1. TRAIL HEAD
  2. #1 松永紘明:旅するトレイル..
2024-03-29 2:08:44

#1 松永紘明:旅するトレイルランナーの「やり続ける才能」

記念すべき第1回目のゲストはスペイン領・グランカナリア島で開催されたワールドトレイルメジャー第3戦「トランスグランカナリア」から帰国プロトレイルランナー松永紘明さん。世界のメジャーレースに参戦してきた彼の感想は意外なものでした。

「DEEPJAPAN ULTRA」「トレイルランナーズカップ」と特色のあるトレイルランニングレースもオーガナイズする彼の原点をたっぷりお伺いしました。

2時間に及ぶとても長い収録になってしまいました。後半はインタビュアーが逆転して僕のトレイルランニング(鏑木毅さん)に出会うまでを随分お話してしまいましたw

by ちばちゃん

Host: Tatsuo Chiba @tatsuo_chiba, Marco Lui @marcolui

Guest: Hiroaki Matsunaga @matsunaga.hiroaki

Sound Editor: Kensuke Koshijima @boy_genius_afrp

00:02
もちろんトレーニングも全力で、全力でするし、どうやったら向上するか、どうやったら弱点を突出できるかとか、当然やるけど、でもなんだろうな、アスリートとして言えば、多分僕にそんなに才能はないと、正直。
で、僕がある才能と言えば、多分続けられること。走る才能がある人は、きっとやめてって、もう走ることをやめたりだとか、もうバンナウトするのか、もうやめちゃうのかわからないけど、そういう人の方が多いと思う。でも僕は続けてるから、今があるだろうね。
トレイルヘッドへようこそ。トレイルヘッドは、トレイルランニングコミュニティで活躍するキーパーソンに、なぜ走り始めたのか、何のために走り続けているのか、そして、これからどこへ向かって走っていくのか、彼らの走る原点である登山口を探るポッドキャストです。
コースは僕、香港出身、日本在住のマルコと、イブ在住の千葉ダンでお送りします。
今回のゲストは、1回目のゲストですね。
ザ・ノースフェイサースリートの松永博明さんですね。
はい、僕は初対面でした。
そうですね。トランスグランカリアから帰国した羽田空港から拉致して、鎌倉に連れてきたっていう、ちょっと強行軍でね、ちょっとお疲れ気味だったけどね、予想通りたくさんお話を聞けてよかったですね。
全然疲れ見えなかったけどね。
そうだね。あれでしょ、マルコ初めてだったから、え、こういう人なんだって思ったでしょ、割と。ちょっとね、アスリートっぽくないというか、キャラクターが。
確かに、そんな感じだったね。
なんかもともと初対面ですし、ただ彼が作ってるディープジャパンは、噂は何人からも聞いてるから、ちょっとヤバい人じゃないかなっていうドキドキしましたけど、
話してみたら、もうすごい陽気というか元気いっぱいで、ずっと喋ってる。そんなドMコス作るとは思わなかったんだね。
でもね、なんかね、やっぱり聞くとね、ちょっとユニークなランナーだよね。
うん、ね。
意外とそこら辺知らない人も多いと思うんで、ぜひね、聞いてもらいたいなっていうね。
今回特に1回目で、思ったよりめちゃくちゃ長かったから、うちらそんな喋らなくても、そのまま本編に入ってもいいかなと思って、もう2時間なっちゃったのね。
松永さんだったら10時間一人語でも大丈夫だからね、たぶんあの人。
03:03
本当にそう。はい、では本編に入りましょう。よろしくお願いします。
お願いします。
まず話聞きたいのは、帰ってきたばっかだからね、トランスランカナリア、どうでした?どうだったんですか?
ライブしかちょっと見てないんで、まず松永さんのリゼルト見てないから、結果どうだったんですか?
結果12時間くらいですか?
えー、早いね。
でも僕が出たのが84曲だから。
クラシックじゃなくてね。
そうそうそうそう。
でも思想、どうでしたか?
まあ要は、
そうね。
なんかあり方って言ってましたね。
いやいやね、どうでしたかって言われたら、すごい言ってよかったなって。
で、やっぱトランスランカナリアっていう大会自体はすごい前からしてたし、
それこそ。
有名でしたね。
で、あれ、多分初回はもう一桁台でしょ?2002年とかそんな。
25周年みたいなこと言ってましたよね。
いや、相当ね。
25周年ってことは1998年とかからでしょ?
だから、やってるのは知ってたし、大会のことは知ってたし、
で、ウルトラトレイルワールドツアーっていうのがあったから、
だからそれで初めて僕は知ったんで、それが2005年、15年、4年とか。
そうですね。
だからずっと知ってて、でも行く機会はなかったから、
なんか行けてよかったっていう、今回初めてその大会に行けてよかったなっていうことと、
あと行ってみて、本当に予想があんまりついてなかったっていうか、
アフリカ大陸の横にあるから、アフリカっぽいのかなとは思いつつも、
一応やっぱスペイン料だし、だからあんまり前情報、正直そんなになかったんで、
どうだったかって言われたらよかったっていうのと、
行ってみていろいろ感じたことはあって、
行ってみて感じたのは、ヨーロッパとアフリカが融合した、
多分レユニオンとかもきっとそうだと思うけど行ったことないけど、
だからヨーロッパの文化はある、でもそこはアフリカ。
150キロ海の向こうは、もうサハラ砂漠でカリマっていう交差みたいなのが飛んでて、
常に霞んでるし、
砂漠っぽい乾燥したところ、足をパッと置くとファッとなる砂の感じ、
06:00
砂漠独特というかアフリカ独特の感じというか、
それもすごい印象的だったし、
乾燥してるから、特に南の方が、
北の方は一方、まあまあ雨が降って、山の外からも雨が降るから、
その変化が、コースの変化というか、
島の人は島がすごい、
この島はみんな小さいって言ってバカにして甘く見て山に入るけど、
山の中で四季があるような、場所によって四季がある。
今回、実際大会の日は、
11時の方向から島が丸くなっていて、
11時の方向からスタートして、6時の方向にゴールするみたいな感じなんですけど、
11時の方向からスタートした時は結構冬で、
秋かな、秋で始まり、上で冬になり、
風もめっちゃ強くて、かなりガスも出て、
だんだん峠を越えて、最後南に下っていくと、
途中から夏になり、そして砂漠になって帰ってくるみたいな。
最高評価はどれくらいですか?
最高はね、1500、500から700くらいだったかな、多分。
はいはいはい。
5、600。
ヤクシマみたいな感じですね。
うんうん、そうっすね。
上と下って結構、日本とかっていうと。
だけどスペイン寮なんだけど、
ちょっとさっきアフリカの場所でいうと、
モロッコの西サハラでしたっけ?
うん、そうそう。だいぶ南っすよ。
ですよね、だからもう暑い?もう夏の感じですか?
気温はね、25度くらい。
乾燥してるみたいな。
うん、乾燥してる。
でもそれは島のこの、北の方はそこまででもなくて、
あとこの標高が低いのは海沿いだから、
海沿いはそのくらいの気温だけど、
でも1500、600が上がれば上がるわけじゃないですか。
だから上はまあまあすごい走りやすい。
で、僕は今回やっぱりアフリカの可能性があるから、
やっぱり気候、僕ね、新潟に住んでるんですよ。
聞いてました。
新潟だから、新潟、今年は暖かいけど、
雪国だから、
2度。
うちの中も2度とかになる。
そういうところから20何度っていうところで、
いきなり行ったらたぶん走れないと思う。
だからその気候にならすために2週間くらい前に行って、
で、コースも全部試走してみたいな。
だから結構万全に準備はしていって、
09:03
うん、って感じですね。
アジア人はあんまりいなかったですか?
アジア人はね、いや中国人いましたよ。
だからノースは今年からね。
5位か6位ね、入賞した選手がいたね。
今年からノースがメインスポンサーになったんで、
で、だから行こうかみたいな話になって、
だから、そう、ノースのチームの。
結構いましたよね。
なんかあの、招待選手のノースの選手が冒頭になってて、
松永さんもね入ってて、結構何人いました?
10何人いたんじゃないですか?
1、2、3、4、5、
15人くらい。
わいたと思う。
一番力を入れてるんじゃないですか?
ノース選手のブランドとしては。
たぶんそうですね。
たぶんそうなと思いますね。
もう選手層もかなり厚い形で、
日本の、吉住さんが出てましたね、
住美さんがクラッシングに。
5位、6位、それくらいで走ってましたけど。
また行きたいと思います?
そうですね。また行きたいし、
また行きたい理由は、
あのね、今回僕が泊まったところは、
ヤドがあって、
そこのマクーっていうんですけど、
マクーさんがすごいよくしてくれて、
マクーさん、僕ね、
本当にグランカナリア島は初めて、
全く初めてだから、
右も左も分からないし、
誰も友達もいないし、
知り合いも誰もいないところに行ったんで、
不安があって、
そこに空港に迎えに来てくれたのが、
そのマクーで。
そのマクーに一目あった時が、
この人は相当なんかこう、
あったかい感じというか、
すごい言葉をやらなきゃ、
お母さんみたいな感じになるみたいな。
女性なの?
そうそうそう。
すごいいい感じの迎え方をしてくれて、
思想する時に、
でも思想はこれワンメイだから、
そもそも全部が。
だから全部送り迎えが必要というか、
それを全部やってくれて、
頼んでやってくれて。
で、そのカメラマンが、
カメラマンとしては、
カメラマンとしては、
カメラマンとしては、
カメラマンとしては、
カメラマンとしては、
で、彼女のおかげで思想もできて、
彼女がその後、
本当はサポートなしでやる予定だったけれども、
彼女に話したら、
いいよサポートしてあげるよって言ってくれて、
彼女のサポートもあって、
自分の力もちゃんと出していたし、
彼女はすごい、
あなたは私の息子みたいに、
すごいいい子だねみたいな感じで。
だから、
あの実はね文庫今回はこれそれのポッドキャストも撮ったし youtube も撮ったんだけど あの彼女のインタビューがね載せてるんだけど
12:08
そう同時点で登場してて彼女がそのそういうふうに言ってくれたしね あのまあまたねまたこの島に来てほしいなぁみたいなことも言ってくれて
だからまあそういう意味ではすごい 僕にとってあのトレイルランニングって正直あの大会もすごい大事だけど
あの なんていうのかな
走りにだけ行ってるわけじゃないし僕走るために生きてるわけでもないし 僕がじゃあ一番何のために生きてるかって言ったらやっぱまあね楽しいことをしたいわけ
じゃないんで幸せになりたいし そういう要素の一つが走ることもそうだしで走ることを通じてどこかに行くこともそうだし
その空がきっかけで誰かに人に会ったりするんで人に会うと
なんかねそういうまた会いたいなっていう人に会うとさまたそこに行きたくなるわけね なのでそういうのもすごい
なんていうのかな 旅ですね そうで僕はもともと自転車で日本一周したりイギリス一周したり
ヨーロッパ回ったりニュージーランド行ったり 世界多分20カ国ぐらいこう自転車に回ってそれで自分はね
好きなことをしようと自由に行くよっていう風に決めたからまあそういう僕の人生は旅に できていると思ってるんで
それ対人との出会いだからそういう出会いが今回もできたからすごい行ってよかったし
でまぁそうするとまた行きたいなっていう
っていうまあそういう どうだったって言われると
あのノースペースアスリートだけど割とそのレースの内容というよりも本当にこう旅の体験
体験というところの方に割とこう 興味的なことをもっと言うのかなと思ったら
興味的なところっていうかそれは当然あるけどそれを今言ったってしょうがないし
しょうがないっていうかしょうがないしあのなんていうのかな それは自分でやることじゃないですか
自分でねあー今回この弱点はこうだったねじゃあ今度これを ここ今度こういうのをやってこうして次に次は僕マウントフジ100なんで
それに向けてはこうしようっていうのはもちろんあるけどでもそれはなんだろうな
そうそれは それは
あるけど でも
そこにもう1回行きたいかとかそのグランカナリアはどうでしたかって言った場合に 僕の価値は多分その全社に全部全トータルでやっぱり素晴らしい景色ももちろんあった
しでそういう異文化も触れてでその彼女がそういう彼女と会えたこととかそういう 僕はもうあの僕結構ね世界中にそういうお母さんみたいな人がいるんですよ
15:04
今回は今グランカナリアにいるけど僕は実は南アフリカにもいるし あとニュージーランドにもいるし
あとシャモリーもいるしみたいなそんな感じだよね ででもそういうなんかそういうことの方が僕は人生の価値っていうのはそっちの方が
あるかなっていうか自分にとって何何に重きを置いているかっていうとそういう本当に 家族のような
人との出会いでありその人との交流で通じて得たことっていうか気づいたこととか
もうなんかねすげーあの話めちゃめちゃ飛んでもいい? 彼女はね一番彼女と今回話してね今胸に突き刺さったのはね
彼女はウルグアイ出身なのね
スペイン語ですよね? ウルグアイ出身でウルグアイはあの当時彼女が小さい
ティーネイジャーよりも小さい8歳までいて彼女は8歳でウルグアイを出た理由は 独裁政治が始まったから
軍事独裁政治がでアルゼンチンに逃げたんだけど アルゼンチンが3ヶ月後ぐらいにまたそこも軍事独裁になっちゃって
でだから彼女が18歳ぐらいまでそういう独裁政治の中
明日お父さんとお母さんがいるかどうかわからないみたいな そんな幼少時代を過ごして要は戦時中みたいなもんですね
で僕は彼女にね一言質問したわけ
でじゃあそのそのなんだろうな 今は
それに対してどう思う?って言ったら要はそういう経験があった幼少時代と今ってどう? みたいな
比べてどう?みたいなことを質問したら彼女は ちょっとねその質問に対しての回答とは違うんだけどでも彼女はね
何が何を言ったかというと あなたは
大丈夫だからって 8歳とか9歳とかの自分に言ってあげる
あなたちゃんと生き残ったから 要は自分がもう死ぬかもしれないって思ってる
すごい不安な幼少期を過ごして
で今実際大人になれた生き残って今はまあ幸せにね あの平和な世界じゃないですか
軍事戦時代じゃないから 軍事独裁じゃないからだからそういう状況になった今はからの自分としては大丈夫
18:00
あなたちゃんと生き残るからねって言ってあげるって言ってて それを聞いた時になんかあのちょっと次元が違うじゃない僕らと
いしてる そうだからなんかまあそういう話を聞けるだけでも僕はすごい今回行ってよかったなって
思うしそういう彼女からやー 秋やあなた僕は秋って覚えてるから
秋は私はねあなたに会えてすごい幸せだったこの2週間って言ってくれたし 私は私には子供はいないけどあなたは私の息子だからって言ってくれ
またグランダカナリアのほうほかの大会でもいいからまたグランドカナリアに来てほしいって 言ってくれたりとか
ね私はこの2週間ほんと幸せだったって言ってくれそういうそういうね幼少期を送った そういう人にさ言われたらさ
また行きたいなって思うだろうしもうなんかそれだけで別に大会がどうのこうのっていう よりももう十分
十分良かったなって言う そうだから僕はそういうところに
まあ重きを置いているんでしょうね もちろん
トレーニングもするし全力で全力でするしどうやったらね 向上するかどうやったら弱点を起こすべきかとか当然やるけどでもなんだろうなぁ
アスリートとして言えば多分あの僕にそんなにね才能はないと正直 なぜなら僕は小学校の時僕は完全に一方的に喋っているけど大丈夫です
そうあのなんだろうな僕小学校の時 えっとねー
まあ時給争大会って日本ではあるんですよ あるバラサム大会そうそうそうね
でいつもね結構練習するんだけどいつもね2番とか3番なわけ そうなんですねでも早かったってことだよね
まあでも絶対勝ってやるって思ってやってもそうなわけよ だから僕よりで小学校のレベルでそうってことはですよ
そんなねあのでしかも小学校っていうのはさ すごい小さい世界なんでしょ
小学校は日本全国に3羽年その星の数ほどあってさ ってことは自分より早い人もすごいいっぱいいるわけじゃないですか同じ年齢だけでも
世の中に僕より足が速い人も体力がある人もフィジカル的に優れてる人なんてもう もうすっごいいっぱいわけだから僕に対して才能はないわけですよそれはもう
最初からわかってるわけね そうだから何だろうな
まあ努力する で僕がある才能といえば多分
続けられること そうですね
続ける才能は みんなそういう才能なんで走る才能がある人はきっとやめてってもう走ることをやめ
21:05
たりだとかもうバンナウトするのかもうやめちゃうのかわかんないけどそういう人の 方が多いと思うんで僕は続けてるから今があるだけで僕より才能がある人は
いっぱいいるしっていうあくまで僕スタンスなんで だからなんだろうなその選手として
恵まれて才能があるということは絶対ないから それは絶対自信を持ってわかるんでだから努力するしかないし
でまぁあとはあのこれちょっと話どんどん飛ばしていきますけど 質問もないから
質問ないから飛ばしていって
さっきねここに来るまでに車で今日ね今日着いたからあの 30時間くらいかけてグランカナリアから羽田までまず30時間くらいかけてもらってきて
ちなみに何フィールですか? まず行く場合で説明すれば羽田、パリ、アムステルダム、グランカナリア
で帰りは逆ねグランカナリア、アムステルダム、パリ、羽田みたいな そこだけで30時間かかるわけですよで僕は新潟に住んでまだここから4,5時間はかかるわけですよ
今ポッドキャストこれやってるからさらにかかってる だからなかなか時間かかってるわけじゃないですか
で何の話しようとしたんだっけ?それで羽田からここに、ここ今鎌倉なんですけど 鎌倉で収録してるんですけどその鎌倉に来るまでに車の中で千葉さんに
打ち合わせしようと思ったらしなくていいって言ってそれ全部話すからって何話すか全然知らない
でもそれ質問してくれるって言うから質問しているのを待ってたんだけど全然質問してくれないから
いやいやだから質問ね、でもそれでその時に言おうと思ってたんだけど
僕には要は才能はないわけですよ
で僕は だから僕レベルの人間は自分でやっていかないとダメなのよ
もういろいろ神のような存在の皆様は
あの依頼があってですねこれやってくださいこれしてくださいこういう依頼が来るわけですよ
でも僕はそれがないから自分でやってるだけで あのあれですよ千葉さんの車の中でさ
いや僕がねあのいや全部自分でやるからすごいですよ あの多分経費を削減できてるだろうしやっぱそうやってね考えてやってるんだと思うんですよ
ねって言うからじゃなくて僕はあの僕はえっとオファーがあるようなクラスの人間じゃないんで
24:00
だから自分でやっていかなきゃダメなんですよ オファーを待ってたら何も起こらないから
そうだから誰も僕に大会プロデュースしてくださいって言ってこないから
僕もそうですよ
そういう選手もいるわけじゃないですか だから僕はそうじゃないから自分でやってるだけで
自分でやらないと生きていけないから だから自分でやってるだけで
ウルトラトレイルとかウルトラディスタンスの選手としては続けられるっていうの強み っていうのはかなりのストロームポイントだよね
長くなればなるほど松永さんの特徴っていうのは向いてるよね
それも一種の才能
まあそれはの距離的なものもそうだけど選手生命というか選手として僕
プロとしてやり始めたのが2006年
当時はOSJの滝川さんがやるOSJのあれしかもなくて
あれに出るだけであれに出るとみんないるみたいな みんなその大会しかないから3つ4つぐらいしかでそれを出ていくとみんな顔ぶれが
いつも一緒みたいな その当時一緒にいた人たちで今一緒に走ってる人いるかなぐらいの
みんなもう走ってないかレースには出てないか でもそれがモチベーションがないからやり続けられないなの部分と
怪我してしまう部分だったら 丈夫さも一つ あー確かにねそれはだいぶ気をつけてるんで
僕ここに来る間に自分の弁当食べたでしょ 自分で作ったご飯食べてるんだよね
あれはねいやでもあれはそれこそマクーがマクーと一緒に作った向こうで 仕込んできたの?仕込んできたんだ
だからマクーと2日に1回は マク弁ってことですか?
僕も僕と一緒に作ったけどね 僕は海外衛生するといつも自粋になるんですよ
日本からいつも米を持っていくかな 2週間だと5キロぐらいか
2週間だと5キロぐらい持って行ってみたいな 1日3個食べる 1食1個食べるんですよ
常に僕基本的には日本食で 自粋で外食ほぼせず
だから食事は気をつけてるし レース中はどうしてるんですか?
例えば現地のエノの食べ物とかもあるじゃないですか? 現地のエノの食べ物は基本つけないですね
高蛇とかのジェルは食べますけど 高蛇ニュートリションで
自分が普段食べてるもの以外は海外のレースに行っても食べないってことですか?
基本食べないですね
27:01
そこは徹底してるんですね
自分が好きなものっていうのが素材の味を生かした薄味で 塩とかだけの味付けみたいな
そういうのが一番僕の体には合ってるし 僕は一番そういうのが好きだからそういうのを食べる
あとは多分アルコールとか
やっぱりアルコールはきっと関節の炎症を助長すると僕は思う
経験則からそう感じるってことですか?
いやいや飲まないから分かんない
今は飲まない
なんとなくそう思ってる
選手っていうのはランキングの選手だけじゃないですよ
アスリートを含めて
野球サッカー全部含めて
多分ああいうのを飲んでると体にはダメージあるんだと思うし
体にダメージがあるというかそれこそ回復が遅れるっていうか
だってね肝臓
体治すためにめちゃめちゃ肝臓使うわけじゃないですか
僕ら走っただけで肝肝炎になってるぐらいの数値に100マイルとか走るとなるって言うじゃない
だからそれにさらに酒飲んだらそれは体はもたないでしょっていうのもあるし
だからそういう意味では食事は気をつけて
あと睡眠
やっぱトレーニングと食事と睡眠のこの3つのバランスがいかに
トレーニングをすればするほど食事そして睡眠もすごいやっぱ重要になってくると思う
常に正三角形みたいなイメージを
そうにお意識して
強度を預けたら睡眠も食事も
同じぐらい大事
だから食事も睡眠もトレーニングというか
この体を作るっていう意味ではね
トレーニングはトレーニングで一個だけど
睡眠と食事っていうのも一個ずつだから
つまり睡眠と食事が3分の2なわけじゃないですか
3分の3だとして
そういう意味では食事も睡眠もめちゃめちゃ大事だから
そこがすごい大事にして
だからいつも8時半とかに寝て
下室行きは5時に起きて
ディープの時も寝てるもんねちゃんと
ディープジャパンのレース中に松永さん居ないけど寝てるんだよね
だからそこら辺点してますよね
でもそうじゃないとやっていけないもんね
レース今何個やってます?
多分15個ぐらい
連観ってこと?
主催で
だから今日帰ってきたでしょ
だから土曜日に大会があって
日曜日は月曜日に出てきて
今今日水曜日で
今日水曜日のうちに新潟に帰り
木曜日に準備
30:02
木曜日に準備して
金曜日に大阪に向かって
土曜日前日準備して
日曜日大会して
月曜日帰ってきて
その翌週は奈良なんで
一回帰ってくる?
本当は帰らない方がいいかなって思ったんだけど
うちにいつもサーカス一座みたいに
家族全員で行くんですよ
学校があるから帰ることにした
お子さんがスタッフやってるんですよ
計測とか
本にも出るし
カメラマンとかもして
ファミリー企業
ファミリー企業
サーカス一座だから
車にバンバン詰めて出かけるんで
そうなると一回帰ってくるのか
帰ってくるんですよ
でもその翌週は奈良で
みたいな感じだから
一方でアスリートとしての
ライフスタイルは崩さずに両立してるってことですね
まあまあまあ
僕の強みなんだからやっぱり続けることだと思うんで
そういうことができるのはすごいですよね
なかなか両立ができない
だって僕は
走る
好きな時に走りたいから
自分で事業してるわけで
僕はそもそも自転車の話しましたっけさっき
まだしてない
話さないって言ったから
今ポッドキャスト言わなかったっけ
ちょっと言ってた
だから自転車で旅して
好きなことをすることに自由に生きるって決めたんで
好きなことをして自由に生きるためにやってるわけだから
走ることも好きなことだし
走れなくなったら意味ないんで
だから両立も何も
だって走るの最優先でしょみたいな
好きなことなんだから
プロってOSAしかなかったって言うじゃないですか
普通プロって言うと
スポンサー付いたり賞金が出たりとか
それで食べていく人の定義だけど
松永さんの方で
走るの好きでも分かったんだけど
プロとして生きていくっていう時に
どうやって生きていこうと思ったんですか
当時賞金レースもないし
今もないけど
だからそれはすごいリスクでしょ
だって2006年当時
だってトレイルランニングってそもそも何ですかみたいな
その時は特にランナーとして
だってもともとサッカー選手ですもんね
だからランナーとして
すでに2時間10分で走ります
みたいな感じではなかった
全然ない全然ない
だってさっき言った通り
僕より速い人は山ほどいるわけだから
例えば自転車乗ってましたとか
なんかのやつで
どんなスポーツでもいいから
流し入れてた存在に立ったわけではない
ないないない
全然ないです
結構ほら他の選手は
33:00
例えばアジアベンチャーレースに出てましたとか
株主さんとかお好み屋さんみたいに
箱根駅で出るまでいいかみたいな
全然そんなことない僕は
思い通ったら
僕はだけど
藤枝東高校っていうところでサッカーしてましたけど
でも僕自身は別に全然大したことないし
で大したことあったらそもそもサッカーになっていくわけだから
でも自称するわけですね
プロだってある日
俺プロだって
それはこう
どういうところで自分はプロだって
言うようになったんですか
要は
もう雇われをやめ
雇われをやめ
収入源を
自分で
トレイルランニングで生きていくってことです
生計をトレイルランニングで立てる
じゃあそれはランナーっていうよりも
今のイベントとかも含めて
プロトレイルランナーだっていう
僕の場合ね
それが2006年って思ってきた
2006年
そんな早かったんですね
多分僕は2番目ぐらい
石川さんの次より
たぶん
たぶんですよ
いやいやそんなことない
俺がいるとか言う人いるかもしれないから
あんまりあれだけど
でも2番目ぐらい
でも2番目かどうかも分からないし
でも僕がプロとしてやり始めたの2006年です
それはでもランナーで当然食べれないわけじゃない
スポンサーも始めたわけでもない
えっとね
スポンサーは
その当時は
スポルティバと
ゴーライトっていうところがあって
そこでしたね
それでも全然実績ないのに
どうやってスポンサーにつくの
それはだから
確かね
8節目で9位ぐらいに
やっぱりそうきっかけるわけですよね
まあまあまあ
そうそうそれはありますよ
でそれで
僕は
僕はね
最初は小学校の時は
サッカーのプロになりたくて
ひたすらサッカーのプロを目指して
ずっとサッカーをして
親に止められようがサッカーをしてたんですけど
でもサッカーのプロにはなれず
でもプロのスポーツ選手になりたかったんで
サッカーをしてる時から
山を
サッカーって体力勝負なんで
山をサッカーの
サッカーの練習のために山を走ってた
ちょっと山勝ちですもんね
福知枝って
そうそうそうそう
すぐ山あるから
それで
小さい時から
小学校で何年生
これいつもわかんないんだよね結局
たぶん3,4,5年生ぐらいだけど
3,4,5年生ぐらいから
週に6日走ろうって決めて
日曜日だけ休みみたいな
でそれ以外毎日走るって決めちゃったわけで
36:01
めっちゃ大変だったんだけど
でそれ以来ずっと毎日走るようにして
でだから山をそれぐらいから走ってたわけ
ででもサッカーの選手になれなかったけど
じゃあなんかプロのスポーツ選手になりたいな
で次目指したのスキーだった
スキー
静岡で
いや静岡っていうか
だってサッカーのプロになれなかったのはもう高校だから
で次大学でしょ
そうそうそう
新潟に行ったでしょ
長岡の大学
そうそうそう
だからスキー
そうそうそうその時には
じゃあもう次に好きなものはスキーだから
ちょっとスキーでプロになりたいなと
スキーで世紀を立てたいなと思って
スキーのインストラクターのライセンスを取ったり
それは日本で言うと
新潟のスキー場とか
あと北海道とか
あとカナダのスキーのインストラクターのライセンスを取ったりして
でこうなんていうの
そのスキーで世紀を立てたいなと
でもスキーって3ヶ月とか4ヶ月しかないわけよ
年間で言うと
他の時期どうすんのよみたいな感じの結局
であるところまでは行ったけれども
スキーのインストラクターには慣れたし
冬の間は世紀は立てれるけど
でも実際には世紀立てれない
立てきれないわけじゃない
じゃあなんかどうしたらいいかなって言って
いう時に
ランナーズっていう雑誌が
今ありますね
その雑誌に
日本三角耐久レースっていうのが書いてあって
日本一過酷だって書いてあって
日本一過酷なレースってどんなんだろう
そうですね当時最長距離じゃないですかね
72キロ
実はその前段階で
100キロマラソンに出たんですよ
ロードのね
日本で
それは話のネタで
大学1年か2年くらい
来年か
早いですね
大学1年生の時に
フルマラソンだったら走るしと言いそうだけど
100キロ走ってる大学生なかなかいないだろうと思って
話のネタに出たわけですよ
出て
10時間か9時間くらい走って
もう1回出たわけですよ
結構練習して今度は
もうちょっと頑張ろうと思って
出て1時間半くらい早くなったけど
これはとてもトップにはなれないなと思って
要はロードじゃなくて陸上選手は全然ないし
その時にさっきの雑誌を見て
ハセツがいたと
日本一過酷なレースちょっと出てみようって言って出て
何年ですか出たの
だからそれがね多分2014年
39:00
2004年
2004年
そうすると
カブラギさんとかも出てないくらいですか
いやいやあのね
横山さんが多分その年優勝したと思う
その時アドベンチャーズが転校したくらいですね
でその時に山本健一君に会ったんですよ
初回に出た時に
ちなみにこの前山本健一君と色々話して遊んだんですけど
今年だから僕彼と会って20周年
話に全然あんま関係ないけど
とりあえず一番仲の良い子が20年前になった
山本健一さんね
それを置いておいて
だから
2004年でしょ
2005年結構練習してそれで9位になった
それで2006年にスポンサーを見つけて
5年にそうなった
2006年にスポンサーを見つけて
その年にも
2000年
でも僕は大学院まで出てるんで
2005年
5年
多分ね5年
4年の
5年の3月に卒業して
5年の3月に卒業したから
5年の4月からは社会人にならなきゃいけないわけでしょ
生きていけないわけじゃないですか
だからちょっと社会人になったけど
2個ぐらい会社やったけど
でも1年の中で2個か3個か
いつも4ヶ月とか5ヶ月とかで辞めてたんですけど
まあまあいいや
それで2006年の7月かな
全部完全に辞めて
自分でこれで生きていくしかないなって
要は僕の場合は
好きなことを仕事で自由に生きるって自転車旅をして決めたんで
でもどうやって生きていくか分からなかったわけでしょ
どうやって生きていくか
要はどうやってお金を稼ぐか
だってトレーランディングとかも
まずはサッカーの選手でしょ
サッカーはダメだった
スキーもちょっと冬しかないからダメだな
トレーランディング
でもトレーランディング誰が走ってんだみたいな
正気あるわけでもないですよね
だから2006年当時は
2006年当時は英語の家庭教師の派系もしてたんですよ
僕は自転車で旅してたりしてたんで
海外行くのも好きだったし
英語もその時に
僕は実は留学しようとしてて
いつ頃の話?
大学院の1年くらいかな
42:02
2004年?2002年か
2002年貿易センタービルに飛行機がボコーンって突っ込んだ年
あれ2002年でしょ確か
3年?
そうそうニューヨークにボコーンって
2001年
あの年にイギリスを一周したんですよ自転車で
で自転車一周した時に僕は
その前の年に2年かけて
北と南を分けて自転車で日本一周したわけですよ
日本一周した後は
今度じゃあ日本と同じくらいのどっか海外行ってみようかなって
海外行く気は全然それまでなかったんですけど
あそうなんですか
英語も大嫌いだったし
海外も全然行く気もなかったというか
行くとは思ってなかったまさか
でも日本一周して
これ面白いなって
それはやっぱり今回のさっきのさ
グランカナリアみたいに思うんですよ
僕は出会いって面白いなって
いろんなとこ
自分が動けば
自分が動けば出会いがあるわけじゃないですか
僕がどっかに行くから出会うわけでしょ
ここにいたらここにしか
ここにね
例えばグランカナリアに行ったから
例えば巻くみたいな人に会うわけで
ここにいたら巻くには絶対一緒に会わないわけでしょ
自分がどっかに行くことによって
出会いとか
世界が回り出すって僕は思うから
その意味では
そういう
自分の変化を
呼び出すというか
いろんなきっかけを提供してくれるというか
だから
そういう意味では
自転車で旅した時に
これは面白いな
なぜなら
何かをやり遂げたってあんまり経験がなかったんだよね
そもそも
でも日本
自分のうちから
例えば沖縄は地続きじゃないけど
例えば鹿児島とかは地続きなわけですよ
ずっと道が繋がってて
自分のうちの前から
鹿児島のあそこまで道が繋がってて
また別の道でぐるっと回ってきて
全部道が繋がって
道が全部繋がってんだなって
すごいなみたいな
それを全部自分の足で行けるんだなって
これってすごいなって思ったりだとか
あと
自転車で行くから
会える人っているわけですよ
45:00
車で行ったらその人に会わないなとか
例えばバスツアーだったら絶対その人に会わないなとか
でも自転車だから
雨にも当たり
日差しの暑さにも暑いなって思いながら
風も感じながら
すごい五感で生きてるっていう感覚を持ちながら
裸一貫で人に会うわけじゃないですか
その
なんていうのかな
それによって
その会った人と話をして
その人がどういう生き方をしているのかなとか
ああそういう生き方いいなって思ってみたいだとか
その出会いから
自分の生き方を見つけられるっていうか
要は自分探しの旅ですよね
だからすごい出会いって楽しいなっていうか
だからこれを今度は日本だけじゃなくて
世界と今度は海外に行ってみたいなって思って
なんかあれですね
聞いてるとどちらかと言っても
ランニングはツールだよね
人生の
どちらかと言うと
走るの好きなんだろうけど
でも実は多分
自己実現できるものは
もしかしたらサッカーでも良かったかもしれないし
だから多分本坂さんがプロサッカー選手になったら
多分16歳くらい
威勢しまくってんだろうなっていう感じですよね
まあそうですね
可能性はありますね確かに
自分が体で表現しながら
でもやりたいことは
自分の知らないいろんなこと
いろんな人と出会って
自分の人生豊かにしていくみたいな感じ
そうですね
より自分を高めるというか
そういう刺激っていうのは
やっぱり出会いって本当に
人との出会いってすごい大きいと思うから
でも面白いと思うのは
ランニングっていうツールによって
その体験だったりとか
そういう人との出会いができるしつつ
なりわえにもなってるとか
一致してるとか
ランニングとして
自分の人生も楽しめるし
なりわえもついていけってあったり
そこが一致してるのが羨ましいというか
そこを模索してたんですか?
いやだから
だってね自転車で日本一周して
世界中回って
で僕はその時に
世界中で出会った
日本じゃね正直そんなにいなかったんですけど
海外行くとやっぱり
好きなことを仕事に
生きてる人っているし
あとバカンスっていうか
要は3ヶ月休みとか普通にあるし
家族との時間をすごい最優先にして
生きている人たちとかを見て
僕はそういうライフスタイルがいいな
要はだから好きなことを仕事に
自由に生きようって決めて
だからどうやったらそれが実現できるかっていうのを
模索っていうか
それを実現するために僕の人生はあるって思ってる
48:01
一番ビジネス的な話ですけど
モネタイズできたのは
要はお子様向けのレースの
いわゆるトレイルランナーズカップですよね
それはいつからやってるんですか?
それはね
あれはね2008かな
すぐではないんですね
ちょっとローンがぼっていいかもしれない
年間10方向のレースやってると
どういうレースやってるか
そこがちょっと背景として
今ね
知っちゃってるからね
今はね
15レースっていうのは
8割がトレイルランナーズカップですね
トレイルランナーズカップと少し
ちなみにトレイルランナーズカップっていうのは
3キロとか4キロぐらい
3、4キロと6、8キロぐらいの
本当に3歳から出れる
初めての人
これから何か運動しようという人とか
アウトドアなんかしてみたいなっていう人とか
ゼロを1にするような
人生が変わりましたのきっかけ作りを提供するような大会で
ミニ講習会もしたり
あと自己紹介タイムみたいなのもして
人との出会いも大事にしながら
その人の人生が変わるきっかけを提供するっていうのが
コンセプトの大会で
それを今全国各地で
それが8割だから
15の8で12ぐらい
12大会ぐらい今していて
北は山形から
南は一時期香川県もやってたけど
今大体今年から兵庫までやっていて
そこは実は
わりと日本で珍しい
プロって言ってるアスリートが
子供向けのやつを特化してやってるって
実は珍しくて
普通は自分が走ってきたレースを
西海外の素晴らしい景観を日本でやりたいとか
UTMBで世界をここに日本でもやりたい
みたいなことっていう人が多い中で
そこはすごくユニークだなというか
発想が
スターさんの中では普通だったのかもしれないけど
あんまりいないですよね
なんでそれをやるようになったかというと
ニュージーランドの大会に出た時に
あれはケプラチャレンジじゃなくて
7名は?
いやもうね
かなり前ですよね
セント・ジェームス・ウルザー・トレーニング
今はない大会なんだけど
それに出た時に
違うなやっぱケプラチャレンジかな
それに出て
セント・ジェームス大会に出て
そこで多分2位か3位くらいになって
その時に優勝した選手が
マーティン・ルーカスっていう選手で
その選手がケプラチャレンジっていう
51:00
ニュージーランドでは
一番南の方ですね
そうそう
テアナウっていうところで
そうそうそうやってる
今ね多分ニュージーランドで一番有名なのは
タラウェラなと思うけど
でも一番歴史のある
日本で言った多分ハセツネみたいな大会
ステータスの高い大会があって
それに優勝してたんです
マーティン・ルーカスさん何回も
でああそういうレースがあるんだって思って
じゃあちょっと俺も出てみたいなって思って
だからそれも彼との出会いがきっかけだったわけですよ
彼はすごい僕のことも気に入ってくれて
だから結構何回か一緒にトレーニングをしたりだとか
彼のうちの近くに行って
彼とトレーニングをしながら
ケプラチャレンジに出ようって思って
もう一回ニュージーランドに2回目に行ったわけです
その時に彼が
僕は海外で秋って呼ばれてるんだけど
秋ちょっとケプラチャレンジの3日前だけどさ
俺これ出るからお前も一緒にこれ出ようって
言って誘ってくれた草大会があって
彼はクライストチャーシーに住んでたんで
クライストチャーシーのね
あれ何キロあったかな
キロ数は覚えてないけど
多分ね3,4キロか4,5キロなんですよ
で税金もなく
税金もない
税金もない
受付でお金ちょっと払ったら
マジックで番号2とか3とか書かれて
で別に誘導員は何人かいたけど
本当に草レースなわけですよ
で帰ってきたら何位だったね
ちょっとみんなでコーヒーとか何かカフェとかして
終わりみたいな
そういう草レースがあって
それはその日受付で
当日受付で
税金もなく
もう超草大会なわけじゃないですか
でそれを見て
これいいなと思って
こんなん日本ないなって
なかったですよね
そうだから当時はトレーナーズカップも
当日受付だったんですよ
当日行ってお金払ったら出れるみたいな
でちょっとパンデミックの影響で
それを要はそういう対面でいろいろやるのは
ちょっと難しいねっていうことで
当日受付はなくしちゃったんですけど
それまでずっと当日受付だった
2008年に始めて
2020年までか2019年とかまでは
ずっと当日受付もやってたんです
だからトレーナーズカップのコンセプトは
日本一色の低い
3歳からできて
当日受付もできてみたいな
半日で終わるしみたいな
そういう大会で
それのモデルはニュージーランドの草大会
実は
あんま言ってないけど
54:00
たまに言うんだけど
でもあれが8割で
ハードルが低いのが8割
もう一個は対局だもんね
ディープな
そうディープジャパンウルトラは
二面性がすごすぎる
振り幅は
振り幅は多分日本一
日本一振ってると思う
振ってる間違いない
そこからそこかよみたいな
でも要するに人生変わるきっかけって
コンセプトは実は変わらないってことだね
変わらない
要はゼロから一にするか
究極のところで変わってもらうか
自分の中ではコンセプトは変わってない
コンセプトは全然変わらない
人生変わるきっかけだから
別に今までやってない人がやれば
人生は変わっていくわけだし
別にだからそれは
ディープジャパンウルトラ100みたいに
究極の極限状態に陥らなくたって
今までやったことない人にとっては
3キロだったって
すごい大変なわけじゃないですか
すごい大きなチャレンジだし
だから別にコンセプトは一緒
コンセプトは一緒
コンセプトは一緒
一緒だったの
一緒だよコンセプトは一緒
言ってることは一緒だもんね
文脈あれば分かるけど
だからトレーンランナーズっていうのは
人生変わる人のきっかけ作りを成長する
それが使命だから
トレーンランナーズのMCでも言ってるし
ディープジャパンでも言ってるから
それは確かに言ってることだよね
一緒
一緒
そう
ディープジャパンの場合は
なぜ生きるのか
何のために生きるのか
どんな人生を歩みたいか
その人生の答えとなるような地図を描けるような
絶対的な経験をしてもらうのが
ディープジャパンのコンセプト
でもそれは
すごい平たく言えば
人生変わるきっかけのわけじゃないですか
やってることは変わらない
やってることは一緒
対象が違うだけ
対象
そうね
やってることが一緒っていうか
目的は一緒
伝えたいことは一緒
そうそうそう
伝えたいことは一緒
でもやってることはちょっと違うと思う
だって激しさが全然違うから
対象が違うね
対象が違う
これゼロを1位にするのか
やってる人にさらにもう
やってる人にさらにこんなこと
違う
別世界を見せたい
自分を深掘りしてもらうって感じ
ディープジャパンの
ディープは何がディープかって
コースもディープだけど
自分を深掘りをして
自分の中の深いところを
ちゃんと見つめてもらうっていうのは
また一つの大事な
だからディープなんで
別にコースだけが
ディープなだけじゃなくて
でも少々今一貫してやってることは
好きなことが伝えたいことがあって
それがちゃんとマニタイズできてるんだけど
今までの話を聞くと
初めはプロアスリートで
ちょっとスポンサーがいるぐらいだったんだけど
今今回一応トレイルヘッドなんで
どこで今の形
1個はニュージーランドの話とかも出たんだけども
今それよりもどちらかというと
57:02
人生の変わるきっかけ作りっていうのが
固まったっていう
自分はこれが伝えたいことなんだっていうのは
いつ自分の中で固まったんですかね
それはね
人生変わる人にきっかけづけを提供するっていう風に
言い始めたのは
結構調べないとわかんないけど
なんかきっかけがある
コンセプトっていうか
僕は自分が何をしたいのか
自分はこのトレイルランニング
正直僕はトレイルランニング
よく新聞とかでインタビューを受けて
書かれるのは
トレイルランニングの普及団体
トレイルランナーズみたいに書かれるわけ
でも別に僕は
トレイルランナーズは別に
トレイルランニングを普及したいから
やってるわけじゃないんですよ
正直
全然別に
トレイルランニングを広めたいと思って
やってるわけじゃないの
僕は全く
トレイルランニングが広まるかどうかなんて
正直どうでもよくて
一人でも多くの人が
その人がより自分らしい人生を歩むように
そのきっかけを提供できれば
僕はそれでいいわけで
一人でも多くの人が
より自分らしい人生を歩めば
それでいいだけで
それに貢献できればいいなって
僕は思って
そのために色んなことをやってる
だからそれは何でかっていうと
僕は自分が
一人でも多くの人が
自分らしく生きれば
要は自分が幸せな人が増えれば
自分の好きなことを
仕事で自由に生きてる人が増えれば
僕はこの世の中もっと良くなると思うし
やっぱ自分が好きなことを
例えばしてれば
ちょっとさ
自分と考え方が全く違うね
正直相入れない人がいても
別にその人に対して
それもそうだよねみたいな
思えると思うんです
要は心の余裕っていうか
自分と他者が違っても別にいいわけで
でもそうじゃなくて
自分も幸せじゃなくて
自分が何でこんな人生やってるのかとか
お金のためだけに仕事してるとか
もしなってて
すごいストレス感じてたとしたら
そういう人見てて許せないっていうか
要は自分が幸せになればなるほど
人と自分の違いを受け入れられるから
そういう人が増えれば
僕は世の中平和になると思う
平和に
そうすれば
より他者を尊重できる
お互いを尊重できれば
みんなが好きなことを
しやすくなるわけじゃない
それもいいよね
別にそれでもいいんじゃないっていう
お互いが尊重する
1:00:02
そうすることがより
この世界が良くなると思う
そういう人が増えればいいと思うから
だからそのために
僕はこのメッセージを
やっぱ伝えたいなっていうことになったわけです
それがいつかって言われると
多分っていうぐらいしか分かんない
多分2000だから
これを始めたのが2008年だと
2014年とか13年ぐらいじゃないかなとは思うけど
はじめは好きなことをして
食べてきたいなって
要するに自分のために始めてるじゃないですか
自分はだから
まずは自分が自分のために
自分が好きなことを
仕事に自由に生きるんだって決めたわけで
そこからやってるけど
今話聞くけど
そこからさらに広がってきて
今ほら
人に対してのことがやりたいになってるじゃないですか
自分のことじゃなくて
今はだって
僕は自分はもうできてるわけだから
自分ができていて
僕は自分は今幸せだし
自分は自分らしく生きれてるなって思うし
自分で自分のことも評価できて
自分で自分の結果も見つめながら
自分で自分の弱点にもしっかり向き合って
自分で自分のことをより向上させようと思ってるし
だから自分は自分らしく生きれてるなって
思ってるわけでしょ
でもそういう人が増えたほうが
絶対この世なんか
僕は良くなるなって思うわけ
僕は
だからそういう人が増えるようなきっかけを
提供したいなっていう
それもどこかは分からないけど
いつの間にか
自分のことよりも
人に対してっていうのは
やっぱそのだんだんやることによって
自分が満たされてったっていう
まあまあそうですね
自分はできてるから
できてるからっていう
自分は幸せだから
よりそういう人が増えたほうがいいんじゃないかな
っていうことです
でも同じ質問をちょっと言い方変えてみると
その世界観
自分の人生も
いろんな楽しめるきっかけを作れば
どんな仕事でもいいよっていう
っていうのを
まず自分がそういう人生を歩んできて
今度は他の人にも同じメッセージを
伝えようとしてるって言ってるので
でもその世界観はいつからできたんですかね
サッカー選手の頃からできたのか
その前なのか
いやいやいや
いやいや多分ね
そんなに前だから
それこそだからさっき
そうだな
その世界観はね
だからさっき言った
人生があるんでしょうね
きっかけ作りを提供するって言い始めた頃から
じゃあ結構あっとですね
だから2013年とかぐらいだと思う
13年14年ぐらいだと思う
だってまずは自分が最優先でしょ
よく言うじゃん
よく言うじゃんっていうか
この例が正しいかどうか分かんないけどさ
飛行機の酸素マスクが出てきた時に
1:03:00
まずちゃんと自分をしてくださいねって
それからお子さんとか周りの人にしてあげて
自分が幸せじゃなかったら
人なんか幸せにもできないし
人なんかそもそも幸せになんかできないんだから
自分しか自分を変えられないわけで
僕は誰も変えられないわけです
だからなんていうのかな
自分をやるのが最優先でしょ
しかも今でも僕は人が変えられないとは思ってるんで
だからあくまできっかけは提供するけど
変わるのはあなたですよ
変わりたいんだったらっていうあくまでスタンスで
僕はあなたを変えようとは思ってませんよっていう
それは無理だから
でも僕は僕で最高に楽しくて
最高に自分を表現することはできて
それがそれっていいなって思う人が
その刺激というかそのバトンを受け取って
その人もじゃあ僕も私も
最高に自分を表現しようってなったら
その人が僕じゃない別の人に
そういう最高に自分を表現したら
それを見た誰か別の人が
それいいなって言って
だんだん広がっていくわけじゃないですか
そういうバトンをどんどん渡していくっていうか
そうすることでが唯一
この世の中が良くなることだと思うし
あともっと言えば
僕は世界の一部なんだよ
そうでしょ
僕は世界の一部なわけじゃない
どんぐらい小さいか分かんないけど
僕がだから1ミリでも良くなれば
セガは1ミリ良くなるわけ
でもそれしか
僕は世界を良くする方法はないと思ってるんだよ
僕が良くなるから世界がちょっとだけ良くなるみたいな
世界を良くすることはできないけど
僕が良くなる結果
僕は世界の一部だから良くなるって思ってるんだよ
だから世界を良くするためには
僕が良くなるしかないんだって思ってる
そういう生き方してるんで
トレーランニングの
グランカナリオで言えば
トランスグランカナリオの
結果っていうかそういうリザルトも大事だし
走ることもトレーニングすることも改善することもそれも大事だけど
でもそれ以外の大事なことっていっぱいあるわけじゃないですか
だからそれは一部で
そういう僕はスタンス
そういう僕は人生観というか
色々考えてるんですね
意外とね意外と色々考えてるんですよ
僕ね逆にね全然そういうのね
言語化できないですね自分の気持ちとか
感じる感じでやるみたいな感じとか
感じる感じでやる?
自分の感情とか感覚を言語化して説明するのはすごく苦手ですね
感情も?
感情もそうだし
1:06:00
考えとか
表現とかを言語化してとかっていうのが
あまり自分自身が
ボキャブラリーがないんでしょうね
日本語にするのが苦手なのかもしれないですね
でももっとね体が動くというか
もっと難しく考えずにやりたいことをやるみたいな感じなんですね
僕どっちかというと
松永さんは感じたことを理論的に考えて落としてるけど
僕はそこのとこはないですね
本能のままに生きてます
でも聞いた感じはどちらと言えば
やってきたことを振り返ったらこういうことだっていうのを説明してくれてる感じ
それに対してすごいなって思って
自分のことが一番分からない
いやでもね
自分のこと
自分のことは分からないかもしれないけど
自分のこと分からなかったら人のことも分からないし
でも人のことなんか分からないから
やっぱ自分のことを分かることに集中するしかないなって思って
僕はね
自分のことも分からないし人のことも分からないんですよ
だけど分からないんだけど
分かろうとするっていう声がすごく大切だと思うんで
そうそうそうそう
分からないんだけど
分かりたい分かろうとしてあげたいっていう
そのことがすごく大切かなって思うんで
僕なんか逆に割とあんまり裏切られたとか
嘘つかれたとかって言っても
まあ人間だからそういうこともあるよねみたいな
あんまりそういうのは思わん
あんまり固定感にはない
それは最終的にはやっぱり分からないから
人間いないから
いやいやいや絶対分かんない
自分自身も明日の感情も分かんないし
僕も結構いろんなことやってきた人間性になってる
だからそのなんていうのかな
僕はこういう人間ですずっとっていうことが僕は言えないんですよ自分自身で
変わるから変わってきてるし
だからすごくね割とこう
確かに一本筋で
一本筋通ってる人生がすごいなと思って
対照的な性格だなと思って
いやでもねたまにそれは言われますね
福田立花さんとかに言われるもんね
現実感が
こいつ言ってることで筋は通ってんだよ
いつも同じことを言ってるんだよ
一応みたいに言われる
でもまあ確かにそれは大事にしてるっていうか
だから僕の長所は続けることだから
続けて突き詰めるところだと思うんで
それは自分の長所だと思うし
僕とすごく対極的ですね
でも僕はあれですよ
本能のままっていうかやりたいことをやることを大事にしてますよ
だからやりたいことをやるために今の生活をしてるわけで
はいはい
1:09:00
あんまり感じたままやってますね
だから幸せとは何かとか
そういうのはあんまり考えないようにしてますね
考えないようにしてるんだ
僕は考えるな
僕が一番悩むのは地球があるじゃないですか
地球があって宇宙があるじゃないですか
で地球が浮いてるじゃないですか
宇宙の向こうってどうなってんのかなって思います
そういう考え方でどうなってんのかなって
フィーズしちゃうんで
思考がフィーズしちゃうんで
だからあまり自分でコントロールできないこと
今は特に忙しいんで
考えないようにしてますね
自分の感情の中でなるべく大切にして
やってるようには今は逆にして
僕考えちゃうんでね
考えれないのに考えちゃうから
そうするとフィーズしちゃうんで僕
そうか
結構対照的な感じですごいな
羨ましいですね
そうっすか
いやまあ考え
考えますよ僕は
悩むしとことん考えるし
でも考えるだけじゃなくて
ちゃんとやらないと話にならないからやるし
そこは
そうっすね
もう人生考えてますよすごい
すごい考えてるだって
自分の人生のちゃんとハンドル
絶対俺握ってやるって思ってるし
考えてこないっすよそういうの
なんていうのかな
今何考えてんの人生で考えて
まだ溶けてない
遠いとか
いやでも
それはやっぱだから
結構常に考えてるのは
本当に自分がやりたいことは何かなって
急増者です本当に
本当に自分がやりたいことは何かなって
ちゃんとよく考えるそれは
本当に
何をやりたいんだろうなって
今も考えてる
本当に何を感じてる
何か思い
降ってくるときはやっぱりあるし
だからすごい悩むし
だから
すごいスピードでいつも判断する人だなと思ってるんですけど
すごいですねその両面が
わりと筋が通りながらも結構ずっと一方で
パンパンパンってやってきますよ
判断めちゃくちゃ早いじゃないですか
そうっすか
でも
ありがとうございます
いや僕はね
自分がやばいなと思う
いつも人の話聞くと自分の生き方みたいな
いやいやいや
そんなことないですよ
僕は千葉さんすごいなって思ってるし
千葉さんのことをすごいなって思ってる人のことも知ってるし
本当ですかそういう人いないんですけど
1:12:00
いやいやいや
僕はね逆にね
いいなと思ったらすぐいいと思えちゃうんですよ
あと僕は忘れっぽいんですよすごく
うんいいことじゃないですか
でもすごい悩みだったんですよ
なんかあんた言ってること毎度違うじゃんとか
逆に言われるんですよ
前こういう風に言ったのに
今こういう風にやってるっていうのは
僕はすごく自分の中で熱中しちゃうと他のことを忘れちゃうタイプなんで
すごく悩みだった
でもそれはそうやってやっていけば別に
過去にとらわれずどんどんどんどん
変わっていける
そう変わっていけるわけだから別にいいじゃないですか
だからねその時に岡本太郎さんの本があって
たまたま読んだら
自分も忘れっぽくて
でその
忘れるのはすごくいいことなんだと
だから忘れるから常に
新鮮でいられるんだっていうね
言葉があったんですよ
それですぐに救われましたね
いやそう思いますよ
それまではねやっぱりそういうのがダメ出しされるわけですよ
特に子供の頃とか
忘れ物をするとか
熱中してると他のことを忘れちゃうとかっていうのは
特に日本って要するにその
長所を通す教育じゃないから
確かに
これはできないこれはできない
限定方式みたいな
ただ僕は運動ができたんで誰よりも
あんまりいじめられることは一切なかったんですけど
自分なりにだけど兄弟もいたんで
自分なりにこう
あんまりこうそういうのは苦手だったんですよね
整理整頓とか計画を
することとか
そういうのが自分なりにすごいコンプレックス
だったんですけど
ずっとコンプレックスで
整理整頓とか
計画するとか
すごい得意に見えますけどね
僕の人生知ってる人は
そんなわけねえだろう
僕は全然
整理整頓計画も別に全然
あれですよ
今ここにいることも
つい最近香港でやろうって言ってただけ
1ヶ月も
確かに一緒に香港行くよって言われても
前日までってどういうスケジュールなのか
確かに考えてない
まだ考えてない
確かに
行った時に感じて
行った時の気持ちで自分自体
みたいな
事前にスケジュール
組んじゃうのが苦手なんですよ
とかあと予定を入れるのが嫌だ
僕も嫌だ
僕嫌だ
予定を組むのがすごく苦手
なるべく予定は空けておきたい
だからやらなきゃいけないこと
みたいになっちゃうんですよ予定組むと
それがプレッシャーになってきちゃう
でも実際に
そういうの日々が多いじゃないですか
なかなかしばらくお知らせしても
埋まっちゃってるって言われてる
なので
本当は苦手なことやってますね
だから本当は
僕に違うことやらせた方が
うちの会社にもっと伸びると思う
じゃあ何やらせる
僕はやっぱ企画とか発想することの方が
向いてると思う
たぶんイストレジャニーとか作るじゃないですか
ゼロから一応作り出すのが得意
でも本編するのは下手なんですよ
1:15:00
継続するのは苦手ってこと?
継続するのは好きです
その代わりどんどん変わってきますけど
イストレジャニーは
同じことを毎年大会いてはないんですよ
同じことやるんだったら
もう辞めた方がいいと思ってるぐらい
常に新しい何かを
みんなに見せたい
提案したいっていうことに関しては
あの
忘れっぽいんで
そのことばっかり考えてる
だからそういうことを
もっとやった方がいいんですけど
今でも社長でもあるんで
アレジメントもしなきゃいけない
マウントフジもアレジメントの方が多いんですけど
本当は
千葉雑路は違うことに使った方が
いい仕事をするとは思ってます
一番いい仕事をするの
だから企画をする
企画して新しいレースを作りましょうかとか
そういうやつの方が
向いてると
ひたすら新しいレースの立ち上げみたいな
そういうのは全然気にならない
僕もそうっすね
決まったフォーマットで
全部やってくれとかっていう方が
辛い
僕はでもそれもやります
それは偉いんですよ
続けられるから
僕は松永さんの
ビジネスモードが多分僕は
向いてない
フォーマット作って
やっていくっていうのは
それを広げていくみたいな
全部なんか変えたくなっちゃう
複雑になるよね
複雑なんですよ
全部じゃないと文字ベージュにならない
そうそう
でも変えていく
じゃあやっぱり一緒にやった方がいい
社長になってもらうとかね
一緒に
保管できるかもしれない
保管し合う
まだあの話言っちゃダメですよね
いいんじゃないですか
ITJで子供向けレースを
やるって話があって
その前に実は万としまだ発表してないんだけど
何とし100で松永さんに子供向けレースを
お願いする
今年から
っていう流れもあって
ITJないから
お話もあったみたいな
気づかなくていいのに
千葉さんがいるから
俺の国じゃないから
やっていいよ
それはね
それは無理じゃん
伊豆出身なんですよ
出身ですね
生まれそう
小さい時は陸上
やったんですか
僕は小さい頃
1年から6年まで
全部一緒
ヤヒウイはエース
やば
すごい
逆ですよ
多分千葉達夫さんの方が
アスリート向き
才能は絶対こっちの方がある
中学は
野球入ったんだけど買い出されて
1:18:00
陸上走って
県大会とかも6番とか
1500の
何分で走ったんですか
中1の時のベストなんですよ13歳ぐらいで
13歳で
4分36秒ぐらい
中1
中1
人気が入る前ぐらい
4分36秒
高校の時ぐらい
それぐらいだったの
頑張って
中3の時は400に買い出されて
400でも県で6番
県で6番
県で6番ってヤバい
ですよ
だけど
高校は陸上やったんですけど
インターハイ行けずに
その時は何も勉強しなかったので
先生に言われても
インターハイ行って推薦できるからいいですって言ってたら
行けなくて
慌てて体育学部を受けて
中京大学に行って
そこでやっと
中京大学の体育学部に
行ったんですね
体育の先生にも
慣れたってこと
免許持ってる
教育実施行って
ちょっと向いてない
何を向いてないってこと
やる気ないじゃないですか生徒が
体育なんで
なんでこいつらに教えなきゃいけないんだろう
自分の時間を使わなきゃいけないんだろうって思っちゃうタイプなんで
やっぱあれは
そういう人たちのモチベーションを
引き出すっていうのは
僕に向いてない
だって保険の授業聞いてないじゃないですか
ほとんど
なんで俺やんなきゃいけないんだろうって思っちゃう
だから全然
保険の授業は確かに
確かに
僕はやる気がない人に対して
なんかそういったのできないんですよ
だから僕監督とか先生とか
絶対向いてないんですよ
僕もそうっすよ
誰かの
やる気をさせようとか
思ってないの
やる気がある人には
言ってもいいけど
やる気を出させようとか
思わない
だってその人の人生だもん
そうなんですよ
その人がやる気になって
知りたいって言われたら
じゃあこうしたらいいんじゃない
って言ってあげられるけど
それも聞かれなかったら言わない
全くそう
でも体育の先生は無理で
中京大学出てどうしたんですか
中京大学で
でも僕の一個上って室伏康二さんって
スポーツ事業長官のわけですよ
あの人ね
武井さんとかもいるじゃないですか
僕もスポーツマネジメント会社入って
プロ野球選手とか見てるんだけど
ダントツすごいですねフィジカル
その室伏さん
大学時代行ったら
自分が体育学部とかいうのは恥ずかしくなる
ということでしたね
あの人ハンマー投げの選手
じゃないですか
100m絶対に負けるだろうし
やったことないけど全然動きが違うし
1:21:01
自分400m取ったんだけど
400mもう負けるなと思いました
ハンマー投げなのに
ハンマー投げなのに
全然
全然違うんですよ
自分恥ずかしいスポーツで
大学入ってるってこと自体が
それぐらい要は
超人だってことですか
立ち幅でやってここら辺飛んでるんですよ
腰が
やばくないですか
立ち幅で
こうやってやるんですけど
ピョンって言ってるその腰の位置が
ここら辺に来てる僕の頭ぐらいに来てるぐらいの
超薬力
やっぱり
たまに遊びでソフトボールとかやるんですよ
200人ぐらいいるから
トーテキ選手もすごいんですよみんな
すごいんですけど
すごいんですけど
ムロシテさん下手なんだけど
当たった時のスピードがえぐくすぎて
ソフトボール割れるんじゃないかな
竹井さんが
結構ムロシテやべえとか言うじゃないですか
110t
あれ以上の人は
僕本当に見たことないです
だったんで
もうスポーツで食っていくのは無理だよね
インカラー出たけどリレー選手
地方大学の
だからスポーツの世界に行っても
体育会系なわけですよ
中小大学の体育会
スポーツの世界とか行ったら
やっぱり成績のいい人がスポーツの会社に行くわけですよ
だから僕が入ったとしても
その比喩力ずっと変わんないわけですよ
あの人はすごい選手ってイメージもあったから
あの人はすごい選手ってイメージもあったから
僕行ってもそれこそ
居場所ないなと思ったんで
一番初めに入ったのは
日本マクドナルド
卒業してから
なんでそこ選んだんですか
そこはやめていいよっていう会社だったんです
要するに
まだ僕は
1998年年高受率って言って
入ったら年高受率で
要するに定年まで働くっていう
イメージだったんですよ
だけどその時の社長は
藤田弁って言って日本ではすごい有名な経営者なんですけど
日本ではすごい有名な経営者なんですけど
いつでも
うちの会社のノウホーを学んで経営とか
学んで出るから学んでもらって
全然独立してもらって構わない
ようなことを初めから言ってる
パンフレットでそれが
自然にテストされてたんですよ
で面白いなと思って
行ったら受かって
そしたら僕も産部だったんですね
田舎の産部だったんで
泣いてたら就職活動しちゃダメだからねって
言われたんですよマックの人に
で僕も正直者なんで
分かりましたって全部答え入れて
終わったみたいな
でもそれ耐えられずに
1年でやりましたけどね
なんで耐えられなかったの
やっぱりさっき言ったより
物心ついた時から
ルーティーンさんって物心ついた時から
運動できてるから
勝手に何でもできるっていう
自覚があって
自分が
だけどマクドナルド
1:24:01
入ったら
手先不器用なんですよ結局
細かいことできないんですよ
だから高校生とか
主婦の方が仕事できちゃうんですよ
お店の中で
バイト経験もなかったから
社員で入ってるのに
高校1年生の子の方が
お店回してるんですよ
あと忘れっぽいって言ったじゃないですか
お待たせミスが出ちゃうんですよ
ドライブするのに
ハンバーガー入れ忘れとか
出ちゃうんですよ
そういうのは結構多いんで
単純ミスが多かったりとか
発注とかも
当時やっと
PCで発注始めたばっかの時だったのね
でもすごい遅いんですよ
サーバーがまだ小っちゃいから
なかなか
アップロードするのに時間かかったんですけど
それがね午前3時くらいまでやらなきゃいけないんですよ
発注して
でも締めが遅いから
ギリギリになっちゃうのね
やばいってフラフラになっちゃって
レタスを5ケースってやったら
結果間違えちゃって
50ケースに焼いちゃった
でも
レタス5ケースでも1週間分使うんですよ
50ケース
でかいニトントラックで
ガバッとくるんですよ
1年のレタスだったんですよ
1年分
あと
バンズ切ったパン
パンとかも
キャンペーンとかやってるじゃないですか
期間限定で
あれがあると急に特定のパンが増えたり
よくなくなったり
そういうのがあるんですよ
それを忘れていて
発注し忘れて
バックドアでパンなくなったんですよ
お店で
致命的っすね
パンコートに取りに行ったんですよ
で帰ってきたら
間に合わなくて
帰ったら行列になってなんでかなって思ったら
そのうちのバックはチキンタツタと
ビッグマックの2択の店になってた
言ったのに
売ってるものがビッグマックと
チキンタツタの2択って話だったから
みんなどうしようかなみたいな
悩んでた
悩んでたよなぁ行列になって
いやぁどうしようかなみたいな
でも今だから笑えるけど
大切じゃないですか一応
言っても
ハンバーガーショップのお店じゃないですか
言ってもね
かなり凹みましたね
ミスが多すぎて
本当に僕はここにいちゃいけないなって
だってマックドナルドの店長が
ブチ切れるんですよ想像できます?
マックの店長が
ざけんじゃねえや
ぐらい切れる
切れる
それはでも自分でも分かるし
しょうがないそれぐらいのことをしてしまった
という感じ
あとお金合わないとかね
1万円合わないんだけどどうしようみたいな
でどうするんですか
1万円ってでかいことなんですよ
合わないって
夜中の2時に先輩に
電話して
来てもらって
1:27:01
実は1万円合わないんですけど
数えたら合ってたんですよ
ふざけんじゃねえ
100万円のシャツが
結構に投げつけられたっていう
そういう
ありましたね
今なら笑えるけど
その時は申し訳もないし
自分に合ってない
でもやめさせてくださいみたいな
でやめて
でもそれは
すごくいい経験になって
何に生きてるんですか
何学んだんですか
これ以上つらいことないです
メンタル
自分に合わないことやるとこうなるのみたいな
あとはやっぱり
自分の得意なこと
不得意なことあるんだよとか
自分何でもできるって思ってたんだもんね
であとは世の中は
甘くないよとか
マクロワールドのいろんな
システムってやっぱりすっごい進んでたんですよ
2000年前だけど
それこそハセップみたいなのその時からやってたわけ
マネジメントとかも
やってたりとか
そういうマネジメント的な
ところの基礎っていうのとかは
すごく勉強ない
1年しかやなかったんですけどね
そんでその後
何したんですか
その後はフラフラして
一生の教職を受けたんですよ
でもAも言わなきゃいけないから
何も勉強してないんですよ
何を言わなきゃいけない
なんかやってるって言わなきゃいけないじゃないですか
やめて
お前何すんだよって話したときに
実際何やりたいかわからなかったんですよ
その時は
Aショップに
働きながらインストラクターになれるみたいな話があった
そしたら
とりあえず150万くらいの
ローン組まされたやつに
あれだ自分のグッズっていう
ギアを
でその後働きながらって
確かに5万円くらいのプレミアムの給料
だけどツアーとか行くときに
自分は金払わなきゃいけなくて
出品が10万とか10万かかっちゃうんですよ
ツアーは何で5万かかるの
お前生徒だろみたいな
だからそこと経費はかかるんですよ
お客として
でも配置するんですよ僕なんですけど
朝ごはん作るのは僕なんだけど
ツアーはかかる
海外旅行も行かなきゃいけないみたいな
海外旅行の
それも自分を払う
だからほとんどの人が続かないんですよ
150万の
ローンもあるし
でも続けられないんですよ結局マイナス多くなっちゃう
だから
もっとやらしいのが
150万のローンを組むんだけど
その道具は全部あげないんですよ
その枯れ木があるたびに渡していくんですよ
だから途中で
トラップアウトした人は
じゃあ50万円分くらいしかなくて
あとで100万は
お店利益みたいな
それはふざけんなって全部出せ
ってやってましたけど
そういうところの
素晴らしい
ダイビングショップで
1:30:01
でもダイビングは好きですけどね
じゃあダイビングが好きだから
ダイビングのそこに行ったんですか
いややりたくて
分かんなくて
まさに自分探しの旅ですね
瞑想してましたね
そんなにまで
イズトレルジャーニー
今の仕事をやるまでに
自分がやりたいことが
正直見つからなかったですね
マック
ダイビングショップ
その後はダイビングショップで
父が見兼ねて
伊豆半島に大瀬崎って有名なんですよ
沼津市の
沼津観光協会に入ってきて
金で入れてくれて
そこでイベントとかを
やらせてもらって
面白い人で
それ面白い人って誰が
会長さんが
会長さんも面白かったし
バブル自体は宝石売ってて
宝石
それでバブルが弾けて
それで一回飛んでしまって
その後に結婚式場の
プロデュースを
レストランでプロデュースやってたところ
のオーナーが
観光協会の会長だったから
オールバックだったんですよ
観光協会長とは思えない
感じの人だったんですけど
すごくいい方でイベントとか色々
教えてくれて
4年くらい
好きなことやってもいいって感じだったんで
何でもやらせてくれたんです
新しいイベントとかも
満々考えていいよ
好きなことは言ったら何でもやらせてくれる
人だったんで
僕がやったのは
意外とマニックな
専務だったんですよ
イベントが好きなんですよ
僕はアウトドアとか好きだから
地域とかが好きなんで
やったのはフィルムコミッション
フィルムコミッションっていうのは
映画の誘致
映画のロケをしたいときに
窓口になってあげて
こういうロケできますよとか
ロケできますよみたいな
なんか見たことあるぞ
あるある
今多分静岡県とかも
全国でありますよね
ここはこういうのがロケできます
リストみたいな
伊豆のところは結構見るようになったんですよ
景色とか
伊豆フィルムコミッション
観光局は沼津ですよね
だけど沼津は伊豆なんですよ
伊豆エリアなんです一応
伊豆フィルムコミッションの
沼津担当みたいな感じで
他の人もいるじゃないですか
そういう話があって
音楽のPV
曲のPVとかドラマとか
結構やってるんですよね
やったりとかしたりとか
あとその時に出会ったのがアドベンチャーレス
なんですよ伊豆の活性化で
伊豆全部を
舞台にしたアドベンチャーレスの
松崎でやってたんですよ
それをプロデュースしたのが白石光二郎で
その人が
公演に来た時に
1:33:01
地元でやってくれるチームはいなくて
活性化したいんだみたいな話があったから
地元のチームはいないんですよ
あるあるですけど
アドベンチャーレスをやるような地元人はいなかった
そういうことね
誰かいないって言って
今やるんだってお金出すよみたいな
やりますって
半年後くらいでお金くれなかったですけどね
お金くれなかった上にやっぱメンバーが
つまんないんですよ
3,4人?
女性がまず絶対必要ですよ
あと2人なんで
まず女性は地元にいたから
同級生の女の子に電話しまくったら
最終的に電話出てくれなくなりました
最終的には双子が三学部だったんで
日米の三学部の子たちを
入れて出ましたね
それが今
イズトリエルジャーニーに繋がっている
そういうのを
全然やるよみたいな感じで
白石さん
白石さんはどこの人なんですか?
白石さんは鎌倉の人です
鎌倉なんですね
白石さんはなんで
そこでアドベンチャーレースやってるんですか?
白石さんは
世界一周を世界最年少で
その時に達成して
世界一周を一人で無機耕で
無機耕でね
だけど
2回失敗したんですよ
一番始めは横浜でスタートしたんですよ
でも2回連続失敗してしまって
いたたまれなくなって
つらいじゃないですか
なので
そこでお前好きに道具使って直してやっていいぞ
って言ってくれたのが
松崎なんですよ
どういうこと?
松崎の造船会社が
造船会社が横浜に入れないだろうと
要するに2回失敗するとメンタルで引っ込んじゃったんですよ
もうやってやろうと
言い切れない
恥ずかしいじゃないですか
松崎の造船所さんは
お前好きなように使っていいか
住み込みで
自分で船直して
松崎から
それで成功するんですよ
へー
絶好には石碑残ってますけど
それで
恩返ししたいということで
その後白石光二郎さんが
アドベンチャーレースとか出てたんで
いったったらアドベンチャーレースが勉強できるよね
っていうことで恩返しして
アドベンチャーレースをプロデュースしたんですよ
めっちゃいい話じゃん
その時にいたのが
例えば横山さんとか
三浦さん
石川ひろきさんとか
田中正人さんとか
僕はアドベンチャーレーサーとして知ってたんですよ
でやってて
僕もそこでほら出ませんかで出るじゃないですか
出たじゃないですか
だけど僕沼津観光協会の人間なんで
彼らはどう思ったかというと
こうやって使えるなと思ったんですよ運営に
なんでかというと
白石光のタチが白石光の真面目として
スポーツビジネスというのを後に僕が入る会社
要は許可申請が大変なんですよ
全域使うけど
1:36:03
やっぱ許可申請やってくれる人が必要だからということで
悪いけど来年から沼津まで
足を広げたいから
アドベンチャーレースにちょっと手伝ってくれないか
って話して
手伝い始めて
石川君でもアドベンチャーレースって
要は
オリエンタリング要素があるから
コース分かっちゃいけないの
事前に分かっちゃいけないの
自爆かって形でやるレース
だから石川君
出れないからねみたいな話になって
ネタバレしてるから
ポイントとか知ってるから
そっからずっと
裏方でボランティアでやってて
観光協会はこの後やめて
東京のセールスプロモーションの仕事で
仕事やってたんだけど
それは何なんですか?
東京モーターショーとか
イベントやったりプロデュースやったり
沼津の観光協会やめた後
そういうのやめさせてくださいって言って
なんでやめたんですか?
なんでそこに入ったんですか?
同じことをやっていくと
飽きてきたというか
もっとまだ若かったんで
自分でいろんなことやっていかないと
というのがあって
最初はMACなのにね
漠然とやりたくて分からなかったけど
40歳くらいまでに
自分がこれでやりたいんだ
っていうことで生きていきたいなって漠然とした
ものがあったんですよ
その時何歳ですか?
沼津観光協会
2000年に入ったんで
25歳ですね
4年間いたので
29歳の時に
30歳手前ですよ
大体仕事も慣れてきた
だけど40歳とか
その先行った時に
自分大丈夫かなみたいな
っていうのがあって
もっと違うことをやっていきたいということで
もっと申し訳ないけどやめさせてくれませんか
って言って東京のセースプロモーションに
全然出せなかったんですけど
初めての状況ですよ29歳になって
住んだことも1回もない
ところで
行って
別にじゃああれだ
沼津観光協会を辞める時は
そこ次何やろうとは
決めてなかった?
決めてて言ってた?
その時は要するに
リクダビネクストとかできない
できてる時だったんで
休みの日にそういう就職活動とかもした上で
受かってから辞めたの?
受かってから辞めた
じゃあそのモーターショーとかをやってる?
掛かって
セースプロモーションの仕事で
やってるところで行って
でそこでまたマックと同じような
またあの
地獄のフリーターの方が仕事できると言われて
手にまた戻るわけですよ
えーそうなんだ
でまたそこで鍛えられてたんですけど
ぐちゃぐちゃにされてたんですけど
ぐちゃぐちゃにされて
後徹とかしてましたから
徹は徹底的ですからね
で帰んないみたいに
5日連続でしょ
1:39:00
5日連続って1週間じゃん
とかやってたんですけどでも
アドベンチャーレースのお手伝い行ってたんですよ毎年
そっちは行ってたんですよ
千葉くん何してんの?みたいになるじゃないですか
で今沼津観光協会辞めて
東京の渋谷で働いてるんです
なんだじゃあ
言ううちの会社来ないよみたいな話を言って
街で言ってて
で仲良く
それは白石さんに言われた?
白石さんじゃなくてそのマネジメント会社なんですよ
で何人か言って
その時に白石が今度世界一周
よっとレース
冒険ではなくて世界ではレースなんですよ
世界一周が
出るから手伝ってくれないかな
っていう風に
紹介してくれた人仲良い
僕の近い年の人がいて
英語ペラペラだったんですよ
世界レースだから
英語喋んなきゃダメじゃないですか
その人いるんだろうなと思ったから
お手伝いするのかなと思って
すごく
家庭内不安は起こったんですけど
辞めたんですよ
今の仕事は辞めてスポーツビジョンに行ったんですよ
モーターショーとかもやってた会社を辞めて
スポーツビジョンに移動した
そうそう
誰に何か言われたの?
家庭内の方に
行かないでって
だって世界一周よっとレースってこと
スタートが
スペインのビル場を
次行くのがオーストラリアのフリーマントル
その次はアメリカの北行ってまたスペイン
船は日本で作れないんで
フランスで作るみたいな
結構海外出張とかも多いし
スポーツマネジメント会社って
不安定じゃないですか
誰に反対された?
一人目の奥さん
いつ結婚したんですか?
2000年ですね
どこの時?
職場は?
職場はその時だから
マック辞めて
フリーターミナルをやった時に知り合って
韓国に入ったら
ダイビングの時に知り合った
一番不安定でした
一番不安定なところが
比較的安定したところに入ったところで
それを辞めないでって言われたの
それはそれでまたエピソードごめん
あと2時間くらい喋れば面白いエピソード
もうすぐ2時間
そういう感じで
やってましたね
スポーツマネジメント会社に
でも一人目の奥さんに反対されたんだ
だけど給料は保証してくれるから
っていうところも取り付けて
やったんですよね
だけど入ってみたら英語喋るしかいなかった
やめちゃっての
代わりだったんですよ
1:42:01
いきなり入ったら
はじめいろいろ
世の中回って
マネジメントみたいなこともやったんですけど
いざ入ったら
要はレースが海外レースなので
全部英語のメンバーが来るわけですよ
それ何年ですか?
2006年です
全然英語わかんなくて
今みたいに翻訳も発達してないんで
わかる人もいたんですけど
マネジメントするのは僕だから
本当は僕がちゃんとやらなきゃいけないんだけど
できないじゃないですか
だからまたマクドナルドみたいな状態になって
気使ってくれるんですけど
メールとかもCC入れてくれるんだけど
タツオは英語下手だから
もっとシンプルな英語でやってくださいっていうのを
僕にCC入れて
わかると思ったらわかるけど
そんな英語わかるわけですよ
めっちゃキツいじゃないですか
僕以外全部外国人なんですよ
白井さんも僕以外
フランス人とイギリス人と
アイルランド人でやってるんですけど
ボードチームとかは
全然日本語喋れないんで
話す言葉は
カタコトの英語
カタコトの英語というか
IOKしか言わないですよ
絶対バカにしてるんだろう
もう決めてからIOK
もう決めたらIOKかも
お前いつも
お前いつもIOKだな
みたいな感じのしかできなかった
それもやっぱ辛いじゃないですか
仕事も全然できなくて
ヨットのこともわからない
ヨットレースのこともわからない
聞く人もいないみたいな感じ
英語もわからない
だけどスペイン行くみたいな
スペイン行ったら英語すらも通じない
ビルワゴとか行って
道わからなかったらおばちゃんすっげー親切なんだけど
全然わからない
これだけできるみたいな
それでもやっぱりやらなきゃいけないんで
日本人が絶対いるんですよ世界中に
探してやるようにはしてるんですけど
そんな感じでしたね
それでなんとか乗り切って
乗り切れなかった
でも2位だったんですよ
世界2位だったんですよ
何チーム出てたんですか
2クラスがあって
大きさによって
一番大きいクラスでやったら5、6位
他の冒険がまず必要なんですよ
ヨットのレースに乗るために
ヨットって5、6億するんですよ
それだけで
それでさらに
ボートレースを雇うって話になると
ボートレースを雇うってどういうこと
ボートチーム
それですごいお金がかかるんで
普通にやったら
10億近くかかっちゃうんだけど
それできないから
中古の船を買い
中古のセールを買い
それでも2億以上かかっちゃうんで
1:45:03
F1でいうところの
ワークスチームとプライベーターって分かります?
ワークスチームっていうのは
フェラーリとか
プライベーターっていうのは
昔でいうと
弱小チームの
バックがいないチーム
そこは
資金量が全然違うから
すごい差が出るじゃないですか
そういう構図がヨットにもあって
でかいスポンサーがついてるとこは
毎年新しい船を買って
俺らは貧乏チーム
プライベーターみたいな
それでも2位になって
でもそれはアクセントがあったんですよ
それこそ南アイルフ海の先が
あれくる南道線っていうのがあって
すごい海が荒れるものですよ
南極と南アイルフ海の間って
要するに遮るものがないからずっと
強い波が
そこで遭難しちゃったんですよ
トップと2位が
それもBBCでニュースだったんですよ
死んじゃったの?
死なないよ
救出劇っていうのはもう助けに行く人いないから
みんなで行くんですよ
参加者チームが1回レースを中止して
救出するんです
その時からすでにGPSもあって
ウェブで
映像が流れるようになってたから
助けてくれっていう
映像が流れるわけですよ
イギリスでイギリス選手が遭難して
だからすごい注目と分かるじゃないですか
その救出劇とかも
全部映像残ってるんですよ
でもそういうことになって
じゃあヨットの
ヨットレース自体もメジャーになったわけ?
ヨーロッパではメジャーなんですよ
すごい有名人だから
シュレーサーすごいヨーロッパ有名なんですよ
その時言ったら
日本で言うと石取くらい
お相撲さんくらいの
価値はあるみたいな
プロのヨットレース
モーションレース
それ相当ですね
やってても2位だったんですけど
スポンサーが集めに来てなかったんですよ
だから
スポンサーは赤字だったんですよね
2位だったのに
僕らはスポンサーマナジメント会社なんで
やっぱりその事業を成功させて
初めてだったから
要は赤字だったから
スポンサーも集められなかったってこと?
集めに来てなかった
自分の中ですごく敗北感もあったし
僕らが赤字掘るせいで
他の社員さんとか
スポンサーが欲しいのに
ボーナスもらえないとか
会社でお金集めようと約束して
集めれなくて
白井さんにも申し訳なかったし
それでやめたいな
そこで一回やめたいなと思ったんだけど
それ1年で?
責任感じると
時刻コーテリーが低いせいから
1:48:01
すぐやめたくなっちゃうんですよね
申し訳ないという意味で
怒ってやめるっていう
やめて責任を取りましたみたいな
やめて責任を取るとやってられるか
ぐらいのさすがに
フランスの
ヨーロッパにコーディネーターをつけていて
それが
カンダさんって人なんですけど
その人がいろいろ
面倒見てくれて
3年は
男の子があったら
辛くても
やんなきゃダメよっていう
僕も辛すぎたんでしょうね
言ってくれて
彼女は完璧に忘れてますけど
でもそういうことを言ってくれて
ってこともあって
1回やめますって言ったんだけど
社長がもっといろんなことやらしてあげたかったら
ごめんなみたいなことも言ってくれて
でちょっと1回
やめるのをやめたみたいな
ところが
あって
モンモンとしてたら
カブラギさんが
最初にカンダさんが紹介してくれてきた
長いっすね
まあね
切り目が
でもそれは
さっき
自分がこういう時代みたいってやってないわけですよ
全部座敵して
出会いの中で今がある
まあでもそれは導いてからは別にいいんじゃないですか
だって
一つ一つ全力でやってきて
こっちに行ってダメだったから
こっちに行ってこっちに行ってダメだったから
こっち行ってってやってただけでしょ
そこも考えずにもう
食っていかなきゃいけないからやってただけですけどね
でも
それでやっぱり
カンダさんの紹介で
カブラギさんが来るんですけど
僕はさっきって何もできなかったから
カンダさんに会うのも
なんかちょっと気が引けたわけですよ
なんでカンダさんの紹介でカブラギさん来たの?
それが
カブラギさんは
2009年にサインになったでしょ
2010年に
雪降って途中中断する
あれってプロになりたてだったんですよ
初年度で
だけどいきなりもうレース中断で
泣いちゃって
で翌日走らず
でも自分が不安なわけですよ
プロになってても
相談したらカンダさんが
僕は
カンダさんにカブラギさんが相談してるわけ?
カブラギさんはカンダさんに相談してたんですよ
誰か愛しています
カブラギさんはカンダさんに相談して
なんで相談したんだろうね
でも何も知らないから
我々も素直に
そしたらカンダさんが
スポーツビジネスに
基本うちは
オリンピックスポーツとかプロ野球とか
サッカーとかやる会社なんだっけ
ノーマネジメントする会社なんだけど
唯一アウトロードが好きな社員がいるから
そこ行ってごらんって紹介してくれたんですよ
僕が全然
カンダさんは僕のこと使えない男だから
ダメ社員だろうなと思ってたんだろうな
って勝手に思ってたんだけど
1:51:01
カンダさんはカブラギさんを
僕に紹介してくれて
銀座の会社に
カブラギさんが来るんですよ
そこから始まるっていうのが
この後話すカブラギさんとの
お話っていう
ちょうど午後のイントロになるね
すごかったね
今カブラギさんもスポーツビジネスの
マネジメント受けてるんですか?
それが企画やったら
マネジメントしてくれなかったんですよ
それ辞めるわけだったんですよ
どういうこと?
カブラギさんをマネジメントして
いずれアドベンチュレース終わっちゃってたから
いずれトレーニング主催して
UTBも始まったから
会社でマネジメント
営業しましょうよっていうプランを作って
アクションとなったんですよ
しかも僕カブラギさんに
この時点で300万円ぐらい
誰が?
僕が営業して
カブラギさんのスポーツをつけて
誰が見つけたの?
千葉さんがマネージャーとして
千葉さんが見つけてきた
見つけてきてつけている状態で
プレゼンしたんですよ
そしたら
レインラーナーなんて
マネジメントしませんと
キャプティングするのはいいけど
しません
アドベンチャーレースは
主催より少なるからだね
UTBはみなさんに相手にされなかった
当時
その時僕スーツ着てたんですよ
スーツ着て行ったりとかしてたから
はいはいみたいな感じ
キャリアもないしねって感じで
僕の企画は全然通らず
だけど
それは社長がダメだって
取締役会とかも通してくれてやったんだけど
結果帰ってきたら
マネジメントの部長とかも全部聞いたら
ダメですみたいな話になって
だって社長はね
いろんなことやらしてあげたかったけどって言ってたもんね
それとスーツ着はまた別じゃないですか
結局ね
アスリートのマネジメントって
すんげえコストかかるんですよ人つけると
だって人を丸々つけるってことなんで
だから意外と
大変なんですよ
相当儲からないと
だからすごく儲かる人がいて
それ以外の人は
マネージャーは10人選手持ってるみたいな
そういう世界なんで
じゃないとやっていけない
だけど
でもその時は松崎がやりたいって言ってくれたから
イーズとの対抗
なぜ
やっていいって町長が言ってくれたかというと
その時の町長が
昔のウィザーズメントレースの
実行委員長が町長だったから
ということもあって
理解があった
ああいうことをやりたいんだね
みたいな
イメージができて
辞める時に
僕あんまり人に相談しないんですけど
白石さんの時には行ったんですよ
結局もう1回レースもできてなかったから
相談して
あれそのレースはもうやらなかったんですか
1回だけ
1:54:00
ずっとやってたんですけど参戦できなかった
お金が詰めないから
その後1回2位になった後に赤字だったこともあったんだけど
メインスポンサーが
ずっと倒産しちゃったんですよ
社長が捕まった上に
もう絶望的じゃないですか
メインスポンサーが
ということもあって
僕にはもう1回
レースだけるためのお金の
集め方もわからなかったし
どうやったら向いていくかわからなかったから
僕は無理だと思ったんですよね
1回しか出なかった
それが10年後
どでかいスポンサーつけて
フランスの人ですよ
DMGって超でかい会社
DMG森っていう会社があるんですけど
後期の世界トップメーカー
ドイツと日本の合併会社が
DMG森
森光輝って聞いたことある
それがDMGってドイツの会社と
今DMG森っていう会社なんですよ
昔森光輝
森光輝でも
だいぶ大きかったでしょ
世界トップぐらいレベルの
工作機械の会社なんですけど
そこが
今ヨットチームをフランスで持ってて
そこのレースとして
選手として出てる
ワークスチームになったんですよ
僕は彼は絶対無理だろうなと思ってたし
多分実際彼は無理だろうな
って僕は思ってたけど
言っても無理でしょって僕は思ったし
口では白石さんも言ってるけど
無理だと思ってるんじゃないかなと思ったら
全然諦めてなくて
10年ぐらいかかったけど
彼は夢をもう一回掴んで
今出てる?
しかも新出てるっていう
毎年出てる今?
4年に1回なんですよ
それこそフランスのバンデ地方
4年に1回しかやらないんだ
だから今年かな
11月にレースをすると
4年前はまだ出てない?
出てます。だからもう3回出てるのかな
どうなんですか?
なかなか大変ですね
ワークスになったけど
でも白石さんに相談して
それも銀座でクラブに連れて行ってもらって
飲み屋連れてもらって
高層のところで飲んで
要は頑張れよって
言われてくれたので
で辞めたんですか?
で伊蔵を立ち上げた?
そうですね
やれるって保証なかったですけどね
松崎町がやっていいよって言ってただけの話
リスク犯してますね
だけどそれ以外
やりたいことが見つからなかったというか
これはすごく純粋に
やりたいなって思ったことが
初めて見つかった
今ITJはあれですね
やりたいことができてるって感じ?
いやできてないですよ
やりたいことって意味では
全然もっとやりたいことはない
どうする?
1:57:01
2時間
どうしよう
どういう風にしようと思ってるのか
とりあえず切って
切った方がいいじゃない
この切り方で
まとめて
伊豆どうしたいですか?
伊豆はね
あれでもさっき言ってたこと
言った?
トレイルランニング
それはもちろんやりたいんですけど
トレイルランニングっていうのは
レースイベントではなくて
レースブランドというか
レースコンテンツとして
トレイルランニングでもなく
トレイルコンテンツになっていて
そのITJってブランドで
ロングトレイルもある
もしかしたら100マイルもやるし
全て復活した
ブランドになってる
日々ITJが体験できる地域にしたい
トレイルカルチャーって言ってるんですけど
そのために
トレイルカルチャーは文化をつくる
レースをつくるんじゃなくて文化をつくるんですよ
僕らはね
トレイルカルチャーを
トレイルカルチャーって何ですか?
千葉さんが言う
それはトレイルに行くことが
日常の生活を送っている人たちと
集まるみたいな感じ
なんでそういう人をつくりたいですか?
いいじゃんってぐらい
原稿ができた
そんな大した話で
いいじゃんそれが
自分が心地いいだけ
もちろんそんなマニアックなことは分かってるけど
僕が心地いいからってのは一緒ですよ
僕が心地いいからみんなもいいでしょ
真面目な話すると
いずれ半島で
9割ぐらいは山なわけですよ
だけど
僕らの周りの人の趣味って
パチンコとかなんですよ
ダイビングとか
トレイラーニングとかハイクとかは
外の人がやってきてくる
たぶん壁なわけですよ山が
邪魔
1時間2時間かかる
たぶん障害物なんだけど
普通にダイブサイドやったら
それこそエクストリーム出勤できるわけですよ
ちょっと走って出勤できる場所
本当はめちゃくちゃいいところなのに
だけど僕の同級生とかもいなくなっていくわけですよ
だけどその価値観が変われば
もっといろんな人が
いずれに戻ってくるし
いろんな人と会えるし
そういう地域だったらいいなと
純粋に思う
フィールドで遊んでる人にとっては天国だけどね
そういう天国であるってことに気づいてほしい
あとはブランディングの意味でいうと
あんまりアウトドアブランドが
お店出店しましょうかっていうところではないんですよ
イメージないじゃないですか
2:00:01
高山も小崎も
っていうことも具体的に言われたこともあるんですよ
それは誰だったかなと
言われましたねやっぱり
伊豆の地域のイメージが
あんまりアウトドアブランドが
どんと出す
白馬とかそういうイメージでお店出すとか
っていうところにはちょっと合わないねみたいな
山田だったら特に
だったら自分がゼロから文化作ればいいじゃん
っていう
ふうに思ってる
でも箱根だって
そんな評価高くないし
別にいけるでしょ
でも日本人がそう思ってるだけで
世界中の人のイメージないから
ゼロから文化作って
一緒に交流していけば
そういう地域にはなれるんじゃないか
だから作ればいいじゃん
そのポテンシャルは
僕のライフワークかな
そういうカルチャー
トレイルカルチャー
トレイルカルチャー
自転車もその中に入るし
レベルレースとかも入るし
そのトレイルというキーワードで
いろんな人たちが集う
トップアスリートもいれば
老人の人も600万人いるみたいな
そこの人たち
そこに住んでる人たちが
エクストリーム出勤するような
のが普通のパチンコじゃなくて
そうしたら東京の人より豊かじゃないですか
お前らできるって
東京の人はエクストリーム出勤できないからね
そういう風になればもっと地域が豊かになるし
いろんな人が
好きなことをね
して生きてる人っていうか
そういう場所にしたい
その中には外国の人も来てくれたら
嬉しいなと思うし
そういうのがライブ
イベントやってて
満足したこと一回もないですね
満足したらもう
終わりだなと思ってます
もういらないです
僕はさっき言って企画して何かゼロから一致するのが
僕の仕事だと思ってるんで
何も生み出せなくなったら
僕はいない方がいいですよね
単なる不器用な
素質のいい
素質のいいおじさんだから
だったら
僕の存在価値はないですよね
でも今トレイルベースとか
ITJベースとか作ったから
だいぶそういうのに近づいてきてますね
これからの感じですね
でも客観的にたまに見て
大丈夫前進してると思うようにしてます
基本的には常に不満足ですね
こんだけしかできないんだ
だからやっぱり
イメージする方が
いいものできるじゃないですか
でも現実は違う
ってやっぱ常にある
それは当然でしょ
イメージが先行してないとさ
イメージができて
それのイメージになって
でも実際になった時には
イメージは次にできてるから
それはしょうがない
2:03:01
伝えるのが下手なんですよ
やりたいこと
周りがなかなかついて来れてないから
今の言った
それが理解できてない
トレイルカルチャーっていうのが
伊豆市とかにも伝わってない
言ってはいるんだけど
ロゴトレイル全部言ってるんだけど
腹に落ちてないっていうか
千葉さんちょっと変わった人だから
っていう感じなんだろうな
僕には今すごい伝わってますけど
それは増田さんも変わってる人だから
僕ね
結構それは
千葉さんの話聞いてて
僕もなんだろうな
僕ディープジャパンウルトラ100
とかやってますけど
あれはあの大会の時だけ
じゃなくて年間通じて
あそこに人が来るようになって
その大会があるから
例えばシャモリンみたいなもんですよね
バカでかい大会があるとやっぱそこ
宮古島とかもそうじゃないですか
ジャイアスロンとか
ああいうところってすごい大きい大会があるから
それをやる選手たちが
そこのトレーニングを
兼ねてそこに住むようになっちゃうわけですよ
住むようになっちゃうわけ
でその人たちは
そこで生活しながら
そのコースでもトレーニングしながら
その周辺でトレーニングしながら生活をする
それを言ったらトレイルカルチャーと一緒の
イメージだから
僕は結構その言ってることはすごい分かるし
僕も目指してる方向は
そっちだから
ああそうなんだ
そうだよねみたいな
ぐらいの
そういってみて最近いいなと思ったのはやっぱ香港だよね
トレイルと都市が
こんだけ密接近い
地下鉄でトレイル行けるような
裏はもう
ビル見えるしね
ビルの横通ってるみたいな
でもそれこそ生活に
マルコは全然子供の頃に
走ったことなかった見たこと言ったけど
でもその時になればすごく豊かな
まあ確かにね
生活を送って
すごく香港はいいなと思いました
別に人里離れないところに住みたいわけじゃないから
僕はちゃんと
社会性がある人間だから
僕あんまないっすよ
僕社員とか無理だから
そういう感じでやってますね
一回切れましょうか
大変だねマルコどうしようかこれね
どういうふうに
編集すんのこれ
でも全巻は
松永さんの話が多いから
全巻と後半分けた方がいいかもしれないね
どうでしょうでも繋がってるわね
長く聞いてくれる人がいれば
そのままでいいじゃない
もうちょっと喋って僕写真撮るよ
この風景を
お疲れ様でした
お疲れ様でした
喋りすぎちゃった俺もしかして
もしかしてじゃなくて
雑談みたいな感じで掛け合った方がいいのかなと思ったけど
もっと話を聞いた方がいいかね
2:06:01
どうなんだろうね
2時間目はもう
基本的に千葉さんの
千葉ちゃんの
逆にもう松永さん
聞いてたもんね俺のことをね
逆になっちゃったもんね
でもそれはそれでよかった
ダブルトレオヘッドで
どういう感じでいいかね
探り探りね
アンケートとかもできたりすると思うから
感想を聞きながらね
これからやっていけばいいかなって思うよね
そうだよね
松永さんはランナーっていうか
旅人だよね
そうね自分もそう言ってたもんね
走る旅人だよね
でも一個聞けなかったのは
楽しめる自分の人生を変えるきっかけ作りって言っても
ランニングじゃなくても
彼の場合は自転車でもあるですし
なんでランニングに選んだかっていうのは
今度会うときに
聞きたいなと思って
別の選択肢もあるからね
でも多分いろいろサッカーをやって
自転車やって
いろいろやってきて
だけどやっぱり
自己自転が
できるのがランニングっていうところ
だったんだろうな
みたいな感じは感じたけどね
だから
彼にとっては
自己実現の
一番最適なのが
走ること
っていうところで
手段だけど
そこは本当ツールって感じしたよね
それをツールにして
いろんな人と繋がっていきたい人生を送ってる
旅人みたいな
世界をまたにかけて
その感じしたよね
そして千葉ちゃんと
全然違う人生を送っていて
性格もね
対照的だね
千葉ちゃんの
人生の
エピソード1は聞けたから
エピソード2も続けてほしいですよね
そうそうそうそう
聞けたらいいと思う
マルコもね
結構ね
知ってるけど結構ユニークというか
結構面白い人生というか
いろいろ聞きたいこともあるので
マルコもいろいろ少しずつ
みんなに教えてもらう
聞かせてもらえるといいなと思う
そういうきっかけがあったら
なくてもいいよ
いやいやいや
じゃあそんな感じで
今回はこれで締めましょうか
はーい
ありがとうございます
ありがとう
02:08:44

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