社労士ラジオ サニーデーフライデー
はい、こんにちは。田村陽太です。 今日も一人語り回をしていきたいと思います。
今日のテーマはですね、面倒くさいけど言ってよかった 職場を変える指摘する勇気のススメというテーマでお話をしていきたいと思います。
まあ、皆さんもね、普段お仕事をしていたりとか、プライベートで生活していたりとかしている時に、
いや、なんかこれ違うんじゃないかなーって思う瞬間ってあるじゃないでしょうか。
その人に対して指摘するのは後で面倒だなとか、その人に言っても変わらないんじゃないかなとか言って、
まあまあいいかって感じで、結局スルーしてしまうことも多いんではないでしょうか。
ただですね、この面倒くさいから指摘しないっていうことは、結果的に周りに悪影響を与えてしまうことっていうのはあったりします。
なので、私個人的に思うのは、自分が正しいって思うことに関しては、もう面倒くさいなと思うことでも実行して行動して指摘することって私は大事だと思います。
今日はですね、その理由とそのポイントについてお話をしていきたいなと思います。
今日のテーマにしたきっかけなんですけど、この前あの田舎の方をですね、ちょっと電車で乗っていたんですよ。
その電車が田舎あるあるのワンマン電車でして、運転手さんがお金の生産業務をやっているような電車だったんですね。
私は一番前の車両、その運転手さんがいる車両に乗ってたんですけど、
ある外国人グループ、5人ぐらいでしたね。5人がですね、乗ってきた駅の初乗り運賃、140円とか150円とかそれぐらいだと思うんですけど、
その運賃の切符だけ買って、だいぶ遠いところまで来てた。
片道3000円くらいのところでしたね、話を聞いていると。3000円くらいの電車のところまで乗ってきて、
無人駅で降りようとしたんですよ。要は他の人が乗ってきたタイミングでその人も降りるみたいな感じで降りようとしたんですけど、
そしたらその運転手さんがそれに気づいて、外国人5人ぐらいを呼んできて、
なんで途中で降りたんですか?みたいなことをいろいろ喋ってたんですよ。
最終的にはめちゃくちゃ外国人グループの方に怒って、お金もちゃんと乗ってきたところから降りたところまでのやつを回収して、
次やったら警察ですよっていうことをちゃんと指摘して、その件を終わらせてたんですよ。
ワンマン電車なので、自分で複数の相手を対応するっていうのも気持ち的にもめんどくさいと思いますし、
ワンマンの電車なんで、それやって電車が遅れてしまうと乗客にも迷惑かけてしまうだろうっていうのもありますし、
そもそも指摘するのがめんどくさいっていうような状況だったと思うんですよ。
そんな中でもしっかりと着せるですっていうのを伝えた運転手さんというのは、
そして行動した運転手さんはすごいなと思って私は見てました。
外国人も最初は運転手さんの指摘する日本語がわからないみたいな感じで、
着たばっかなんですみたいな感じで対応してたんですけど、
降りた後の外国人グループの様子とか表情を見てたんですけど、
明らかに指摘されてることはわかってて、
実際初乗り運賃でやってるってこともすごい意図的だった感じだったんですよ。
あいつめっちゃ怒ってたなみたいな感じで、その表情ですごいわかったんですよね。
とにもかくに最終的には指摘された側っていうのはいろんな感情を思うかもしれないけど、
私はこれは正しいですって伝えることっていうのはやはり大事だなっていうのを思わされました。
どういう結果になるかわかんないけども、必ずめんどくせえと思うかもしれないけど、
必ずそれを私はこれが正しいですっていうのを持って行動するってことはいいなと思いました。
今日はですね、自分が正しいと思うことに関しては指摘することが大事だっていう理由をね、
お話ししていきたいなと思います。
理由としては3つあると思ってまして、
1つ目は指摘することによってその指摘された相手に対して、
理性のきっかけを与えられるっていうところがやっぱ大事だと思ってます。
自分自身で気づいてるっていうことはあると思うんですけども、
やっぱり多くの場合、指摘された本人っていうのは自分の行動がやるべきじゃなかったってことに気づかないもんだと思うんですよね。
普段のコミュニケーションでも、例えば本当はやっちゃいけないことなのに見てみるふりしてしまうみたいなこととかあったりするじゃないですか。
こうやって誰かが指摘しない限り、もうそれを全く無意識にやってる場合もありますし、
意図的にそういうのを見てみるふりをしてしまうっていうのをやってたりとか、
ずっと誰かが指摘しない限りずっとその問題で繰り返されるパターンって多かったりするんですよね。
それは違いますよとか、こうした方がいいんじゃないですかっていうふうに指摘することっていうのは、
その相手に対して、その問題に対して立ち向かうきっかけを与えることができるので、やっぱ大事だなと私は思ってます。
2つ目の理由としては、それを指摘された人の様子を見て、
その周囲の人も自分の振る舞いをちゃんとしなきゃいけないなって意識するっていうのが大事だと思ってます。
これは会社で働く人たちを想定するんですけども、
誰か上司がその部下に対してこれに対して怒るのを見た時に、
自分ももしかしたらそういうふうに怒られるかもしれないな、
自分の行動ってちゃんとその上司が指摘した内容をクリアできてるかなっていう形で、
自分の行動に対しても一回そのフィルターをかけてできてるかって確認するじゃないですか。
そういうのって、やっぱその指摘するっていう機会を持つことによって、
その周りの人もちゃんとやらなきゃいけないなっていうのを意識する機会を持つことができるので、
私は大事だと思ってます。
会社だけじゃなくてもね、普通に生活、日常生活していても、
その他の人になんか怒ってるなっていうのを見た時に、
まあいろんな感情を思うと思うんですよね。
その指摘した人が良いって場合もあるし、
指摘された方の人が良かったよみたいな感じで、
いろんなことを考えるかもしれないけれども、
それを考えてる、退散者の振る舞いを見て、
それを自分自身に置き換えてフィードバックして考えた時に、
自分もやらなきゃいけないなっていう、
その考え方、その行動自身が自分のさらなる良い行動に繋がる考え事をしてるわけなので、
まあ良いことだと思うんですね。
まあ理由もないのに指摘するっていうのは良くないと思うんですけど、
自分的にはこれは良くないなって思ったことを相手にフィードバックして、
相手に伝えて指摘するってことは、
私はこれ自体はすごい尊いものだなと私は思ってるんで、
やるべきだなと私は思ってます。
3つ目の大事な理由としては、
自分も指摘することで、
自分自身の譲れない判断軸というか、
そういうものを見つめ直せるって意味でも大事かなと思ってます。
相手に指摘するってことは、
これは自分自身はこれが正しいとか思ってるから指摘するっていうわけなので、
自分のどこにこだわりを持っているのかっていうのを、
見つめ直す機会になると思うんですよね。
結局指摘した後に、
自分自身の行動を振り返って、
もっとこういうことを言った方がいいんじゃなかったかなとか、
いろいろ考えたりするんですけど、
その時にも、
やっぱり私はこういうこと大事だと思って考えてるから、
ああって後悔する必要ないなって思うこともありますし、
いろんなことを考える機会になるんですよね。
指摘したいなって思うことに対しては、
嫌って見逃すんじゃなくて、
ちゃんと相手に指摘するっていうのを意識するっていうのは、
やっぱ大事だなーって思いますね。
結局指摘しなかったことによって、
後ですごい後悔することってあったりするじゃないですか。
あの時勇気を出していればよかったのになーっていうことって
あったりするんですけど、
それも別に誰かが指摘してくれるからいいだろうって思う場合もありますし、
また今度言えばいいじゃんって思うこともあるかもしれないですけど、
なかなかそれと同じように指摘する機会って、
そういう状況に出くわさないとできないわけですし、
何もない時に急に指摘されてもっていうところがあると思うんですよね。
タイミングやそういう機会があった時に、
指摘するっていう習慣をつけると、
私はすごい大事なのかなーって思いますね。
必ず指摘した場合に関しては、
自分自身のモヤモヤもそうですし、
相手自身のモヤモヤもそうなんですけど、
必ずそのハレーションというか、
何かしらの負の感情っていうのも生まれたりはすると思うんですけど、
そういうハレーションなしで組織を運営することって難しいと思うんですね、私は。
外向きにはいい面を見せて働いていても、
自分の心の中ではモヤモヤと何くそーって思ってることでもあると思うんですけど、
そういうのを相手に対して伝えていくっていうのを
習慣にするっていうのは大事だと思いますね。
嫌だなーって思うことを相手の人に言わずに、