というわけで、今日は犯罪学シリーズのサブカルチャー理論について話すんですけど、
メインで持ち上げられているものと違ったところで、特殊能力を発揮する人のお話をします。
丸ちゃん教授の罪な話。市民のための犯罪学。
刑事政策犯罪学を専門とする立証大学教授で、一般社団法人刑事司法未来の丸山康裕です。
同じく刑事司法未来の山口由紀です。
このトーク番組は、一般社団法人刑事司法未来が送る、これまでとは異なった視点から、罪と罰を考えるものです。
ニュースでは聞けない犯罪学刑事政策の話について、分かりやすく解説をしていきます。
お堅いテーマですが、なるべく親しみやすい形でお伝えできればと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そういうわけで、今日はサブカルチャー理論の話をするんですけど、
そもそもですよ、サブカルチャーの理論を言う前にね、犯罪学とかでいうサブカルチャー論を言う前に、
サブカルチャーなんやっていうところからいかないと、これって理解しづらいと思うんですけど、
いわゆるサブカルチャーっていうと、どんなことを想像します?
サブカルチャーっていう言葉だけからは、アニメとか、プラモデルみたいな、そういうのを思い浮かべます。
確かに、これ時代かもね。今、もしかしたらサブカルチャーっていう言葉自体をあんまり言わないというか、
それこそ昔さ、みんな休み時間になれば、運動場出てって、ドッチボールするぜとか、サッカーするぜとか、わーって言ってるときに、
部屋に残って漫画書くとか、そういう大多数がやってんのと違う。
だから、かえってみんなでファミコンするぜとか、ゲームボーイするぜとか、ちょっと時代出すぎたな、BSするぜとか、スイッチするぜとか、
で、プラモデルやってるよとか、アニメ見てるよっていうのが、王道から言うとサブカルチャー的な、
違う集団のマイノリティみたいな意味で、そういうふうな使われ方してたんでしょうけど、
最近でも、普通に自己紹介でもさ、アニメ大好きですとか、昔から別にそんなとこに偏見も何もないけど、
昔よりなんかすごく自己紹介で言いやすくなってると思います。
はい、思います。私も結構アニメとか見るんですけど、確かに昔小学生の頃とかって、マニアックなアニメとか好きだったら、
ジュウレンジャーっていう戦隊もの好きだったんですけど、なんかちょっとそれ好きっていうのは恥ずかしいなって思ったりとかしてて、
ジェンダー的なもんです、それは。
いや、なんか、
年齢的なもんです。
年齢的、2年生ぐらいの時で弟が3つ下にいて、一緒に見ててめっちゃ好きだったんですけど、なんか言いづらい感じがあって、
言ったんですけど、今は私ジュウレンジャー好きですとかめっちゃ言いますし、
言えるよね。
その感覚はすごいわかります。
そんな感じで、みんなが今大多数がこっちが好きなんだけど、その時はこっちが好きだったんですよみたいな例ってあります?
この番組でもたびたびちょっと言わせていただいてる、私は踊る大捜査船が大好きで、
で、たぶん踊る大捜査船って見た時に、青島くんとか、スミレさんとか、いわゆるメインで出られてる方、皆さん好きっていうかと思うんですけど、
私はスリーアミーゴスの中でも尾野竹彦さんやってる刑事課長が大好きで、
やっぱ周りからなんでそこ好きな?みたいなことを言われたりしたのがあります。
確かに。尾野さんってどの人?
尾野さんはちょっとぷくっとした。
みんなしてるやん。
みんなメガネかけてますよね。
真ん中ぐらいの位置の人?
あの3人だと一番下なんですよ、立場。
署長を副署長。署長が北村さんって方で、副署長が斉藤さんって方がされてて、一番青島くんと同じフロアにいる方が刑事課長で、尾野さん。
その尾野さんか。なるほど。確かに一番ちょっと人間見あふれるというか、
そうだね。枠さんに気使いながらも、署長にも気使いながらみたいな。スリーアミーゴの中でも中間にいて大変そうな人ね。
大好きで、周りからはなんで尾野さんとか言われてて、私は尾野さんが好きなので。
俳優さんがっていうよりあの役柄がってことでしょ?
あの役柄も好きで、もともと尾野さんも好きで、愛おじさんが好きだったんですね。子供の頃なんか可愛らしいキャラクターみたいな感じで。
なのでちょっと周りからは理解得られなかったんですが、ひそかに毎回映画になっても今も尾野さんが大好きです。
今日はこのままサブカルチャーの話聞いてるだけだと、そういった他の人とはちょっと違ったんですよって話で終わっちゃうんだけど。
少し社会学チックな話をちょっとしていくんですけど、どんな社会にもいろんな人からできる集団ってあるんですよね。
例えば年齢別に分けたりとか、性別に分かれたりとか、職業別で分かれたりとか、いろんな集団がありますよね。
さらにそれを細かく階集団に分けていけるんですよ。上位階って言うけど別に優劣決めているわけじゃなくて、大集団から見たらさらに細かいやつ。
例えば学生の中にも男子学生女子学生、もっと今で言ったらジェンダー的になってて、さらに細かく分かれていくとか、
職業でも体力勝負の職業の中でも、例えば長距離トラックでとか工事の人で、さらに工事の人の中でも何々を作る人で、どんどん階に分かれていきますよね。
そういう階集団のことをサブカルチャー、階集団が持つ文化、カルチャーって言ってるから、その階集団が独特に持ってる文化のことをサブカルチャーって言うんですけど、
僕らが生きている社会の中で何か行為を成し遂げる時、何か問題解決を毎日してるんですよね。
例えば今日出してもらったお茶飲みますかとか、飲むか飲まないか。今日どんな服着るかとか、着る着ないとか、着ないはないけどこの服着ようかとか、
その問題問題っていうのがあらゆる人の目の前に来て、さらにそれを問題解決をしていくんだけど、
ものすごく緊張が高まる決定と高まらない決定があるんですよ。
で、社会学的にはそういう問題解決のまで問題になるのは何かというと、客観的状況はほぼ一緒なんだけど、
その客観的状況をどう解決するかって時に、その集団ごとによって実は分かれることがある。
例えばですよ、森の中で迷って何日もご飯食べてないなという時に、むっちゃお腹減ってんけどどうしようかなと思った時にね、
その現地の人たちはジャングルを歩いてたとするじゃないですか。
むっちゃお腹減ったどうしようってなった時に、この木の裏にでっかい芋虫いますよってやったーって言われても、
イエーイって言える人と空腹で芋虫いたっていう客観的状況は全員一緒なんですよ。
だけどそれをやった食料だわーって言える人と、いやちょっと芋虫はちょっとという人がいるわけ。
客観的状況も抱えている問題も変わらないんだけど、その状況をどういうふうに捉えるか、
解決手段としてそれを取る取らないという時に分かれてくるんですね。
そういう容易に解決できない緊張とか、いろいろ社会の中での劣等感とか、
その問題に対処する時に、それをどういうふうに客観的に対処するかってところで結構変わってくる。
その時にさ、社会学的に言うのはそれを投影して合理化して置き換えするんだとか、
ちょっと細かいこと言い出すと難しい話になってきたんだけど、
どうしてもそれが達成できない時に、自分で変に納得する時があるんですよね。
例えばよ、お腹減っててすごい気の高いところに、
実がなっとるけどあれ取れへんなっていう時に、
いや仮に取れても、これ投影ね、あの実は酸っぱいに違いないなとか、
多分あれ酸っぱいじゃん、だってまだ硬そうだし。
だから食べない方がいいな、これが置き換えね。
みたいにその人の中で問題があって客観的事実は一緒なんだけど、
その解決方法が違うとか、自分はこれでいいんじゃないみたいな置き換えとか投影みたいなのが行われていくんですね。
で、それも客観的状況でさっきの回収談ごとに細かく分かれるやんっていうことが出てくるのよ。
例えば、女性であるがゆえに直面する問題があったりとか、
中学3年生だから悩む問題とか、
同一集団の中でもそれがさらに回収談になっていけばいくほど、
これが問題になったりならない。
例えば、もうちょっと分かりやすく言うと、
歳とってきて体力落ちてきたなーって時に、60から65になってきた時に、
肉体労働でバリバリ稼いでた人と、内会として働いてる人の65歳って全然持ってる意味異なってくるわけじゃないですか。
っていう時に、それをどういう風に解決するかって時に、
その回収談だけで認められてる方法とかがあるわけね。
で、これがなかなかめんどくさいことになってくる時がある。
それが例えばよ、マジョリティが、
それは良い行動だねっていう解決方法の時もあれば、
圧倒的マジョリティから支持されてない行動の時もあるわけですね。
で、これを行う時に逸脱行動になって、
社会病理な行動になって犯罪って認定されるんじゃないかみたいなことを、
後援っていう人が語り出した。
ということは、さっきの冒頭で私、反復横跳びが得意だったって言ったんですけど、
マジョリティが反復横跳びを称賛して、すごい競技だって思ってたら、
私はもしかすると反復横跳びでオリンピックに出てたかもしれないっていう。
そうですよ。まさにそうで、これちょっと犯罪からちょっと離れて話していきますけど、
マジョリティが決めてるルールがあって、それに我々は従ってるだけであってよ。
例えば今はさ、100メートル走るの速い人が短距離速いとか、
200メートル走るの速い人が短距離速いとか言ってるけど、
これがさ、423メートルとか、718.5メートルとか、
全然それをドンピシャで走る人ってちょっと変わってくるかもしれないじゃん。
とかね、それはまだ走る距離の話言ってるけど、
例えば泥水の中を半分つかりながら走る人が短距離速い人とか、
これ多分基準が変わっていくし速い人も変わるよね。
みたいに、もっと言うと、これよく学生に言うと、
あーなるほどなってなってくるんだけど、
自分自身もこれで助かった部分がある話をすると、
例えば勉強できる人できない人っていうのを、
科目決まってますよね。僕らがよく知ってる英語とか国語とか社会とか数学理科。
って言ってるけどこれ、この学問できたら勉強できたことにしようってマジョリティが決めてるだけだし、
さらに言うとですよ、英語ができたことにしようも、
この単語の意味言えたらそうしようとか、
ザッとが何にかかってるか言えたら英語は読めたことにしようとか、
現代文とかもこの言葉のそれって何かを言えたら現代文が読めたことにしようとか、
小説とかね、本当は書いてる人そんな気持ちじゃないかもしれないけど、
作者の気持ちを応えれたら国語を読めたことにしよう。
それも何か決められてる基準なんですよ。
で、さっきの山口さんが冒頭で言ってくれたみたいに、
走んのとかボール投げとかは別に普通のレベルだったけど、
さてここで、犯罪学をもっと身近に感じてもらうために、
犯罪学の観点からエンタメを見ていきたいと思います。
今日おすすめの映画は、リトルダンサーです。
リトルダンサーは、1980年代イギリスの炭鉱町を舞台に、
バレーダンサーを目指す少年の奮闘と家族の絆を描いた青春ドラマです。
炭鉱労働者の父の命令で、ボクシング教室に通わされている11歳の少年ビリー。
ある日偶然目にしたバレー教室のレッスンに興味を抱えた彼は、
子供たちに混じってレッスンに参加するようになります。
バレーの先生はビリーにダンサーとしての才能を見出し、
彼女の熱心な指導の下でビリーはめきめきと上達していきます。
ビリーの成長とともに、炭鉱での労働葬儀が描かれていたり、
世界的バレーダンサーのアダム・クーパーが特別出演していたりと見どころがたくさんある映画です。
このリトルダンサー、超いい映画なんですけど、ご覧になられていませんので、
近日、自由に見ましょうか。
これすごくいい映画で、
例えば海外に行く時とか飛行機で最新映画がバンバン出てきても、
リトルダンサーあったらまずそれ見るんですよ。
ぐらいテンション上げていくのに超いいし、
これは個人的な好みの話なんだけど、
なんで今日紹介したかというと、
労働者階級は労働者階級の中での価値観があって、
みんなこういう炭鉱で働くのが当たり前で、
男らしさを求める。
父はボクシングならはするんだけど、
でもこの主人公自体は、ビリーは、
自分はそういうことをやりたいんじゃなくて、
踊っている、しかもクラシックバレーのようなダンスをしている動きに憧れて、
そのジェンダー的なものが出てくるし、
親友もそういうジェンダーのいろんなことを抱えて悩んでいる友達も出てくるし、
そこから炭鉱のところからロンドンに出てて、
ロイヤルバレーダーみたいなところで挑戦するんだみたいな、
ジェンダーも超えるし、
ワーキングクラス、ミドルクラスも超えてみたいな、
いろんなギャップを感じさせて乗り越えていくみたいな映画なので、
ぜひ見てほしいと。
丸山先生に解説してほしいエンタメ作品がありましたら、
番組詳細欄にあるリンクよりご投稿ください。
さて、この番組では感想や質問、リクエストなどをお待ちしております。
番組詳細欄にあるリンクよりお気軽にご投稿ください。
Xではカタカナでハッシュタグ罪な話をつけてポストしてください。
ここでメッセージをご紹介します。
Xより大輝さんよりいただきました。
アノミー論をテーマにすると社会学や心理学、
教育学、法学や政治学などの多領域に関連しますね。
最初はアノミー論ってなんやねんと思いました。
学際的に領域を越えて事象を捉えていくのは面白いですね。
レオ様は年を重ねるごとに魅力が増してどんどん好きになってます。
最後の一撃がちょっとパワーワードすぎて、
ここにちょっと南口さんが乱入できないのもちょっと悲しく思いますけども、
一つ実は法学じゃないっていう話なのかもしれないけど、
そっちに関連したりとかってこういうふうなつながるような話として受け取ってもらうととても嬉しいですね。
ぜひどんどんいろんな方にコメントいただければこうやって紹介していきたいのでどんどんください。
お願いします。
毎月第3火曜日夜9時30分からXのスペースで
罪な話で裏話を開催しています。
ポッドキャストで話しきれなかった内容やスペースに参加してくださった皆さんの質問にお答えしています。
こちらのご参加もお待ちしております。
また私が所属する一般社団法人刑事司法未来でも犯罪学や刑事政策について発信しています。
刑事司法未来で検索してみてください。
それではまたお会いしましょう。
お相手は丸山康博と山口由紀でした。