意味の哲学
♪~
はい、それ鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
このラジオは、身近な定番をきっかけに
鉄学院について楽しく学んでみようという番組です
鉄学好きの弟と鉄学院馴染みのない兄の兄弟2人で
お送りしていきたいと思います
改めまして、兄の寛之驚介です
弟の駿人です、よろしくお願いします
さあ、今回は100回記念というところで
駿人のやりたいことという話でしたね
そうですね、話させてもらった
本当にね、記念すべき100回ということで
我々も気づけばこれだけにお話させていただいて
基本的に普段は鉄学者の人たちを紹介するというのをやってるんですけど
せっかく100回なんで
最近自分がこういうことに興味ありますとか
鉄学っぽく、ぶって考えちゃってますみたいな
鉄学者でもないし、鉄学本気でやってる人でもないから
そういうところを見たら、ちょっとあれかもしれないですけど
素人が何やってるんだみたいなね
ちょっとごっこ遊び的にやらせてくださいと
じゃあ今回は初めてここまで1年くらい
これまでの数々の鉄学者みたいな人たちを扱ってきたと思うんだけど
今回は初めてそういうことじゃなくて
駿人が考えてることとか
駿人が面白いなと思ってるトピックというか
そういうのをテーマに話していくっていう感じなんだね今回は
そうだね、本当に初めてそれをやらせていただきたいという感じですね
分かりました
はい、大体ですね
いるとみんなに「それどういうこと?」って言われるテーマなんですけど
今日お話ししたいのは
意味についてですと
はいはいはい
意味ですね、例えば言葉の意味とかもそうだし
それには意味があるとか意味がないとかって時の意味なんですけど
これ多分普通に話してると何を言ってるのか分からないと思うんですよ
意味について話したりとか言っても
どういうこと?みたいになると思うんですよね
そうだね、全く分かんないよね
はい、なのでちょっとその日常的な僕自身の関心とか
何でその意味みたいなものに囚われてるの?みたいなところからちょっとお話ししつつ
この後はいつも通り3回ぐらいに分けていろいろ話をしていきたいんですけど
生きる意味の探求
どんな流れになりそうかっていうところをちょっとお話ししていきたいなというふうに思ったりしております
そうね、ぜひぜひ
もう全くそうはね、いつも通り全く分かんないから
そこは変わんない
確かに、哲学者もね、いきなり構造主義について話を伺うとどういうことってなるもんね
そうはね、脱構築について話しますとかと同じだから今その意味っていうワードがね
しかもちょっとこれも雑談っぽく入るんですけど
脱構築みたいにいかにも日常っぽくない言葉?
そうだったらなんか哲学でそういうのがあるんだねっていうふうに思うんじゃないですか
でも意味とかって普通に日常的に使うじゃないですか
まあそうだね
だから余計に難しいというか何の話してんのってなるかなって思うんですけど
まあ大元で言うとやっぱりなんか僕自身、雑談とかでもこれお伝えしてきてますけど
やっぱなんか人生を通して明らかにしたいことみたいなのがあって
それがなんかやっぱり一言で言うと自分が生きている意味みたいな感じなんですよね
うーん、なるほど。それやっぱりもう小さい頃からなんとなくこう思ってたことみたいな話なんだね、その辺りが
そうだね、なんとなく思ってて、でもほんとここ1年それこそこうやってラジオとかやらせていただいたりとか
まあいろんな哲学のことを知ってる中で自分は意味がテーマなんだみたいなことがやっと見えてきたっていう感じなんですけど
なるほどなるほど
まあよくやっぱりあるじゃないですか、生きている意味とは何かとかさ
あとやっぱ中年の日とかで50代とか60代の方になるとやっぱり結構そのそれまでは家庭とか仕事とかでお忙しくされた方が
なんかちょっと手が離れた時に結局自分何したかったんだっけとか
はいはいはいはい
やっぱりそういうのでね、ある種生きている意味を失うみたいな話とかっていうのもあったりすると思うんですけど
結局やっぱその、ただ生きているみたいなのに我慢できない人はたぶん哲学とかにはまりやすいなと思うんですけど
なんか自分もそういうのがありますと
なんかまあいろいろ考えたりとか自分の本を読む中で何となく思っているのが
生まれたこと?生まれたっていう事実には意味がないというか根拠がないんだよね
生まれたことの意味
それまでの行動主義とかポスト行動主義的な感覚からすると
はいはいはい、そこに真偽はないよねって話ね
そうそうそう、生まれて正しいとか正しくないとかそれはないんだけれども
生きていることには意味を見出し得るんじゃないかなっていう風に思ってますと
例えばその両親の目線から見たらさ、僕が生まれたことには多分意味があるというか
何らかのね、その当然、もう一人欲しいなーとかさ、多分そういうのはあると思うけど
弟ね、二人目欲しいなみたいなね
自分から見た時には別にそれはもう本当に根拠がないというか
自分が自分として生まれたことには根拠がない
例えばそれはもう生物学的に、例えばそのなんだ
あの聖書の話があった時に、ナオクという聖書のうち一個がたまたま自分だったみたいな話もそうだし
あとさ、観の家的にはさ、大石、要は多分長男だと思うんですけどが
あの、流産してしまって、お墓というか、遺廃とか待つと思うんですけど、家に
その結果だから僕は今、次男として、兄貴京介と長男京介と次男ハヤトでいるわけだけど
もしかしたら三男だったかもしれないとか思った時に
三人目としては多分生んでなかったと思うのよね
生きていることの意味について
その、末弟の弟のちょっと危機感的な話ね
実は亡くなっていたというか、生まれずに亡くなってしまった兄さんがいた
事実をした時の自分の存在への危機感みたいな話をもったの?
存在の根底がさ、やっぱりなかったかもしれないみたいなさ
多分これ中学生ぐらいだと思うんだけど感じたの
はいはいはいはい
そうそうそう
さすがにうちの家計状況、経済状況とか、それ三人、男三人はいなかっただろうみたいな
ことを思った時に、やっぱ自分が生まれたのって偶然というか、たまたまなのかなとか
あとは生まれたことにも、生まれたことに何かのそういう、まさに意味なんだけど、あるのかなとか
結構そういうのは思いやすい子だったなって思いますと
まあそうだね、同じ状況でもそれを思わない子もいるだろうし、弟でもね
なるほど、そこは引っかかったんだね
そうそうそう、別にね
で、その時にさっきさ、自分が生きていることの意味っていうことを言ったんですけど
この言葉って、自分っていう話と、生きているっていう話と、意味っていう三つから成り立ってるよね
それ分解していくとね、今のことね
分解していくと、要するに分解する時に
自分っていうのは、結構哲学もそうなんだけど、心理学とかでも扱われますと、あと文学とかでもあると思うんだけど
あとは生きているだと、それこそ生物学とか医学とか社会学みたいな、結構いろんなところであると思っていて
僕は割と、自分が生きるみたいなことだったから、やっぱり大学の時は心理学をやろうと思って
そういう人の心とか、自分とか、自分ってなんだみたいな
結構そういうのが気になって、心理学をやってたみたいなのがあったんですよね
はいはいはいはい
でもやっぱり、心理というか、いわゆる統計的な、最近でそうじゃない心理学もあるんですけど
例えば、50人に調査をした結果、人間はこういう敬語がありますとか
こういうふうな能動認知機能で、こういうふうに物事を認識しますとかっていうのは、それは大事なんだけど
やっぱり自分のことについて分かったみたいな感覚がなかったんだよね
なるほどね、自分が生きていることの意味っていう問題に対するアプローチとして
心理学っていうのは、意外とちょっと自分が望んでた答えとは違かったって話だな
そうだね、あくまでも大学の時のっていう感じはあるんだけど
このそいつらをずっと持っていて、生きている意味ってなんだろうって思ってたんですけど
それこそ哲学のこのそいつらをずっとやってる中でも、自分ってなんだとか、そもそもコギットが自分なのかとか
事故とか何かとかされてる的な実論主義とか、構造主義とかでもそもそも自分なんていないんだというか
構造によって支配されてるんだみたいな話とかもあるじゃないですか
それこそ無根拠って話だよね、たまたまいるんだよみたいな話ね
まずそういうのをやってた時に、自分へのアプローチってあんまり身にならんかもっていうのを思ったのよね、本当に最近の話なんだけど
そっかそうだよね、プラトン的なイデアがあるとか、そういうのと似たような話になっちゃうんだよね
自分とは何かみたいなものを定義していこうというか、見つけていこうとしちゃうと
自分のイデアとか、だからあんまりそこには根拠が見つかりにくいとか、やりきれんなと思った時に
最後のこの意味だよね、意味って確かに普通に使ってるしなんとなくわかるけど
言葉や概念の相対性
意味って何ですかって言われたら、答えにくい言葉だなって思ったのね
なるほど、そうなんだね、それこそ講辞典というか辞書調べろ、じゃあ収まりきらない何かありそうだぞみたいな話か
実はこの辞書とかまさに面白くて、それこそソシュール、レビストロスの時やりましたけれども
レビストロスはソシュールの言語学から構想を経て行動主義っていうのをやったみたいなのがありましたけど
そういう話だと言語って相対的なものだみたいな話ってあるじゃないですか
ソシュールがやってたよね、それ以外のものを定義することでそれが初めて定義されるみたいな雰囲気だった、確か
そうそう、で、例えば意味みたいなものを辞書で聞いた時に、これもいろんな辞書あるんですけど
いくつか意味が、意味というかまさに言葉の定義があるんだけど、その一個に物事の価値みたいな話があったりするよね
例えば意味があるって言葉価値があるとか、意味がないって言葉は無価値だみたいな話ってあるじゃないですか
あるね
じゃあ価値のことなんだと思って、価値に行くと物事に意味があるという実感みたいな感じだと意味に戻ってくるみたいな
そういう意味と価値っていうのはそれぞれ定義されているように見えて、実は他の言葉との相対性によって使われている言葉だなっていうのが改めて分かったりするんですよね、辞書を見ていると
結局グルグルしちゃうのよ
なので結構実は哲学ってこういう概念があって、例えば時間とかね、時間って何?って言われると意外と答えにくいけどみんな時間の中に来ていると思っているとか
あと存在とかね
存在、はいはい
存在って何?って言われるとあることでしょって言うけど、でもあることってそのまま存在の言い換えだから説明しないよねとか
なるほどなるほど、説明しているようでそっか、なんとなく人間の直感的な認識に頼っちゃってるみたいな部分があるってことか
そうそうそう、だからちょっとこれは雑談っぽく話す、今日は話したのあれなんですけど、時々東洋とかで言う、仏教的な文脈で言われる
存在や知識の問題
誰も見てない、誰も知らないところの森の奥へ倒れた木の音はするかみたいな問いがあって
要は物理的現象として木が倒れているから音は鳴っているはずなんだけど、そこに誰も見る人も聞く人もいないっていう時に果たしてその音は鳴っているのかみたいな
なるほどなるほど
木が倒れたっていうことは存在しているのかとか、木の倒れる時の音は存在しているのかみたいな
っていうことを言われると結構なんか答えにくいよねみたいな
話があって、逆に意味について自然に使っちゃってるっていうことは、これは哲学的な問いになるかもしれないっていうのを割と思いました
なるほどね、さっきの仏教の話で言うと多くの人がそりゃ誰も知らなくて誰も見てなくても音は鳴ってるよねっていう風に考えちゃってるってことだよね
そうそうそう
意味っていうものとかに対してね、だけどそこに対して本当にそうなのっていうところを目すり入れてみると
意外とそうじゃないかもしれないというか、面白い発見があるかもねっていう匂いがするってことはね
そうそうそう、まさにそういう常識の外に出るというか、あえて改めてそういう概念とかを疑ってみるみたいなね、そういう話なんだけど
あとやっぱり意味ってさ、すごい適応範囲がやっぱり広いなと思っていて
例えばさっきその自分とは何かを知りたくて、心理学やりましたって言ったんだけど
やっぱそれって結局自分っていうものの意味みたいな話とか
生きていることは何かっていうと、それって生きていることの意味を知りたいみたいな話だとした時に
結局なんかすごい極論するとだけれど、いろんな問いって結局何々の意味についての問いだなみたいなことを思ったんですよね
あるものを知りたいとか、理解したいっていうことは結局その意味を知りたいっていうことだから
なるほど
なので意味についてちゃんと知るっていうことは、いろんな答えにくい質問とか考えにくいことに対して
考えやすくなるようなきっかけをもらえるんじゃないかみたいな
そういう根本的な概念っていうのが意味なんじゃないかなみたいな
そういった意味っていう言葉だよね、それが確かにめちゃくちゃ相対的で
なのにも関わらず当たり前みたいにみんなが共通認識だと思って
コミュニケーションの手段としてというか、普通に使われちゃってるってことだと思うんだけど
今のハヤトの問いに対して直接的に答えてくれるような話ってなかったんだ
言葉と意味
前回の雑談でもあったと思うけど、そういう論文だったりとか
それこそ哲学者とか、そんなあんまないんだね
そうだね、意味っていうもの自体があんまり哲学的に扱われてないんですよね
それがなぜなのかちょっとわかんないんだけど、実際僕も
僕はやっぱりちょっと収集癖というか、変質的なところがあって
調べようと思ったら結構徹底的に調べたい人なんですよ
大事だよと思う
ありがとう
いいことだと思う
何をしたかっていうと、日本の出版された書籍のデータベースみたいなのが
一般社団法人に公開してるところがあって
数百万冊みたいな
そこに意味って入れて、タイトルとサブタイトルに意味って入っている本を
600冊くらい抽出してくれたのよ
一応それを全部見て、これは哲学的なものだとか
これはただ単にエッセイだとか
というものをより分けながら見てたんだけど
やっぱり4、5冊くらいしかなかったんだよ
600文の?
そのハエットの興味関心、答えてくれそうな本がそれしかなかったんだ
日本語で
なのでもし皆さん、実は俺意味について詳しくて
こんな人知ってるよとかってあったら、ぜひ教えていただきたいんですけど
僕が、三鷹記事はやっぱりそれくらいしかなかったですと
あとかつ、意味っていうのは言葉?言語論としてあるんだよね
意味論とかいうのがあって
そうなんだ
つまり言語学の中にも、なんで言葉が意味を持つのかとか
文章によって意味が違うとかってあるんですよね
例えば、リンゴにか
例えば「あのリンゴは赤い」みたいな時のリンゴと
「リンゴとは名詞である」っていう時のリンゴって
扱われ方が違うの、伝わります?
あのリンゴは赤いと、リンゴは名詞である
名詞である
ちょっとわからないかな
つまり、前者はまさにその実態としてのリンゴ
要は食べられるとか、果物であるとか
そういうリンゴをある種、言葉で置き換えたというか
表現したものとしてのリンゴなんだけど
リンゴは名詞であるっていうものって
リンゴっていう言葉そのもの
要は形容詞とか動詞とか名詞っていう
言葉の属性としてのリンゴを指してるから
ここで同じリンゴっていう言葉で
指されてるものが違うよねみたいな話があったりしますと
なるほど、なるほど
言葉を超えた意味
この時に「リンゴは名詞である」みたいな言葉があった時の
リンゴの意味って何?って言うと
単語として品詞に扱われる
名詞に扱われるそういう一般名称の一つっていう
多分答えが正しいんだよね
この時にリンゴが何か木になっていてとか言われると
別にそういう話しないみたいな言葉になっちゃったりしますと
なるほど、なるほど
そうか、そうか、はいはいはい
だからやっぱり文脈とか言葉とかにおいての意味っていうのも
それはそれでめちゃめちゃ大事ですし
そういうのも話すんですけど
でも意味そのものとか
言葉の意味そのもの
言葉じゃないや、ごめん
言葉を超えた意味そのものみたいな話っていうのは
本当に少なくて
それについて考えてる人っていう
だから自分とは何かとかって
別に自分っていう言葉の定義が知りたいわけじゃないじゃない
「意味」についての論理的考察
うん、まあそうだね、はいはいはい
そうとか、あとさよく表現としてあると思うんですけど
なんであの人は私を置いて亡くなってしまったのとか
俺を置いて死んでしまったみたいなことだったときに
なんであの人は死んでしまったのは
別に物理的なこととか
医学的なことを聞いてるわけじゃないんですよね
死因を聞いてるじゃないってことね
そうそう、本当に
出血作業ですとかじゃなくって
やっぱりそこは
突然のあの人の死っていうものの意味を
自分に照らして理解したいってことじゃないですか
うん、そうだね
っていうときの意味は
言葉を超えてるんじゃないかなっていう風に思ってるんですよね
ほうほう、そっかそっか
しかもそういった意味が
最初言ったように
かなり多くの人にとって
共通言語として、共通認識ではね
できるものとして扱われてるんだけれども
さっき言ったように辞書で調べたりとかしても
かなりその
この意味っていう言葉自体が
価値みたいなものを表してるにも関わらず
とても相対的で
絶対的なものがないのに
なんでこんな絶対的なものっぽく扱われてるの?
っていうところの
説明があまり世の中になさすぎるのではないかと
という提言をヘイトしてるわけなんだね
そこはね
その割に意味ってめちゃめちゃ重要じゃないかって思ってるからね
そうだよね、みんな悩んでるのもね
そんだけね
なんで先に亡くなってしまったのと
自分はなんで生きてるのと
なんでみたいなとこもそうだよね
確かになんで働くのとか
一個一個そうだよね
やっぱり僕もそのキャリア
デザイナーとして
お仕事させていただいてる中で
やっぱり働く、仕事に意味が見えやせないんですとか
自分の働いてる意味って何なんですかね
とかってやっぱりことをおっしゃるわけだよね
その時に聞きたいのは
あなたの仕事は
誰かを
こういう作業の
全体像の一部でとかってことではなくて
誰の役に立っているの?とか
自分の人生にとって
どんな意義があるの?
っていうことだと思うんですよね
その時の意味っていう言葉は
そこに対して
あまりにも
自分ぼんやりしてるし
世の中もぼんやりしてるように感じる
っていうところが
色々積み重なって
意味っていうテーマが
出てきましたよっていうような感じですと
なるほどね
ハイトワンスの弟持ってた
なんで自分って生まれたのか
生きてるのかみたいな話が
そういった形で
この1年くらいで
言語化というか
認識できて言語化されてきたって話なんだね
本当にそう
そうなんですよ
なんかね、こうやって不思議だ
そういうテーマを定めようと思ったから
見えてきたものだと思ったりするんですけど
やっぱりその面白いのが
存在、さっきさ、存在っていうのは
ちょっと難しい話だとは言ったんだけど
これのソイテッドラジオでも
お伝えしてきた通り
その存在の原因を辿ると
根本原因を
見つけるっていうのが
西洋哲学の大事な営みだったんですよね
それがやっぱ神だったりとか
絶対者みたいなもの
あるいは逆に
神とかを否定した結果
そんなの根拠がないんだ
無根拠なんだとか
むしろ無なんだみたいな
サルトル的なね
って言っちゃったりしますと
これって
どこまでいっても無限に
遡れちゃうっていうのがあって
要は中世の哲学だと
神が存在の根本だとか
原因だって言った時に
神の存在
なぜ神が存在するのかとか
っていうのを不問にしちゃうというか
棚上げしちゃうんだよね
神こそが絶対性で存在性だから
みたいな話を
中世の時にしたと思うんですけど
それ以上遡らないようにするとか
無とか言っても
じゃあ無は何から存在したの?
無から無って存在するの?
無は何であるの?
みたいな話とかも
無についての考察
あんまり
多分視されてるというか
ある意味どっちも
信じろ信じろっていうところに
たどり着いちゃうみたいなね
どっちもね
だからやっぱり
存在とかを考えた時には
どうしても
なぜそれが存在するのかみたいな
存在の意味みたいなのは
結構大事になってくるんですけど
意味って別に目には見えないし
別にどこかにあるわけじゃないですか
意味の館とかがあるわけじゃないし
そうそうそう
どう扱っていいかわからない
ので
これまでなかなか哲学でも扱われて
こなかったんじゃないかなと思っているんですけど
一応ね
例外というか
僕が見た限りでは
二人
意味について
存在についての考察
しっかり考えてる人がいて
一人がジル・ドゥルーズっていう
まさにこのポスト構造主義の時代の哲学者
この人が
意味の論理学っていう本を書いていて
まさに意味について
論理的に考えて
まあ論理的というか結構
内容激しいんだけど
そう考えている人と
あとは時々言っている
テトロアレンマとかっていうことを
言っていた
山内徳竜さん
日本の方で
この方も1900年代半ばぐらいに
存在と意味の関係
活躍した方なのかな
この方は意味の啓示浄学
っていう本を書いていますと
はいはいはい
なので結構
二人が共通して何を言っているかっていうと
存在の
わりと根拠に意味があるんだみたいな
何かが存在した
多分リンゴが存在して
そこに甘いとか
美味しいとか赤いとかっていう
意味というか
そういった属性が付与されるんじゃなくて
そもそも根本的に意味っていうものがあって
それが存在を支えている
ああ
なるほどね
そういう逆転現象みたいなもの
そうそうそうそう
だからこれは確かに全然
僕の考え方というか感覚なんだけど
以前兄貴がさ好きな
その存在を話す
存在が話すみたいなのがあったじゃないですか
あったねあったね
イスラム哲学的な話で
そうそうそう
瀬戸子さんが紹介しているやつとして
その存在ってそもそも全体としてあって
それが花として
表されるんだよとか
っていうのがあった時に
これまさに意味と存在の関係だなって思ったんだよね
要は存在って確かに
まもあって
そこから
花するっていう意味する
花という意味が
表れてくるとか
そういうものが
花っていうのが存在固定的に
するんじゃなくて
ダイナミックに花するとか
意味するってことが起きているんだよ
みたいなことが
言えるんじゃないかなっていうのを
僕とか今すごい
ふわっとした言葉で言ってますけど
ドゥルーズさんとかヤモンチさんとかが
めちゃめちゃなんだ
哲学者らしくというか
すごいこと細かに
言葉を紡いで
話してるみたいな感じなんですけど
ヤマウチ:面白そうね
うん
なので今回は
ドゥルーズさんとヤモンチさんの
2人の話も追いながら
意味って何?みたいなこととか
あとやっぱ最終的に
どうしても禅とかにやっぱ
行くんだよね
ヤマウチ:そうなの禅って仏教っていうか
東洋哲学のほうの禅のこと?
うんそう
打禅とかの禅の話
やっぱり
いわゆる打禅とかの禅修の人たちは
こういった意味の問題とかに
かなり自覚的だったんじゃないかなって
改めて思っていて
ヤマウチ:そうなんだ逆にこういう
話を見ることで振り返ってみると
って感じか
なんとなくやっぱ
よく分かんないこと言ってるなとか
なんだろうな
確かに言葉が空になっちゃったから
空の中でもどう言葉が
伝わるかみたいな感じだったのかな
とかって思っていたんだけれども
そうじゃなくて彼らはそもそも
意味とかもない
世界の中でどう
自分自身の行動とかに
意味を見出すかとか
そこに意味付けるか
っていうことをやってきた人たち
なんじゃないかなっていう結構思いがあって
ヤマウチ:なるほどね
あれだよね全てにおいてその
存在が話す
状態で生きた時の
には全みたいな
不意にならざるを得ないだろうみたいな
ことをハヤトがちょっと感じたってことね
そうちょっと感じた
ちょっとなんかね最近
なんかよく分かんない
悟り現象っぽいことも
自分に起きていて
あんまり
怪しくない範囲でいますけど
だから
冒頭で言った
なぜ自分は
生きているのかっていうそういう意味が
知りたいって話だったと思うんですけど
それは
どこかに意味があって
それを探すって
よりは常にやっぱ意味を
生み出し続けるとか
そこにやっぱ存在し続ける
ことが
存在の上に意味を乗せ続ける
ことみたいなのが大事なんじゃないかな
っていうのを
それも3日ぐらいで
思うようになってきてるんですけど
はいはい
意味に迫る哲学
そういう話をちょっと
哲学に絡めてというか
そういった先人の語ってらっしゃることも
借りながら
お話ししていきたいなっていうのは今回のテーマですね
なるほどね
ここまで聞くと
結構あれだよね
さっき言ったさ
そもそも存在とは何か
みたいな理念にたどっていくと神とかさ
無意味にたどり着くよみたいな話
哲学そのものだと思うんだけど
意味っていうものは
結構哲学の根本的なとこに
迫ってく感じするね
なんかね
意味を超える存在論
迫ってたらいいなと思うんだけどね
そうだよね
自分が考えてることだから
これこそが
最新の
哲学の根本に迫るなんて
言えないもんね別に
言えない言えない
今考えてることは
そう全然ね
トンチンカなこと言ってるかもしれないし
自分が知らないだけで
語り尽くされてることなのかもしれないですけど
調べてる限りは
あんまりフォーカスは立ってないけど
結構大事なんじゃないかとか
はいはいはい
まずやっぱり
色んな人が
それこそ存在を超えているとか
それこそ無駄とか
そういうのを言ってることの
いくつかには結構
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
言葉の意味について
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
そういうのを言ってることが
はいはいはい
彼が言っててすごいなと思ったのが
無意味な人生にも
無意味という意味があるし
何らかの価値がある
何らかの価値がある
ってことを言っていて
それは本当そうだなと思ったんだよね
うんうん
自分の人生に価値がないとか
この人生なんか
本当に値打ちつけられない
みたいな話があったとしても
それでも意味は残るよねみたいな
ってことを思った時に
結構やっぱり
言葉とか概念は正しく切り分けていって
考えることってやっぱり
哲学の
基本というか
大事なことだと思っているから
うんうんうん
すごく面白いテーマなんじゃないかなって
思ってるんですよね
なるほど面白そうだね
面白そうにしに良かった
うんうんうん
今回そうだね
でもそうそうもう
ハヤトがずっと興味関心を持っていたところが
うん
やっとこう
興味自体の解像度が
上がってきたよって話だと思うんだけども
あ、そうそうそう
今回今チラッとね
話はしてくれたんだけど
今回意味っていうものを
ハヤトが話していくんだって
どういった感じを
全体像とかって今のところ
見えてるのかな
とりあえず
言語論の中での意味みたいな話を
少ししたいなとは思ってまして
うんうんうん
意味って基本的には
僕らは言葉の意味みたいなことを
扱うじゃないですか
うんそうだね
そもそも言葉っていう
文脈においての意味ってなんだっけ
とかなんで言葉で
意味が表現するんだっけみたいな話
っていうのは結構色んな人たちが言ってたりするから
あ、そうだね
それをさっきと最初に
簡単にお伝えした上で
それの言葉を超えたとか
意味そのものとしての意味
うんうんうん
なんだっけっていうのを
まさにドゥルーズさんとか山内さん
話を借りながら
お話ししつつ
多分それだけでもう
2、3回分になっちゃったんだけど
はいはいはい
そこからできればちょっと前の話とか
そういう存在しないもの
さっき言った通り
意味って目に見える形はやっぱ
存在しないじゃないですか
そうだね
最近そういう存在しないものを
どう扱うかみたいな
前もちょっと言ったかもしれないですけど
ソウルテッドラジオの中でも
そういう考え方っていうのが
少しずつ出てきていて
それも元々は暴流なんですよ
手伝くの
流れからすると
でもやっぱり僕は
それ面白いと思うし
非存在の哲学みたいなのって
多分皆さんも
あんまり聞いたことないと思うし
多分他の哲学ラジオとかも
最近あるとは思ってるんですけど
多分そんな話をする人
ほとんどいないと思うので
暴流だからね
暴流だからメインじゃないから
そういった意味では
逆に第100回というか
そういうテーマとして
意味じゃない人たちとか
考え方を押さえするのもいいんじゃないかなと思って
はいはいはい
そんなことを
全体の組み立てとしては
思っておりますので言葉の意味をやって
意味についての
ドゥルーズさんとヤマウチさんの話をして
そこから
善とか非存在みたいな話をする
っていうのは
組み立てですね
ほー
存在しないものの扱い方
なるほどね
最初意味って聞いた時全然
それこそ意味不明だったんだけど
そうだよねそうだよね
うんうんうん
さっき言った通り
結構哲学の根本に迫るような
物事はそもそも
やっぱりさっきの
存在が話すに近い感覚で
少しなんか
あー面白そうなと思ったんだけど
で
この後ちゃんと教えてくれると思うんだけどね
例えばリンゴ
なんとなくさリンゴっていうものが
あってそれから
うちらは赤いとかさ
酸っぱいとかっていう要素を引っ張ってくるんだけれども
さっきのその存在が
話すのは存在っていうもの1個
と花が
1対1なんだけれども
例えば意味っていうものが
その物よりも先に存在する
っていう場合って
例えば赤いとか酸っぱいとか
人が感じるようなね
例えばおいしいとかね
いろんなものが先にあって
だからそういった
酸っぱくて赤くて
食べられるものがリンゴする
みたいなそういう順番になった時に
あーまあ
なんかそういう世界観もあるのかなー
意味と存在の関係
ってこれまでのね
聞いた話からすると
そこをちゃんと説明してもらえると
すげーなんか
新しい扉が開きそうだぞっていう
ワクワク感は今回感じたかなー
あーほんとに
よかったよかった
そこは単純に入れ替わるっていうより
同時に起こるみたいな話とか
わかんねーな
わかんねーな
なんだそれ
哲学的な話題
今さらっと言ったけどさ
入れ替わるっていうよりは
同時に起こるみたいなさ
わかんないよその世界観
確かにそうですね
そういう話もちょっと
溶き込みしながらちゃんと言っていくので
さらっと
すごい難しそうな話してる
(笑)
そうね同時ってなんだみたいな
はいはい
いいねそういう話がこれから
展開されていくんだね
そうですね
でもいいねそういうとこに
あれでしょ面白かったでしょ
でもそういうさ
自分の人生のテーマみたいなものが
今までの違和感だったり
とか
なんかあった時にそれが結構
意味っていうところに
はまったっていうのが結構
嬉しかったんじゃないのそれ
超嬉しかった
人生今から始まったと思った
(笑)
そんぐらいの
これだったのか
みたいなやっぱり
ついに
的をいたぞみたいな感じが
したんですよね
なるほどいいね
そのあたりの感動もね
ぜひちょっと
次回以降もね
教えてもらいたいな
普段はやっぱり
間違ってないかなとか正しく
解釈できてるかなってちょっとやっぱ
ドキドキ感もあってやってるんですけど
今回はちょっとねあえて
違う間違ってるかもしれないけど
でも自分はこういうことを
考えてるんですとか
考えてるんですっていう風に言えるという意味では
フィードバックと全体的な話題
僕も気が楽というか
いつもと違うテンションで
喋る部分もあるかなと思うので
そういうのも
含めてお伝えしたいなという感じですね
はいはい
むしろこれ聞いて
おかしいんじゃないかとか
こんな資料あったよとか
ここで言われてたよみたいなのは
むしろぜひ
送ってもいいよじゃなくて
手書でも送ってくださいって話がある
ぜひぜひお願いしたいです
このシリーズに関しては
私やっぱりね
実は自分もねこのこと考えてました
とか
こんな風に聞いて思いましたとか言われたら
それはやっぱりめちゃくちゃ嬉しいよね
なるほど
それこそこれ聞いて
こう思いましたってそれこそ感想
っていうところでも本当もらいたい
フィードバックいただきたいという
そういう意味でも
そもそもさだからやっぱこういう
問題意識というか
こういう問いについて興味を持ってくる
人自体が少ないと思う
多分ね軽侮な人なんだよ
手伝う興味ないとかって言ってるけど
まあだって1年間ほら
生かされて洗脳されてるから
そうそうあれだよ
ディープラーニングされた人工知能みたいになってるからね
(笑)
教師データを与えられます
そうそうそうそう
いや
今年のさ会社でね
この前会ったんだよ今年の抱負みたいな
今年のカンドハヤトは
意味について探求しますとか言ったら
みんなポカーンだったからね
まあそりゃそうだ
5分とかじゃ伝わんなかったよね
ちゃんとこの
手伝うから以上全部聞けばわかります
(笑)
重たいな
そうですねなので
そういった意味でもね本当に今回
いつもとちょっと僕も違う意味で
ワクワクしてるしぜひ皆さんに
何か伝わるものとか
なんかまさに意味があること
あればいいなと思うので
皆さんにその意味について
まとめとお知らせ
いろいろとお話させてくださいということでございました
はいはいはい
今回ですまあそうだねいつもとちょっと経路が違うんで
お勉強っていうよりは
そうだね結構ハヤトが考えてること
なのでどっちかというと
聞いて楽しむというか
そういう感じでちょっと気軽に
楽しんでもらえればなーっていうとこ
だと思うんで
じゃあ次回以降ちょっとそうですね
一緒にハヤトの頭の中を覗いていけばと
思います
皆さんお時間いただいて申し訳ないんですけれども
楽しんでいただくように
頑張りますんで
キニスブキ100回記念シリーズということで
すいません今日お付き合いいただきありがとうございました
というところで次回も引き続き
よろしくお願いします
お願いします
今回もありがとうございました
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