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はい、みなさんこんにちは。この番組は、ぽんこつゆるオタママ、夢野にわとりの日々を持ったことを話したり、娘のひよこちゃんとの成長の記録を残していこうというラジオになります。
本ツアーは2023年の4月3日でございます。
いや〜暑いですね〜。いやもう、分かってたんですよね。覚悟はしてたし、暑くなるって分かってたけど、やっぱり暑いですよね〜。
ということで、暑さに負けず頑張っていきましょう。
せーの、ニコ!ということで、本日の話をしていきたいと思います。
あー、また欲しいちゃったよ〜。
最初に、ギフトを6月の終わりに、なおくんさんからサンクスギフトをいただいてたんですよね。
お礼収録っていうか、お便り返信のやつがあるじゃないですか。返信収録みたいなのがあるので、それをやろうと思っていて、まーたまーたしっかり忘れてましたね。
6月のサンクスギフトっていいなって思ったんですよね。
特にメッセージとかもなしに、ギフトだけ送るっていう感じで、サンクスギフトを今月、よく聞いてたリスナーさんとかに、リスナーさんじゃないわ、トーカーさんに送るっていうね。
ギフトめちゃくちゃね、コイン、無料コインめちゃくちゃ余らせてるんですよね。毎日100コインもらえるんで、6月と。
前はね、最初の100に、毎日100コインもらえるってなった時は、結構コインを消費したいと思って、お便りとかも送ってたんですけど、
まあね、減らないですよね、普通に。500とか送っちゃえばいいのかもしれないですけど、なかなかずっとそんな感じで、全然使わずにいるんですけど、
なんかそういうね、気軽に送れるサンクスギフトをね、聞いてるよっていう気持ちで送るっていうのがいいなって思いました。
今後やるかな。でもね、それはそれでね、余裕があるときはいいんですけど、忙しい時期に送らなきゃってなるのも、また義務感みたいになっちゃうのもちょっとあれだなと思うので、
余裕があったらね、送ってみたいなーなんて思いました。確か、月末の最後にしか現れないんですね、サンクスギフトって。使ってみたいなーって思いました。
はい、ではね、本日はですね、出産の話しようかなって思って、前にもちょっとお話したんですけど、もうそろそろ出産を控えてるね、お母さんが見えまして、
別に何の参考にもならないんですけど、出産って本当に人それぞれって、人それぞれだし、子供によっても違うので、
私のね、一つの、私自身の経験談みたいなのをね、ちょろっと語ろうかなって思います。
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私はですね、多分ね、39週目に生まれたのかな、違うか、38週目の定期検診みたいなのがあって、生まれる前日にですね、
まだ38週なので、まだ降りてきてないねみたいなことを診察で言われて、その後にも検査みたいなのをして、
その時にね、看護師さんの卵みたいな子がね、自習生かな、みたいな人が一緒についてお話ししたりとかして、楽しみですねとか言ってた。
その翌日っていうか、その翌日の朝ですね、確か3時くらいかな、3時半くらいかなに、なんかトイレ行ったら、
ん?発水か?みたいな、なんかちょっと水っぽいのが出て、あと出血もしてたんですよね。
ん?これはどうなんだろう?ってわからなくて、なんか1時間くらい悶々としてて、1時間かな。
で、5時頃かな、たぶん。5時頃に1回病院にどうしようか迷って電話をしたんですよね。
そしたら、来てくださいってことで、だんだん電話して、行って、その場でね、
陽液のビトマスみたいなやつで、陽液をとって、酸性だかアルカリだかを測って、見るっていうのをやったんですけど、
出血もちょっとしてたんで、なんかわかんなくて、とりあえず入院っていう感じで、
で、6時くらいになって、旦那が1回帰ってっていう感じで、病院のね、一室みたいなとこで寝てたんですけど、
なんかね、だんだん若干その整理痛みたいな痛さはあったんですよね。
なんかそれは結構重くなってきて、多分それが腎痛だったんですよね。
でも私はその腎痛がわからなくて、なんかすごい整理の重いやつが来てるなーくらいな感じで、
結構、7日くらいにしんどくなってきたんですよね。気持ち悪くて、たぶん何か内臓が圧迫されてたんですかね。
気持ち悪くて、結構その時にもう感覚が、なんか一応測ってたんですよ。
なんかもう5分以内の感覚になってたんで、なんかそういう腎痛って10分間隔以内になってくると、
もうなんか病院寄って近いから、なんか近い、生まれる近いみたいな感じらしいんですけど、
結構その間隔短いんだけど、なんか腎痛ってもっとすごいもんだろうって思ってて、
なんか腎痛じゃないと思ってたんですよね。そしたらもう気持ち悪くて、
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早く私もナースコールを呼べばよかったんですよ。まだいけるだろうみたいな感じでいたら、
紙をはきまして全部、べしゃべしゃに。前日の夕飯もはきまして、それでナースコールを押して、
ちょっと綺麗に見綺麗にして、ちょっと子宮を見ますねって言ったら、もうなんか開いてるとかで、
8時に文弁台っていうんですかね、産むところに連れて行かれ、産むやつ、そういうか文弁台に寝っ転がって、
足上げてみたいな感じで、いつ産んだらいいかわかんないんですよね。結構人数来てるで、
家族、実家の両親と旦那に連絡して、もうすぐ生まれるから来てって言ってきて、まずその時はコロナとかなかったんで、
立ち会いができたので、主人には入ってきてもらって手繋いでっていう感じでやってて、
何回かそういう波が来るんですけど、先生が来ないんですよね。
たぶんその状態的にまだ来る状態じゃないんで、こっちとしてはどういう状態か自分からわからないんで、
もう出る、ここに来たらもう出すんじゃないの?みたいな感じで、でもだから助産師さんはいてくれるんですよ。
リーダーみたいな助産師さんに指導されて、息とかいろいろやってるんですけど、
あれ、この人に取り上げられるのかな?とか思って、言われた通りにやってて、
もうとりあえず波が来たら耐える、あんまり覚えてないんですけど、
おーって感じで、足が辛かったですね。
普段、足を上げることないじゃないですか。
でんぐり返しっていうか、足を上げてるだけの状態なんですよ。
器具では固定されてるけど、足疲れたなっていうイメージがありますね。
あれよあれよという間に酸素マスクみたいなのがピヨって出てきて付けられて、
よくわからないまま、いつ出していいのかよくわかんないなって思いつつ、
言われた通りやって、途中で先生が来たのかな?
先生が来たって思って、担当の先生だったんですよ、ちょうど。
なんか、撥水先にしたのかな?
撥水しました?みたいな感じで、撥水したんだって思って、
撥水したらいつの間にか股を切られてて、
ういちゃんの方はだいたい切るらしいんですよ、病院は。避けちゃうといけないから。
股切り回してて切られて、あれよあれよという間に、
生きんでみたいなこと言われて、出ました。
出ましたっていうか、あんまり記憶がないんですけど、
とりあえず何回かそういうのが出て、生きんでって言ったら出たって感じで、
おぎゃーって言ったのかどうかもあんまり覚えてなくて、
あ、出たんだ、みたいな感じで。
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すぐに洗うところとかに連れて行かれたんで、
出て、生まれましたよ、みたいな、
ベチャベチャの血まみれの子供みたいなのは確か見てないんですよね。
終わった、みたいな感じで、後処理するんでって言って、旦那は外出てて、
たぶん凄い、出産の時大変だったと思うんですけど、痛かったと思うんですけど、
産んだら記憶が全部消えたんですよね、その痛みとかが。
記憶が全然なくて飛んでて、
縫いますね、みたいな感じで、股を縫われてすぐチクチクしてるのが、
こっちの方が痛いですって言ったら、そんなことないですよって、
そんなことないじゃないですかって先生に言われましたっていう記憶。
でもしばらくして、綺麗になった子供が運ばれてきて、顔合わせして、
病室に行って、みたいな、そんな感じ。
だから本当に早かったですね。分娩大っていうか、たぶん1時間半くらいで生まれたんで、
超安産だったんだなって思いますね。
そんな何日も苦しむこともなくスポッと出てきたんで、本当にありがたいことなんですけど。
その日は全然子供と会わなかった。
生まれてから翌日くらいに母乳とか、母子同室の指導とかがあって、
その日は本当に、生まれたけど子供といつ会えるんだろうって感じで、
のほほんと名前どうしようとか、ツイッターで生まれましたとか報告して、
一日にのほほんと過ごして、そこから、母子同室じゃないですけど、
本当に、授乳して授乳して授乳して、深夜も授乳で、みたいな感じの生活が始まりましたね。
でもそれはそれで、1週間くらい、1週間もいないかな。
その空間ってとっても尊い時間だったなって今思うと、
今思うっていうか、その時も思ったし、
本当に不思議な、新生児を抱えたママたちと一緒に過ごす時間、
とても尊かったですね。
ということで、何の参考にもならなかったと思うんですけど、
そんな私の出産エピソードを話させていただきました。
それでは聞いていただきありがとうございました。またね。