ポリフォニーの概念
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
前回、登場人物がそれぞれ異なる思想を持っていながら、お互いに対話をするという構造がシンフォニーの見えるという特徴があるという話をちょろっとしました。
これはドストエフスキー批評の一番有名なのに、
ミハイル・バフチンという人の「ドストエフスキーの詩学」という本があって、そこに書いてあることです。
詩学というのは、詩、ポエトリーの詩に学ぶと書く詩学のことです。
バフチンは、ドストエフスキー作品の特徴として大きく二つを挙げていて、
ポリフォニー小説かつカーニバル文学であると言っています。
最初にポリフォニー、次にカーニバルという順番でこれの説明をします。
まずポリフォニー。
ポリフォニーのポリは複数という意味。
フォニーはシンフォニーのフォニーです。
だから複数のシンフォニーということで、
オーケストラや合唱のようだっていうことですね。
合唱って、ソプラノ・アルト・テノール・バスなんかがあるでしょ?
女子高音・女子低音・男子高音・男子低音のパートがあって、
それぞれ異なる音域の歌が重なり合うことでシンフォニーを奏でます。
ドステフスキー小説は、前回言ったように、
それぞれ異なる思想を持った人物たちがお互いに対話、ダイアログをし続けるという特徴があり、
これが合唱のようにソプラノ・アルト・テノール・バスがシンフォニーを奏でているのに非常によく似ている構造にあるとバフチンは言っています。
ドステフスキー以前、小説におけるダイアログ、対話というものはモノローグであったと言います。
モノローグは一人で演じる、一人で喋るという意味です。
モノラルのモノにダイアログのローグですね。
モノローグであるということは、
普通これまで一つの小説は一つの思想で構成されているということ、
つまり作者の思想を一つだけで構成されているのが普通であったという指摘です。
一方でドステフスキー小説には本当に複数の思想がそれぞれ同等の価値を持って置かれています。
同等と言っても作中で対話、あるいは論争になった時に勝つ思想、敗北する思想なんてもあるんだけど、
でもソプラノ・アルト・テノール・バスが重なり合うようになっています。
この辺もうちょっと詳しく言いますね。
内面的な対話と声の構造
小説の中で登場人物同士が対話をするということは、
呼びかけと応答という構造があるということになります。
これはすごく当たり前のことを言っています。
AさんがBさんに呼びかけて、BさんがAさんに応答するという、この繰り返しがダイアログですよね。
この呼びかけと応答の関係のうちに、この関係性のうちに、
人間の内なる声を開示していくというのが、ドステフスキー小説におけるダイアログなんだけど、
この人間の内なる声、ダイアログにおける声っていうのは、最低3つの声から構成されます。
すなわち、1人の人物のうちで分裂した2つの声と、彼に働きかける他者の声です。
例えば、罪と罰の主人公のラスコーリー・ニコフ君だったら、
ラスコーリー・ニコフ君の内部で発生する葛藤、葛藤により生じた分裂に伴う相反した2つの声っていうのがあって、
この葛藤した状態、2つの声がある状態のラスコーリー・ニコフ君に働きかける他者の声、
こうすると合わせて3つの声がある、最低でも3つの声があるというわけです。
人物の内面的な葛藤、内的な対話に対して、他のメインキャラクターの声が主人公の対話の中に入ってきて流入してきて、
それがさらに小説全体の大きな対話に発展していくというのが、ドストエフスキーのポリフォニー小説の構成原理です。
これが多声合唱、混声合唱のようだという分析がなされています。
さらに専門的なことを言えば、これは専門的だから全然覚えなくてもいいんだけど、
ドストエフスキー小説は4つの層、レイヤーに分かれていて、自伝的な層、物語の層、歴史の層、象徴の層があるっていう分析もあります。
これもやっぱりさっきのように混声合唱と同様の構造であり、4つのレイヤーが混ざり合うことで小説をポリフォニーにしているというわけです。
このようなポリフォニー構造が注目され、ドストエフスキーが世界一の文学であるってよく言われるのには理由があります。
それは人間の意識というものをつまびらかにしている、明らかにしているというふうに見られているからです。
人間の意識そのものというのは、複数の声によって成り立つ多性的なものじゃないですか。
そもそも人間の意識って、全くブレない強固な一つの意識があるというものではなく、むしろブレブレであるものです。
全然もう全く葛藤しない、内的な分裂がない人間というのは存在しないし、
自分の内面世界に他者の声を全く受け入れないという人も存在しません。
これを構造的に把握すると、さっき言ったみたいに、Aさんの内面には葛藤があって、
この内面的な対話というのがまずあって、この内的に分裂した二つの声がある中に、
他者の声が流入してきて、それがさらなる大きな対話に発展していくという、こういう構成原理にまとめられます。
この構成原理、この構造を文学小説という形式に落とし込んだことがすごい。
これがドストエフスキーがすごいすごいと言われる理由です。
切りがいいので一旦ここで切ります。次回に続きます。