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こんにちは、たまこです。今日は娘の大学の学祭に来ています。
まあ学祭といってもですね、美術大学ですから、もうね、教室という教室が全て画廊のようになってるわけですよ。
これね、とっても全部は見切らないですね。 今日は娘の金属のところの立体アート、
それから石の立体のアート、あとは
洋画、そして、ああいうのなんていうのかな、最近は映像を絡めた、
例えば、プロジェクターで何かを映しながら光の演出をしたりとか、
建物の隅っこをですね、暗室のような感じにして、何かこう映像を流したりとか、そういう作品もいっぱいあってですね、
まあとにかくいろいろと、まあ1時間ぐらいですけれども、見て回りました。
そこで感じるのはですね、やっぱりね、それぞれ表現の仕方っていうのは、いろいろあるわけですよね。
油絵にする人もいれば、そういう映像をやる人もいれば、何かちょっと素材を組み合わせて、
いろいろな素材で、型にとらわれない表現をするようなものとか、
とにかくめっちゃくちゃあるわけですよ。どれが正解なんてないわけですよね。
なんかそんな風に、自分の心にあることを表現する手段を持っているっていうことは、すごいことだなって思ったんですね。
娘はだから何かしらそういう金属で作品を作ったり絵に描いたりとか、そういう手段を今後も使っていくんだろうなぁと思うんです。
多分それはね、言葉で言うよりもそっちの方が彼女には快適なんでしょうね。
一方私はっていうと、絵は描けないし、そんなアート作品作るなんてもうとてもとても無理ですね。
やっぱり喋ることなのかなぁって、ちょっとそんなことを考えながら歩いていました。
司会者の仕事っていうのは、本当に多分その司会者ごとに同じ状況に置かれても発する言葉がきっと全然違うんだと思うんですよね。
先日はサプライズでですね、
神父のお母様がお手紙を書いてきてくださって、
主には娘にあてた心の声を書いたものという感じだったんですけれど、
それがすごく感動的だったんですよね。
離れて暮らしている時にも、
あなたのことを考えない日は一日もありませんでした、みたいな言葉を率直に語られるようなもので、
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うっかり泣きそうになるっていう、そんなお手紙だったんですけど、
その後なんていうかですよね、司会者としては。
なんかね、ちんけな素晴らしいとか感動したとかっていうのは、あんまりピンとこないなってその時は感じたんですよね。
だから私はご神父に、幸せですね、みたいなコメントを多分したような気がしますけれども、
あの時に何とはするのが一番良かったのかなっていうのは、
その後もいろいろ頭の中で常々考えているような、そんな状況です。
そうやってブラッシュアップしていくっていうことはきっと必要なんですよね。
これも自分の心にあることの表現を磨くっていうことの一つっていうことなのかなぁなんて思いました。
ということで、今日は心にあることを表現する手段を持っているってことってすごいよねっていう話をしました。
今日もありがとうございます。タバコでした。