2022-08-12 41:25

第308回【対談】海外駐在員のリアルを学ぶ(第4回 前編、ゲスト:コミュニケーション・クリエイター 長井克之さん)

日系企業の海外営業部、海外事業部で勤務する上での1つの目標となる海外駐在員。海外駐在員はどのような業務をやっているのか、やりがい、苦労した事、それを乗り越えるコツ等、今回は大手メーカーでの勤務中にインドネシアの現地法人の拠点長として海外駐在をご経験され、現在はプロフェッショナルコーチ・コミュニケーション・クリエイターとして活躍されている長井克之さんにお話を聞き、海外駐在員の仕事のリアルをお聞きします。

*このご時世ですので、ソーシャルディスタンスに配慮して収録しております。


【ハイライト】

・定年を迎えたことでの実感について

・長井さんがコーチングを学んだきっかけとは?

・大学入学からインドネシア駐在までのキャリアについて

・長井さんが仕事が楽しくなった転換点を語る

・年代別での仕事に対する姿勢の変化について

・あなたにとって『働く』とは何ですか?

・長井さんがお客さんとの信頼構築する上で意識していた事とは?

・損なようで遠回りするのが最善の方法論

・手札1枚のみで戦うフルオープンスタイル戦法を語る

・部下の教育、マネジメントをする上で重要な事

・海外駐在を経験することで「傾聴」する事の重要性を知ったエピソード

・相手の話を聞く上で大事な事とは?

・海外駐在員の拠点長ってどんな仕事をするの?


本エピソードの後編のリンクはこちらです。

https://podcasts.apple.com/jp/podcast/id1507714225?i=1000576501939


長井克之さんのSNS、ご連絡先は以下となります!

note

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Twitter

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ゲストプロフィール:

長井克之さん

大手メーカーを定年まで勤めあげた後、子会社での勤務を経て、一般財団法人生涯学習開発財団認定プロフェッショナルコーチの資格取得を機に同社を退社され、フリーランスとして活動を開始されました。長井さんは子供がなんと5人もいらっしゃり、またサラリーマンの傍ら37歳から15年弱ほど小学生のミニバスケットボールのコーチにハマっていた一面もあります。

サラリーマン時代は国内営業をメインに活動しつつも、インドネシアでは500人ほどの製造販売会社の拠点長を4年弱やられたご経験もあります。学生の頃から「人」というものへの関心が強く、社会人になってもずっと「人」や「人と人の関係」を考えたり、語り合ったり等、試行錯誤で人生を歩んで来られました。関西弁トークで対談される等、根っからの関西人でいらっしゃいます。


~お知らせ~

サニーデーフライデーは、社会保険労務士として活動する田村が普段のサムライ業という固いイメージから外れ、様々な分野で活躍する方やその道の専門家・スペシャリストと語るトーク番組です。


人生に前向きでポジティブな方をゲストとしてお呼びし、経営者や従業員として働くリスナーの皆様が明日から明るく過ごせて、心や気持ちがパッと晴れるそんな『働き方を考える』ラジオをお送りします。


話すテーマは社労士業、働き方改革、キャリア、海外駐在、外国人雇用、海外放浪等です。


パーソナリティー:田村陽太

産業機械メーカーの海外営業、社労士法人での勤務経験後、海外駐在員や外国人社員等のグローバルに働く社員が輝ける職場づくりを人事面からサポートしたいという想いで、社労士事務所を開業。海外駐在員や外国人社員の労務管理、外国人留学生・技能実習生の就労支援等、企業の国際労務・海外進出対応に強い。ラジオDJ、ナレーター、インタビュアー、MC等、音声メディアや放送業界でも活動。番組プロデュース、ポッドキャストデザイン等のPRブランディング事業も手掛ける。株式会社サンキャリア代表。


カバーアート制作:小野寺玲奈


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社労士ラジオ 【サニーデーフライデー】
社労士ラジオ 【サニーデーフライデー】 田村陽太です。
この番組は、社会保険労務省として活動する田村が、 普段の侍業という固いイメージから外れ、
様々な分野で活躍する方や、その道の専門家、 スペシャリストと語るトーク番組です。
本日も素敵なゲストをお呼びしております。
プロフェッショナルコーチ・コミュニケーション・クリエイターの 長井克之さんです。
長井さん、よろしくお願いします。
長井さん、よろしくお願いします。
サニーデーフライデーに来てもらいました。 ありがとうございます。
長井さんはですね、これは以前出ていただいた、 ハッシーさんと慶子さんがやっている独立語のリアルで、
ポッドキャストで知り合ったのがきっかけで、
ちょうど100回記念のオンライン勉強会のところで、 長井さんが出られていたと。
以前も長井さんはポッドキャストで、 ゲスト界で出られていて、
間接的に長井さんは知っていたんですけど、 オンライン勉強会で初めて顔を見せていただいて、
ちょっと軽くぐらい喋ったぐらいですよね。
そうですね。
軽く喋ったぐらいで、 いつか会えたらいいなぐらいの感じで喋ってたんですけど、
サニーデーフライデーを聞いていただいたってことは、 メール送っていただいたんですよね、長井さんから僕の方に。
それ本当にありがたいなと思って、
ぜひ良ければちょっとご飯でも行きましょうか、 みたいな話になって、
大阪の飲み屋のところで一回飲んで、
長井さんも駐在院の経験があるって話になって、
ぜひ僕のサニーデーフライデーの海外駐在の方とか、 海外の働き方とかめっちゃ聞きたいので、
ぜひゲストに出てくださいと言って、 今回ちょっと来ていただいたという感じですよね。
長井さんはもう今ずっと会社の方で働かれてきてて、 営業の今までご経験もありますし、
あとインドネシアの方で駐在院として、 拠点庁として働かれたと思うんですけども、
国内と国外のどちらの経験もあるということで、
その辺とかもめちゃくちゃお話聞きたいですし、 私の番組は働き方を考える番組なので、
長井さんが今まで大事にしてきた働き方のこととか、 あとキャリアの軸ですね、
今プロフェッショナルコーチとかコミュニケーションクリエイターとして 働かれてると思うんですけど、
どういう軸でそういう風に選んできたのかとか、 その辺をお聞きしたいなと思って、
今日やっていきたいなと思ってます。 長井さん、今回僕はサニーデーフライデーのゲストで、
出てくださいっていうお呼びさせてもらったと思うんですけど、 出ようと思った一番のきっかけ決めてってどこにありますか?
これはいろいろ話した後に最後にもう一回 そこの話をしたほうがいいかもしれませんけど、
コーチングに出会ってコーチングしていく中で、 その人の生き方とか働き方とか、
働き方っていうのは結局組織と人の関係とか、 そういうことにどんどん関心がいくわけで、
そんなことはソラリーマン自体も考えてたんですけど、
この番組は働き方を考えるっていうのは、 まさにそういう僕のテーマとかなり近いなと思って、
いろいろ伺うと結構若い人が聞いておられてて、 出てこられるゲストの方も考えをしっかり持った方が大勢おられて、
03:01
令和っぽいっていうか、いわゆる昭和っぽくない方が多いんですけど、
そういう人に僕の昭和の価値観と融合させて、 新しいものができたらおもろいなとかですね、
そんなことを思って結構期待をして参加させていただきました。
本当に永井さんも今までいろいろと話されてきてると思うんですけど、
サニーデイ・フライデーのリスナーさんに向けて熱いメッセージというか、
違う考え方だなみたいなところも話してきたらすごい嬉しいのかなと思いますので、
すごい楽しみにしてます。
いつも飲み会とかでお酒飲みながら話してるんですけど、
今回会議室で主役で喋ってるので、 違う感じで喋れるのかなと思いますので、
またよろしくお願いいたします。
サニーデイ・フライデーのリスナーさんのために、 永井さんの自己紹介をしていただきたいなと思いまして、
皆さんに永井さんの人となりというか自己紹介いただけたらと思います。
ちょっと書いた原稿がありまして、読み上げていくんですけど、
リスナーの皆さん初めまして永井と言います。
先ほど田村さんからご紹介いただきましたが、
大手メーカーを定年まで勤め上げた後、
小会社に勤務しちゃったんですけども、
それも今は辞めて、
障害学習開発財団の認定プロフェッショナルコーチの資格を得ましたので、
会社を辞めてフリーランスとして活動を開始しました。
今61歳なんですが、こういう年確保、
定年を迎えるまでサラリーマンを勤め上げたと、
こういうのを見ている感じでは、
この番組の出演者としては結構異色なんじゃないかなというふうに思ってますし、
異色という意味では、子供が5人もいるとかですね、
サラリーマンしながら37歳から13、4年ぐらい、
小学生のミニバスケットボールのコーチに随分ハマったということとか、
さっきの国内対応の勤務とか、
割と個性的な人間だというふうに自分で思ってます。
サラリーマンの時は国内をメインでしたけども、
インドネシアで500人ほどの製造販売会社の拠点地を4年弱やらせていただきました。
学生の頃から人というものへの関心が強くて、
社会人になってもずっと人とか人と人の関係とか、
そういうことを考えたり語り合ったり、
いろいろ試行錯誤してきたと、そんな気がします。
私はもう年齢からも含めてですね、
本当に昭和親父なんですけども、
もう令和に通用しない部分がいっぱいあるんですが、
昭和から令和への橋渡しみたいなことができると、
とってもいいなというふうに思ってまして、
今日は楽しみに参加してます。
熱感の関西人ですので、
今日は関西弁が出まくりですけども、
どうかご容赦のほどお願いいたします。
大阪の会議室で今日収録させてもらってますけども、
一応ホームってことですね、大阪でね。
全然長居さんが話しやすい感じで喋っていただいたらと思います。
ちなみにどうですか、定年を迎えられたじゃないですか。
大学卒業して社会人になって、
今の気持ちというかどんな感じですか?
定年を迎えるときっていうのは、
去年2月だったんですけど、
そのしばらく前から万感胸に迫るものはありましたし、
その時点で子会社で勤務を継続することが決まってたから、
当面は仕事をさらにするということだったんですけど、
そこもいずれ62とか長くても65とかで組織を離れるという感じ。
06:05
組織を離れて一人の自分に戻って、
さあ俺は何者で何ができて何がしたいんだろうということはですね、
結構考えましたね。
それがコーチングをやろうと思ったことにつながっていくんですけどね。
定年を迎えた後にコーチングを目指そうかなと。
そっちに舵を切ったみたいな。
そうだったんですね。
新しい人生で第二の人生みたいなところがありますもんね。
インドネシアに行くときに会社の海外不認者研修で、
コーチングの研修があったんですね。
そうだったんですか。
その時僕は54歳で営業部長を何年かやってて、
営業部長としては脂が乗り切ってて、
自信もあったし、実績もあったし。
自分が今度行くときについてくれたコーチは、
30手前のまだ若いお嬢さんですわ。
20代後半ぐらい。
僕は生焼きでしたからね。
こんな奴に今頃から何を教わるんやと思ったんですけど、
コーチング受けてみると、一番最初にですね、
長谷さん、あなた今度インドネシアに不認するについて、
あなたのミッションは何ですか?
こういう質問をされるわけです。
今度の新しい会社はちょっとまだ累済もあって、
事業環境が厳しくて何とかせないといけない。
僕の前任者は足し算10年向こうにおった人で、
しかもその会社の創立メンバーで、
ローカルの信頼がものすごく熱いと。
インドネシアって言ったら不正というかね、
コンプライアンスのもう気につけないといけないし、
そういう中で言葉もできなくて、どうするのか緊張してるんですよと。
いろいろ喋ってたら。
そうおっしゃってるのは全部会社のあなたへの課題じゃないですかと。
そうじゃなくて、
長谷さん、あなた個人のミッションを聞いてるんですと。
私のミッション?
だから今年の売上目標はこうでね、
ああでこうで喋ってたら。
そうじゃなくてと。
あなたの個人のミッションですと。
どういう意味かなと思ってですね、
ずっと考えて、
真っ白に考えてるうちに、
結局そういう問答を何遍か繰り返した後に、
私のインドネシアに行くミッション、2つありますと。
考えて。
1つは中在院なんでね、
5年とか7,8年とかで夫婦変わっていく、
要するに現地から見たら旅人みたいなもんやと。
そこにずっと付着の人は労働家のメンバーで、
彼らがそこを自分の会社と思って、
愛着とかロイヤリティとか持って頑張ってもらえるように、
そういう会社にしたいと。
俺の会社じゃないと。
そういう思いが1つあったのと、
もう1つは54で本人にしたんですけど、
その時僕は国内でいくつか営業の仕事してきて、
自分のコミュニケーション力とか大臣関係とか自信もあったし、
そのように会社の中で信頼も得ていたと。
それは一体だけど、
今までの日本の中での長居を知っているという実績を積み重ねる中に、
そういうのがあったわけですけど、
09:00
今度向こう行ったら、長居、誰がそれだと。
ここから始まると。
言葉もそうじゃない。文化も違う。
そこで一体自分がここまで積み上げてきたものは、
本当に通用するのかどうなのか確認しようと。
ここで通用したら、今までの俺がやってきたことは間違っていなかったと言えると。
これが最後の俺のミッションだと。
こういうことに思いついて、
そのコーチにもその話したら、
それいいじゃないですかと。
ぜひどうぞという話になって、
そんなことを考えて4年間過ごすと、
結構面白い4年間ですね。
得るものがいっぱいあったし。
そういう経験があったんで、
定年を迎えてどうしようかなという時に、
俺が自分でできるのはやっぱり、
人と関わることだけだなと。
それも我流だから、
一回もう一回きちっと勉強してコーチングを。
そのコーチングというきちっとした枠を与えて、
我流じゃなくて、
社会とか世間とかに問えるようなものに、
一回してみようと思って。
対象金も入ったんで、
授業料払って、
勉強を1年間していくと。
こんな感じです。
もう本格的にお金払って、
第二のコーチング人生みたいな。
確かにそうですよね。
人と話すというか、
人に聞かれることによって、
自分がどんなことを考えてるのかなと。
すごい考えますよね。
そうですね。
一個質問したいんですけど、
例えばさっき50何歳かで、
油が乗ってる時に、
20代後半のコーチングの方と話すじゃないですか。
自分より人生経験ない方と喋って、
最初は何がわかんねえみたいな。
あると思うじゃないですか。
そこで自分で、
それじゃないなと。
自分のやりたいことはこうだなと。
気持ちが変えれた秘訣ってどんなとこにあるんですか。
そのコーチがやっぱり優秀だったんでしょうね。
本当ですか。
会社の課題じゃなくて、
あなた個人のミッションは何ですかという質問は、
考えたことなかったんで。
思ってもみなかった質問をされたことで、
どうですかね。
そういう質問があり得るわけと。
それを考えないといけないのと。
いうふうに思ったことが大きかったんでしょうね。
やっぱりそうですよね。
その辺ってやっぱり視点が変わるっていうかね。
そうですね。視点が変わる。
今でもそのコーチングの方と会ったりするんですか。
帰ってきてから1回だけ連絡しましたけど、
繋がってないですね。
ツイッターだけは繋がってますけど。
そうなんですか。
でもあれじゃないですか。
永井さんがそのコーチングをやるって言ったら、
その方めっちゃ嬉しいんじゃないですか。
まあそうだと思うんですけどね。
あれをきっかけにまたコーチになられたってね。
そうですね。
なるほど。ありがとうございます。
最初ちょっといろいろ聞いていきたいんですけど、
大学卒業されて50何歳までのインドネシアの拠点地になるまでは、
ずっと営業畑で来たんですか。
そうですね。
そうですよね。どんな感じで来られたんですか。
キャリアというかどういうきっかけでまず会社入られて、
今まで来られたって感じなんですか。
会社入ったきっかけはですね、
大学の時は水泳部で水球をやってましてね。
そうなんですか。
はい。
水球。
コアのあれですね。スポーツですね。
そうですね。あんまりいないですね。
泳いでまた投げるやつですね。
そうです。
シュート入れるみたいな。
あんまりいないですね。合わないです。合わないです。
そこそこの学校やってたんで、
卒業すればオービーノスでどっか就職できるっていうのは、
まあ分かってたわけですわ。
だから勉強もしなかったし、それでいいやと。
12:01
卒業するときはそういうサラリーマンになるか、
中学校の教員になって部活動一生懸命やるか。
ちょうどキンパ先生が入った頃でですね。
それも結構思ったりして迷ったんですけど、
まあいろいろさんざん迷ったせいにサラリーマンになりましたと。
そうなったんですか。
サラリーマンになった時にはもう別に経理はないわなと。
いろいろ年を考えた時に。
たぶん営業なんやろうなと思って、
どこでもいいですよというふうに人事に言ったら営業になって、
東京の営業に配属になってですね。
ずっと東京で営業やってて。
そうなったんですか。
最初ね1年目はね仕事がここは俺の場所じゃないと思ってですね。
辞めるって大騒ぎしたんです一回。
マジですか。
それどういうことですか。
あってないとかそういうことですか。
そうそうそうそう。
もっとこう何かこうどういうんですかね。
勘違いしたんでしょうけど、
人間と人間が関わり合いながらね。
もっと熱く面白く生きていくんだと思って。
それに近いような雰囲気のメーカーを選んだつもりだったんですけど。
やっぱりそのサラリーマンはねそうじゃなくて。
これおもろないわと思って辞めて教員になるって大騒ぎしたんですけど。
そうだったんですか。
それがだから東京行って1年目会社に入社2年目。
ドッキリですけど大騒ぎしたんですけど。
斜められてですね。
先輩からそうじゃないのと。
でも決心は堅いと言ったんですけど。
最後は親にも話が入って。
親からも説有されて。
四方八方全部抑えられてですね。
長居君君会社辞めるとか言ってるけど会社のことまだ分かってないやんと。
仕事分かってないやんと。
教員になってもいいけども。
せめてあと半年か1年か勤めてね。
その仕事とか会社とか行くことを自分の言葉で語れるようになって。
それから辞めてね。
教員になって子供たちに社会はこういうもんやとか。
仕事はこういうもんやとか。
会社とこういうことを語れるならんと。
あかんのちゃうんかと言われて。
それもそうかなと。
確かに今の俺まだ何も分かってないなと。
あと半年か1年だけ頑張るかと。
それでも決心は変わらんわと思ったんですけど。
やっていくうちにですね。
どういうんですかね。
お客さんから信頼されるというか。
喜びみたいなことがちょっと分かってきて。
続けてみようか。
ずっと仕事をしていると。
そんな感じですね。
お客さんから喜ばれたっていうのは長井さんが工夫して喜ばれたんですか。
たまたま喜ばれる機会があったんですか。
楽しくなったんですか。
どうやったんだかな。
一番最初はね。
当時の大ユーザーを担当してる先輩はいたんですけども。
その先輩だけでは十分手が回らなくって。
お前サポートにつけと。
サポートについてもまだ1年目でね。
何もできないんやから。
何もできないなりにお前の誠意を見せろと言われて。
誠意を見せるとどうするんですかと。
毎日通えとそこに。
お客さんのとこに。
15:00
B2Bの仕事なんですけどね。
素材メーカーなんですけども。
お客さんのとこに購買価値のとこ行って。
毎日いわゆる御用機器ですね。
行ってこいと。
今日は何もないと言われたらね。
今日は何もないでいいと。
毎日1週間行って1週間何もないなってことがね。
1週間行って何もなかったら本当にないんかとかね。
だんだん掘り下げていくんやと。
そういうことをしてみると言われて。
最初何回行っても何もないって言われて。
すぐ帰るだけですよって。
何やろうなと思ってたんですけど。
やっていくうちに顔見知りになって。
お茶飲んでいくかとかですね。
ところで君関西の人なんとかですね。
お客さんから掘り下げられてみたいな。
喋っていくうちに供給開く部分が出てきて。
そうなると向こうもポロンポロンと色んな人が来てくれるし。
こうやって人間の関係を作っていくのかなっていうことがちょっと分かりだして。
これならできるかなとかですね。
そんなのが一番最初ってですね。
時間が長く一緒にいるとその人となりが分かるし。
だんだんと仲良くなってくるっていうのがありますね。
1個質問したいんですけど。
長井さんって元々関西じゃないですか。
大学卒業して東京に行ったじゃないですか。
東京のことも分かるし関西のことも分かるじゃないですか。
ビジネスで考えたら東京と関西の違うところって何かあります?
どうですかこうやってて。
基本はあんまり変わらないじゃないですかね。
本当ですか。
でもビジネスの仕方ではないですけど。
東京の事務所は赤坂みずきにあったんですけど。
めっちゃ都会じゃないですか。
都会です。
いわゆる長田省がすごく近所なんですよ。
そうすると政治関係の凱旋車とかいっぱい通っているしね。
黒塗りの車みたいな。
国賓が来たら道路全部封鎖してね。
旗振ってやってるしね。
いやなんかやっぱり東京って日本の中心やなというのは思いましたね。
全然違うわと思いましたね。
卒業してこんなところがあるんだみたいな。
東京ってすごいなみたいな。
なるほどありがとうございます。
そこから営業ずっと続けてこられたじゃないですか。
どうですか年代ごとというか20代30代40代っていろんな仕事やってきたじゃないですか。
気持ちの変化とかありますか。
どんな感じでしたかそれって。
気持ちの変化はやっぱあるでしょうね。
さっき言ったようなことで少し仕事を続けてみようかと思ったんですけど。
だんだんしていくとですね。
その37前かな。
20代の後半ぐらいの時にですね。
もう自分が会社の代表やという風な扱いをね。
お客さんからされだして。
例えばそうなってくると今度社内でもね。
上司ももしくは工場側もお前がここの代表やと。
みたいな感じで扱ってくれるし。
そうなるとなんか本当に自分がね。
当然組織の中でやってますから。
課長の決済を仰いだりするんですけども。
なんか自分が中心になって。
上やら下やら横やら斜めやらにもっと回して動かしてるなという気が少し出して。
その辺ぐらいから30代はどうなんですかね。
油が乗ったような感じで。
俺がエースやみたいな顔をしてやってましたね。
その頃は。
まだ役職者じゃなかったしね。
いつもの中心で前後切り戻しの俺やと。
18:02
みたいなつもりでやってましたし。
40代になるといわゆる課長になってきて。
今度はきちんと仕事もさないといけないということも思いましたし。
50代になるとだんだん自分でどうですかね。
ちょうちょはしやるのはね。
多分ちょっとフェードアウトしていかないといけないし。
任せていくみたいな。
さないといけないし。
だけど俺やったらもっとこうできるのにとかね。
そんなことはずいぶん思いましたし。
そこの隣でずいぶん苦しんだみたいな感じじゃないですかね。
最初の足引きをお客さんのところに通っていって。
そこからお客さんの代表になっていくみたいな。
その会社の代表の顔っていうのがどんどん増えていくことによって。
自分の自信になっていくという感じですか。
そうですね。
どうですかね。
仕事をしてて何が面白いかっていう話はね。
結構大事な話かと思うんですけど。
田村さんどう思います。
仕事して楽しい時ですか。
何が楽しみで仕事をするんでしょうね。
それめっちゃ深い話なんですけどね。
確かにそうだな。
最初とかはやっぱり自分自身がそこでお金を稼ぎたいとか。
そういうのを考えたりもしたんですけど。
どこまでいってもそれって限度がないなみたいなところはあるし。
比較しても仕方ないなみたいなところを考えることがあって。
最近はやっぱり自分にしかできないこととか。
俺にしか頼まないことっていうのを自分で追求できたなみたいな。
それが喜びみたいな。
自分にしかできないことね。
田村だからやってくれたみたいな。
それがちょっと嬉しいなみたいなあったりするんですけど。
そりゃ嬉しいですよね。
どうですか?
私の時はやっぱり誰かに信頼されるとかね。
誰かと絆が実感できるとかね。
そういうのが仕事を頑張る原動力になったんだと思いますね。
絆ですか。
お客さんから信頼されていって、その信頼されている絆の数が増えたり。
それから信頼された絆がもっと太くなったり。
でも今の田村さんと一緒ですが、自分が頼りにされているなと。
そういう感じを実感していくのが自分の仕事をする楽しみだったと思いますね。
確かにそうですよね。
長居さんだからお願いしちゃえとか。
この人だったらヘマしないとか。
そういうのがあると、俺って頑張ってるなとか。
自分が頑張れるなっていうところが原点になったりしますもんね。
一番最初にそういうものをどうやってゲットするかっていうのが一番大事で。
そこめっちゃ聞きたいですね。
一旦一つずつゲットできると、あとは横展開したらいいっていうかですね。
そうか、このパターンでいけば俺はここで認められるんだというのが見えると。
それをずっとやっていけるわけですよ。
ところが一番最初に、信頼得るというそこのブレークスルーするところが多分一番大事で。
僕の今の話でいう一番最初に会社を辞めたいと思ったときは、
そこがなかなかブレークスルーできなかった時期でもあったし。
もちろんそれは新入社員なわけですから当然なんですけど、
それがここでやってみようかと思ったり、ここで落ち着いて俺はやるぞと決心したりしていって
21:06
だんだん気持ちが上がっていったのはそういうところにあるんじゃないかと今喋ってて思いますね。
そうですよね。確かにそうですよね。
一個聞きたいんですけど、最初のお客さんに対して信頼獲得してそこから横展開していくみたいな話だったと思うんですけど、
長居さんなりにお客さんとの信頼獲得するためにここはちょっと工夫してるなみたいなことがあったりするんですか?秘訣みたいなのあったりするんですか?
これはどうやったんかな?ちょっと質問にずばっと答えてないんですけど、
どっかから僕途中でそうか結局会社も大学の水泳部と一緒やなと思い出したんですよね。
どうしたんですか?
僕は大学の時は水泳部の時は水級はメンバーが少ないんですけど、教員の方が泳ぐの遅くてね。
選手としては3流なんですよ。
でも高々と1階から4階まで40人くらいのクラブでしたけども、40人いるとそれなりに組織運営ってあるんですよね。
結構人が多いですね。
組織運営って別に事務をするわけじゃなくて、一つのチームになるためにいろいろ気遣ったり声をかけたり、変な話、飯食いに行ったりね。
いうことをして一体感を作るようなことは結構一生懸命やってて。
泳ぐの遅くて選手としては3流の割にクラブの運営という意味では割と中心的な顔をしてね。
勝手にそういう顔してやってたんだけど。
その時にいろいろ学んだ。
人間ってこういうことなんかなとか、人間と人間が集まって何かを作ってこういうことなんかなと。
結局実は会社も同じやんかというふうに途中から思い出して。
だから質問に戻るとですね。
信頼関係を作るというと何やこう偉い体操なんですけど。
そんな難しいのじゃなくてね。
きちんと向き合うとか、自分を隠さずにね。
威嚇せずにね。
腹割ったなとか、そういうことなんかなという気がしますし。
それをネクタイ締めてちゃらっとして、自分が損せんようにいろんなことやろうと思うとね。
結果はうまくいかなくって。
全部出して、私こんなもんですわと。
どうでしょうと。
悪気はありまへんでと。
こんな感じでいくのが自分のスタイルで。
その礎を作ってくれたのが大学のスウェーブの時で。
そのスタンスで最初のお客さんとの信頼を作るというところも上が開いてる気がしますし。
その後ずっと今まで40年間約。
ずっとそれをやってきた気がしますね。
振り返ってみると。
あるとき仕事してた時に、これって水球の時の経験が活かされてるなみたいなのがフッとできて。
そうですね。
それをずっと継続されてきたみたいな。
そうですね。
お客さんとの関係を作るとか。
今度会社に戻ると。
当時はどうですかね。
ちょっとこういう方は語弊があるかもしれないけど。
調整社員はね。
会社に入って5年ぐらいしたら職場の人と結婚して。
現場に退職すると。
ことぶき退職と。
これが普通の時代で。
職場には女の子いっぱいおったし。
そういう自分と都市の近いような子らの面倒を見てやったり。
24:03
何か世話してやったり。
たまねてやったり。
そういうこともしてたし。
そういうのも全部ね。
結局水泳部というその一つのチームを作ることとね。
根っこは一緒だなというふうに当時思ったんですね。
あの時やっぱりこう人にはこういうふうに接しないかなと思ったことは。
いざ社会って一緒やんかと。
そんなようなことをどっかでフッと思ったんですね。
それやったら俺できるわと。
それしてきたしと。
そんなことどっかで思ったんですね。
確かにさっき長井さんのお話もあったんですけど。
腹を割って喋るというか。
自分の権威とかこの辺を隠さずに自分はこうですみたいな話すことって。
仕事じゃなくて人間との一対一のスキャンみたいなのがあるから。
それが普通に生きてたらそれが会社でも仕事としてアウトプットとして生きるんだなみたいな。
そういうのを聞いて今思いましたね。
そうですね。
これ聞いて終わる方はね。
ひょっとしたら何を思ったらそんな切れ事言うとんねんと。
そんなことできるかいと思うかもしれませんけど。
やっぱり自分のある部分を隠して。
相手から通り抜けとってやろうと思っているような人は。
自分の方にいいように何とか相手をしてやろうと思っている人は。
それは実は相手から全部ちょんばるでね。
そういう人はやっぱり信用されないし。
損なようで遠回りなようで実はそういうフルオープンスタイルがね。
一番どうなんじゃないかなというふうに私は思いますけどね。
めちゃくちゃ思いますね。
僕もそれ全部できてるわけじゃないんですけど。
そういうふうな人間に生きていきたいなってすごい思いますね。
損して得取るというか。
損して得を取るつもりはないんですけど。
素直に生きるというか。
そういうのがすごい大事だなと思いますよ。
それはそう思うんですよね。
そうすると結局いいように使われて損しちゃうじゃないかと。
そういうこともあるかもしれませんけど。
そうですよね。
あるかもしれませんけど。
それでもお前のことやってやろうみたいなやつよりね。
トータルでは信用されてね。
ひょっとしたら会社の中の出資者という意味では
どっちが上なのかわかりませんけども。
会社の出世をどうしたってね。
いずれは会社は卒業していくわけであって。
そうですよね。
その時にその人に何が残っているか大事な話であって。
こすっから生き方とは言いませんけども。
目の前の得だけをね。
一生懸命拾っていって偉くなった人に
一体60歳の時に何が残っているのか。
真面目にというか。
地道にというか。
コツコツやってきて。
会社の中の出世は負けるかもしれないけど。
俺の人生は今度良かったなと。
いっぱい信頼できる仲間ができたなと。
家族ともそういう関係になれたなと。
いう方がいいような気もするし。
結局卒業する時に
自分の中に何が残っているのかというのは
とっても大事な問題で。
これは若いうちはなかなかわからないんですけど。
この年になると分かるというかですね。
それはよく思いますね。
会社って原点主義というか。
ちょっとダメだったところをチェックされて。
それが会社の出世に繋がるとか
27:00
出世できないとか今ありますけど。
それを恐れていたら
何も人間的な成長ってないじゃないですか。
それを気にせず自分自身の等身大というか。
それを出していくということが
将来的にそれは自分の大事なことに繋がるというか。
それは今話聞いててすごい思いましたね。
今長井さんね。
仕事でのそういう考え方っていうのが
家族の方にも活かされたみたいな話があって。
ご説明はありましたけど。
お子様を5人育てられてということの話だったんですけど。
どうですか?
それへんって仕事とプライベートで活かされたことってありますか?
どうですかね。
僕はだからね。
どこ行っても自分のこのスタイルなんですよ。
会社の中でもこのスタイル。
家もこのスタイル。
友達に対してもこのスタイル。
バスケットにしてもこのスタイル。
変なし会社の中でも上司に対してだって
部下に対してあんまり変わらないし。
ずっと同じ自分でいようと思ってるわけでもないんだけど。
結果的にはたった1枚のカードをずっと切り続けてるような。
そんな感じなんですよね。
それの方がラップだし。
そのたった1枚のカードを切り続けてるうちに
その1枚のカードがどんどん見分かれていって。
1枚しかないんだけども。
結構どこ行っても通常するようになっちゃって。
全部場外になってくる。
これがやっぱり一番正解だったんだなと思ってますけどね。
長井さんの話聞いて思ったんですけど。
経験が増えていくとこの人にとってはこのジョーカーを出した方がいいとか
この手札を出した方がいいとか結構行われてくるじゃないですか。
それだけあえて私をずっとこの手札みたいな。
僕はあるとそうですね。
それってすごいですよね。
ぶれないというか。
そうですね。
すごいですね。
ビビったりしません。
この人にとってはこれって言ったらもしかしたらぶつかる可能性もあるじゃないですか。
人と。
それってすごいなと思ったりするんですけど。
たしかにね。
たった1枚のカードというのは早い話がフルオープンスタイルなんだけどね。
早い話が。
自分を隠さずにというか。
そうそうそう。
いや俺はこんなもんですと。
使いますかどうですかと。
使えなかったらどこが足りないんですかなと聞いて。
それが自分が身につけるもんならそこが努力するし。
それを最初に一旦自分をオープンにせずに相手を見て相手に合うようなカードをちょっと出そうと思うと
結局長続きしないしその後余計苦労するし。
後々でなんやお前こう打ったら違いないかなって具合悪いしね。
だから僕はこんなもんですわと。
ポーンと出しちゃってどうですかと。
どんなふうに使える道がありそうですかと。
もしちょっと使えないと言うんだったらどこが足りませんかと。
こんな話から入ったほうがそういう会話しなきゃいけないんですよ。
イメージ的にはそういうスタンスで臨んだほうが話は分かりやすかったなというふうに自分で思ってますけどね。
確かにコミュニケーション底がないですよね。
もうそのまま俺はこうですみたいな。
だからこの人だったらこういう人やなっていうのが最初のうちから分かるっていうのもいいですよね。
確かに。
一番コミュニケーションってやっぱり人を伺って喋ったりとかしがちですけど。
僕もそういうとこあるんですけど。
そこら辺がなくある程度こういう人間です。
合う合わないあると思うんですけど。
その辺をオープンにするみたいな。
それってすごい大事なのかなって聞いて思いましたね。
30:00
今はコーチングをやってるんでね。
これは逆に相手のことを全部出していただくということなんですけど。
相手にねあんたちょっと出してよと言うからにはこっちも開けとかないと。
自分は閉じてですね。
こういうとこだけ出してですね。
あんたはちょっと全部出しなというのはこれは通用性なのかと思ってますから。
相手に全部出してもらうためにもこっちは出すというかドアは全部開いてると。
で、信頼関係を作ると。
これがまず第一歩なんかなというふうに思ってますけどね。
確かに対等ですもんね。
コーチングとか何か教えるとか専門家とかやっぱり何かしてくれるのかなとか。
上下関係になってしまいますけど。
それをやっぱりお互いの目で見ていくっていうか。
その辺って話す方としても気楽に喋ったりもしますからね。
そうですね。
ありがとうございます。
ちょっとさっきの20代30代40代ってきて。
50代になったら自分が今まで営業マンとしてきたんですけど。
そこからやっぱり人に教えていくみたいな。
自分が動くんじゃなくて他の営業マンの方に動いてもらうみたいな。
そこら辺の葛藤があったって話があったんですけど。
その辺でどんな感じで工夫されたことあるんですか。
これはね。
なかなかうまくいかなかったですね。
あんまりきっかけ的には。
本当ですか。
そのコーチングに出会う前にね。
やっぱりその自分が嫌々し指図するのは良くないと。
いうとこまでは気がついたんですよ。
で、部下のたちメンバーが自分で考えて。
自分で問題点に気がついて。
自分でアクションを取っていくような。
そういう風にならないといけないと。
自分と同じようなことをね。
いや俺ならこうするのみたいなことをね。
押し付けるのはいけないと。
そこまで気がついたんですよ。
で、その時に一回部下の連中とね。
いわゆるその週の月曜日の初めに。
今週の予定というミーティングをするわけですけども。
その時に俺は一件言わないと。
長居さんは何も言わないと。
宣言して。
君らが俺に説明してくれと。
今週どこ行きます。あんな課題があります。
言ってくれと。
俺はそれに対して聞くだけにすると。
ってやろうと言ったんですけど。
これがあまり機能しなくてね。
僕は聞いてるだけなんですけど。
それはアカンとかそれは違うと言わないんですけども。
でも顔が言ってるんですな。
表情というか。
へーそんなん言うのみたいなね。
感じになってるわけですよ。
彼らはずっと半分僕の顔を伺ったり。
本当に自分の意思で動くというのはなかなかあって。
インドネシア行くまでの1年ちょっとぐらいそれをやったんですけど。
機能しなくて。
なんで機能しないのかなと思ったんですけど。
それはだからね。
口に出して言ってないだけで。
自分の心の中に答えがあって。
それが顔とか全身が出てるんですよね。
それはやっぱり失敗したいなという風に。
コーチングを学んでからやっと気がつきました。
やっぱりそれってありますよね。
言葉に出してないけど。
あの人ってこう考えてるんじゃないかなみたいな。
それって相手にも伝わるというか。
コンタクトしてしまうというかね。
気持ちが伝わっていってしまうってのはありますよね。
どうやって変えていったんですか。
インドネシア行かれたじゃないですか。
そこからまた変わっていったんですか。
営業の仕方というか。
インドネシア行った時にね。
さっきコーチングを受けたわけですけど。
33:00
僕の場合は拠点所に行ったんで。
駐載員が6人おったかな。
そこにも駐載員が6人が500人のローカルを基本的にそれぞれの分野で束ねてるというか。
目の前で見てくれてるわけですよ。
僕もローカルの人と話すけども。
駐載員とも結構話す時間が多くて。
そうするとね。
日本で大人しいんだろうなこの子はと思った駐載員も。
向こう行くと喋るんですよ。
そうなんですか。
それはね。そうなんやと。
気がついたんですけど。
やっぱりその慣れん国へ行ってね。
慣れん言葉でね。
話し合うのは彼らには当然ストレスがいっぱいあって。
話聞いてほしいんですよ。
そうなんやと。
気がついて話を聞いてやると。
ローカルの年長も同じでね。
なかなか駐載員に言っても分かってくれないけども。
俺たちはこんな苦労してるんだとか。
ここにこんなことがあるとかね。
実際はこうなんやとかね。
結構思っとるわけですわ。
みんな喋りたいんですよ。
それに気がついてそうかみんな喋りたいんやと。
なるほどなと。
俺聞いたらいいやんと。
そっから聞くということに
ちょっと関心をついだして
聞くようになってきて。
日本へ帰ってきて小会社に行って
そこがまた新しい新天地だったんで。
今までの経験とか
知識は全然通用しないし。
全部新しいもんやし。
またもう一回全部一から聞くようになって。
聞くと大事だなということが
ついでに肌目で
そういうふうに思うようになって。
それも多分後人を勉強しようと思ったことの
一つのきっかけでしょうね。
聞くの大事だと。
慣れない都市だとローカルの方も
長居さんに喋りたいとか
駐在の方も海外でやってるし
長居さんにしか喋れないみたいなのはあったんでしょうね。
みんな喋りたいんですわ。
その間ってコーチングを受けてたんですか?
インドネシア駐在の時って。
それは自分自身で聞くのはどうしようかなって考えてたんですか?
コーチング受けたのは最初の
3ヶ月ぐらいだけですね。
その後聞くの大事だなと思ったのは
そっからはガリューですね。
ガリューで。
振り返ってどうですか?
長居さんが今人の話を聞くとか
する時に工夫されてることは何かあるんですか?
どうですか?
僕は田村さんの番組聞いてて思うのは
田村さんはいつも
相手のルーツを探る質問されるでしょ。
それは僕も全く同じスタンスなんですよね。
この人はどんな経験をしてきて
なんでそういう発想になってるんだろうと。
その価値観はどこから来てるんだろうと。
こんなことはもっと関心があるし
そういうスタンスでは聞きますね。
ストーリーというか
流れてきてるストーリーというか。
皆さんしゃべらないですけどね。
ある程度こういうことで生きてきてる
みたいなところの証というか。
これも社会人ステップですけど
このボタンを押してもしゃべらないけど
こっちのボタンを押したら
急にしゃべりやすくなるじゃないですか。
めちゃくちゃあるんですよね。
そのボタンを探してやって
押してやったら何もでもしゃべってくれますよ。
僕も難しいんですけど収録の時に
どこが鳥以外になるかわからないんですけど
こっちの角度だったらめっちゃしゃべりたいみたいなね。
得意な分野みたいなところがありますよね。
コーポートゾーンみたいなところがありますよね。
長居さんちょっと後でちょっと
36:00
終わった後に教えてください。
インドネシア駐在されたじゃないですか。
駐在した時に拠点長されてるじゃないですか。
どんな感じでお仕事されてたんですか。
海外インドネシアで4年間って
拠点長ってどんな仕事するんですか。
いやだから拠点長何もしないんですよ。
ちょっと変なんでね。
みんなが起源を仕事してくれるために
拠点長おるみたいな感じで
思ってましたし。
日本からはいろいろ言われるんですよ。
本社からはね。
今月のこと言われるんですよ。
それはいるんだけど
そういう意味では最終責任者なんですけど
営業にしてもものづくりにしても
実際自分がやってるわけじゃないし
やってるのはローカルなわけですけど
ローカルに指導してる連中は
駐在員がちゃんとやってくれてるわけで
じゃあその駐在員と
ローカルとの関係うまくいってるんかとかですね。
そこをさばいてやったりとか
駐在員には不満はないんかとかですね。
指示を受けてるローカルはどう思ってるのとかですね。
そんなようなことを見たり
聞いたり
アンテナを張ってですね。
つないでやったり
そういうようなことしかしなかったですね。
本当ですか。
トップってことはある程度
営業のこともわかんなきゃいけないし
上だからこそマネジメントどうするかみたいな
無意識にやらなきゃいけないみたいなところが
あるのかもしれないですね。
マネジメントっていうのも
便利な言葉なんですけど
マネジメントって何なんでしょうね。
確かにね。
結構簡単に使ったりするんですけど
統制するとか
自分の思うようにするとか
っていう意味でもないですし
どちらかというとその人自身の自発的に
会社を良くするようにできたら一番いいんですけど
どっちが主導になるかっていうか
僕が主導なのか
従業員さんが主導なのかみたいな
それ結構考えたりしますね。
マネジメントってめっちゃ難しいと思うんですよね。
なんとなく便利な言葉で
なんとなくみんな使うんですけど
定義は実は結構
曖昧というか
定義は曖昧じゃないかもしれないけど
ニュアンスは結構色々あって
Aさんが言っているマネジメントと
Bさんが言っているマネジメントは
同じマネジメントというカタカナの言葉でも
ニュアンスまで含めた内容は
少し違ったりするので
そういうのって結構大事な話だと思うんですね。
僕が当時思っていた
マネジメントというのは
当然
創業益を上げたり
月次の実績は
ちゃんと上げていって
会社が利益を上げているような状態に
しておかないと
そこは見てましたけど
そのためには
ここの500人プラス
そのメンバーが
どんな風に働いているのか
どんな風に働いているのか
なんとなくって
どんな気持ちで働いているのか
うまくいっているのか
そんなことを
見るだけだった
それも当然そういう風に聞くし
うまくいっていますと
言われることもあるんだけど
うまくいっていますと言っているのを
どこまで信じていいのか
39:00
最後はどこか数字で見ないといけないんですけど
数字がうまくいっているし
見ていると顔つきも悪くないし
うまくいっているのか
うまくいっていると言っているけど
数字がうまくいっていない
これってどこに問題があるのか
掘ってみたり
うまくいっていると言っているし
結果的に数字もうまく上がっているんだけど
それは市場環境がいいだけで
こいつ
妄想不満する顔してるやんかとか
そんなことをチラチラ見ながら
ちょっと気になったことは
別の人間にも
あいつうまくいっているけど
ほんまにそうなんとか
言ってる割には顔つきそうじゃないけど
どう思うとか
そのことをあちこちに貼ったりしながら
あそことあそことうまくいってないとか
人間だけ悪いとか
どうしようかとか
そんなことをゴソゴソやったり
してました
深井さんの話聞いて思ったんですけど
一番最初に社会人になって
御用機器を1週間ずっとやってたみたいな
用がなくてもずっと置いてたみたいな話があったじゃないですか
普通やったら
僕が例えばマネジメントっていうか
あいつ元気そうにしてるなと思って
別に声かけなくても元気そうにしてるわ
じゃなくて1回でも
本当にそう思ってるのかを聞きに行くみたいな
御用機器を知った時の経験っていうのが
拠点状になった時に
断るごとに
聞いてみたらわからないみたいな
そこに繋がってるのかなって聞いて思った
そんたくするじゃないですか
別に元気だろうなとか
大丈夫だろうなって思うじゃないですか
そこを自分で聞いてみないとみたいな
それって大事なのかなって聞いて思いました
そうかもしれませんね
かっこよく言うとそういうことなんですけどね
実態は例えば
毎週駐在員とゴルフをしてですね
機嫌をやるとかですね
しょっちゅう駐在員と名宿に行って
バカバラにするとかですね
そんなことがメインなんですけどね
いかがでしたでしょうか
次回もこのお話の続編をお送りいたします
魅力的なお話たっぷりです
お楽しみに
シャローシラジオ
サニーデイフライデー
DJの田村洋太でした
それでは次回もリスナーの皆様の
お耳にかかれることを楽しみにしております
今日も気をつけて
いってらっしゃい
41:25

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