社労士ラジオ 【サニーデーフライデー】
社労士ラジオ 【サニーデーフライデー】 田村陽太です。
この番組は、社会保険労務省として活動する田村が、 普段の侍業という堅いイメージから外れ、
様々な分野で活躍する方や、その道の専門家、 スペシャリストと語るトーク番組です。
本日も素敵なゲストを呼びしております。
プロフェッショナルコーチの三宅久裕さんです。 三宅さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
サニーデーフライデーに来てもらいましてありがとうございます。
こちらこそ呼んでいただいてありがとうございます。
三宅さんは、前回ポッドキャストでご出演された 永井さんがきっかけになります。
永井さんは、ハッシーさんと慶子さんがやっている 独立語のリアルのポッドキャストを配信されていて、
100回記念のオンライン会があったんですよね。
永井さんもいらっしゃって、三宅さんもいらっしゃいましたと。
そうですね。
僕も参加していましたと。
永井さんと食事していて、 永井さんも駐在されてたんですねって話してたんですけど、
僕よりも大先輩がいますと。
大先輩って誰ですかって聞いたら、
この前オンライン会に出てた三宅さんですって言われて、
えー!みたいになって。
三宅さんって駐在場だなんですねって思って、
ぜひお話ししたいなってことで、
この前大阪で食事したんですよね。
そうですね。
食事させていただいて、お話もっと聞きたいなということで、
今回は三宅さんにゲストに出ていただいて、
海外駐在のリアルとか、
いろいろお話を聞かせていただきたいなということで、
お呼びさせてもらいました。
よろしくお願いします。
どうですか三宅さん。
今日ラジオ収録ですけれども、どんな心境ですか今日は。
今手にいっぱい汗かいてるし、
そのうち額から汗が滲んでくるんじゃないかなと緊張してます。
今日は暑い6月7月ということで、だんだん暑くなってきますけど、
もっと汗かくような感じでやっていきたいなと思うんですけど、
暑いのは大丈夫ですかね。
フィリピンとかタイとか暑いところばっかり行ってましたから。
そうですよね。
三宅さんありがとうございました。
ご紹介いただきまして、
三宅さんは大手メーカーでの勤務中に、
フィリピン、ベトナム、タイ、中国の現地法人の拠点庁として
海外駐在されてたんですよね。
長年海外での勤務経験というのがあって、
僕自身ももともと日系企業メーカーの海外営業をやってて、
ゆくゆくは海外駐在になろうと思って働いてたんですよ。
でも夢半ばで僕はこっちのシャロー市の方に来たんですけど、
もし僕が海外駐在になってたらどんな風になってたんだろうみたいな話も聞きたくて、
今日ぜひ三宅さんから聞きたいなということで、
ぜひやらせたいなと思ってます。
はいお願いします。
ちなみになんですけど、
今回サニーデイフライデーの収録を依頼したじゃないですか、
出てもらったきっかけってどんなところにありますか?
これやっぱり先ほどの長井さんが、
田村さんはおもろいことやってるんで、
ということで最初に長井さんからそんな話があって、
それから先ほどあったようにね、
独立後のリアルの橋井さんと慶豪さんが、
あれに出てるときにもいらっしゃって、
そこから田村さんのポッドキャストを私もずっと聞かせていただく中でね、
結構すごい人が出てくるんですよね。
ゲストの方がね。
ゲストの方が。
自分でやりたいことはこれですみたいなのを出す人がいっぱいいる中で、
私は逆に言うとサラリーマンで、
40数年きて普通の人だなと思ってたんですよね。
本当に普通のマスを代表するような人間だと思ってたんですけど、
そんな中でも駐在20年もやってるというのはちょっとマスじゃないところもあるし、
私の24年の海外の生活っていうのが聞いている人に、
ちょっとでもあれ面白いなとか海外は私も行ってみたいなとかね、
あんまり怯まなくていいんだとかね。
そんな風に思ってくれたらいいなというのが今日寄せていただいたきっかけですね。
そうですよね。海外の会社の社長みたいな立場じゃないですか。
本当に日本と違うところで働くって、
サニーデフライデンのリスナーさんとかわからない方いっぱいいると思うんで、
ぜひそらへんのご経験をお聞かせいただきたいなと思っております。
宮田 ありがとうございます。
ありがとうございます。
ちょっと私から簡単に三宅さんをご紹介させていただきたいと思います。
京都大学工学部卒業後、大手メーカーに入社され、
生産技術本部で品質・コストの改善プロジェクトに就任された後、
フィリピン、ベトナム、タイ、中国での海外駐在をご経験されました。
その後、日系自動車部品メーカーに転職され、
同社のカナダ拠点をコーチングでの権限移情を通じて、
コロナ禍という苦境を克服することに貢献されました。
海外での会社設立や撤退などを含めた数多くの修羅場を今までにご経験され、
そして、2018年には認定コーチの資格を取得されました。
現在は海外拠点長や海外駐在員、国内で活躍されている方の
新たな気づきにつながるコミュニケーション相手、社外雑談役、
プロフェッショナルコーチとして活動されています。
趣味はロードバイクですと。
ということで、あってますか?
そうですね。今の私をすごく美しく表現いただいています。ありがとうございます。
本当ですか?ありがとうございます。
三宅さん、ノートでロードバイクとかも乗られているってことを言ったんですけど、
どこらへん乗られるんですか?ロードバイクって。
今は家からうろうろと。私は今、木津川の方に、京都の方に住んでいるんですけれども。
奈良の境のところですよね。
そうですね。川の後半に自転車用の専用道路が作られているんですよ。
今はそこをのどかな雰囲気で走っていますけど、
今私63になってですね、50キロぐらい走るとだんだん足がつりそうになるんですけど、
嵐山まで42キロあるんですよね。
往復すると80キロぐらいあるんで、この夏中までには行きたいなとかね。
あるいは私の実家は岡山なんですけど、岡山からちょっと足伸ばせばロードバイクの聖地みたいな。
島並街道って四国にあるじゃないですか。
あれ片道50キロあるらしいんですけど、まあまあまあ海風を浴びながら行きたいなってのはあります。
いいですね。
ちなみにロードバイクの魅力って何なんですか?ちょっと教えていただけると。
走っているのが単に楽しいというよりも、私駐在していてゴルフばっかりじゃダメだなというのがスタートで、
中国の時とかタイの時とか、やっぱり自分で仕事の中で苦しい時あるじゃないですか。
その時に自転車って自分でこかないと前に進まないから、中国の時はヒルクライムやってたんですけど、
負けない!負けない!負けない!負けない!ってやってるとね、仕事の中では負けないみたいなことになるし、
タイの時には途中にお寺いっぱいあるから、気に入ったお寺が一つあって、
そこのお寺に必ずちょうど中間のあたりで参って、お寺さんで一人座る時間を持ってみたりね。
瞑想みたいな。
瞑想までいかないんですけど、さあどうするかなーみたいなんで、
じゃあ来週はこんなことしようみたいなね。
そういうのを見つける。
言ったらサードプレースだったり、気分転換だったり、自分の励ましだったり、
それは単に趣味というよりも仕事の延長線で使って、いいのか悪いのかわかんないですけど、
気分転換になりましたよね。
今は単にのどかに走ってますけどね。
これから会社頑張るぞみたいなところの切り替えみたいなね。
なるほど、ありがとうございます。
僕も労働バイク乗ってみたいなって気持ちはあるので、
ぜひまた島並海道で初心者に。
ぜひ一緒に行きましょう。
行ったこともない人がいて申し訳ないですけど。
わかりました。ありがとうございます。
最初の質問からやっていきたいと思うんですけども、
三宅さん最初は大手メーカーで働かれて駐在という長いキャリアをされたと思うんですけど、
そもそもどういうきっかけで会社に大手メーカーに入社されたのかというきっかけを、
大学卒業後からの流れみたいなのを教えていただきたいんですけど。
皆さん今ね就職で苦労されてて申し訳ないんですけど、
私の昭和の時代はですね、あまり就活ってしてないんです。
私実は59歳で転職するまでESエントリーシートって書いたことないんです。
参考にならない。
大学の先生が話してきたぞとか言って、
ありがとうございますって実は決まってしまった会社なんですね。
そうなんですね。
というのは実は大学の先生が共同研究を決めてきてあって、
それの僕が大学側、企業側は私の就職先。
一緒に3年計画でやりましょうって言ったんですけど、
私が院師に落ちて、院師落ちましたって言ったら、
しゃーらなーって。
院入っての3年のうちに、最初の学部でそこで陳になってしまったので、
お前続けてやっとけよとか言って。
大学の先生が行ったところで決まりましたって。
そこで内定みたいな形だったので。
そんな格好だったんですね。
だからそれが延長で、そういう大学の先生の話、
研究はスケジューリング理論を実践するというものの作り方の順番を変えたら、
生産性にどう影響が出るんだという研究してたんですけど、
めっちゃ難しそうですね。
大学の一応研究ですから。
そんなのやってたんですか。
そんなことを実践したらどうなるんだというのをやろうということで。
企業研究でやっていこうということで。
院まで通してやる予定が、院じゃなくて給料もらいながらやり始めるという、
そういう格好になった。
先に社会に出るのが早かったんですね。
そうそう。2年早かったです。
どうですか実際。
就活っていう形じゃなくてそのまま社会人になったじゃないですか。
最初成り立てのところどうでした?その気持ちというか。
あんまり就活ということで、私ここでこんなことをやりたいですというよりも、
大学の研究でそういうスケジューリングだとか、
ものを作るところでの効率だとかということをやりたいですというところからスタートしたので、
そこの部分に配属をされて、先ほど紹介もいただいたんですけど、
生産性だとかコストだとか品質だとかという、改善をやるという。
そこにすんなり入ったので、目の前に来たそういう改善のプロジェクトっていうのをこなしていく。
そういう形でやりたいですというよりも、
たまたま来たものを目の前の人参をとにかく食らいつくという、
そういうパターンができちゃいましたね。
確かにそうですね。先ほど説明させてもらいましたけど、
品質コストの改善プロジェクトということで、
三宅さんの専門というのは社会人になっても活かせるだろうということで、
そのまま入っていったみたいな感じなんですね。
そうですね。ですから最初の17年間は3ヶ月とか6ヶ月、長かったら1年というような形のプロジェクトが社内にできるんですね。
いろんな事業、製品でここの品質改善したいとか、ここの生産性上げたいとか、
新しいラインここに作りたいというプロジェクトで話があると、
それにプロジェクトメンバーとして入って、
ものづくりをしている事業部の方と一緒にチームになって改善をする。
その意味ではだんだんそれがキャリアが長くなっていくと、
社内のコンサルタントというような、そういう位置づけになってプロジェクトマネージをしていくという、
それでキャリアを積んでいったというのが前半の私ですね。
何か面白いですね。各部署の生産性向上みたいな仕事を
三宅さんが先頭、リーダーになってされているみたいなイメージですよね。
そうですね。ですからプロジェクトが3ヶ月とか6ヶ月とか何ヶ月か単位で動くので、
目先がずっと変わるんですよね。
そうですよ。確かに見方が変わりますよね。
そうするとまんねりしないので、宿々と就寝雇用行くというのとは違って、
目先のプロジェクトがどんどん変わりながら仕事をしていくので、
転職を考えるということはあんまりなくて、永遠と来たというそんな感じですね。