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2024-08-18 19:18

#332 (回想会)私が関西にいかない理由と上京した理由

寸尺かんなさんの京都の話を聞いて、色々回想しました。

https://stand.fm/episodes/66c09cbf859f137e81d9ea2a

関西にはもう15年以上行っていません。どうしていかないのか、上京した理由は?なぜ田舎が嫌なのか。
雑談しました。
#東海人
#関西人
#田舎
#上京物語
#関西と首都圏の違い
#寸尺かんな
#中村淳彦
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はい、みなさんこんにちは。昨日ですね、スタイフで人気パーソナリティーの寸尺環奈さんが、「京都は最悪ですよ!」っていうような話をされていて、
まあちょっとね、やっぱり関西とかの話になるとですね、私自分の実家を思い出してしまうので、まあいろんなね、あのコメントすいません、あの面白すぎて入れてしまったので、
あの奏さんちょっとやばいとこあったら消しといてくださいっていうところですね。で、あのそれをですね、あのきっかけにちょっと私、まあ今日違う話題を話そうと思ってるんですが、
あの私はですね、あの、はっきり言うと地方が嫌なんですよ。で、これはですね、多分もうね、トラウマなんですよね。で、これどういうトラウマがあるかっていうとですね、私はとにかく不便が嫌なんですね。
で、なんで不便が嫌になったかっていう理由をちょっと今日ですね、どういうところで育っていたかっていうのを話そうと思います。
で、まず私が住んでいたところっていうのは、東海地方と関西地方が混じったところなんですね。ちょうどもう、ほとんど関西です。関西のもう県境なんですよ。
で、これを言うと県境っていうのはすぐわかるんですが、テレビチャンネルってありますよね。地上波の。あれってですね、あの1から12まであったとしたら見れないところがあるはずなんですけれども、
すべて見ることができましたと。それが当たり前だと思ってたんですが、実際関西で住むように、大阪に住むようになってから違うっていうのが分かったんですが、東海の地方の番組と関西の地方の番組っていうのも全部映るようになってたんですよね。
だから1から12ちゃんまで全部見ることができるような場所にいました。どちらかというと関西寄りなので、ほとんど奈良ですね。奈良に近いところなので、話し方としては関西弁ですと。関西弁なんですがちょこちょこワードがですね、完全に東海の人しか使わないようなワードを使うんですよ。
例えばですね、みなさん、机を運ぶって言いますよね。何か運ぶっていうのをですね、釣るって言うんですよ。東海の人は。こういう言い方をするので、学校のですね、例えば掃除の当番っていうのは、机釣りと書いてるんですね。机釣りっていうのはですね、関西に行って、あ、つだわらないんだというのが初めてわかったんですけど、これはですね、東海の方言なんですよね。
で、あとはですね、まあいろんなちょっとその鉛とかもきつくてですね、関西弁の方よりは多分ちょっとですね、鉛ってるのかなっていうところなんですが、まあほぼほぼ関西弁なんですよ。で、私が住んでた地域のちょっとですね、違う場所になるともう標準語に近くなってくるので、すごくですね、特殊な場所だったんだなって今思い返すと感じます。
で、まあどんなところだったかっていうとですね、まあ基本的にはですね、山と、もう、がとか虫しかいないようなところなんですよ。で、特に夏は、まあ蚊に刺される、まあ蚊に食われると言うんですけどね、あの関西の人は。蚊に食われるんですが病にも食われるんですよ。
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で、まあこの食われるっていう言葉もね、東京に来てから食われるっていう言い方がものすごく笑われて、刺されるっていうのが本当の言葉だったっていうのも初めて知ったんですけど、まあそういう感じでですね、すごくですね、蚊とかガガが多くて。で、セミなんかはですね、もう大量にいるので一日中、まあもうセミの鳴き声がするわけですよ、昼とかは。
で、あとはですね、えっと、まあ冬になるとイタチ、タヌキ、まあこの辺りがですね、もう高速、あの高速道路のところに出てきてですね、もう惹かれまくってるんですよね。まあ死骸がいっぱいありますよ。まあそういうところで。で、ちょっと夏の話に戻ると、あのマムシっていうね、あのヘビでもですね、もう猛毒のものが出てきたり。
あとはムカデも出ます。ムカデはめちゃめちゃでかいムカデがね、普通に出てくるんですよ。まあこういうようなところに住んでいるので、当たり前なんですけれども、何をするにも車がないとですね、一切できないようなとこなんですね。で、その車がないとできないところで無理やり自転車を乗ったり歩いていたっていうのが私の育った環境なんですよ。
で、まず小学校は最初の3年間っていうのは行きが40分かかるんですね。で、帰りももちろん40分以上かかるんですけど、登りなので。山道を通っていくようなところで3年間通ったんですよ。で、その後、あと3年は自分の家の近くにですね、あの新しい小学校ができたので、あの家の近くから普通に行けたんですけれども、中学校になるとそういうわけに行かず、もう本当にね、あの違う町のあの中学校に行かないといけないんですよ。
山道しかないんですよ。道がちゃんとした道があんまりないので、山道車道を通って、行きは下りなので15分ぐらい。それでも15分です。で、帰りは全部登りなのでね、すごく急カーブなんですよ。急の坂なんですよね。それを1時間ぐらいこう自転車を押して帰ってくるんですよ。自転車通学なんですよ。
で、雨でも雪でもですね、自転車で。で、だいたい雨降ったり雪が広かったりするとですね、あのまあ他の家はですね、車でみんな送ってもらうんですよね、学校に。でもうちはですね、一切そういうことをしてくれなかったんですよ。まず父親が車嫌いで、自分が必要だと思わない限り車を運転しないんですよ。こんな場所に住んでるにもかかわらず。
で、母親は運転できないので、まあこういう状態なので結局ね、自転車で行くような感じになるんですよね。歩いて行くとですね、とても行けるような距離じゃないので、まあ自転車で行くんですよね。で、中二の時ですね、実は自転車で大怪我してるんですよ。大怪我って言っても、あのなんかね、骨折しなかったんですが、あの足のですね、太ももの皮が10センチぐらいですね、剥がれちゃって、もう身が出てきちゃうっていう大怪我をしたんですよね。めっちゃ痛かったです。
あのカーブのところで滑ってしまって、もう自転車もね、本当にもうあのなくなっちゃうんじゃないかなって、落ちちゃうんじゃないかなと思ったんですけどね。でも自転車も大丈夫で、えっと溝にね、はまっちゃって、その溝にすってしまってですね、ものすごい痛かったんですけど、まあ親がね、この時に一番先に言ったのが大丈夫じゃないんですよ。バカだなって言ったんですよね。なんでこんなところにこけるんだと。
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でもですね、雪が降っていて、たぶんね、その後道が凍ったかなんかでスリップしてるんですよ。当たり前じゃないですか。あの滑り止めもつけてないのに。で、それでですね、まあ一気にもう自転車が嫌いになって、いまだにね、自転車乗るのが嫌いなんですよ。なので全然ね、あの自転車は今乗らないんですよね。
で、こういうやっぱり思いをしているので、やっぱりね、あの不便っていうのがですね、ものすごくやっぱりね、うーん、なんていうんですかね、恨みになってるんですよ、不便が。しょうがないですよね。で、不便が恨みになってるので、この中学校の時点で私は都会で住みたいと思ったんですよ。
で、もうもともとそのここでずっと住み続けていくっていうような、まあ未来は全然描けなくて、で、まあ高校になるんですけど、高校はね、あのバスの通学、バス通学だったんですけど、あのバスもですね、またこれもですね、30分に1本しか来ないんですよ。
で、これを逃すとですね、朝乗れないので、まあ朝はね、なんとか乗って行ってたんですけど、帰りはね、もう歩いて帰ることも多くて、で、歩くとですね、1時間10分、20分、まあそんなぐらいかかるんですけど、運動習慣のためにですね、毎日歩いて帰っていたんですよ、1年中。
まあみんな笑ってましたよ。こんな遠いところなんで歩いてんだと。で、当時ウォークマンっていうのがあってね、ウォークマンはね、たまたまちょっと手に入ったので、ウォークマン聞きながら、まあソニーのね、ウォークマン聞きながら歩いて帰るっていうのが私のまあ日課だったんで、高校の時もね、みんな団体すごいご飯食べたりして太りだすんですけど、まあ太らずね、あのまあ過ごすことができたというようなところです。
それでですね、その後は大阪行って、その後東京に住んでるので、まあ今ね、あの埼玉の方なんですけど、まあここからですね、もう関西の方とか実家の方の近くまで帰った、まあそうですね、関西地方と呼ばれるところですね、帰ったのはたった2回なんですよ。
最後に大阪に行ったのがたぶんね、28ぐらいの時で、それ以降一度も行ってないんですね。で、あのなんでこんなにね、行かないのかっていうのをちょっとね、あの考えてみたんですが、あの私がこう20年以上前に上京したときのイメージですよ。今だいぶ変わってると思うので、ちょっとそこは置いといてほしいんですけど、あのまあ地方と東京だったりこの首都圏の大きな違いっていうのにすぐ気づいたんですよ。
それは、あの例えばですね、あのまあ都下と呼ばれるところであっても、駅前がだいたいこう開けてるじゃないですか。例えば場所で言うと何かな、立川とか、まあ吉祥寺とかっていうのとかですよね。まあこんなところでも駅前にこう例えばデパートがあったりとか、えーまあショッピングモールがあったりとかルミネとかね、そういうのがあるじゃないですか。
で、地方ってやっぱりそういうものがすごく少ないんですよ。あの今多くなってるかもしれないんですけど、やっぱりね首都圏に比べるとだいぶ少ないんですよ。で、私が住んでるところも今郊外ではあるんですが、まあ駅前にですね、あの何かこう足りないものっていうのはまず一つもないんですよ。で、すべてが徒歩でも20分圏内に行けるんですね。多く見積もっても。
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っていうようなところに住んでいるので、えっとやっぱりですね、あの行く理由があんまりなかったりするんですよ。で、まあ例えばレジャーとかね、観光とか楽しみようとしても首都圏で全然楽しめちゃうんですよね。なので地方にあるものは首都圏にはあるんですよ。
まあ私の認識ですけどね。ってなってくるとですね、やっぱり西の方にね、行く用事がないんですよね。それでまあ行かなくなったっていうところではあるんですよ。それでね、ちょっと話がずれちゃうんですけど、私が20数年前にですね、上京したときにやっぱり東と西のですね、大きな違いを感じたことっていうのは、まあ言葉ももちろんそうなんですけれども、やっぱ食事。
食べ物がもうやっぱりこの首都圏とか特に東京ですよね。東京は全然味が違うんだと思ったんですよ。もちろん濃いとか薄いとかその味もあるんですけど、クオリティが全然違ったんですよ。まあ今どうなってるかわからないですけれども、当時ね、やっぱりどこで食べても美味しかったんですよ。東京では。
で、その後ですね、28くらいに最後大阪に行ったときに、やっぱりね、東京の食事に行ったほうが美味しいなって感じたんですよ。入った店も入った店ですけど。ってなるとやっぱりね、なかなかその地方に足を伸ばそうという気になれないっていうのが理由になるんですよ。っていうのと、まあうちのね、北関東出身の主人がですね、関西が好きじゃないっていうのも大きな理由になります。
彼の方がね、出張とかで結構行ってるんですけど、行ってもね、いつも文句って返ってきてますから、やっぱり嫌なんでしょうね。っていうのもあって、やっぱりね、なかなか足が遠のいちゃってるんですよね。それで私が東京に来たとき、上京したときに、もう一つびっくりしたのが、京都の宣伝が電車の広告に、当時は広告もいっぱいあるので、広告があったので、それはね、京都だから、三ヶ国だからだと思ったんですけど。
奈良のね、宣伝をもうバンバンバーンってやってたんですよね。これにはね、本当に驚きました。奈良だよって思っちゃったんですよ。私は奈良が近いので、やっぱり奈良公園とかね、奈良の大仏とかね、もう100回以上行ってるんですよ。
で、別に普通だと思ってたんですよね。京都なんかに比べると、まだ奈良の方がちょっとやっぱり小さめな感じがしていて、それがね、奈良の観光、ものすごいね、もうセールスしてたんですよね、その広告で。それはね、かなり驚きました。
で、京都に比べると、多分奈良の方が美味しいもあんまりないんですよ。どちらかというと京都の方がね、奈良に比べると便利だし、美味しいものがいっぱいあるんですよね。で、特にパン屋さんとかも結構ありますよね。だからそれがね、結構ね、びっくりしたっていうのはありました。
っていうのと、あとは東京の人は20年ぐらい前はあんまり関西の情報を持ってなかったですね。今はだいぶ持ってると思うんですけど、関西にうどん屋さんがあっても蕎麦屋さんっていう風なところはあんまりないとか、あとは蕎麦を頼むと蕎麦湯っていうのが出てきますよね。
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で、これはですね、私は東京に来てびっくりしたんですよ。蕎麦湯の使い方がわからなくて、今ね、私が多分世間知らずだったのかもしれないんですけど、これにはね、結構驚いたんですよ。
あとは出汁がね、醤油ベースになっているのと出汁ベースになっているのが大きな違いですけれども、そこもね、そこは前から聞いてたんですけど、コンビニ行ってカップうどんとか買っても違いますよね。そういうのに驚いたりね。
あとはつけ麺っていうところとセイロ。これはちょっと関西でもなかったので、驚きでしたね。こんなに美味しいんだと思って、もうつけ麺にはそこからドハマリですよね。もうだいぶラーメンはね、食べに来ましたね。
ラーメンとかね、やっぱりそういう食事に関しては、やっぱりね、東京の戦争がね、戦争ですからね、競争が激しいので、やっぱり一番美味しいなっていう印象を私は受けちゃってるんですよね。そうなるとね、ますます関西の方に足が向かなくなっちゃうっていうのが理由ですね。
あとはそれだけじゃなくて、私はあんまり行かないんですけど、一時期よく行ってたのが横浜ですね。横浜とか港未来とか。仕事で毎月行ってる時期が数年あったので、シュウマイ食べたりとか、街並みですよね。ものすごい綺麗なんですよ。
で、ちょっとですね、夜とかになってくるとですね、もう本当にね、夜景も綺麗で、驚きますよ桜木城とか、あの辺りとかは。で、もう本当にこんなにね、整備されるんだと思って、結構感動してましたよね。
行きづらいんですよ。行きづらいんですけど、感動はしてました。ただ途中からね、やっぱり副都心が、副都心線が走り出し開通したので、これができてからね、本当に便利になった。もうスイッと行っちゃうので、もうこれはね、やっぱり横浜に行けと言ってるんだなと思って。
もう本当に大きい競争と乗ってましたよ。で、親戚も横浜に一人いますので、数年に1回は行ってるので、本当にね、街並みが綺麗で、感心します。本当に。
ってなってくると、ますますですね、やっぱり西の方に足が伸びないんですよ。で、まあこれがね、例えば親との関係がすごく良かったらね、たぶん言ってたはずなんですけどね、親との関係も良くないし、友達なんてもう携帯がない時代ですから、もう連絡先も何もわかんないですから、もう名前も顔も全然覚えてないんで、
全くですね、学生時代の人で、一人だけかな、一人二人だけかな、知ってる人いるってだけで、もうずっと仲良く連絡を取り合ってる人はいませんので、完全にもう関東の方に魂を売り切ってしまったというような状況です。
だからというと、バカにしてるとかそういうわけじゃないんですけど、やっぱりその、今いる生活の中で不便を感じないから逆に行かないっていうところですよね。そこが理由です。で、同じようなものがあれば近いところに行っちゃうっていうのは合理的になっちゃうんですけれども、やっぱり首都圏の方なんか近く行けるので、1時間あればね、だいたいどこでも行っちゃうので、そうなってくるとどんどん遠ざかってしまうっていうようなところですね。
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うん。やっぱりね、東京に来た時はやっぱり規模が違うなぁと思って、いろんな驚きがありました。はい。で、これね、東京に来た理由もね、本当にね、バカみたいな話なんですけど、最初の会社に就職するときに最初はね、大阪採用だったんですよ。もちろん大阪で求職活動をしてたわけですよ。で、大阪が本社がある会社に就職が決まったんです。
ただですね、東京進出っていうのをすごい掲げていた時代だったんですよね、2000年とかのあの時代に。で、東京に人が欲しいから、東京行ってくれるんだったら採用するみたいな話に途中からなっちゃったんですよ。で、東京に行けるのかと。東京かと思ったんですよね。
これはもう、チャンスを逃したら二度とないぞとか、なんかね、勝手に思ってしまって。あれですよね、俳優になりたいから東京行くとか、そういう気持ちのね、入りようで来てしまって、今なんですよ。
今思えばね、すごく感謝はしてますけれども、本当にね、人ってわかんないんですよ。単純な理由で、もう東京に行くからってすべて捨てて東京に来たんですよね。本当にすべて捨てたと思います。もう友達もほぼ捨てたし、彼氏も捨てたし、そこ捨てたし、もうすべて捨てましたね。
だから結局そういうことをね、したのは、まあこのちょっと話だいぶ戻っちゃう。リセット病のリセットですよね。リセットした最初っていうところになります。まあいろいろちょっと話は飛んでしまったんですけど、まあそういう理由でですね、あまりちょっとその関西の方に足が向かないっていうところなんですよね。
だから多分ね、都会の出身の方、例えば東京出身の方とかね、まあそういう方はね、やっぱり関西行ったりとか奈良行ったり京都行ったりとかっていうのをされたいっていう方はすごく熱い思いがあると思うんですけれども、私なんかそれが慣れてしまっていて、不便が嫌なので、そうなるとですね、ますますここから離れないんですよね。
そう、っていうような形になってしまいましたと。はい。っていうまあ今のこの首都圏に身を置いていることの幸せを感じているようなところですね。はい。だいぶ長くなってしまったんですけど、ちょっと今日はこのあたりでね、失礼させていただこうかなと思います。
で、やっぱりその住んでいる地域によって考え方とか、環境とかによって考え方、話し方、いろんなことが変わって。やっぱりですね、一番その東京に上京すると決めた最大の理由が今思えば、親と距離を取りたかったっていうことだと思うんですよ。
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で、私がその関西住んでいるときは、親との距離は、たぶん電車で片道2時間ぐらいの距離だったんですよね。で、これ私にとってはですね、短すぎたんですよ。なので、もっと距離を取りたいってなると、やっぱり物理的に距離を取るっていう方向に、心の奥底でそういう気持ちになったんじゃないかなと思うんですよね。
うん、それは今言葉にしてみて思います。で、まあ最終的に早く結婚したっていうのも、さらに距離を取るために、まあ席を抜くためですよね。席を抜けたっていうのはすごくね、大きかったんですよ、私の中で。で、抜けたらもう別にその連絡を取る必要はないっちゃないじゃないですか。席がないんで。
だからもうそれがやっぱり一番大きかったかなと思って、まあ今自分がしてきたことっていうのは、まあ大きなリセットでしたけどね。あの全然後悔してないんですよ。うん。だからまあこれで良かったんだろうなと思います。はい、今日はなんかダラダラ話してしまいました。この辺りで失礼いたします。
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