1. WERKSTATT Podcast a.k.a. 合唱指揮者のPodcast
  2. WERKSTATT Podcast #15 ラトヴ..
2024-07-09 53:16

WERKSTATT Podcast #15 ラトヴィア在住合唱指揮者 山﨑志野さんに訊く(後編)

山﨑志野さん公式ウェブサイトhttps://shinoyamasaki.wixsite.com/website

山﨑志野さん出演公演

2024年7月27日(土)アンサンブル・ムジクス声楽アンサンブルと若き音楽家によるジョイントリサイタルpratyaya vol.5 feat. 山﨑志野

京都復活教会 開演 入場料 3,000円

チケット予約フォームhttps://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfKVb7LNaolEbtgPw0qTiMIyR6qFgdS9Nwr06PPLQAaxT6kPA/viewform

2024年8月10日(土)クオリス・クラーサスラトビア音楽の夕べvol.2『RĪTAUSMA』

タワーホール船堀 小ホール開場 開演一般2000円 学生1000円

チケット詳細https://www.confetti-web.com/events/776



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00:08
こんにちは、合唱指揮者のKota Yanagishimaです。
WERKSTATT Podcast 前回に引き続きまして、ラトヴィア在住の合唱指揮者 山﨑志野さんにお話を伺っております。
前回、リガーの音楽院を卒業するところまでのお話でしたが、
これはこの後のお話、ラトヴィア放送合唱団に入団したり、向こうで指揮者活動されたり、
そしてこれから何をするのか、いろいろ伺ってみました。どうぞお聞きください。
今は大学院を卒業したのって、今年でしたっけ?
2023年、去年の夏です。
去年の夏に、ちょうど一年前に終わりまして、卒業して無事試験とかもあったんです。
そこからどこか行こうかなと思っていたんですけど、
もう6年ラトヴィア居たらいいやって思ってたんですよ。
でも放送合唱団の仕事が始まることになったわけですよね。
そうなんですよ。なんか降ってきたんですよ、本当に。
ラトヴィア放送合唱団ですよね?
そうです、ラトヴィア放送合唱団。
ラトヴィア放送合唱団って日本人っていないでしょ?
いないでしょ?
いないです。
そうですよね。
いないです。
すごいですよね、なんか嘘みたいな話で。
嘘みたいな話で。
ラトヴィア放送…
あんまりそういう、放送合唱団みたいな。
ドイツとかだと、一つの放送合唱団に一人日本人が入っているぐらいな感じではあるので、
わりとステッドガールズのところとかもそうだし、
西ドイツも日本人の方もいるんですけど、
ラトヴィアってなんかこう、
グラスもなんかすごい。
すごいね。
合唱だな、感じるから。
もう一人アメリカ人の子がいるんですよ、実は。
はいはいはい。
で、彼はラトヴィア人の奥さんと結婚して、
ラトヴィアにいるんですよね。
で、だから彼は、ビザが大変だったんですよ、ラトヴィアの場所で。
こういうケースがないので、
労働ビザを出すっていうことのケースがなかったんですよ、これまで。
そうか、そうだったよね。
だからそれが、
日数とかね。
だからなんか、クリアーバが声はかけたけど、
ビザのことは大変だって知らなかったから、
それでずっとくすぶってて、
03:00
なんか、市のビザ大丈夫そう、みたいなテンションで、
クリアーバが夏に会ったら聞いてくるって。
私なんとも言えないんですけど、
事務局に今聞いてるけど、何にも落とさないんですけど、みたいな。
受験のときの感じ、再びですね、それは。
本当にそうです。
前例がなくて、誰も用意してないみたいな。
もう本当にずっとそうですね。
一時帰国して、
帰る、こっちに戻ってくる頃までにはっきりするだろうって思ってたんですけど、
結局帰るまではっきりしてなくて、
労働ビザに出るのかどうか。
どうするんだろう、私って思いながら飛行機に乗って戻ってきて、
出なかったらどうしよう、白紙とかいくかな、みたいな。
でも白紙すごいお金高いなと思ってたら、
出るよって。
仕事が始まる直前ぐらいに、
出るよ。
素晴らしい。
フレキシブルであるんだと思うんですけどね。
ドイツとかだったら、
その状態になるまでに越えなきゃいけないベッドか、
越えなきゃいけない人が多すぎて、心折れる気がする。
そういう感じではないね。
どうなんだろう。
大丈夫かな、大丈夫かな、できたよ、みたいな。
本当ですよ。
この感じはすごいなと思いますね。
すごいね。
でも本当にすごいね。
飛び越え放送が仕事なんですよ、皆さん。
こういうのを話してみると改めては思うんですけど、
運ですよね、本当に。
そうね、そうかも。
運です。
それはとても大きくある、あなたは。
でも中学生がアンテナが立っていて向いてるからね。
縁、縁でもありますね。
縁、そうですね。
それも本当にどこで繋がるかわかんないっていう感じで。
一回放送合唱団に呼ばれたんですよ。
日本語のテキストで歌う曲があるから、
ちょっと来て見てほしいって言われて、
これで行った時に、
そこは歌う時はこういう風に日本語を歌うといいんだよ、みたいなことを言ってたの。
シグバルスが後ろで聴いてたらしくて。
リハーサルね。
その練習の後にこっちに来て、
篠は卒業したらどうするの?
学部の時に聞かれたんですよ。
まだわかんないです。
そうか。
っていうのは聞かれたなっていうのを、
その声だった時に思い出して。
なるほどね。
その時に目をつけていたのかな?
06:01
かな?
リハーサルは。
どこでどう繋がるかわかんないなって。
当時あれでしたよね、
ラトベア放送合唱団で頑張るのか、
スウェーデンの方で仕事するのって迷ってた?
迷ってました。
スウェーデンはワーキングホリデーが
バツとチャンスの年だったので、
ちょうど卒業した時に申請していけば、
1年スウェーデンでワーキングホリデーで滞在して、
もう半年で繋がりもあったので、いろんなところに。
で、少しずつ活動できる場が広げられるかなと思ってたんですけどね。
ただやっぱり初期費用がすごいじゃないですか。
あー、そうだよね。
ビザが出るにしろ。
特にスウェーデンはすごそうな気がする。
そうなんですよ。
だからやっぱりそういう現実的な弁とかも考えると、
今こっちの方に進むかな?しかないな。
しかも、だしそのラトベア放送合唱団ってどうやったらいいですかって、
例えばラトベアの指揮官に行きたいんですけどって答えられるけど、
放送合唱団は答えられないですよね。
そう、当時はそうです。
今は最近変わってきてるんですよ。
うんうん、あ、そうなんですね。
これまでは割と声がかかるみたいな感じだったんですよ。
オーディションとかなくて。
で、今年、ほんとこの間オーディションを初めてやってて、正式に。
サプラノが一人は若がいたのでオーディションをしました。
で、オーディションをしてて、どうやら音楽監督がこの1月から変わったので、
シグバルスがパスパスになったので、そのことによってオーディションのシステムが始まった。
今ならオーディションがあるときにぜひ受けたらチャンスがあるかもしれませんとは言えますね。
なるほどね。
とはいえですね。
ラトビア語もやっぱり必須、今のところまで。
そりゃそうだよね。
その点が少しあるのは高いかもしれないですが。
だからそれこそスウェーデンでさ、合唱式のお仕事を頑張って、
もう一回向こうで生物を作っていくことと、
ラトビア放送歌唱団の話を天秤に。
そうですね。
でもやっぱり、ラトビア6年もいたし、どこか行こうかなって思いながらも、
09:04
ラトビア放送歌唱団で歌える機会があるのならば、そっちに取るっていうのは、
なんかあったので。
ただ現実的ではないので。
ないですよね。
本当にすごいことだと思うんですよね。
死ぬほどそう思ったとしても、
誰もそうなってなかったと思うんで、これまで。
そうですよね。
少なくとも去年までは本当にそういう感じだったので。
なので、これ来ちゃったならもう乗っかるしかないみたいなことがありましたね。
そうだね。
それで歌い始めても1年ぐらいなのかな?
ちょうど1年経ちますね。もうすぐで1年経ちます。
もういろんなコンサートを歌われたりしてますよね。
なんかいっぱいありますね。コンサートが。
なんかすごい様子を伺っていると、ほとんどずっとラトビア放送歌唱団だという感じがするようにも思えるぐらいな感じでしたけど。
本当にそうです。
結構忙しいよね。
忙しいですね。
1月、確か1年間の間に40公演以上してみていけないんですよね。
っていうのもあって。
40か44とかだったかな。
そのうちのいくつかはレコーディング。
レコーディングはコンサートの何個か分にカウントされるらしいので。
大体やっているのはコンサートとレコーディング活動ですね。放送歌唱団。
ラトビアは国内に留まらずね。国内外、いろんなところに。
僕も留学中一回放送歌唱団、ザールブルッケンに行ったことある。
はい。
聴いたんですよね。クリアーバーの。
うちの放送歌唱団ですか?
そう、ラトビア放送歌唱団。
いい。
エリーナ・ガランチャー。ラトビアの歌手の。
ガランチャーの旦那さんがカレル・マルク・シションって言って。
当時、ザールブルッケンが本拠地の放送オーケー、ドイツラジオフィルハーモニーっていうのがあるんですけど。
その音楽監督がシションで、奥さんがガランチャーで。
奥さんの奥さんを連れてきて、ガラコンサート、オペラガラコンサート。
すごい。
ラトビア放送歌唱団も一通り連れてきました。
しかもすごいいいのかなみたいな。
ラトビア放送歌唱団とザールランド州立歌劇場のオペラ歌唱団の合同で、ベルリーとか歌ってて。
12:06
そんな仕事があるんだと思って。
夏限定ですね。聞くところによって。
パンデミックの前は結構そういう仕事が夏限定だったので。
そうだったんだね。
たぶん誰かが放送歌唱団それだけではもったいなさすぎるでしょって誰かが言って。
最初の前半の20分くらいは放送歌唱団を単独で。
昼掘りのムーヤヨームをクリアバーが振ってやってて。
その後ベルリーだったんですけど。
なんだそれ。なんだそれ。
すごいいびつなプログラムだな。
でもやっぱりとんでもないクオリティで演奏が行われているから、この世のものと思えないような感じがすごいした。
上手い合唱団ってもちろんドイツにもいっぱいあるし、ドイツも世界レベルで上手い。
とんでもないぐらい上手な。現代音楽が強い。
いろんな特徴がある団体があるけど、個人的に思うのはすごい。
ドイツの上手い合唱団は上手さがわかる。
ラトフェイの合唱団は上手さがわかない。
どういうこと?
なんていうのかな。こういう風になっててすごいんだなみたいなことを考える余地がない。
圧倒されちゃうみたいなのがすごい。
何が起こっているんだろう?ボケみたいな。
ちょうどその年ラトフェイがついてて、10年前なんですけど、
放送合唱団が中立歌劇場とガラコンをやったのと、
もう一個ラジオフィルハーモニー単独のシンフォニーコンサートでベルリのレクイエムをやったのが、
ラトフェイはナショナルクワイヤー。
国立合唱団だった。
今度はベルリのレクイエムをやった。
ちょうど僕その年の合唱式がベルリのレクイエムだったんですけど、
なんでベルリのレクイエムをちゃんと生で通して聴くかと思って、
上手そうな合唱団のやつだと思って聴いて、上手すぎて。
ベルリのレクイエムって結構アカペラ合唱とオーケストラが行ったり来たりするんですよね。
だいたい最初のテーデーセというニュースのところで、
合唱のピッチがすごい下がって、オーケストラがビーンって戻すみたいな。
っていうのが多分9割くらいの演奏で起きてると思うんですよ。
プロプロも含め。
ビーンって戻す感じ。
その界隈って言うと、世ではグム悪いんじゃないかと言われてるような感じの、
グミ上しょうがないと思ってたけど、
でもラトビアナショナルクワイヤーは何の問題もなくする。
15:04
でその後、サルガメかな、ベルリのレクイエムのサルガメで、
サールファーメーっていう超薬のある旋律を合唱が繰り返した後に、
チェロが追っかけるみたいなのがあるんだよね。
それもすごい典型的な合唱がちょっと情熱がありすぎて、
いろいろブレるのを後ろから企画が綺麗に追っかけてくる感じなんだけど、
その時は合唱が綺麗すぎて、
完璧なサルガメでこんなに、
すごい人間ってそんな風に歌えるんですねみたいな感じのサルガメがあって、
奥の人も明らかにだんだん目が点になっていくのがわかってる。
チェロの人が。
自分のやつでどうにかここを回復するとかじゃなくて、
これは背筋伸ばして聴かなきゃいけない場所だっていうのを、
すごい楽器の人たちは明らかに感じていて、
そのままスーッと入っていって、すごいアンサブルだっていうのを、
いつかある忘れられないコンサートのドイツに行った、
1個はラトベアでしたね。
いい話じゃないですか。
いい話、いい話。
それをベルレクを勉強している途中で、ほぼ最初のセメスター始まったぐらいに聞いてしまって、
ベルレクはもういいなと思って。
もうちょっとやかな感。
もういいや、これがあるなら別にいいや。
自分でもできそうとかを聞きすぎてしまいました。
国立合唱団がそういう大編成のものというか、
インケストラと一緒にやるものをよく行ったんですね。
あ、そうですよね。
あれはプロ合唱団ですか、あれも。
そうです、あれもフルタイムの、一応フルタイムのプロの合唱団で、
人数も多くて、うちの倍ぐらいかな。
そうだよね、大きい感じでしたね。
大きく国外公演して。
なるほど、なるほど。
そっちは日本に聞いたことあるんですかね。
まだないんですよ。
中国はあるみたいですけど、まだないみたいな。
放送合唱団はすごく、結構来るじゃないですか。
そうですね、本当に2年に一度ぐらいのペースで来ていますね。
そのうちシノちゃんも放送合唱団に来るかもしれないですね。
私がこっちいる間に行きたいですけどね。
みんなも私に聞いてくるんですよ。
私が当時こうできる話じゃないの。
シノ、次はいつ行けるのかな。
次行くなって。
私に聞かないで。
ああ、そうだそうだ。
やるからそのナショナルクァイアを聞いてほしいな、日本の人に。
ベースにすごい度肝抜かれたんだよね。
最近一番ベースの核になるすごい世界の人は最近抜けたらしいので、また少し変化があるかもしれない。
18:13
そうですね。すごい内部に張り込んでますね。
もう筒抜けですから、全部この事。
筒抜けなんだね、すごいね。
ちっちゃいのでやっぱり。
そこも面白いですよね。
ドイツだったら放送化商談自体でいっぱいやってる。
全然他の人の事なんか知らない。
ベルリンの中に2個あって。
そこくらいはお互い知ってるのかな、でもどうなんだろうな。
でもなんかこう、やっぱその文化の違いというか、やっぱりドイツは全然違うんだなっていうのは話を聞いてるとか、
演奏とか聴いてるとかね、コンサートの告知とか見るだけでもやっぱしっかりしてるなって思います。
吉橋がすごくあるなと思います、それに対して。
そうですね、どちらもありますね、吉橋は。
今なんかポロッとさっき、あとどれくらいいられるかっておっしゃってましたけど、日本に帰ってくるんですか?
今のところ、まあそうですね、もうちょっと頑張っていずれ日本に帰ろうかなと、今は思ってますね。
なんかまあ今その歌い手として、合唱の歌い手としては素晴らしい、これ以上に素晴らしいとこないくらい素晴らしいだったりして、
式の活動はアマチュア合唱団を今指導したりしてるんですかね?
はい、そうです。ラトビア大学の根性があって、
で、指揮者が2人いるんですよ、ラトビアの合唱。で、そのうちの1人。
え、普通2人いるの?
そうなんですよ。
へえ、あ、それすごい。
そう、アマチュアの合唱団、基本的に2人。
へえ。
で、アマチュアの合唱団の中では、
2人体制ですね、基本的に。
で、私はその指揮者の部分で、ジェス・ムーヴィンの部分で、
で、その後は、
アマチュアの合唱団の中では、
アマチュアの合唱団の中では、
アマチュアの合唱団の中では、
アマチュアの合唱団の中では、
2人体制ですね、基本的に。
へえ。
で、私はその指揮者の部分で、ジェス・ムーヴィンの指揮者の部分でやっています。
うん。
へえ。
ちなみに、ちなみに、そっか、その話もしなきゃ。
ちなみに、そこの合唱団の指揮者になるためには、
なんかどういう続きがあったの?
どういう募集が兼ねてたとか、誘われたとか、どういう感じでした?
これも、なんか電話が来て、誘われたですね。
電話が来るんですね。
電話が来るのすごい。
21:00
すごい、でもなんかめっちゃ、でもラトビアでなんか、
みんなに目をかけてもらってるね、じゃあすごいじゃん。
はい、でもそうですね、なんかこの6年間全くそういうことがあんまりなかったんですけど、
はいはい。
なんかこう卒業するっていうタイミングで、なんかこうボンボンっていきましたね。
うーん。
だから、ああ、これはここに残れっていうことかな、みたいな。
いや、めちゃくちゃ引き寄せっぷりが半端ないですね。
残れってことか、みたいな思った。
うん、残れってことだね、それはね、もう絶対。
だからなんか、今、そのジェイソン・バラの音楽監督の人が、
ずっと学部のときに隣同士で合唱の授業で歌ってたんですよ。
ほう。
いつも隣で歌ってたんですけど、
あ、そうで、なんかその人が試験、卒業試験のときに、
マルタンのアリエルって言ってたんじゃないですか、ソングを。
はいはいはい、めっちゃ面白いやつ。
4学章かな、のやつをやったときに、
どれだ?
一番ダンスボス的な曲。
あれをやったときに、なんかそのソロ歌ってって言って、
じゃあ、やるよって。
うん。
そういう恩があるのかな、これ的には。
なるほどね。
あのときはありがと。
いや、いいですね。
未だに言われるって。
で、そのノーラさんが、長かったんですよ。
ノーラさんが電話してきて、
なんかその人が前、音楽監督だったんですよ、そのジェイソン・バラの。
はいはい。
で、3級に入るから、
私が3級入るから、今まで指揮者やってた子が音楽監督やるから、
指の指揮やってくれない?みたいな。
なるほど、そういうことなのか。
で、最初は1年だけの予定だったんですけど、
なんか数ヶ月前に聞いた話だと、
子供が可愛すぎるから、もう1年3級取る。
あ、そうですか。じゃあ頼むみたいな感じなのね。
いいっすよって。
そろそろ戻りたいんだけど、え、子供可愛くなくなったんですか?みたいな話。
そうそう。
可愛くて仕方がなくて、もうちょっとこの時間を台心にしたいから、
3級もうちょっと伸ばしますって。
でもいいことだし、チャンスもらえるし。
そう、ありがたいことに、もう1年やらせてもらえることになりました。
素晴らしい。どんな曲やってるんですか?
なんかですね、いろいろやってる。この間はなんか日本の作品とかもやったんですよ、日本語の曲。
本当に、ふるさととかそういう感じの曲を。
あとは、何やったかな、それと一緒にラトビアの、何だろう、合唱の作品。
24:08
そんなに難しい曲はできないので、
みんなが楽しみながら歌えるような4センチが基本でちょっとリピがあって、みたいなそういう曲をやったり。
を、まあ、するんですけど、このジェイソンバランの特徴として、
結構みんなロックミュージックとかポップスの曲とか、結構好きで。
ああ、そういうのの合唱版ってことね。
そうですね、合唱版を歌ったりとか、
あとはいつもその誕生日の人とか名前の日の人がいると、みんな練習後に歌うんですよ。
その人の好きな曲をリクエストで。
で、なんか普通にデモ音楽を流しながらみんなでそれをわーって歌ってたりとか。
へー。
それ、本当に楽しそうに歌うんですよね、みんなね。
だからなんかこう、そういうのもやるし、結構、なんだろう、ちょっとこうネクタイを締めて、
アカペラで4センチの曲も歌うし、みたいな。
そういう団体ですね。で、こないだはちょっと面白い企画があって、
ロックバンドのアルバム収録に参加するみたいな。
その合唱団で?
そうです。
へー。
君たちの演奏を使いたい、使いたいというか歌ってるのを歌ってほしいから、
それを使いたいからちょっと歌ってくれって言って、
永遠と最初から最後まで至急を何百回も言い続ける至急ですよ、至急。
至急っていう曲をアルバムで録音しましたね。
すごいですね。
へー。
ヘッドビア語で。
ずいぶん尖ってる。
全然って言うんですけど。
全然。民謡みたいな。
割と幅広く、で、やっぱり若い子が多いので。
はいはい。
意欲的ですね、いろんなことに対して。
そういうこともしてし、こないだ2ヶ月?先月?5月か。
5月はコンテンポラリーダンサーと一緒に、
誰かがステージのために作った曲をみんなで歌う。
そういうのって、どこからそういう演奏をしませんかって話が来るんですかね。
でもこれやっぱり、今の音楽監督の子が、今音楽院で勉強してるんですけど、
その前はカルチャーアカデミーで勉強してて、文化アカデミー。
そこの繋がりから、
すごいですね。
持ってくるみたいで。
結構みんながこれまでやったことのない、
27:01
フリーテンポで自由にこの曲を歌ってみたいな。
めっちゃ好きそれ、楽しそう。
私も好きなんですけど、みんなにとって初めてで。
作曲家も立ち会って、こういう風にやって欲しいんだけどって言うと、
みんな割と、あ、面白そうだねって言ってすぐやってくれるんですよね。
やってくれるように。
作曲家もすごく楽しそうで、
こんなにフレキシブルにいろいろやってくれる楽章団ってなかなかいないってすごい喜んでて。
あ、そのラトビアですらってことですね。
みたいですね。
それはすごいな。
みんな結構そういう面では柔らかい。
もちろん技術的にはもうちょっとかなっていうところはありつつも、
でもそういう根っこにあるものがすごく柔らかくて。
素晴らしい。
音楽監督さんのなんかがあるのかな。
それもあるし、もともと集まってきてる人たちの感じ。
すごいな。
大学生ですよね、それは。
大学生と卒業して、今も。
若手の。
なかなか聞かないくないですか、大学の合唱。
日本の今のことがイメージにあるけど。
大学の合唱、ドイツでもなんか。
なんかすごいさっきそのポップスロックが好きっていうのは、
ドイツだと大学合唱団のことをウニコアって言うんですけど、
大学合唱団とかでも結構そういうの歌いたがるグループが多い感じだったりして、
ポップスのすごい変異な編曲いっぱいあって。
なんかそれはそういう通ずるとこあるなと思ったけど、
例えばそういう楽が企画前として、ちょっとリーな方向に向かっていって、
それに純粋に対応していくっていうのはあんまり、
まして日本では大学の場所だとあんまり想像できないことだなと思うから、
すごいと思う。
で、その企画も割と直前に来るんですよ。
えー、そうなんだ。それに対応してやろうって。
そうそう。
それがすごいね。
そうですね。
それぐらいのほうがいいんじゃない?
それでできちゃうんだって。
そうだね。
でもまあ、みんなもやっぱりそれで、お家でもちょっと見てくるんですよね。
だから今回その企画、これまであったのかわからないですけど、
おそらくたぶん初めてかもしれないですね、そのどっちも。
あ、そうなんだ。
で、それを得てやっぱり反応がいいんですよね。
さっきのほかもそうだし、一緒にやってたんですよね。
やるでしょうね。
もっとやろうよ、みたいな感じの話が出てるみたいなので、楽しみですね。
30:08
素晴らしいです。
楽しみです。
なんかそれはもはやラトビアじゃないじゃないですか、その合唱団の部分っていうところもあるわけですよね。
そうですね、確かに。
私はこのところずっと何年も歌ってるので、
だから最近やっぱりそういうコラボレーションをしたりするっていうことにすごくワクワクを感じる。
だからすごく楽しいですね、今のその活動は。
なんかこう、だからすごい今日ずっと話していて、総合的にもなんか、
そういう篠ちゃんが興味を持っていて楽しいと思えるようなことに周りがなっているような感じがしますね、すごい。
そうですね。
原地も。
もし日本に帰ってくれたとしたら、そういうことをやりたかったなっていうのはめっちゃ思いました。
本当になんかラトビアは割とそのやっぱり界隈が狭いというか、狭いので、
だからこう、かつてカメルっていう団体で歌ってた時もあるんですけど、
別の分野のその芸術の人たちとコラボする。
それはやっぱり狭くて、お互いがやっぱりコミュニケーションを取りやすい環境があるからあるんでしょうけど、
なんかそういうことをね、なんかこう、もうちょっと続けられたらいいなっていうのは思ってるので、
だからなんか日本でやるってなった時も、そういうことが少しずつできるようになるといいなっていうのはぼんやりと自分の中にありますね。
なんか多分だけど、それを面白がる人が多いと思うんですけど、
自分が例えば合唱団の人たちっていう目線で考えると、自分がやるとなると、そういうイメージ、そういう経験も全くないから、
そもそもやっていいのかわからないみたいな感じで、
自分がやるとなると、そういうイメージとかそういう経験も全くないから、
そもそもやっていいのかわからないみたいな感じで、
でもきっとそれを1回1回でも体験したら、いろんなことがすごく変わってくるような気がするな。
それを当たり前のようにやる人がいっぱいいるといいんじゃないかなって思う。
本当にそうですよね。
だから私も今やりながら、こういうふうにやっていくのかなっていうのが、
自分がやるとなると、そういうイメージとかそういう経験も全くないから、
私も今やりながら、こういうふうにやっていくのかなっていうのが、
体験しているところ。
なるほど、なるほど。
ただ、ラトビアでやるというのと日本でやるというのと、
33:01
たぶんいろんなプロセスの違いがあるので、
そこはまた別問題になる。
そうそう。たぶんめんどくさい部分もいっぱいあるかもしれないですけど。
あと僕思うのは、
シノちゃんはラトビアから帰ってくるじゃないですか。
そうするとラトビアの人なんですよね。
そうなんですよ。
そうなんですよ。
いいんだよ。全然いいんです。
例えば8月、ラトビアの音楽のコンサートやるじゃないですか。
7月、8月、バルト、ラトビア北欧のことに行って、
そして帰って出動するときに、
それがね、
ドイツにいると、
このドイツ文化の末端に参加させてもらって、
共に味わわせてもらいながら、
何か自分でいろいろなことを考えることができてありがたいなと思っているんだけど、
こっちに帰ってくるとその代表者みたいな目線がやってきて、
マジかみたいになったりするけど、
でも確かに末端の僕と、
境目の向こう側の日本の合唱の人たちの、
境目には自分がいるから、
そうか、それは受け止めるしかないんだけど、
なんか、
いやちょっとだから、そこを、
これ結論がある話じゃないんですけど、
なんか自分が自然にいいと思えるものみたいなのを、
いっぱい持ってきて、
いろんな芸術の分野との関わりとか、
それは別に曲が全然ラトビアの曲じゃなくても、
いい可能性も全然あるじゃないですか、
でもそれでも、
いったりすることもあると思うんで、
いろんな目線が持てると面白いなって思いました。
本当に、
この間、名古屋ユースで5月に、
日本でやったんですけど、
あの時に、
あれ、自分なんかも、
なんだろう、
自分がかつて日本に行った時の、
そのものの見え方とか、
そこにいる時の、
感じ方っていうのが、
全く、
なんか多分違うんだろうな、今、
っていう感じで、
なんか、
なんか、
僕は31歳で帰国したんですけど、
6年半、
向こうにいたんですよね。
そう考えると、
その帰国した瞬間、
人生の5分の1が、
大きく変わったんじゃないかと、
思うんですよね。
そういう、
そういう、
そういう、
そういう、
そういう、
そういう、
その瞬間、人生の5分の1が、
ドイツだったっていうことに気づくわけですよね。
6、5、30なんで、
まあ、そのぐらいだよね。
だから、
5分の1から、
4分の1の間ぐらいに、
だったんだけど、
36:00
それぐらい、
僕も結構変容してることあって、
例えば一時帰国中に、
一時帰国合唱団で、今度マシュマロちゃんありますけど、
プローベしてると、
頭の中ドイツ語になってる。
うん。
語順とか、
語順とか考える順番、
結論を言うみたいな。
なぜならばとか言うと、どうしたんですかみたいな。
あと、何々することは許されていますとかね。
よくわかんない。
直訳調の喋り方になっちゃって。
そうなんですよ。
今日も話しながら、語順が変だなとか思いながら、
ドロッコしてるなって思いながら、
いやいやいや、全然違和感ない。
全然大丈夫。
恐ろしいと思う。
名古屋ユースやってたときも、
そういうワンマンみたいで、みんなごめんねって思いながら。
いやいやいや、
それがなんか、
面白いってみんな思ったんですよ。
そうそう。
これも自分の体験で言うならば、
7年経つと、
ほぼなくなる。
これは薄れていってるのか、
もちろんその経験をもとに、
新しい考え方を作ってるつもりでは、
自分ではあるんだけど、
10年前の語順が入れ替わって、
自分はもうここにいないんですよね。
なんかね、
寂しい気もします。
ある意味で。
なるほどね。
あと帰国した後、
ドイツにいっぱい戻りたかったけど、
コロナが戻ってなかったりもするんで、
今年は実は、
僕は行くんですけど、
そういうことも含めながら、
きっと日本に帰ってくると、
そういう変化が始まるから、
それを楽しんでみてもいいのかなって、
僕は思います。
ドイツは、
今回行くのは、
留学後初ですか?
僕はそうです。
2017年に帰って、
7年ぶりですね。
翌年の2018年に、
ドイツから仲間が来て、
ドイツに来て、
ドイツに来て、
2018年にドイツから仲間合唱団が来て、
一緒に日本に行って、
ボカペラリンブルー。
2019年に、
師匠・ゲオルクが、
カンマーコアと一緒に来て、
カンマーコアと一緒に来て、
一緒に乗ったりしたから、
一緒に乗ったりしたから、
帰国した翌年と翌々年は、
僕自身は向こうには行ってないけど、
僕自身は向こうには行ってないけど、
同じコミュニティの中で、
いろいろやったから、
それがある感じだったんだけど、
そこからずっとなくて、
2019年から。
19はそこから行って、
翌年もコロナだもんね。
そうですね。
それからトゲやってるんだよ。
これはこれは。
これはこれはじゃないですか。
もう留学できるエネルギー絶対ないけど、
今あれと同じことは絶対やりたくないと思うから、
39:02
それは私も同じです。
ですよね。
もう学生とかが、
あれと同じことはできないです。
私ももう。
試験がよく当たらないとか、
っていうのもね。
でもなんか、
あっちの感覚とこっちの感覚が、
両方泳いでいるような人になりたいな、
両方泳いでいるような人になりたいな、
と思うから。
だしやっぱりまだそっちにいる、
篠ちゃんのその話を、
いろいろ聞けること。
それこそそのヨーロッパの、
僕がいたの識者フォーラムとか、
の話とか、
マスタークラスの話とか、
コンクールの話とか、
いろいろその現場にいる人なんだな、
っていうのをいつも話を
思ってます。
いいえ。
やっぱり、
そういうことを話せる友人というのが、
バトビアの国内には、
いないんですよ。
バトビア国内のレストはそうなんだ。
やっぱりさっき言ったように、
個人プレイなので、
その影響もあってか、
あんまり
一緒になって、
そういう話をしたりするってことがなくて、
好きなことだとか、
音楽のこととか。
私はそういう友達は、
スウェーデンに行ったときに、
できて、
そうだったね。
だから、
それもあって、
気軽に話せる、
友人は貴重なんですよね。
私にとってはね。
今、
スウェーデンで育ったスイスの友達とか、
日本の
友人とかに、
話をしたりしますね。
そんな感じだから、
僕は現場の人って印象があったけど、
日本に帰ってくることを
今考えているんですね。
それは意外だなと思いました。
本当ですか。
放送合唱団とか、
国立合唱団とか、
そういうところにいると、
自分はいつまで、
こういう形で、
ここでやっていけるんだろうか。
やっていけるんだろうか。
私は、
ここで骨は埋めたくないなっていうのは、
ずっとあるんですよ。
なるほどね。
それよく、
英中に近い感じで、
向こうで働いている日本人の人が
よく言ってた、
老人ホーム、黒いパンを食べたくない。
本当に。
本当にそうですよ。
まだね、
そこまで先のことを考えなくてもいいじゃないかと。
ゆっくりゆっくりやっぱり、
なんだろうな、
ずっとラトビアで、
合唱の仕事と、
式の仕事だけを
ずっとやっていきたいかって言ったら、
42:01
正直そういうわけではないです。
そこにワクワクはあまり感じないので。
っていうのを考えると、
今のところは、
日本に来て、
今やっていることもすごく好きだし、
どちらかというと、
その経験を通しながら、
勇気を捨てるというか、
経験を置いて、
耕しているところ、
という感じですね。
なるほどね。
帰って来てくれる分にはすごい、
私たちはすごく、
日本に来て、
日本に来て、
日本に来て、
すごく楽しみなんですけど。
いろんなことができるだろうな。
うん。
それができると、
いいですね。
なんか、
別に、
何かを退治して、
置いていくわけじゃないけど、
多分日本の合唱の人たちの、
このフィールドっていうのが、
結構メインストリームの人が、
どういう活動をしているか、
結構あるじゃないですか。
それこそコンクールとか、
学校のやつとか、
いろいろあると思うんですけど、
そこで学んでみてきたものって、
結構それとは違う文化の中で、
合唱っていうやり方は同じだけど、
文化がすごい全然違う中で、
行われているものだったりして、
で、
それをこう、
自分で活かしたまま、
また日本に行ってくってなると、
そういうやり方もあるんだって、
周りの人が思うみたいな。
全然違うものの提案になったりする可能性も、
全然あるみたいな。
僕は個人的には、
そういうものがどんどん増えてほしいなって、
すごく思っていて。
そう、何か、
おそらく自分が戻った時に、
どういう感じになるかっていうと、
おそらくちょっと、
なんだろう、
木陰に入る感じになると思うんですよね。
木陰に帰る感じ?
うん。
木陰の方に行くという。
はい。
だから、おそらくそんなに大きいことは、
多分、
しないような気がしていて。
うんうんうん。
でもその代わりに、
もう少しこう、
生活に近いような感じというか、
うんうんうん。
だからすごく大きい何か、
コンクールで結果を出すとか、
大きなコンサートをバンとやるっていうよりは、
うんうんうん。
なるほどね。
そのイメージはあんまりなくて、
自分もそれをすごくしたいかって言ったら、
そうでもない。
うんうんうん。
なんかこう、
フラッと入って、
どうだろう、まだよく見えてないから、
なんとも言えないんですけど、
なんかその、こじんまりとした、
その会場で、
うん。
45:01
お客さんと近い感じで、
何かを、
声を使って、
うん。
何かをこう、
作るみたいな、
雰囲気を作るっていう。
うんうんうん。
物ができたら、
できそう。
そういうことをもうちょっとできるようになりたいな、
うんうんうん。
意義は絶対できそうだし、
それを面白がる仲間が、
なんと集まってくるんだろうなと思います。
うんうんうん。
なんかこう、
今こっちで得ているデパートリーだとかを、
うん。
コンサートのホールとかで、
やる機会もあるとすごくいいなっていうのは、
うん。
ありつつですね。
そうですね。
なんか最近少し、
コンサートホールで、
歌うというか、
うん。
コンサートホールで、
アカデミックな作品を、
うん。
アカデミックじゃないな、それに限らないな、
コンサートホールで合唱を歌うっていうことは、
うん。
少しこう、飽きたなみたいな、
あ、いいですね。
心が、正直はあるんです。
めっちゃいい話題、それ。
うん。
だからなんか今、
何だろう、コンサートとかを演奏するって、
うん。
何なんだろうっていうのが、
ずっとぼんやりある。
なるほどね。
めっちゃわかる。
ちょっとその実践、
活動、
ちょっとまた、
別の機会に来ました。
そうですね、そう。
最近こんな感じですね。
いいですね。
僕もそう、なんか歌いたいは消えないんだけど、
変なところで歌いたいになりつつあるなと思って、
なんか。
変なところで。
そう、変なところで歌いたいっていうのが
ずっとあるんですよね。
おー。
コンサートホールってさ、
なんかすごい、
いろんなものを受け止めるために、
こう、あれじゃないですか、
これ話し始めると話が長くなりすぎるけど、
コンサートホールって、
普通に、なんていうのかな、
いろんな音楽、いろんな音楽とか、
いろんな公演とかも含めて、
を受け止めるために、
ものすごく脱臭された、
で、整えられる感じじゃないですか。
うん。
だから、それこそ教会みたいなものと、
まずすでに全然違うっていうか、
違うね。
そうそう。
そこに声が置かれるって、なんだろうみたいな。
そう。
なんか、
これは、だから、なんていうのかな、
これは何万年前に出土した、
縄文のなんとかですね。
ビシー何年みたいな感じ。
で、
それを使って農業をしたいんだけどな、
みたいな、
48:01
気持ちとか。
すごい。
やってみましたね。
分かんないけど。
なんか、そんなこと思ったりもしてて。
そう、なんかこう、
しっくり来なくなってきてる、
みたいな感じが、
ですよ。
なんかまあ、
飛び上げそうな、
そういうコンサートホールで演奏する機会って、
歌うとかっていうのと比べたら、
多分、
少ないっていうのも、もしかしたら、
かもしれないですけど。
それもあるのかな。
なんかこう、整えられたあの箱で、
じゃあこのプログラム歌いますっていう。
うん。
のが、
なんかこう、
気持ちが乗っかりきれない。
それは多分まあ、自分のその状況とか、
自分の問題もあるかもしれないですけど。
最近多分そこにこう、
気持ちを持っていくのに、
ちょっとこう、
時間がかかると。
なるほどね。
うん。
っていうのがずっとありますね。
うん。
いや、ちょっと、
それこそでも今度来るというか、
コンサートホールで演奏されると思うんですけど、
はい。
だからなんか、
なんかのきっと意味づけがそこに必要になってくるのかな、
って思いますね。
話は詳しく。
そう。
こっちに来たら話をしよう。
それがまだまだ話せないといけないことがあるし、
今のテーマはね、
なんかみんなでしゃべりたいと思いますよね。
そうですね。
変なところで歌えませんかっていうタイトルで。
あとなんか、
たくさん。
たくさんだね。ここはもうたくさん。
もうすでに人生をしているたくさんのね。
小坂さんとかもいる。
ああ。
そうですね。
そんな話をしてきたら面白いかなと思いました。
いいですね。
それはまた後ほど。
ぜひ。
後ほどの機会でよろしくお願いします。
お願いします。
そんな感じでしゃべっていたら、
今録音の時間が1時間45分になってしまった。
すごい。
いっぱい100分もしゃべることができました。
ありがとうございます。
本当にありがとうございます。
特に今日着地点を考えていたわけじゃないんですけど、
やっぱりその篠ちゃんの、
今考えていることも含めて、
道行きを見ると、
ラトビアに行くのが、
自分の当たり前の人生の、
なんていうんですかね、
プラの中に、
それはぬるっと入る。
ぬるっと入っている。
多分あなた以外にあまりいないと思うんですけど、
日本人の中だと。
でもなんか、
それが本当にぬるっとなんだなっていうのが、
よくわかる。
会話だったなって思うのと、
そうするとこの後がどこに向かうのかも。
めちゃくちゃ楽しい。
楽しいなって思って。
本当にそうです。
うん。
51:00
なんかもう、
それこそ僕と谷さんの世代ぐらいから、
ヨーロッパでまた合唱式を、
勉強する人っていうのはちょこちょこ、
タダユイさんもそうだし、
濱田ひろしさんもそうだし、
増えていると思うので、
大野ちゃんのこともものすごい仲間だと思っているんですけど、
なんか全然違うぞって思ったのが、
今日はすごい。
その中でも。
結構、
特に今、
日本だと谷さんと濱田さんと片田さんと、
4人で一緒にセミナーやってて、
それぞれのカリキュラムがこうやって違うんだね、
ふーんって話をしてて。
でもなんかやっぱり、
普通にみんな合唱式者の活動もしている感じの中で、
まあ、小野ちゃんももちろん普通に合唱式者の活動もしたらいいと思うんですよね。
だけど、
なんかまた得意点の人が来るなって。
なんだろう。
わかんないけど。
なんだろうね、なんだろうね。
これはちょっと実際に来てもらわないとわからないので。
すごい楽しみだし、これからもずっと応援したいと思います。
何卒よろしくお願いします。
はい、ということで、
今日お話を伺った山崎篠さんですけど、
もう一度告知しますが、
7月27日の土曜日、
京都復活協会で
アンサンブルムジクスさんとの
そして8月10日土曜日、
これは船堀タワーホールでした?
はい、タワーホール。
船堀タワーホールで、
コーリスクラサスという、
山崎さんのために始まった
極楽小団でのラトベア音楽の
公演があります。
この面白い道を行っている
山崎さんの
実際の演奏を一緒に体験することができる
とても貴重な
日本での貴重な機会だと思いますので、
皆さんぜひ
この機会に
足をお運びいただければと思います。
演奏会の情報は
このポッドキャストから
どこか踊れるところに貼っておくので、
ご覧ください。
SNSなどでも宣伝が進んでいると思います。
ということで、
今日は山崎篠さんでした。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
53:16

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