでは、35歳で長女を出産し、産後鬱を経験したワーママのエリィが、自身の振り返りと高齢出産のリスクについて話しています。また、出産の際の選択やその結果、育児への適応に伴う挑戦についても触れています。

自己投資のきっかけ
こんにちは、ワーママのエリィです。
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今日はですね、私が今年自己投資をたくさんした理由というか、そのきっかけになったことを話したいなと思います。
ちょっと長くなるかもしれないので、少し分けて話していきたいなというふうに思っています。
はい、えーとですね。
私はですね、えーと、35歳の時に、
35歳?合ってるかな?
長女を出産したんですけど、
えーとですね、
11月生まれで、
2018年の11月に出産をして、
2019年の2月ぐらいかな?から、
産後鬱と診断をされて、
実は今も病院に通っています。
もう、上の娘は5歳なので、
もうついに5年になりますね。
最近のご振興内科でご相談する内容は、
仕事のことが増えてきたので、
もはや産後鬱なのかどうなのかわからない感じでもあるんですけど、
ちょっとね、最近下の子が怪我したこともあって、
ちょっとそれのショックみたいなのもあるので、
ちょっと振り返って、今のタイミングでね、
振り返ってみたいなと思うんですけど、
35歳を超えてからって、
一般的には高齢出産と言われるので、
3号うつのリスクも高まるっていうふうに言われてるんですね。
産後鬱になりやすい人としては、
やっぱり性格的に心配症だったり、
完璧主義の人だったりする人とか、
あとは高齢出産の人、
それから、もともとPMSとかホルモンバランスによって、
体調とか気分が左右されやすい人だったり、
あとは、これはどこまでかわからないけど、
家族とか身内に精神疾患の人がいるとか、
そういうところがリスク因子になってきます。
私はですね、結構全部当てはまってるかな。
PMSも20代からひどかったので、
まだPMSっていう言葉が浸透してない頃から、
婦人科に相談しに行って、
漢方をずっと処方してもらってました。
タミショウヨウさんっていう漢方だったんですけど、
聞いてるか聞いてないかわかんないなっていう感じで、
でも飲まないよりいいかなと思って飲んでたんですけど、
それでPMSもひどかったし、
あとうちの親族は本当に
鬱とかそういう精神疾患にかかってる人が本当に多くて、
やっぱりこの家族歴っていうのはね、
結構可能性もあるかなっていうふうに思ってるんですけど、
あとはそうですね、高齢出産。
やっぱり仕事の環境でずっと生きてきた、生活してきて、
それに慣れてしまっているともうなかなかね、
35歳を超えると新しい環境っていうのかな、
育児っていうその環境に慣れるのもすごく大変でしたね。
結構これは大きかったかなと思うんですけど、
なので高齢出産っていうのもリスクになります。
私はそんなリスクを持ちながらも、
寄生をしないでおこうと思ってたので、
それもますますリスクを上げてたんですけど、
なんでそういうふうに決めたかっていうと、
私はすごく痛みに弱くて、自信がなくて、
すごく怖がりなのもあって、
無痛分娩をしようというふうに決めてたんですね。
なので、やっぱり無痛分娩ができるのって、
出産体験の振り返り
田舎の病院だと本当になくて、
実績とかも必要な、水会の数とかそういうのとか、
実績とかもやっぱり東京が一番しっかりあるので、
それで東京で出産したいなというふうに思ったのが一つ。
もう一つは、11月が予定日っていうふうに
聞いて、4月に入院させないと、
保育園に間に合わない、入れないというふうに
思ったんですね。
1歳児入院は本当に絶対無理っていうふうに
聞いてたので、0歳で入れるためには、
5ヶ月で復職をしないといけないなっていうことを
考えていて、むしろその選択肢しかないと思ってたので、
帰省してる時間はないから、
都内で出産してそのままいようかなというふうに
思っていました。
ただ自分自身、産後うつのリスクが高いタイプだな
っていうのは自覚はあったので、
出産後の1ヶ月は、サポートをとりあえず
毎日入れようと思って、
ここからここまでは母に来てもらって、
その後は義理のお母さんに来てもらって、
その後は産後ケアの施設を利用してみたいな感じで、
年末まで常に誰かに来てもらう、
産後ドゥーラさんとかも利用して、
そういうふうに予定を組み立てたんですね。
ただ、私がダメだったというか、
私がこういう、よく知らなかったというのもあるんですけど、
とりあえず1ヶ月、1ヶ月検診まで終われば、
普通にじゃないけど、自分は慣れるだろうと。
少し動けるようになるだろうとか、
外出もできるだろうとか、
そういうふうに普通に生活できるというイメージで、
思ってたんですけど、
これがちょっと残念なことに、
最初、初めての出産というのもあるんですけど、
普通分娩って出産時間が長くなるというリスクがあるんですけど、
やっぱり長くなってしまって、
しかも赤ちゃんが大きくて、頭もめちゃくちゃ大きかったので、
骨盤でずっと引っかかって出てこれなかったんですね。
なので、結局監視分娩が上手い先生がいたので、
監視分娩で出産をしたんですけど、
最初、引っかかっている時間が長かったので、
すぐに産声を上げなくて、
酸素濃度も不安定だったんですね。
その後、泣き出したので、
しばらく様子を見てという状況だったんですけど、
結局、そういう出産だったので、
最初、歩けない状態、骨盤がボロボロで歩けない状態で、
これが1ヶ月以上続くことになるんですけど、
不死常に骨盤が痛かったり、
あとは、チコツが痛くて、
吸われない状態で授乳をするという状況が続いたのと、
あとは、自分が無痛分娩を選んだせいで、
赤ちゃんが苦しい思いをしてしまったというのが、
すごくショックだったんですよね。
自分が楽をしたかったから、赤ちゃんが苦しくなっちゃったんだというふうに思って、
その時も泣いたんですけど、
よくよく考えれば、普通分娩でも、
頭の大きさが一緒だから、
引っかかるということは多分起きたと思うんですよね。
だから、何が正解かわからないんですけど、
その時はそういうふうに、
罪悪感に駆られました。
なので、産後、思うように体が動かなくて、
出産の時の罪悪感もあって、
さらに、早く早くというか、
5ヶ月で復職しないといけないというプレッシャーがあったので、
年末までは誰かのサポートを得ることで、
なんとか休めていたんですけど、
年が明けてから一気に生活が崩れてしまうことになるんですね。
今日は出産のところまでお話ししたんですけど、
また間を挟んで、この続きお話ししたいと思います。
今日は私と産後の付き合いについてお話しさせていただきました。
聞いていただいてありがとうございました。
10:38

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