1. 酒の道〜日本酒の聖地から〜
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2024-04-10 16:15

#1-2 ゲスト:寺澤善実さん 酒造会社に就職、そして転機となったお台場での取り組みとは?

【今週のテーマ】 

・酒造会社に就職、そして転機となったお台場での取り組みとは?


日本酒の聖地からお届けする日本酒に関わる様々な人をゲストに呼んだ唎酒師によるトーク番組。様々な酒蔵の杜氏や唎酒師、日本酒を扱うお店の店主など日本酒に関わる様々な人をゲストに呼び、お酒にまつわるトークをしていきます。


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00:11
日本酒の聖地から
酒の道
こんにちは。パーソナリティの平田勝です。
この番組は、お酒にまつわるスペシャルゲストをお招きし、
お酒の道を歩むストーリー、お酒のあれこれを深掘っていく番組です。
利き酒師を目指す、佐紀さんと共にお送りします。
佐紀です。最近の嬉しかったことは、上野でやっていた格内フェスで、
利き酒体験の問題に全問正解したことです。
その時は何を飲んだんですか?
大銀条と純米酒、あと純米銀条の3種の利き酒でした。
それで、純米銀条は江戸会場だったんですよ。
江戸会場さんだったんですね。
今回のゲストに関わるので、なんだかタイムリーですね。
今回のゲストは前回に引き続きまして、大人気日本酒江戸会場を作っていらっしゃる
東日本港上蔵株式会社代表取締役トーズの寺沢芳美さんです。
どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回は寺沢さんに、お酒の道に進むきっかけ、就職するまでお聞きしました。
今週は酒造会社に入ってからのお話をいろいろ聞いていければと思います。
1979年、大手の酒造会社に入った寺沢さんですが、最初はどのようなお仕事をなさっていたんでしょうか。
そうですね、酒蔵といっても大きい酒蔵なんですね。
郷土の伏見のね。
だからある意味、お酒を作るというセクションの部分と、
あと管理したり、もしくは製品化したり、営業というのがどこに回されるかわからないんです。
ある意味、私が醸造関係の学校で出るというところで、
ちょうど寝がったりかなったりで醸造部という一番白米から
お酒を作るというところを担当させてもらったので、
だいたい小さい酒蔵というのは1日でいろんな工程を全部見渡せるので、
経験できるんですけどね。
でも大手メーカーというのは1つのセクションがすごく広いので、
だいたい1つを担当すると3年ぐらい。
だから全工程をやってもやっぱり10年から15年以内と、
そこの全体の流れというのはわからないです。
そういう部分があるので、ある意味3年で1人前になったりはしないです。
そちらの奥良さんは年間の極高ってどれぐらい作ってらっしゃるんでしょうかね。
ちょうどね、私が一番覚えてて多いのは26万極ぐらいです。
26万極だと一升瓶で2億本ぐらいかな。
そうですね。
2億6千万本ぐらいですよね。
03:00
2億6千万本も佐紀さんお酒飲んだらどうなっちゃうでしょうかね。
飲めんの?
飲めんの?想像もつかないんですけど。
そんな中で、まずはそこに20年ぐらいいらっしゃったと伺ってるんですけど、
その中で一番、この仕事が楽しかったな、でもこれは辛かったな、
どんなことがありましたでしょう。
逆にね、仕事っていうのを自分の生活をするための一部であって、
何かと言ったらあんまり真面目にそこに取り組む形じゃなかった。
真面目じゃなかった。
何かと言ったら仕事の他の良さがすごく充実させてたというか。
だからスポーツとか、あとざっと言うとね、ボディビル、体育館、ゴルフ、テニス、自転車。
自転車の中でもマウンテンバイクとかロードレース。
この辺はもう年間でレースやってましたし、あとスキーも大好き。
これをやろうと思うと。
仕事を真面目にやってる時間がないんだよね。
朝はだいたい5時くらいから起きて、まず琵琶湖大橋まで行って、
帰ってきてから仕事なんです。
えー。
琵琶湖大橋まで。
滋賀県まで行ってるから。
自転車。
2時間くらいトレーニングして。
年間でね、だいたい自転車にハマってた時には1万5千キロくらいは走ってました。
雨がありますからね。
だからだいたい朝5、60キロ走って、5時に終わってすぐもうレーシングスーツに着替えて、
しがらきとかね。
下手すれば三重県まで行ってましたからね。
えー。
すごい。
もう仕事は仕事として、こなしてって言ったらあれですけど、
なりわいとしてやって、その後のこっちの方が忙しかったです。
充実してますね。
すごいですね。
自転車で50キロ走ってからお仕事ですよね。
そんな体力私残ってないですよ。
それ毎日やればね。
だんだん出来上がってるよね。
そうなんですか。
レースやってたんでね、どんな結果を出すかっていうところをすごい目指してたんでね。
かなりどっぷり入ってましたね。
何でも追求するととことんやられる性格をお持ちなのかなっていう。
だからこんだけ美味しいお酒を毎回毎回我々に提供してくださるというところで。
すごい納得しました。
そこで20年ぐらいいらっしゃったんですよね。
そうです。職人には私になろうと思ってないんですよ。
何かって言うたら背中を見て学びなさいみたいな。
聞いても教えてあげないみたいなのが職人さんで、
技術者っていうのはどちらかと言えば自分が今やってるところを細かくエビデンスをお話しできて、
その技法もしくは理由を説明できる方法、それが技術者だと思うんですよ。
06:01
どっちかと言えば私は技術者になりたくてやってますね。
そんな中で最近それが変わってきてるということですよね、本当に。
そうですね。
この数十年の間に日本酒業界ってかなり変わりましたね。
美味しくなってるんです。
美味しくなってるんですけど、今回取り組みさせていただいたみたいな個性あるものっていうのがなかなか世の中に無くなってて、
特に東京で仮にキキ酒とかお味見していただいたら分かるように、北海道のお酒であろうが九州のお酒であろうが全部同じなんですよ。
それはやっぱり工場であったりそれが単一してしまってたり。
例えば僕も居酒屋やってるのでお客さんにどこどこのお酒だからどこどこくださいとか、
逆にマスターどこのお酒好きですか、どこの県のお酒好きですかって言われるんですけど、
例えば新潟県のお酒が丹麗から口だって言っても高千代さんみたいにすげえフルーティーなお酒もありますし、
だからどこの県というよりは僕店でも話すんですけど、
今実道で1000車ぐらい、1000クラぐらい動いてるんだけど、
例えば車もホンダ、トヨタ、日産みたいのがあるがそれぞれコンセプト会社ごと違うから、
多分1000車コンセプト違うお酒があるんじゃないかっていう話はしたりはするので、
でもそれが元々は多分昔の当時システムで地方ごとの当時の作り方があったと思うんですけど、
今それ逆にみんな農大来たりだとか専門学校行ったりとかで、
逆に技術が確立はされちゃってるけど、だからそういったもんでは地方特有よりはその人が習ってきた部分ののが強くなってたりもしますもんね。
そうですね。あとね、歴史的にはね、やっぱり大きく変化したっていうのは、
製米機が立て型製米機っていうのができたのと、
あとは自動圧削機っていう部分ができたから、
今私がいた製米機みたいな大きく作ることができたんですよね。
そういう部分が技術開発できなかったら、正直言って今のようなおいしくて安くていうようなものは今にも伝わってないですね。
なるほど。だから改めて聞きますと、とても大きな変化が起きているということで、
寺沢さんは20年京都で働いた後、東京に転勤なさってきたんですよね。
そうですそうです。ちょうど東京に来たのが、ご存知の富士テレビさんの前のお台場。
あちらに台場醸造所っていうのを、先ほどの某大手メーカーさんが作られて、
そこの中で50人兵兵の中に醸造所を作って、隣に80席ぐらいの京料理のレストラン、
それと京都の物産店のようなショップを設けて、それでその3部門構成で2000年に出来上がったんですけどね。
だからそれが今のまさに港醸造さんの原型という、小規模醸造のプロフェッショナルになる。
09:07
始まりです。真剣にお酒を作り始めた。
確かに。
京都時代は飯の種として朝から洗米したりだとか、工事の分を見たら工事振ったりだとかってことなさってたんだけれども、
真面目に働き出したのは21世紀になってから。
その間10年間いろんなことがあったと思う。どんな感じだったんでしょう。お台場での仕事は。
そうですね。10年間というのはね、一番初めはどんどんお客さんが来て、本当に作って作ってっていうような部分があったんですよ。
ただ東京の方ってよくお分かりだと思うんですけど、お台場っていうのは修学旅行生が仮に平日いらっしゃって、
土曜日、日曜日とか、あとゴールデンウィーク、もしくは夏休みっていうところに家族連れの車でお越しになるんですよ。
そこで美味しいお酒を作っててもどうしてもやっぱりマーケットがずれてると。
それともう一個は時代背景がまだクラフトの小さい酒蔵っていう部分をあまり必要とされてない感じがありましたね。
だからいろんな海外の方は興味を持たれたりするんですけど、
じゃあ実際そこをビジネスとして事業化することにおいてはちょっと時代背景的に早すぎた感じがします。
10年早かったかもしれないですね。
バブル後もうダダダダダと右肩下がりな日本酒の時代があって、その頃逆に焼酎ブームですよね。
逆にもう日本酒大逆風の頃ですもんね。
クラフトビールの会社もそんなにないから、すごい時代でしたね。
逆にそこが良かったんです。
それは次回にお待ちください。
ありがとうございました。
貴重なお話今回もどうもありがとうございました。
それではいよいよ次週、寺沢さんが港醸造を作るきっかけになったお話を聞きたいと思います。
寺沢さんまた次週もよろしくお願いします。
はい、お願いいたします。
ありがとうございました。
さあここからはコーナーにまいります。
クイズどんどん答えて!
ということで前回も言いましたけど、クイズどんどんっていうコーナーなんですね。
台本を見るとどんどんが飲む飲むになってですね。
夜中の飲みながら9時くらいに佐紀さんがつけたコーナータイトルなんですけれども。
そうですよね。
これはと思って。
振ってきたんだね。
飲みながら考えてたんですけど。
これを台本に書ける勇気は私にはございません。
ということでこのコーナーは、日酒賞を目指す佐紀さんに穂先にまつわる問題を答えてもらいます。
リスナーの皆さんもぜひ一緒に考えてみてください。
何の問題ですか?
12:00
問題はこちら。
教会公募って聞いたことあります?
あります。
実はその教会公募を発売している日本醸造教会は、ここ北区大津駅前の滝の川1丁目にあるんですけれども。
その教会公募の中でも大人気な教会9号公募っていうのがあるんですが。
もともと何県の蔵元の蔵付公募だったでしょうか?
スイッチングタイムスタート!
ちょっと難しすぎませんか?
これ結構日本酒好きだったら当然ね。
本当ですか?
これ分かってないよね。
しかも何県の蔵元ですよね?
県まででもいいよ。
本当ですか?
え?なんかでも聞いたことあるな。
山田錦とか使ってる系の蔵元さんですよね?
違うかな?
10秒前。
山田錦といえば兵庫?なので兵庫。
ブブー。
違った。
正解は熊本県の香炉というお酒を使ってる蔵元さんの公募。
香炉?
香るにつゆと書いてある香炉というお酒があるんですけど。
熊本公募とも呼んだりするんですけど、すごいフルーティーで華やかな香りがして。
これが流行りだしたのが約30年くらい前で。
ある時期に山田錦を35%に磨いて熊本公募で加盟したお酒は大体全国新酒館評価で金賞を取れるよっていうテクニックがYK35っていう。
それは聞いたことありました。
Yが山田錦。だから素晴らしいね。山田錦使ってるお酒ですよねって。
やっぱちょっと色々勉強してるんだなっていうのは。
そうですね。
YK35っていう商品をなぜか新潟の佐渡の蔵が出してたりするので、それよりは今もっともっと均一で同じ味を作るというよりは各社いろんな工夫をしてそれぞれ特徴あるお酒を作ってるので、そういうのを楽しめる時代になったんじゃないかなって思っております。
確かに。今本当に日本酒どんどん美味しくなってる気がします。
どこの日本酒飲んでも飲みやすい飲みやすいみたいな感じでグイグイグイグイいっちゃうので。
お酒飲み始めて数年ですよね。
そうです。
50年くらい酒飲んでるみたいなコメントですけど大丈夫ですか?
大丈夫です。
人生何回目ですか?
人生たぶんまだ1回目くらいだと思うんですけど。
15:01
1回目だと僕の目の前にいる佐紀さん思うんですけど。
20代です。
間違いないですよね。
お母さんのお腹にいる頃からずっとそれが日本酒が栄養だったみたいな。大丈夫?
大丈夫だと思います。
今日も面白い問題でした。勉強になりました。ありがとうございます。
ありがとうございます。さて縁も竹縄ですが、今日もこの辺りでお開きにしましょう。
番組の感想はXで、ハッシュタグ酒の道で検索してください。
それではまた来週。さようなら。
さようなら。
16:15

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