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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
前回はクオリアの話をしました。
それでもしかしたら、AIもクオリアを用いるんじゃないかっていう問いを立ててみたんですけども
ちょっとそのあたりのそもそもの話をしますね。
そもそも心があるかどうかっていうのは
今のところ、科学的手法で観測する手段がないんですよ。
このあたりは、ウィトゲンシュタインっていう哲学者の
ブラックボックスのアナロジーを使うのが
わかりやすいんじゃないのかなと思うので、引き合いに出すんですけど
心とか意識っていうのは、自分の頭の中っていう、いわば箱の中にあるものですよね。
で、この箱の中っていうのが他者からは見えないんです。
これは当たり前のことではありますけども
頭の中だったり心の中っていうのは、他人からはどうやっても見ることができない。
この頭の中、あるいは心の中で起こっていることっていうのは
これはいわゆる主観と呼ばれているやつですね。
主観っていうブラックボックスの中を見ることができるのは自分だけです。
他者からは原理的に見ることができないからこそ主観と呼ぶわけですけども
この主観っていうのは科学的な観測をすることができません。
そもそも科学っていうのは客観的な観察に基づくものですから
主観を客観的に観察するっていうのが、これが矛盾してるんですよ。
客観的な科学が主観を主観として扱うっていうことは、これは原理的にできないことです。
だから科学的アプローチでは心そのものを扱うということはできません。
この辺のことはマルクス・ガブリエルっていう哲学者が詳しく分析をしています。
したがってAIに心があるのかを直接調べるっていうことは、これは原理的に不可能ではあるわけですけど
でもね、間接的に調べることはできるかもしれないです。
つまりクオリアがあれば心もあるというふうには言えそうですから
このクオリアがどこから発生してくるのか分析していこうっていう
こういった間接的なアプローチ方法が、この問題に対するベストではないけどベターな事前策なのだと思います。
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しかしながら、クオリアがどこから来てるのかっていうのは本当に何も分かってないですから
もっかく研究中のテーマで、いろんな最もらしい説だったりとか、とんでもっぽい説とか、いろいろな仮説があります。
例えばクオリアっていうのは実は脳みそに由来するものじゃなくて、大腸とか小腸とかの腸に由来するものではないのかとか
あれが無意識のすっごい深いところから来てるんじゃないかとか
あとは4次元とか5次元みたいな別のところから来てる的な仮説もあり得るわけです。
あとは、全てのものには実は心があるんですけど、でも人間の心が最も複雑かつ精密で
動物や植物っていうのはもっと曖昧でぼんやりした心しかないんだ。
だけど心っていうものそのものは全てのものが持ってるんだっていうこういう考え方もあって
こういった立場のことは反進論っていう風に言います。
その中で個人的に面白くって好きなのが
生物の本質は脳ではなくて大腸とか小腸の腸であるっていう説ですね。
これすごく面白い考えで
全ての生物っていうのは基本的に腸がありますし
受精卵とかも成長するときは脳よりも先に腸が形成されます。
あと報酬系であるセロトニンとかの物質は腸から来るし
原始的な生物とかを見ると腸しかないような生物がいるじゃないですか
ミミズとか
ミミズみたいなああいうまるで腸みたいな生物がいるのを見ればわかるように
あれが原始的な生命生物の本質で
手足とか脳っていうのは有利になるために後からついた
おまけなんだっていう考え方
だから感情とかクオリアも腸から来ているのではっていう説
これすごく身も負担もなくて
個人的には好きですね。
というわけでAIが内面世界を用いるかっていうテーマをめぐる論点には
そのようなものがありますという話でした
というわけでこのAIのテーマについては以上です
また次回もよろしくお願いします