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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日は京都の話をね、ちょっとしようと思うんですけれども、これは今朝の中村敦彦さんのボイシーで、ちょうど今京都に遊びに来られているようで、
本当に素朴な疑問として、こんなに京都は美しい街並みで、町屋とか古い建物もたくさん残っていて、せっかく綺麗な景観なのに、
なのに結構ね、共産党とか日本維新の会とか、そういった左翼思想の政治のポスターがいっぱい貼ってあって、そういうのをポスター貼ってる家ほど汚くて、
共産党の思想にかぶれている暇があったら、周りを掃除しろ、みたいな面白い配信をされていて、大笑いだったんですけれど、
ただね、関東の人から見たら、この京都が左翼思想なのがね、ちょっと、何ていうか、キーに移ったんだなって思って、
それがね、ちょっとすごくね、私たち関西人からしたら、もう当たり前に思っていることが、よそから来た人から見ると、すごい不思議に移ったんだなって思ったので、ちょっとね、そのことについてお話ししようと思ったんですよね。
京都っていうのは、本当に昔からものすごくね、この関西圏の中でも特に左翼思想が強い土地柄なんですよね。
これを中村さんは、やっぱり京都っていうのは上流のところだから、上流の人ほど左翼思想とかね、リベラルな人が多いから、だからなんですね、みたいなコメントも言っておられたんですよね。
でもね、そういう面もあるかもしれないんですけれど、京都のね、この左翼思想っていうのは、もっとちょっとね、複雑というか、根が深いんですよね。
なので、あの今日はね、ちょっと私がわかる範囲内で、京都を含むこの関西圏のね、ちょっと不思議な、この何て言うんでしょうね、左右の思想みたいなもののね、ちょっとルーツをお話ししたいなと思いました。
はい、まず京都がね、なぜこんなに左翼思想が強いのかっていうのはね、いろんな観点があって、一つはね、本当中村さんが言うように、非常にね、知的なバックグラウンドが、
根を下ろしているからだっていうのはもちろんあると思います。それはこの狭いエリアの中に、すごいたくさん大学が集中しているエリアなんですよね。
しかも、関西圏の最高峰のね、京都大学を筆頭に、私立でも本当に優秀な大学ばっかりが結構揃ってるんですよね。
例えば、同志社とか、立命館とかね、こういった大学とかがもうひしめき合っていてですね。
やっぱり、1960年代から70年代にかけて起こった学生紛争ですよね。この時は、こういう非常に頭のいい学生たちを中心に、すごく反体制の思想で、リベラルな運動が起こったんですよね。
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それがちょっと過激に行き過ぎたために、いろんな事件も起こったんですけれども、この時のこういう左翼運動の唇を切ったのは、この学生たちですよね。
なので、こういった歴史的な背景が今も色濃く残っていて、私の同級生が、やっぱり立命館に入ったんですけど、彼氏が活動家だって、
私の世代は学生紛争とは程遠い、バブルも通り過ぎて、全然もう軟弱な世代だったんですけれど、それでも大学には左翼活動みたいなことに身を投じている人まだいるんですよね。
そういう彼氏と付き合ったら、すっかり会ったら、すっぴんに髪の毛ボサボサのヒッピーみたいな人に生まれ変わってましたね。今はどうしてるかわかんないんですけれども。
そんな感じで、今でも、相変わらず京都大学とかも、憲法改正反対とか、いっぱい手書きの看板とか置いてありますよね。立命館とかね。
徳子社もね、すごく左翼的な大学なんです。実はね、クリスチャンの学校でおしゃれなイメージあると思うんですけれども、あそこもね、実はすごくリベラルな大学で、加藤時子さんというフォークシンガーがいらっしゃいますよね。
この人の、もう今亡くなられてるんですけど、旦那さんが有名な学生紛争の活動家だったんですよね。この2人はこの活動中に、一目惚れに近い状態で恋に落ちて、極中結婚。旦那さんはこの活動で刑務所に捕まってしまって、極中結婚したという有名なエピソードがあるんですけれども。
この学生紛争が終わった後は、2人でオーガニックな暮らしをして、どこか地方で自給自足の生活をしたりとか、そういうことをされていたはずです。
その旦那さんがとにかく同志者だったりとかね、こういうふうに私立の結構、割と裕福な子どもたちが行くような大学も、すごくリベラルな思想が根底にあるんですよね。
あとは政治家もですね、今日コメントで野部さんもおっしゃってましたけど野中博文さんってね、もう今亡くなられてますけれども、元幹事長ですよね。
自民党の大物、昭和の大物政治家の一人ですけれど、この人も京都出身。この人は部落出身だったんですよね。非常に苦労されて差別も受けて、本当に疑ってきた人なんですよね、そこからね。
政治家として体制されたんですけれども、こういった人が出てきた地盤になるので、ここもやっぱり人権運動とか、解放運動とかね、そういったことが非常に盛んなエリアなんですよね。
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この野中さんを筆頭にですね、京都っていうところはね、やっぱり歴史が古いところって、奈良とか全部そうなんですけれども、やっぱり非差別部落の問題っていうのはすごくあって、最近ですとね、数人地区っていうね、エリアがね、京都駅のすぐそばあたりにあるんですけれど、ここがずっと大きな部落地域だったんですけれども、
ここが京都一律芸術大学ですよね。ここを場所を買い取ってですね、ここに校舎を移して、新しいエリアとして再開発をし始めましたよね。こんな感じでね、京都市内ってね、すごい面白くて、部落ってね、普通ちょっと外れたところとか、明確に部落とそうじゃない場所っていうのが、ちょっと通りを隔てて分かれていたりするんですけれど、
京都っていうのはね、本当に市内ね、古い京都市内の中に、もう根前一帯となって、別に通りを隔てずともね、部分部分にポッポッと、ここは部落のエリアだよっていうのがね、根前一帯と共存しているような独特な場所なんですよね。
なので、差別とかいろいろあるのかもしれないんですけどね、もうちょっとね、混ざり合っている独特の場所なんですよね。うまく言いにくいんですけれども、そういった意味でもね、やはり弱者サイドというんですかね、やっぱりどっちかというと、やっぱり左寄りの思想になりますよね。
で、あともう一点がですね、これはね、うちの母が面白い考察をしていてですね、もともとだから京都っていうのは、京都が都だったわけですよね、もともとはね、ずっと。
ところが江戸幕府になって、急に首都を江戸に、東京の方に持っていっちゃったんで、それはね、すごく京都としては腹立たしい気持ちが当然あるはずなんですよね。
本来都はこっちだろう、みたいなね、があって、でやっぱり絶対お上にはね、従いたくないっていうね、絶対東京とかね、今の新しい政府が言っていることにはね、絶対首を縦に振りたくねーみたいな、そういう反骨心みたいなのがやっぱりね、あるんですよ、多分。
それはね、大阪もそうですし、関西圏全体に、やっぱこういうね、すごくね、いろんなその日本列島の中のね、いろんな都道府県の中でも、この京都大阪辺りっていうのはすっごい反骨心が強いエリアなんですよね。
それは理由はこれかなという気がしますね。やっぱり本来こっちが首都だったはずだっていう、その自負ですよね、京都の場合は。
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あと大阪に関して言うと、これはね、本当私の勝手な持論なんですけれども、小田信長が生きていたら、大阪が絶対首都になってたはずなんですよ。
小田信長っていう人は、戦国武将の中でも最も人気がある人の一人だと思うんですけれど、特にね、大阪の人間はね、多分好きなんですよね、小田信長がね。
いやあなたさえ生きててくれたら、みたいな思いがどっかにあって、大阪にね、だから小田信長が生きていれば、堺が本当に東京駅みたいなことになってたんじゃないですかね。
堺として栄えた大都会だったんですよね。ザビエルも来てますしね。本当にね、真っ先に鉄砲とかね、カステラとかいろんなものが長崎とか入ってますけれど、この大阪にも入ってきてるんですよ。
だから本当にね、小田信長を闇に葬り去った明智光秀に対しては、いろんな嫌な思いがあるんですよね、関西人はね。
あと関東の方とかね、関西圏以外の方が関西に来て気づいたことに、エスカレーターで立つ位置がなぜか右側だっていうことに、皆さん気づかれませんでしたかでしょうかね。
ちょっとびっくりすると思うんですけど、普通は左に立ちますよね、多分ね、関東の方はね。でも関西は右なんですよ。
これもね、すごい不思議で、いろんな人が検証してるんですけど、結局のところよくわかってないと思うんですけれども、これもね、私は、関東が左って言うんだったら、俺らは右だみたいなね、単にそれだけだと思います、理由は。
とにかく、東京の方から言われたことには絶対従いたくないっていうのが根底にあってですね、ちょっと私何回か前に関西弁のことをね、1回配信したんですけれど、
堅くなにね、関東に行っても関西弁を崩さない人がいるっていうのを話したことがあるんですけど、これもね、昔はもっともっとたくさんいてですね、やっぱりこれもやっぱり関東に対して、標準語って誰が標準語って決めてみたいなのがあると思うんですよね。
標準は俺らや、みたいな、そういう、勝手に自分たちを除外して、違うところで違うルール決められたことに対して、絶対もうそれに賛同できないっていうね、だからこれも突き詰めていくと、左思想に結果的になっていく理由なんですよね。
だから反体制イコール左翼っていうことになるとするならばね、所詮ねこの程度の理由なんですけれど、とにかく京都を含めてね、大阪とか非常に左思想は強い土地柄だと思います。
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で、あと、そうそう、だから学校とかもね、私うちおばが大阪の人間だったんですけれども、結婚して名古屋に行って、もう今もずっと名古屋に住んでるんですけれども、ずっと名古屋の悪口言ってるんですよね。
学校の先生なんですよ、おばは。だから日教祖っていうかね、学校の先生のいろいろありますよね、団体がね。そこの教育方針とか思想がね、もう大阪と名古屋では全然違うらしくて、やっぱりね、大阪は言うてもすごくリベラルなんですって。
で、名古屋はね、すごく体制的らしいんです。で、もうね、あいつら右翼や、あいつら右翼や、おば女なんですけど、そういう風に言ってました。だから、なんかね、すごく右翼的だと感じたみたいです、おばはね、名古屋がね。
これ聞かれてる方で名古屋の人がいらっしゃったら本当にすいません。これおばが言ってることで、でもおばは今も幸せに名古屋で暮らしてますので、もう今は名古屋の人だと言ってもいいと思うんですけれどね。だからそれぐらいね、やっぱり大阪とか京都っていうのはね、ちょっとそういうところだっていうことなんですよね。
で、えーとね、だから中村さんとかがね、やっぱりちょっとね、あの、あのそういうね、あの左翼アレルギーを感じるんですよね。中村さんにはね。もう左翼がもうね、あの多分ご自分も出発点はどちらかというとリベラル寄りだったと思うんですよね。
なんですけれども、あまりにも嫌な目にあったりね、嫌な人を見たりして、もう左翼ごめんだみたいなね、気持ちがすごく強いんだと思うんですけれど、正直ね、京都はおやめになった方がいいと思います。あの京都はね、いろいろもちろん自民党支持者もたくさんいますしね、いろいろあるんですけど複雑なエリアです。
たまに訪ねていくのがいいので、二拠点生活みたいな感じで、たまに訪れるぐらいだったらとってもね、過ごしやすくていいとこだと思うんですけれど、結構ね、あの左翼思想とは切っても切れないエリアなので、私はね、あの同じ関西だったら是非ね、あの神戸をお勧めします。神戸は神戸で、もうパフパフじゃありません。
あの本当にね、ここも美しい港町で、いっぱい偉人が来てですね、立派な洋館とかね、あのいろいろあっておいしいねドイツ菓子とかがいっぱい入っててですね、あの神戸の人はね、大阪のことをね、本当に見下してるんですよ。もう臭い、まずい、危険、もう最低みたいなね。
あの文化も、その食文化とかね、そういうあの街並みとかね、建築とか、そういったものすべて神戸の方が勝っていると本気で思っている人たちなんですよね。でね、あの悲劇的な地震があったんですけれども、まあ彼らのね、そういうあの自分たちのね、あの神戸という町を愛する気持ちでね、復興させましたよね。
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で、私はあのこういった神戸エリアでも仕事を今ずっとしてるんですけれども、本当にね、あの品が良くて、あの上品でね、あの大阪はね、やっぱりあのガチャガチャしてるし下品だし、まあ金にはせこいですしね、あのいろいろ問題を多くあの持ったあの人種なんですけれども、神戸の人たちはね、本当にあのそうやってね、品があって、あのでまたね、ここはここであの立派なね、あのいい大学がいっぱいあるんですけども、あの神戸の人たちはね、本当にあのそうやってね、品があって、あのでまたね、ここはここであの立派なね、あのいい大学がいっぱいあるんですけれども、あの神戸の人たちはね、本当にあのそうやってね、品があって、あの
いっぱいあったりしてね、神戸大学とかを含めてね、あのすごくアカデミックなエリアでもあって、あのすごくいい場所なんですけれど、京都と違って、ここはね、あのちょっと言葉は悪いですけど、まあ右翼的な場所だと思いますね、私は、うん、あの体制寄りだと思います、うん、あの京都よりもね、あの神戸の方が、あのなんていうかな、あの上品で、一切そういうね、あの、あの政治思想をね、わーわーわー、あの京都や大阪の人みたいな
ね、あのわーって、あの自分たちの主義主張をね、あの小裸にね、あの叫んだりしない代わりに、静かに心の内で、なんかね、あのみんなを見下している感じがね、私たちが一番優れてるみたいな思ってたりとか、あと基本的には体制寄りの思想で、すごくね、住みやすいとこだと思うんですよね、逆にね、うん、だから、あのまあすごくあの庶民的で親しみやすいっていうのは大阪、その中でもさらにあのディープ
で癖があるのが京都、うん、でも、えっとね、上品で、あの品が良くて知的で、ね、お金にも汚くなくて、うん、あのすべてにおいて住みやすい神戸、でもとっても、でもって言ったらダメですね、あのでしかも体制寄りで、あのすごくね、あの中村さんなんかはね、過ごしやすいところなんじゃないかなと思うんですよね、神戸ね、うん、あの三宮とかね、うん、元町とかね、あの素晴らしいとこいっぱいあるんでね、あの神戸なんかもね、ちょっとお勧めかもしれません、
はい、というわけでね、関西はね、非常に狭いエリアの中でもね、あの本当にあの地域性みたいなものがね、ガラッと変わったりするから非常に面白いんですよね、この京都からさらに東の方ですよね、に行くと滋賀県がありますよね、滋賀県は京都に非常に近いのに全然またね、ここは地域性が違って、もっとね、あの全然左翼はほとんどいないんじゃないですかね、ここは、
あのここはどっちかと言ったら保守的というか体制派の地域性だと思うんですよね、なのでね、ここなんかもあの住みやすいかもしれませんね、で、なおかつ自然は豊かで綺麗ですし、美和子があってね、ここであのバス釣りとかね、あのね、ちょっとあのボートに乗ったりとかね、で、あと私が好きな点はボーリスっていうね、すごく有名なあの日本にね、滞在していたあの外国人の建築家なんですけども、この人のね、
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建物なんかがいっぱいあって、街並みもねすごく綺麗なんですよね、なのでね、あの京都よりも滋賀の方が住みやすいかもしれませんね、はい、あのなんですけれどね、あの京都ね、あの息子さんが京都の大学行かれているということなので、中村さんの息子さんももしかして、あのどっちかと言ったら左翼寄りになっていくのではないかなっていう危険性もあると思うんですけれど、
うん、だから京都っていうところはまあ左翼がちょっと避けれないっていうかね、あの非常にあの左思想の強い地域性だというお話と、まあ題外案としてね、京都よりもあの神戸とかね、滋賀の方がもしかしたら中村さんには相性がいいかもしれませんよという勝手なご提案をさせていただきました。はい、というわけでね、今日はこれで終わります。ごきげんよう。