1. TRAIL HEAD
  2. #2 鏑木毅:「2007年5月27日・..
2024-04-12 1:14:16

#2 鏑木毅:「2007年5月27日・箱根」

かつて一度だけ開催された伝説のトレイルランニングレースがありました。

「エンデュランスランOSJ箱根50k」。

このレースの時はまだ僕と鏑木さんはお互いを知らないのですが、この伝説のレースを経て鏑木さんはこのレースの副賞だった「UTMB」に出会いプロトレイルランナーに、僕は伊豆でのトレイルランニングを構想する事になります。

この日がなければ、プロトレイルランナー・鏑木毅も伊豆トレイルジャーニーも存在しないし、Mt.FUJI100もおそらくなかった。

鏑木さんと僕のトレイルヘッド。

是非お聞きください。

by ちばちゃん

Host: Tatsuo Chiba @tatsuo_chiba, Marco Lui @marcolui

Guest: Tsuyoshi Kaburaki @tsuyoshikaburaki

Sound Editor: Kensuke Koshijima @boy_genius_afrp


00:03
僕は今55歳、今年も56歳になる年なんですよね。
まずね、60歳、歓歴っていうのを一つ大きな何かしたいなっていう、
それはすっごい考えてますね。
そこの自分のトレラン感をいつまでも保っている体でいたいっていう、果てしなく。
っていうのは、60歳をたとえ超えても、
でも多分それができなくなったら、トレランが面白くなくなる時だと思うんで。
トレランが面白くないのに、無理して無理して山に行く気はもう元ないんで。
それを延々に死ぬまでできるか、理想で言えば死ぬまで、
自分の理想のトレランのこの斜面はあるからに行けるっていうのを追求したい。
トレイルヘッドへようこそ。
トレイルヘッドはトレイルランニングコミュニティで活躍するキーパーソンに、
なぜ走り始めたのか、何のために走り続けているのか、
そしてこれからどこへ向かって走っていくのか、
彼らの走る原点である登山口を探るポッドキャストです。
ホストは僕、香港出身、日本在住のマルコと、伊豆在住の千葉ちゃんでお送りします。
はい、今回のゲストは誰でしたっけ?
それはもう日本のレジェンドランナー、株高強い人。
僕は何年ぶりだろう?何年ぶりでもないか。
10年くらい前、一回千葉ちゃんとして川上さんにインタビューしたことあるけど、
香港のメディアのために。今回会ったのは12月のイズ・トリュー・ジャニーズぶりだね。
ゴー・フィニッシュで彼に挨拶しました。
僕は本当にトフジ100とかイズ・トリュー・ジャニーズとかで、
本当に10年以上一緒にやっている恩人というか、
彼がいなかったら今の僕はいないみたいな感じなので、
そんな話も少しできたらなみたいな感じもあるけど、
ぜひ聞いてみてください。
みんな知ってるけどね、ちょっと違った話が聞けるといいよね。
われわれになるので。
僕は意外と、川上さんから見てた千葉さん、
千葉ちゃんとの出会いの時の印象だったりとか、
すごい新しい情報ではあると思うから、他の人にも。
そこは楽しんでほしいんだね、みんなに。
そうだね。
はい、じゃあこんな感じでよろしくお願いします。
はい、お願いします。
ちょっと前の話で、僕の大学からいろんな仕事をしてきて、
03:01
失敗をしてきながら今があってみたいな感じで、
白石さんの世界一ヨットレースに参加してみたいなとこで、
そこで知り合った神田美知子さんに川上さんをご紹介いただいて、
会うって2010年の9月のところまで来てるんだけど、
実は神田美知子さんと無意識に一番初めに会ってるのは、
2007年の箱根50Kなんだよね。
その時は実は神田美知子さんのことは知らなくて、
その時はアドベンチャーレースやってたから、
ノースペースのスポンサーだった田中雅人さんが出るっていう話で、
田中雅人さんって派節内の体育館の優勝者なんだけど、
が出るって言ってて、それがアドベンチャーレースのレースディレクターだったから、
どんなものか見に行こうっていうことで、箱根美知子さんに行ったんだよね。
そん時はスポーツビーズでしょ?
スポーツビーズですね。
これ始まってるもん。
始まってる。
その時に、トランプ競技時間長いんで52キロなんで、
スタートを見て、確か大枠谷とかロープへ乗って、
そろそろ着いたかなと思って、
彫刻の森美術館に行ったらガヤガヤだったんだけど、
トップはもう走り終わっててもういないみたいな話になってたんだよね。
で、それが神楽さんだったっていう。
神楽さん実際は見てないんだけど、
いや、もう着いたらトップは終わってもう到着しちゃってるよって話だったんですよ。
伝説のレースだよね。
あのレースが日本のトレランニングを変えたっていうくらい。
あれが本当に潮目だったよね。
潮目のトレランニングは歴史の中でいろいろあるけど、
まず一発目は2007年の箱根50K。
で、千葉さんはでもあの時、あれ見てトレランニングの未来を感じて、
いつでももっといいのできるよねって思ったっていうとこで。
それがすごいなと思って。
僕もだからそれが、僕にとってはすごい印象的なレースで、
僕はもうフジトラン京都とか柱根とか、結構いろいろなレースをやり尽くして、
もうあの時も38歳だったんで、もう現役辞めようかっていう。
レースみたいなスタイル、トレラン好きなんだけど、レースみたいなことはもう辞めようって思って、
で、あのレースで勝って、その副賞が有点B。
そこから人生が変わって。
いやいやもう辞めるところか、さらにもうギアを5段階ぐらい上げてみたいな感じであって。
それがすごく大きくて。
で、次に千葉さんがあったんだから、その後に僕が2009年が。
で、2008年に4位なっていう点Bで4位で、9年で3位で、
06:01
で、その後2010年で神田さんの。
神田さんって分かんないよね。
神田美智子さん、シャモニーに出してるコーディネーターの方。
カリスマっていうか、安さっていうか。
日本人みんなが面倒見てもらってる人たちっていうね。
神田安さんと神田美智子さんっていうご夫婦。
山っていうか、あの辺界隈の人だって誰でも知ってるみたいな神田夫妻から紹介してもらった。
あ、そうかそういうことなんだ。
この前で話してたのは、実は失敗だばっかなんですよ。
世界一中央トレースの時に神田さんにいろいろ面倒見てもらったんだけど、
実は英語喋れる人が一緒にいると思ったけど、
蓋開けたらその人が辞めるから僕が入るってことで、
右も左もわかんなくて何もできないみたいな、自分の中ですごく挫折感があって、
結果は2位だったんだけど、やっぱ我々スポーツマネジメント会社なんで、
しっかり事業として利益出さなきゃいけないっていうのは失敗をして、
メインスポンサーも紛失決算で倒産してしまって、
次の見込みも全然認めないような感じだったんで、
自分の中ではすごく何もできなかったなっていうところがあって、
神田さん自体もよく見てるわけじゃないですか。
全然知らなかったはずなんで、
多分こいつ使えない男だなって思ってたんだろうなって思ってたんだけど、
僕のことを紹介してくれたっていうのが何であったんだろうなって。
そうだね。
ごめんなさい。
あの時はマネジメントみたいなのは夫婦で、僕の妻と2人でやってて、
ある意味限界っていうか、先が見えなかった中で、
道子さんが、
神田さん、スポーツマネジメントのいい人を紹介するわよみたいな感じで、
言って紹介してくれたのが千葉さん。
千葉さんね。
で、どんな人なんだろうって。
最初に会ったのはどこだったんですかね。
銀座です。スポーツビジネスに来てくれて、
で、奥さんと一緒に会議室で。
会議室で会ったのか。
そうか、初めて会った。
そっかそっか。
僕の印象は、なんだろう、真面目な感じ。
あの時ロンゲーで、
千葉さんロンゲー?
ロンゲーだからロンゲーで、
とてもスポーツとは縁がない。
スーツでね。
物腰が柔らかくて、
なんだろう、ビジネスチックな感じのすごい、
今とは全然違う印象でした。
スーツしてましたからね。
今と同じか、同じって言ったら同じだな。
09:01
だけど、すごい早口で、
うわーって喋りまくって、
でもなんか、すげえ熱意があるなっていうのは、
すぐ分かって。
で、結局、いろいろ検討したけど、
マイナースポーツのトレーラーニングのマネージメントは
会社としては難しいっていうことだったんですね。
だけど、なんだろうな、
それがきっかけになって千葉さんとの縁ができて、
千葉さんは千葉さんでトレーラーニングの思いがあるわけで、
それも自分は分かってたんで、
次のターニングポイントは、覚えてるか分かんないけど、
2011年に三重の熊野駒道のベルト。
ああ、行きましたね。
あの時に、あれは確か国交省か、
神戸さん。
神戸さん、観光庁の神戸さんのご提案いただいた事業を、
あれはスポーツビズで受けたんですかね。
どうしたのかな。
あれは辞めた後にやったのかな。
辞めてないですね。
熊野駒道、神戸市。
要は観光庁の補助金を使ったツアーイベントで、
その時に千葉さんがメインで関わったんですよね。
その時に、何て言うんだろう、
千葉さんの猛烈な仕事ぶりを僕は目の当たりにしたんですよ。
そもそもそうですか。
いやいや、すげえなと思って。
資料とかブワーッとか打ちまくって、
こんな資料作って、
エクセルとか文章とか、
一緒の部屋だったんだけど、
何日か、3日くらいから、
前泊も後泊も3日から4日くらいいたんだけど、
ほぼ布団で寝てないんですよ。
動いてない。
全然動いてない。
倒れるようにずっと仕事して、
気絶してるように寝て、
朝が来て、みたいな感じで。
何て言うの、仕事の仕方が猛烈だったんですよね。
全然覚えてない。
僕の話は初耳。
覚えたか覚えてないですね。
僕はその姿を見て、
こいつはすごいって、
エネルギーと情熱と、
突破力じゃないけど、
あっと思って、
この人は面白いっていうのが、
ある意味、
それから深く関わる一つの大きなポイント。
人を見てたんですよ、僕は。
僕も結構人を見るときに、
やっぱりエネルギーない人って、
正直一緒に組んでもやっぱり、
大体先が見えちゃうし、
そこが大きかった。
12:00
実はあれは僕は千葉さんの見方がすごい変わった。
全然覚えてないですね。
覚えてない。
伊沢は多分ね、
めちゃくちゃいろんなことがあった。
当時いつも追い込まれてましたよね、多分。
追い込まれてた。
要は、
株主さんのトレラーイベントって、
仕事としてはすごい安い仕事だったはずなのよ。
だけどお好きだから入れたから、
でも自分の乗る場があるので、
他のこともやりながらみたいな感じだったかもしれないですね。
そうだと思う。
ずっと確かに売り上げに追い込まれてたから。
分かる。
そんな感じだった。
だから、なんていうかね、
もう、
生きてるのか死んでるのか分かんないぐらいに猛烈に仕事をしてた。
すげえなと思って。
全然覚えてない。
だけど、あんま寝てないのにも、
お客さんの前で、
こう、にこやかにしてたり。
そうか。
僕なんか、
寝ないとダメな人間だから、
寝ないとすぐすっごい不機嫌な顔とかになっちゃうんで、
やっぱりしっかり寝るんだけど、
なんだこの働き方って。
いや、覚えてないな。
そういうの覚えてないですね。
全然。
そこ知るパワーを感じたんですよね。
へえ。
その後に、結局、
だから、
その後、突然、
そんなこんなで、
いろいろなやりとりがあって、
忘れもしないある日、
新宿の喫茶店で、
仕事の話みたいな感じで、
してたら、
突然、
僕、会社辞めますみたいな感じで、
言ったんですよね。
え?もう全然覚えてない。
その言葉が出るまで、
普通に仕事の話してて、
で、僕、突然会社辞めますって言われて、
でも、なんかさっき朝の話に続くと、
よくあるパターンじゃないですか。
途中でもやっぱり辞めるってね。
そう、びっくりして、
僕は会社辞めて、
ふるさとの伊豆に戻って、
トレランレースやりますって。
で、カフェさんにぜひ力を貸してください、
みたいな感じで、
あ、もちろんもちろん。
もちろん、もうやろうって。
やっぱり僕も伊豆自体、
伊豆はもう、
本当に長い、
だいぶ前から、
特に西伊豆四郎線の
良さっていうのは知ってたし、
だるま山から、
夕焼けの富士山っていうのも、
前からずっと知ってたから、
だから、もうやるんだったら、
伊豆でやるんだったら、
すげえいいレースできるよって。
初めてからそう言ってくれてたんですよ。
初めて会った時から、
伊豆は絶対いいよって。
伊豆は絶対伊豆だと思って。
僕の中では本当に、
もちろん富士山もあったし、
もちろん富士山もあったし、
やっぱ伊豆だろうなっていうのが、
もうなんていうか、
もうだいぶ前から、
だからもうガッチャンコって、
ドンピシャリの、
もう絶対それはもういいレースになる。
15:00
間違いなく人気レースになるっていう。
そこから、
会社辞めて、
2013年か。
の3月に初開催。
そうですね、初開催。
辞めてからは大変でしたよね。
大変でしたね。
とにかく、
そのITJに向かう時の、
突破力もすさまじかったんですよね。
千葉さんが、
ほとんど一人で、
いろんな関係省庁、
行政機関の調整、
林野町、
本当にいろんなところに、
駆けずり回って、
めちゃくちゃネガティブな、
言われるし、
結構ひどい言われようでしたよね。
実行委員会やれば、
本当に仕様対応も仕様対応で、
よくそんなこと言えるなぐらいな、
人比人じゃねえかってぐらいの、
なんでこんだけ一生懸命頑張っている人に対して、
そういう、
なんていうんだろうな、
言い方できる人間いるんだなって思うぐらい、
なんていうんだろうね、
嫌な思いが。
でも本当に、
今思えているのは、
あそこどこ、観光会館の一室、
仮の、
ITJの事務局の、
一番奥のね、
これぐらいですよね。
これぐらいって言ってもラジオ聞いてる方はわかんないけど、
ちっちゃなよ、
2畳半さらに、
そこ部屋みたいな部屋あるんで、
そこに、もう、
壁にびっしり地図が、
あるんですよ、地図が、
でかい地図が貼ってあって、
ルート図なんでね、
要するに、
人員配置だとか、
いろんな規制の情報だとか、
コース情報とか、
要するに運営するためのいろんな、
だからあれですよ、
なんていうの、
戦争の回戦とかやるときに、
要するにこうやって、
いろんなコマみたいなのを、
こうやって動かしたりするじゃないですか、
ああいう何かそういう、
作戦図みたいなのが、
びしーって貼ってあって、
なんかそうやって付箋がバーっていっぱいあって、
ああここで何日寝泊まりしてたんだろうみたいな、
もうそこで生活してるみたいな感じでね、
だから、
ああだからすごい一人で、
大人のときは一人で大体から、
そうですね、分かってる人が一人しかいなかったんで、
そうそうね、
でもいろいろ回らなくてね、
いろいろね、皆さんにご迷惑がかかるよね、
でもその時点では、
2013年というのは、
一緒に富士UTMFが、
やってない、
一切かかってない、
最初は全然、
2012年の5月に富士UTMFがスタートして、
2012年が終わり、
終わりっていうか、
2012年中に千葉さんがITJ、
翌年の3月、
18:00
2013年の3月の大会開催に向けて、
2012年の途中、
どうなんですかね、
富士やってるときぐらいから動き始めて、
そうそう、
だからその時は千葉さんは全然富士っていうか、
見学に行っただけ、
UTMFとレースは行ったけど、
ノータッチで行った。
完全ノータッチ。
ノータッチだった。
だけど、何て言うんだろう、
UTMFも本当に大変で、
やっぱりいろんな人たちに関わるんだけど、
なんて言えばいいんだろう、
難しい方なんだけど、
もちろんすっげえ優秀な人ばっかりなんですよ。
有名だし、
有名っていうか力があるし、
パーソナリティもあるし、
だけど、
まとめる力を持った人っていうのが、
なかなか人材的にいなかったなっていう、
なんていうか、
言ったこと、
みんな言うんだけど、
それをちゃんと具現化できる人間が、
やっぱり、
UTMF、
富士にそのとき、
なかなかいなくて、
それをすごく、
僕も推してたんですよね。
それが結局、
2014?
14?
13年から株主さんは、
何か言ってくれたような気がするんですけど、
言ってた、来てくれたけど、
だけど、そのときは流れたんですよ。
その希望が叶わなかったんですよ。
いろいろあったんだけど、
結局、ITJが3月、
富士が4月、5月、
無理なんですよね、時間的に。
だけど、
これが好か不好かって難しいんだけど、
ITJが12月になった、
そうそう、
2015年の3月やったら
ダメになっちゃって、
2016年に移動したんですよね。
そうそうそう。
ITJがずれたことによって、
千葉さんが要するに、
富士に関われる、
余裕ができた、
余裕ができたっていうか、
いろいろあったんですけど、
余裕ができたっていうか、
感覚的な、
時間的な感覚ができたというか、
そのタイミング起きに、
ぜひ関わってほしいっていうことを
強く伝えてたのが、
富士に、
千葉さんが入る大きなきっかけ。
2015年大会からなんですけど、
そうですね。
MFも当時、野鳥問題でね、
いろいろ言われてたんで、
2015年、2016年は、
9月にやったんですよね。
そう、9月にやって。
それがまた大変だった。
大変だった。
でも、15年間、
開催はできたんだけど、
雨で、
ルート変更したりとか、
もう胃が痛むような、
でも千葉さんもなんか、
真っ白な顔しながら。
2015年、自民局長になりましたって言っても、
今は会社があって、
部下がいてみたいな感じだけど、
僕だけ入ってるんで、
僕だけ新参部なんですよ、自民局長って言っても。
だからまず、把握できないんですよ、
21:01
全てのことに。
いやー、強かったと思いますよ。
だけど、
静岡県側の許可申請担当が
抜けちゃってたんですよ。
だから、よく分かんないけど、
そこを何とかしなきゃいけないっていうことで、
特に実は当時の藤宮警察が
めちゃくちゃ厳しかったんですよね。
厳しかった。
もうすんごい厳しかったので、
あとはもう静岡県とかもすごくこう、
公園取り消しになった時ですよね。
ああ、そうだね。
もうなんか、
一番関係地が悪い時。
どこ行っても敵だらけみたいな感じの、
どこ行っても悪いことしか言われないみたいな、
もうなんかね、
それ考えると、
今だいぶ良くなったなって。
良くはない。
関係地としては全然、
もちろんね、見解の違いとかあったとしても、
話は言うできるような。
本当に、そう。
当時のUTMFっていう名前を出すのも
はばかれるぐらい、
なんかね、嫌な感じの周囲っていうのかな。
でも本当に千葉さんがそういうの、
彼がすごいなと思うのはやっぱり、
コミュニケーション、
やだとやっぱりこう、
自分で避けちゃうんですよね。
話するの。
だけど、やっぱりちゃんと丁寧に話してね、
コミュニケーションを絶えずやっぱりし続けることが、
し続けたことがやっぱりすごかったなっていう風に思っていて、
やっぱり嫌な人と話す。
嫌でしょ、マラコンさんも。
なんか、嫌だなって、絶対嫌なこと言われる。
だけど、やっぱりあえてそういうとこに行って、
逃げずに向き合う。
逃げずに行って、向き合って話す。
でも、それが結局信頼関係を生んでくるんで、
それを厭わずやれる人間だったんですよね、彼はね。
自分が、今回この1時間くらいの時間で、
ずっとこの10年間で気になったっていうか、
2012年に来て、僕が日本語から、
12年のUTMFを走ったんだよね。
一回だけ。
一周。
一番良かったコースですけどね。
で、6年は、13年はSTY走った。
まだSTYあった時。
で、13年は自分が香港のランニングコロムで、
日本の人たちを、ラララ達を、文化を、
関東語で文章を書いてた時に、
カブラケさんをインタビューしたんだよね。
その時に初めて千葉さんが返事が来てんだ。
カブラさんに連絡したつもりで千葉さんが連絡が来た。
じゃあ相手取り持ったんですね。
そう。で、ちょうど多分ITJの準備で、
いずに主前陣の方に行ったから、
僕も主前陣に行ったら、
カブラさん会える、話せるよって。
話して、インタビュー。
今回これみたいに話して、その後に
24:01
シタルマ山走りに行ったんだね。
すっげえ思い出してきた、今。
だからそこから、ITJも
MFもスパートヘリウムなどなのに、
ずっと2人がペアみたいなイメージがある。
だから2人の関係性をすっごい気になってて。
結構長い。
10何年。
10何年。
なんすかね、パートナーなんでしょうね。
欠かせない。
でも普段そんなにいつも一緒に
連絡取ってるわけでもない。
そうっすね。
だいたい千葉さんから電話くると、
おーい!
基本的に判断してもらわなきゃいけないから
どうしましょうって。
あ、来た。
実はこんな感じなんですけど、
どうしましょうかみたいな。
しょうがないです。
それはそういう役柄だし、
それはもうお互い分かってるから、
それは判断しなきゃいけないですね。
でもなんだろうね、やっぱり
ちゃんとやるんですよね。
ちゃんと逃げずにやるっていうのが、
やっぱりそれができてね、
千葉さんのいいとこはね、
コミュニケーション能力も高いよね。
本人はそう思ってない。
だから笑ってるじゃないですか、
へへって笑って。
やっぱそれが結構重要で、
なんていうんだろうな、
内心どう思ってるかわからないけど、
へへって笑って。
ごまかじゃないけど、
なんか気持ちがこう、
なんかね、こう、すげえ、
追い込まれるときに、
なんか冗談みたいな笑い方するんですよ。
はあ、そうか。
ふわっとこういう感じで。
ほんまに動いてる。
だからそれが結構場を和ませるんじゃないけど、
そういう能力が高いなっていうのを感じる。
まあ人柄がいいっていうのと、
人望があると、
まあすげえ褒めまくってるけど、
それはありますよね。
千葉さん、千葉さんってみんな、
ふらっと行きに来るじゃないですか。
なんかこう、千葉さん、千葉さんって感じで。
逆に言ってたら、
僕はあんまり人望がないんですよね。
株主さんはレジェンドランナーだから行けないだけの話ですよ。
それは全然。
それはそういうことじゃない。
それはそういうことじゃないと思うんですけど。
うちの妻もだって千葉さんみたいに会って、
いつも会って、みんなに慕われるようにならなきゃ。
慕われてはねえかもしれない。
まあいろいろあるんだろうけど、
まあそういうとこ結構重要だなって思って。
やっぱりなんかぶっちょうずらして、
なんかこの人何考えてるかわかんないみたいな感じの人に、
みんな寄ってこないから、
そういうとこって結構重要かなって思って。
どうなんだろう、どうなんだろうね。
27:00
でもね、ライブをやったことが大きかったかもしれないですね。
2020年のコロナのときに、
誰も周りにいなくなっちゃって会うこともできないときに、
ライブで発信したときに、
それでも自分で喋るだろう得ないじゃないですか。
そっから結構千葉さん、千葉さんっていう人が増えたかもしれない。
僕はほら、基本的に別に、
いつもニコニコできないじゃないですか。
体調悪いときとか気分が悪いときは、
そういう顔出るから。
なんですけど、
それがライブだと自分で話す、
一体一人でやってるから話せばいいないし、
質問答えるので基本的には、
それでコミュニケーションが取れてるのかもしれないですけどね。
そうですね。
ライブ多かったじゃないですかね、あのライブね。
でも人望があるかどうかちょっとね、わからない。
割とバサバサいっちゃうので、
あんまりそういう人望があって、
そういう意味では人気はないかもしれない。
人気っていうか、
結構物見がストレート。
なるべくストレートには言うように。
結構なんて言うんだろう。
ストレートですよね。
オブラートに包まない。
結構激しく、
激しくパンというストレートにいますね。
まあそうなんだけど、
なんとなく。
結局ワン曲して、
今生まれも香港人だからどう思うかわからないけど、
ワン曲して言うがない?日本の人って。
そうね、そういう系がある。
だけどそれを言い合ってなんとなく終わっちゃう時が結構、
特にMFとかは、
もう有名人ばっかなわけ。
だから表だってストレートに言えない空気なんですよ。
それぞれ有名人だから。
で、わーって話したけど、
問題の解決でじゃあこうしようってことがないまま、
2時間話し合って終わるみたいなことが続いたんで、
でもそれはなるべくシンプルにストレートに言っていかないと、
理解がどこまで理解しているかわかんないと思わない。
本当にわかってるから。
本当にそう思ってるのかどうか、
なるべくシンプルに、
イエスのここまであるまでできない、わかんないっていうのを
やっぱりやってあげないとっていうのは気をつけて、
特になるべくシンプルに。
わかる。
だからちょっと嫌な役柄ですよね。
千葉さんのポジションは。
嫌われる。
内部では結構嫌われますよね。
役だけど、
まあそれは仕方ない、
仕方ないって言っちゃえば悪いけど、
難しいそうですよね。
そこが役どころというか。
あんまり千葉さんと一緒に飲みに行きたいなっていう身内の周りのスタッフはいないかもしれないね。
やばい。
まあでもそれっていいけどね。
だってでも、
結局責任、権限持っちゃってるじゃん。
権限持っちゃってる以上は、
やっぱり友達みたいになれないよね。
結局友達みたいに接したくても、
でも彼らを評価する立場だから。
今社長でもあるし。
それはやっぱり嫌だよね。
30:01
人から生んぬんではなくてさ。
孤独なんだよね。
孤独になっちゃえばしょうがないよね。
自分、俺も孤独なんだよね。
やっぱすごい、
孤独なんだよね。
結局カブラギさんはカブラギさんで、
変わりがいないから、
カブラギさんの本当の気持ちは、
なかなか分かんないよね。
カブラギさんのステージにならないと分かんないこと、
正直たぶんいっぱいあると思うから、
その世界観。
その世界観というか、それが辛いなのかっていうのも分かんないじゃん。
ステージに立ったことが一回もないんで、
そこはどうしてもたぶん、
分からないんだろうなって。
そう、あの、
なんだろう、
千葉さんがね、
千葉さんの褒めちぎり大会じゃないんだけど、
いいなと思ってるのは、
僕らアスリートなんで、
ものすごい、
なんていうんだろうな、
繊細なところで戦ってたりとか、
ある意味変なプライドもあったりとか、
譲れない部分とかってあったり、
で、千葉さんは結局、
前のアスリート選手として、
出たかもしれないけど、
学生時代まで、
トップアスリートだったんですよ。
陸上競技の。
だから、アスリートマインドがよく分かってるんですよね。
すごい、なんていうんだろう、
アスリートへのリスペクトっていうのかな、
思いみたいなの。
あと、アスリートの悩みとか、
そういうのを分かってくれるので、
ちょっと少し、
相談相手になったりとか、
してもらったりとか、
そういう関係もあると思うんですよね。
だから、
お互い陸上競技の選手だし、
これ面白い話なんだけど、
僕も陸上競技出身、
長距離、
千葉さんは400だから、
短距離の長距離みたいな、
短長って言うんですけど、
インカレの出てるの、
インターカレッジ。
僕は全然、
平野長距離選手は全然、
だから、
陸上界の平野長距離選手の中では、
全然千葉さんの方が上なんですよ。
僕はそのリスペクトも実はちょっと持ってて、
ありがとうございます。
それを本当に持ってて、
だから、この人にはちょっと、
愚痴も勇敢みたいなところもあるんですよね。
確かに千葉さんはきついですよね。
引用がきついっていうか、
仕方ないんだけど、
結構教会とかの、
結構、
でも、あれの理由があって、
別に、
なんていうんだろう、
井戸畑会議する場所じゃないから、
やっぱり言わなきゃいけないし、
びっくりするかもしれないけど、
会議に一言もしゃべらない人って結構いるんだよ。
日本って。
でも、そんなの意味ないじゃんっていうところもあるから、
やっぱりしなきゃいけない。
それは全然いいことなんだけど、
なんていうんだろう、
ちょっと日本で言うと誤解されやすいタイプですね。
33:05
欧米とかでは割とそれは普通だと思うんだろうけど、
っていう感じもあるかなっていう。
でも、そういう役柄は必要だしね。
いやー、でもなんかですね、
もう十何年経ったんですか、会って。
2010年?
2014年?
14年目ですね。
なんか関係性変わりつつあるんですか?
逆に亀井さんからすごい褒められたりとか。
亀井さんは気を使おうからね、それだけど。
井戸畑さんはね、僕は会った時は、
ちょうどね、2010年で、
年がどんどん上がっていくタイミングだったけど、
まだ前世紀っていうのは、ピークが遅い選手だったから、
すごくプライドも高くて、
当時はね、海外のレースしか出たくないって言ってた。
日本国内とかで、今は嫌だみたいな話とかもあって、
もう絶対に、日本人には絶対に負けたくないし、
結果が出ないレースは出たくないっていうことで、
中々出るレースが結構決まらない中、
あとね、アキレス系が悪かったわけですよ、その時に。
それが重なってて、
なんかね、やっぱりこう、
当たらない人なんですよ、アスリートにしては珍しく。
なんだけど、苦しんでる感じは見えましたよね。
苦しんでたねー。
千葉山に会ったぐらいがすっげー苦しかったですね。
なかなか出たいレースは決めないんですよ、だから。
なんだろうねー。
怖いっていうのもあったりとか、
自分らへの変なプライドもあったりとか。
国内レースはやっぱり出たくないっていう。
やっぱりスポンサーついてるプロなんで、
やっぱり勝たなきゃダメだみたいなこともおっしゃってて、
それを結構悩んでましたよね。
で、やっぱり年齢的にも自分の思うような走りが
もうできなくなってきてる時期でもあったんで、
あとそのケガで、アキレス系のケガはものすごい重かったんで、
本当に苦しかったですね。
でもあの時の苦しさがあるから、今もあるような気がして。
2019年ぐらいまでずっとそんな感じだったなーって思ってて、
あとはその実行委員長じゃないですか、AMFとかで、
オーガナイザー、本当にプロフェッショナルのオーガナイザーになるべきなのか、
あとはアスリートでいたいのかっていうのが結構心の責任感とやるべきこととかが
結構葛藤されてた感じがすごく見てて、
そこがすごく多分大変だろうなと思ってて、
で、そんな中2009年で50歳プロジェクトやるぞみたいな話になって、
でもあんまり調子よくなかったですよね、
36:02
カブラさんの体自体が、
調子よくないですよね、やっぱり調子よくないっていうか、
でも、
なんかこの10年ぐらいもいつも疲れてる感じ、
当たり前なんですよ、だって、
アスリートの練習しながらいろんなことをオーガナイザーしてるから、
なんか疲れてるなーって感じ、
調子悪かったね、2019年も本当に。
どうバランスをとろうとしてたんですか、
特に2010年からもその2019年、
ケガも含めて、国内のレースは出ない、
その先言った自分のプライドとか、
結局どうやって今に至るっていうか。
答えが分かんなかったっていうか、
前例がないし、誰も。
何歳までトップポジションに入れるかどうかも、
前例ないし、
でも一方でマルコーノさんみたいな、
世界ではある、
でも日本ではそれやった人いないみたいな感じで、
自分でなかなか。
サッカーとか野球みたいに、
このリーグから逸脱したらもう引退とかいう世界じゃないんで、
引退とかっていうのは、
あるようなないような世界の中でやってて、
自分の本心といえばレースも出たいし、
やっぱりいろんな大会も出たいっていう気持ちもあるんだけど、
やっぱり結果っていうものを考えたときに、
常に悩ましいっていうのかな、やっぱり、
見られてたりとかする中で評価される中で、
その言葉一言で言えないような、
あとオーガナイザーとして、
私はさっき一番大きなオーガナイザーで、
本腰入れるんだったら走ってる場合じゃないだろうし、
でも自分は走りたいっていう気持ちもあるし、
その絶妙なラインのところを、
いつも探りながら、
自分はどうあるべきかっていうのを、
哲学的にずっと考えてた。
なんなんだろう、
お前って、みたいな。
お前って、
教会とかの会長だとか、
そういう役職もありつつ、
いろんな役とか、
いろんな言葉の発信の仕方とか、
すごいそれが、
疲れ、大変でしたね。
大変だけど、
大変だけど、
大変だけど、
大変だけど、
大変だけど、
大変だけど、
大変だけど、
すごい嫌だってわけではなかったな。
嫌な時もあるし、
すごく、
それに対してすごく責任、
やりがいを感じる時もあるし、
なんか、
言葉の手、難しいよなと。
でも、丸子さんってあるでしょ。
俺、この10年、
39:00
一言で、どんな、分かんないでしょ。
いろんな、心の揺らぎがあって、
自分の本当のストライクっていうか、
正解って何?みたいな、
みんな悩んでるじゃん。
今も悩んでるけどね。
本当に。
株主さんがすごく吹っ切れたなと思ったのは、
50歳プロジェクトの、
U10Bの前の、
新越語学に出た時。
50歳プロジェクトになるんですか。
50歳で、株主さんもう一回U10Bに出るって、
前からずっと言ってたんですよ。
そこにある意味合わせてたんで、
株主さんの心の中で。
あの時、
その前の年に、
新越語学に出たんですよね。
U10B、翌年にU10Bを引かれて、
やっぱりここでまず出ておいて、
まず、力を何というか試すじゃないけど、
走るっていうことが重要だっていうことに。
だけど、僕その直前に、
原因不明の高熱で、
入院したんですよ。
入院して、
全然練習もできなくなっちゃって、
要するにもうね、
限界を超えた追い込み方とかしてたんで、
体がもう50歳って、
追いついてこないんですよ、
昔みたいに。
だから無理に無理したら、
突然ぶっ倒れて、
入院して、
それ入院して、
ちょっとも開けてすぐにレースだったんで、
新越語学。
だからもう全然走れなくて、
だけどその時に、
今でも思い出すのは、
エイドとかいろんなエイドで、
みんなめちゃくちゃ応援してくれたんですよね。
やっぱり自分の、
こういう人たちが喜んでもらえるような、
頑張り方、要するに50歳になっても、
だって40歳で、
UTM3位になったんだから、
もうね、
やっぱりそれなら走りしなきゃいけないっていう思いが
ずっとあったんだけど、
なんかもう、
年相応って、
自分が限界の年相応って、
その年の順位とかタイムじゃなくて、
その時の年々で頑張れば、
姿をみんなで見てもらおうっていう、
気持ちに切り替わった時に、
なんかすごく吹っ切れたっていうか、
もうピュアに頑張ろうっていう感じ。
変なこう、
どう見られるかじゃなくて、
そこから今があるかなっていうのがあって、
大きかったですね、
2018年の新越合楽かな。
あれ?
安藤千葉さんいたんですか?
いなかったけど、
プロジェクトに少し、
お久井さんって僕の会社の先輩なんだけど、
一応プロジェクトに出ろみたいな感じで出て、
情報が共有してて、
新越合楽、何回かシリーズなの。
映像プロジェクトだったから。
新越合楽シリーズ。
ネバーの。
42:01
まだ終わりないみたいなのが違って、
話も聞いてて、
でも聞いたら、
要は新越合楽って石川博さんがやってるじゃないですか、
あんまりイメージないかもしれないけど、
もう前世紀は2人とも結構、
旗から見たらライバル感丸出しみたいな、
神奈美さんはあんまりないんだけど、
石川さんは割と、
なんていうのかな、
やっぱりライバル心があって、
あんまり一緒のレースに行くとかってのは、
ちょっと想像できない間柄。
別に仲悪いとかじゃなくて、
ライバルのレースに乗り込むみたいな感じっていうのもあって、
で、っていうのも。
そうですね、ちょっと、
遠慮?
遠慮して。
ちょっとわざわざ行くみたいな。
石川君の世界に、
なんていうか、
難しい話だけど、
でも、一回走ってみたいなって思って、
石川君みたいにもMFに走ってくれたし、
一度すごく、
やっぱり国内のいい大会だっていうこともあって出て、
大きかったですね、
あれがね。
見ててよかったってことですかね。
ただ、別に正常だと思うんですよ、ピティピティするのは。
意識する人同士で、
一緒にいたくないか負けたくないかとかって、
それは実はアスリートって普通で、
トレーラーの特に男子の世界が仲良すぎる、
不思議な感じがあるけど、
別にそれはほら、
スポーツマネジメント会社で散々見てるんですし、
ライバルが口きかないみたいなね。
あとはもうナーバス、特に女性選手とかナーバスになっちゃうわけですよ。
っていうのは見てるので、
別にそれが悪いとは思わないし、
そういうもんだよねっていうふうに思うんで。
そうそう。
まあそうですね、
なんか石川君、
いや別に仲間悪いとかないんですよ。
仲間悪いとかないんですよ。
周りが勝手にいつもお返しになるけど、
ちょっとこう、
道をこう。
こういう並びながらずみたいな雰囲気が、
その時はね、あったんだよね。
確かにランナーとして、
日本に来て、
ランニングのファンとして、
来てくれる大会の雰囲気とかも、
やっぱりアメリカンスタイルとヨーロピアンスタイルで、
勝手にそういうカテゴリーゼーションしたりとかも、
まあそういうのは確かにあるし。
で、まあ違うなっていう、
まあそれを魅力感じるランナーの層もちょっと違って、
まあそれがあって、
でもなんか数年前、
2人雑誌のインタビューを受けたっていう記憶があって、
僕も確かに見る時に、
すごいワクワクして、
あ、2人がツーソットがあるんだみたいな。
確かにあるね。
そうなんですよね。
教会、トレンズギャグ教会を作った時に、
カブリックさんと石川さんが、
始め、
2人がこう、やっぱり電話、
あの結構電話、
まあ結構でもないんだけど、
よく電話とかしたりする仲なんで、
カブさんね、
45:00
比較の効果、確か比較の効果かな、
やっぱりこのままじゃ、
良くないから、
一緒に教会作りましょうよ、
みたいな感じのメッセージを電話でもらって、
やっぱりそれはそうだよなと思って、
たぶんやっぱり、
この2人がやっぱり、
ある意味手を組むんじゃないけど、
それは結構重要なことだろうなと思って、
やっぱりそれがないと、
求まらないんだろうなっていうのを
自分は分かってたんで、
これは良い機会だなと思って、
でも本当に、
ありがたかったです、
だからあの流れはね。
そこの部分で、
カブラギさんが結構、
ふっきりな感じになって、
なんか、
ピュアにランナーでいたいんだなって、
僕は分かってたんですよ。
どうですか、それを。
いやー、そうですね。
正直ランナーでずっといって、
続けたいんだろうなっていう風に。
トレラン好きなんでね。
本当ピュアにトレラン大好きなんですよ、
やっぱり僕。
トレマン好きだし、
やっぱり長いレースが好きなんですよね。
やっぱり限界値まで山の中で追い込むみたいな。
世界観が。
うーん、
そこは一生付き合いたいなってやっぱり思っちゃったなー、
みたいな感じかな。
そうなんですかね。
一生アスリートでいたいみたいな感じですかね。
うーん、
まあ許されることだったら、
いたいなーっていうのはあるけど、
まあただ、
うーん、
自分が求めているものと
世の中が求めているものっていうのが、
やっぱり違うんだろうしね、
なんか、
どういうところね。
いや分かんないけどやっぱりでも、
トレラーニングがもっと広まっていけば、
また自分の役割も色々変わってくるのかもしれないし、
で、
年取れば取れない、
取る中で、
いずれは、
本当に真面目に走れなくなってくる時期も、
やがては来るわけだから、
そこの、
そんなに遠い将来でもないと思ってるし、
もう、
厳にもう、
去年も、
無理に無理したら、
アキレス腱骨断裂みたいな怪我になっちゃったし、
あーって、
本当に無理できないんだって、
年取るのってこんなにシュールで、
なんか、
悲しいんだなっていうのをちょっと感じた、
感じて、
だから、
まあ本当に、
でも、まあでも走りたいですね。
どうなんだろうね。
何なんだろうね。
俺何なんだろうなーとか思って。
まだ答えがないんですか?
答えない。
まあ、うっすらあるんだけど、
それで本当にいいのかなって思い続けてますね。
まあでも、
ピュアな気持ちで言えば、
山を走るのは好きなんですよね。
48:00
いつまでやるんだろうね。
じゃあ島さんは、
やっぱりどうなんですか?
もうやっぱり自分は、
こういう、
プロデューサー、
の世界で、
まあまだまだそうだよね。
僕は実は、
なるべく、
まず次のフェーズをして、
今プロデュースをしてたりとか、
MFも実質事務局長みたいな感じで、
結構ずっぷり入っちゃってるけど、
なるべくそれは他の人に渡して、
違う役割を、
もっとバックアップしてあげる、
場を作ることに注力をしてあげるべきだなって、
今でも思ってますね。
というのは、
マネジメントが決して上手なわけではない、
細かいことに気が利くわけでもない、
前もちょっとさっきクラブの少しも話したんですけど、
別に僕特別なことはやってないんですよ。
誰でも、
普通に考えたら、理にかなったら、
これが理にかなってるよねってことをやってるだけで、
要はそれを、
要するにやりきる、
場合によっては人にお願いしなきゃいけない、
これはダメですよって言わなきゃいけないっていうことを、
シンプルにやる人がいないだけの話だから、
僕は特別なことをやってるつもりはないし、
これは自由に考えたら、
普通に考えたらやるでしょみたいなところなので、
それはちょっと、
もうちょっと形が上がってきたら、
もう少しその場を作る、
それこそ、
今例えばMFで言うと、
一周できないわけですよ。
でもそれはものすごい下の根の交渉とかも必要でしょうし、
あとは今ボランティアでいろいろトレーニング整備してきてる方々が、
だんだん高齢化してるじゃないですか。
だったらもう少し僕らもボランティアでやれることとかを、
作ってあげた方がいいかなとか思ったりとか、
思うし、
会社の経営とかも、
決して僕の経営が上手だとは思わないんで、
経営が上手な人に、
やってもいいかなって魅力的な仕事になるようにして、
その後は引き継いでいく。
でも食っていかなきゃいけないっていうこともあるんで、
やってるんですけど、
できればそういう自分が食っていかなきゃいけないから、
職場にポジションに近づかなきゃいけないっていう風にならないように、
してあげたい。
いいバランスでバックアップするみたいな。
後継者というか、
そうだよね、なんか難しいですよね。
で、あとは、
実は、
僕がやりたいトレイルカーチってさっき言ってるんですけど、
特に伊豆でトレイルカーチを作るためには、
やっぱりロングトレイルを作りたいんですけど、
これはトレイルクラブを作らなきゃ成り立たないんですよね。
エイリーじゃなくてヒエイリーでトレイルクラブを作って、
メンテナンスの体制も作ってっていう風にやると、
51:00
どうしてもヒエイリーでやらなきゃいけない人が必要になってくるんですけど、
今の僕のポジションだとできないんですよね。
忙しくて。
だからそれを、
誰かがやらなきゃいけないんだったら、
やっぱり今それを不足してるんで、そっちに注力していくみたいな。
忙しすぎだよね、千葉さんはね。
キッパオーバーですね。
やっぱり能力オーバーなんですよ、ずっと。
常にキッパオーバー。
これやってる場合じゃないですよね。
でも本当にすごい忙しいんだろうなって。
そうですね。
でもこれを忙しいけどこれをやりたいなって、
マルコと一緒にやりたいとかももちろんあるんですけど、
やっぱりその、
僕が一番忙しいんですよ。
気がついたら社員全員帰ってて、休みは僕だけいて、
とかになっちゃうと、
なんか、僕が考えてること実は、
何も聞いてないっていうか、
会話として社員が聞いてない。
で、なんかもしかしたら、
めちゃくちゃ仕事ばっかして休みもないから、
こんな仕事嫌だなって思われてないかなって思ってるんですよ。
今でもね、働き方、書き方とかで、
ある程度自分のライフスタイルを充実させた上で
仕事しなきゃいけない部分もあるんで、
でも僕らの仕事って、
ある意味好きな印象で突っ走ってるんで、
俺もこの10年考えて、
いわゆる一般的な休みってあったかなって。
ほぼ1日もねえなみたいな。
もう今、ほら、ベースもあって、
今社員名もちゃってるんで、
本当に年末年始も含めてないんですよ。
休んでないもんね。
びっくりするくらい休んでる。
そう、何らかの朝6時にはいかなきゃとか、
そういう感じでやってて、
でもそれを、
うちの社員はあんまり知ってるかもしれないけど、
一緒にはやってないので、
だけどそれは、
経営的な考えからすると、
たぶん一番僕が売り上げ作れるんですよね。
企画とかもできるから。
だけど、雑務というか、そういうやつで追われてて、
本当は会社にとっては良くない。
本当は僕はもっと企画とかして、
会社を成長させるほうにリソースを貯めるべきなのに、
業務のほうに構わってしまってるっていうのは、
本当はいいことではないし、
それを僕にやらせるっていうことで、
もしかしたら休めたりとか、
いろいろするのかもしれないけど、
回り回って、
社員の皆さんの給料が上がらないわけですよ。
豊かにならない。
だからそれは、
今は良くないなと。
企画できるとってやっぱり難しいんですよね。
だからそういうマネジメントできる人間を、
千葉さんが作ってもらって、
作っていかなきゃいけないのか、
54:00
育てなきゃいけないのか。
よく言われるんですけど、
僕自身が、
松永さんが書いている、
身の上話をしてますけど、
要するに、
自分がこうなろうと思ってキャリア積んで、
今があるわけじゃないじゃん、
丸子も聞いたと思うけど。
だから、
自分と同じような人生を作るために、
何をしたらいいか正直わからないですよね。
そう。
意識的に僕が作られたわけじゃないんですよ。
そうですね。
偶然の中の端末として、
世界一周をトレースに行くとかって、
なかなか人、
経験できないじゃないですか。
だけど、
そういう、
でもそういうことを発信、
言い続けることが重要ですよね。
なので、
僕らはそういう人たちを求めているっていうか、
それはでも結構重要だと思うんですよ。
とにかく言う。
この場でも言うし。
そう。だから、
こういう場を、
自分がこういうことを考えているんだとか、
神奈川さんも含めて、
こういうことを考えているんだっていうのを、
しっかり発表することが結構大切かなと思っていて。
やっぱり、
思っていてもダメで、
やっぱりゆったりアクションで起こすことが重要なんで。
ああ、そっか。
でも、
本当に今結構、
なんていうんだろうな。
千葉さんの話を聞いて、
世代交代っていうか、
本当に、
若い人たちにどう思われているんだろうっていうのもありますね。
やっぱり、
老害みたいな感じになってないかなとか、いつもね。
でも確かに、
自分は、
どこでどう身を引くんじゃないけど、
何らかの形でいろんなものを引き継ぐ時期は、
必ず来るわけなんで、
そういうのを常に、
まだ頑張りたいと思っているけど、
それはいつも考えているんですよね。
小倉木さんの話に戻るけれども、
それを引き継ぐことについて、
どういうことを考えているんですか。
もちろん現役として、
走り続け合いたいって話したんだけど、
今後みたいに。
これから、
どういうメッセージを
今後に発信したいというか。
まずね、
まず、
僕が今55歳、
今年も56歳になる年なんですよね。
まずね、60歳。
歓励っていうのが一つ大きな、
何かしたいなっていう。
それはすっごい考えてますね。
何か目標はあるんですかね。
今ね、もやもやいろいろ考えてるんだけど、
ちょっとそれはまた言えないけど、
めっちゃ考えてる。
なんか、
すっげえやりたいなっていう。
そういうことを考えるとワクワクするっていうか。
ワクワクするから、
今ももう老大に夢中って頑張れるのは、
その思いがあるからっていうのがあるね。
何か、
歓励でめちゃくちゃ走れてたら、
57:01
すっげえ面白いじゃないですか。
何か、
慣れるのが、
必死に毎日驚いていくのは分かってるんだけど、
それがすっごい楽しみかな、今。
一生懸命頑張ろうって気持ちで。
やっぱりね、
自分の中で、
何だろうな、
トレーナンニングって、
例えばこの斜面は、
この斜面はどんな状態でも走るよとか、
このくだりはこのスピードよりも遅くは走らないよみたいな、
最低ラインがあるんですよ。
うまく言えないんだけど。
理想の走り。
サーファーで言えば波に乗りこなすみたいな、
ここまでは、
これできなくなったら、
俺のサーフィンじゃねえよな、みたいな。
その、
自分のトレーナン観を、
いつまでも保ってる体でいたいっていう、
果てしなく。
っていうのは、60歳を、
たとえ超えても、
でも多分それができなくなったら、
トレーナンが面白くなくなる時だと思うんで。
トレーナンが面白くないのに、
無理して無理して山に行く気は、
もう元ないんで。
それを、
延々に死ぬまでできるか、
理想で言えば死ぬまで、
自分の理想のトレーナンの、
この斜面は歩かないといけないっていう、
追求したい。
その楽しさは、
トレーナン始める頃、
今でも変わらないんですか?
京都で。
変わらないんですね。
本当に28歳で僕、
トレーナンであった時の、
あのワクワク感っていうのは、
僕ね、
陸上競技の選手で、
陸上競技の選手って時は、
本当に、
走ること自体が、
結果を出すこと、
イコール走ることだった。
だから、結果が出ない走りなんて、
何の面白みもない。
箱根駅で出るとか、
大会でこういうタイムを出すとか。
だけど、
トレーナンニングであってから、
もちろん葛藤はすごいあった。
さっきの話もあれば、
葛藤はあったけど、
今の自分の中では、
どんな結果でもいいから、
ワクワクする走り、
ワクワク、
山行くとまだ全然ワクワクできる。
初めて出会った時と同じような感覚で、
今はいられるんで、
それをずっと、
その気持ちを忘れずにいたいなというか、
いられるような気がするなっていう。
分かんない。
でも、突然、
追えるのかもしれないし、
追えないための努力は、
めちゃくちゃしてますね。
まだ60歳かな。
60歳で、
バーンってやりたいですね。
あと5年。
あと5年、
もう5年ないんだけどね。
それは、
1:00:01
なんかそういうのをやると、
後から来るアスリートとかも、
何とか感じてもらえるんじゃないかなって思うんですよね。
なんか、
今すっごい頑張っている子たちも、
いずれは走れなくなるし、
走れなくなるってことは、
自分の価値がある意味、
なくなってくることなんですよ。
アスリートとして、
その物悲しさっていうのは、
たとえようがないくらい、
切なくて、辛くて、
もう本当にもだい苦しむような、
もう辛さなんですよ。
自分の走りができない、
価値が下がっていくっていうこと。
だけど、
いや、そうじゃなくて、
やっぱり、
そういう違った考え方もあるんだっていうことも、
なんかこう、
示してあげたいっていうのもある。
もちろん、
自分のキャリアを積む必要なんか全然ないんですけど、
キャリアを積む必要なんか全然ないし、
そういうのあるかな。
今回は、
僕と千葉さんが一緒にやり始めている
ポッドキャスト、
トレイルヘッドっていう名前を
名乗ってるんですけど、
登山口っていうか、
それぞれの登山口というか、
トレイルヘッドがあるというか、
ある意味は原点。
カブヤギさんの場合は、
28歳、トレイルランニングを走り始めて、
そのワクワクさが今でも変わらない。
目覚めた、
トレイルランニングに目覚めたというか、
今につながっているその原点で、
ある瞬間であり、ある時であり、
そういうトレイルヘッドがありましたか?
トレイルヘッド、
一言で言わなきゃいけない。
いやいや、大丈夫。
何個もあってもね。
いっぱいあるよね、トレイルヘッド。
でも大きかったのは、
15年勤めた公務員を40歳で辞めたという、
すごい大きな決断だったと思いますね。
やっぱり県庁職員で15年間やってきて、
必ずしもその仕事が嫌いなわけでもなかったし、
すごくむしろやりがいを感じてたけど、
でも人生って一回きりだから、
もちろんこのまま定年まで公務員で勤めても
すごくいいだろうなと思ったけど、
なんか違う扉を開いて、
違う世界を見てみたいっていうか、
15年とりあえず勤めて、
公務員の世界はあるって分かったから、
違う世界を見てみようっていう、
その決断はすごく大きかった気がしますしね。
それは誰もがやるべきではないと思うしね。
それもあったかな、あとなんだろうな。
でもいっぱいありますね。
千葉さんとは出会いが多かったですよ。
この出会いがなければ、
1:03:01
本当に極端な話、
今の自分が本当にあったのかな、
みたいなところもあるし、
それは多分お互いに感じているところもあるんじゃないかと。
そうですね。
僕が被りすぎなかったらありえなかったよね、多分。
この階もないからね。
なんか足りないところを補完し合う中みたいな感じだと思いますし、
まあね、波長もあるんですよね。
やっぱり、なんだろうな、
人間ってほら、一緒にいて疲れないとか、
波長みたいなのがあるじゃないですか。
そういうのも合ってるんだろうなっていうのも。
もちろん厳しいことを言うときもあるし、
ああ、面倒くさいことを言っているなと思うときもあるけど、
でも振り返ってみれば、
人として信頼できるとか、
一緒にいて、
別に嫌な勤務にもならないっていうか、
そういうところはあるかなと思いますね。
それもありますね。
まあまあ、1時間ちょいなっているので、
最後に僕の質問、
内技があったらぜひ足してください。
その60歳プロジェクトが、
まず2024年目先にやるべきの計画というのは、
やっぱりワールドトレイルメジャーズは大きいなと思っていて、
マントフジ100ももちろん入っているわけだし、
この座組というか、枠組をしっかり根付かせたいという思いもあるし、
自分自身もその中で出ていないレースもあるので、
そういった大会に出てみたいなと思っていますね。
やはりワールドトレイルメジャーズは、
ぜひ海外の行ったことのないところに行ってみたいなと思います。
行ったことのないところはどこになるんですか?
今、10レースあるんですか?
今、10レースあるんですけど、
日本のレースは大体、
日本のレースは、
日本のレースは、
行ったことのないところはどこになるんですか?
今、10レースあるんですけど、
ほぼ行ってないですね。
多分、ピレネも行ったことがないですよね。
UTBの一周回にやっている、一番当たりのピレネはないですよね。
ピレネは、合宿で走っていて、
コースは大体知っているんだけど、
レースとしては、
ほぼ走っている。
だから、香港100も出てはいないけど、
コースも大体分かっているんだけど、
ほぼ知らない。
香港も出たことないんですか?
出たことない。
逆に出たことある?
違うレースはいっぱい出ているけど、
香港100は出てないな。
1:06:00
グランカナリアも出たことない?
グランカナリアもないんですか?
グランカナリアは曰くつきで、
2011年、
11年?12年かな?
10年以上前に出る予定だったんだけど、
本当に信じられないんだけど、
飛ぶ朝に、
やめたんですよ。
キャンセルした。
アキレス腱があまりにも悪くて、
これ走ったら、
アキレス腱が切れちゃうんじゃないかと思うぐらい痛いんだったんで、
結局それがあったので、
出てない。
でもほとんど出てない。
1個も出てない?
MF以外に出てたことないってことですかね?
出てない。
医学も出てないね。
マデイラもないし、
MFと被ってるからもう無理ですね。
毎回すげえ気になってる。
みんなマデイラもカナリアもそうだし、
ケープタウンもじゃない?
そう、南アフリカはケープタウンもないし、
ブラックキャニオンも当然ないですよね。
ブラックキャニオンは、
でもライブでめちゃくちゃ見て、
いいコースだなっていうか、
なんかすげえ、
めちゃくちゃ走れて楽しそうだなっていうのもあるし、
まあでも、
なんかいろいろな、
まだまだあるなっていうのを感じて。
多分、株主さんが出るって言ったら、
みんな2つ返事で来て来てって言ってくれると思うんで。
楽しみ。
楽しもうって、全然どこでも出れません。
フリーエントリー状態です。
いやいや、
まあでも、
と言いながらも、
若くないからね、
無理できないなっていうのはあるし、
ああ、ほんと疲れますね、今。
いつもなんか、
疲れるっていうよりももう、
周知力が続かない。
前からでしょ。
でも前はあれなんですよ、
寝て朝4時くらいに起きたときは、
ゴールデンタイムがあって、
それがあったんだけど、
それができないですね。
6時くらいになっちゃうとか、
あと寝ないとほぼ使い物にならないとか、
いやあ、
それが普通だけどね、普通に。
普通の人間だと思うけど。
スポーツフィギュアに行った時は、
早くて終電くらいだったからね。
早くて終電ってどういう意味なんだって。
会社に着くことも多かったから、
今日終電で帰ったみたいな。
で、また1時間半くらいから千葉に帰って、
で、また9時半くらいに出てきてみたいな感じ。
いやあ、
だとちょっと早いねみたいな。
分かる。
10時なんかめっちゃ早いですね。
すごかったですね。
お父さんはもう、
その生活のまるまたに
見てきたんで、
ああ、
まあ苦労、苦労してるなって。
あの、
矢田さん?
ああ、矢田さんね。
矢田さんが、
ああ、千葉くんはね、って。
矢田さんって言って、
デザイナーさんね。
ITGのグラフォー作ってくださる。
矢田さんがさ、
僕になんかボソッと言って、
千葉くんはね、
本当に嫌な汗いっぱいかいてるから、
1:09:01
ねえ、ってね。
しみじみ言ってて、
まあ、
ああいうのはほんと悔しになってるんだよね、
って言って、
なんていうの、
本当に、
なんかこう、
シンプルにそれをボソッと言ったのが、
車かなんかで一緒に行く時に、
今でも忘れない。
ああ、でも、
なんか結局、
まあ、これすごい、
美談みたいな話で終わっちゃうんだけど、
やっぱり、
今の若い子たちに言うと、
すごく反感もたれるかもしれないけど、
やっぱね、
すっげえ苦労してる人って、
やっぱりね、
強いですよ、やっぱり人生の中で。
苦労してる人ってやっぱ、
若い時苦労しなきゃいけないなんて思わないけど、
でも苦労してる、
もし苦労してる、
本当にまあ、
先が見えなくて、
つらくて、
若い時代の人たちがいたら、
すっごい、
その先、さっきがものすごく輝いた人生、
歩めるよって、
俺は言いたい。
すごく今。
決して無駄じゃないから、それは。
うん。
と思います。
みんなに。
これで締めましょうか。
はい。
ありがとうございました。
きれい、いい感じで。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
今回は割とちゃんとできたね。
しっかり計画的に。
何ができた?
時間はマネジメントできた。
確かに、1時間。
でも次のインデビューというか、
次の打ち合わせもあったからって思って、
ちゃんと意識してやりましたね。
さすがカブラギさん、そこら辺は。
とはいっても千葉さん、
千葉ちゃんの話がやっぱりいっぱい出てましたね。
そうだね、
カブラギさんはね、
元々カブラギさんのエピソードって
結構日本の方よく知ってるからね。
カブラギさんの影響でトレーランニングを始めた人って
すごく日本では大きいので、
僕とカブラギさんは何で今一緒にやってるのかっていうところをね、
あんまり実は知らないよね。
これがユートレールジャーニーだったりとか、
マウント市博につながってるので、
この出会いがなかったら、
少なくともユートレールジャーニーはないよね。
ないし、
マウント市博もどうなってたろうね、
とは思うよね。
僕がいない状態でなってたらね、
それも見てみたいけどね。
でも自分にとっては今回一番大きな収穫というのは、
ずっとお二人の関係性というか、
お互いにどういうふうにパートナー、
パートナーシップというかできたのか、
それを聞けたのがすごい大収穫だなと思ってた。
なんかね、気づかせちゃってすげえ褒めちぎってたけどね。
褒めちぎってたけどね。
褒めちぎってたけど。
1:12:01
本音は本音だから、
それがいいとして恥ずかしいなの。
株主さんもね、
またまだね、
将来ランナーとして、
まだまだ僕らの先を走ってもらいたいよね。
プロジェクト60、楽しみですね。
60ですね。
楽しみだね。
どういう感じでやるんだろうね。
本人の中でもたぶん今あるんだよね。
本人の中でもあるから。
どういう感じになるか、
これからのランナー株主、
しよしさんもね、
ますます追っかけていきたいなって思いますけどね。
はい、じゃあ今回はこんな感じで。
また次もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。ありがとうございました。
ありがとうございました。
01:14:16

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