いろいろ工芸もそうですし、民芸にまつわることのメタ認知がわりかし強化されてきたから。
もうちょっと振り返るきっかけないかなと思ってた矢先に、我々の近所の世田谷美術館で巡回展でやってた民芸っていう展示。
もともとはどこからスタートしたんですか?
それも後でちょっと言うんですけど、美術館と、これは確か新聞社がどっか協賽なんですよね。
新聞、後で言うというか今も言っちゃってますけど、メディアと美術館の共同で開催する展覧会のことをブロックバスターというらしいんですよ。
そうなんですね。
僕も知らなかったんですけど。
ブロックバスターってハリウッド映画とかでどこのシネコンでもかかってるような超大作みたいなもののことを言うという認識だったんですけど。
なんかそれが転じてるんですかね。これも後で言おうと思ったけど、今から言うんですけど。
尚人裕樹さんっていう美術評論家であり、プレイヤーでもある方の、最近司法さんが買ってきた本を横から勝手にパラパラ見せたら、彼の著作の中でそれを言う。
このブロックバスター形式の展覧会がパンデミック下における壊滅的なダメージを与えたということで僕読んでたんです。
壊滅的なダメージ?
物流とかが全部パンデミックで止まったりすると、簡単に言うとメディアと共同で開催するっていうことは、ある程度集客が見込める。
言ったら今まさに我々が同じようなことをしようとしてるのかもしれないですけど。
ネタで例えばモネ展とか、わかりやすく平日の昼間でもすごい混んでそうな展覧会とかをやるときは、それを運ぶ人とそれを責任持つ人も合わせて来日させる予定を組まなきゃいけないとか、
そういうものをやってるとパンデミック下ではそういう企画は全滅するっていう。パンデミック下は何をもたらすのかっていうようなショーだったんですけど、たまたまショーさんなんだっけね、忘れたんですけど。
例えば今のと、人気漫画の展覧会とかいい例かもしれないね。
ブロックバスターのいいところは、美術館の経営的にはメディア特務っていうのは集客力があるもの、ネタとメディアがガッツリ合ってるので、とにかく集客性がすごく読みやすいし見込めるっていうことと、
悪い点で言うと、わかりやすくマーケティングに走ると、なんとか原画展とか、別に悪いとは言わないんですけど、もうすごく広いレンジの知識を持っている学芸品のナレッジが持ち腐れされやすいという。
美術館においてのインパクトが博物館や美術館にとってはあまり良いことではないということですね。
何のためにこの人のナレッジがあるんだっけということになります。
経済的にはうるおうけど、言ったらミュージアムショップは相当うるおうけど、学芸員がミュージアムショップを作るわけでもないから、才能があまり使い切れていないかな。
でもね、カタログとかに気合入る場合があるから、だから結局展覧会見た後にカタログ買ってみよう、ブロックバスター系のやつね。
やっぱりお金かけているだけあって、すでに。
あと元々の写真とかの権利とかが全部クリアにされているから、結構そういう図録としては写真とか修了性が高いなと思うのがやっぱりメディアが関わっていたりすると、そういうのは良いことなんじゃないのって私は思います。
もちろん良い部分もあるんでしょうね。っていうような複雑な思いを胸に、結論から言うと、すごく世田谷美術館に思い越しをあげて、近い場所ほど思い越しをあげる感じってあるじゃないですか、人って。
いつでも行けると思うからね。
いつでも行けると思うからね。
東京タワーに行かないみたいな感じ。
会議が長いから、1週間とかあったら私も、2、3ヶ月とかやってると、行こう行こう、いやだるいみたいな、近いほどそうやって思っちゃうものですけど、行ってきて、結論から言うとやっぱり、もはや数年前とは違う民芸っていうネタに対するブロックバスターネタ感をすごい感じて帰ってきたっていうことなんですけど。
場所的な話もあるかもしれないけどね。
悪いことっていうよりは、そういう民芸っていうワードが共有されてるんだなっていう感じですよね、いろんな人に。
それもそうだし、結局展覧会のないミュージアムショップが突如として最後現れて、ミュージアムショップもあるのにミュージアムショップができてるっていう構造。
だからそれって民芸100年展も同じことがあって。
でも民芸100年展のやつはもっとエグいなんだろうな。
それは何ですか?ミュージアムショップが通常よりも拡張してたってことですか?
今までもあるんですよ、それ。ピーター・ラビット展とか。
ピーター・ラビット展もエグそう。それこそブロックバスター感あるな。
でもね、私的にはほぼ同じレベルだった。
そうなんですけど、前回の近代美術館の物販よりは、どっちかっていうと、
これ岩田さんだけに分かる話してもリスナーの人分かんないかもしれないけど、
京都の新風館のビームスジャパンの関西の機関店のあそこのポップアップショップみたいな感じですね、イメージ的には。
だから民芸っていうキーワードとかコンセプトに絡めて、セレクトショップを展開してるっていうことですか?
しかも世田谷美術館って1階と2階に分かれてて、1階は民芸って2階にショップがあったんだよね。
2階の方は確かビームスの、元キュレーターが、今も現在もそうかもしれないけど、
立ち上げたお店とかの取り組みも紹介してた。
取り組みのコレクションを見せてた。そこから最後ビームス化してたお店、ミュージアムショップが。
私はピーター・ラビット展と同等か、むしろすごい人の欲をうまくプロットしてるなっていう。
それが悪いって言ったわけじゃないんですけど、
うまい編集とも言えますからね。
それこそまさにブロックバスター化したかっていう。
はからずもね、民芸運動の活動のことを前回の収録ではね、
我々はやってることビームスとかセレクトショップに近いよねというふうに、
ディスってつもりもないけど。
私は悪い意味で言ってない。私好きだもん、ビームス。
ありかしらよりビームス感を増してリターンしてきたという、そういう状況がありました。
しんぷう館で見に行っちゃうの?ビームス時間あったら。
ビームスジャパンのね、日本の良いセレクトされたものを集めるっていうコンセプトだよね。
京都にあるしなおさらだよね。
いいものっていうか、ユーモがあるものといいものが同じところでカオスって感じが好きな。
例えば5月とか恋のぼり特集みたいなのない?ビームスのジャパンの。
しんぷう館とかの。恋のぼりかーみたいな。
僕はあんまりそういうカルチャーがなかったからお家に。
マンションだったら仕立てる場所ないし、そんなに心躍らなかった。
今回の民芸展にはバッチリ恋のぼりの場所もありましたけど、
私は和紙が好きなので結構興味深い。
良い和紙使って良い恋のぼりだなと思って楽しかったけど。
あとはその前回の近代美術館の民芸展と我々がちょっとこのタイミングで民芸振り返ろうと思ってる
1年だか2年だかの間に、我々が実際ちょっとやってきたこともあったなと思えば振り返ったりとかすると
それこそ河合勘次郎の、ではないんですけど、河合勘次郎の弟子が作った茶碗にチップを埋め込んだりとかですね。
見た目はいいけど使いづらい。
そうですね。僕もちょっとあれですけど、
現代でもあれですけど、
スリップウェアの模様をあしらったグラフィティのタギングみたいなことをやるみたいな。
かっこいい。
みたいなことを実際やってみて、
我々がそのスリップウェアのレシピにアクセスできるっていうのがね。
これは何ですか?レシピだけ見て自分らでもやったってことですか?
言いすぎですね。
佐藤先生っていう陶芸家の方がスリップウェアのワークショップをやっていて、
近所の陶芸のスタジオでそういうのを開催していて、我々もちょっと参加したっていう感じなんですけど、
しかるべき指導者がいれば。
私ですらできた。
できるという。
やりたいな。
でもスリップウェアの作家さんとかはおられるし、
その人たちはもっとさらに洗練されたものを作られる方もおられるし。
私の柄なんか大好きなぬいぐるみの顔の柄だしね。実は。
目と鼻。
ベースっぽく見えて実はぬいぐるみの顔がある。
目と口とかね。
これなのかな。くらだしラジオの、あれそこに乗っけた方がいいのかな、写真とか。
乗せましょうよ。
ごめんなさい近くで見てもわかんない。
目と鼻と口がつながってる。
それが円形状にやっててレースみたいな模様を形成してるという、
志郷さんの天才的なアイディアが光ってますけど。
素晴らしい。
民芸に実際近代美術館に行った時よりは実践を伴ったあれこれを考えた結果を。
作っては思ったけど、特にこのさっきのシャーって台の方。
セタービの方にも似たような、失礼だけどさ、もっといいやつがあって。
これ何気なくやってるけど、こういう感じにするの難しいよなとかもやったらわかった。
あと佐藤先生っていう、表々としてらっしゃるけど巧妙な先生が、
現代風にスリップヤーってどうやって作るかというと、
赤土の上に鉄分を含むお煮板をやって、その上にお煮板を敷くことによって焼くと黒っぽくなるんですけど、
その黒っぽい地に対して白で絵を描いたりとかするっていう白化粧で、
白い粘土をシャビシャビにして液状にしたようなもの。
その絵を描くときに、関西の人なんかすごい馴染みがあると思うんですけど、
お好み焼きをやるときの三連で出るマヨネーズの、ああいうのがいい仕事するんですよ。
だから一本一本線で手でやると、やっぱり早くやるといい感じになる。
ゆっくり丁寧にやるとわざとらしくなっちゃうんで、
そういう偶然性を作るのと均等性をいい塩梅にするのが、お好み焼きのマヨネーズなんですよ。
白い粘土が焼くとああいう黄色い色になるんですか?
工程がさらに説明すると、
さらに飴油という飴色になる釉薬をかけて焼くと、
白が若干濃くするような緑色になる。
だから一番表面の釉薬の色なわけですね、この黄色っぽいのが。
こう見ると三本線になっているじゃないですか。
それがマヨネーズ。
あと竹串で線をピューってかけてあげると、
いい感じになる。
いい感じにっていうよりは、
全然下手くそなんだけど。
まあまあ、そういうのが民芸の良さだったりするので、
普通に使う分には全然いいものなんです。
実際すごい使いやすい。
頻度多い。
パスタ皿とか、
カレーとか、
もりもりのおかずとか、
しかも分厚いから、
洗うときとかも結構、
このまま別にオーブンもかけられる。
オーブンにも使えるし、
そういう意味でも、
何気なさがいいっていうだけじゃなくて、
ただ実用性がすごい高い。
あとは、なんとなく、
器って分かんないんだよね。
実際使ってみて、生活の中でこう言って、
これやっぱいいなって思うのが、
じわじわ分かってくるものだったりするので、
スリッペは、そんな僕も興味なかったけど、
実際生活のところに置いてみると、
結構いいなって思うことがあったりとか、
そんなんで、
民芸店行ってきましたって感じで、
なんで僕らが作った器を見せてるかというと、
写真が禁止だったからなんですね。
民芸店ですごい。
実際のものを写真撮ってみようかなと思ったら、
学芸員がささっと来て、
民芸館から借りてるものに関しては、
もうちょっと著作があるということで、
やめてみるという。
一応カタログに絶対載ってると思うんだよね。
あ、でも三島でもあるな。
三島で、これ松尾さんじゃないですけど、
僕がやってる造眼の技法で、
何だろうな、ゴゴゴっていう。
これはどうやって作ってるんですか。
これはインカっていうハンコを、
器の形を作った後に押して、
その上に白い、白化粧の、
さっきと一緒ですね。
乗せて、それをさらに固まったら削って、
それで模様をする造眼技法ですね。
そういうのも。
これは河合勘次郎のやつですよね。
なんかさっきから物見ながら喋りまくってるから。
喋って、リスナー置いてきぼりになってて、
ちょっと怖いな。
松尾さんと海さんの作ったものはね、
写真載せるとしてね。
河合勘次郎さんが作った、
日本民芸館に所蔵されている、
1927年、28年にできた、
竜、なんて読むのこれ。
竜鋲皿って読むの。
かっこいいですよね、普通に。
だから偉そうには言えないですけど。
河合勘次郎のスリップやとかは。
なんで、ちょっと、
それで何か言ってきましたっていう話だけでも、
ちょっと芸がないかなと思いながら、
当時では想像できなかった、
民芸運動はざっくり何だったのかと、
ちょっとその時代のことを、
想像するのってめんどくさいことなんですけど、
誰かがやってもいいかなっていうことで、
僕もちょっと想像してみようかなっていうのを、
喋ろうかなっていうところですね。
前段が長くなっちゃったんですね。
ここから本題中ですね。
かっこいい。
そうなんですよ。
ここで切って後半にしてもいいですけどね。
ちょっと早くないですか。
早いですよね、運動。
それで、民芸ちょっと、
いきなり隔論にいって喋ってますけど、
おさらいすると、
大正時代の一番最後の終盤とかですね、
大正14年とか15年に想像する。
1920何年とかでしたね。
あれですもんね。
前の民芸展をお二人が行ったやつが、
民芸100年展やったんですよね。
そうです。
なんで23年か24年でちょうど100年なのか。
なるほど。
それで、柳、宗吉、あるいは曽越、
バーナ・ドリーチ、河合勘次郎らが、
何か価値観を共有して盛り上がって、
これを広めていこうぜっていった運動っていうと、
ちょっと雑すぎる説明なんですけど、
想像するのって結構面白いと思ってて。
なんでかっていうと、
1900年代初頭の美術の在り方みたいなのを、
これも狙ったようにやってきた、
司法さんとその辺のアート史とかを、
まとめ直さなきゃいけないという、
ある仕事をですね、
大学の授業の資料をまとめてる時に、
当時、第一次世界大戦の前後とかで、
やっぱり芸術に対する考え方が、
世界的に結構変わってくるというか。
もっとざっくり言うと、
戦争の前後って、
表現がすごく一変するっていうのは、
どれだけ戦争が人にインパクトを与えてるかっていうのが、
色濃く出やすい作品になったりするなっていう話。
一般的に言われてるのが、
第一次世界大戦で絶滅ヨーロッパで仕掛けたのは、
王政というか、王様が治める国がほぼなくなっちゃいましたよっていう。
完全ではないんですけど、
そうすると、民主主義とか国民国家化した国がすごく強くなりますよ。
国民国家化することによって、戦争が悲惨になるし、
株式会社っていうことが台頭してくることによって、
武器がすごい、開発が早くなるっていう。
資金調達も、今までと違うやり方で、
どんどん開発が早くなってきて、
産業革命を促進するっていう側面があって。
それが大量生産品とかを生む景気につながるっていうのは、
結構、戦争を抜きにしたい、ちょっと語れない部分があったりとかして。
日本は明治以降に、1900年ちょいぐらいに、
日清戦争と日露戦争に一応勝って、
いろんな知性学的なラッキーポイントもありながらも、
ラッキーパンチが当たったことがありながらも、
民間運動が生まれた頃の日本は、
領土がどういう状況かっていうと、
サハリンとかカラフトの半分が一応日本領で、
朝鮮半島も日本領ですよと。
あと台湾も日本領。
ビザなしで行けるような、
柳宗がちょっと漏れなと思ったらすぐ行けるっていう状況ですよね。
国の雰囲気としては、超イケイケというか、
でかい戦争に2回勝って。
バブってたんですね。
イケイケの、もう俺ら世界的にすげえ国だぞっていう状況がありつつ、
関東大震災とかがあって、
1回東京が全部野球の範になって、
スクラップ&ビルドみたいな感じがありつつ、
あれですよね、
いろんな思想家が大正時代ってバッコしているというか、
自由民権運動とか、
日本でももうちょっと、
選挙をもっと一般人に解放しようっていう運動だったりとか、
あとは、
表向き差別はなくなったけど、
表向き差別とかそういうのを根絶しようっていう全国水平社とか、
そういう運動が立ち上がったりとか、
あとは女性解放運動とかですよね、大正時代とか。
大正時代って15年しかないんですけど、
そういう意味でいうと平成の半分しかないんですけど、
ものすごくカオティックで、
アナキストもいれば共産主義者もいて、
大役軍人とかは時系団とかを結成して、
俺らが街を守るぞみたいなのが、
関東大震災の後とかに悲劇をもたらすとか、
いろいろあるわけなんですけど、
その中で僕も最初に戻る山本博之さんという方の、
現代美術という中央討論者の本とかで、
改めて勉強し直したやつが、
民芸と同時期に出てきたのが、
マボっていう芸術運動ですよね。
僕も美大とかで出てたのも、
あんまりよく分かってなかったんですけど、
だいぶブチ切れてる人たちなんですよね。
まず第一次世界大戦とかで、
表現とかが制限されて、
それが苦しくなった人たちが、
スイスに集まってダダっていう、
芸術運動をやっていて、
それに影響を受けた人たちが、
日本でマボっていうむちゃむちゃ過激な。
ダダは別にスイスだけじゃなくてないんだけど、
いろんな国で広がるんだけど、
ただちょうどスイスだと戦争から逃れられるから、
余裕があるアーティストがスイスに逃げることができて、
結局ダダっていうのは否定するっていう意味なので、
その戦争が起きたのは、
我々に理性があるから戦争が起きた。
例えばその理性っていうのは、
もっと土地が、領地が欲しいとか、
帝国主義的なね。
もっと色んな資金が欲しいとか、
そういう考えを持っていることを否定したい。
意味をなくしたいみたいな。
意味ないみたいな。
そんなものは意味がないんだ。
証言自体も意味がないとか、
そういう虚無主義的な。
だからもう明確に第一次世界大戦が起こったから起きた運動なわけですか。
ほぼそれに近い感じですよね。
人が集まる原因になったよね、スイスに。
衛星中立国だからっていう。
対戦に参加していない国に集まるっていうのは、
明確な理由がありますよね、そこは。
多分そこから影響を受けた人たちが、
日本でマボっていう宣言をするんですけど、
ウィキペディアのマボの宣言っていうのを読むと、
私たちはとったんに立っている。
そして永久にとったんに立つであろう。
私たちは縛られていない。
私たちは過激だ。
私たちは革命する。
私たちは進む。
私たちは作る。
私たちは絶えず肯定し否定する。
私たちは言葉のあらゆる意味において生きている。
比べ物のないほどっていう、
わりかしポエティックでもあり、
とにかく尖りまくってるぜっていう宣言なんですけど、
それが民芸が起こる2年くらい前ですね。
何が重要かなって僕は思ったときに、
今の感覚とかでの繋がるポイントを民芸に探すっていうよりは、
無茶苦茶なことを無茶苦茶言ってた人たちが
ひしめいてた大正時代の一つのムーブメントとして
民芸を捉えた方がちょっと見落とさない、
見落としてることも結構あるんじゃないかなっていう仮説がちょっと。
大体マボの雑誌作ってて、
マボっていう。
で、民芸も白樺って雑誌作ってて、
結局メディアっていうのはマボが先にやってて、
やっぱデザインとかもかっこいいんですよ、今見ても。
マボの雑誌って。
そこに人を引きつける強さ、
表現というかグラフィカルの強さっていうのがいるんだって、
多分、もしかしたら影響を受けてる可能性は。
影響を受けてるっていうか、そういう雰囲気で、
そういうものがいっぱいあったんじゃないかなっていう推測。
いろんなことを発言するために、雑に言うと運動化するみたいな。
しかも言葉のかっこよさ、
グラフィカルにかっこよい、
着てるものがかっこいい、
なんかグループ感がかっこいいみたいな、
バンドみたいな、
ビジュアル系バンドじゃないけど、
いいなって思わせるものから
コミュニケーションの発端を作ってるっていう。
だから、想像でしかないんだけどって言ったらあれですけど、
想像することが結構大事で、
何でかっていうと、自分らの知ってる今までの
仕組みだったり、式たりだったり、常識とかで
考えることをやめて想像するっていうことなので、
多分ですけど、
大正時代ってモボとかモガとかっていう言葉が生まれて、
モダンボーイ、モダンガールっていうのがいて、
モダンガールとか百貨店で博来品の服とか売ってて、
おしゃれなファッションムーヴがあったはずなんですよね。
一応メインストリームみたいなものが多分あって、
もしかしたら、そういうものと全然違う、
でもこれ無名のものだけど良くない、
これをネクタイにしようぜっていうのが、
もしかしたら尖ってたかもしれないんだよね。
民芸の人たちがやってた。
そうだよね。
中袋だったっけ?
別に良い素材でできてるっていうより、
その辺にあるような素材だけど、
それをそういうバッグ持って、
みんなが持ってるかっこいいみたいな。
あるじゃん。
キャンパストートみたいな感じなのかな。
エコバッグみたいな感じじゃない?
エッジの効いた、
過激さがあったかもしれないっていう可能性で、
民芸のことを想像することもできるんじゃないかっていうのを、
大正時代の雰囲気を想像すると、
そういうことも考えるなっていう。
あと世田谷美術館の展示で、
ちょっと面白いなと思ったのが、
基本どうやって民芸が始まったかっていうのは、
結構語り尽くされているからこそ、
日本民芸館ができたストーリーが結構、
随所に現れて出てくるんだけど、
喧嘩をして別れたとか、
どこだったっけな。
なんかあったね。
尖ってる人同士が何か共同作業してたら尖ってるから、
それは途中で些細なことで喧嘩別れでもするんだろうなっていうのはあるんですけどね。
なんか多分違うと思うんですけど、
わさびを醤油に溶く派か溶かない派かとか、
そういうことだけでも喧嘩しそうな感じするじゃないですか。
静岡市、
芹沢なんとか助美術館、ちょっと読めないし。
けいすけですかね。
この人が結構やっぱりなんかフィーチャーされてて、
世田谷の方で、
彼のそのお家にあったものをレイアウトしてインスタレーション作ってる。
空間を見せてるのがありました。
それ100年点ではなかった。
そこだけ写真撮ってた。