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2024-07-09 08:39

用途を考えないで書かれた音楽の話

久々にまともなこと話してます。音楽って何かに使われるためだけに作られるわけでもない、なんてことを思うコンサートを聞いたので、その話です。

話の中で出てくるスカラムーシュという曲はこちら。サックス版とかもかなり有名みたいで、YouTubeでたくさん出てきました。

 

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こんばんは、また深夜のポッドキャストを収録になります。 珍しく、今回は1ヶ月明けずに、1日で次のポッドキャストを収録しています。
今日お話ししようと思うのは、更新しない間に言ったコンサートについての話をしようかなと思っていて、このコンサート、どういうコンサートかと言いますと、
クラシックの作曲家で、ダリュース・ミオという人がいまして、今年没後50周年ということで、私の知り合いたちが集まりまして、ピアノのために作曲した曲の全曲演奏会というのを開催したんですね。
このミオという作曲家、どういう人かと言いますと、世代としてはフランス6人組という人がいまして、詩人のジャン・コクトーの元に集まった6人組の作曲家がいて、一番有名なのは、たぶんプーランクとミオなのかなと、
ついでオネゲールとかそんな感じかなと思っているんですが、ミオはどういう人かと言いますと、もうとにかく作品をたくさん書いているんですよね。もう作品数が300、400くらいあるのかな。ちょっと全部は知らないんですけれども、作品表を持っている方は持っているんですけど、今ちょっと手元にないので。
その人の曲の中で一番有名なのが二大ピアノのために書いたスカラムーシュという曲があって、これがもうラテンドリのノリノリの曲なんですよね。たぶんサックスとかいろんな楽器に編曲されているので、どこかで耳にしたことがある、吹奏楽をやっている人の中でもきっと吹奏楽盤とか管楽器盤とかあるから聞いたことがあるんじゃないかなと思うんですけれど。
ミオは結構ピアノ曲もたくさん書いていて、その演奏会というのが12時半ぐらい始まったのかな。それで夕方の8時ぐらいまで続くというすごい長丁場な、もちろん途中で休憩は入るんですけれども、私はちょっと調子が悪かったので半分ぐらいで書いてしまったんですが、その時の音楽を聞いた感想をちょっと述べてみたいなと思いまして。
なんでその感想を述べようかと思ったかと言いますと、ミオという作曲家はすごく有名なのにピアノ曲自体はほとんど知られていないんですよね。さっき言ったスカラムーシュ以外はソロのピアノ曲を全部演奏したわけなんですけれど、聞いていて思ったのが、これってどこで演奏するために書いたつもりなんだろうなということをすごく思ったんですよね。
グラフィックのコンサートってなんて言いますか、ちょっと独特の雰囲気があるじゃないですか。まずお客さんいずれに座ってステージ見ながら、なるべく音は立てないようにと、なんかどっかちょっと緊張して、曲と曲の合間にみんな咳し出すみたいなそんな感じのイメージあると思うんですけれど、そういうコンサート会場で黙って神経傾けて演奏して聞くっていう感じの曲ではないなというのが多かった。
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イメージなんですよね。
当時音楽業界はシンコテンシキと呼ばれるものが流行ってて、いろんな特徴があるんですけれど、特徴の一つとしては、難しい和音だとかそういう音楽理論とか使ってても、曲自体は短いっていうのがすごい多かったんですよね。
みようの曲なんかでも本当に1分もかからず終わってしまうような曲とかたくさんあったりして、そういう意味では聴きやすいとは思うんですけれど、でも演奏会で聴いて受けるかといったら、間違いなくなんだろうなって感じで終わってしまう、そんな曲ばっかりだったんですよね。
なので多分作曲者本人としては、演奏会で受けが見られるような曲とかそういうことを考えずに思いつくままにどんどん曲を書いていった、それが出版されていった、そんな感じだったんじゃないかなと思うんですよね。
みようをはじめとするフランス6人組と呼ばれる人たちがすごく尊敬していた作曲家に、エリック・サティーという人がいまして、エリック・サティーの曲は皆さん1回ぐらいは聴いたことあると思うんですけれど、クラシックというよりはムード音楽みたいな感じで、特に難しいフレーズとかもなく、すごく淡々としたメロディだけが綺麗に響く、でもなんかちょっと不思議な浮遊感がある、そんな感じの音楽なんですけれど、
言ってしまうとサティーの音楽ってBGM的なものがあって、本人も家具の音楽という曲を作曲していて、それは演奏会のための曲じゃなくて、周りで人が話している、後ろで泣かせるための曲だということで、実際演奏してみたらみんな曲を聴いて会話をしてくれなかったという、そういうエピソードがあるんですけれども、
そういうところにミオも影響を受けて、いろんな曲を書いたのかなとは思うんですが、じゃあコンサートで向かないとすると、一体どういうところで演奏して、あるいはCDとか流したりとかしたらウケるのかなと考えると、場所が見つからないんですよね、ちょっと。
仕事場でたまに音楽とかを流しながら仕事することあるんですけれども、それでミオのピアノ曲とかを流しながら仕事していても、何というか音楽の存在をあまり意識しないというか、特に聴くわけでもないし、耳を惹かれるわけでもないし、ただ音が流れているみたいな、そんな感じにしかならなくて、
それよりはもうちょっと音楽に集中して聴いた方が面白く聴こえるのかなというふうに思うんですけれど、でもそれにしても何とか取り留めのない、よくわからないような曲でパッと変に終わったりとか。
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ミオ本人は先ほどもお話ししました通り、生涯にものすごい300、400という数の曲を書いた人なので、多分楽器とか使わずにそのまま思いついたものをどんどん楽譜に書いてとかそういうことができた人だったらしいんですよね。
だから本当ピアノ曲なんていうのも、思いついたメロディをそのまま曲にしてみたとかっていう感じで、それがどういうふうに演奏されるか、誰がどういうふうに使うかっていうふうに言い方を書いてもいいかもしれないかなと思うんですけれど、そういうことを全く考えなかったんじゃないかなと思うんですよね。
でも今そんな曲、例えば書いたりとかしても、作曲としてクラシックとして書かなくても、いろいろトラックメーカーの人、ネットとかにたくさんいるわけですけれども、やっぱり使ってもらうことをどこかみんな意識して曲を作ったり音を作ったりしているわけじゃないですか。
そういう何と言いますか、利用目的とかから離れて純粋に自分の書きたいように書いて、それがだいたいほとんど出版されているなんていうのはかなり幸せな部類なんじゃないかなというふうに思うんですよね。
今の現代作曲家とかでそんなに難しくないような曲でもほとんど出版されなかったりとか、弾かれなかったりとか、そもそも耳にも触れない、聞かれることもないみたいなそういう状況にあるので、ミオのピアノソロ曲もほとんど聞かれてはいないんですけれども、
あとこういう作品数が多すぎる、割と無くなってから時間もそんなに経っていない作曲家って意外と調査が大変だったりとかして、著作権が生きているからだったりするんですけれども、研究所とかそういうのがほんと少ないんですよね。
私もコンサートがあるというので、ちょっと調べてみようかなということで、いくつか用書を買ってみたりとかしたんですけれども、結構新しくないんですよね。古いもので、なんかとりあえず生涯をちょっとまとめてみましたみたいな感じで、相当研究するにはまだまだ時間がかかる。
たぶんフランス人がやるんでしょうけど、難しいんじゃないかなというふうに思いましたね。
たぶん本人はそんなことを考えずに、キノコママは陽気な方だったらしいので、楽しく作曲してたんじゃないかなとそんなふうに思っています。
ちなみに一番有名なスカラムーシュをこの投稿の前の方に貼っておきますので、よかったらちょっと聞いてみてください。
それでは。
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