LISTENの有料マガジン『声で考える(仮称)』を創刊する準備として,とりあえず12回配信することを試みています。このページには,各エピソードに内容を読んでだいたい理解できるよう,AIで生成した比較的詳しい要約文を掲載しています。
1.LISTENでサブスク型の有料配信をするには(2024.10.20)
LISTENでは現在、サブスクリプション型の有料配信ができません。しかし、エピソード単体の有料配信でも工夫次第でサブスク型に近い形が実現できると考えています。これは、限定公開エピソードのURLを有料エピソードのコメント欄に掲載する方法です。購入者はそのURLから限定公開エピソードを聞くことができ、新しいURLを追加していくことで、複数エピソードを聞ける仕組みになります。
具体的には、1本10円のエピソードを24本まとめて240円で販売し、購入者が1つのURLを通じて複数エピソードにアクセスできるようにします。これにより、例えば毎日や2日に1回の定期配信を、1つずつ購入せずにまとめて購入できるようになります。個別に決済する手間が省けるため、利用しやすくなるでしょう。
ただ、問題は配信頻度を維持できるかどうかです。実現可能かを確かめるため、まずは無料で定期配信を試みる予定です。今回のエピソードはその第1回目です。
そもそも私がサブスクリプション型の有料配信に挑戦したい理由は、大学の講義や日々の考えをLISTENで有料配信したいという思いがあるからです。早稲田大学の向後千春さんのnoteを参考にしています。向後さんは有料配信により、内容の質向上や読者との良質な交流を実現しています。有料だと、無料の場合よりも高品質な内容を目指そうという意識が働くそうです。また、有料の読者は批判的なコメントが少なく、良い効果があると述べています。
一方、LISTENではまだ有料配信の利用者が少ないのが現状です。しかし、サブスクリプション方式であれば、より多くの人が購入しやすくなるのではないかと期待しています。現在の1本最低50円に対し、1本10円程度でまとめ配信ができれば、手軽に利用してもらいやすいと考えています。この試みがうまくいくかは分かりませんが、挑戦してみる価値があると思います。
2.定期配信を続ける秘訣とは(2024.10.22)
昨日、LISTENでサブスクリプション型の有料配信の方法を検討し、技術的には実現可能だという見通しが立ちました。しかし、問題は定期的に配信できるかどうかです。例えば2日に1度の配信を継続するには、どのような工夫が必要かを考えてみました。
参考になるのが、向後千春さんのnoteでの方法です。向後さんは毎日記事を配信していますが、曜日ごとにテーマを決めており、日ごとのジャンルが決まっているため、執筆に集中できるそうです。さらに、彼は毎日の配信を「習慣化」しているため、それほど負担を感じないと述べています。習慣になれば、努力せずに自然と続けられるようになるということです。
また、はじめさんの方法も参考になります。彼は番組ごとにテーマを定め、収録・配信のルーチンを組んでいます。各番組の配信日とテーマを決めておくことで、配信が習慣化されているようです。このように、定期配信のルーチンを決めて習慣化すれば、無理なく継続できるのではないかと思います。
私にとって最適なルーチンはまだ見つかっていませんが、無理なく続けられて、しかも質のある配信ができる方法を模索していきたいと思っています。
3.番組名を「声で考える」にしたわけ(2024.10.24)
サブスクリプション型の有料配信を始めるにあたって、新しい番組名が必要だと考え、「声で考える」というタイトルに決めました。このタイトルの由来とそこに込めた思いについてお話しします。
いくつか候補を考えていましたが、なかなかピンと来るものがなく、外山滋比古さんの『思考の整理学』にヒントがあるかもしれないと読み返しました。この本では、声に出して考えることの重要性が説かれており、人は頭で考えるだけでなく、声で考えることで新しい発想が生まれると書かれています。私も、仲間と話しているうちに新しいアイデアが出てくる経験があり、この考えに共感しました。
今回のポッドキャストは一人で話す形式ですが、リスナーに語りかけるように話すつもりです。話しながら考え、そこから思わぬ発見が生まれるのを楽しむ新しい試みとしていきます。深く練った内容を語るのではなく、しゃべりながら考えるスタイルを目指したいと思います。
また、専門が異なる人と話すことで発想が広がるという外山さんの経験にも共鳴しています。私もMOSTコミュニティという大学教員の集まりで、専門分野や年齢の異なるメンバーと月一回交流し、新たなアイデアが生まれる体験をしているからです。
サブスク型配信のクローズドな環境なら、リスナーも限られ、気軽に話せると感じます。内容も現実にとらわれすぎず、自由に発想を広げられればと思っています。
4.声で考えるにはどんなしゃべりかたがよいか(2024.10.26)
「声で考える」というのは、頭の中にある考えが声として外に出てくることです。その際に、どのような話し方をすればいいのか、これは結構重要な問題だと思います。今、私は丁寧語で話していますが、これは慣れた話し方ではあります。ただ、少しかしこまった感じもあるのです。たとえば、家族や学生時代の友人と話す時には、このような丁寧な話し方はしませんし、むしろ丁寧語を使うと、よそよそしい印象を与えるかもしれません。ですから、その場合は「です」や「ます」を使わない話し方のほうが自然で、考えもスムーズに出てくるように思います。
しかし、マイクの前で話すときには、どうしても「です・ます調」の丁寧語が習慣になってしまっています。これをやめるのは意外と難しいものです。「です・ます」を使わないで話すことに強い違和感があります。慣れていないせいで、むしろ考えが働きにくいようにも感じます。ですが、慣れればスムーズに話せるようになるかもしれないので、試す価値はありそうです。ただ、この話し方だと、自分にとっては逆にそっけなく感じます。普段、家族と話す時にはもっと自然に「です・ます」を使わずに話せるはずですが、それを意識して話そうとすると途端に難しくなります。不思議ですね。
この違和感の原因は、マイクの前だからかもしれません。目の前に友人や家族がいれば自然に話せるはずなのですが、マイク相手だと普段の話し方ができません。皆さんはどうでしょうか。普段と違う話し方を意識して使うとき、自然に話せるでしょうか?私の場合、今のところは、マイクの前では「です・ます調」で話す方がしっくりきます。逆に丁寧語を外そうとすると、不自然さを感じて話しにくくなるのです。面白い現象ですね。
5.大学ではなぜ不登校はあまり問題にならないのか(2024.10.28)
私は以前から不登校問題に強い関心を持ってきました。特にコロナ禍以降、不登校の子どもが増え、その数は今も多いのではと感じています。リスナーの中にも、不登校の子を持つ方が多く、そういった悩みに答える「Teacher Teacher」というポッドキャストも人気です。このように不登校が増加している背景には、現行の学校制度が多くの子どもに合わなくなっていることがあるのではないかと思います。変わるべきは子どもではなく、学校、さらには学校を含む社会システムなのかもしれません。
ここで、私が勤めている大学の状況について考えてみます。現在の小中高の事情は詳しく分からないため、大学に限定して話を進めます。私自身も学生時代、小中高は皆勤で通学していましたが、大学に入ってからは授業に出ないことが増えました。例えば、理解できない数学の授業などでは、黒板の内容をただノートに写すだけで、次第に出席しなくなりました。その代わり、教科書で自分なりに学び、期末試験で合格点を取る形を取りました。このように、必要なときに自分で勉強するスタイルを取り、授業に出なくても大学から指導を受けることはありませんでした。大学は自己学習が基本という風潮があったため、不登校という意識もありませんでした。
この考え方を小中高にも適用できないかと思います。出たい授業には出て、出たくない授業は自主学習で補うという柔軟な対応が一般化すれば、不登校問題は消失するのではないでしょうか。小学生には自学が難しい部分もあるため、大人がサポートする仕組みがあれば、学び方は多様で良いと感じます。
とはいえ、「あまり」問題にならないとタイトルにあるように、大学でも不登校が全く問題視されないわけではありません。最近は不登校の学生に対するケアも始まっており、アドバイザーが登録や出席が見られない学生に連絡を取ることもあります。相談を通じて、専門学校への転学や休学を考える学生もおり、それも一つの道だと思います。
大学では基本的に自主性が尊重されますが、医療系や教員養成といった資格取得が必要な学部では、出席が求められる傾向があります。それ以外の分野では、大学生の学び方の自由さを小中高にも取り入れても良いのではないでしょうか。こうした視点から、不登校問題を再考するきっかけになればと思い、このテーマについて話しました。
6.なぜ今の大学生は自分で学びが進められないのか(2024.10.30)
今朝、大学の会議で再来年から始まる新しいカリキュラムについて話し合い、新入生向けの導入科目「アカデミックスキルズ」の授業形態が議論されました。この科目は大学での学び方に慣れるための内容で、現在は対面授業で行っていますが、オンラインでの実施も検討されています。
オンライン化の提案には賛否が分かれました。対面なら困っている学生を見つけて支援できるという意見がある一方で、大学側のリソース不足から対面でのきめ細やかな対応が難しいという声も上がりました。オンラインなら統一的に進められるというメリットもありますが、結論には至っていません。
そこで私が感じたのは、「なぜ大学生になっても学びが進められないのか」という疑問です。大学生であれば自ら考え、必要なら友人と協力して勉強方法を見つけるものです。現在は学習サポートセンターなどもあり、担当教員以外にも質問できる場があるため、支援を求めることも可能です。しかし、そうした場所に自分から行かず、わからないままで時間を過ごし、最終的に不登校や退学に至る学生がいる現状は気がかりです。
この背景には、少子化に伴う入試競争の緩和があると考えられます。かつては受験勉強で自分なりに学び方を身につけた学生が大学に進学していましたが、今は推薦入試などで受験勉強を経験せずに大学に入る学生も増えています。結果として、自主的な学び方を身につけていないまま大学に進学する学生が多くなっているように思います。
受験勉強自体を推奨するわけではありませんが、一定の学び方を身につける役割は果たしていたと感じます。できれば小中高の教育段階で、自分から学ぶ力や助けを求める力を育てるべきです。しかし、現在の教育システムでは、指示通りに学ぶ姿勢が強調され、自主性が育ちにくいのではないでしょうか。自分が学びたいことをどう学ぶかを考え、自分から行動を起こす主体性が求められているのだと思います。
このように大学生の現状を見ながら、学びに向かう姿勢や、小中高での教育について考えました。
7.ZEN大学とミネルヴァ大学の刺激に期待する(2024.11.1)
ZEN大学はドワンゴと日本財団が協力して設立を計画している大学で、最近、文科省の審議会から設置認可の答申が出ました。正式に認可されれば、来年4月に開学する見込みです。ドワンゴが関わっていることからわかるように、主にオンラインでの授業提供が中心で、オンデマンドビデオでの学習が基本形になりますが、ライブ授業や対面の授業、課外活動も予定されています。これらの活動には日本財団の協力が得られるようです。
私は以前から、このようにオンラインで学士号が取得できる大学は、現代に必要だと感じて注目してきました。特に日本財団が関わる点は大きな魅力です。今年の4月、日本財団がアメリカのミネルヴァ大学と包括連携協定を結んだことも知り、さらに興味が湧きました。
ミネルヴァ大学はキャンパスを持たず、学生が世界中の拠点を移動しながら学ぶという独特のスタイルを取っており、授業はオンラインで提供されます。この大学も以前から注目していましたが、日本には拠点がなく、来年秋にようやく日本にも拠点が開設される予定です。ZEN大学が春に開学し、ミネルヴァ大学が秋に日本拠点を設置するというタイミングで、どちらにも日本財団が関わることから、両大学間での連携も期待できるのではないでしょうか。
オンライン授業の質については、多くの人が不安を抱くかもしれません。放送大学の授業をイメージする方もいるかもしれませんが、ドワンゴが運営するニコニコ動画など若者に人気のある仕組みを活用することで、深い学びも期待できるはずです。ドワンゴは教育分野の経験が豊富というわけではないので、教育的な効果を高めるには試行錯誤が必要かもしれませんが、教育効果が高まる可能性は十分にあります。
このようなオンライン大学の成功の鍵は、自由になった時間と場所をいかに有効活用するかにかかっています。ミネルヴァ大学がそうであるように、オンライン化を単なる通信制とするのではなく、通学制の大学にはない強みを発揮する必要があるのです。通学制の大学も従来の教室授業に加え、オンデマンド授業を増やし、自由な時間を設けて多様な学びを可能にする方向へと変わるべきだと思います。
もっとも、自由度が高いことに戸惑う学生も多いでしょう。いわゆる「面倒見のいい大学」の存在もありますが、学生の主体性を引き出すために、適度なサポートが求められます。ZEN大学も、生活面を支えるクラス・コーチ、授業サポートを行うアカデミック・アドバイザー、キャリア支援アドバイザーなど、各分野のスタッフを配置し、学生をサポートする体制を整えるようです。学生がただビデオを見るだけで終わらないような環境を整えているようで、うまくいけば良い大学になるのではないでしょうか。他の大学もこれらの良い点を取り入れていくことが求められます。
私も通学制の大学で教鞭を執っていますが、来年開設されるZEN大学やミネルヴァ大学の日本拠点が、日本の既存の大学にどのような影響を与えるか注目しています。そして、自分の大学でもより良い教育を提供できるよう、この新たな動きから学び、取り入れていきたいと考えています。
8.不登校を自由学習と呼び換えよう(2024.11.2)
昨日、10月31日、文部科学省から不登校に関する調査結果が発表されました。昨年度、つまり2023年度の不登校児童生徒数が増加し、小中高を合わせると41万人を超えているとのことです。これは2020年度から顕著な増加傾向が続いており、今も増え続けているようです。
このニュースについて少し私の考えを述べたいと思いますが、皆さんはどう感じるでしょうか。不登校を深刻な問題と受け止める方もいるかもしれません。実際、この調査の正式名称も「問題行動・不登校調査」で、不登校は問題行動と同列に扱われています。この「問題行動」にはいじめも含まれ、不登校といじめの関係性も無視できないと思います。しかし、不登校そのものが問題視されることについて、私には少々違和感があります。
私は以前から、不登校は特に問題ではないと考えてきました。「不登校」という言葉自体も好ましくないと思います。かつて「不良」と呼ばれた若者を連想させ、不登校であることが社会的に「悪いこと」「迷惑なこと」とみなされるようなレッテルを貼る言葉だと感じています。このようなネガティブな印象を与える言葉ではなく、「不登校」を「自由学習」と呼び換えるのが良いのではないかと考えます。「不登校児童生徒」も「自由学習者」とすれば、より適切に状況を表せるのではないでしょうか。反対に、毎日学校に通う子どもたちを「不自由学習者」と呼ぶ方が実態に即しているかもしれません。
もちろん、不登校の理由には体調不良や病気など、必ずしも望ましいものではないケースも多く、子どもも親も苦しんでいる場合が多いでしょう。しかし一方で、学校が苦しくても学校以外の場で生き生きと学んでいる子どもたちも少なくないはずです。このような多様な状況を一括りにして「不登校」と呼ぶのは適切でないと思います。
また、不登校の子どもたちが通う「フリースクール」という場も増えています。フリースクールは日本語に訳すと「自由学校」で、そこに通う子どもたちは「フリーラーナー」、まさに「自由学習者」です。こうした学び方の方が子どもたちに合っている場合も多いのではないでしょうか。不登校の増加は、学び方の自由が広がっているというポジティブな側面もあると考えます。
ですから、「不登校が増えている=悪いこと」とは限りません。学びの自由が認められる社会に近づいているとすれば、それは良い変化です。不登校の増加に社会が適応し、自由な学びを受け入れる流れが生まれることは歓迎すべきでしょう。
少し話が変わりますが、今は子どもたちだけでなく、先生たちも辛さを感じているようです。教職に就いてもすぐに辞めてしまう人が少なくないのです。不登校の問題と先生の働きづらさは、いずれも現在の学校の構造的な問題を示していると感じます。学校に通えなくなった子どもたちを、同じく学校で辛さを抱える先生たちが支援する形がもっと増えれば、今の学校のあり方にも良い影響があるのではないでしょうか。
9.「こんなこともできない」と言われる学生がいることについて(2024.11.3)
今日の午後、大学の会議で、今の学生は基礎ができていないという話がありました。会議では、こうした基礎的な力を強化するためのカリキュラムや必修科目が提案されましたが、私はこれが本質的な解決になるか疑問に感じています。
私自身も学生時代、理解が不十分なまま、試験を通過するために必要なことだけを覚えて単位を取っていた経験があり、今の学生も似たような状況ではないかと考えます。つまり、学ぶべき内容が多すぎて、一人ひとりのキャパシティを超えてしまい、単位取得が目的化してしまっているのです。これが本質的な理解を妨げている原因の一つではないでしょうか。
本来ならば、学生が自分のペースでしっかりと理解を深められる環境が必要です。カリキュラムも、進度を柔軟に調整できるようにするべきです。さらに、学ぶ内容の「意義」を伝え、なぜそれが重要かを学生が理解できれば、学びへの意欲が湧きやすくなるでしょう。しかし、今はやるべきことが多すぎて疲れてしまい、学ぶ意欲も失われがちです。
また、学生が孤独を感じず、学びにくい部分を相談できるようなサポート体制も重要です。わからない仲間同士で集まることでも安心感が得られ、自分の理解が進んでいる仲間や先生、教育スタッフの助けを借りられるような環境があれば、学びが円滑に進むはずです。
基礎の重要性を説く意見は根強いですが、必ずしも基礎から学ばなければ理解が進まないわけではないと思います。ある程度応用をこなしてから基礎が本当に理解できる場合も多くありますし、社会に出てからでも学び直す機会があっても良いのではないでしょうか。そうすれば、「これが基礎の意味だったのか」と後から感動を伴って学び直せるかもしれません。
会議では、教育課題をどんどん下の教育段階に求める傾向がありましたが、これは劣等感を生みやすい環境を作っているとも感じました。学生に、再履修や基礎科目の不合格が繰り返される状況を強いるのは、意欲を失わせる要因です。学生が興味を持てることに思い切り取り組める環境こそ大切で、基礎も必要になった時に学び直せば良いのです。
10.あの頃のワクワクが甦ってきた!(2024.11.5)
昨日(11月3日)、とても興味深いプロジェクトが急速に進展していることを知りました。以前からそのプロジェクトの存在は知っていたのですが、表に出て加速度的に進んでいると知り、驚くとともに、昔のワクワク感が甦ってきたように感じました。このプロジェクトは、平野友康さんが進めている「Teleport」というサービスです。まだ一般公開されていませんが、生成AIに関するサービスで、これを最大限に活用したものになると期待しています。
平野さんは10年以上前、デジタルステージ社の社長として、誰でも簡単に見栄えの良いウェブサイトが作れる「BiND」というソフトを開発しました。私もこのソフトを使い、今も運営中のウェブサイトを作りました。当時、BiNDの使い方を教える「ウェブコンポーザー学校」という場がUstream上で開かれていて、平野さんが開発過程を公開し、ユーザーのフィードバックを反映させながら進める双方向の場でした。その活動に私もリアルタイムで参加し、視聴者としてワクワクした記憶があります。このワクワク感は、ネット上で学校が作れるのではないか、教育に活かせるのではないかという思いから生まれたものでした。
その後、平野さんは海外に移られ、しばらく距離ができましたが、数年前から「コミュニティのためのプラットフォーム」を構想され、それがTeleportという会社やサービスにつながっています。今回、Teleportは生成AIと結びつき、学びのコミュニティプラットフォームとして発展しつつあり、これに関連した「Teleport学校」が始まっているようです。このプロジェクトには、かつてのウェブコンポーザー学校と同じ懐かしい雰囲気を感じています。8月下旬からスタートしたのですが、少し出遅れたものの、今からでも十分参加できそうで、これからの活動を楽しみにしています。
現在、平野さんは「Teleport Radio」というポッドキャストを配信されており、夏休みの終わり頃に行われたオンライン合宿を皮切りに、すでに30回以上放送されています。私はこれを最初から順に聞き進めていますが、10年以上前にUstreamのアーカイブを最初から見ていた時と同じく、懐かしさとともに新たなワクワク感が湧き上がってきています。平野さんには、私にとって二度もこのような大きなワクワクを感じさせていただき、とても感謝しています。