1. そろそろ美術の話を...
  2. #100 Out of the box. 新しい..
2024-02-03 54:27

#100 Out of the box. 新しいポーラ美術館へ(ポーラ美術館 学芸員 東海林 洋)

「モダンタイムスインパリ1925展」を担当したポーラ美術館 東海林学芸員をゲストに美術館と展示についてお聞きしました。 ⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/100⁠ 番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。

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Guest Profile

東海林 洋(しょうじ よう)

  • ポーラ美術館学芸員。1983年生まれ。2011年よりポーラ美術館に勤務。主な担当展覧会に「ルドン ひらかれた夢―幻想の世紀末から現代へ」、「シュルレアリスムと絵画:ダリ、エルンストと日本の『シュール』」など。

Show Notes

ポーラ美術館ついての話題

モダン・タイムス・イン・パリ1925についての話題

00:11
アートテラー・とにのそろそろ美術の話を、この番組は私、アートテラー・とにが、アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日はポーラ美術館学芸員、翔治洋さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
はい、ということでご出演いただきありがとうございます。
よろしくお願いします。
この番組4年目なんですけど、今日が記念すべき通常回100回目。
100回目。
100回目のゲスト。
記念すべき回にお招きいただきまして、本当にありがとうございます。
スペシャル回。
スペシャルなスペシャルな。
これまでだって、小林忠史さんとか、山崎大輔の患者とか、名残る人が出てきた中での100回目を担ってるから。
私でございます。
でも、よく考えたら、翔治さんとの関係性で言うと、僕が人生で初めて出たテレビ番組が、レディスポっていうテレ東の番組で、箱根特集みたいな。
が終わられて。
ポーラと岡田を、女優の加藤和子さんと回る。
僕が案内するみたいなところのポーラ美術館会は、翔治さんがアテンドしてくれてた。
加藤和子さんと、変わった鑑賞の仕方をするっていうね。
そうそう。
何だっけな、なんか振り返ってみるんでしたっけ。振り返ってみると面白いみたいな。
いや、なんかいい。
多分ルーアン大聖堂を、モネのルーアン大聖堂を、下から見上げるみたいな。
翔治さんがしゃがんで、下から見上げるといいですよみたいな。
思い出しました。
形を、ちょっとやっぱり新鮮な見方をしたいみたいな話をして、
正面から見るのもいいんですけれども、下から見上げるとまた違った光の見え方で見えますよっていう話をしたら、
みんなでなんか、加藤和子さんと、下からみんなで見上げるって謎の映像が撮れた。
謎の映像。
思い出しました。
あの時以来だから、もうだいぶ経ちますが。
だから、ポーラ行くと翔治さんと会えば喋ってみたいな感じで。
あと、アートツアーの中でポーラ美術館にお越しいただいたことも何個かあって。
あるある。
それで考えると、あれ?結構長いじゃん。長い。
だって翔治さんが担当したシュールレアリズム展の時に、
ゲストで。
ゲストで行った時もありましたね。
行っていただきまして。
お話しした対談形式で、シュールの笑いを分析するということで、本気で考えたんですよね。
真面目にやってほしいって言われて。
真面目にやることが、むしろシュールにつながるっていう。
そうそう。それで、真面目にやったんです。珍しく。
いつも笑い取りに行くんですけど、そうやってトニーさんが真面目にやることが、今回は面白い。
あえて笑いを取らずに、お笑いにおけるシュールについて、ちゃんと語ってほしいって言われて。
真面目にやったら、本当に笑いも当然起きないんですけど、何のフォローもしてくれない。
ただただ滑ってるような感じの、味わったことない空気をずっとやって終わった。
まさにシュールコントになった。
03:02
ここだけ話し長くなっちゃったあれなんだけど、あの時ちょっと一個イラっとしたことがあって。
初めて真面目にやるからって言って。
公式では目鏡になったことがないんですよ。普段目悪いけど。
だけどあの時、最初は多分普通に喋ってて、ここから真面目にやりました時に、目鏡にしたんですよ。人前で初めて。
なのにしょうじくんはなぜかその時、コンタクトにしてて。
普段は目鏡なのに、こっちがなんかブレちゃったというか。
あーなるほどね。
なんで君が目鏡で喋るの?みたいな感じになっちゃったのが、あれはちょっとすごい不満でした。
ツッコミ不在のままに、なんかズルズルいく。いいのかな?みたいな感じのね、そういうのがありましたけども。
いろんな印象派から、シュールやりすむから、いろんなものを一緒に見ていったようなこともありますよね、本当にトニーさんとは。
だからそういう意味では100回目で、ふさわしいって言った間だけど関係性があるからね。
今日はよろしくお願いします。
そしてポーラー美術館の回は今回から3回にわたってお届けするということで、
次の回にはヤバマダさんもいらっしゃる。今隣にはいらっしゃるんですけど、ヤバマダさんが出演するのは2回目からということになっておりますので、
またそれもみなさんお楽しみいただけたらと思います。ということで、ずっとしゃべっちゃったんですけど、改めて自己紹介してください。
ポーラー美術館という箱根の美術館で学芸員をしております。
松治洋と言います。ポーラー美術館は2011年から勤めていて、今開催している展覧会の話を中心に今日お話しさせていただければと思っています。
よろしくお願いします。
ポーラー美術館自体もこの番組で取り上げるのは初めてなので、改めてポーラー美術館ってどんな美術館なのかというところからですけど、開館はいつ頃?
開館は2002年の開館で、箱根の千石原小塚山跡地ですね。標高750mの場所に2002年に開館した美術館です。
箱根の自然と美術との共生というコンセプトに開館したんですけども、
箱根というのは温泉とか湖とかいろいろな見どころのある中でも自然度というのは高い言い方ですけど、
これまで人の開発があまり行われてこなかったエリアがその千石原の場所にあって、
その中で自然を楽しみながら美術も楽しんでもらいたいというコンセプトのもとに開館した美術館。
それがポーラー美術館という感じになります。
しかも美術館の建物も高く作れないですね。場所的に。
国立公園の中にありますので、景観、森の見た目を崩さないように建物を建てるのではなくて、森の中に埋まるように。
木の高さより低くということで8m以下に設計されている。
地上高ですね。
地上高のちょっと出ているのが8mだった。
06:02
1階部分と地下フロア3つ、あと4フロアが地下に埋まっているという形になります。
森の航空ドローンとかで撮るとちょっとした秘密ですね。
確かにですね。だからGoogleマップとかで見ればそれがちょっとわかりますよね。
航空機の写真で見ると十字の形をしているんです。丸い堀の中に十字の形をしていて、
何だこの不良な建物は?みたいな感じの航空写真。
行ったことある人はもうわかると思うんですけど、地下だと聞くと薄暗いイメージがあると思うんですよ。
上がガラス張りなので、すごい明るい印象ですよね。
上と壁もガラスなんですよ。
そっかそっか。
地下1階に入っても壁が明るい。
軽車丁を使っているので、壁と天井をガラスにするとオイストみたいな感じですよね。
なので、地下に入っても自然光で明るいというのがポラリスさんの特徴ですね。
それで思い出したけど、レディースホールの時に、印象派の味方みたいなのを教えてもらっただけじゃなくて、
自然と共存だから、ここは虫を殺さないんですみたいな。
反入口のところを取った覚えが。
そうですね。虫除けが。
虫を殺さないんです。
虫返しみたいなのがあって、虫を登ってくれないような作りになっているんですね。
いわゆるネズミ返し。
ネズミ返しみたいなのがあって、
トゥルッと滑るようになっているという小技がついているんですよ。
他の美術館にもついているのかなと思って。
美術館は美術館で虫を殺しますのね。
昔は結構、群青とか薬品で殺すという殺虫があったんですけど、
最近は、いかに入ってこないようにするかというIPMというんですけど、
この虫の侵入の経路を狭くしたりとか、
そこにトラップとかを敷かれたりということで、
減らすという方向を今やっているんですね。
なるほど。むやみに殺さないんですね。
むやみに、そう、摂取しないんですね。
あとはガス自体がちょっと良いものか悪いものか、
有効な薬剤がちょっと使えなくなったりとかっていう問題はちょっとあるんで、
ただ群青しているところも結構多いんですよね。
効果的なんで。
なんかそんなのやったら思いはしましょうかね。
つまりそのポーラ美術館は当然、あのポーラさんのポーラ、化粧品の。
その2002年開館した時に、もともとポーラの創業時期2代目の化粧品会社のポーラですね。
2代目のオーナーが持っていたコレクションを公開するという目的で作られているんですね。
そのコレクションはどういうコレクションになるんですか?特徴としては。
結構27歳ぐらいから集めて、20代の頃から集めていて、もう亡くなりになる前まで集められたんで、
結構長い40年近いコレクションで、最初の方は藤田とかだったらしいですよ。
藤田とかがある。
藤田とかがあって、書き続けていろんな、実は非常に有名なところだとやっぱりモネとかノワールというヨーロッパの絵画。
09:04
その後日本の洋画とか、絵画コレクションを中心に集めたんですけれども、
その他東洋刀人とか、あとは人形とか、氷絵作品ですね。
あと東洋刀人、ガラス氷絵とかも含めて、およそ9500点のコレクションを築いたというのがコレクション。
その時は元々は別に美術館を作るために集めたわけじゃなくて、個人コレクション?
個人コレクション。もう個人の楽しみで、趣味というかコレクターとして集めていたんですね。
鈴木さん、鈴木坪さんの展覧会みたいなのがあった時に、社長室を再現した時があった。社長室にめちゃくちゃ飾ってありましたよね。
社長室の写真が残っていて、その中に寛天石があったりとか壺があったりとか、平山育夫の絵がドーンと描いてあったりとか、
そういう美術と共に仕事してたり生活してたんだなというのがコレクターらしい感じでしたね。
コレクターとしては本当に日本有数って考えていいですよね。9500点っていうのは。
言い方は悪いですけど、ある程度年をとってからバーって買う人が多いんですよ。10年ぐらい、15年とかで買う人って多いんですけど、
淡々と買っていったってところが結構特徴で、しかもまんべんなく。まんべんなくというか、誰かに特化するっていうのはもちろんなくはないんですけど、
モネの19点収蔵したんですよ。その中でも初期から晩年まで割と等間隔で買っていくとか。
好きで集めたら偏りが出ちゃうから。
偏りが出るじゃないですか。個人のコレクションで。でも淡々とピカソンの19点、淡々と初期から晩年まで買うんですね。
でも美術館構想があったわけじゃないですよね、その時は。
ちょっと作りたいなーと思ったのは、静岡で一回この博覧会があった時に少し公開したことがあって、それがきっかけで、
人に見せるのっていいなーって思ったんですよね。そこから美術館構想がぼくぼくと。
そうしか思えない集め方ですよね。
そこからも見せるためのコレクションというのも、やっぱり美術館を意識したところもあったと思います。
残念ながら2002年になくなってしまって、2002年の開館にはお見ることはなかったんですけれども、
このコレクションを公開するという形で、世に後世に伝えていくという目的は、今開館から22年目ですか、続けている形になりますね。
でもオールドファンというか、美術元々好きな人って、ポラ美術館って言うとやっぱり印象派コレクションとか、シルエアリズムもあり、エコールドパリガニっていう感じですけど、
なんかここ最近、そうでもなくなってきたというか、それもありつつみたいな感じで、ちょっと変わってきましたよね、ポラ美術館が。
12:00
9500点のコレクションを持っている鈴木スネ下コレクションからスタートしているんですけども、
それをやっぱりどう現代に結びつけて、今のこの21世紀に結びつけていくかってことを考えたときに、
そこから、鈴木スネ下は2000年に亡くなってしまったんですけども、それ以降、鈴木スネ下が例えば生きていったらどういうことをやってたんだろうかとちょっと想像しながらもありつつ、
じゃあ今そのコレクションを管理している我々は、じゃあ我々今何をしていきたいのかってことを考えながら、
次の現代美術とか、現代美術をつなぐ間というものを少し想像しながら、新たな活動を進めている。
最近のこの開館から、そうですね、2018年ぐらいから現代美術のことを少し始めたりとか、作品の購入とかも少し始めているので、
そこから開館から15周年ちょっとしてから、前後の頃から少し新たな歩みを進めてますね。
ロニホン展みたいな、現代アートに刻下した展覧会もやったりとか、本当にここ最近急にキャラ編じゃないけど、変わってきたなって印象がありますよね。
やっぱりいったんモネとかピカソとかって、世界でも歴史の中のトップランナーの作家を扱っているので、
あまり中途半端な言い方が悪いんですけど、やっぱり現代美術をやるのもトップランナーの人を扱わないといけない。
コレクションの中のバランスとか、やっぱり展覧会の流れってできないと考えて、
そこは現代美術をやるにしても集中して個性とか、モネのクオリティとかに負けないような展覧会をしたいなと思ってやってますね。
コーラさんといえばリヒター、あれは話題になりましたもんね。28億ですか?
ニュースになっちゃったんですけど。
最近モネもまたリヒター増えましたもんね。
リヒターも少しずつ増えました。
リヒターってやっぱり戦後20世紀後半の作家、絵画、ペインターとしてはやはり第一級であろうと、
一級っていうか言い方は色々あるんですけど、代償するペインターであろうと。
やっぱり19世紀後半のモネ、20世紀のティス、ピカソになって、
やっぱり20世紀後半となると、今のリヒターだろうということが、連綿と続く絵画の歴史をそこで辿れるようにしたいと考えて、リヒターを見られるようにしていますね。
かと思えばあれですね、ベルト・モリゾとか、その印象派とかの時代の作品も未だに集めつつってことですよね。
そこは印象派とかも、すべてが完璧に歴史を辿れるわけじゃなくて、モリゾっていうのはどうしても重要なピースだったので、
女性の画家であることとか、彼女の存在が印象派に与えた影響とかってことは非常に重要な存在だったので、収蔵させていただいたという感じです。
15:02
最近、コストカード売り上げランキングのベルト・モリゾ、ベランダ?
バルコニー。
あれがすごい人気だっていう。
なんか人気なんですよ。今までルノワールのレースの帽子の少女っていうのを、看板娘的には使ってたんですけど、
あれは、かわいいでしょって感じのルノワールらしい作品なんですよ。
奥ゆかしい、ちょっと視線を捨てたような感じが、ちょっと奥ゆかしいのが現代っぽいのかな、日本人っぽいのかなっていうのを受けるのかなって思ってます。
そう、だからどんどんどんどん新作も増えているわけですけども。
新しいものもご覧いただくことができますので。
さらに、実はこの番組でアートウォッチングというのを取り上げたんですけど、
2023年7月にホテル業界で活躍されていた野口博子さんが館長に就任しましたってことで、すごい人事ですよね。
ちょっと珍しいと言われるんですけれども、
館長の野口、箱根にすごく縁がある人で、ハヤットのホテルのことをずっと携わっていたので、箱根という土地にはすごく通じている方だったんですね。
館長の言葉の中にもあるんですけど、箱根の地域とのつながりプラス、おもてなしというかホスピタリティというものを重点的に見ていきたいということを考えて、
ホテル業界からですけども、ブリース館のほうに見てもらってるという状態ですね。
学芸員さんに指示とか出たんですか?おもてなしをもっとしましょうとか。
おもてなしをしましょうというよりは、お客さんの体験の質を高めたいということなので、
むしろその展覧会、学芸員とかが作っていく展覧会に至る道の道筋を、もうちょっと丁寧にお客さんのタクトポイントを整理したりとか、ということをしていきたいというふうに話してますよね。
この番組、その時にも言ったんですけど、館長変わってから、急に黒服イケメンがたまに館にいる。
急にあの時ぐらいから、黒服イケメンを見るようになったんですけど、あれはおもてなしなんですかね。
やっぱり丁寧さとかっていうのは、黒服イケメンかどうかは違うんですけど、ちゃんとした人をお招きするにあたっては、人をちゃんと臨時でお願いしてヘルプしてもらって、そういう人をちゃんと用意しようとかっていう。
その時、スタッフで応援してくれる人をイケメンなんですよ。
18:04
だから、黒服イケメンがいるなと思ってたんで、学芸員さんもこれからはちゃんとした格好をしましょうとか、黒服にも気を付けなさいとか、そういう指示が出てるのかとか、そういうことはあんまりないんですかね。
まあ、ちょっとね、キャラクターを意識しようかなとかって思うことはありましたけど。
みんながそうかもしれない。
みんながそうかもしれない。
でも確かに、あの時期から、今日はいらっしゃらないけど、工藤さん。
工藤さん、急にヘアチェンジします。ヘアスタイル変わりましたね、急に。
ちょっと伸ばしたりとかしてますよね。
みんなキャラ変をし始めたのかな。
僕はもう個性出す、自分の個性出していこうみたいな感じの感じがあります。
通り一遍のどこでもできる展覧会じゃなくて、個性をうちらからできることとかっていう箱根だからできる体験っていうのも近いんですけど。
だから、新ジャパニーズペイントに行く前の展覧会でね、日本画の展覧会で担当した内野さんと学芸員さんも、この前久々に見たら、やっぱりイメチェンがすごく。
最近ちょっとヒゲ生えましたね。
庵野監督みたいな。本当にシーンみたいな感じになってる。
なんかね、もっと伸ばしたいらしいですよ。
みんなキャラが変わるよね。
スタッフに対するインナー向けのホスピタリティっていうのもあって、我々が仕事しやすい環境を作るっていうのは、もう環境の一つの仕事で。
我々は1月1日から出勤してたんですけど、ホラミスさんは大晦日が元旦をずっと営業してて。
箱根を大晦日、正月を過ごす方向けに開けてるの。
元旦、僕、山本と二人で出勤になったんですけど、館長が鈴広さんのかまぼこ買ってきてくれて。
今日はおせちにしましょう。
いいですよ。
素晴らしいですね。
箱根とのつながりっていうと、ホスピタリティってこういうことかと思って。
学んだんです。
学んだんです。ありがとうございます。
1月1日から開いてたんですか?
開いてないです。それは昔から開いてるんですよ。
他の館も開いてると多いんじゃないかと思うんですよ。
箱根は。
箱根って透明高速で、実家に帰る途中に寄ろうとかっていう方も多い。
元旦、2日3日は駅前があるんで交通が制約されるとかあるんですけど、1日意外と多いですね。
だから駅前企画とかもやってますね。
まさに今後のポッドキャストと同じように100回大会が今年。
本当に箱根駅に乗ってるのが100回大会だったんですけど。
箱根駅に加工してて、今年12回目でしたけど、
学芸員のギャラリートークを助けを借りて繋いでいくっていう。
1回から10分まであるんですよね。
10回話そうっていって。
何時間やるんですかね?
21:00
昔は朝10時から夕方4時までずっと30分×8だったんですけど、
さすがに疲れてきて、お客さんもね。
お客さんでも途中参加もできる。2個だけ聞くとか。
最初途中参加、ずっとやってるから好きだと聞いてよって企画だったんですけど。
みんな最初からずっと来て、いらっしゃってて参加していただいて。
さすがにやる方もコロナとかもあったので、
少し短めにしましょうかと。
意外と1人10分のトークを8回。
意外と聞きやすい感じ。参加しやすい。
まさにオセチ的な決まり。
それは学芸員さん8人でやるんですか?
8人と、プラス候補の田中さんも建築の話とか。
官庁が話すというのを今年100回記念に合わせて、
官庁と実は箱根駅伝ミュージアムの方との対談ということで、
駅伝の歴史というのをやりました。
盛りだくさんの内容でお届けすることができました。
じゃあまた来年もやるかもしれない。
体力やる気があれば。
気になる方は。だいたい1月の?
1月の最初の連休の中日が多いですね。
平成式に挟まってのだから日曜日にやる。
気になる方は来年ぜひ行っていただきたいと思います。
まさにホテル業界なんですけど、
美術館の箱っていうものの外からやってきたという本にも仰ってて、
官庁の受け入れなんですけど、
アウトオブザボックス。箱の外の思考を取り入れたり。
自分が今凝り固まった常識がどこの組織もあったとして、
それにとらわれることなく外の視点を取り入れたりとか、
見直してみよう。必要なものを残すし、
もうちょっと見直して考えてみようと。
箱っていうものを一回考えてみて、
その外の視点を見渡してみようということを仰ってたんで。
どういう意味でもホテル業界から美術館へっていうのは、
本当に我々としてもありがたい。
こういうタイミングだったなと思ってます。
まだ1年経ってないわけですけど、
今後だからどんどん変わっていくと思いますよね。
まだ変わって、間もないって間もないので、
ちょっと注目していきたいわけですが。
さあいよいよですけども、
庄司さんが今担当されている展覧会についても、
ここからはぜひぜひ聞いていきたいということで、
モダン・タイムズ・インパリ1925
この展覧会、どんな展覧会なんでしょうか。
こちらですね、モダン・タイムズ・インパリ1925
サブタイトルは、機械時代のアートとデザインという、
非常に長いタイトルでお届けしているんですけれども、
1920年代から30年代にかけての、
世界に広まった機械時代。
24:00
これは第一次世界大戦以降の、
機械が大型化して日常化していくような時代の、
機械来産の時代でもあると言うんですけど、
それのパリというところに焦点を当てて、
そこからスタートした展覧会を今開催しています。
今からちょうど100年前の、
どういうことが起こったんですか、機械時代。
大きく言うと、第一次世界大戦で、
飛行機とか自動車、戦車だったんですが、
実用化されて、それが戦後、一般化していくんですね。
それまで日常から遠いものだった機械というのが、
日常に入り込んできて、
パリの街中も車が走って、
それが馬車だったものが車に置き換わって、
アメリカとフランスの間も飛行機で使うようになったり、
その世界が機械によって発展していった。
機械っていいね、みたいな感じになった時代なんですよね。
それまで戦争とかあるから、悪いイメージがあった。
労働とかのイメージがあったのが、
機械がかっこいいぜみたいになった。
アートとデザインという視点からいくと、
戦争に参加した人たちの一部の、
例えばフェルナンレジェという学科は、
大砲の砲身がすごくかっこよかったらしくて、
それに魅せられて、
それまでキュビスムっぽい絵を描いていたのを、
歯車とか筒みたいなものを描き始めた。
美的なセンスにも変化があったりとか、
あとはロベル・ドローネという作家が、
本当に飛行機にガイスになっちゃって、
プロペラとか回転運動みたいな工場みたいな、
メカニックなものを絵画に描いていくというものも訪れる。
それが20年代に新しく現れた文化として出てきます。
機械化になったことによって、
美術界も変わっていったよというのが、
今回展覧会で分かるということですね。
同時に機械が発達していくと、
機械自体が美しさを求めるようになっていくということも同時になります。
それまで動けばいいや、
ただ運べればいいやという実用的なものだったのが、
より美しく走るようになりたいとか、
速く走るようになりたいとか、
目的以外のことも少し求め始めるようになる。
ちょっと言ってみればアートに近づいて、
機械の方向がある。
例えばレーシングカー。
レーシングカーも美しいフォルムと走る。
馬車を改造しただけの車だったものが流線形になったり、
角度とかエンジンルームを見せびらかしたりする、
27:02
という文化も生まれてくるんですね。
マルセル・デュシャンの言葉で、
ベンキスに行って作った方が、
ブランクー氏で彫刻家とレジェット3人で航空ショーに出かけて行ったときに、
戦前かな、かなり1910年代でしたけども、
プロペラを見に行ったんです。
飛行機のプロペラが展示されてて、
電気にはこれ以上のものは絵画とか芸術にはできないんじゃないか。
美しすぎて。
絵画終わったんだ。これ以上のものはできるのか。
お前できるのか?ってブランクー氏に言われちゃって。
多分ショックだったと思うんですね。
ブランクー氏はそれまで石鳥とか人の顔とかを頑張って作ってたんですけど、
考え方をちょっとキューピッチで変えて空間の鳥っていう、
中小的な彫刻で削り落とした流線形の、しかも磨いた彫刻というものに行き着くんですよね。
機械画がなかったら作品にはなってなかったかもしれない。
機械への視点の違いですね。それまで実用的にただの道具だと思ってたものの美しさというものが
生み出した世代が現れて、ようやくそれを取り入れようとした人たちが現れた。
それが西洋の機械時代のアートっていうふうに言えると思います。
でもブランクー氏はいいですよね。こんなものを作れないってなって、
いやいや、もっとアートもそういうふうに近づけばいいって考えたし、
ルシャンなんかは諦めて買ってきたもので作品作ったりとか、
いろんなさんちゃさんやじゃないけど、人によってまた違ったんでしょうね、受け取りが。
ルシャンなんかはこの展覧会では、機械を真似した役に立たない機械みたいなものを作っている。
あとでちょっとお話したいと思うんですけど、
機械のようなものを、ある意味機械文明を否定するということまで至る。
それはこの展覧会のもう一つの大きなテーマでもあるんですよね。
意外とそういえばこの機械時代のこと聞いたことなかった。
展覧会としてこの機械時代を取り上げる展覧会っていうのは、これまでも世の中的にもあったもんな。
日本ではあんまり聞いたことはないですね。
アメリカでは結構何回か開催されてて、
というのもマシンエディっていうのは元々アメリカの文化のことで、
ヨーロッパって手作業とか職人の国だという文化っていうところがあったんですけど、
アメリカってそういうのがないところからスタートして、
人もいないし、たくさん作んなきゃいけないから早く作んなきゃいけないから、
機械化っていうのを早く進んだっていう背景があって。
第一次大戦も戦場になってないから、
じゃあ産業で不慣れたけど誰でも作れるような機械を発達させようというふうに成功したんですよ。
30:04
それで機械時代、マシンエイジといえばアメリカみたいな、
アメリカらしい文化として花開いたのがマシンエイジのアメリカだったんで。
今回それをパリと結びつけてみた。
もちろんその機械自体の面白さっていうのは、
例えば本当に機械の美っていうものを考えたら多分機械時代だったと思う。
あとはそれを撮った写真とかだったと思うんですけど、
それとアートって人間が作るものの影響関係というのも焦点を当てたかったんで、
パリ、アートということにある意味戸惑いみたいな、
機械と向き合った人間の戸惑いみたいなものをテーマにしたいと思ったのが一番大きなアートだと思います。
今回展覧会としてはどういう衝立てとか、そこから始まってってことですか?
そうですね。この展覧会自体の、今機械時代よっていうことがまず大事になってくるんですけど、
2023年くらいからいきなり毎日AIのニュースとか、
チャットGPTが動向とか、ニュースの音声もAIになっちゃったりとかしてて、
毎日AIが我々の仕事を奪っていくじゃないですか。
特に美術の仕事なんかもっていますもんね。
っていうニュースを毎日聞いてて、
じゃあ機械に対する期待ももちろんあるんですよ。便利になりそうだなっていう期待もあるんですけど、
同時に不安みたいなものっていうのを抱えている。
それが機械ライザーのアメリカじゃなくて、
パリにおいては結構あったんじゃないかっていうのが今回大きなモチベーションになったんですね。
なので展覧会の最初の導入の部分は、
まさに機械でこういうのが出ましたよっていうことを扱って、
プロペラとかもお借りして、エンジンとかお借りして見てもらってるんですけど、
途中からこれ本当に良かったのかなっていうふうな突っ込みみたいなものを取り入れていきたいなというふうに考えて作っていたんです。
なので展覧会の最初は機械と人間の新しい関係を入れました。
次にアールデコですね。
1920年代代表する装飾技術に焦点を当てたアートデザイナー、デザインの側面から機械時代を見直していく。
そして機械に対して反発した人たちとしてだだとシューラリスム。
これはデュシャンとかも含むんですけども、
機械とか近代化って実はあんまり良くなかんじゃないの?みたいなことを考えた人たちをシューラリスムの中で捉えるということ。
そしてさらにこの視点を関東大震災以降の東京に視点を移して、
じゃあ日本でもそういうのってあったよねって。モダン都市っていうものに東京が作り変わっていく中で、
パリを一つの目標というかモデルにしてきた街として、我々の身近な問題として捉えられるようにしていきたいなと思ったこと。
33:02
そしてさらに時代を超えて100年後の今の機械をどうアーティストが映したら出すだろうかということで、現代の作家も含めて。
4章プラス1の5章構成で今回はお届けしています。
全部で何点ぐらい?
170点ぐらい。
結構小さい。光水瓶とかガラス光瓶の作品って小さいものが多いんで。
展示会も含めてなので、展示してもらえただけの120点ぐらいかなと思ってます。
でも冒頭でエンジンとかされて展示されてて、コーラ美術館史上初じゃないですか。
初めてです。最初の部屋にエンジンとか車とか、これ何ですかってみんな思うものばかりで、
本当にそれこそアウトオブザボックスなんですけど、美術館には展示されないものをどんどん取り入れたかというところがありました。プロペラとか。
その中1つだけ、ポスターとかあるんですけど、その中1つだけブランクイスのもの。
先ほど出てきた空間。
プロペラと空間の鳥っていうブランクイスの彫刻をプロペラのような彫刻っていうものを並べているっていうのが今回狙いだったんですね。
ブランクイスの彫刻は、アメリカで展覧会をやるためにフランスから飛行機に乗せて持って行ったんですけど、その時に税関で引っかかって、当時の展覧会の手荷物か何かで持って行ったんですよね。
手荷物じゃないかもしれないけど。
アート作品は税金がかかんないんですけど。
基本的に。
基本的にかかんないんですけど、当時のアメリカフランスの間では。
工業製品は関税が結構かかったんですよ。
これ工業製品だろって言われて。
ブランクイスは彫刻作品、アートとして作ったのに。
お前、アートって言ってるよ。これ何かの部品だろ?とか言われて、いやいやって言ってたんですけど、展覧会間に合わないから、とりあえずお金払ってアメリカに持って行っちゃったんです。
関税かかったの?
関税払っちゃったんですよ。
それを裁判して取り返すんですけど。
まさに機械の刺激を受けて作ったんですけど、基本的にはアートなはずなんですよね。
今の僕らが見たら中小彫刻、彫刻だなと思うけど、当時の人にとってはこんな工業製品にしか見えなかった。
これ何か使うんだろ?船の部品が何かだろ?これ取り返す?取りじゃないだろ?
確かに。
そういう裁判があったんですよね。
買い入りはどうなったんですかね?
買い入りは?
買い入りはまたもう一回税金がかかったんですか?
売れたのかな?アメリカで売れたんじゃないですか?どうだった?ちょっと調べておきましょう。
まさに工業製品のようなっていうところを見る人が見ればわかるって言ってもらえるかな。
36:04
でも見た目もそこを混じってる感じも伝えられたかなと思ってますけど。
まず見どころとして、プロペラとブランクーシーを見ていただきたい。他にもここを見てほしいとか、こだわりの部分とか。
冒頭は実は空間として作ってるんですけど、シルエット・モネのサン・ラザール駅の絵があるんですよ。
サン・ラザール駅の鉄道側から煙がもくもくしているところの絵と、向かいに東京大学総合研究博物館さんから送られた蒸気機関の模型があって、
蒸気機関のピストンの動きを示した動く模型があるんですけど、それを展示してるんですね。
蒸気機関つながりでみたいな。
ちょっとやっちゃおうかなと思ってやったんですけど。
確かに。あと蓄音機とかのコーナーもありましたもんね。
蓄音機は最初、複製物が芸術になるっていうことの一つのシンボルとして出してたんですよ。
それまで人が作るものが最高だったはずが、複製品のレコード、今のレコード芸術って言いますけど、
映画とか写真とか印刷物、ポスターとかも芸術の一部だと考えられるようになってきた時代というのは、機械の技術の向上ですよね。
その育成とか音楽が聴けるっていうところが蓄音機が発達によってできたかなと思ったんですけど、
それもありきで、かつディスクとか機械のラッパみたいな形とかっていうものそのものが、
実はドローネのディスクのような形とかに通じてるんじゃないかっていうことも、形の上でも結構通じてるんじゃないかなというのを展示して思いましたね。
その後2章に行くと、またガラスの香水瓶とか、ラリックの香水瓶のほうも並んでて。
あそこの展示ケースも面白く作ってましたよね。
そうですね。今回は中原さんで、イヴ・サン・ローランテンとかでも手がけられてるんですけど、会場構成を技術家の方にお願いしていまして、
今回はアールデコとか機械なんですよって言ったら結構幾何学的な形構成で、四角とかアーチとかっていうものは繰り返すように作るっていうふうに仰ってて、
思いながら実際組み上がってみたら、結構点で見せる展覧会って結構あるんですけど、面で見せるっていうか、空間で企画的な形を表現したっていうことがすごいよく伝わって、それは良かったところの一つかなと思いました。
でもアールデコジャンルだっていっぱいある中で、今回ここを選ぼうみたいなのは、例えばどういうふうにセレクションしていったんですか?
そうですね。アールデコっていうものがそもそも捉えづらいものではあるんですけど、日本だと東京都庭園美術館さんがあるんで、すごく知られてきてはいるんですけど、アールデコって実は1966年に初めて生まれた言葉で、
39:17
マシンエイジからだいぶ先になったよね。
後から生まれて、当時はいろんな言われ方を知ってましたし、モダンスタイルとかインターナショナルなんとかとかって言われてたんですけど、それをなんとなく企画的な感じとかも出てきたよっていうような流行みたいな感じだったんですよね。
捉えづらいものだったんですけど、今回は機械っていうものを軸にしていると一つの捉え方ができると思っていて、機械による生産、機械による手作業っていうものじゃなくて、機械によって型で作ったりとか。
これまで職人さんが一個一個作ったかもしれないけど、大量生産。
大量生産。
イガタを使ってキャストして作るっていうものの生産の仕方が捉えられるようになった。
それと機械そのもの。
車のカーマスコットとか、豪華客船の内装とか、あとは箱根ラレック美術館さんにありますオリエント急行の内装とかっていうものに使われた、つまり機械を装飾するために作られたものであるっていうキーワードを置くと結構明確になってきて、
でもアールデコっていうものは、もともとアールヌーボー、第一次世界大戦前の流行に対して作られた言葉。アールデコって言葉使っちゃってますけど、その辺の企画的なものっていうのは流行は反戦前だったんですよ。
アールヌーボーじゃないみたいな流線的なアールヌーボーとは違うよみたいな。
アールヌーボーといえば、エミル・ガレンみたいな流線系で職人が丁寧に作っているものなんですけど、それに対して機械でダガーンとして、大型で巨大な客船の内装とかを作るという。
アールヌーボー対アールデコっていう戦前対戦後、新しい時代にふさわしいものを作っていこうっていう運動だと考えると、機械を装ったり機械で作ったりっていうふうに考えられる。
新しいアールデコを機械時代として考えるっていうふうに、今回ちょっと視点を考えて捉えています。
第3章になって、ダダとシュルレアンジン。ここはなかなか難しいですね。機械じゃないものを選ぶっていう。選ぶの大変ですよね。
本当になんでこんなものがみたいな感じだったんですけど。
これを入れたかった理由とかも含めてできる。
まずストレートにやっていくと、機械時代、アールデコぐらいまではと思ってたんですけど、
美術の世界で突然発生した20年代の運動でもある。これもアールデコと同様に捉えづらい運動でもあるんですよね。シュルレアリスムっていうのは。
42:04
機械時代の作り出した第一次世界大戦を軸に考えると、第一次世界大戦を生み出してしまった戦争とか、
近代化、理性、理性に基づいた機械や近代性というものを否定しようとして生まれたのがダダであるいはシュルレアリスムだったんですね。
そうすると、その合理性とか機械的なものを生み出したものをすごく反発して同時に生まれたもう一つのサイドだというふうに考えられないだろうかというふうに考えたんですね。
改めて見てみると、万齢とかでアイロンに秒をつけたりとか。
アイロンの伸ばす側というか底の部分に秒をつけちゃって、使えないじゃん。
機械を否定して、ダメにしている。
機械を否定する。さっきおっしゃっていた車輪を椅子につけて何の役目も立たない。
リュウシャンが作った。
椅子の上に、スツールの上に自転車の車輪を単に引き製品をバーンとつけた。その機械を使いながら何の役目も立たない空回りをするものを作っていく。
あとはコラージュというものとかも、機械のようなものの科学雑誌とかから切り出しつつも、何の役目も立たないような、何でもないようなもので、そこから生まれてくるストーリーを自分の中から紡いでいく。
シューライソンだったらオートマティックに自動的に出来上がったものから自分の中から上がってくるものは何だろうかと問いかけることなんだけど。
それは合理的に目的を持ってやることじゃなくて、目的を失ったりしたところに立ち現れるものの方がよりアートだろうと、原性があるだろうと考えた人たちですよね。
そうすると、機械を否定することとか役に立たないものに価値を見出そうとした、作り出したりするものじゃなくて、というものは新たな機械文化のもう一つの文化として出てきた。
それが機械部分を否定するところから生まれたアートというふうに捉えられたんじゃないかと。
確かに役に立たないアートなんて、歴史上どこで誕生してもいいわけじゃないですか。役に立たないという概念は、役に立つがないと概念として出てこないってことは、機械が出てこないと生まれない概念だったのかもしれない。
そうですね。デザインって、コース入れるとか走るとか座るとかって役に立つもんですね。それに対して役に立たないものって、アートらしいものって、もしかしたらそこに本質を見出したかもしれないですよね。
それは深いですね。そう考えると。
45:02
当時代にル・コルビジェが、住宅というのは住むための機械であるというふうに言い切っちゃったんですね。
そしたら彼は装飾を否定するからアールデコと全く逆方向に住んでいくんですけど、住むための機械であると。
じゃあシリアレス部はアートというものは、ある意味機械の目的を失ったところにあるって言ってるんじゃないか。それをシリアレス部の人たちはオブジェっていうふうに言ったんですね。
オブジェって主体があって、シュジェっていうのはサブジェクトがあって、オブジェクト。客観的なものなんですけど、自分で主体的に作ったものじゃなくて、
出来上がっちゃったものとか。
そういうニュアンスなんですか。何となくオブジェって立体的なものだったらオブジェって言ってるけど。
オブジェクトだからものなんですけど。
元々は主観的に作ってない、出来ちゃったものみたいなニュアンスは。
あとは発見する。のみの市に行って発見する。だから僕が作ったものじゃなくて、発見されたものっていうか。
例えばのみの市で売ってたから、あれがオブジェみたいな。
じゃあなんか変なスプーンが、やたらでかいスプーンが売ってたんだ。
これは僕はそれに靴みたいに見えるぞって思ったら、自分の中から湧き上がる。
そこでオブジェを通して発見、現れてくるんですね。
それがオブジェを通して生まれてくる象徴物とかいうふうに言い方するんですね。
だから彼らにとってきっかけとしての、作り出されたものじゃなくて、いかに成功に作るかじゃなくて、
見出してきたものにどんな意味を自分の中で発見するか。
オートマティックとかに近いんですけど、発見するかってことにこそ意味があるっていうふうに考えた。
じゃあ元々オブジェっていうのはシュルレアリズム用語の人たちの言葉だった?
主にそれに近いと思います。
あともう一つはフェルダンレジェはオブジェって言葉を使うんですけど、
それは例えば今回はマッチ箱とか缶詰とかが絵の中に描いてるんですけど、
缶詰は描くんだけど、缶詰としての意味は特になしです。形だけですみたいな感じのオブジェっていうふうに言い方します。
言わない方はありますけど、日常的に使われている南口のオブジェって言ったときに、
アートなのかよくわからないけど、
今日常に使うときに?
アートなんだろうけど、なんかよくわからないものみたいな感じで使っているんじゃないか。
シュルレアリズム系じゃないかなってちょっと僕は思ってます。
一般の人が今使うときにっていう。
確かにマッチのオブジェって言うとパブリックアートとはちょっと違うイメージありますよね。
48:00
そこに何か意味があると誰も思ってないじゃないですか。
マッチ箱オブジェって言う人いないじゃないですか。
確かにね。
なんか意味があるんだろうけど、ちょっとわからないみたいな感じの。
明確に意味があるものに対して僕らオブジェって言葉を使ってないのかもしれない。
なんとなくよくわからないけど立体的なものなんだ。
もっと言うとオブジェからミニマルアートの人たちもオブジェクトっていうものをすごく大事にしていくんですよ。
だからシュルレアリズムから始まっていろんなことに移りつかれた文化が今、
街中のオブジェって言葉に残っているんじゃないかなと思います。
今回展覧会の参照まで、
日本美術に関しては来次回の山間さんに番絡するとお知らせですけど、
この3章まで、少子さん的にこれ特に見てほしいっていう作品がありますが。
そうですね。
やっぱりブランクシーの空間の取りっていう、さっき言ったブランクシーは、
これを機械的に捉えるのかアートとして捉えるのかっていうのの見方によってだいぶ違うので、
ここは鑑賞するときにぜひ見てやってほしいなと思っています。
確かにプロペラのような流線形だって思っちゃうんですけど、
よく見るとちょっとくちばしみたいなのがあったりとか、
ちょっとここ羽みたいなのがついてるって思うところもあるんですよ。
取り感はちょっとあるんですね。
取り感ちょっとあるんですよ。
だからアートが機械に近づいたって僕も言ってるんですけど、
実はそこで近づいたからこそ残っている形のものってあって、
そこにむしろ作家はメッセージを込めたのかなって思ってるんで、
なんかアートの中に機械の方に寄せつつも残ってるもの。
譲れない部分。
譲れない部分。
アーティストとしてもね。
機械に俺は真似できないはずだっていうところの
アーティストのこだわりみたいなのを感じてほしいなと思います。
あとあれじゃないですか。
展覧会で今まで何回?
ボネポラリムさんに参加させてもらってますけど、
機械がたくさんあるっていうのも驚きだったんですけど、
チャップリンの映画は?
そうですね、今回のチャップリン。
モダンタイムズインパリ。
もちろんモダンタイムズっていうのはチャップリンの映画から撮ってるんですけど、
今回は象徴的なシーンですね。
歯車の中に張り込めるという。
有名なモダンタイムズの有名なシーン。
からアーを上映させていただくことができて、
その一部の抜粋の形で機械の中に乗り込まれるという。
それと機械の時代というのを一緒に見てほしいと思ってます。
これはこの展覧会の一番のメッセージである、
機械に対する面白さと不安というの両方を感じてほしいなと思って展示してます。
51:00
これは私は見てほしいもので、
機械に飲み込まれてしまうんじゃないの?ということを、
現代の2023年、2024年の中で見てほしいということから、
チャップリンからイントラクションに出てもらいました。
そして最終的には現代アートに繋がるという。
単なる100年前の話じゃなくて、今にちょっと機械を抜いてみるというのが、
この展覧会に通じて人を押しているような展覧会だなという感じがしましたね。
まだまだいろいろとお話を伺いたいんですけれども、
お時間ということですか。
改めて告知を最後に庄司さんからしていただけたらなと思います。
ありがとうございます。
モダンタイムスインパリ1925 機械時代のアートとデザイン。
先着20年代から30年代のフランスを中心に、
機械に接近したアート、アートに接近する機械というものとして、
この時代やこの人々の心の動きというものを捉えたいと考えて作った展覧会です。
デザインも含めて多様な時代の流れを見ていただければなと思っています。
展覧会自体はいつまで?
5月19日までです。
オーラ美術館というと自然豊かなという印象が強いので、
新緑の季節とかがお勧めだと思いますけども、
今配信2月なんですが、2月もお勧めですか?
2月はもしかしたら雪が降るかもしれないですよね。
雪の箱根もかなり魅力的なものですし、
むしろ温泉に入りがいがあるかと思っているので、
寒いときは見た方が面白いなと思います。
2月、3月は意外と穴場というか、
自然が豊かな場所にオーラ美術館があるんですけども、
森の向こうまで見渡せる機械はこの機械しかないです。
紅葉樹の森なので、葉っぱが落ちて、
紅葉樹の森の向こうまで見渡すことができるというのは、
この機械しかないので、ぜひ。
さっきチラッと聞いた話になると、3月になると結構学生さんとかも多いってことなので、
今が逆に、2月がゆっくり見るにはチャンスかもしれないですね。
そうですね。2月1番の穴場と。
ぜひぜひ、モダンタイムスイーパーリング1925に
貸し運んでいただきたいなというふうに思います。
松井さんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
では次回もポーラ美術館の話題を中心に、
美術についての話を続けていきたいと思います。
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