2024-02-12 20:45

#043 DMによる前職との運命的な出会い!−ハタラクボクラより(1/4)

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今回は、本日から全4回に分けて、以前受けたあるインタビューの音源を配信いたします。

第1回目の今回の配信は、前職のエンジニア会社を目指したキッカケでもある、DMによる運命的な出会いもお話しています!


インタビューアーはmogさん。
働く人を応援するために、会社を辞めてご自身で起業されようとしている方で、私の経歴に興味を持って頂き、インタビューを受ける流れとなりました。

私が、なぜ前職の会社を選んだか? そして、その会社を退職したのはどうして? なぜ農業の道に進む?、など、全4回に渡って恥ずかしいくらい丸裸にされています🤣

会社員での生活に疑問を持っておられる方にも、響く内容かと思いますので、是非、丸裸の私を聞いてみて下さい🎶

mogさんは、他の方々のインタビューもされておりますので、mogさんのチャンネルも添付しておきます!
https://stand.fm/episodes/65bf89304f6253b733897608

#脱サラ
#脱サラ起業
#脱サラ就農
#ハタラクボクラ
#赤裸々トーク
#heartichfarm
#ハーティッチファーム
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stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/63f5d147390e8c58c62a6397
00:06
みなさん、おはようございます。 野菜がつなぐひととひとハーティッチファーム代表もとです。
本日も農業で心も懐も豊かにするチャンネル、始めていきたいと思います。
この番組は、国内最大手エンジニアリング企業で、17年間世界を飛び回っていた企業選手香川基文が、40歳を機に
脱サラ収納した経験をもとに、農業、ビジネス、キャリア、学びなどについて話すチャンネルです。
改めまして、おはようございます。
今日も、案内からさせてください。
マーボーナスの瓶詰めですけれども、これが今、ちょうど加工所で製品を作る段階になっています。
これが完成したら、ぜひとも本当に皆さんに届けたいと思っております。 今予定としては、加工所で作った製品が販売問題なければ、
その中から限定で3,40個になってしまいますが、私のECサイト等で、 まだ加工品だけでお届けするには、
物も小さいので、それを送るだけの運賃の方がもったいないので、 私の作ったナスと一緒に、その加工品をセットにして販売させてもらおうかなと思っています。
今のところ、自社のECサイトだけでの販売で、 その他の直販プラットフォーム、
ポケットマルシェとか、タベチョクとか、その辺では売らないで、 自社のECサイトだけで販売しようかと思っておりますので、
販売が問題なければ、その辺のECサイトのページもお知らせさせていただこうと思います。 限定品で売ろうと思っておりますので、ぜひとも楽しみにしてください。
それでは本編の方に入りたいと思いますが、
今日はですね、以前ですね、ちょっとある出会った方から、 私インタビューを受けまして、その音源をこちらでも使うこと問題ないと言っていただいたので、
そのインタビューをですね、今日から4日間に分けてお送りしようかと思っております。
本当は1放送30分の前後半で、合計1時間ぐらいのものなんですけれども、 30分流すのは長いかなと思ったので、
大体15分ずつぐらいに分けて、合計4回でお届けしようかと思っております。 そのインタビューをしてくれた方というのが、
MOGさんという方で、彼も会社員だったんですけれども、 働く人を応援する事業をしたいということで、
03:08
退職されまして、今実際に自身で会社を立ち上げて起業されようとしている方なんですね。
今回もその方と私もあるきっかけで出会ったんですけれども、
私のその経歴というか、会社員を辞めて脱サラ収納したというこの経歴に興味を持っていただきまして、
インタビューをしていただくことになりました。 MOGさんもお話し上手で、聞き上手で、
はっきり言って丸裸にされております。 私の経歴、私の考え、
真っ裸になっておりますので、ちょっとその辺を私が実際、なかなか一人だと口下手でお話し、 自分の本当の考えているところというのを、なかなか自分だけでは話せないところが、
インタビューでお相手がいると、そのノリもあって話している部分等々ありますので、
全4回、ちょっと長いですけれども、楽しみにしていただければなと思います。 それではインタビュー本編の方、お聞きください。どうぞ。
はい、こんにちは。働く僕らです。この番組は毎回違う働く人をゲストにお招きして、
働くことについてのお話を時に広く、時に深く聞いていくことで、 働くって何だろう?考える番組です。
本日のゲストは、アーティッチファーム代表、香川元さんにお越しいただいております。 元さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
では、早速お話を聞いていきたいんですけれども、 まずこの番組のルールというか、1つ決まりがありまして、
冒頭に2つ質問をさせていただきますと。 初めにこの2つの質問に答えていただいた後にですね、お話ししていただきたいなと思いますので、よろしくお願いいたします。
はい、わかりました。
ではまず1つ目の質問なんですけれども、元さんの働き始めてからのキャリアの編歴ですね、キャリアのヒストリーを少し簡単にお話しいただけますでしょうか。
はい。キャリアという意味ではですね、大学の卒業からでいいかな。地元が栃木県なんですけれども、栃木には高校まで行ったんですが、大学で東北大のほうに進学しまして、
東北大の院まで行ったんですね。そこでは機械系の専攻だったんですけれども、就職をちょっとね、海外で活躍できるサラリーマンみたいなのに憧れまして、就職先としてはあんまり機械系というのは関係ないんですけど、
06:02
国内では一番大きいぐらいなんですけど、エンジニアリング会社の日記株式会社のほうに就職しました。そこから17年間ずっと日記でエンジニアリング畑を歩いてたんですが、
40歳を機にエンジニアリング畑から本当の土の畑にキャリアチェンジしまして、ということでエンジニアを辞めて日記を退職しまして、農業を始めて現在に至っているところですね。
今年で農業を始めて5年が経つところなんですけれども、今、ナスを中心に栽培しているハーティッチファームという形で矢号で立ち上げて、JA出荷を含めて、あとはそのほかECサイトとかですね、ネット販売もやりながら経営を進めているところです。
はい、ありがとうございます。もう既にですね、日記から農業というところでそのお話ですね、興味津々なんですけれども。
はい、全然違うところに来ていました。
そうですよね。日記というと少し知らない方向けにお話しすると、エンジニアリング会社、プラントですね、設計プラントとか。
そうですね。
本当に特殊な巨大建造物を一から立ち上げるというようなエンジニアリングの会社かなと思うんですけれども、そこから農業、違う畑に入られたということですね。
はい。
ありがとうございます。ちなみに一つ、ここでこの後たぼりなんですけれども、日記にいたときのお仕事的にはどういった役職に、役職というか役割というかそういった、どういったお仕事だったんですか。
えーとですね、一番入社した最初の1年は、なんていうのかな、そのプラント、私たちはプラントって呼んでるんですけれども、石油とかあるいは天然ガスを、
生成する、普通に皆さんが使える形の燃料にするために生成する工場を私たちの会社は設計して建設する業務をやってたんですけど、その中に使われる一部の機材をベンダーといって下請けして作ってくれる会社とのやり取りのような、
その会社に要求する仕様の機械を作ってもらう部署にいたんですよね。っていう仕事をしてたんですけど、3年、4年目ぐらいからちょっとプロジェクト部のほうに移動しまして、
プロジェクト部というのは何をやってるかというと、そのプロジェクト全体のスケジュール管理とかですね、あるいは各専門部署の専門部とのやり取りのコーディネーターのような形の仕事をしてたので、もう本当プロジェクト全体を見るような職種で15、6年いた感じですね。
09:19
そうだったんですね。ありがとうございました。初めは外注の先のベンダーの管理というかやり取りのことをやられていて、そこからPMというプロジェクト管理のほうに入る。
そうですね。何年もずっとスケジュールとかお金を含めてプロジェクトマネジメント系の仕事をしてました。
そうなんですね。そこも少し職種的にはかなり大きな変化があったというところかなと思って、ここもお伺いするのがすごい楽しみだなと思っておりますので、よろしくお願いします。
こちらの話に入る前にもう一つ質問があるんですけれども、こちらの質問は何かというと、キャリアではなくて、これまで住んできた最寄駅の返力をぜひ教えていただきたいなと思うんですけれども、お願いします。
ちょっとさっきのキャリアのところでも触れてしまったかもしれないんですけれども、そういう所在地というか、住んでいた場所の返力でいきますと、生まれがほちぎ県もうか市で生まれまして、実家ですけれども、そこで高校生まで住んでおりました。
大学に進学するのを機に、宮城県仙台市ですね。仙台市の方に移りまして、仙台で大学院まで行ったので6年間住んでいました。
その後はですね、就職日記、私就職は一社だけなので、日記の方に移ったんですが、本社が横浜ですので、仙台から横浜の方へ行って、最初の4年ぐらいかな、会社の寮にいたんですけれども、
その最初の4年の間にも、日記自体に17年ぐらいいたんですけど、そのうちの半分ぐらいは海外駐在してたんですね。
なので17年のうちの8年ぐらいは海外駐在してまして、本社は横浜で、日本にいるときは横浜に普通に住んでたんですけれども、入社後カザフスタンに行ったり、あるいはカタールに行ったり、
中国、オーストラリア、アメリカ含めて、4、5カ国駐在しながら、2、3年ずつ繰り返すみたいな生活をしてまして、最終的には横浜、日記の方を退職して、今はまた栃木県毛河市の方に戻ってきて農業をやっている感じです。
12:15
ありがとうございます。じゃあまさに世界を飛び回って、そして栃木、毛河市に戻られた。
そうですね。戻ってきちゃいました。
ありがとうございます。その後の話もですね、たくさんお聞きしていただきたいなと思いますので、よろしくお願いします。
では早速なんですけれども、働くというところにフォーカスさせていただきたいと思うんですけれども、まずやはり一番気になるのは日記という会社が選ばれたというところで、
どういう軸で、何がしたくてその会社、その当時、覚えている限りで構わないんですけれども、どういう思いで、もと青年であった元さんは日記が選ばれたのかというと、どんな感じだったんですか。
そうですね。あの頃、普通大学、私の同級生、みんな機械系の仲間とかはですね、やっぱりどこに行く人が多いかというとメーカーだったんですね。
結構メーカーに行く同期が多くて、車でトヨタ、ホンダとか、あの辺の大手のところも含めて、あるいは重工系とかですね、そういうところがやっぱり選ばれがちだったんですけど、
私は、あの大学出るときに、ちょっと仕事をいろいろ探したときに、何が一番イメージとしてあったかというと、本当に世界を股にかけて活躍するようなサラリーマン、そういうのがめっちゃかっこいいと思ってたんですね。
でも、大学のときの私は英語を全くしゃべれないです。
全然英語をしゃべる環境には。もちろん授業程度の英語は勉強ずっと高校からとか中学校からやってますけど、しゃべれないわけですよ、そのぐらいじゃ。
私の研究室には海外からの留学生とかもいませんでしたので、普段英語をしゃべる環境にはなかったんですけど、そういうのもあって英語はしゃべれなかったんですね。
っていうのもあって、逆にそういう環境に飛び込めば、嫌がる上にも英語がしゃべれるようになるだろうと思ってた。
っていうのもあって、英語をしゃべれるようなかっこいいサラリーマンになりたい、そのためには何かといろいろちょっと探したところ、まず日記っていう会社、海外で仕事をするような会社が目に留まり、
たまたまその日記からの、あの頃はまだダイレクトメールっていうのがあったんですよ。
DMがホストに、普通の手紙のDMですよ、ホストに入っていたわけですね。
そこに載っているパンフレットの、プラントの夜景、見たことありますかね、もぐさん、プラントの夜景って、どういう感じですかね。
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ないですね、それは。
ないですか。なんていうのかな、プラントの夜景も絵みたいな、最近言葉もあるようなね、
都心のほうだと、ネギシの工場地帯の夜景のライトが、バーッと並んでるような工場の絵とか、そういうのがあるんですけど、
それがやっぱり、プラントのライトがブワーッと光ってる夜景の絵がですね、写真がめっちゃ綺麗だなと思って、
それにも惹かれて、日記っていう会社の面接に飛び込んだっていうのが、あの頃、日記を選んだ理由ですね。
どうだったんですね、運命的な出会いというか。
そうですね、ちょっと考えたときに、DMっていうのはいいきっかけでしたね。
そうですよね、たまたま考えているときに、そのタイミングでDMが入っていなければ、もしかしたらいかなかったかもしれない。
いかなかったかもしれないですね。
面白いですね。ありがとうございます。
演じ会社って日本に実は3社あるんですけど、演じ専門の会社が3社あるんですけれども、
その中でも私が就職するタイミングでは、あの頃結構不況で、就職難の時代でもあって、
日記しか採用をやってなかったってのもあるんですよね。
それでまあ、結局日記に行くことになったっていう感じで。
どうだったんですね。
その世界に股をかけるっていうところ、そしてたまたま日記のDMが入ってたってところ、すごく運命的だなってお話を聞いていて思ったんですけれども、
ひとつ思うこととして、とはいえこのプラントを作るってそんなに馴染みがない領域じゃないですか。
なかなかそれにめちゃくちゃ詳しい大学院生っていない?
いないですね。そんな授業ないですね。
そのなんかよくわからないっていうようなものに対して、飛び込もうと思えたっていうのは、やっぱりそれは偶然ダイレクトメールがあったからなのか、
それこそあのおっしゃっていただいた通り、周りの同期は自動車の会社とかわかりやすいところに行かれる中でプラントっていうのはどういう感じで最終意思決定されたんですか。
もちろん一番最初は日記だけじゃなくて、他の会社とかにも面接とかは行ったんですよね。
今だからこそ行っちゃうかもしれないですけど、他に受けたところのひとつはですね、
鉄道総合研究所、鉄道総研という新幹線の車体の設計とかしてるとかっていう、そういうところも受けたりしたんですけど、
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いろいろ受ける中で感じたのが、鉄道総研とか行ってみるとなんか暗いんですよね。
そういう人に怒られちゃうかもしれないですけど、大学と一緒に研究所って、ほんと研究所っていう感じの、シーンとした感じなんですよ。
なんですけど、日記行ったときには、オフィスが桜木城のど真ん中でもう私たちの子が立ってるところで、
その社員さんたちもみんなイキイキして見えたんですよね。
その面接の中で、従役の方とかとどんどん上がっていくと面接するんですけれども、
その中の話でも、結構社風として自由にやれるなっていうのも感じていたし、
あとは結構プラント業界っていうのに実際に踏み込んだ一つの理由のひとつは、
メーカーとかに入って、開発部門とかに入ると、
ひとつの開発って結構数、長年ドーンとやってるとか、
あるいはその部門に入るとずっとそこの部門でやるとかね。
長いスパンで考える研究職とか多いかもしれないですけど、
ミッキーの場合のプロジェクトっていうのは、短いものだと2、3年、
長くても5年とかでくるくる新しいプロジェクトにどんどん回っていって、
新しい体験できるみたいな、そういう感じの仕事のやり方なんですね。
プロジェクト単位で動くんで。
なんで新しいことに次々やれるみたいな、そういう仕事のスパンの楽しさも感じて、
実際には全く本当、研究とは違うことでしたけど、
そのプロジェクトっていうものを動かしていくことが楽しそうだなと思ったのは、
決めたきっかけではありますね。
そうだったんですね。
じゃあ、どっちかというと会社の分かりやすさとか大きさとか、
そういう見た目のところではなくて中身。
まずは社員の方々が生き生きと働いている、自由である、風土のところと、
もう一つはこのプロジェクト短期間でいろいろなものを見れる、いろいろなものを見たいというところ。
結構その内面的なところ、会社で言ってもそこを重視されて入らないといけない。
そうですね。最終的にはそこ。
ありがとうございます。
20:45

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