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2020-12-02 33:42

第204回 吉田大介氏(株式会社エーアイ代表取締役)【前編】

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1986年TIS株式会社に入社し、80年代の第二次AIブームの中、AIの日本拡販に携わられました。
NTTアドバンストテクノロジ株式会社、株式会社国際電気通信基礎技術研究所を経て、2003年4月に株式会社エーアイを設立し代表取締役社長に就任。2018年に東証マザーズへと上場されました。
音声合成に特化した、日本唯一の会社として「エーアイは音声技術で社会に新しい価値をつくり続けます」を企業理念に掲げ、音声技術の応用開発・サービス化を通じて、音声情報の新しい文化を創出し、生活文化の向上に貢献しています。猪突猛進し、成功するまであきらめない吉田氏から経営のヒントが得られます。是非インタビューをお聞きください。





00:05
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社エーアイ代表取締役社長の吉田社長様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
1977年、株式会社大新工入社。
その後、東洋ハイテクTIS株式会社、NTTアウェアワンステクノロジー株式会社に入社され、
その後、株式会社国際電気通信基礎技術研究業にご入社されていらっしゃいます。
そして、2003年に株式会社エーアイを設立され、代表取締役社長に就任。
そして、2018年6月に東証マザーズに上場されている上場企業の社長様でいらっしゃいます。
吉田社長様、本日はよろしくお願い申し上げます。
よろしくお願いします。吉田でございます。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
私は神戸県の神戸市です。
小学校・中学校時代はどんなお子さんでいらっしゃいましたでしょうか?
本当にダメでしたね。
どちらかというと、小学校の3年生、4年生くらいは今でいういじめられっ子でした。
たまたまなんですが、当時どんどん子供が増えてですね、
私が通っていた小学校3年生の時の小学校が分かれたといいますかね、
分校ができて、そこが一つの小学校になった。
ですから、その時点で3クラスになったものですから、
それまでいじめてくれていた人たちはいなくなっちゃったんです。
それでよかったのが、5年生の時に6年生いなかったんですよ。
ですから、5年生、6年生を2年間最上級生で結構好きなように遊んでいましたね。
中学時代はどんなお子さんでいらっしゃったんですか?
中学・高校が私立の学校でですね、
私はそんなに飛び抜けて頭がいい方じゃないけど、
小学校時代ってまあ当然成績上の方なんですよね、トップ3ぐらいでも。
ところが周りにですね、本当に賢い奴がゴロゴロいるわけですよね。
それで頑張って頑張って勉強してもですね、落ち着かないんですよ。
最初に世の中広いなと気づかせてくれたのはもう中学校の時ですね。
中学校時代は勉強とかはすごくやっていらっしゃったんですか?
03:03
私の成績が一番良かったのが中学校1年生の時なんです。
それで全員が何らかのクラブに部活に入るということでですね、
私はサッカーに入ったんです。
サッカー部で結構頑張って、
通学が1時間ぐらいかかる遠距離通学だったものですから、
当然ですね、だんだん勉強する時間が短くなって、
成績がどんどん落ちていきましたね。
サッカーを一番頑張っていらっしゃったのが中学時代ですね。
面白かったですね。
高校時代もサッカー部では?
高校はですね、ちょっと理由があって、
剣道部ができたんですね、新しく。
それでたまたま一番仲良かった友達がですね、
その剣道部に入るということで誘われまして、
剣道部に変わったという感じで、
高校1の夏ぐらいかな。
高校時代の思い出とはございますか?
高校時代ですか。
むちゃくちゃ搾かれましたね、先輩に。
この夏の暑い時に重たい防具を着てですね、
裸足でですね、ランニングするんですよ。
やめてくれという感じですね。
じゃあ相当頑張っていらっしゃった時代ということですね。
頑張りましたね。
今はもうね、体型もダメなおじさんになってますけど、
やはりスポーツはいいですよね。
ですから、そういう関係で不思議なことに、
部活クラブの同窓会というのがあるんですけど、
何か知らないけど、サッカーからも剣道からもですね、
そういうお誘いですね、集まりのお誘いはいただきますね。
運動神経も相当よろしかったんじゃないですか?
いや、ちょっとつも惜しいんですね。
もうひたすら前に走るという。
ですから、例えば剣道の場合ですね、
私は今コンタクトしてますけど、当時はメガネですね。
防具をつけるときに、面をつけるときにメガネを外すんですよね。
そうすると相手が見えないんですよ。
ですから私が一本取れるのは、相手の面かどうしかないんです。
小手を打つとですね、空振りをするという。
ですからその時にひたすら前に進むということをやってました。
ただ、瞬発力はありましたから、
サッカーの時にですね、本当に30mはむちゃくちゃ速かったですから、
100m走るともうガタガタになるんですけど。
ですから本当にちょっとつも惜しいんですね。
ありがとうございます。
06:00
その後、大学に行かれてらっしゃると思うんですけど、
大学はどちらに行かれました?
大学は同志社です。
入るまでにみんな寄り道してましたね。
大学にですね。
それはですね、私本当に嫌いな学科を勉強しなかったみたいなんです。
自分でやってるつもりで。
当時ですから理系でもですね、やはりA数、国、理、社全部あるわけですね。
実は本当にその一番仲良かった親友からですね、
二郎をしたときに、一郎をして二郎に決まった時にですね、
言われたのは、何ですか、お前社会勉強せんやろって言うんですね。
お前は嫌いなことしないはずだって。
いややってるよって。いつからやったって。
それで一心一心考えると、確かにやってないなと。
ですから、老人の間も結構遊んだりもしたんですけども、
いわゆる私立で理系だったら、数学と理科ですね、物理科とか、
それと英語というぐらいの教科だったの。国語があったかな。
社会がなかったんですね。
それだったら、多分私学、現役から受けとけばですね、
多分どこでも通ってたと思うんです。
でもちょっとですね、実はもうかなり、もうすぐ30なんでなるけど、
なんとなって父親がですね、東北大だったんですね。
旧正東北定大卒業の人で、すごい優秀で優しい親父だったんですけど、
親父に負けたくないっていうのがあってですね。
東北より上に行くとしたらどこだと。
東大は、東京は嫌だな、怖いなと。
京大か反対か、少なくとも東北大には行きたいと思ってですね、
社会を勉強しない僕が、向こうにもそういうとこ受けてるわけです。
そうすると、のきのみ全部アホでしたと。
学部はじゃあお父様と一緒で理系側でいらっしゃったんですか。
父親が物理だったんですけど、私は物理が好きで、物理のほうに行きたかったんですね。
それでもやっぱり同志家ということは、ご優秀でいらっしゃるということだと思うんですけども。
いや、わかんない。
同志家大学時代は何か思い出とかございますか。
本当にのんびりした学生生活を過ごさせてもらってですね、
また大学時代も一年留年してるんですね。
5年行ったんですけど、ただ最後の2年は必死で勉強しましたね。
09:03
最初の3年はですね、学割を学生課でもらってですね、電車に乗って一人で日本をうろうろするとかですね。
京都にいるとき、下宿にいるときは、鴨川とかですね、御所でですね、本を読んでよく昼寝をしてましたね。
非常にゆったりと。
誰かのスポーツとかを好きな様子なんですが、大学時代はスポーツとかやらなかったんですか。
大学1年の時にですね、昨年の同好会、近所の、主に兄弟の学生が多いんですけども、
やってるっていうので、それで誘ってもらって、練習に行ったんですよ、何回か。
ところが同好会の場合、グラウンドを使えるのが夜なんです。
そうすると一応ナイター設備あるんですけど、暗いんですよ。
そうしたらですね、僕は眼鏡かけてると言っても視力そんなに強くないから、ボールが見えないんですね。
それでヘッディングしてですね、眼鏡見事に追われてですね、これはやばいなというので、
じゃあもうこれからノンポリ学生に生きるかということで、
お昼寝タイムが、毎日のようにお昼寝タイムがありましたね。
ありがとうございます。
卒業後株式会社ダンシンクにご入社ということでよろしかったでしょうか。
何かこちらを選ばれた理由というのは何かございますでしょうか。
何て言いますか、研究家っていうか、最後の卒業前の研究室がですね、
粉体工学研究所、パウダーエンジニアリングとかって言うんですけど、
粉をですね、扱う学問と言いますか、そういうところだったんですね。
ですから粉を扱うところっていうと、いろんないわゆる工場の中ではあるんですけども、
たまたまですね、そのダンシンクっていうのが、当時水晶発信士のメーカーなんですけど、
製造、いわゆる原材料の製造からですね、部品製造、それと製品製造まで一連やっているようなメーカーだったんですね。
当時就職氷河期っていうのもあったんですけども、ちょっと紹介いただきまして、
入社したという、そういう感じですね。
なるほど、その後割と転職を繰り返していらっしゃるのは何か理由があられますか?
えっとですね、まず1社目から2社目はですね、
12:01
1社目、こんなこと言ったらなんですけど、完全なオーナー会社だったんですね。
当時ご罪名だった創業会長。
実を言ったら、今ダンシンクの社長をやられている、
早川総編君というのは、実は入社当期なんですね。
それで、いろんな意味があったんですが、入ってですね、最初3ヶ月技術研修を受けて、
その後に技術部配属という予定だったのがですね、
いきなり営業というふうに、そこで私の人生、かなり変わったんです。
それで、営業って何するんだというところから始まってですね、結構頑張ったんですが、
入って1年目ぐらいに、3年で辞めようと決めたんですよ。
ちょっとここは自分のいる場所じゃないなと思ってですね。
それで、ただの仕事はきちっと石の上にも3年ということでですね、
きちっとやって、何か成果を残してやろうと思ってですね、
それで結局3年目には結構大きな成果を出したんですね。
それで、そろそろいずれと給料もむちゃくちゃ安くてですね、
それで私はもう卒業した翌年1月には結婚してたんで、
子供も生まれて、これは家族のためにもうちょっと稼がないといけないなということもあってですね、
転職活動に入ったんですね。
ですけど、今の若い方、ある意味羨ましいなと思うのが、
転職しようと思うと、ネットに登録すればパチパチパチと出てきますよね。
ですけど、当時はそういうもの何も当然なくて、
日経とですね、朝日新聞の就職広告ですね、
それを見て、ここだったらいいかな、ここ面白そう、
というので手書きでですね、一生懸命履歴書を書いておくと、
ということを半年ほどした時に、2社目が見つかったって言いますかね、
是非という話で転職したということですね。
2社目は面白かったんですよ。
というのが、粉体関連のプラントエンジニアリングをするベンチャー企業ですね。
入社の時からちょうど15年目で、当時のベンチャーですね。
私が学生時代、粉体工学というのを勉強していたということで、
技術のことに関しても結構わかるんです。
非常に面白くいろいろやらせていただいてですね。
15:00
ですから結構製造設備ですね。
プラントエンジニアリングの会社に、
それまでは消費者的な機械を仕入れて売るというのがメインだった事業を、
いわゆるプラントエンジニアリングの設備一式ですね。
製造設備、いろんな機械をまとめて提供して、
その工場を作るというようなことをやるようにもっていってですね。
6年間いて結構大手の会社の設備ですね。
一軒数千万から数億の仕事をいろいろやらせていただいた。
非常に面白かったですね。
その後はですね、実は6年間別に不満もなくやってたんですけど、
ちょっとある案件がありまして、アメリカに行けそうな案件があったんですね。
だけどちょっといろんな理由で、これ結構規模の大きい案件だったんですけど、
いろんな理由でですね、上司、役員からお断りしろと言われてですね。
私はもうアメリカに行く気満々だったんです。
すごいショックを受けたんです。
そうすると、なんかそれが態度に出たのかどうか。
アメリカ行けなかったのが原因なんですけど、
当時景気も悪くてですね、
頑張っても頑張っても給料も上がってない時代だったんですが、
そこに対してはそんなに不満も持ってなかったんですけど、
上司、役員からはですね、
私がその給料面で不満を持っているように捉えられたみたいなんですね。
ちゃうのになぁとか、アメリカにいけないなぁと思いつつですね、
普通に仕事をしていた時に、たまたまおじさんからのご紹介なんですが、
東洋情報システム、今のTISですね、ご紹介いただいたんですね。
それが32歳ですね。
ですから当時は30歳で転職はもう終わりやという、
そういう時代だったんですけど、32歳で紹介いただいて、
なおかつSI屋さん、いわゆるソフトウェアの会社ですね。
私、この手段のことって何にも知らなかったので、
そういうところで仕事できるのかなという、
不安というより大丈夫かなという気持ちがあったんですが、
面接受けさせていただいたらいいよということでですね、
かなり迷ったんですけど、
転職することに決めたんです。
その決めた理由の一つがですね、めちゃめちゃスピードが速くてですね、
18:00
最初の面接は東京であるから来いということで東京に行って、
それで家に帰ったらですね、その一時面接、はい合格ですから次、
人事面接しますから人事に来てくださいという感じなんです。
それで人事面接行ったらですね、帰るまでにはい合格です。
あれ、大丈夫かなと思うぐらいスピードが速くてですね。
非常に感覚的にはいい感じでしたね、スピード感が。
それでTISではもう楽しく、ちょうど85年ですね、85年、86年の頃なんですけど、
ミッションがAIですね、人工知能。
AIに関する仕事を作るっていうのが一つミッションで。
それともう一つ、もう意味はないですけど、
リスマシーンですね、AIマシン、いわゆるコンピューターですけども、
シンボリックスっていうマシンがあってですね、
それを日本で確保するという、
大きくAIっていう国の仕事を与えられたんです。
割とそれはかなり先進的なんじゃないですか、
当時ではAIなんてやろうなんて機会はほとんどいらっしゃらなかったんですか。
そうですね、研究の中ではですね、第2次AIブーム、
80年代半ばぐらいから、
ちょうどそこの部分をやりなさいということでやらせていただいたのが、
実は今につながっているのはありますね。
それで、実はTIS時代に、
先ほどご紹介した株式会社国際電気通信基礎技術研究所、
これは略称、通称ATRって言うんですけども、
アドバンステレコミュニケーションディサーチャンスディベロップとかね、
言ってみれば、半官半人の
情報通信分野の基礎研究をする研究所なんですね。
その研究所が、86年の4月1日に、
大阪のOBPですね、
大阪ビジネスパークにできるという情報が入ってきてですね、
いわゆる先端的な研究をすると、
面白そうだなと思ってですね。
たまたま当時の役員さんが、
吉田君ちょっと行ってみたどうや?っていうので、
飛び込んでいったんですね。
そうすると本当に面白くてですね、
21:01
来られている研究者の方っていうのは、
主にメインはNTTの研究者の方が多いんですけど、
あとNHKの研究者の方とかですね、
あとメーカーさんですね、パナさんとかいろんな、
そういう研究者の方が出向で来られているんですね。
2年から4年ぐらい研究されて戻って帰って、
何が面白かったかっていうのは、
大きなテーマは決まっているんですけど、
どういうアプローチでどういう研究をしていくかっていうのを、
もうから作るというところでですね、
何にも決まっていないんですね。
ですから、私はいろんな方いらっしゃる中に、
取り込んでいってですね、
どういう研究をされるんですかっていうところから、
いろんなことをヒアリングしたというかお聞きしたんです。
そうするとですね、いろんなことが分かってきて、
それで研究者の方とも非常に好みに仲良くなってですね、
それが一つ大きな私のこのAIっていう分野の中でのきっかけになってますね。
TIS、NTTアドバンステクノロジー、株主会社、国際電気通信、競争技術研究所、
この3社でAI分野をずっとやってきたという。
そうですね。
TISは13年、14年かな、
世の中で前半の7年はATRさんがメインの顧客でですね、
いろんなことをやってきたんですけど、
後半はですね、反対に全然違う分野ですね。
医療系であったりとかですね。
あと、いわゆるSIに言いながらですね、
ビジネスアプリケーションって言いますかね、
機関系とかそういうことを一切タッチしてなかったんですね。
それが私が一番最後の5年間のことですね。
その分野の開発部隊のところで、
メインは営業なんですけど、仕事することになったんですね。
それはそれで、大きなシステム開発のやり方とかですね、
ポイントとかですね、
そういうのを勉強するには非常に役に立ちましたね。
それでそういうことをしている時にですね、
たまたまATRの、もともとNTTの研究者で、
ATRに行かれてて何回か行ったり来たりされてる方がですね、
研究者の方がちょうど企画部門にいらっしゃったんですね、ATR。
その方からですね、ちょっとオファーがありまして、
24:03
ATRって本当に国からとカーンとお金が入って、
いい研究いっぱいしてるんですけども、
研究成果っていうのを世の中になかなか広がってないんですね。
それで結構国からのプレッシャーが結構きついということで、
そのATRの研究成果を世の中に広めるっていう仕事をですね、
やってくれるかっていう話だったんですね。
そんな大それたことを一人でやろうかと思ったんですが、
実はその方にはすごくお世話になってたのと、
ATRの研究は非常に面白い研究がたくさんあったの、
それを知ってたんですね。
まあいいかやるかと思って飛び込んでいったんですね。
最初はですね、実はTISから出港でATRに行く予定だったんですが、
ちょっといろんな、ちょっと私が失敗しまして、
そこのところの身の振り方をですね、
出港ダメだという話になったんです。
それでそれだったら、
MUTTR、Advanced Technologyっていう会社に用意するから、
そっちに来てそこからおいでという段取りまでされてですね、
そこまで言うなら行きますよということで行ったんですが、
これもやっぱり世の常でですね、
エンティティ、Advanced Technologyの私が入った時の役員さんは、
事情を全部ご存知なので、機嫌よう仕事はしてたんですが、
役員の方が変わられたら事情をご存知じゃなくて、
いろんなことが起こったんです。
それでATRに、これも本当内緒裏話になりますけど、
ATRの当時の時の方にご相談したらですね、
じゃあ直接おいでよという話でATRに就職したという状況ですね。
経営者を応援する。社長の孤独力、番外編。
本日の社長の孤独力番外編は、10章8項上場したい、
上場したければ上場戦略を考えようという項でございます。
本日が社長の孤独力の番外編は最後でございまして、
最後のテーマが上場したいということで、
全部で71個あったのかな。
約70個を全部お話をさせていただきました。
次回からは3分コンサルティングがスタートしますので、
皆さまぜひいろんな応募をしていただきたいなと思っております。
27:01
最後の上場したいなんですが、
上場企業というのは大体3000社しかいないです。
全国に380万社、個人業種も合わせていますので、
ある意味0.001%ぐらいという感じでしょうかね。
ぐらいな感じですので、
全然上場企業なんて全然いないのですごく難しい。
しかし、皆さん方上場というのは結構できるものなんです。
一番燃焼低いと800万で上場した企業があります。
最近でもメドレクスさんとかは2千数百万で上場したんじゃないでしょうか。
これバイオ系の企業ですね。
赤字だと1兆円赤字で上場したところもあります。
最近ですと赤字上場が増えています。
ですので赤字でもいい。
しかし、上場するには条件がございます。
なぜかというと、時代の風をうまくつかんでいないといけない。
もしくは大きな燃焼とか大きな利益とか、
そういうのを上げたらいけない。
もしくは営業利益率が高いとか、
そういったものが必要になってくるんですね。
赤字でもですね、風をつかんでいれば全然かまいません。
例えば最近の赤字上場企業だとメルカリ。
ぐんぐん伸びていっているので、
どんどんお客さんが増えているので赤字でも上場できました。
Amazonなんて上場したときは赤字ですね。
その後赤字赤字で黒字になったけど、また赤字で赤字で。
拡大はしていっているけども赤字が結構あって黒字。
AWSが始まって黒字化していると思いますけども、
もともとはそんな感じ。
実は楽天も赤字でしたね。
今は黒字ですけど。
ですから赤字でも上場できるんだとまず思ってください。
ただし、風をつかまないといけません。
楽天とかAmazonとかその当時はそんなビジネスがネットで出てきたかって感じですし、
メルカリがネットで出てきたときも皆さん方、
いわゆるフリーマーケットのネット化みたいなもんですので、
それが出てきておーって感じだけど、
ですから風をつかまないといけない。
ですから今の時代だとバイオとかビッグデータとかAIとか、
そういう風をつかんでいないと上場はしにくいと思ってください。
じゃあ本当に上場させたいうちの会社ということであれば、
まず戦略を狙わなきゃいけません。
自分たちの今持っているビジネスモデル、もしくは作ろうとしているビジネスモデルが、
これからの時代に合っているかどうか、風をつかめるかどうか、
というのをまず最初に見ていかなきゃいけませんね。
その上でどういう風にやったら上場できるだろうということの、
上場の準備をしなきゃいけません。
細かいことを言うと内部統制とか、
役員をちゃんと揃えなきゃいけない、
監査役がいなきゃいけないとか、細かいこといっぱいあります。
皆さん方大変苦労されていらっしゃいまして、
社長ニック・イン・ウィズビーでは、
すでに3、40名の上場企業の社長さんのインタビューを取っておりますけれども、
皆さん方は上場に関してはいろんな苦労されています。
内部統制とか業績が上がらないとか、いろんな苦労されていらっしゃいます。
その中できちっとした上場戦略を練り、
30:01
そして上場を計画通り収益上げ、
そしていわゆる予実管理、予算通りの達成をしていって、
上場していっているというのが上場企業の皆さん方です。
そういう意味では細かいことを言うと、
内部統制と予実みたいなのが大変重要になっております。
ですので、じゃあどうやって上場させようかという戦略が必要になってくるということです。
結構大変ですけれども、上場するとメリットも大きいです。
社長さんたちの多額の資産ができますし、
企業にも多額の資金が入ってきますので、つぶれにくくなります。
上場を目指すには私は社長さんのやる気といいますか、
ある意味根性的なところがあればいけるんじゃないかと思いますが、
結果的にそれが企業を倒産させないことになるというふうにも思っております。
ぜひ皆さん方、上場を目指して頑張っていただけたらいいんじゃないかと思います。
冒頭お話ししましたが、この社長の孤独力番外編はここまででございまして、
本がそこまでなものですから、今後は3分コンサルティングというのをスタートさせたいと思います。
3分間で皆さん方の課題について、課題解決方法を簡単にお話しするというものでございます。
ぜひ皆さん方、こんな悩みがあるんだけどということで、
匿名で全然構いませんのでお送りいただければ、
大変いい手間だったらこの3分コンサルティングで解決手法なんかも
ご紹介もさせていただきますので、ぜひなんないとおっしゃってください。
また、この社長の孤独力から3分コンサルティングをお聞きになった方々、
社長にクイーンウィズビズをお聞きになった方で、
ぜひ相談に乗ってくれということであれば、
最近はZoom等で無料で経営相談もさせていただきます。
40分程度ですが、なんなりとご相談に乗りますので、
なんなりとおっしゃっていただければというふうに思っております。
よろしくお願いいたします。
本日も社長の孤独力番外編はここまで。
それでは来週は3分コンサルティングです。また来週。
本日も社長にクイーンウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
33:00
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長にクイーンウィズビズはここまで。また来週。
33:42

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