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オカンの話なんて誰が聞くん。もう4月2日になってしまった。0時37分でございます。
夜中は新年度が始まりまして、新年度独特の雰囲気ってあるよなっていうふうに思っておりました。
我が家は今年は卒園式、入学式とかそういう式典型がないので、比較的ぼーっとしてたらいつの間にか4月になってましたねという感じだったんですが、
来年再来年はね、卒業卒園入学がもう立て続けにあるので、来年からはそうこうはね、言ってられへんぞっていうふうに思っております。
はい、どうしよう。もう1年後、もうそわそわバタバタしてるやろうなと思いますね。
今は春休みなので圧倒的に子どもたちと過ごす時間が長くて、子どもたち同士の会話もいつもより聞く時間が長いし、
あとはその子どもたちがポロッと言う一言とか、なんかどこか一緒に出かけた時の、で何かを見た時、
例えば、街中に出かけた時に、その街中にいる観光客の方を見た時に子どもたちが発する言葉とかも結構チャッチできるんですよね。
そんなふうに思ってんのかとか、そんなふうに感じるのかみたいなのをすごく面白く見せてもらってるっていう感じなんですね。
兄弟喧嘩と自己肯定
で、もちろんその兄弟喧嘩とかも家に一緒にいる時間が長い分、結構頻繁に勃発してるんですけど、
よーく私がその喧嘩見ながら思ってるのは、なんかもう自分の正しさ主張するために相手のことを否定しているなという感じなんですよね。
私はあっている、あなたは間違っているっていう感じ、まあ長男長女ですけどだいたい。
私があっている、あなたは間違っている、間違っている方が悪いみたいな、まあまあ簡単に言うとそういう構図がよく起きてるなと思うんです。
それってすごい、敵対してそこを、なんかあいつは違う、あいつは間違ってる、こっちの方が正しいっていうその構図って、まあ大人でもなんでもなりがちですけど、
いやマジで意味ないよなって思うんですよね。
なんか自分の正しさを主張するために相手を否定するとか、相手の言ってることとか、相手のやってることを否定するっていうのって、ほんまに意味ないと思う。
で、それを結構いろんな角度から子どもたちにも言ってるんですよね。
別に自分を肯定するために相手を否定しなくても、そんなことしなくても全然そのあなたの意見はもう全然肯定されてるからと思うんですよ。
全然認められてるからって思うんですよね。
で、その都度そうやって言うんですけど、でもやっぱりこう、自分の方が正しいと主張したいとか、そのためにはこいつの意見を否定しとかないといけないとか、なんかそういう気持ちになるんだろうなーって見てて思いますよね。
ってなったら何が起きるって、ずっと相手の行動を監視するみたいなのが始まるんですよ。
そのなんというか、イチャモンつけるために。
ほんで私にちくってくるみたいな感じ。
ななままみたいな。
誰々がこんなんしてたでとか、YouTube何時間って言ってたのに越えて見てたでとかちくってくるんですよ。
で私は、いやいや確かにルール違反をしているのかもしれないし、
間違っていると言われている行為をしているのかもしれないけど、
それってあなたには関係ないやんって思うんですよね。
それやったら自分以外の、あの人は間違ってるって思ってる人の間違っている部分ばっかり探して、そこをチクチクチクチクさして、やっぱりあの人は間違ってる、やっぱりあの人はあかん、やっぱり違う、私の方が正しい、私の方が合っているって。
私の合っていることを肯定するために、私を肯定するために、相手のダメなところばっかり見つけないといけないことになっちゃうんですよ。
それってさ、それってどうなんと思う?本当に。
敵対関係の作り方
もう自分の人生生きてくれよと思うんですよ。
これは本当になんか人のこと言われへんけど、人のこと言われへんけど、子供たちを見ているとすごく自分にもあるなみたいな部分が客観的に見えるから、
これはね、例えば長男は自分の価値観だったりとか言動を肯定したいがために長女の言動とかね、価値観を否定してるんだなーって感じる。
いやもうそんなことせんでいいからって思う。本当に。なんかそんな自分以外の誰かを否定したりとかけなしたりとかしたって別に何も変わらんし、あなたの価値って思う?
そんなことせんくたって価値あるしって思うんですよね。
それをまあいろんな角度で言ってますけど、まあまあまあでも敵と味方を作ってしまう方が楽ですからね。
で、ほんで敵対しすることで、そのムカつく相手のことをずっと悪く言っている方が楽だから、結局そうやって対立関係みたいな感じになって、悪い方のことばっかりいろいろギャンギャン言って、その時はちょっと気持ちよくなるみたいな、ちょっと勝った気分になるみたいな感じなんだろうなーって思いますね。
でもこうやって兄弟喧嘩とかを繰り返しながら、まあ外ではそんなになんか喧嘩とかしたりしてないみたいですけど、兄弟喧嘩を繰り返しながら、その度にこうママになんかぐちぐち言われながら、まあまあ学んでいくんやろうなと思うんですけどね。
なんかずーっと誰かしら敵がいる、敵のような存在があるっていうのは、そりゃ生きていくのしんどいんちゃうかなと思うんですよね。
まあその存在が自分の能力を高めてくれるような存在、なんか良きライバルみたいな感じになればいいんだろうなと思いますけど、ライバルがいることで自分の能力が上がっていったりっていうのはあれだろうけど、でも能力が上がっていくことと心が健康で幸せと感じられるかって必ずしもイコールじゃないと思ってるんですよね。
だからなんかそんなことを子どもたちの本当にちょっと言ったらダメですけど、私からしたらとんでもなくしょうもないやりとりなんですね。そんなことで喧嘩する?みたいな感じのことで喧嘩してるんです。
だけど子どもたちからしたらすごい真剣なやり合いで、本気で腹を立てているし、本気で喧嘩をしているし、なんか面白いなと思いますね。子どもってっていうか、もう子どもって言ったらかな、なんか人間って面白いなってすごく思いますね。
どんだけ私が言っても、そのお母さんの声ってやっぱね、なんか本当に100万回言って届くかなぐらいの感じなんですよね。で、私が言っていることと同じことを先生も言ってたって言ったら、先生が1回言っただけで、ママと同じこと先生も言ってたでとかってすぐ入っていくんですよ。もうどういうことと思うもんね、本当に。
で、最近は特に長女はですけど、本をたくさん読むようになって、この本にもママが言ってたことと同じようなことを書いてたとか言って、本でもやっぱり入ってくるらしい。
なんで私以外のものからはすごく入っていくのに、私の声っていうのは入っていかないやろうと思いますね。話長いからかな、やっぱり。
簡単に、簡潔に、わかりやすくまとめるみたいなことが本当にちょっと苦手なもんですから、ついね、長くなるんですよ。で、言われるんです、ママの話長いって。わかってるんだけど、わかってるんだけどって毎回思うから。
そんなことをいろいろ言いながら春休みを過ごしております。まだ1週間ぐらいかな。
子供たちはもうあと1週間しかないとか言ってるんですけど、私からしたらもうあと1週間あるんですかっていうね、感じですが、ぼちぼちやっていきたいなと思っております。
はい、ということで、また明日。