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はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の寛之驚介です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、今回から古代技術者の哲学者ということで、
しかも哲学という名前がまだつく前ぐらいの人たちみたいなイメージでしたっけか。
そうですね、ざっくり言うとですね、前回はソフィエストを見てきたじゃないですか。
ソフィエストというのは哲学者とはまた違う知恵の浅い形をする人ですよという話だと思うんですけれども、
今回はせっかく古代までガーッと戻ったんで、さらに前ですね、ソクラテスより前に活躍したと言われている哲学者たち。
その人が自分が哲学者だって言ってたわけでは多分ないんだけれども、
そういう人もいればそういう人じゃない人もいるんだけど、
後から見たときにこの人はこういう哲学的な考えを持っていたと言われている人たちだよね。
じゃあ便利的に、人たちが生きていた当時は哲学とか哲学者って意外にはなかったかもしれないけれども、
今から見直そう、便利的に哲学者って言ってもいいみたいな感じだから。
どうしようかというと、やっぱり時代の流れなんだけれども、その人たちが書いたものってもう残ってないんですよ。
基本的に。だからちょっとその辺りの話もするんですけれども、
私は哲学者としてこういうことを書いたとかっていうことも残ってないし、
後の人が、それこそアリストテレスとかね、そういう人たちが過去の人たちを取ってきて、
この人は例えば哲学のタレスって言われたときに、この人は哲学のいわゆる創始者というか、いわゆる源流みたいな人だみたいな、
そういうことを言ってるから、タレスは哲学者なんだっていうふうに今解釈できるみたいな、
そういうふうな感じなんだよね。
なるほど。
となると、下手するとアリストテレスの創作の可能性もあるの?
あるあるある、全然ある。
それはあるんだ。
ある。
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下手するとタレスって人はいなかった可能性も。
そこはおそらくないって話があって、
それはね、なんでそう言えるのかっていうのはちょっと今日、実は第1回でお伝えしたかったところがまさにそんな話なので。
ちゃんとそういう話もあるんだ。
はい、ありますあります。
ちょっともう少し順を追って話していこうと思うんですけれども、
年代的にソクラテスより前って言われてもどんぐらいなのよって話なんですけど、
ざっくり言うと、紀元前600から500年ぐらいですよと。
これがどんぐらいかっていうと、ソクラテスから大体100年ぐらい遡るんだよね。
今から130年ぐらいなんだけど、130年前っていうと1890年ぐらいじゃないですか。
これで言うと実は日本だと明治時代なんだよね。
そう言われると結構近い気がするなというか、
130歳は今までの100歳ぐらいの方って今全然生きてるから、
そういう意味で言うと全然近い気もするんだけれども、
やっぱり今、いろんな記録媒体があって、いろんな情報が残る今と、
当時の130年っていう意味で言うと、やっぱり情報の伝え方が全然違うわけなんですよね。
もちろん人類の歴史とか神の歴史とかって言っちゃうと何千年とか何万年ってあるから、
別にそこからすると2500年前って近いようにも思えるんだけれども、そのスケールでいくとね。
あとはやっぱり2500年経つと、当然実際に自分が残した情報とか、
あるいはこれは正しくこの人が残した情報であるみたいなものが、
正式に残ってるものってあんまりないんですよ。
そうでもね。例えば数百年とか、江戸時代のちゃんと全部残ってるかみたいな話じゃん。
もうちょっと遡ってね、もうちょっと遡ってね。
だから逆に言うと、プラトンとかSISみたいにこれは明確にプラトンが書いたっていうのが残ってるっていうのが、
逆に言うとすごすぎるというか、本当によかったねって話なんですけど、
実際にこういうふうな昔の話をするときに、結構本とか読んでると、断片のみが残ってますかって言われるのよ。
断片って普通に紙の断片とかそういう言葉ね。
僕もそういうの読んで、まあ断片が残ってるんだなっていうくらいで受け出せたんだけど、
じゃあ断片って何かって言うと、いわゆるさっきアリサテルスがって言ったみたいに、
その人にも後の時代の人が証言するっていう、いろんな証言っていう話なんだよね。
ああ、そうなんだ。その人が書いたものの文字通り断片じゃないんだ。
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僕もそう思ってたよ。だからその人の書いた本のかけらとかが残ってて、
日記とかでよくあるじゃん、日記の断片が残ってませんって感じで、
ニスカッタとかっていう話じゃなくて、いろんな人の証言なんだよね。
なんかね、RPGとかで書けた石板を集めてパスワードを解読せよとか、そういう話じゃないのか。
そうなんです、僕もそう思ってたんだけど、違うらしいんだよね。
そう言ってほしいね、じゃあね。断片じゃないじゃんね。
あとの人の情報が残ってますって言ってほしいじゃん。でも断片が残ってるって言うんだよね。
さっきも眺めてたタレスっているじゃないですか。この人は教科書とかでも有名じゃない。
万物の根源は水であると言ったみたいな話があるから、僕もタレスがそう言ったんだみたいな。
書いてたんだろうなって思ってたんだけど、実はそうじゃないらしいんだよね。
そうじゃないっていうか、それはわかんないらしいんだよね、もう残ってないから。
そっかそっか、証明不可能。
証明不可能、そうそうそう。もう残ってないです、情報としてね。
なんでそんな話が教科書でもちゃんと載ってるかっていうと、実はこれさっきも言った通りアリスト・タレスが書いてるんですよ。
なんて書いてるかっていうと、アリスト・タレス自身の本というか、その中で鉄箔の相したタレスは水が万物の始まりなんだけど、
鉄箔の相したタレスが水が万物の始まりだと言っているっていうふうにアリスト・タレスが書いてるんだよね。
だからアリスト・タレスが言ってるんだって話もあるし、もちろんアリスト・タレスだけじゃなくて、他にもセネカっていう人が逆にタレスを批判してるんだよ。
タレスの見解を馬鹿げていると。
彼の説によれば、水っていうものがその大地を支えていて、その大地を運行させるんだっていうふうに書いてるんだけど、
いろんな人が、タレスは水っていうものを重視していたとか、タレスは水っていうものを基にしていろんなことを考えたと言われてるってことを、後の人が書いてるんだよね。
それが断片って表現されてるんだね。
そう、それが断片が残って、それをつなぎ合わせると、タレスっていうのは水っていうものを万物の根源と言っていたんじゃないか、と言っていたであろうだね。
っていう言葉も嘘ではなかろうと。
嘘ではなかろうと。だから、アリストレスの創作かどうかはわかんないけど、いろんな人が書いてるから、それをつなぎ合わせるときに基本大丈夫だろうと。
ただやっぱり、アリストレスフィルターは絶対かかってんだよね。
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はいはいはいはい。
だから、そういう意味でいろんな人が書き残した断片ってもちろん貴重なものなんだけれども、やっぱり時代的にも、タレスとサクラテスって言うと、たぶん200年くらい目立たりがあるんだよね。
やっぱりそのときで、いろいろ考え方の進歩もあるし、アリストレスの個人的な解釈もあるしっていう意味で、
アリストレスはやっぱりすごい超絶ものすごい哲学者、間違いないんだけど、そもそも彼の世界観っていうのは、やっぱりあらゆる物事の第一の原因っていうものを知らなきゃいけないと。
はいはいはい。
それが尊いことで、しかもそれが哲学であって真の知恵だって、そういう若組にやっぱりとらわれてるんだよね。
だから、第一の原因を知るっていうときに、タレスっていう人が、実はそれをはじめに水に求めた大哲学者、その哲学創始者なんだって、やっぱりそういう文明はどうしてもあるんだよね。
うんうん、なるほどなるほど。
だからこれはもう、なんだろうな、やっぱり疑いつつも、でもやっぱりそう読まざるを得ないというか、アリストレスってやっぱり手がかりに、そういうスクラテス以前の哲学者っていう人を読みとかざるを得ないって問題がどうしてもあるんだよね。
あー、なるほど。
もう著作家に残ってない人はもう、そのフィルターかかってるよってことは理解しておかないと、ちょっと違うというか、ある意味アリストテレスとかに操作されてる可能性があるんだね。
そうそうそうそう、本当にそうです。なんかね、よくある歴史書とかもそうだけどさ、勝った側の証言だけで見ると、負けた方がめちゃめちゃ悪く見えるみたいな話と一緒で。
別にスクラテスはタレスとか悪く言ってるわけじゃないんだけれども、やっぱり自分の一定の解釈とかフィルターで通して書いてるねっていうところは割り引かなきゃいけないですよねっていうふうな感じではございます。
先ほどセネカだというか、タレスはバカに出ているみたいな話についても、同じようにセネカが言うほどバカじゃない可能性もあるし。
そうそう、もちろんもちろん。
そういうとこだな。
逆にセネカの見解からするとそう見えるけれどもって話だよね。
なのでやっぱりそういうふうにいろんな人が残してくれてる人であれば、いろんな証言とか歴史的な記述、それは哲学者だけじゃなくて歴史家みたいな人もいて、
そういうものをつなぎ合わせることで、だいたいこんな人を押していたとか、こんな人隣だっただろうとか、そういうことを推測することはできますよと。
なので今回に関しては、一人一人のものを掘り下げていくっていうよりは、いろんな哲学者、ソクラテス以前だって言われてる哲学者っていうものを取り上げながら、
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こんなところでこうする人からこの人はすごいとか、いやこいつはダメだって言われてるみたいな、そういうものを取り上げていくことで、
いわゆるソクラテス以前の哲学っていうものがどんな雰囲気だったのかっていうところを大きく掴んでいく。
そんなことをやってみたいなというふうに思っておりますっていう感じなんですよね。
はいはい、なるほどなるほど。そういうときかく掘りようがないって話なんだね。
もちろん一人一人をうまく掘り下げるっていうのも全然できはするんですけど、それをやっても新しい発見っていうか、
例えばタレスについてめっちゃわかったけど、それがめちゃめちゃ面白かったって言われると、わからんって思っちゃったんだよね。
やっぱり思想的な深みとか面白さみたいな話でいくと、やっぱり多分ね、現代とかに近い人たちの方が多分あるからどうしても。
それは情報量の話もあるんだけどね。
なので、もちろん雰囲気というか、じゃあなんでそういう万物の根源が水座っていうふうに言われてるのかとか、
そういうことを考えたのかっていう話は取り上げようとは思うんだけれども、そこの精緻な議論はちょっと1回いいかなって思いました。
なるほど、なるほど。はいはい。当時の状況とかは踏まえられるけれども、ある程度ね。
ただタレスがなんでその社会状況とかこの中で水に着目し、どういった理論を土台の上に立てたのかみたいなとこは、
ちょっとあまりにもフィクションというか、難しい部分ではあるといろんな意味で。
難しい部分もあるし、あと、そうなんですそうなんです。
あとやっぱりちょっと今回ね、この後実はまた話してくるんだけど、結構神話的な話とかも絡んでくるんだよね、当然。
へー、あ、そうなの。当然なんだ、それは。
当然。その当然っていうのはやっぱりスバルテス以前の、例えばじゃあ物事を深く考えるって何かっていうと、やっぱり基本的には神話なんですよ。
この世界何であるかっていうと神が作ったっていう、例えば話になった時に、神っていうのはどんな働きを持っていてとか、
神の世界ってのはどういうものでっていうふうに、やっぱりそういう神話っていうのに基づいて世の中を説明するっていうところが、やっぱりこのロジックとかロゴスじゃない語り口なんだよね。
あー、そうなんだ。
うん。
はいはいはい。
そうなんですそうなんです。
それはちょっとね、この後また話すんだけど、なので、やっぱりタレスが万物の根源は水だって言った時に、
それは何かものすごいロジカルに原理立ててやったかっていうことよりは、やっぱり水っていうものは神話の世界の原初からあるものでみたいな。
ほうほうほう。
とかやっぱりそういうふうにいろんなものごとに影響するもので、それは神話だけじゃなくて現実もそうであるっていうふうに、やっぱりそこを結構両方見ながらいくみたいな話はどうしてもあるんだよね。
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あーなるほどね。さっき言った理論の土台みたいなものが、割とこのビーシャ神話というか、
あーそうそうそう。
そういった世界観が割とマジで土台みたいな感じなんだね。
あ、そうですそうです。
本当にそう。
はいはいはい。
逆に言うとその土台からちょっとずつ現実世界というかその自然、
要は神の働きじゃなくて自然の働きの方に移ってきてますっていうところが、
このソクラテス以前の哲学者の特徴だっていうふうにアレステルさん見てるんだよね。
あーなるほど。そこからちょっと離れ始めてる人たちなんだ。
そうそうそうそう。
へーはいはい。
そうなんです。
なのでそういう人たちが例えば今挙げたタレスってもそうだし、
名前で言うと多分知ってる人いるかな。アナクシマンドロスとかヘラクレイトスとか、
パルメディウスは前回出したね。パルメディウスとかデモクリトスとか。
知ってる人いる?なんか。
ヘラクレイトスとデモクリトスはなんかでも早くに聞いたのかな。
かもしれない。ヘラクレイトスはね、マブツは露天するみたいな話だし、
デモクリトスは原子論だね。原子っていうもの、アトムっていうものを考えたりしなったりするんだけど。
はいはいはい。
あとね、有名人だったのはピタゴラスがいます。ピタゴラス。
ピタゴラスイッチのあの。
ピタゴラスイッチの人ではないけど。
サンヘイコのピタゴラスの定理でよく出てくる人がね。
うーん。こんな昔の人なんだね。
そうそうそう。サンヘイコの定理は別にピタゴラスが作ったわけじゃないらしいんだけど。
そうなんだ。
そうなんです。ピタゴラスとかもこの時代にしたんだよね。
っていう風に、いつもより人多めですみたいな、いつもより多く紹介しますみたいな感じなんだけど。
なのでちょっと1回分で2人ぐらいを取り上げながら、
こんなことを考えてる人いたんだとか、こんな風に当時の人が考えたなっていうところを
ちょっと皆さんにお伝えしていきたいなという風に思っておりますっていう感じなんですよね。
はいはい。でも今の話は面白いね。
確かにギリシャ神話、バリバリの時代から
ソクラテスとかフラトン・アギソテレスみたいな、そういう自然科学みたいなものがあったとすると、
そこの間の人って考えると、
カトキと考えると確かにフワフワしてて、資料も残ってないし、
っていうのは納得もできる気もするよね。
そうそうそう。
なので次回からタレスとは?みたいな話をまたしていくんですけれども、
今回せっかく初回なので、タレスより前ですよね。
今ソクラテス以前の話をしてるんだけど、タレスより前で、
今言ったそもそも哲学が始まる前っていうところの神話的な世界観というか、
ここから哲学が生まれそうになる場面っていうところをお伝えしていきたいと思っております。
18:08
ぜひぜひ。それは面白そうだね。
面白かった。これ僕もあんまり知らなかったんだけど、今回たまたま読んだ本、
まさにソクラテス以前の哲学者っていうまさにそのままのタイトルの本があって、
それを読んでたんだけれども、
今日第1回取り上げる人の名前がヘシオドスっていう人なんですけど、
ヘシオドス、この人は紀元前700年くらいなので、
タレスとかでもさらに100年くらい前だね、に実在したと言われてる人なんですけれども、
この人はこっちの人だからホメロスは知ってるかな、
イリアスとかオデュッセイアとかって言われている、まさにギリシャの詩を書いてるような人なんだけれども、
最古の詩人なんだけど、この人と並ぶくらいヘシオドスっていうのは有名だというか、
優れた最古の詩人だって言われてる人なんですよね。
詩人なんだ。
詩人。
だから、いわゆる3文的に考えて、次はこれとかじゃなくて、詩の形式で本を書いてる人なんだけど、
逆にこの人に関しては実は2つの本が残ってると言われてて、
それが神党紀、神を統合するだね。
統合。
統合の党に古事記とかの記だね。神が統合する記みたいなものと、
これはギリシャ神話にまさに関するものなんだけど、それとあとね、こっち面白いんだけど、
労働と日々っていう、すげえ日常生活で書いてる本があるんですよね。
面白そうね、なんか。
これちょっと僕も読めてないんですけど、内容的には詩の形式なんだけど、
いわゆる働くことのね、農業なんだけど、働くことの尊さか楽しさっていうのを説明したりとか、
あとは種まきとかね、仮取りの時期を教えるみたいな、結構そういう詩が残ってるらしいんですよ。
わーいいね、ストリートスナップじゃないけど、リアルな日常とかも残ってそう。
そう聞くとすごい親近感出るじゃん、いきなり。
このヘシオドスさんに関してはちょっとそういう来歴とかが残ってて、
もともと親が貿易省を行ったんだらしいんですよ。
貿易ね。でもちょっと事業に失敗しちゃって、そっから地方に移住して農業を行ってますと。
畑仕事してんだけども、
その時に詩の女神の声を聞きましたと。
そういうことがあってから詩の道に入って、
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で、めきめきとその才能を伸ばして、詩の発表会で優勝しますみたいな。
今で言うと多分ピアノの国際的なコンクールとかそういうふうなものだと思うんだけど、
そこで優勝して、この人はすごい第一人者って言って、
詩人として生きてきましたみたいな。そういう逸話の人なんですよね。
なるほど。
だからそういうことを聞くと、農業とか労働というかね、
そういうふうなことを詩として残すっていうのを頷けるなって話なんですけど。
なるほどね。その執事を考えるとね。
そうそうそう。自分のやってきたことを詩に残すっていう話で。
やっぱりその仕事も単なる仕事じゃなくて、やっぱり詩の女神とかそういう神様と繋がっている意味でも仕事だよみたいな。
たぶんそういうことはあるんだけれども。
さらにこの浸透器の方ね、神様の方はどうかっていうと、
これも単なる神話じゃなくて、いわゆる宇宙のできた原因だよね。
要は例えば風が吹くっていうのは、風の神はいくらだとかっていうことじゃなくて、
そもそもこの宇宙っていうのはどんな風に生まれたのかっていう、
どんな風に神が作ったのかっていうふうなことをある種立てて、
その理由としてオリンポスだよね、ゼウスとかさ。
オリンポス十二神みたいなギリシャ神もあると思うんだけど、
神々の中の丸手頂点に立つゼウスっていうものが、
こういう風な性質を持っているからこんな宇宙ができたんだとか、
あるいはこんな意図を持っていたからこんな風な宇宙に今なっているのとか、
そういう風なある種、一個の原因みたいなものをまさに通っていくみたいな、
そういうものの走りがここにあるんじゃなかろうかっていう風に言われてるんだよね。
へー、そうなんだ。むしろ哲学的な営みではね、真理とは何かみたいなものの、
ちゃんと文字で残っているというか、真理として残っている意味では、
営みとしてはここが最初だぐらいの話なの、これ。
ギリシャの中でそういう感じかな。
もちろんインドとかそういう方では、それこそウパニシャットみたいな感じで、
根源的なものの通りとかってあったんだけど、あれもインド海の時に話しましたけれども、
もともとは本当に神話だよね、ベイダっていうような神をある種祀るような言葉がある種、
詩があった時に、そこからやっぱり一歩進んで、神の根源的なものとは何かとか、
宇宙の究極の姿とは何かっていうふうな方に思考が行ったみたいな話に近くって。
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その信仰というものから、その根拠はみたいなものが、
もしくは根性っていうほど批判的っていうよりは、
もっと信仰を深めるためというか、それって何だろうという純粋な好奇心みたいな話だったかもしれない。
そうなんだよね。
たぶんその好奇心が身を滅ぼしていくんだけれども。
滅ぼしちゃった。
もうちょっと言うと、いわゆる今ある世界とか宇宙というものを考えますという時に、
それがただ単にあるんじゃなくて、なぜあるのかとか、いかにあるのかっていうそこを通っていくわけなんだよね。
そこにゼウスの意図っていうのを読み取っていくんだけれども、
どんなことを言ってるかっていうと、
まずこのヘジオドスさんは、最初にカオスがまず生じますと。混沌ね。
ここから天とか地とか、夜とか昼とか、そういうものが生まれていったんだと。
そういうことも日本神話に近いんだけど、
例えば天で言ったらこの神様とか、日本で言うと太陽のアマテラスとかあると思うんだけど、
地で言ったらこの神様とか、夜はこの神様、昼はこの神様みたいな感じで、その神様を配置していくんだよね。
そういうふうに神々が誕生していくのと合わせて、そういうふうに世界ができていくんだけれども、
それがゼウスの子供としてとか、ゼウスが生んだっていうふうに言われてるわけなんだよね。
だからこれは神話的に見ると、いわゆる神が神の子を産むって話なんだけど、
哲学っぽく解釈すると、ゼウスの秩序っていうものが子供の秩序に変わっていったっていうふうな話として語られていくんだよね。
これイメージできるかな。
できない。
できない。もとと言うと、天は上にあって地は下にあるじゃない、今人間の感覚で言うと。
とか、昼と夜っていうのは規則正しく巡ってくるじゃない。
これっていうのは、なんでっていうと証明できないわけなんだよね。
証明というか説明できないじゃない。今でこそ地球が回っていてとか、太陽のいわゆる周期によってとかっていうのがあったりするんだけど、
当時で言うとそこはわかんないわけよね。
そうね。これが事実というか、育ってる。
あるからある。
説明できないんだけれども、
でもこういうふうにそこに、それは実はゼウスの意図として昼と夜っていうものを作って、それが交互に来るようにしたんだとか、
天っていうものは上にあるようにあって、地というものは下にあるようにあるっていう、そういう秩序をゼウスが与えたんだっていうふうに説明与えたわけよ。
なるほど。
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そう。これって全然違うんだよね。要は、ただあるようにあるっていう話と、ここに何らかの秩序が働いてるっていう話って、世界観として全然違うってわかるかな。
それってそのギーシャ神話の時点。
今回で言う、誰だっけ。
エシオドス。
エシオドス。
以前の人は、ギーシャ神話を信仰として捉えるという素朴に捉えると、どっちなの。
昼夜は夜であるじゃん、みたいな感覚なの。それとも神がいるみたいな感覚なの。
それでいくと、神はいますと。
ただ、信仰だと基本的には神様に全てを寄っているというか、神様次第なんだよ、全ては。
だから別に人間っていうのは神様に、ギーシャ神話でそういう信仰があったかわかんないけれども、日本で例えばお供えをするとか、お祈りをするというので、例えば雨を降らせてもらうとか、そういうことをお願い、期待するわけじゃない。
それは、神様の働きを強めたり弱めたりとか、お願いしてるだけであって、神様の秩序を理解してるわけじゃないんだよね。
なるほど。
ゼウスの意図っていうものを仮にあると考えたら、ゼウスの意図を読み解けば、自分もその意図に沿って、それに正しいというか、ゼウスの意図に沿った行動ができるっていうふうになるじゃない。
なるほどね。はいはいはい。
ゼウスにお願いをして何か祭り事をしてお願いしますじゃなくて、ゼウスはきっとこういう意図で世界を作ったから、こういう意図に沿って行動すればきっとこうなるはずだっていう、そういうロチックが湧いてくるんだよね。
なるほど。はいはいはい。
わー、なんか禁断の陽気な感じもするね。
そうそうそうそう。これがね、まさに崩壊につながるというか、意図っていうものを捉えた瞬間に、その意図を理解してそれを操作仮にできるとしたら、意図を自分の意図にできるっていうふうなことが生まれてくるわけよ。
うーん。
わかる?この大きな違い。
うーん、ヘシオドスはそこまで想定してるのかな?
してないと思う。別にヘシオドスはそれをしたかったわけではないと思う。
はいはいはいはい。
あ、であればわかると思う。ヘシオドス自体がそれを想定してたとしたらやべえなと思うけど。
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たぶんそうではない。ただ単純にヘシオドスは本当に純粋に、まさに宇宙とか世界とか神っていうものを理解しようとしたときに、それを通ってゼウスの意図っていうふうに辿り着いた?
だと思うんだけど、たぶんそこから、じゃあゼウスの意図を理解すればっていうのはたぶん後からの話なんだけど、
はいはいはい。
そういうことに繋がっていって、たぶん次回以降話していく、じゃあ万物の根源は、それを知れば世の中のことを理解できるはずだっていう、そういうことが生まれていったんじゃないか。
これは僕の感覚というか解釈なんだけどね、これは。
うんうんうんうん。
そういうことって全然起きてもおかしくないよねっていうふうにこの本を読んでて思ったんだよね。
なるほど、だから純粋な好奇心とその先に行き着いたというか、そこから得られたものをどう使えるかみたいなところがちょっとまた違うというか、
一人の中に違うように存在するかもしれないし、時代を経てそれが使われちゃうかもしれないしみたいな。
そうなんですそうなんです。
面があるっていうね。
うんうんうん。
まさにまさにそう。
で、これって世の中の世界の秩序とかっていうとね、なんかすごい大行の話なんだけれども、まさに日常生活においても一緒だって読んでて思ったんだよ。
っていうのは農業とかもさ、やっぱりこう知識がないというか昔の人であれば、なんで今年は豊作なのに、なんで去年は豊作があったのに今年は強作化とかどうせわかんないわけじゃん。
うんうんうん。
それは神の恵みとか、やっぱりそういうふうなものにすがるしかなかったと思うんだけれども、今の僕らは知識があるから、こういう気候でとか水温でとか、感覚で種を植えたときにこんだけ出てくるっていうのは予測できるわけじゃない。
うんうんうん。
で、当時そのエシオドスみたいな時代からすると当然そこまではわかんないんだけど、ある種ゼウスの秩序として昼と夜がちゃんと規則正しく巡るとか、季節が巡るっていうのがあったときに、それに沿ってちゃんと農業をすると豊かな実りができるとか、
それに沿わずに全然知らんときに種を植えても生えませんよっていうのは、それは神の秩序、ゼウスの秩序に反応してるからだっていうふうに説明ができるわけだよね。
おー、はいはいはい。
なると、ただランダムに植えるんじゃなくて、秩序に従って走るんだけど、つまりこれは宇宙を支配するゼウス、神の秩序と人間世界における例えば種をまくとか、労働をするとか、そういう秩序っていうものが同じ1個の秩序で貫かれてるんだっていうふうなところまで行くんだよね、思想として。
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で、たぶんここまではヘシオドスも言ってたんじゃないかと思うんだよね。
さっき言った通り、神統記っていう神についての話と、労働と日々っていうまさに日常生活の話でも書いてるんだけど、その日常もやっぱり神にある種預かっている。
はいはいはい。
神に則ってやっぱりやっていくことが大事だっていう話だとすると、そういう1個の秩序があるっていう話を持っていると、ゼウスの与えられる秩序こそが正しくって、その正しさに則って生きることがまた正しいんだっていうふうな思想になっていきますと。
なるほどなるほど。
はい。っていうふうな感じなんだよね。
なんか本当そういうことはわかる気がする。当時の農業技術だったりとかはよくわからないけれども、かなり当時からすると、精度の高いマニュアル作ったぜみたいな話、近いのかなと思った。
そうねそうね。これにのっとって、ちゃんと農業をしたら豊かな芽があるし約束されるみたいな、そういうふうなまさにマニュアルだよね。
ただの前例主義でも関連でもなく、ちょっと今年は暑いからとか雨多いからとか寒いからちょっとずらそうかみたいなことができるようになるんだね、これでね。
そうそうそうそう。
例えばね。
そこに神の意図を見るからだよね。
そうだね。そこが神の意図、つまり今でいう自然の説理というか。
はい、そうだね。
物が、そこが繋がるんだね、なんとなくじゃなくて。今ではおじいちゃんがそろそろのこの時期かのうって言ってたのを、いや違うと神がこう言ってるから、今日は違うんだおじいちゃんみたいな話ができるようになるってこと。
そうそうそうそう。まさに。だから本当そうだね。今何か自然の説理ってポロッと言ってくれると思うんだけど、まさにその神話の時代においてはその自然イコール神だったわけだよね。
そこから神の性質をある種剥ぎ取った時に自然っていうのが出てくるんだけど。
だからそのヘシオドスの時代、紀元前700年にはゼウスっていうものがこの世の根源だった話なんだけど、そこから100年経ったサレスには根源は水だっていうふうに主張ができるようになったというか、そのぐらいの変化があったんじゃないかと思うんだよね。
なるほど。ある意味じゃあヘシオドスは万物はゼウスであるって言ってるような段階だったんだね。
そう、そういうことそういうこと。でもそれまではそもそもそういう万物はとかっていう発想すらなかったんじゃないかっていうふうに思ってて、ちょっとこれはそこまで本で書かれたわけじゃないんだけれども、
確かにちょっとこれもね、僕も詳しくないけどさ、想像してみるとさ、例えば狩猟生活が出たような時代、それこそ縄文時代とかさ、
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っていう時に各種で点々としてさ、比較的少ない集団で暮らしてるっていう場合、別にそんな統一的な秩序とかって考える必要ないんだよね。
自分の集団の秩序とかルールがあったかもしれないけれども、宇宙を貫くとか人間社会を貫くとか、そんな考えって多分そもそも必要ないんじゃない?
私確かにそういう概念もないかも、確かにそもそも。
その概念が必要にならないんだよね。そこからある種狩猟から定住みたいなのって、サピエンス前史とかでも有名だと思うんですけれども、
農業革命っていう感じで定住すると農業で生きていかなきゃいけない、集団で生きていかなきゃいけないから、
そういう生産性を高めなきゃいけないっていうのをやったように話してあると思うんだけれども、
そういうふうな時代だからこそ、統一的な秩序とかそういう何かを貫く概念とかって必要になってきて、
そういうところから神話とかこういう神だったりとか原理だったりとかそういうものが生まれてきたんじゃないかって考えるのが、
ちょっと無理ではないんじゃないか。正しいかどうかわかんないけどね。
かなり自然な感じがするね。確かに確かに。部族ごとに種を採取で暮らしてたとしたら、確かにその中で全部完結するけれども、
農業で、例えば部族が何個でもいいのに30個部族が集まりました。みんなで農業をして安心・安全に暮らしていきましょうっていう時に、
その30個の常識があるわけで、うちのおじいちゃんは今日って言ってたぞって言って、うちのおじいちゃんは来週って言ってたしみたいな、
そこも意見をまとめる人が、その中で一番強い人とかじゃなくて神みたいな、すごい楽だよね。
楽、そう。やっぱ共通認識持ってるよね。当然さ、当時は暦とかも多分ないし、ちゃんと正しくないんだろうから、
じゃあ去年の、例えば8月31日にやったよねとかっていう話もできないわけだよね。
それこそやっぱり、当然昔は、いわゆる宇宙というか星っていうものがかなり神と結びついてたから、
例えばこの星がここにあるときに植えればいいんだとか、この星がここにあるときに何かをするんだみたいな話が大事になってくる。
それがいわゆる星の運行をつかぞっている神のゼウスの意思だっていう風に繋がっていくわけなんだよね。
39:01
自然と神っていうものが。
ちょっと待ってね、今それ聞いて思ったんだけど。
はい、どうぞ。
それって同時に、多神教から一神教っぽくなったじゃないですか。
お、いい気づきですね。
ありがとうございます。いい気づきなんだ。
いい気づきなんですよ。
ちょっと今回言えなかったんだけど、もともとは多神教、ギリシャの神々って言われたときに、
ゼウスっていうものが神の中でもより原始に近いというか、他の神々よりも影響力が強いっていう風になって、
ゼウスの一神教っぽさが増すっていうのは本当そうなんだよね。
ごめん、地味とかにちゃんと説明するようなやつだった?
全然全然。ちょっとまた別にそれは。
コメントは関係ない?
コメントは関係ない。
ちょっとシーマに踏み込みすぎるかなと思って。
僕もあんまりそこは詳しくないからあんまり触れなかったんだけれども、実際そうらしい。
そういう話はあるんだ。
あるらしい。
こういうときにゼウスの特権性というか、それが強まっていくっていうのはあるみたいなんだよね。
ちょっと面白いね。
そうするとギリシャ神話って他神教だよねみたいな概念感覚が、下手するとソクラテスとかアリストテルソン時代は若干感覚としても違った可能性もあるんだね。
全然ある。
哲学とギリシャ神話がもしかするとゼウス一神教みたいな感覚だとすると、神技の追求ってものがすごく違和感ないものとしてはあり得たんだね。
だから前回、他神教的なとかソフィストの概念もちょっと言ったと思いますし、西洋イコール一神教だけじゃないっていう話もしたと思うんですけど、
それは正しいし、でも逆に言うとゼウスみたいなところに根源を持たせようとするっていうのはすごく一神教に近づくような動きでもあるっていう。
ローマキースト教ぐらいからじゃなくて、実はこのぐらいから一神教的な感覚っていうのはもしかしたら芽生えてたのかもとも言えるかもしれない。
芽生えてたと言えると思う、それは明確に。
わー面白いね。
そもそも根源とか、第一の原因とかっていうものを探るっていうもの自体が一神教的な発想だからね。
だからその時、この時はいわゆるキリスト教みたいに、とにかくキリストだけがいるとかってことではない宗教ではあったけど、ゼウスっていうものがやっぱり神の中の神みたいな立場にはあったっていう感じらしいんだよね。
わーこの紀元前700年くらい?
そう700年くらい。
へー。わー面白いね。
42:02
なので、やっぱり思想とか哲学の流れを見るときに、僕もこのテレビって初めて読んだんだけど、そういう神話からの移行というか、やっぱり神が世界を支配しているというところから、
あるいは自然の摂理とか、そういう違う原理があるんじゃないかって考えること自体がすごく人間らしいというか、そういういろんな環境の変化とかがあって生まれた営みなんだなっていうふうにちょっと思ったんだよね。
そういう意味でいうと、やっぱりヘシオドスっていう人は、まさか西洋の歴史で残っている中で初めて、そういう宇宙と人の社会を貫くというか、そういう統一的な原理をつかもうとして、死という形でね、それをちょっと表現しようとしたというか、そういう人なんじゃないかっていうふうに言えるんじゃなかろうかと思うんだよね。
はいはい。なるほど。ちょっと当時の雰囲気というかね。これが全てではないせよ、こういう変なことを考え始めた人がいるんだっていうね。
だからね、ある種ね、今の僕らからするとあまりにも昔すぎてイメージができない。どんな詳しい話をしたかもイメージが湧かないんだけれども。逆にね、こういう2500年とか何百年前の人に思いを馳せることで見えてくることというか、気づけることもあるかなと思うんで。
もっとね、そういう秘書中に行くみたいな日々の喧騒から離れてね、そういう場に行くぐらいの気持ちで、今回のスクラテスイズの哲学者っていうものは楽しんでいただけるといいんじゃないかなと思っておりますっていう感じですね。
だから、アリストテレスが、それこそタレスが、たぶん哲学者の走りだみたいなことをもし言ってたとすると、実はこっちのヘシオドスの方が万物はゼウスであるみたいなことを言い出してるから、こっちの方が始まりだぞみたいな話なのか、今回の話で言うと。
まあ、そうとも言えるし、アリストテレスの定義から行くと、それは哲学ではないっていうふうに多分なるだろうから。
まだ哲学じゃないって。
そうそうそうそう。それは神話の領域で、ここから離れて始めて、ちゃんと水っていうものに注目して、タレスだっていうふうな意図なんだと思うんだよね。
ああ、そっか。なるほどね。ゼウスって言ってる時点でまだ宗教っぽいじゃん。
宗教っていうか神話だね。
神話、はいはい、あそこ神話か。
はい、みたいな感じだったんですけどもね。
そうだね、なんか一人一人が云々じゃなくて、その当時の世界観みたいなもの。
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そうね、雰囲気とか。
価値観みたいなものが面白いんだ。
さっきも話してたけれども、西洋個人主義っていうものが、実はこの時代は違かったんじゃないか、みたいなところが、エソフィストあたりの時に話してたけれども、実はね、多様性が、宗教連携が。
話があったけど、実はそうでもないみたいな、もう一回裏返った感じがするし。
両方あるね、うんうん。
だからこれはあくまでも哲学者側の、哲学者につながる側の話だから、そうでもないところではもちろん違う活躍の仕方をしてた人もいると思うんだけど。
はいはいはい。
という風にね、やっぱりちょっと冒頭もさせてもらいましたけど、やっぱりソフィストというものと、哲学者というものをある種比較的に見て、前回はソフィスト側に立ってみたけれども、今回は哲学者側に立ってみた時に何が見えるのか。
これもちょっと皆さんと楽しんでいきたいなという風に思っておりますと。
次回はですね、このタレス、今日名前いっぱい出したタレスと、あとさっき名前出したうちからもう一人ぐらいかな、ヘラクレイテスとか、ちょっと何になるかわかんないですけど、アナクシマンドロスとかそういう人を取り上げてお届けしたいなと思ってますっていう感じですね。
わかりました。ちょっと楽しみだし、今回のここまでの話だと、まだソフィストの活躍する場なさそうだなっていうのがわかる気がして面白いな。
職業としてまだ成り立たなそうだなと思って。
そういうところも思いをはすながらぜひ聞いていただけたら嬉しいなと思っております。
わかりました。では次回ですね、楽しんでいきたいと思いますというところで、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。