ドストエフスキーの背景
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
今回からドストエフスキーについて話します。
これまで、ポッドキャストで何度となくドストエフスキーは引き合いに出しているから、聞いてくれている人はもしかしたらわかるかもしれないんだけど、僕はドストエフスキーがものすごく好きです。
ドストエフスキーといえば、代表的な作品は罪と罰やカラマーゾフの兄弟などがあります。
でも、作品を紹介するコンテンツはそれこそ無数にあるし、漫画で読破シリーズなんてものまでありますので、ここでは作品のあらすじを紹介するということはしません。
ここではですね、ドストエフスキーってすごいすごいって言われてるじゃないですか。
東大教師が新入生に勧める本っていうランキングがあって、そのランキングでもカラマーゾフの兄弟が1位に選ばれています。
ドストエフスキーはそんなにすごいんかって話なんだけど、ここでは何がそんなにすごいのかっていう話をしていきたいと思います。
そのため、作品のすごさの分析について話をする前に、まずドストエフスキー本人についてと時代背景の説明をしておきたいと思います。
まず本名はフヨドル・ミハイロビジ・ドストエフスキー。1821年生まれで、1881年に59歳で亡くなっています。
つまり19世紀ロシアだけど、時代背景はですね、共産主義革命、ロシア革命が起こる前の革命前夜という時代です。
ドストエフスキーの主な作品が書かれるちょい前に、ツルゲーネグっていう人が父と子という小説を書いてて、
これは父親世代の常識と子供世代の常識とがあまりにもガラッと変わったもんだから、コンフリクトをしてしまうようになったというテーマの作品です。
日本でいうと明治維新の時代が割と近いと思うんだけど、革命とか維新がリアルタイムで起こっている時代って、
もう文字通り激動の時代だから、常識が入れ替わっている最中なんですよ。
今のツルゲーネフの父と子のように、父親世代は保守的で社会を変えたくないと思っているが、子供世代は社会を求神的に変えなければいけないと思っている。
で、若い世代が古い世代のコモンセンスを通列に批判して隅に追いやってしまう。
子供が父親の権力やあらゆる基盤を奪い取って、社会をガラガラポンするという、こういう時代であったわけです。
こういうのは父殺しと一般的に呼ばれます。
思想と作品の関連
父殺しっていうのは、ギリシア神話からある普遍的な概念だけど、
概念的に子供が父親になり変わるっていう行為のメタファーです。
なので、帝政ロシアだったら皇帝陛下、社会全体の父親たる皇帝陛下を民衆が倒すという行為も父殺しの概念の中に含まれます。
それで、そういう時代であったこと、さらにドストエフスキー本人の個人的な体験というのもあって、
この父殺しがドストエフスキー作品の大きなテーマとなっています。
個人的な体験というのは、ドストエフスキー本人は地主の子供として生まれます。
なんだけど、父親が自分の領地であるチェルマシニアっていうところの農民に殺されちゃうんです。
実際はね、病死だったとかいう説もあるんだけど、でもドストエフスキー本人は農民による殺害だと思っていたようです。
このように農民が漁師を殺すっていうのも一種の父殺しにあたります。
このような個人的な体験もあって、父殺しが作品の大きなテーマになったというわけ。
で、あと重要なのは、革命前夜のヤバい時代だから、本当に色々な思想が新たに出まくって広まりまくっていたっていう特殊な状況がありました。
日本でも明治維新が起こる時って、朱子学とか陽明学とかの思想が広められ、明治維新をやりきる原動力となってたでしょ?
あんな感じで、社会変革をやりきるためには思想という原動力が必要とされるわけです。
だから当時のロシアにも本当に色々な思想が広まっていて、
共産主義マルクス主義は当然のこととして、
ハンスラブ主義のような民族主義、人心思想、人神と書いて人心、
人神思想のような無神論、あるいはロシアメシアニズム、キリスト教的人道主義、
こういう思想がですね、群遊滑挙していました。
この状況が小説に落とし込まれているから、ドストエフスキーの小説は思想小説とも呼ばれています。
一旦ここで切ります。
登場人物がそれぞれ異なる思想を持っていながら、
お互いに対話をするという構造がシンフォニーのように見える、という話を次回詳しくしたいと思います。
次回に続きます。