1. 酒の道〜日本酒の聖地から〜
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2024-09-11 19:59

#6-2:ゲスト 日本舞踊家 花柳琴臣さん 22歳という若さで立ちはだかった壁/日本全国を走り回る琴臣さん/クイズ呑呑答えて!

【今週のテーマ】 

・22歳という若さで立ちはだかった壁 

・日本全国を走り回る琴臣さん 



日本酒の聖地からお届けする日本酒に関わる様々な人をゲストに呼んだ唎酒師によるトーク番組。様々な酒蔵の杜氏や唎酒師、日本酒を扱うお店の店主など日本酒に関わる様々な人をゲストに呼び、お酒にまつわるトークをしていきます。


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日本酒の聖地から
酒の道
こんにちは、パーソナリティの平田勝です。
この番組は、お酒にまつるゲストをお招きし、
お酒の道を歩むストーリー、お酒のあれこれを深掘りしていく番組です。
菊酒史を目指す佐紀さんと共にお送りします。
佐紀です。よろしくお願いします。
9月は祝日が2回もありますね。嬉しいです。
休みの日があるから、お仕事もなんとか頑張れます。
シルバーウィークですね。三輪球が続きますので。
最高です。
何か予定してるんですか?
旅行に行こうかなって考えてます。
どっち方面?
伊勢嶋の方に行こうかなと思ってて。
伊勢嶋まいり。
そうするとあそこら辺にもおいしい酒ぐらいいっぱいあるから。
行ってきます。
ということで、秋といえば芸術の秋ということでございます。
今回も特別回芸術編でお送りしてまいります。
ゲストは前回に引き続きまして、日本舞踊家の花江琴音さんにお越しいただいております。
どうぞよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
前回は琴音先生の幼少期から学生時代までについてお伺いしました。
今回は現在の道を目指すきっかけなどをお伺いしていければと思いますが、
前回のお話ではサンフランシスコ・ロサンゼルスのハイスクールで日本舞踊を披露したりだとか、
表現者として生きていきたいというきっかけになったお話をいろいろお伺いしましたが、
日本舞踊の道を本格的に進もうと思ったお話など、今回はお伺いできればと思っております。
よろしくお願いいたします。
ほぼほぼもうずっと、もう15、6歳から今の人生一本決めてたような。
そうですね。そういう意味で言ったらね。
すごいですよね。20代もずっと一生懸命お稽古なさって、
30歳くらいでも素晴らしい賞も取られてたりしてて。
あ、そうでした。
そうでした。文部科学大臣奨励賞とかも受賞なさっててね。
そうでした。
あれからもう十数年たちまして。
ここまでの道、20歳から今までの道なんかを今回お伺いできればと思うんですけれども。
なるほど。本当はね、大学、天下の東京芸術大学ってあるじゃないですか。
あそこ行きたかったんですよ。
あそこに日本舞踊のコースがありまして、そこを目指そうと思っていたんですけど。
したらですね、なんとなんと、突然親に反対されてですね。
父親ですけどね。お前はそれで一生食べていけるのかというようなことを問われまして。
それで、それは確かにね、就職と違いますからね。
そんな確証ないなと思っていたら、昭和肩木の人でしたからね。
男なんだからそんなね、食べていけなかったらダメじゃないかみたいなことを言われまして。
03:00
それがこう自分の中にあって、じゃあちょっと受験を諦めるかと思ってですね、諦めてですね。
それで専門学校に入って就職を目指すことになって、勉強したんですけど。
2年生の学校で1年勉強したんですよ。
したら、これで本当に一生。
食っていけるのかと。
食っていけるのかというよりは、一生、それこそね、私公務員学校に行ったんで、公務員試験を受けるための学校に行ったんですよ。
本当にこれで僕公務員になって、なんかいいのかなっていうのを思って。
それで母親にもちょっと相談して。
母はね、舞踊家もやってましたんでね、その時には。
だったらちょっと、もう一回説得してみたらと。父親は。
もう一回説得をしてみまして。
自分の本気具合もですね、話をしたら。
だったら10年間、20歳の時だったんで30までの間に1人前になれなかったら、もう絶対それは身にならないからやめなさいと。
それこそ就職するなりなんなりしなさい。
分かりましたっていう10年の約束をそこで。
契約ですよね。10年契約をしたわけです。
20歳でいわゆるプロデビューっていうようなことになって。
そうなってすぐにはもちろん食べていけないのでアルバイトしながら行ったんですけど。
アルバイトもただ闇雲にお金稼ぐだけじゃなくて、自分のスキルが上がるアルバイトしようっていうふうに思って。
それで東京ドームの横にホテルがありますよね。
あそこのホテルの募集があったんですよ。
ホテルだったらいいやと思って。しかもあれだけ大きいホテルだし。
そこでベルボーイをやったんですよ。
ロビーにいて荷物運んでお客様をお部屋までご案内してとか。
そんなのアルバイトであるんだと思ってですね。
確かに。社員の方がやるようなイメージっていうか、それこそホテルの顔みたいなところじゃないですか。
そうなんですよね。でもちゃんと研修も厳しかったですし、すごく指導も厳しかったんですけど。
マニュアルなんてこんな分厚いですね。
脳渡され、これをしっかり覚えてきてくださいみたいな。そんな感じでしたけど。
全部読みました?
一応読んだよ。一応読んだ。
あとはもうやりながら先輩がついてくれて、そこでも自分でこういろいろ覚えていってやって。
でもそこのアルバイトしているっていうのも、とっても人とのコミュニケーションだったりとか。
あとは外国人のお客様もいらっしゃるので、そこで英語とかで接客をすることとか。
あとは東京ドームっていう特性もあったので、野球選手が宿泊したり。
あとはコンサートがあれば、コンサートのお客さんが泊まるとか。客層がもう一年中全然違うんですよね。
なので、そういう意味でもとっても勉強になりましたね。人脈もできましたし、そういう意味でいきますと。
それはすごく良かったなというふうに思って。
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でもそんな中、20代前半でちょっとね、人生でいろいろ大変なことが。
そうなんです。俺がびっくりで、突然顔が膨らんできたんですよ。
風船みたいに。
本当にアンパンマンみたいに膨らんできちゃって。でも舞台も出たりとか仕事してたんですけど。
それがよくよく検査をしたら、胸の真ん中に5センチかける10センチの悪性腫瘍ができてたんですよ。
5センチかけるってなかなか。
本当野球ボール、テニスボールぐらい。
のが肺といわゆる肋骨の間に空間のところにベタっとできてる。
それでそこを通っている血管とかを、腸脈とかを潰してたから、いわゆる鬱血状態で顔がむくんでたらしくって。
それが22歳で。
でもすぐに治療して、築地のがんセンターってところに行ってですね、抗がん剤ってやつですよ。
あれでもうピャーっと。
でもそれ治ったんですよね。
抗がん剤が効いたんですね。
効いたの。
効かないかもって言われてたけど、効いたんですよ。
やっぱり22歳で死ぬかもしれないなんていうことが思いもよらないじゃないですか。
そこで突きつけられた時に、やっぱり自分自身は生きているんではなくて、生かされている命なんだっていうことだったりとか。
あと病院に毎週日曜日に、いろんなパフォーマーの方とかダンサーさんとか歌の方とかが異門に来てくれるんですよ。
ロビーコンサートみたいなのがあって。
そこに天敵からからしながら行ったわけですよ。
その時に見てて楽しくて、この10分間、15分間に自分が辛いこと忘れてるなってことに気づいたんですね。
その時にフッと自分が、これで治ったら人の辛さとかを忘れさせるような、そんな表現者、そんな舞踊家になりたい。
それを目指すんだってことが自分の中で、そこで使命みたいなものを感じた瞬間が22歳で。
22歳の頃、何してたかな。
何してました?22歳。
泳いでましたね。
必死に泳いでたな、一番。
さきさんのところは22歳って言ったの?
ついこの間だもんね。
ついこの間?そっか。
何してましたかね。私も就職したばっかりとかですね。
そういうタイミングですよ。
僕も仕事が、よっしゃこれからいろんな舞台出てきて、いろんなオファーも来て、やるぞっていう瞬間に、目の前に壁がドンって来たって感じ。
でもそれを乗り越えられて、今大活躍ということで。
それを乗り越えられて、今やりがいだなって感じる時とか、やってて楽しいなとか、よかったなとか思うことって、どんなことがございますか。
そうですね。今やっている仕事、今現在ですと、やっぱり自分が舞台に出ることだけではなくて、舞台作りのことだったりとか、学校に伺ったりとか、幅は広いんですけど、やっぱり最近はそうですね、子どもたちと接する時間がとっても多くて、
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小学校、中学校とか幼稚園、保育園に伺ってとか、その子たちがやっぱりこの日本の動き、星座することとか、お先生で踊ることとか、そういったことが楽しい、面白いとか、見てもらった時にも笑ってくれたり拍手してくれたりとかっていう、
なんかこの日本の文化ってこんなに楽しくて美しいものなんだっていうことが子どもに響いた瞬間っていうのが一番の今やりがいかなっていうふうに思ってますかね。
出演者だけじゃなくて演出もなさったりだとか、吹奏楽舞踊なんかもなさってるんですよね。
そうですね。私はそれこそ吹奏楽部に、例の高校時代にやっていて、その後その時の指揮者の先生が、文教区で楽団、いわゆる一般の方たちが吹奏楽をやるサークルみたいな。
そういうところに入ったんですよ。そこで3年間くらいやって、その中で一緒の楽団員の方がいて、その方に僕の夢があってねって言って、日本舞踊と吹奏楽を融合させたものをやっていきたいっていう話をしてたんですよ。
ある時その彼女から連絡が来て、そういえば昔こういう話されてましたよね。実は私今東京の高校の吹奏楽部の顧問やってるんです。うちの学校に来てくれませんかって話が来て。そこで吹奏楽と日本舞踊を合体させて、吹奏楽部の生徒が踊るんですよ。
生徒さんが踊るんですか。
そう。生徒さんの中から100人くらいいる部員の中から20人くらいオーディションで決めて、その子たちが演奏会とかにあると着物を着てメイクをして、仲間の演奏で踊るっていうのをやってですね。それが今の言葉で言ったらバズっちゃったんですよ。
業界でね。吹奏楽業界でね。
そう。吹奏楽業界でバズっちゃって。何なんだこれは。今まで合唱を一緒にやってみるとか、ダンスを一緒にやってみるとかはあったけども、これ舞踊とやるっていうのが画期的だってなってですね。それからもう私もこれをジャンルにしようと思って、吹奏楽舞踊という名前をつけて。今全国で5校ですね、取り組んでいただいてます。
だからもうちょっと連絡取ろうと思う。今どこにいるの?って言ったら京都とかね。
そうですね。
九州とか日田とか高山とか。
いろんなところで。
それこそ今度いらっしゃる伊勢の高校も行ってるんですよ。
そうなんですか。
そうなんですよ。
じゃあもしかしたらテクテク歩いてたら吹奏楽。
もしかしたらあるかな。
吹奏楽。
音が聞こえてきて。
学校の中から。
あ、そっか。
音は聞こえるかもしれない。
サキさんいいでしょ。
踊ってるかなみたいな。
この感じが本当に。
とってもいいですね。
ということはその中でも旅を仕事にしたいっていう話もちょっとアンケートに書いていただいてて。
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それがかなってるような形ですよね。
そうですね。私もやっぱりこう旅をするのが。
もともとやっぱり旅行とかももちろん好きだったんですけど。
やっぱりこう自然が多いところって春夏秋冬の四季を感じる場面って多いじゃないですか。
やっぱり東京生まれ東京育ちなので木々はあったとしてもやっぱりこの葉っぱの色が変わっていく様とか。
そういうのってやっぱり旅に行かないと感じられないので。
そういう意味で自分が表現者としても旅をしながらいろんな土地の自然を感じてっていうのを仕事にしたいなっていう夢をずっと守っていて。
それがもうやっと叶ってきたっていう感じかな。
実現してますよね。
そうですね。
ご自身で運転なさって日本中走り回ってますからね。
そうですね。
もちろん沖縄とかは行けないですけどこの間はでも九州も行きましたし東北も車で衣装を乗せたりとかスピーカーと照明乗せて向こうでライブやるとかそういうこととかねワークショップやるとかもあるので。
ちょっと今日時間あるなって思ったら自分でちょこちょこちょこって旅行じゃないけど参考車も回れたりとか。
そうなんですよ。
やっぱり自分の車で行くとそれこそ伊勢の学校に行ってちょっとこの日午前中からお昼過ぎまで時間があるなって言ったらじゃあそれで少しドライブして海の方に行ったりとか伊勢うどん食べようとか伊勢うどん食べに行くとかそういうことがやっぱりできるのでやっぱり楽しみですよね。
なんだけどいいところばっかりじゃないのがやっぱり仕事ですよね。
なんかいろいろ大変なことだったりとかこの職業での悩みとかなんかありますか。
最近感じるのは世の中の物価が上がってホテル代とかどんどん上がっていってるじゃないですか。
でもね私のギャラが全然上がんないですよ。
あとはそうですね7月8月も結構いろんなところで舞台させていただきましたけどすごい異常な暑さだったじゃないですか。
でもその割に野外ステージのイベントがあったりとかTシャツ1枚で踊らなきゃいかないんで私たちの衣装って基本的にやっぱりこう序盤を着たりとかでその上の着物も薄い夏物の生地は基本ダメなんですよ衣装って。
冬物の裏地がついているものでないとっていうのがある程度あるのでそうするとめちゃくちゃ暑い汗だくで踊るみたいなそういうところが大変かな。
女性の着付けをするとき腰ひもでこの脇あたりをギュッと締めると実は胸から上汗かきづらいとかね。
よくね舞妓さんとかがねなさってるって聞きますけどね私たちなかなかそういうことできないんでね。
巻いてみたら。
でもねあれやったことありますよあのね保冷剤をベストみたいになっててそれをこう着て。
今ありますよね赤ちゃん用でも入ってるああいうやつですね。
そうそれを熱中症対策で今売っててそれを着てっていうのはありましたけど。
でもやっぱりそうやって全国も旅しながらということはお酒もたくさん日本全国飲まれてますよね。
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そうですね私もですねやっぱりですね私のあの日本酒の師匠があの目の前にいる日向まさるという方がですね私の日本の酒の師匠でございまして。
やっぱり私もそんなに知識とかその味わい方とかもそこまで知らなかったんですけどやっぱりいろんなことを教えてもらってそれでだんだんと自分の中での好きなお酒とかその土地に行ってどんなお酒がいいですかって言われた時にちょっと答えられるようになってきましたね。
さすがですねだから逆にでもこの一本どこどこの蔵が好きですかって聞かれると逆にもう困りません?もう日本中あそこ行ったらここ飲みたいしとかこのお料理にはこういうお酒飲みたいなとか。
そうですね各県ごとに好きなお酒はなんかあるかもしれないそういうのは自分の中では。
でもお刺身はこれだったけど焼き魚はこっち頼もうかなとかね。
そうですねそれも楽しみですやっぱり。
多分私よりメイガラス飲んでるんじゃないかなって。
本当に東京にずっとでまあまあいろんなお酒買ってきますけどそれは非常に羨ましいなと思います。
そうですかありがとうございます。
ありがとうございます。
な感じでいろいろとありがとうございました。
今回は現在の道について歩むきっかけなどをお伺いしました。
お酒についてもちょこっとお伺いできてよかったかなと思います。
次回は琴海先生のおすすめの日本酒なんかについて聞いていきたいと思います。
今回もどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
さあここからは大人気クイズコーナー。
クイズどんどん答えて。
イエーイ。
このコーナーでは聞き酒師を目指す佐々木さんにお酒にまつわる問題に答えてもらいます。
リスナーの皆さんもぜひ一緒に考えていただければと思います。
今日も一緒に考えていきましょう。お願いします。
先週は見事大正解。
はいもう一発で正解出しちゃいました。
さすが。
さすがじゃない。
参りましょう。
全国で日本酒の酒蔵の数が一番多いのは新潟県ですが。
また出たですが。
2番目に多い都道府県はどこでしょうか。
これは今回は四択はなしですか。
四択にしてもいいんだけど。
いや一発で答えられるでしょう。
2番目に多いところですよね。
製造量じゃなくて酒蔵の件数。
正解は奈良県。
なんで奈良県って言ったの。今までの日本酒で奈良県ってお勉強した?
いや出てこなかった気がします。
全然出てこないよね。
風の森に引っ張られたかもしれない。
それ好きなだけだね。
18:00
奈良県の他の酒蔵いくつか知ってんの?
あとなんかあった気がするんですけど。
それはあるだろう。
あった気がするんだけど。
風の森さんが好きすぎるだけ。
風の森さんがあそこは実は多分日本国内でも水が高度が高い。
なんすい香水で香水で作ってる日本酒でだから味が深かったりしてるわけなんですね。
水が違うのか。
だから数を聞いてるのね。
今まで三大酒所とか色々やってて奈良県って出てきたことあった?
出てこなかったです。
俺びっくりしちゃってさ今さ。
私の好み。
好み聞いてないよね。
何このテキスト。
よく分かる日本酒。
ひっかけ問題だったのかな?
これひっかけてないんだ。
全然ひっかけてないんだ。
じゃあいきます。
正解は兵庫県。
正解!
ここまでいれば何とか分かるよね。
もう分かりました。
ここまでいれば分かればよかった。
この半年間何だったんだろうって。
今日もこの辺りいいですか?
ありがとうございます。
さて縁も竹縄でございますが、今日もこの辺りでお開きといたしましょう。
番組の感想はX、ハッシュタグで酒の道で検索してください。
それではまた次回。さよなら。
さよなら。
19:59

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