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2024-09-11 27:16

第399回 笹木郁乃氏(株式会社LITA代表取締役社長・PRプロデューサー)【前編】

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今回は、株式会社LITAの笹木郁乃氏にお越し頂きました。

会社員時代に、5年で売上を1億円から115億円に伸ばすなどの成果を上げ、その経験を生かして独立。
上場企業を含む、1,600社以上の顧問実績を持つまでに成長させたエピソードから経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/

■WizBiz社長塾
https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ




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社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、株式会社LITA代表取締役社長・PRプロデューサー)郁乃様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
宮城県仙台市ご出身、山形大学工学部を出設地で卒業、大手自動車部品メーカーに研究開発としてご入社なさっていらっしゃいます。
その後、シングメーカーのエアウィーブに転職、そしてそこでポーホPR事業に出会っていらっしゃいます。
その後、愛知ドビー株式会社にポーホPR担当として転職、そしてその後、このポーホPRの経験を基にした事業を32歳で独立し、創業されていらっしゃいます女性社長様でいらっしゃいます。
佐々木社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は仙台ということで、小学校時代はどんな少女でいらっしゃいましたでしょうか。
小学校時代は、自分自身が4人兄弟の中の上に姉がいて、私が次女で弟2人なんですけど、この4人の中でも本当に私だけ、とにかくわがままで元気でエネルギーあふれて、お母さん、親の言うこと全然聞かないってずっと、
なんであんただけこんなジャイアンみたいなんだろうって言われて育ってたんですけど、一方、自分の両親はですね、自分のお母さんが専業主婦で、割とお母さんは仕事したくないのと言いながら、
お庭でお花を育てたり、野菜育てたりとか、そういうのをみんなで食べたりとかで、お父さんは普通のサラリーマンだったんですけど、私が小学校学年ぐらいの時に実はうつ病になって、そこから家にずっといるっていう中でだったので、割と本当にお金はない家庭だったんですけど、
でも全く悲壮感がない。それに対して、うちの両親、特にお母さんが、いつも家で歌を歌ったりとか笑ったりとか、庭でこんなのができたよ、みんなで食べようとかしてたので、お金がない貧乏な生活ってもうすごい幸せなんだなっていう感じですごく田舎で元気にやんちゃに育ったと。
っていうのが小学生ですね。
そんな中でも、結構やることが旅行に行ったり、習い事に行ったりとかってお金がなかったので、でも自分自身がエネルギーがすごいある。
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自助として育っているので、とにかく毎日何かやりたいってエネルギーが有り余ってるような状態だったんですよね。そんな時に小学3年生の先生が、自主学習ノートを毎日やると必ず創造力が豊かになって達成力のある子供になるから。
小学3年生の今日から毎日できるとすごい賢い子になるよ、みたいなことを言っていただいて、そこから毎日自主学習ノートを6年生の卒業までやりきれたっていうのが、結構自分に対しての大きな自信とか体験にはなりましたね。
【佐藤】ありがとうございます。ちょっとお話ししていると、学期対象的って女性に言っていいのか分からないんですが、そんな活発な少女でいらっしゃったみたいなイメージでいらっしゃいますでしょうか。
【森】めちゃくちゃそうですね。なので、親が今日はおとなしくしなさいみたいに言っても、絶対逆をしたくなっちゃって、じゃあ今日は外に行ってやるみたいなとか、外で結構虫を捕まえてばっかりいたりとか、なんか本当にそういう幼少期でしたね。
【佐藤】社長になるべくして、最初から小学校の時から社長さんって感じでいらっしゃるんですね。
【森】そうなんですかね。そういうタイプ多いんですかね。
【佐藤】なんとなく、学期対象というか、いう方は多いかもしれないなと思ったりするんですけども。
次の質問なんですけども、中学時代はどんなことをして過ごしたかなんて思いでございますでしょうか。
【森】小学校の時、自分のエネルギーを持て余したみたいな経験があったので、中学になったら、本当に自分のエネルギーを何かに使って達成したいなとか、何か自分で良しって思えることに時間を使いたいと思ったので、
部活で、本当に強い部活にコミットしたいなっていう思いがあったので、中学校の先生に、一番この中学校で強い部活って何ですかって聞いた時に、
その中学校では吹奏楽部が本当に強いし、練習量も半端ないよっていうふうにお勧めいただいたので、吹奏楽部に入って、そこからは部活の毎日ですね。
部長とかにもなりまして、みんなで全国大会を目指すぞ、みたいな形で頑張ってました。
【佐藤】楽器は何をやっていらっしゃったんでしょうか。
【森】楽器はサックスっていう、結構かっこいい楽器につかせてもらいましたね。
【佐藤】なるほど。いわゆる音楽センスというか芸術戦術から、そういうのも元々よろしい側でいらっしゃったんですね。
【森】いや、それはですね、全く実はなくってですね、本当にただただ頑張りたいっていう気持ち。
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部活で1位とか取りたい、この自分が何かに打ち込むっていうのが欲しいっていうことで、あんまり音楽も興味もなく入ってしまったので、
実は楽器のセンスっていうのは未だに全くなくって、カラオケでも音痴ですし、だから大学で途中で辞めてはいるんですけど、
中高大って続けたんですけど、冷静に考えても音楽のセンスあんまなかったですね。
【佐藤】ご謙遜だとは思うんですけども。
【森】いやいや、本当にそうなんです。
【佐藤】ありがとうございます。高校時代も水槽楽でいらっしゃるんですか。
【森】高校ではさらに宮城県の中でも水槽楽が強い高校に入りまして、
大体部員だけでも100名とかいるような、そこでずっと打ち込んでましたね。
【佐藤】高校時代はこんなことがあったなんて思い出ございませんでしょうか。
【森】高校時代は部活しかやってないみたいな感じなんですけど、
その中でもありに印象的だった出来事として、
自分自身がアルトサックスというすごくメロディーラインも多い目立つ楽器だったんですけど、中学の時に。
高校の時にはみんな楽器を自分で買ってもらってて、
もう毎楽器を持っている人たちがどんどん入っていって、
でもその中で自分はやっぱりお金がない家庭だったので、
到底楽器なんて買ってもらえないし、買ってっても言えないみたいな中でしたので、
自分がずっとやりたかったアルトサックスっていうのが高校ではできなくて、
途中でテナーサックスっていうのにもなって、
テナーサックスも毎楽器を買われる方がいて、
最終的にバリトンサックスっていうめちゃくちゃおっきい低音のサックスの中でも男性奏者がとても多いんですけど、
そこを担当することになったんですよね。
その時にすごくやるせない気持ちにもちょっとなってしまって、
こんなに自分は中学校の時にすごく頑張ったのにやっぱり楽器が買えないっていうことで、
楽器買える人が優先になっちゃうんだなって思って、すごく悔しかったというか、
そんな思いもありながら、将来はちゃんと自分で自立して、
ちゃんと経済力買いたいものが買える、選びたい人生選べる、選びたい楽器が選べる、
そんな人生を生きたいなっていうのは、なんとなくその時から思ってましたね。
なるほど。ありがとうございます。
その後、大学の方は山形大学の最初、理学部にお勧めになっているというふうにお聞きしているんですが、
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山形大学、国立大学だと思いますが、こちらを選ばれた理由というのは何かございましたでしょうか。
ありがとうございます。
まず国立大学には絶対入ると、私立に入るお金、経済的な状況から、私立は本当に難しいから、
国立、さらに奨学金も無利子の形で、しっかり試験を合格して無利子の状態で入るっていうところで、
国立でしかも導入もせずに絶対に受からなければいけないというのが、まずプレッシャーとしてすごくあったんですね。
その時に東北大学とかですと、怖かったんですよね。
落ちること、すごくやっぱり自分の当時から考えると偏差値もすごい高い学校ですので、
必ず受かるんじゃないかなって思う、自分の自宅からもある程度近い山形大学に挑戦すること、
その時は結構安全を取ってしまったなとも思うんですけど、そういう形で山形大学を選びました。
理系でいらっしゃるんですが、理系の方をもともとお得意となさっていらっしゃったんでしょうか。
これはもう本当にもともと得意で、数学と物理がもう本当にむしろそっちしかできないっていうような、高校生の時から明確にそうだったので、
でも大学でも特に数学と物理が自分が得意の分野、そこで試験を受けれる理学部の数学科に入りまして、
そこで本当に自分が確実に受かって、そして自分が得意でもある、そこを極めようみたいななんとなく思って、その時は入学しました。
数学、物理が得意だと、東北大学の理系だと、日本では東大、京大、東北大の理系がトップクラスではないじゃないですか。
そうすると相当迷われたんじゃないかなって気がするので、そんなことはございませんでしたでしょう。
そうですね、なんか自分が高校の時にすごく部活ばかりしてしまって、勉強あまりしなかったんですよね。
なので、高校の3年間部活に打ち込めた自分にすごく満足はしていて、その分も今から東北大学は無理だろうっていう、結構そういうモードにもなっていて、
なので、まあしょうがないかっていう割と感覚もありましたかね。
でもその分部活に打ち込めた自分にすごく満足はしていました。
ありがとうございます。
その後、理学部から工学部に転部なさってらっしゃったんですか。
どういった経緯で工学部に移ろうということになったんでしょうか。
ありがとうございます。
こちらは、とはいえ大学に入った時に久々に部活ぐらい打ち込むことがなくなったんですよね。
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やっぱり中高と部活をしてきて、大学は本当に自由にバイトしてもいい、何してもいい、サークル入ってもいいっていう中で、
水槽学部もあったんですけど、割とサークル的な感じで緩めなものだったので、
ちょっと自分は違うかなと思って入らなかったんですけど、
そうするとせっかく自分がこんなにお金とかも奨学金無理しでとか、
いろんなことを考えて入った山形大学、そして今後の人生を考えた時に、
あんまり自分の今大学1年生の1年間の時間が有効に使えてない、
そしてそれが将来に何かつながるイメージができなかったんですね。
ちょっと話が戻ってしまうんですけど、自分自身小学2年生の時に交通事故に遭っていて、
脳の手術をして本当に死ぬ間際の経験をしていて、
手術をしてしっかり入院もして、命としては大丈夫だったんですけど、
その時にお医者さんに20歳までに脳の後遺症がまた出ちゃうかもしれないし、
喋れなくなるかもしれないし、脳が動かなくなるリスクもありますって言われて手術をしてるんですね。
なので、せっかく大学1年生、もうすぐ20歳になって、
20歳までに後遺症があるかもしれないっていう20歳をもうすぐ迎えようとしてる自分なのに、
こんなに打ち込むことがない自分でいいのかなってすごく本当にその時悩みまして、
それで考えた時に、せっかくこの大学の人生を将来自分が役に立つこととか、
やりたい仕事に直結するような勉強に打ち込みたい。
部活頑張ってた時に見たく勉強に打ち込んで、そのまま自分の将来の仕事、社会人人生なんかフィーバーしたいなみたいに思ったので、
その時に数学科っていうよりは何か人の生活の役に立つものを作れる工学部の機械化っていうものの方が、
実際の就職で研究開発だったりして直接役に立つなっていうことが分かりまして、
それで本当に自分の人生の大きな選択として、将来の本当に仕事の直結できる学問を学びたいと思って全部決意しました。
ありがとうございます。工学部ではどんなことをして過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
そうですね、その時に本当に学校に無理を言って展望させてもらったっていうのもあって、
なのでその工学部がですね、本当に良くも悪くも10位が出る学校で、今1年生の卒業時に誰が1位、誰が2位、誰が200位とかって。
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で、これ燃えると思いまして、私はもう必ず1位で卒業するぞっていう目標が、
水素学部に打ち込んでたみたいな感じで、目標がすごくできて、せっかくこの工学部に転部したからにはやってやるみたいな。
それがすごく本当に人生の目標が新たにできた時で、なので勉強ばっかりしてたんですよね、大学生の時。
なんかちょっとつまんない大学生みたいな感じなんですけど、毎日3時間とかは図書館に1人でこもってやってましたね。
で、無事出席で卒業できたんですけど。
基本的にやっぱり目標とかゴールがあると燃えるタイプでらっしゃるんですか?
もう100%そうですね、私は。もう今の人生もそうなんですけど、目標達成欲だけはバカでかいですね。
社長様らしい社長様だなと思いますが。
その後新卒で大手自動車部品メーカーを勧めになっていました。
こちらはどうして選ばれた?こういう理由がございますでしょうか?
大学も工学部に入って、今後人の役に立つものを作る仕事になりたいと思った時に、漠然と自分が自動車で、交通事故で過去頭を手術してるっていう経験から安全な車を作れたらいいんじゃないかな。
そしたらもっといい社会になるんじゃないかなっていうふうに思いまして。
自動車の研究開発の中で一番自分が興味あった愛信製機っていう会社を選びましたね。
一応リスナーの皆さん方に愛信製機さんご説明しておくと、豊田系の部品メーカーで上場していらっしゃいまして、いわゆる超大手部品メーカーさん、超有名企業様でいらっしゃいます。
愛信さんではどんなことして過ごしたなんて思いでございますでしょうか?
はい、割と同期だけで400名ぐらいいまして、そのうちの約30名ぐらいの同期の中の女性が女子寮に私と共に住んでいたので、仕事終わりは結構女子寮のみんなと結構飲み会とかしながら、
平日は仕事に打ち込んでっていう、そんな毎日を送っていましたね。
何か思い出とかございますか?
私はですね、本当に何か愛信時代は楽しい思い出と言ったら、本当に同期といっぱい遊んで飲み会して、すごいいろんな経験ある同期と仲良くなってっていうのがすごいいい思いで。
苦しい思いでも実はいっぱいあって、その時は研究開発、安全な車を作りたいっていうふうに意気込んで入った私なんですけど、同じ研究開発の同期のメンバーに比べてすごく自分自身が劣って見えたんですよね。
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皆さん、そもそも自動車の分解とか、自動車が大好きで入っている男性が多い中、私は結構自動車自体に興味があるというよりは、何か社会にいいものを作りたいって、漠然とした理由からたまたま自動車に行き着いたので。
まず、自動車への興味とか関心とか知識とか、趣味でエンジンを分解したことがあるみたいな男性メンバーとは、すごく自動車に対しての興味のレベルが全く違いまして。
興味がどこか薄いからこそ、関心も薄くてっていうところが、成長の差に明らかに現れてしまって、私自身もすごく頑張って勉強しても追いつかないみたいなところとかもあって、すごく劣等感。
なんで自分はこんなにできないんだろう。そして、できないからこそ勉強しようと思うんだけど、どうしてこんなに自動車にワクワクできてない自分もいて、はい、なんかそういう自分との葛藤でした。3年間。
なるほど。ありがとうございます。で、その後、エアウィーブさんに転職なさるんですが、こちらは転職のきっかけとかなんてございましたでしょうか。
ですね、愛心の時に3年間、そんなもやもやして活躍できない自分がいる中で、こんなもんかな仕事、こんなもんかな自分の人生なんて思って、そのいやいや転職したってこんな私はうまくいかないって思う自分もいながら、でも大学の時、ああやって転部して頑張って主席で卒業ちゃんとできたじゃんっていう自分への信頼したい気持ちがあります。
そういう気持ちもあって、すごくこうめちゃくちゃ葛藤したんですけど、本当に大学で転部して主席で取れたって、あの経験が本当に良くってですね、あの経験が自分に対して1%、2%なんか勇気、本当にこう自信を失ってた私に対して勇気が残っていて、それで私ならやれると。
で、もう理系で研究職っていうのがそもそも自分に合ってなかったんだと。
自分が何に対して燃えたんだろうって思った時に、私数字でわかりやすく目標達成っていうのに追いかけるとき、そしてそれがなんか世の中に大きな影響力与えて誰かにありがとうとか役立ったっていう時にすっごいパワーを発揮したな。
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部活の時も主席の時もって思ったので、私はちっちゃい会社を自分のエネルギーとこの行動力によってどれかくするっていうような、そういう営業だったりをしたいと、そういうふうに思って、ちっちゃい会社の営業職でいろんなところをリクナビさんを通して受けさせていただきましたね。
その中でエアウィーブさんを選んだ理由って何かございましたか?
本当にですね、それはめちゃくちゃ運命的な感じなんですけど、いっぱい受けたうちの一つだったっていうのが本当の形で、全く正直名前も聞いたことない会社、興味もないっていう中で、正直本当の話なんですけど、エアウィーブしか合格しなかったんですよ、私。
もともと研究職で大手上場企業なので、すごく生意気だったと思うんですね、その時の私。しかも変に年収も高かったんですよ。
その年収で希望も出してたので、まさかベンチャー企業で、しかも営業職でっていう時に絶対あなた耐えれないでしょって言われちゃって。
なんですけど、エアウィーブの社長だけは、菊野さんは根性がある人だと、私の人生をすごくお話した時に思っていただいて、年収を半分になるけどいいって言われた時に、でも一緒に日本一のマットレスの会社にこれからしていきましょうっていう風なメッセージをいただいた時に、もう私の目がキラーンとなって、
一緒にこの会社を日本一にするっていう、なんて素敵な目標なんだと。もう目標ありがとうみたいな感じで、もう年収だろうがなんだろうが、私はそれにこの社長さんと一緒にチャレンジしたいなと思って、エアウィーブを選んだというよりもそこしか浮かんなかったって感じはあるんですけど、入りました。
エアウィーブさんで思い出なんてございますでしょうか。
いっぱいあって、とにかく毎日どうやったらこのエアウィーブが売れるんだろうって、本当に試行錯誤。最初は営業とか販売員で店頭に立っていらっしゃいませとかっていうのもしてたんですけど、全く無名の商品を売るっていうのが難しいっていう経験ができたこと。
そして、そんな時に隣の他のマットレスのブランドがテレビで見たとか、知ってる知ってるはこれ使ってみたかったのって、お客さんが自動的に来る状態に隣のブランドはなっていて、なんだこの違いはって思った時に有名と無名の違いだったんですよね。
この有名ってすごい力だなって気づいた時にPRを頑張ろうといってPRに出会えた。そしてPRで結果が出たっていうのが今の人生を作ってるので、本当に私はエアウィーブの時に営業職として入ったんですけど、売れないっていうところからPRに行きつけて、そして結果が出たっていうのが今の人生の本当にスタート地点なのかなと。
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そうですね。私は大きく言うとそう言いたいんですけど、全くなんだ、やっぱり素晴らしい商品、素晴らしいメーカー、素晴らしいメーカー、素晴らしいメーカー、素晴らしいメーカー、素晴らしいメーカー、素晴らしいメーカー、素晴らしいメーカー、素晴らしいメーカー。
素晴らしい商品とその商品に対して素晴らしい実績、一流の方にも認めてもらってるという実績があって、でもその素晴らしい商品、素晴らしい実績を知ってもらえなければないものと同じっていうその状態の最後のゴールパッドを私が決めさせていただいたというか、
もう素晴らしい商品、素晴らしい実績、それを多くの人に知ってもらうという最終ゴールをしたっていうところなので、なんかもともと商品だったり実績がなかったら絶対そんな1億から115億ってなってないので、私一人でっていうふうには全然思ってないんですけど、それぐらいなんかPRって本当に大事な役割だなっていうふうに思います。
本日も社長に聞くinWizBizをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもWizBizが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に行くインウィズではここまで。また来週。
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