アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、朝日新聞文化事業部の竹部翔馬さん、礒井俊輔さんをゲストにトークを続けていきたいと思います。
はい、ということで前半お疲れ様でございました。
お疲れ様です。
後半もよろしくお願いします。
やっぱ竹部さんと仲がいいから、休憩時間にいっぱい喋りすぎて、今疲れたところからスタートしてるもんですね。
ちょっともう息切れしてる。
ギア入れてね、ここからいきたいと思います。
さあ、これは皆さんに聞いている質問なんですが、いつから美術に興味を持っていましたか?ということでそれぞれ聞いていきたいですが、竹部さんはどうなんですか?
そうですね、小さい頃に絵描くのはずっと好きで、高校生の時も美術のクラスを取ってたり授業を取ってたりとかしていて、選択肢だったりとかしていて、
結局その道を、道をというか美術への興味を捨てきれず、大学は一度普通の大学に行くんですけど、大学院で美大を受験しようと思って、
2年間結局美大に通って、
それはプレイヤーとしてということですか?
そうですね、作る側としていたんですけど、結局自分は作り手よりも、自分の周りにいる制作をしている人、それは先輩も後輩も含めて、
みんなそれぞれ自分なりの問題意識というか、社会にしたいという思いもある人もいればなく、自分の内から出てくるものを表現したい人もたくさんいて、
話を聞いているとどれもいいなというか、自分では決して作れない表現だけども、みんな話を聞いているとすごいいいなと思って、
そういう表現する人の作品というか、その表現の場をできるだけ多くこの社会に世の中に生み出していける、そんな仕事をしたいなってその時思ったんですよね。
という時にたまたま見に行った展覧会のクレジットに新聞社の名前があって、新聞社このことやってるんだって言って応募したのがきっかけでね。
普通だったら美術館とかギャラリーで描きたいとかじゃなくて、その新聞社の名前がいい。
でも美術館というのは学芸員みたいな仕事も一時興味を持っておいたんですけど、やっぱりネトネコ専門性も必要だし、狭きもので、かつ研究者ですから皆さん。
自分の照明に合ってるのは、もう少しいろんな展覧会を作るジャンルにとらわれずにいろんな展覧会を作るみたいな。
結果入ったからいいですけど、その新聞社の面接の時に普通は新聞記者になりたい人が入る。
その入社志望の時には展覧会やりたいですと入ったの?
朝日新聞に関して言うと、まず記者職の採用とそれ以外の営業の人間というか、そもそも入り口が違うんです。
記者は記者で専門職なので、そっちの入り口の採用があって、そうじゃない方の採用があって、
そっちの方は確かに入社して、人事命令が下って配属が決まるまで、自分がどの部署に行くかはわからない。
っていうのが、私が入社した時の採用の形態で。
一時はもう完全な部門別の採用になった時期もあったみたいですけど、また元に戻ってるって聞いてますね。
今このラジオを聞いてて、私もそういう仕事をやりたいと思って、展覧会事業部に入りたいと思って、朝日新聞の門を叩いても必ずしもなれるとは限らない。
約束はできない、確約はできないだと思うんですけど、僕みたいに大学院で美大に行った人間を取っておいて、これ以外の仕事できんの?みたいな思われたような気がしていて。
でも最初から展覧会事業?
大きい部署でいうと、そうですね、長い事業もあるようなところに入ったからで、最初は1年半くらいちょっとその違う仕事をしてたんですけど、2年目くらいの時に移動して展覧会事業。
下手したら営業部に出した可能性もある?
可能性はありますね。
入ったからといって、絶対できるとは限らない。
採用面接の時に。
言ったことは言ったんですか?展覧会や。
言いました、言いました。でも面接官はいろんな部門の人間が座っているので、あんまり展覧会、展覧会とか言ってるとあんまり心情が良くないみたいな噂も聞いたりして。
でも仕方ないんで、展覧会は好きでみたいな噂を話してたら、全然違う部署のおじさんが、「営業って何だと思う?」みたいな。
わからなくて、笑顔ですかねみたいな。
そしたら撮っちゃって。
でも営業には行かなかった。
それはダメだろうって。
質問の良い答えだなと思ったけど、その人には誘わなかった。
笑顔じゃねえぞって思った。
もっと大事なものがあったと思った。
それもわからなくて。
でも結果好きなところに行けて良かったね。
その意味ではすごく幸運ですね。ありがたいことに。
そうですね。
磯井さんはいつから美術の教科?
磯井 私はそれでいうと美術の完全な素人で、この部に入ってから慌てて美術検定で美術の勉強をし始めたような。
それまで美術館に行ったりとかも?
磯井 うっすら興味はあって、文学部だったので周りの友達にアートに興味がある人もいたし、
磯井 学部生で一般教育として美術の授業とか受けてたりはしたんですけど、
磯井 自分作る方も全然不器用でできないし、知識も体系的には持っていなくて、
磯井 入社して、皆さんの知識レベルと語学レベルに驚きながら美術検定を勉強して、今に至ってます。
でも朝日新聞に入ろうと思った時には県南海事業部に入りたいのはなかった?
磯井 そう、それを希望して入って、実はまさにさっきも話があったんですけど、
磯井 僕、新聞記者とすごい迷って、最終的に就職活動する中で事業部っていうのがあるってことを知って、
磯井 面接受けて入りたいですって言って入った経緯があって、
そのきっかけになる、県南海やりたいと思うきっかけになったことは何だったの?
磯井 そう、文化とかスポーツにものすごく興味があって、そういうことを仕事にしたいです、
磯井 それを自分でも知りながら世の中にも発信していきたいです、みたいなことを面接で見てたんですけど、
磯井 その中で文化事業部に応募円があって入れていただいたっていうところですね。
そこから勉強、じゃあ結構独学でってことですか?
磯井 そうですね、ちょうど入社してすぐコロナだったので、時間もあったりして、
磯井 やっぱり知れば作品に対する改造度とかいろいろ上がってくるところもあって、そこにはまっていった感じはありますね。
それぞれが自分はこの仕事向いてるなって思うところはどこですか?
こういうところ、これからやりたい人もいると思うけど、こういう性質は必要だよ、みたいなのがあるんですか?
磯井 性質で言うと、鈍感であること。
あんまり本当に多くの人とお仕事をして、適当に手の中で作り上げていく、中身を作るプロがいたり、
考えるデザイナーさんとか印刷会社さんの人とか含めてプロがいて、グッズを作るプロがいて、サムネを運ぶプロがいて、会場を作るプロがいて、いろんなプロフェッショナルの人と一緒に仕事をする。
それぞれに思いがみんなあるから、こうしたいとか、こういうものを作りたいってあるじゃないですか。
それらを全部一つずつ聞いていると、やっぱりどこかで必ずパッピングするから、どこかで交通整理してあげなきゃいけなくて、
僕らは良かれと思ってやっていても、それって誰かにとっては不利益になってしまうこととかでもあるので、
そういう声に全部一つ一つに真面目に聞いていると、やっぱりつぶつかっちゃうというか、ある程度鈍感にいられることが意外と大事。
長く続けるという意味ではない。大事な素質なのかなという気がしますね。
よく、美術の知識って必要なんですか?語学力って必要なんですか?って聞かれることを学生さんからもあるんですけど、
そういうテクニック的なものは、むしろうちの会社では全く必要としていなくて、
逆にどれだけ専門性があったとしても、さっき前編でも話したように、すごいいろんなジャンルの展覧会やるから、
ある展覧会ではすごい強みかもしれないけど、全然展覧会変わると、全く一から二から勉強する必要があるので、
そういう意味では、どの展覧会を担当したとしても、一から勉強して、
一緒に作家さんになったりとか、美術館の人と同じ熱量で仕事できるかみたいな、そういうことのほうが大事な気がしますね。
それさ、もっと音感のほうだなって思いますね。
そうですね。実は僕、真逆のこと言おうと思っていて、
人の話を聞くの、僕すごく好きで、それが得意ってわけじゃないけど、
なんか素朴に感動もできたりするのが、今役立ってるなと思うんですけど、
やっぱり本当にたくさんの人に会う、かつ学芸人さんだったり、大学の先生だったり、
話を聞くだけでそれだけで楽しい、みたいな人にすごい会えるのがこの仕事のいいところで、
それを結局間に入って調整する仕事も多いので大変なんですけど、
なんか今のところモチベーションを持って続けてられるのは、
その話が素朴に面白い、興味深いし勉強になるから、
間に入ってお互いにとって一番いい形で着地させるための方法を考える、
みたいなことが続けられているかなと思います。
でも磯井さん、話で前後しちゃって申し訳ないんですけど、
入ってみて僕は知識ないなってないけど、勉強されてきたじゃないですか。
でも最初に紹介された時に日本美術のプロだみたいな、
どうやって日本美術に行ったの?
いろんなジャンルが選べたはずなのに、
自分の中で日本美術と向いている何だった?
僕大学京都だったんですけど、生まれも京都で、
神社仏閣が身近にある環境で育った中で、
時々は学生時代からも含めて行っていて、
興味もあって美しいと思っていた。
あと、やっぱり日本にたまたま生まれたから、
せっかくなら死ぬまでに日本のことを知りたいなっていう思いが、
仕事に限らずずっとあって、
そういう背景もあって、
大阪で2年間働かせていただいたことも経緯として分かりました。
大阪にいたっていうのはすごい大きくて、
やっぱり関西の方が神社仏閣とのつながりというか、
非常に強硬なので、東京よりも。
そこの大阪にいた時代に、
そういった興味関心の素地があったところから、
具体的に実際にお手屋さんに行ってとか、
そこで作品の交渉をしてみたいなことを、
ずっと先般についてやっていたので、
僕はそういう経験が実はないので、
ずっと東京にいるので、
この見た目の違いからも分かるように、
われわれの、
ちゃんと見た目が異なるじゃないですか。
ジャケット着て、肩や、みたいな。
山こもりしてきたのかみたいな、
ちょっとたまたま逃げたらなっちゃってて。
そういうところもね。
そうだ、その違いがね。
違いもあります。
今更だけだと、
竹部さんと俺の知り合い、きっかけがさ、
7年前だった、前半に言ったけど、
最初はあれなんですよね。
芸術新庁の僕が取材で申し込んだのがきっかけなんですよ。
そうでしたね。
それが、
芸術新庁のミュージアムのキャラクターについての会だったのかな。
それについて記事を書くみたいな。
で、僕が、
ミュージアムキャラクターはいろんなのいるじゃないですか。
で、
芸術新庁の方と打ち合わせしている時に、
実は僕がどうしても気になっている美術館にキャラクターがいるんですっていうね、
話をして。
それが太郎という、
カタカナの太郎で夫の太郎というのがいる。
で、これがすごい気になる。