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いちです。おはようございます。
今回のエピソードでは、火星人と呼ばれた男フォン・ノイマンについてお届けをします。
このポッドキャストは、僕が毎週お送りするニュースレター、STEAMニュースの音声版です。
STEAMニュースでは、科学、技術、工学、アート、数学に関する話題をお届けしています。
STEAMニュースは、スティームボートのりくみーのご協力でお送りしています。
改めまして、いちです。
このエピソードは、2024年4月26日に収録しています。
このエピソードでは、STEAMニュース第177号から、
火星人と呼ばれた男フォン・ノイマンについてお届けをします。
もし、20世紀最大の科学者は誰かと聞かれたら、
アルベルト・アインシュタインを差し置いて、この人の名前があがるかもしれません。
彼の名前は、ジョン・フォン・ノイマン。
その驚異的な能力から、
火星人、未来から来た男、
そして、人のふりをした悪魔とも呼ばれました。
そんな彼の少し特殊な業績についても、
このエピソードではお話ししていこうと思います。
フォン・ノイマンの生い立ち
1903年12月28日に、
ハンガリーのブタペストで生まれたジョン・フォン・ノイマンは、
53歳で亡くなるまでの生涯、ほぼすべてにおいて天才であり続けました。
なお、生まれた時のお名前は、ヌーマン・ヤノシュ・ライオシュ。
ハンガリーでは苗字が先にくるので、
ノイマンのハンガリー読み、ヌーマンが先にくるわけですね。
彼は生まれた時からの天才で、
6歳にして8桁同士の割り算を暗算できたそうです。
信じられません。
また彼は同じく6歳にして、古代ギリシャ語も流暢に話せたそうです。
これもちょっと信じられないですね。
ま、若き天才、神道、神の子ともですね、
大人になればただの人なんていう格言もありますが、
フォン・ノイマンには当てはまりませんでした。
彼は父親の勧めにより、ベルリン大学で科学工学を学び、
その路線を継続して、チューリッヒ工科大学へ進みます。
どちらもね、超名門大学になります。
彼は同時に、ブタフェストのエトビシュ・ロランド大学へも進学し、
数学の研究を行います。
そして1926年、チューリッヒ工科大学の卒業と、
フォン・ノイマンの学生時代
数学における主席博士論を 同時に取得します。
1926年といえば、第一次世界大戦が終わった戦艦期にあたります。
もちろん当時は、第一次なんて言っていたわけではなく、
また世界恐慌前だったので、
これで世界は平和になったと思っていたことかもしれません。
1928年に、最年少で、ベルリン大学で、
事実上の教授である私講師と書きます。
これは教授のことです。
教授になると、数学の論文を月1本という驚異的なペースで書き始めます。
彼は1929年には、アメリカのプリンストン大学の客員講師に招聘されています。
1933年には別組織のプリンストン高等研究所に就寝雇用されました。
ここは後に原爆の父ロバート・オッペンハイマーが所長を務めることになる研究所です。
この頃、フォン・ノイマンはファーストネームをアメリカ風のジョンに変え、
1937年にはアメリカへ帰還しています。
ただし、ドイツ語圏で貴族あるいは貴族風の意味を持つフォンは残して、
ジョン・フォン・ノイマンという風に名乗るようになりました。
小刻みに彼の経歴をご紹介した理由は、
フォン・ノイマンが1939年をどう迎えたかをお伝えしたかったからなんです。
1939年、世界は第二次世界大戦へと突入します。
彼はアメリカに帰還するとすぐアメリカ陸軍予備役へ志願しますが、
年齢を理由に拒否されています。
この頃からアメリカのために何ができるかを考えていたんだと思います。
日本語版ウィキペディアではジョン・フォン・ノイマンを数学、物理学、工学、
計算機関学、経済学、ゲーム理論、気象学、心理学、政治学に影響を与えた人物としています。
そのすべての分野で第一人者であったことを付け加えれば、より正確な記述となるでしょう。
彼の業績身近なところでは天気予報が挙げられるかもしれません。
現代では当たり前となったコンピューターを用いた天気予報はフォン・ノイマンのアイディアでした。
というより、コンピューターそのものがフォン・ノイマンのアイディアです。
彼以前と彼以降では世界はまるで違うわけですね。
日本との関係が深い例としては、長崎で実践しようされた原爆ファットマンの設計が挙げられます。
フォン・ノイマンは核物質プルトニウム239を精密に圧縮し、核爆発を起こさせる方法を発明しました。
ここでもやはり彼以前と彼以降で時代が変わっています。
フォン・ノイマンの業績
ひょっとしたら人神世という新しい実質年代は、あるいは地球の歴史はフォン・ノイマンが始めたと言っても言い過ぎではないかもしれません。
フォン・ノイマンの膨大な業績は多くの書籍が紹介しているところです。
しかしこれからご紹介するちょっとした業績は、その重要性に比べるとあまり知られてないかもなので、ご紹介してみますね。
小学校の算数では結合法則という法則を学びます。
これはたとえば 1たす2たす3という式の計算方法に出てきます。
想像してみてください。1たす2たす3。答えは6です。
おそらくみなさんは1たす2を先に計算して、その次に1たす2の結果が3で、3たす3で6と計算されました。
これは後ろを先に計算してもいいです。
1たす2たす3の後半2たす3を先に計算したら5になります。
1たす2たす3は1たす5つまり6で計算結果が一致します。
これを結合法則と呼びます。
たし算かけ算の順序を 入れかえても同じことも 習います。
たとえば 1たす2と2たす1は 同じです。2かける3と3かける2は 同じことも 習います。
こちらは交換法則と 呼びます。
小学校の算数で出てくるのは 交換法則と結合法則です。
そしてもう一つ大事な法則が出てきます。
算数の法則というふうに呼んでいますが、
実際にはこれは約束ごと、決めごと、取り決めですね。
こういうふうに決めましょうということです。
交換法則も結合法則もこういうふうに 計算してもいいことにしましょうという決めごとなんですね。
決めごとの3つ目が分配法則です。
このような式を想像してみてください。
かっこが入ります。
2かけるかっこひらく3たす4かっことじる。
かっこの中を先に計算するので 2かけるかっこひらく3たす4かっことじるは 3たす4を先に計算して 2かける7。
答えは14というのが小学校で習う算数です。
このようなことも習ったのではないでしょうか。
2かけるかっこひらく3たす4かっことじる とはつまりイコール
かっこひらく2かける3かっことじる たすかっこひらく2かける4かっことじる。
もう1回言いますね。
2かけるかっこひらく3たす4かっことじる イコールかっこひらく2かける3かっことじ たすかっこひらく2かける4かっことじる。
紙に書いていただくと 思い出していただけるかなと思うんですが
かっこの中の足し算に先頭についていた 2かけるを分配していくということなんですね。
これを分配法則というふうに呼びます。
これも算数、つまり初等算術の基本的な 要請事項、取り決め、お約束なのですが
これが20世紀の物理学では成り立っていない。 分配法則が成り立っていないということを
フォンノイマンは発見しました。
交換法則、結合法則、そして分配法則という 数学における鉄板の3つの約束ごとのうち
すでに交換法則に関しては 条件的に成り立たないことが知られていたのですが
フォンノイマンは分配法則も成り立っていない 分野があるということを見抜いたんですね。
これが20世紀の大きな発見である 不確定性原理という物理法則を裏付ける数学的な基盤となりました。
ここらへん詳しい事情はですね メールでお送りしているニュースレター
スティームニュースの第177号に書かせていただいたので ご興味のある方はお読みいただければというふうに思います。
そんなジョン・フォンノイマンには数々の 信じられないエピソードが残されています。
例えばですね、彼の開発したコンピューター これは計算をさせる機械なんですが
そのコンピューターが正しく動いているかどうかを調べるためには 検算をしないといけないわけですね。
つまり問題を入力して出てきた答えが正しいかどうかを調べないといけない。
そのために 複数の科学者たちが一緒にコンピューターとを挑んで答えを求めていったわけなのですが
フォン・ノイマンの能力と学問分野の開拓
一番早かったのがこのフォンノイマン自身だったそうです。
つまり計算機よりコンピューターより早かったそうです。
2番目に早かったのが伝説によると同じく物理学者であったリチャード・ファインマンで
彼は計算尺を用いたというふうに言われています。
そして一番遅かったのが生まれたばかりのコンピューターだったというような伝承が残っています。
他にも優秀な数学者、優秀な物理学者たちが何日も何週間も考え続けて
見つけた結論をフォンノイマンに話したところ
フォンノイマンはしばし黙ったあと
うん、その通りだであるとか
たまには間違いを指摘することもあったそうです。
本当に頭の回転がバグってたんでしょうね。
そりゃ火星人とか悪魔とか呼ばれるわけですよね。
彼が引い出ていたのはそういった数学の能力だけではなくて
語学、人文学にも恐ろしいほどの能力を示していたそうです。
彼はハンガリー語の他にドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、そしてラテン語、ギリシャ語を話せたそうです。
3カ国語で同時にジョークを言えたというね、びっくりするようなエピソードもあります。
彼と直接英語で会話した人の記録を読むと、英語はハンガリー語なまりだったそうなんですが、それにしてもすごい能力ですよね。
また小説や歴史書なども一度読むとまるまる覚えてしまっていたようです。
彼の同僚がからかい半分ではあったと思うんですが、フォン・ノイマンの記憶力をテストしようとしたところ、
ディケンズの小説の第一章冒頭をまるまる読み上げてしまって、もちろん読まずにですよ。
わかった、もうやめてくれというふうに言ったそうです。
フォン・ノイマンはアメリカの原子力爆弾開発マンハッタン計画に参画したオッペンハイマン、ファインマン、フェルミラと同じく、
比較的若くしてがんの診断を受けます。
そして彼は1957年2月8日に53歳の若さでこの世を去ります。
1964年、映画の巨匠スタンリー・キューブリックは映画
博士の異常な愛情、または私はいかにして心配するのをやめて水爆を愛するようになったかを公開します。
本作の主人公ドクターストレンジラブはフォン・ノイマンをモデルにしたと言われています。
これは諸説あってアポロ計画を主導したヴェルナー・フォン・ブラウン博士をモデルにしたという説もあるのですが、
内容から言うとフォン・ノイマンをモデルにしたという方が正しいような気がします。
博士の異常な愛情はスタンリー・キューブリックの代表作となりました。
アメリカの映画評論サイトロッテントマトでキューブリックの全作品中最高となる98%高評価を得たのです。
これは彼の別の作品、例えば2001年宇宙の旅、機械仕掛けのオレンジなんかよりも上位に入っています。
フォン・ノイマンは愛おしなかったでしょうが、彼はもしかしたら映画史をも変えてしまったのかもしれません。
フォン・ノイマンの墓はプリンストーン墓地にありますが、むしろ月の裏側にあるフォン・ノイマンクレーターこそが彼の墓標にふさわしいかもしれません。
そして人類が火星に到着した暁には、きっともう一つ彼の墓がそこに建てられることになるでしょう。
彼は何と言っても火星人なのですから。
フォン・ノイマンとアルベルト・アインシュタインの比較
というわけで、このエピソードではフォン・ノイマンについてお送りをしました。
同時代のアルベルト・アインシュタインと比べると知名度においては劣るのですが、学問への貢献度合いにおいては全くノン合格といって良いと思います。
アルベルトが核兵器廃絶論者であったことに対して、フォン・ノイマンは相互核小破壊論者でした。
相互核小破壊というのは、お互いに核兵器を持っていれば結局は使えないでしょうという意見、考え方なのですが、
これが後世の人気を分けたのかもしれません。
また、アルベルトの方は古典物理学と幾何学という、どちらかというと伝統的な学問にこだわったのに対して、
フォン・ノイマンは計算機科学であるとか、ゲーム理論といった新しい学問を切り開いていたというところも、
ひょっとしたらその分かりやすさという点で、後世の注目度が変わっていったのかもしれません。
一般の注目度が変わっていったのかもしれません。
またキャラクターも、アルベルト・アインシュタインは服装は無頓着で、頭もボサボサでといったところ、
フォン・ノイマンはいつもきっちりとスーツを着こなして、髪の毛もきっちりとかしていて、ちょっとソツがない感じがあったというのも、
ひょっとしたら親しみやすさに影響を与えていたのかもしれません。
2人はプリンストン高等研究所では同僚だったんですが、実は2人とも女にだらしないというか、どっちもゴミくずなんですね。
アルベルトはすぐに女性を口説くんですよ。
本と秘書にも手を出すし、手紙で甘い手紙を書いて口説くゴミ男なんですが、
フォン・ノイマンの方はスカートめくりがやめられなかったというクズ男なので、どっちもどっちですね。
ただその方向性が違うということで、交わり合うことのなかった2人なのかもしれません。
そんなことをお話ししていたらすっかり時間になってしまいました。
このエピソードも最後までお聞きいただきありがとうございました。
お相手はsteamfmのホウイチでした。
良い週末をお過ごしください。
ご視聴ありがとうございました。