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社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、株式会社テンポスホールディングス森下様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
静岡大学卒業後、東京電機、今の東芝テクニックにご入社。
その後、初期洗浄機メーカー共同成功を設立し、社長に就任。
その後、1997年にテンポスバスターズを設立。
5年後に、2002年にはシチャスタックに株式上場されています。
今現在もグループ会社は18社、上場予備軍も含め1000億円の企業を目指していらっしゃいます。
上場企業の森下社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
まず最初のご質問なんですが、ご出身は静岡県出身ということで、小学校・中学校時代はどんなお子さんでいらっしゃいましたでしょうか。
痩せてて、いたずら小僧で言うこと聞かないというか、多動性障害というか、落ち着きがないと。
小学校1、2年の時には、牧美代子という女で一番勉強ができない奴と、
この森下篤氏が夏休みに担任の先生のところで勉強ができにすぎて、1ヶ月通ったというぐらい、牧美代子は元々頭悪くて勉強できないんですけど、
私は話聞いてないもので勉強できないというふうな状態だったんですが、4年生の時点でオール4になって、
5年生から5がちらほろ、6年生になったら9ちょになったというふうなことで、相変わらず落ち着きはないんですけど、
いたずら小僧というのが小学校、中学校ぐらい。
親父が百姓だったので、ずっと今の時期だと思い出すが、朝暗いうちに起きて、ずっくぐつで麦踏みをやると下柱を踏んでいくわけですから、
冷たくて冷たくてというふうなことが思い出しますが、それが辛いだとか嫌だったというふうな記憶は何もないですね。
それで4年生の時におふくろが死んで、6年生の時に新しいおふくろが、学校の先生やっているおふくろが来てくれて、
言ってみればそのおふくろにはずっと兄弟4人が育てられて、ろくな恩返しをしなくて、田舎帰るたびに家を眺めちゃ悪かったね、悪かったねというような今日この頃でございます。
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そうですか。ということはガキ大将だったという話でよろしかったですか。
いや、ガキ大将じゃないですね。体小さくて痩せているので、ガキ大将じゃないですが、目の届かぬ、勉強のできないやつ集めちゃ企画力があるので、
みんなでどこか企画して遊びに行こうよ、川に行こうよとかこういうことをやりましたけど、喧嘩はもうからっきしで、口ばっかりでだめだったですね。
高校は静岡の高校でいらっしゃいますか。
鉄道の関係で、うちの静岡県には高校がずっと下宿するしかなくて、長野県に通える範囲だと行くか愛知県に行くかで、私は愛知県の新城というところの高校へ行きました。
あ、そうでらっしゃいますか。そちらの愛知県側を選ばれた理由というのは何かありましたか。
やっぱり寒いほうが嫌なので、南へ行こうということで愛知県の新城高校へ行きましたけど。
高校時代の思い出というのは何かございますか。
中学ぐらいから惚れっぽい立ちで、すぐ結婚したいなと思って、中学でも高校でも何でもかんでも好きだなと思うと結婚したいなと。
ただし女に声をかけるということができないものだから、大概は2年か3年でそのままいなくなっちゃうというか卒業したりなんだけど、
たまたま大学の時に心理学で一緒になった女にも結婚したいなと思っているうちに、向こうが卒業するということになって、
どうするとか言うので、結婚しますとか言って、それと結婚したというようなことで。
高校の時は小学校、中学校、高校ずっと惚れっぽくて、片思いで全部実らなかったというような、そういうのと。
それから高校は田舎でそこそこ勉強できたやつが、高校へ行った途端に中以下のグループになって、
それで1年半ぐらい挫折して精神的に、高校3年ぐらいからまた学校の中ではできるグループになったということで。
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スポーツについては、中学1年生で野球部入って三月で辞めて、2年生でバトミントンブッズを作って、
2年生1年間で辞めて、3年生でテニスブッズを作って、そこで卒業して新城高校へ行って、
体が小さいもんで、その時道場で生の小さい初段の男が人を投げているのを見て、これは柔道だなと思って、
柔道部入って4ヶ月で辞めて、それで高校2年でもう1回テニス部へ入って、大した腕にもならないまま卒業したということで、
何やってもとにかく中途半端で辞めるというふうな生活をしていました。
なるほど。ちょうどお聞きしますが、授業と重なっている部分が多少あられるのかなと思いましたが、
その後、静岡大学、国立の静岡大学を選ばれていらっしゃるんですが、こちらを選んだ理由というのは何かございましたか。
人口が5000かそこらの村なもんで、長男で大学へ行かせるというのは親との約束で、
学校の先生だったら大学へ行かせるということで、静岡大学の教育学部へ行かせてもらったということで、
自分が行きたいだとか何とかというよりも先生になるしかないなと、田舎で大学ではということでそこへ行きました。
なるほど。教員にはなられなかったわけですよね。何でなられなかったんですか。
まじめに、いたずら小僧ではあるんですけど、まじめにずっと小学校、中学校、高校と、
授業をさぼるなんてことはおよそない。ところが大学へ行って、フリーになった途端に、
遊びを受けたというか、授業に行かないかったり、そんなことをやって2年、6年したわけですけど、
そうすると毎日が緊張をかいている生活なわけですよね。
そうすると大事な時間だとか大事じゃない時間とかって区別がつかなくなって、
7月ごろ教員試験が受かって、それで10月に面接の日に大学の寮で、
今日は10時から面接だなと思いながら寝ていると、みんなが朝大学へ行く人たちがカタカタカタカタ音がして、
今日は俺は9時に出れば、みたいなことを音を聞きながら目が覚めたら11時半ということで、
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そこから自転車に乗って45分、面接会場まで行ったんですが、もう誰もいない。
先生に頼んでなんとかということで、わかったという返事は結局先生にしてもらえなかったとわかっただけで、
ということで先生になれなかった。大事な時間がわからなかった。
なるほど。その後ご就職された今の東芝テックということで、こちらを選んだ理由というのはあられたんですか。
教育学部というと就職を選ぶだとか、そういう指導をする窓口がほとんどない。
もう児童的に教員になるだけですから、中に半端者が自分勝手に就職するという。
私はずっと土方をやっていましたから、このまま土方の会社で土方をやろうみたいなことを思っていて、
2年留年して卒業する頃、女房と付き合っていて、そうしたら土方でしょ、どっか就職しろという。
それで新聞募集の新卒の就職という意識が何もなくて、
たまたま静岡のセールス募集の会社に飛び込んでいって就職した。
だからテックという会社は新卒を120人ぐらい募集していたんですが、
私は現地採用の中途採用の扱いだったんですね。だから新卒研修というのは何も受けていない。
そういう半端者ですね。
なるほど、そうですか。東芝テックでお勤めになっていたときの思い出は何てございますか。
研究熱心なもので、セールストークの研究だとか商品知識、競争他社の商品知識、
こんなものは他社の社員に負けないくらい勉強するんですが、
対人関係の上手に人と接するというような、そういうことをやったことがなく、
好き勝手にいたずらことをやっているだけだもんね。
知識で身についてお客さんのところへ売りに行っても全く相手してもらえない。
例えば、税金の消却だとかリースとの違いだとかということになると、
それはもう税理士が負けるくらい勉強していますが、
中途半端に知っている商店主が反論すると、それぞれこそ討論会で本当はこうなんだってねじ伏せて、
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向こうのお客さんが、なるほどわかった、お前の言うことは正しいということはわかったが、
もう気分が悪いから帰ってくれみたいな、そういうふうなことで、
正しいということが大事だったためにいつまでたっても売れない。
それから、人間というのは物を買うというのは、
紳得合理的な計算で買うんだとばっかり思っていて、
そこのところを使用前、使用後の導入前、導入後のメリットだとか一生懸命やっている。
一つも売れなくて、結局半年間で物の一台も売れなくて、
9月の末に時表を出して、ただ所長には俺はサボりながらやっていてずっと嫌だったから、
もうこれで今日で辞めるけど、1ヶ月間だけは会社でセールスやらせてくれよ給料いらない、
自分で見極めて辞めたいというふうな話をしたときに、
たまたま売れる機械が発売になったから、それやってみろみたいなことになって、
10月からその機械が1台ずつ売れたんですよね。
ということで、とりあえず1台ずつ売れるんだから、
1台ずつ売れるんだから、辞めるの辞めたらどうだみたいなことで、
なんとか首が繋がったということで、最初の1年間というのはろくなもんじゃなかったですね。
全く売れなくて。
2年目になったら今度はその機械が27万の機械だったんですけど、
その5倍の130万の機械が出たんですけど、
これがまた2年目から1台ずつ売れてるわけですけど、
そうすると売り上げが一気に5倍になるわけですけど、
売ってる実力者としては月に1台しか売ってませんから、
売れてきたなんて何も思わないんですが、
ただ当時で130万ぐらいの売り上げを上げると、
30人ぐらいのセールスマンのうちで7番目ぐらいになったんですね。
で、その所長が数字がついてきたから部下2人つけるというふうなことになったんですが、
自分でセールスの実力はないしっていう中で、
ただ子供の時からお調子者だから、
よく授業の休憩時間なんかに机の上で踊るとみんなが林立てて嬉しがってると、
いつまでも踊ってると先生が教室に入ってきたの知らないで、
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黒板消して頭パーンと叩かれるとかっていうふうな、
そういうふうなお調子者だってことになって部下が2人ついたら、
途端に部下にいいとこ見せるために訪問件数が上がったり、
一人の時にはとても行きぬくいところをあそこ攻略するようでなきゃ男にならねえみたいな、
一人の時はそんなことやらないんですが、
そういうふうなことをやったら全国の10位になったんですよいきなり。
それから支店長がお前2人で10位じゃもったないから、
あと4人つけるから6人やれとかっていうのと、
また廃止立てる人が4人増えたわけですから、今度全国一位になった。
そうすると今度社員を集めて、
その勉強会を週に2日か3日くらい、2,3時間ずつ本の読み合わせしたり、
チェーンストアの実務って当時チェーンストア理論に基づいてとかっていうのを、
これを勉強も無理やりやらせて、
それも全部私が講師をしながらみんなを使ってっていうふうなことで、
そのチェーンストア理論はおかげで完璧にマスターする。
人は増えてくるから全国一位になるとかいうふうなことで、
そうすると今度は支店長が、
お前あともう一つ別の川も見ろとかいうふうな、
ますます調子に乗って翌年また全国一位やるなとか、
こういうふうなことで実力がついたとか何も思わなかったですけど、
調子に乗ってきて頑張ってきたのかなと、こういうふうな感じですね。
なるほど。じゃあ相当それで成績上げられてご出世なさったということですかね。
出世はやだらめったら、
というのは当時地方で新聞募集は、
東京電機という会社は1万人くらいの一部上場会社で、
これは正社員が8,000人くらいあって、
あと季節交通新聞募集のセールスマンというのは、
これは臨時雇用になっていたんですよね。そんなこと知らなくて。
それで臨時雇用の評価制度というのがないわけですよね。
その27だかぐらいのときに全国一位やって、本社へ来いと。
評価制度がないもんで、本社に来たとき課長代理なんですけど、
一部上場会社の課長代理というのは40くらいの人なわけですよ。
27で課長代理になったのは評価制度がないもんで、あれだけ成績上げたんだからって、
地方の営業所の課長というのは本社の課長とは格が違うんですけど、
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課長代理にして本社連れてきちゃったから課長代理になって、
本社の正式な課長代理というのはみんな38、40、45。
そこへ最初は身分制度の狭間におって、正社員でないやつが、
臨時雇用であったやつが、27で課長代理になって本社に来た。
こういうふうなことで、その中で当時の社長が東芝から
東京電機立て直しのために来たわけですけど、
その改革をするときに、お調子者の話、トントン拍子に出席したやつを使って、
改革をするということで、お前どんどんやってみろ、みたいな。
どんどんやるもんで、いろんな売上が増えてしたんですよね。
ところが、クレームが出てくるというのは、いろんな管理部門のルールなんか無視したり、
なんか好き勝手やるもんで、実績上がるんですけど、あちこちからクレームが来る。
それから、例えば静岡で、尾瀬の賢治っていう国際工業の六軌道事件家なんかで有名になった。
その国際工業がビルを建てるっていう、これを、そのステがあって、ビルを自重すると。
5%しか儲からなくても、レジをちょろちょろ売ってるのと違って、たった5%の上建てるやつが10億だとか、
桁違い、それをビルを自重してやったんですね。
ところが、あれは一級建築士事務所だとか、建設業の許可できてる業者でないとダメなんですが、
こんなことは何もわからないで、ただビルの、こうしたらその業者から県の方にクレームが入って、おかしいじゃないかと。
ここでクレームが入ったら、こっちは一部上場会社ですから、本社に来て、何やってんだっていうふうなことになって、
ここでその静岡に本部の管理の支援が来た。
これからもうビルがどんどん進んでる。
えらいことになったなっていうのは、それはもう一部上場会社ですから裏側使って、
一週間で建設業の許可もらって、よくある看板に接種が与えられて。
そういうふうなことがあるので、もう危なくてしょうがないというようなことで、自由に色をやらせてもらったという。
それが社長が死んじまったんですよね。
こうしたら、会社の中で面白くないと思っている人たちが、うわーっと声を上げて、
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私がやった仕事って、せいぜい2勝8敗ぐらいだけど、この2勝ががっちり行くから8敗ぐらいどうでもいいじゃないかっていうのは、
社長が、改革の社長が生きているときは改革するんだから8敗はどうでもいい。
ところが保守派の安心保守派が来ると、そういう8敗のほうがやたら気になるんじゃないか。
ルール無視ですから、やたらめったら吊るし上げられた。
例えば、本社によって寿司の機械を売るというようなことで、
レストランショーで、普通には本社管理部、搬送部がレストランショーの4コマ借りてレジを並べているというようなことをやっている。
こんなことよくわからないガキだから、わからんまんま寿司とおにぎりの機械メーカーに1コマ40万金出せと。
いいでしょう。
テックが全国に売るからみたいなことで、6コマ借りておにぎり寿司を来たのに食い放題で食わせると、
当時まだそんな実演販売みたいなのがないから、黒山の人ばかりでそうするとテレビが何やってるんだって取材に行く。
あと28くらいの小僧が、これからテックは情報機器から職員機械に進出するなんてテレビに向かってしゃべるわけですよ。
夕方日経新聞も取材に来ると、朝本社管理部が昨日のテレビであの小僧が何だか、
日経新聞には事務機器から職員機械に進出するなんて。
ここで本社で、勝手に何だろう、小僧がこんなの事業悪かったですかねって、馬鹿者みたいなそういうふうなことがあったりして、
1年で本社はクビになっちゃって、もう営業所行けと。
営業所で今の寿司の機械を全国に売りまくろうみたいになってて。
で、私は大井町に営業所があったんですけど、そこで全国に売りに行ったときに、
秋田のショッピングセンターの社長が仙台の四社町のところへ、今度テックさんから寿司の機械3台契約させてのんびりありがとうございました。
うちで寿司の機械なんか売ってませんよ。売ってますよ、ちゃんと買ったんですから。
名刺を見て電話かけ、これと転送で大井町に来るようになってですね。
そこで出張が大変だもんで、社員が向こうにアパート借りる、よしわかった。
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北上町田あたりにアパート借りて、北上営業所という名刺で回れと。
そこで電話が来たもんね、はいはい北上営業所ですって言ったら四社町がすぐ電話かかってもらって、
お前誰だって、北上営業所の森下ですって、北上に営業所なんかないじゃないかこの野郎。
お前は東京に有名な悪い野郎だろうみたいなことがあって、
それでまた本社に呼ばれて観問を受けて、ここで何だって営業所なんか勝手に作ってって言ってるうちに、
その中の役員がちっと賢いやつがあって、森下君、北上営業所ってことは西の方にまさか作ってんじゃないだろうなって。
西側のところにもう一つ営業所あります。聞いたことがねえと思う。
ただの課長が好き勝手に営業所まで作ってどうするだみたいな、そういうので始末書をガンガン書くわ。
まあ結局そういったことが全部積み重なって、後立てがない時に解雇わと。
解雇ということで、役員二人が大井町の支店に来て、解雇の通知を持ってきたという時に、
その二人に、それで解雇はわかったけど、これから10年後のことをちょっと考えてみてくれと。
俺がここで辞めるよりも、あんたたち二人辞めたほうがテックのためになるから、
これ将来のことを考えたら俺を残したほうがいいんじゃないかって。
えらい怒って、何を言ってるかみたいな。それぐらい単細胞でバカだったけど面白かったですね。
なるほど。今の森下さんの姿とすごい重なるので大変面白いんですけども。
3分コンサルティング。ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日のご相談は東京都の方です。
従業員は8名ということです。30代男性。
新谷さん、はじめまして。こんにちは。代表のマサルです。
こんにちは。弊社はデジタルマーケティングのアウトソーシング事業を主力に、
ネットに関連したサービスを提供して現在4期目を迎えました。
今回ご相談させていただく悩みは、ズバリ自分の右腕が育っていないということです。
これまで営業から何から自分でやってきてしまっており、
社員教育を補足にしてやってきました。
今後幹部としてしっかり引っ張ってくれる社員の教育に力を入れていきたいのですが、
どういうふうに進めばよいのでしょうか。
新谷さんご助言などよろしくお願いいたします。
よくあるご相談でして、この前も20人ぐらいですか、従業員が、
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それが100名ぐらいまで育っていて、右腕がなかなか育てなくて、
この前もやらかしてというような話がありまして、
飲みながらこうしたらあしららというご相談をのらさせていただきましたが、
右腕を育てるというのは永遠のテーマなのかもしれません。
ただ、新谷さんの会社さんはまだ8名様、パートナーも含めて8名ということなので、
右腕を育てる必要性なんかないんじゃないでしょうか。
まずは社長さんが自らどんどん営業に行って、
どんどん開拓をしていくのが大変重要なんじゃないかなと、
それは私自身つくつくそう思います。
そこで将来的に8名が20名になり、30名になり、100名になりというふうに考えると、
右腕を育てないといけないということはおっしゃるとおりだな、
そういう意味でいくと、どんな右腕がいてくれるとうれしいかというのを、
まず定義することから始めるんじゃないかなと思います。
そういった定義をすると、じゃあそういう右腕を育てていくには、
何が必要でどういうことを教えていかなきゃいけないかということになり、
その教育プランを作り、その教育プラグラムを投下して、
実際に育てていくという流れになるんではないかなと思います。
そういう意味では、もしかすると社長様自身の分析が必要で、
社長様自身がどんな能力を持っていて、
どういう能力を持っていると売上が上がってみたいなことが、
何か定義できたり見えたりとかするんではないかなと思います。
そういう意味では、自己分析や自社分析、
そしてどんな人物が育ってほしいかという理想像を掲げる、
その理想像を掲げることによって人事評価制度が定まり、
教育プラグラムが固まり、教育ができてきて、
結果的にその方向性がいくので右腕が育っていくと、
こういうふうになるんじゃないかなと思っています。
私自身も右腕、左腕の育て方については毎日毎日のように悩んでいますし、
なかなか育たないことに苛立ちを覚えたり、
私自身に苛立ちも覚えているし、というようなこともありますので、
もしよろしければ一度ご相談のらさせていただきますので、
何なりとおっしゃっていただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでになります。また来週。お楽しみに。