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2022-02-06 15:20

#76 カレッジ・ユニバーシティの歴史

新しい時代の大学を目指していたら、実は大学の起源に近づいていました。歴史から未来を読み解く、というシリーズもたまにやってみようと思います。
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働き方ラジオ始まります。このラジオは、誰もが情熱を持って働く、それを実現するために、働くということの改造度を上げていくポッドキャスト番組になります。
今日も働き方エヴァンゲリスト、田中健士郎が、皆さんのネメロシスをゆったりとしたトーンでお話をさせていただきます。
はい、いつもお聞きいただきありがとうございます。先週はですね、メタバーストコミュニティということで、ちょっと未来について考えてみました。
これからの未来、コミュニティがどう変わっていくのかっていうところですね。僕、未来っていうものをすごく考えるのが好きでですね、こういうことを話したり、調べているとワクワクするんですけれども、
今日はですね、珍しく過去ですよね。歴史について考えたので、話をしたいなと思います。
何を調べたかというと、大学というものの歴史ですね。これまで考えたことなかったんですけれども、このラジオをよく聞いている方はですね、僕がクラウドワークスという会社で、クラウドカレッジというですね、カレッジ、大学のサービスを運営してるんですよね。
で、もちろんこの大学と言いながらも、完全オンラインで、e-learning とグループ学習、コミュニティ学習っていうものを組み合わせた、新しいオンライン上の学びの場みたいな形で定義をしてですね、これまで2000人以上の方が受けていただいているみたいなところに今なっているんですけれども、
これをですね、今後またアップデートしたりとかリニューアルしていこうみたいな話をですね、今社内でまさにしているんですね。そんな中で改めてカレッジとか大学、ユニバーシティというものってどうやって作られたんだ、そこを考えることで、これからのカレッジの未来とかが見えてくるんじゃないかなと思って調べたんですね。
そこでいろんな論文とかね、文献とかも探していったんですけれども、結構面白かったですね。
調べてみて面白かったことが3つほどですかね、ありまして、1つはそもそもキャンパスがなかったっていうことで、もう1つはそもそもコミュニティだったっていうことで、3つ目が学ぶ目的は学ぶこと自体であるっていう話ですね。
まず1つ目ですね。もともと大学ってどの国で生まれたかってご存知ですか。
はい。
諸説あるっていうのもあるんですけれども、いわゆるユニバーシティとかカレッジというものが生まれた、一番最初だと言われているのがイタリアなんですよね。
ボローニア大学っていうところがあるんですけれども、ヨーロッパにおいて初めて作られた大学の原型だというふうに呼ばれてですね。
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原型というふうに言ったのは、もともと今皆さんがイメージしているような大学ではなかったんですよね。
どんなものだったかっていうと、学生たちが自分たちで教師とか教授を連れてきて、自分たちでその教授とか教員にお金を払って授業をしてもらうっていう場だったと。
さっき言ったんですけれども、キャンパスみたいなものは全くなくて、むしろ家庭教師みたいなものに近かったらしいんですよね。
お金払って自宅に呼んで教えてもらったりとか、教会とかでちょっと集まって教師の方から教えてもらう、そんなところから始まったのが大学だったと。
すぐにですね、これが11世紀、12世紀とかそういった頃なんですけれども、パリ大学というものができて、さらにその後今のケンブリッジとかね、そういったものもできていったらしいんですけれども、もともとこの大学というものにキャンパスはなかったので、このボローニア大学に限って言うと数百年ですね、キャンパスというものはなくて、むしろこのコミュニティ的な学びの場っていうのが、イタリアの各地に移動しながら起こっていったっていう。
そもそも、大学で学びたい人たちっていうのが、旅人というか、少しずつ商業っていうものができてくる中で、移動する人たちが出てきて、その人たちが学びたいっていう中で、一つのボローニアっていう都市に、そこに法学者とか多かったらしいんですよね。
で、集まって、法律のことをそこで教えてもらいたいよねっていう感じで始まったものが、大学だったと。
そもそも、ユニバーシティとかカレッジっていう言葉の語源は、ラテン語で言うと、ギルドという同じ意味で、共同体、まさにコミュニティだったっていうところなんですよね。
もともと、大学っていうのは、そういった場がある場所じゃなくて、コミュニティだったっていうのは、結構個人的にはですね、すごく面白くてですね。
というのも、実際にですね、グラウドワークスでカレッジっていうものをやってるんですけれども、ここでもすごくつながりの強いコミュニティみたいなものが、結果的にできてきたんですよね。
イベントをやれば、コミュニティメンバーで一緒に盛り上がったりとか、学びの場でね、コミュニティのロゴが入ったパーカーをみんなで着て、オンラインイベントに出たりとかね、そういうつながりの強さみたいなのが生まれてるんですけれども、そもそもこういう大学ってコミュニティだったっていうのは、個人的にはすごく面白かったですね。
何か国の中で、小学校、中学校、高校、大学みたいな感じで、仕組みとして作られたものっていうふうに思われがちなんですけれども、もともとそもそも小中高とかは、結構国が作ったというところはあるんですけれども、大学っていうものはヨーロッパにおいては、学びたいっていう個人の人が集まって、自分たちの学ぶっていう権利を守るために作られたコミュニティだったんです。
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この中世ヨーロッパってどういう時代だったかというと、序人権闘争とかいう言葉もあるんですけれども、いわゆる教皇、教会とかカトリックのキリスト教の偉い人たちと、いわゆる国王っぽい皇帝とかって言うんですけれども、国を治めた人、この2つの権力がかなり対立していたんですよね。
どっちが偉いのか、どっちが人々の生活を決めていくのか、みたいなところがすごく難しい時代だったんですよね。
そんな中で、学びたいっていう人たちは、その2つの権力が対立していることをうまく利用して、僕らは僕らで自治をさせてください。
その権利を皇帝とかから許可をしてもらった数少ない自治組織だったらしいんですよね。
当時、市民権を得るっていうことは、本当に一番特権階級というか、人しか認められていなくて、基本的にはもう全部教会だったり、国の言うことを聞きなさいっていう世の中だったところで、唯一ですね、学びたいっていう旅人たちが集まった共同体が国王から、君たちはちょっと自由にやっていいよというふうに認められた。
もちろん、その人たちが結構国の中でも重要な知識人になっていたっていう背景もあると思うんですけれども、それを認められた、そういった権利を勝ち取ったコミュニティだったっていうところなんですよね。
これがですね、すごく面白かったなというところになります。
あと、個人的にですね。
面白かったのは、大学の起源がイタリアっていうところですね。
今、ライターゼミっていうカレッジの中のコミュニティにおいても、海外で2人いるんですけど、2人がどっちともイタリアの在住の方なんですよね。
これはもう取ってつけた感じかもしれないですけど、もしかしたらイタリアっていうそっちに、やっぱり学びたいっていう思いを持って、そういった共同体に参加するっていう文化みたいなものがあるんじゃないかなと勝手に思いました。
僕が調べた論文にすごい面白いことが書いてあって、その学ぶっていうこと、スクホールとかいう、いわゆるスクールとかの語源が学びっていうことなんですけれども、この語源ってラテン語でこれも言うとヨカっていう意味だったらしいんですよね。
中世ヨーロッパに何が起きたかっていうと、今までは本当に自給自足ではないんですけれども、目の前で生きることにいっぱいいっぱいになっていた時代から農業とかがどんどん発達してきて、
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貨幣経済っていうものも生まれて、常に自分で農業をやってそれを食べるっていうことから、農業をやる人と都市で働く人とかっていうのがだんだん分かれてきた時代だったらしいんですよね。そんな中でやっぱり農業生産量とか生産性が上がっていくと少し余暇ができる人が増えるじゃないですか。
ちょっとだけ時間ができて、お金をある程度稼いだら自分の余暇ができると。
で、その余暇に自分たちが何をやりたいかっていうときに、学びであると。何か将来のために学ぼうっていうところから学びは始まったんじゃなくて、知の目的を知ること自体だというふうにも言われているらしいんですけれども、そもそも人間ってのは知的好奇心とか、
そういったものを守っていて、無限の道、知らないことを知りたいという欲求があると。で、そういうことは何でなんだろうっていうふうに考えて、それを知るとまた新しい疑問が、じゃあそれでどうやったらできるんだろうとかね。
そういったように、知っていうのは無限に広がっていく。
その余暇っていうものが生まれたときに学びたいっていう欲求は、もうこの1000年以上前から起こっていて、そういった純粋な知的好奇心みたいなものから学びたいっていう人たちが出てきて、その権利を守るために生まれたコミュニティっていうのが大学だったということなんですよね。
少し前にちょっとアンケート的なことをツイッターでやったことがあるんですけれども、働くために学ぶのか、働くことを学ぶこともどちらも喜びなのかみたいなことはいくつか聞いたんですけれども、やっぱりその学ぶこと自体が喜びであるし楽しいっていうふうに答えた方が結構多かったですね。
たぶんこれって人間の本質なんじゃないかなと思っていて、1000年前に人々が自分に少しできた余暇の時間を使ってですね、学んでいくっていうのをやっていきたいという人たちが生まれたっていうところで、その結果ですね、そこからルーターみたいな宗教改革をした人が生まれたりルネッサンスが生まれたりフランス革命が生まれたりっていう、世の中の大きな変化に結びついたと。
有名な万有引力とかありますけれど、当時万物が引力を持っているっていうことがわかったからといって、特に役に立たなかったはずなんですよね。
コペルニクスが地動説っていうところで、地球が動いているんじゃないかみたいな、それも当時役に立たなかったはずなんですけれども、当時その人たちはもう純粋に本当のことを知りたいっていう熱意で学んでいった結果、それが数百年後にめちゃくちゃ世界において大きな変化をもたらした。
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人の知恵の探求というものは、結果として何かの大きな役に立ったりとか、社会を変えていったりとか、そういうパワーがあるんじゃないかなというふうに思いました。
なので、ちょっと今日のまとめとしてはですね、大学っていうものの歴史を学んで、すごく僕が面白かったこととして、そもそも大学はコミュニティだった。
学生たちが集まって自分たちが自由に学ぶ権利を獲得するための集まり、コミュニティであったということ、そして校舎がなかったというところですね。
最後にそもそも学びっていうのは、人間の根源的な欲求になっているというところですね。
そのパワーがその後の世界をどんどん動かしていったという話かなと思います。
はい、こういった僕もですね、今クラウドワークスカレッジというものをやっていく中で、ちょっと大学の起源というものを考えながら、この先の新しい世界で個人が戦っていくとか、生き残っていく、そして自由に学んでいくための権利をですね、
このカレッジという場を使いながら獲得していくっていうのが、命題になるんじゃないかなというふうに思いました。
もちろんね、今はお金と時間さえあれば学ぶっていうのはどこでもできるよっていうことは確かにそうなんですけれども、実際、自由に学べてるんだろうかっていうところってありますよね。
学生時代は学ぶっていうことは当たり前だけれども、やっぱり大人になると学ぶ時間がなかなか取れなかったりとか、家族を持って物理的に時間がなくなってしまって、今から大学行くなんてなかなか難しいなとかね。
あるいは、ちょっとこう勉強、社会人で勉強するってちょっと遊んでるようにも見えるっていうところで、なんか周りの理解がなかなか得られないっていう人もしかしたらいるかもしれない。
そういった中で、社会人になってからも学ぶっていうのは、当たり前の権利ですっていう、なんかこう世の中の風潮になっていったりとか、それをすることによって個人で働く人のプレゼンスがどんどん高まっていく。
カレッジで学んだ人が、ライターゼミの例だと、PTAを変えるっていう挑戦に成功したりとか、あるいは60歳を過ぎても新しいスキルを手に入れて、新しいキャリアをスタートできたんだということを世の中に示していく。
これによって、新しい個人の時代がどんどん作られていくっていう流れを作っていくような共同体、コミュニティっていうものを、やっぱり今後作ってみたいなというふうに、大学の歴史を学んだことで温めて思いました。
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はい、ということでちょっとね、また少し最後は熱い話になりましたが、今日は以上としたいと思います。
ではみなさんおやすみなさい。また来週お会いしましょう。
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