1. そろそろ美術の話を...
  2. #124 アート界のインフルエン..
2025-01-24 55:17

#124 アート界のインフルエンサー・タラ夫について(朝日新聞社メディア事業本部文化事業1部 竹部翔馬、礒井俊輔)

朝日新聞社で展覧会事業に携わるお二人をゲストに、美術を好きになったきっかけや、アート界のインフルエンサー・タラ夫についてお聞きしました。 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/12⁠4⁠⁠  番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。

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Guest Profile

竹部翔馬(たけべ・しょうま)

- 朝日新聞社メディア事業本部文化事業1部員

礒井俊輔(いそい・しゅんすけ) - 朝日新聞社メディア事業本部文化事業1部員

Show Notes

朝日新聞について

タラ夫の話題

空也上人の話

美術展の企画の話題

ミロ展について

サマリー

アート界での影響力を持つタラ夫の活動が取り上げられ、朝日新聞文化事業部の竹部翔馬さんと礒井俊輔さんが自身の美術への関わりについて語ります。美術の素養や経験を通じて、アートを社会に広める方法について考察がなされます。タラ夫はボーイマンス美術館展にて生まれたキャラクターであり、彼の活動は展覧会を超えて多くの人々に愛されています。バベルの塔をテーマにした展覧会でのユニークな試みや、SNSを通じた情報発信が注目を集めています。今回のエピソードでは、タラ夫の広報戦略や展覧会の成功事例が紹介され、彼が関与した作品やイベントがどのように特別な体験をもたらしたのかについても考察されます。アート界のインフルエンサーであるタラ夫の活動と、美術館の入場料や展覧会に関する考え方について語られ、グッズ収入の向上や美術館の役割についても論じられています。また、2025年に予定されているミロの展覧会についても触れられ、特にミロ展の詳細や前売り券情報が紹介されて大きな期待が寄せられています。

竹部翔馬のアートへの興味
アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、朝日新聞文化事業部の竹部翔馬さん、礒井俊輔さんをゲストにトークを続けていきたいと思います。
はい、ということで前半お疲れ様でございました。
お疲れ様です。
後半もよろしくお願いします。
やっぱ竹部さんと仲がいいから、休憩時間にいっぱい喋りすぎて、今疲れたところからスタートしてるもんですね。
ちょっともう息切れしてる。
ギア入れてね、ここからいきたいと思います。
さあ、これは皆さんに聞いている質問なんですが、いつから美術に興味を持っていましたか?ということでそれぞれ聞いていきたいですが、竹部さんはどうなんですか?
そうですね、小さい頃に絵描くのはずっと好きで、高校生の時も美術のクラスを取ってたり授業を取ってたりとかしていて、選択肢だったりとかしていて、
結局その道を、道をというか美術への興味を捨てきれず、大学は一度普通の大学に行くんですけど、大学院で美大を受験しようと思って、
2年間結局美大に通って、
それはプレイヤーとしてということですか?
そうですね、作る側としていたんですけど、結局自分は作り手よりも、自分の周りにいる制作をしている人、それは先輩も後輩も含めて、
みんなそれぞれ自分なりの問題意識というか、社会にしたいという思いもある人もいればなく、自分の内から出てくるものを表現したい人もたくさんいて、
話を聞いているとどれもいいなというか、自分では決して作れない表現だけども、みんな話を聞いているとすごいいいなと思って、
そういう表現する人の作品というか、その表現の場をできるだけ多くこの社会に世の中に生み出していける、そんな仕事をしたいなってその時思ったんですよね。
という時にたまたま見に行った展覧会のクレジットに新聞社の名前があって、新聞社このことやってるんだって言って応募したのがきっかけでね。
普通だったら美術館とかギャラリーで描きたいとかじゃなくて、その新聞社の名前がいい。
でも美術館というのは学芸員みたいな仕事も一時興味を持っておいたんですけど、やっぱりネトネコ専門性も必要だし、狭きもので、かつ研究者ですから皆さん。
自分の照明に合ってるのは、もう少しいろんな展覧会を作るジャンルにとらわれずにいろんな展覧会を作るみたいな。
結果入ったからいいですけど、その新聞社の面接の時に普通は新聞記者になりたい人が入る。
その入社志望の時には展覧会やりたいですと入ったの?
朝日新聞に関して言うと、まず記者職の採用とそれ以外の営業の人間というか、そもそも入り口が違うんです。
記者は記者で専門職なので、そっちの入り口の採用があって、そうじゃない方の採用があって、
そっちの方は確かに入社して、人事命令が下って配属が決まるまで、自分がどの部署に行くかはわからない。
っていうのが、私が入社した時の採用の形態で。
一時はもう完全な部門別の採用になった時期もあったみたいですけど、また元に戻ってるって聞いてますね。
今このラジオを聞いてて、私もそういう仕事をやりたいと思って、展覧会事業部に入りたいと思って、朝日新聞の門を叩いても必ずしもなれるとは限らない。
磯井俊輔の美術探求
約束はできない、確約はできないだと思うんですけど、僕みたいに大学院で美大に行った人間を取っておいて、これ以外の仕事できんの?みたいな思われたような気がしていて。
でも最初から展覧会事業?
大きい部署でいうと、そうですね、長い事業もあるようなところに入ったからで、最初は1年半くらいちょっとその違う仕事をしてたんですけど、2年目くらいの時に移動して展覧会事業。
下手したら営業部に出した可能性もある?
可能性はありますね。
入ったからといって、絶対できるとは限らない。
採用面接の時に。
言ったことは言ったんですか?展覧会や。
言いました、言いました。でも面接官はいろんな部門の人間が座っているので、あんまり展覧会、展覧会とか言ってるとあんまり心情が良くないみたいな噂も聞いたりして。
でも仕方ないんで、展覧会は好きでみたいな噂を話してたら、全然違う部署のおじさんが、「営業って何だと思う?」みたいな。
わからなくて、笑顔ですかねみたいな。
そしたら撮っちゃって。
でも営業には行かなかった。
それはダメだろうって。
質問の良い答えだなと思ったけど、その人には誘わなかった。
笑顔じゃねえぞって思った。
もっと大事なものがあったと思った。
それもわからなくて。
でも結果好きなところに行けて良かったね。
その意味ではすごく幸運ですね。ありがたいことに。
そうですね。
磯井さんはいつから美術の教科?
磯井 私はそれでいうと美術の完全な素人で、この部に入ってから慌てて美術検定で美術の勉強をし始めたような。
それまで美術館に行ったりとかも?
磯井 うっすら興味はあって、文学部だったので周りの友達にアートに興味がある人もいたし、
磯井 学部生で一般教育として美術の授業とか受けてたりはしたんですけど、
磯井 自分作る方も全然不器用でできないし、知識も体系的には持っていなくて、
磯井 入社して、皆さんの知識レベルと語学レベルに驚きながら美術検定を勉強して、今に至ってます。
でも朝日新聞に入ろうと思った時には県南海事業部に入りたいのはなかった?
磯井 そう、それを希望して入って、実はまさにさっきも話があったんですけど、
磯井 僕、新聞記者とすごい迷って、最終的に就職活動する中で事業部っていうのがあるってことを知って、
磯井 面接受けて入りたいですって言って入った経緯があって、
そのきっかけになる、県南海やりたいと思うきっかけになったことは何だったの?
磯井 そう、文化とかスポーツにものすごく興味があって、そういうことを仕事にしたいです、
磯井 それを自分でも知りながら世の中にも発信していきたいです、みたいなことを面接で見てたんですけど、
磯井 その中で文化事業部に応募円があって入れていただいたっていうところですね。
そこから勉強、じゃあ結構独学でってことですか?
磯井 そうですね、ちょうど入社してすぐコロナだったので、時間もあったりして、
磯井 やっぱり知れば作品に対する改造度とかいろいろ上がってくるところもあって、そこにはまっていった感じはありますね。
それぞれが自分はこの仕事向いてるなって思うところはどこですか?
日本美術への関心
こういうところ、これからやりたい人もいると思うけど、こういう性質は必要だよ、みたいなのがあるんですか?
磯井 性質で言うと、鈍感であること。
あんまり本当に多くの人とお仕事をして、適当に手の中で作り上げていく、中身を作るプロがいたり、
考えるデザイナーさんとか印刷会社さんの人とか含めてプロがいて、グッズを作るプロがいて、サムネを運ぶプロがいて、会場を作るプロがいて、いろんなプロフェッショナルの人と一緒に仕事をする。
それぞれに思いがみんなあるから、こうしたいとか、こういうものを作りたいってあるじゃないですか。
それらを全部一つずつ聞いていると、やっぱりどこかで必ずパッピングするから、どこかで交通整理してあげなきゃいけなくて、
僕らは良かれと思ってやっていても、それって誰かにとっては不利益になってしまうこととかでもあるので、
そういう声に全部一つ一つに真面目に聞いていると、やっぱりつぶつかっちゃうというか、ある程度鈍感にいられることが意外と大事。
長く続けるという意味ではない。大事な素質なのかなという気がしますね。
よく、美術の知識って必要なんですか?語学力って必要なんですか?って聞かれることを学生さんからもあるんですけど、
そういうテクニック的なものは、むしろうちの会社では全く必要としていなくて、
逆にどれだけ専門性があったとしても、さっき前編でも話したように、すごいいろんなジャンルの展覧会やるから、
ある展覧会ではすごい強みかもしれないけど、全然展覧会変わると、全く一から二から勉強する必要があるので、
そういう意味では、どの展覧会を担当したとしても、一から勉強して、
一緒に作家さんになったりとか、美術館の人と同じ熱量で仕事できるかみたいな、そういうことのほうが大事な気がしますね。
それさ、もっと音感のほうだなって思いますね。
そうですね。実は僕、真逆のこと言おうと思っていて、
人の話を聞くの、僕すごく好きで、それが得意ってわけじゃないけど、
なんか素朴に感動もできたりするのが、今役立ってるなと思うんですけど、
やっぱり本当にたくさんの人に会う、かつ学芸人さんだったり、大学の先生だったり、
話を聞くだけでそれだけで楽しい、みたいな人にすごい会えるのがこの仕事のいいところで、
それを結局間に入って調整する仕事も多いので大変なんですけど、
なんか今のところモチベーションを持って続けてられるのは、
その話が素朴に面白い、興味深いし勉強になるから、
間に入ってお互いにとって一番いい形で着地させるための方法を考える、
みたいなことが続けられているかなと思います。
でも磯井さん、話で前後しちゃって申し訳ないんですけど、
入ってみて僕は知識ないなってないけど、勉強されてきたじゃないですか。
でも最初に紹介された時に日本美術のプロだみたいな、
どうやって日本美術に行ったの?
いろんなジャンルが選べたはずなのに、
自分の中で日本美術と向いている何だった?
僕大学京都だったんですけど、生まれも京都で、
神社仏閣が身近にある環境で育った中で、
時々は学生時代からも含めて行っていて、
興味もあって美しいと思っていた。
あと、やっぱり日本にたまたま生まれたから、
せっかくなら死ぬまでに日本のことを知りたいなっていう思いが、
仕事に限らずずっとあって、
そういう背景もあって、
大阪で2年間働かせていただいたことも経緯として分かりました。
大阪にいたっていうのはすごい大きくて、
やっぱり関西の方が神社仏閣とのつながりというか、
非常に強硬なので、東京よりも。
そこの大阪にいた時代に、
そういった興味関心の素地があったところから、
具体的に実際にお手屋さんに行ってとか、
そこで作品の交渉をしてみたいなことを、
ずっと先般についてやっていたので、
僕はそういう経験が実はないので、
ずっと東京にいるので、
この見た目の違いからも分かるように、
われわれの、
ちゃんと見た目が異なるじゃないですか。
ジャケット着て、肩や、みたいな。
山こもりしてきたのかみたいな、
ちょっとたまたま逃げたらなっちゃってて。
そういうところもね。
そうだ、その違いがね。
違いもあります。
今更だけだと、
竹部さんと俺の知り合い、きっかけがさ、
7年前だった、前半に言ったけど、
最初はあれなんですよね。
芸術新庁の僕が取材で申し込んだのがきっかけなんですよ。
そうでしたね。
それが、
芸術新庁のミュージアムのキャラクターについての会だったのかな。
それについて記事を書くみたいな。
で、僕が、
ミュージアムキャラクターはいろんなのいるじゃないですか。
で、
芸術新庁の方と打ち合わせしている時に、
実は僕がどうしても気になっている美術館にキャラクターがいるんですっていうね、
話をして。
それが太郎という、
カタカナの太郎で夫の太郎というのがいる。
で、これがすごい気になる。
タラ夫の誕生
芸術新庁の皆さんはポカンとしてた。
何それが。
誰が誰が。
いやいや、今すごいんですよ、みたいな。
X状で、みたいな。
当時ね、そうでした。
当時ツイッターですか?
ツイッターのキャラクター。
で、ボーイマンス美術館展。
バベルの塔の時に生まれたキャラクターで、
フォロワーがすごく多くて、
しかも、
興味を持っていたのは、
その展覧会期間中に、
そのミュージアムキャラクターとはまた別に、
展覧会キャラクターみたいなのが、
ツイッター上でいろいろとやりますみたいなのがあるけども、
展覧会終わっても、
この太郎はなんかしないけど、
情報を発信し続けてた。
しかも、
バベルの塔じゃないことまで発信し始めてて、
これは何なんだ、これ。
これはとんでもない。
変な人がいるに違いないと思って。
で、朝日新聞にちょっと許可取ってくださいって言って、
芸術新庁経由で許可取ってもらって、
その時朝日新聞だって知ってたんですか?
だって太郎のキャラクターが、
多分そうそう。
そっかそっか。
それで、
海の親に会いに行くって。
会ったのがきっかけ。
そっか、それが始めましたね。
始めましたね。
そうですね。
確かに確かに。
あのキャラクターは何で生まれたんですか?
当時、
ちょっとなんかこう、
ゆるキャラブームの成熟期で、
展覧会企画っていうのをやる時に、
キャラクター作るみたいなのが、
ちょっと流行ってた時期があったんですよね。
っていう、
そういう時期があって、
ボイマンス美術館展をやった時に、
タイトルのように、
ブリューゲルのバベルの塔っていうのが、
一番メインピースだったんですけども、
一応ストーリーとしては、
それに至るまでに、
ブリューゲルという画家が、
どういう即席キャリアを積んできたのかっていう、
その中、
あるひと時、
重要なひと時に、
ちょうどその印刷文化という技術が、
発達した時代もあって、
一気にその版画っていうのが、
世の中に広まっていた時代だった、
当時。
で、そのこう、
版画って文業なので、
で、
下絵を描く仕事っていうので、
ブリューゲルってすごく一躍有名になったんですね、
当時。
で、そこでこう描いてた、
ブリューゲルが描いてた、
版画、
下絵が、
なんかすごくこう、
モンスターというか、
異形の生き物たちがバンとする世界観。
で、
それは原理をたどると、
ヒエロ・リムス・ゴッシュっていう、
またさらにその前の世代の画家がいるわけなんですけども、
その辺りも含めて、
展示の中では、手中では説明して、
紹介していたんですけども、
そのブリューゲルが生み出した版画の数々っていうのが、
非常にユニークで独創的で、
今の現代の我々が見ても、
ちょっとクスッと笑える、
ある種のゆるキャラというか、
肝カワン的な要素を兼ね備えた、
モンスターたちがいっぱい描かれていて、
で、これは、
絶対ウケるよねって話を当時知ったんですよね。
もうチームでも?
そうそうそうそう。
で、
なんかこう、
でも決してメインピースではないから、
そうだね。
それをメインビジュアルに据えるような、
そもそもそういう内容の手中ではないっていうので、
でもどうにかこれを活かして、
SNSで活用したいって言って、
そこに描かれていた、
足の生えた魚をデフォルメして、
生まれたのがタラオっていうキャラ。
今でもね、
タラオ活躍してるけど、
今はちっちゃいじゃないですか。
展覧会のユニークな試み
あの当時着ぐるみだったよね。
最初はね、
割り箸に紙貼りつけて、
その絵を持って、
二次元のタラオを持って、
ちょうどオランダに出張とかも行って、
ボイマス美術館を訪ねますみたいな。
で、候補の一環として連れて行って、
一緒に写真撮ったの。
で、そのうちそれが、
まずぬいぐるみになって、
第二形態になって、
2.0があって、
ぬいぐるみがあるんですけども、
ぬいぐるみになり、
そっから、
第三形態として、
着ぐるみまで作ってしまった。
予算がついてる。
作るの高いでしょ、着ぐるみって。
そうですね。
いやいや、いい値段しました、やっぱり。
それと、
グリーティングみたいなのもやってましたね。
あの時結構ネットでもバズって、
で、タラオに会いに来る人もいっぱいいる。
それ目当てで、わざわざこうね、
足を運んでくださる方もいて、
バベルの塔店だったんで、
10日。
毎月10日、20日、30日の、
3回グリーティングやるっていう、
謎イベントを。
一旦何ができる、写真一緒に撮れるとか。
一緒に写真撮れる。
で、その展覧会場の入り口の横で、
タラオが、着ぐるみのタラオが、
ヒョコヒョコヒョコヒョコって出てきて、
で、なんかもう最終的には、
30人ぐらい列を。
もうAKBみたいな。
悪食いみたいな。
手がないからね、タラオ。
手がないんで、そうそうそう。
で、なんかこう横に一緒に立って、
ピースしたりとか、
してくださって、
もっと優しくて。
そうなんですよ。
いや、すごい。
それは、でも向こうの美術館の人は、
どういうリアクション?
ふざけるな、うちの館のもの、
なんないの?
そこは、幸いすごい理解のある、
美術館だったっていうのが、
良かった話なんですけども。
当時、バベル展では、
タラオは一つの、
ネタとしてあって、
他にも、それこそ漫画家の大友克洋さんと、
コラージュアーティストの河村豊介さんが、
バベルの中を想像して描くみたいな。
あったあった。
細蜜画の、
プロジェクトをやったりとか、
あと、東大のレゴ部に、
レゴでバベルの塔を作ってもらう、
っていうことをやったりとか、
いろんなバベルの塔にちなんで、
いろんな企画をやったんで、
東京タワー、
塔をつながりで、
東京タワーと、
有効条約結びますみたいな。
意味わかんないじゃん。
いろんなことをやってたうちの人、
全部を、
その美術館に、
ボーイマンズ美術館に、
こんなことをやってます。
って言ったら、
日本の企画展はクレイジーだ。
そうだね。
でも、
結果、作品が全部、
ボーイマンズ美術館から借用してきて、
それをお返ししたら、
日本での、
バベル展の受容のされ方って言って、
向こうでもう一回、
展覧会やられたんですよ。
来てみたんですよ。
外戦展みたいな感じで、
コレクション展なんですけど、
行ってしまえば。
なんですけど、
日本でどういうふうに、
バベルの塔が紹介されたか、
みたいな感じで、
東大レゴ部のレゴを運んだりとか、
大友さんの作品を運んだりとかして、
こういうふうに、
日本のオーディエンスは、
彼らの大事な作品を楽しんでくれました。
その一環で、
太郎、着ぐるみの太郎も、
一緒に海を渡りますね。
内覧会の日には、
着ぐるみアクターの人が、
中入って、
グリーティングしてくれてて、
オランダ人めっちゃデカイから、
足がすっごい長い太郎が、
会場内を練り歩いてて、
スパイスみたいな。
ボーイマンズにあるってこと?
最終的に、
ボーイマンズの着ぐるみを、
タラ夫の影響力と未来
収蔵したいと言ってくれて、
こんな絵、迷惑ってありますか?
ボーイマンズって、
世界に先駆けて、
収蔵庫問題がある美術館で、
収蔵庫どうしようって、
今世の中の世界での美術館が言ってて、
開花式というか、
オープンにしたっていうのって、
先駆けだったでしょ?
その美術館が、
そんなデカい着ぐるみが欲しいって、
そっちの方がクレイジー。
いろんな絵画が飾っているところに、
ダラムの着ぐるみをチンって。
それが収蔵庫問題だと、
最後決定題になってるんじゃない?
これをうち、
なんとかしなきゃみたくなった。
こんな着ぐるみまであるし。
当時、新しいデポって言われる、
一般にオープンにする、
保管庫なんだけど、
保管されている要素を公開している。
新しい建物をね。
作ってたんだ。
そうそう。
作ってたっていうのもあって。
そこに行くっていう話で、
喜んで。
確かに。
日本が生んだキャラクターが。
出世後いねえぞって。
確かに確かに。
日本が生まれる子なんて。
で、よかったよ。
よかったよかった。
話してたら、
1年後ぐらいにそこの担当者と、
久しぶりに来て、
元気にしてますかって言って。
話し切ったら、
やっぱ場所足りなくて捨てたって。
廃棄勝利ね。
それ一言言ってくださいよ。
引き取れんね。
返してもらえばね。
結構高かったんですよ。
言わないけど。
そうだね。
戻してもよかったぐらい。
僕らが最後、
自分の片腕もがれるような気持ちで。
でもやっぱり修造さんなら、
送り出したかったつもりが。
いつの間にかご覧になれば、
いらなかったみたいな。
すごい大問題になったね。
そうですね。
ニュースにならなかったね。
大阪の中を駐車場に作品置いてるだけで、
大問題になるのに、
作品が廃棄されても、
ぬいぐるみ廃棄されても、
ニュースにならなかったね。
やっぱりそういうことでしたね。
でもそういうのも大変よね。
そういうこともやるんだね。
一つの事業部の仕事ってやるグッズを作るだけ。
戦略みたいなものも大事になってくるからね。
そうですね。
でもタラオは今はどっちかというと、
もともとさっきも話したように、
いろんな人のいろんな表現、
面白いですよねっていう、
僕個人のスタンスもあるので、
その手の中朝日がやってるからとかに関わらず、
やっぱり美術館ってどうしても手の中にいて、
まだあまり行ったことない人にとっては、
どこか敷居が高いと思われがちな場所の一つだと思うんで、
タラ夫の影響力
それをなるべく敷居を下げてあげて、
こんな面白いものがあるよっていうのを知るきっかけになるといいなっていう思いで、
つぶやき続けているっていう。
だからトニーさんもコロナ禍中に、
アマビエって流行ったじゃないですか。
タラビエだ。
そっからタラビエさんっていうのを作って。
タラオチャンネルだっけ?
YouTubeで動画。
動画一緒に撮ってくださった。
撮りましたよ。何本かやりました。
何本かやりましたね。
新しい、なんだっけ?
ニューノーマル。
ニューノーマル時代の美術館商法みたいな。
手作り感あふれる。
ワンカットアニメみたいな。
なんでワンカップルしたんですかね。
撮りましたよね。
部下授業部の上司の方も一緒にいてくれて、
男3人でワンカット撮影をしつつ、
ナレーションも授業部の女性の方ってなかった?
そうそうそうそう。
中田大学時代にアンスブやってましたみたいな。
その人に。
よっぽどコロナで頭やられてたな、俺ら。
そうですね。
なんであんなことしてたんだろうね。
成功した展覧会とコラボレーション
何か会議室みたいなのを借り切ってやってた。
やってたやってた。
よかったね、皆さん見てください。
そうですね。いまだにまだ転がってるので。
YouTubeの海の中に。
そう。
この話の手振るのあれですけど、
磯井さんはこれまでこんなことやったなじゃないけど、
今までやった、
広報戦略でちょっと攻めたな。
これはやったったぜみたいなのがありますね。
でもやっぱり、
六原光三宮や承認の展覧会は、
まさにコロナが明けそうな時期だったんですけども、
口から生みた物のろくちゃんの怪物が出ているっていう点で、
ある種はわかりやすい造形をされていて、
やっぱり信仰の対象だから、
こう落としてどこまでやるべきかやっていいかっていうところがあったんですけど、
50色の方とかなり打ち合わせをして、
最終的にはアクリルスタンドまで作っちゃって、
それがかなり緊張しましたね。
アクリルスタンドっていうのがあって、
50色に今流行っているんですけど、みたいなことを言って。
でも、どこかでコラボやっているのは?
ひょっとすると、
展覧会が2022年にあって、
その翌年かな、
JR東海さんのソーダ京都に行こうに、
六原光三宮の空夜承認が表紙を飾る作品になったんですよ。
その時も結構攻めたことをやっていて、
東京駅の中に空夜承認のパネルを大量に。
あれは翌年だったんですか?
そうなんですよ。
JR東海さんが小野寺さんだったら、
ある種、面白いことができるっていうことを知ってくださって。
でも、そのきっかけはアクスターを作ったこと?
ドキドキ提案会はなかなか今でも覚えてますね。
僕がホーチ新聞で、
月一連載やらせてもらってた時の最終回が空夜承認。
そうなんですか。
小野寺さんという芸人さんと一緒に取材に行って撮影して、
全部撮り終わった後にゲラができて、
その時に、今日が最終回ですって言われた。
後出しだったって確かに。
最終回だったら、見本家さんがメインみたいな感じで全部やったから、
1年半続けてきた連載なのに、
俺最後主役じゃないのみたいなのが空夜承認ってなった。
すごい印象深いので、
2人で行って撮影させてもらって、
見本家さんが空夜承認好きなの。
モノマネもされてね、実際に。
だいぶ攻めた展覧会だったのも覚えてます。
それもやらせてくれたし。
基本的に仏装系ってなかなか新婚対象なので、
僕はNG食らうことが多い。
多いというか、
『名画たちの本音』っていう本。
この50点のアート作品を紹介する本だった。
あれ49しか収録されてないのは、
最後の最後で金剛力師像のステージが、
東大寺からNG食らう。
東大寺の仏像に漫才させる。
オードリーフの漫才をさせるっていうネタをやったら、
仏像に漫才をさせるとは何事かっていう。
ご怒りが。
そうですよ。
さらっと言ってるけど、
アックスター作るのも相当大変だったと思う。
多くの人に来てほしい、知ってほしいっていうね。
一方で新婚の対象であってっていうところは、
まさに安倍と言い方が新しいかわからないですけど。
結果的に展覧会に多くの人が来てくださって、
大寺さんも五十足さんも喜んでいただけて、
良かったのかなと思ってるんですけどね。
アート作品への愛と体験
そういうこともやっていかなきゃいけないね。
そうですね。
ちなみに二人は展覧会の、
もちろん自分の準備はしてるけど、
それ以外の他社がやる展覧会とかも見にはいくんですか?
そうです。
結構見て回る方ですか?
そうですね。
個人的には私、去年あんまり足を運びてないんですけども、
ただ一般的によく見に行って研究というか。
その見て回るときにどういう目線で見るんですか?
例えばこのキャプションの作り方うまいなとか、
わかんないけど像作とか見ちゃいます?
めっちゃ見ます。
作品が壁にどうやって止まってるんだろう?
裏側見ちゃったりとか、
壁紙触っちゃったりとか、
こういう紙紙かとか、
継ぎ目とか見てこれ上手だなとか、
一発の光の当たりフライティングとか、
結界の置かれ方とか見て、
結界って作品を保護するための大事なものだから、
ある程度目立たないといけないじゃないですか。
結界としてね。
つまずいっちゃったりとかすると危ない。
でも目立ちすぎると、
それはそれでやっぱりこう、
作品ファンションの邪魔になっちゃう時もあるから。
本当はやっぱり作品一番見てほしい。
そのなんかこう、
いい塩梅というか、
この結界なんかいいなとか、
本当に細かいところもあるし、
でもやっぱりなんか全体のストーリーとか見て、
確かに体験として良かったかとか、
自分だったらもっとこうしたらどうだったのかとか、
思っちゃう時もありますし、
でも逆にこんなに素晴らしいものを届けてくれてありがとうって、
思う時もありますし、
様々ですね。
一生さんもその感じ。
作り手の顔が、
例えば担当学芸員さんとかが、
ある種この業界に入ると分かると、
またそういう楽しみ方もできて、
すごいぶっきらぼうな学芸員さんだけど、
作家の言葉とか、
熱い言葉を壁に大きく張り出すタイプの方の展示とかを見ると、
やっぱり作家への愛を感じるなとか、
この学芸員さんがこういう展示にするんだとかっていう、
そういう楽しみ方も確かにできるようになって。
お互いがそれぞれの今まで、
これやられたなというか、
一番、自分がやった展覧会じゃなくて、
一番印象残ってる、
この展覧会は良かったなってなったら、
もう歴代で。
歴代でか。
やられたでもいいけど、
これ俺もやりたかったなでもいいし、
印象深いのなんかあります?
なんだろうな。
アサギ新聞内でもいいよ。
先輩がやった展覧会とかで。
自分の今までの。
これ難しい質問ですね。
なんでそっちのことを使ってるんだ。
そうだな。
なんか一個一個は、
どこかしら、やっぱりこれ良いなって、
持ち帰れる部分って絶対あって、
それは大きなところもあるけど、
小っちゃいところもあって、
次、このキャプションの作り方が上手いなとか、
このフォント良いなとか、
この語りかけが良いなとか、
あるんで。
一つ一つには感動してるんですけど、
人生揺さぶられるような、
ショッキングな、
あったような気がするけど。
一番最初に、
アサギ新聞に入ろうと思ったきっかけ、
アサギ新聞社って書いてあった展覧会は何だった?
それは大阪でやっていた、
草間弥生さんの展覧会と、
国立国際美術館でやっていた、
草間弥生さんの展覧会で、
そこのクレジット見て、
おーえーってなった。
それが読売新聞さんだったら、
読売新聞配信社かもしれないし、
分かんなくない?
でもそうですね。
そこにアサギって書いてあったから、
アサギだったってわけでは、
あんまりないんですけど。
だから、
すごいセキュラリーに言うと、
読売新聞さんも僕は受験は、
読売新聞を作らせてもらいましたし、
そういう感じですね。
そうなのか。
弥生さんはこれまで、
衝撃を受けたというか、
そう、なんか、
作家の作品で言うと、
この島王国って、
あー、専用格好館さんがね、
この番組にも野次さんが出ているし、
小石郎さん出てくる。
この島王国さんの展覧会は、
僕はずっとやりたいと思っているんですけど、
でも、
アサギ新聞の歴史の中で、
一番、
文化事業者たちの中で、
語り草になっている伝説の展覧会があるんですか?
先輩というか、
よく言われるのは、
1964年にやった
ミロのビーナス展。
あれそう!
翌年にやったツタンカーメン展というのがあって、
ミリいっぱい人が。
ツタンカーメン展は今、
展覧会の歴史の中で、
一番人数を
どのくらい?
モナリザと思いきや、
ツタンカーメンの上だったクラス。
3回以上やっているんですけど、
293万人が
登場していて。
とんでもない数。
当時の写真とか見ると、
どれだけあれかも、
何十人もあっていて。
あれは、東博に来たんでしたっけ?
ツタンカーメン展は、
東博だったと思います。
そのときは、
ツタンカーメンが動かせられれば、
また来るよね。
ツタンカーメンが来たら。
ミロのビーナス展は、
国立西洋美術館の中だったんですね。
すごいね。
出品点数、
彫刻1点以上。
1点だけですよ。
それですごい来たんです。
これは2回以上だったんですけども、
合わせて172万人。
すごいね。
そう。
写真は小さいんですけど、
当時の様子。
左側はミロのビーナス展の様子。
フェスみたいなことになってますね。
中央に立っているこのミロのビーナス像。
1点だけですよ。
ツタンカーメンも本当に同じ。
同じような感じ。
すごいよね。
すごいですよね。
伝説。
伝説だわ。
これは目標じゃないけど。
でも本当に何でもいい。
世の中のことを1回考えなくて、
何でも持ってこれるとしたら
タラ夫とアートの新しい形
何を持っていきたいですか?
いろんなしがらみとか一切関係なく、
何か1個持ってきていいよって言われたら。
なるほど。
持っていきたいものってありますか?
持っていきたいものか。
ここあんまないかもしれないですね。
あ、そう。
詳しいですね。
なんだろう。
でもやっぱり今
いろんな制約があるから
制約の中で
これが来てるんだっていう
ありがたみ。
逆にね。
例えばモナリザとか
絶対動かないと言われている
ツタンカーメンのマスクも含めて
動けますよみたいな。
なった途端、急に
ありがたみが減るような気がしていて。
なるほどね。
絶対動かないって
分かっているからこそ
動いた時の
正義というか
見に行かなきゃ
っていう感じもあるのかな
と思って。
だからなんか
なんでもいい
どんな条件でもいいですよって
言うよりも
今のこの置かれた新聞社の
しかも置かれた状況で
できること
の方がすごい今
パッと思っちゃいますね。
僕もその
具体的なものを思いつかなかったんですけど
絵としてはやっぱり
例えば
東博の本館の特別
語室って
大階段の後ろの
建築としても
素晴らしいところに
大きい作品を1点だけ
持ってくる。でそれが
壁画なのか
広告なのかはちょっとこれから
考えたいと思うんですけど。
昔それこそ2000年代にダビンチの
事態告知が1点だけそこに
来るってなんかやりましたね。
見に行きましたね。
ああいう感じのことだ。
それで1点でお客さんに
満足いただける
構成で
かつ入場料も払っていただいても
それでも
割安だと思ってもらえるような
演出をして
15分、10分
かもしれないけれど
満足して帰っていただけるみたいな展覧会できたら
かっこいいなって思いますね。
確かにね。ちょっと見てみたいさ。
入場料は
今2000円
越えは結構当たり前になってきたし
多分前ほど皆さんが
騒がなくなった
というかね。
今思うと
フェルメルテンなんて7点、8点
持ってきたのに2000円越えたら
多分2200円で確か
すごくやっぱり拒否反応が
起こったけど、今そうでもない
じゃないですか。
これは今後3000円とかになって
くだろうなってのはありますけども
今の
価格でいく感じですか?
どうでしょうね。
入場料金って
僕らだけで決められるものではないので
美術館さんとも
協議しなきゃいけないし
美術館単館だけではなくて
皆さん
どうですかっていうところもあるので
僕らだけでは
決められないですけど
例えば海外の企画展とか見てると
もっともっと高い
高いよね。
閉場店というか常設も高くなってきてるもんね
海外ではね。
例えばニューヨーク行って
中見ようと思うと
企画展だけで
それこそ20度とか
平気でしてくるとか
ヨーロッパも
同じですよね。
さらに図録とか
買おうとすると
一冊7、8千円とかする
ような
世界で
あそこまで日本の美術館
の美術展が
すぐ行くかっていうと
そんなことはないと思うんですけど
美術展
展覧会っていうのの
肩や一方で
誰にでも開かれた場としての
美術館という存在があり
でも他方で
本当にそういう風に
どんどん入場率高くなっていく
世界があって
バランス
なんだろうなって
思いますね。
でもそこに新聞社の理屈で
入場率が
先行して上がっていっちゃう
っていうのは
気持ちとしては
なるべくしないしかないなって
思いますね。
僕がこの仕事をやりながら
入場料と展覧会の経済
ずっと見てて思うのは
ここ最近は展覧会で上がったと言っても
数百円じゃないですか
多分その業度力なんだと思うけど
グッズの売れ行きは
多分肌感覚で見てると
上がってる気がするんですよ。
要するに質が高くなってるから
今までグッズで1万円超えなんて
そんなもん買うの?
って思われたのが
1万円超えることが
普通になってきたなと思うけど
それは意識的に
グッズには力を入れていこう
みたいなのはあったりするんですか?
ありますね。
なるべく付加価値として
展示を見た後に
思い出を持ち帰ってもらう場としてのミュージアムショップがあるとしたら
そこで用意するものを
なるべく
いいものというか
大切に持ち帰ってもらえるものを
思いますし
年々そっちに
力を入れて
売れ行きは上がってますか?
グッズ収入として
手の中によりますね
グッズに
なりやすい
しやすいものと
そうでないものって
あるので
展覧会によって
変わってはきますけど
でもどうだろう
グッズとしては
いいものを
作れてきているんじゃないかなと
思います
グッズの進化とアート
確かに
真面目な話を
ちなみに
話がガラッと変わりますけど
美術以外で好きなもの
手の中で見に行かれるということですけど
それ以外で何をしますか?
僕は
結婚して
子供もいるんですけども
どうしても
自分一人の時間を
取りづらいので
ストレス発散を
兼ねて
深夜に
一人で
ジムに行くっていうのが
一番リフレッシュ
家族が
沈まった夜中に
こそこそ家を抜け出して
24時間やってるジム
最近多いじゃないですか
ふぬふぬ
重りを持ち上げるっていうのが
良い体になりたいとか
もちろんそういう意識もありますけど
でもやっぱり
その日仕事でやった
こととかを思い返しながら
ふぬって
見せる場所はないじゃないですか
もちろんないですけど
自分の中の
人生
ふぬふぬしてます
それは趣味というかね
そうですね
長いんですかその歴は
趣味トレーニーなんで
だらだらと
こそこそと長く
やってるような感じですかね
アーティストさん
では聞かないけどギャラリストでは何人かいるよね
本当ですか
ベントゲンベルゲの
池内さん
フェイスブック繋がってる
よくバーベル上げてるよ
お近づきになりたい
ギャラリストさんは重いものを持ったりするだろうから
必要なのかな
機能的にも
アーティストであんまりいないけど
アーティストだと彫刻家の方だったら
特に石とかになってくると
力仕事だから
筋トレしてるというよりは
日々の制作で
筋肉
人多いですよね
マッチョチェンやればいい
マッチョチェンもね
体育
いろんな休憩室
の彫刻並べて
どこを鍛えたらこうなります
と合わせて紹介して
今の時代にそこまでそうな企画ですね
また
ジムと組んで
このトレーニングをしたら
こういう筋肉になるよっていう
そういうのを見せれば
しかもちゃんと機具も置いてあって
そこでできるわけ隣でも
これ見たくなりたいから
フヌフヌやれる
フヌフヌできる
それはいいかもしれない
そうですよね
ジムに持ち込めたらいいですよね
ジム出てるんだ
1点ね
昨日のビジネス1点持ってくる
ゴールドジム
企画書書いて
ビジネスチーム会で
一人はどうなんですか
趣味は
僕は最近はまってるのは
芸人さんの
ラジオとかポッドキャストを
ひたすら回して聞いていて
特に誰を聞く
雑食なんですけど
最近好きなのは
ヤーレンツさん
M1の影響を
受けてるんですけど
月一のオールナイトニッポン
にしているし
こんなに面白い人が
世の中にはたくさんいるんだ
それこそ深夜に
フヌフヌじゃなくてニコニコしながら
なんて文化的な回答なんだろう
でも
聞きながらフヌフヌはできますか
それも今思うと両立できちゃう
本当
ラジオとポッドキャストは面白いですね
テレビとは
違う一面
でもそれこそ
活かせると言ったら
音声ガイドに抜擢することもできますよね
芸人さんを
今後やってみたいのは
あるんですか
もし
この店の中には絶対この人だっていうのがいたら
音声ガイド
一緒に作ってくださる会社さんの人に提案して
実現できたら
嬉しい
いいですよね
最後に
興味本位で聞くんだけど
音声ガイドがあるじゃない
あれは選べる
会議には出る
今までに
自分が会いたいから選んだことってあるんですか
あの芸能人が
似合ってみたいからっていう理由で
選んでみたことってあると思うんです
ああ
あの芸能人が
個人的には
ないんですけども
でもやっぱり
周りを聞いてると
いますね
いなくもないですね
そういうこともある
そういうこともある
この仕事していると
もちろんそうやって
お仕事で関わらせてもらう方も
いれば
閉館後の
美術館にお忍びでいらっしゃる
有名な芸能人の方とかも
いらっしゃって
する機会も
たまに周りに
あるので
意外とそういう方々が
作品をコレクターだったり
することもあって
なんか
なんだろうやっぱり
表の顔からは
想像できないような
皆さんやっぱりアートへの
関心とか興味とか造形も含めて
終わりなんだなっていうのを
知ることはあって
その人と知り合っておけば
借りるかもしれないもんね
コレクターってことはね
そこまでいけると本当にいいですけどね
ミロ展はもう
音声ガイド決まってるんですか最後
口も含めて
ミロ展はどうなってますか
タラ夫の影響力
言っちゃっていいのかな
ちょうどプレスリリースを出そうと
しておりまして
当てる俺と竹部さんで
ヒント出してもらって
先に当てた方が勝ち
ヤーレンズ
ヤーレンズの小気味
漫才も見たかったんですけど
芸人さんではなくて
アーティスト
アーティスト
肩書きとして
カトリーシンゴさん
男性は正解
歌を歌う
歌う
ヒントにはならないですけど
最後に
これが決まったきっかけとして
ミロって
今年36歳になられる
方なんですよ
もっと言うと
ダンサーっていうのが
一番最初に来る
これでまたヒントにならない
ヒントを言うんですけど
今年36歳ミロ素晴らしい
お誕生日が3月6日でいらっしゃる
ミロの申し込み
どう考えてもその人
絶対その人じゃないですか
ご自身で絵も描かれて
文化的な
ダンサーとして
存じ上げていて
36歳のダンサーって誰
そんな有名な人いた
ダンサー?
ダンス
フォルダーファイブの
だった人
あれ言いがつかないか
これはそろそろ
正解なんですかね
LDHの
岩田孝典さん
ガンジャ
岩田さん
育ちが良い
今年の格付けチェックで
全問正解されていました
あらこれは
すごい
これなかなか
受けていただける
とてもありがたくて
声もいいですからね
ミロの申し子だ
ご存知だったんですか
お話をして
事務所のマネージャーさん
的な方にお話を
電話で入れた時にすぐ近くにいらっしゃったようで
わりとすぐに
お聞きをいただいたということだったので
おそらく
3月6日で探したんですか
これがね実は
音声ガイド会社さんが
候補として挙げてくださったので
我々は全く
思いついてなかったんですけど
しかも今年ってのが良かったね
36歳の
今は36歳なんですか
今年36歳になられるんです
だから3月6日に
もうこの人しかいないわ
今からミロの日どうしよう
と思って
いいことできないかな
イベントやるの
お忙しくいらっしゃるから
できるかこれから調整なんですけど
展示室の中とかに
展示をご覧いただいて
できれば
外面は太郎になっちゃった
捨てられたんですよ
古きづらい
じゃあ改めて最後
ミロ展の日付とかも含めて
お越しお願いいたします
ありがとうございます
2025年今年の3月1日から
ミロ展の詳細
7月6日まで
東京都美術館で
ミロ展開催させていただきます
ミロの90年の生涯を
初期から晩年まで
約100点の作品で
辿る大開講展で
国内でこの規模の
展覧会は約60年ぶりと
歌っております
いい時期ですので皆さん
回帰も長いので3月1日から
7月6日までぜひお越しいただけると
嬉しいです
1月15日からお得な
前売り券が販売しているということで
前売り券だと200円引きの
1100円で買えるそうですので
今のうちにぜひ皆さんチェック
していただければ公式サイトで
詳細と書いてありますのでチェックしていただければと思います
よろしくお願いします
ということで
長々とお付き合いいただきまして
どうもありがとうございます
どうでしたか収録は
普段
オフマイクで
言いたい放題喋ってるから
かしこまっちゃいましたね
酒も吐いてないしね
これは裏番組とかはないんですか
やろうと思えばやれますよ
次回ぜひそちらで
ぜひぜひ
楽しかったです
ありがとうございました
55:17

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