1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #261 幸福になる極意とは?エ..
2024-10-27 42:24

#261 幸福になる極意とは?エピクロス「快楽主義」の本当の意味

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。




▼「それ哲公園」サイトはこちら!
https://www.soretetsu.com/




▼おたよりフォーム
ラジオのご感想やコメントなど、お待ちしております!
https://forms.gle/ThJocrLap77ELG7B7
00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回からエピクロス派ということで見てきたんですけれども、なんか前回だけ聞くと快楽主義とかで怪しさ満点というところだったんですけど、今日はどんな感じになるんでしょうか?
そうですね。やっぱりエピクロス派の哲学とか思想っていうのを今回と次回でやっていくんですけれども、
ストア派とは逆で、ストア派は認識論やって倫理というかどう生きるかってやつだと思うんですけど、
エピクロス派は逆にどう生きるかの倫理学の方を先にやろうかなと思ってるんですよ。
もっと言うとね、兄貴が言ってくれたのは快楽主義の快楽ってなんだみたいな。
それがわかると逆に、あ、そんな感じねとかってなると思うし、それがわかんないと、なんか怪しいなこいつらみたいな。そこ抜け出せないと思うんで。
そうね、前回も聞いただけだと哲学より宗教っぽいんじゃない?っていう印象を持ってるから。
ただ成り立ち的にはっていうか、やっぱり思想的にはこう生きるべきというか、こう生きるのがいいよねっていうのがあって、
だとしたら宇宙とか世界はこうなっているはずだみたいな、そういうふうな理解の仕方の方がたぶんスッキリすると思うんだよね。
このエピクロス派に関しては?
そう、エピクロス派に関しては。哲学って普通逆で、世界観とか宇宙はこうなってるから我々人間はこう生きるべきだとかっていうふうに、
そっちの形状的なことがあって、現実の話なんだけど、エピクロス派に関しては現実はこう生きるべきなので、我々の宇宙とはきっとこうなってるよねっていう、
そんなふうな理解でやっていけるといいのかなと思っておりますよ。
はいはい、わかりました。
さっそく言うと結論から伝えちゃうんだけれども、この快楽、快楽中の快楽って何ですかっていうと、
ことで言うと、生きる究極の目的が快楽であって、より具体的にはシンプルで、体に苦痛のないことと魂に動揺のないことっていうふうに言われてるんだよね。
あーなるほど、そういう定義なんだ。
そう、そういう定義がありますよと。
逆に言うと、体に痛みとかがあって、魂が動揺しているっていうことをエピクロス派では苦痛って呼ぶんだよね。
03:03
なので快楽と苦痛ってある種コインの裏表みたいな感じで、快楽と苦痛があるよりは、苦痛、体に痛みがあって魂が動揺している状態じゃなくなればそれは快楽だし、
逆に快楽が損なわれて、体が痛いとか、魂がめっちゃ動揺して、あちこちかけまわってるっていうか、落ち着かないとかってなると、それが苦痛だよみたいな。
そういうふうな定義をしておりますって感じなんだよね。
なるほど、そうなんだ。全然あれだね。美食に吹けるとかそういうことじゃなくて、苦痛がない状態っていう意味なんだ。
なんかちょっと仏教チックだね。ある意味基本姿勢が大変だねっていうので、それが取り除かれているとか、魂に動揺がない、ストレスフリーであるみたいな状態。
ある意味ゼロみたいなフラットな状態。マイナスからネガティブからせめてフラットに持っていきましょうみたいなね。
それを快楽と呼ぶのであれば、ああなるほどっていうイメージがすでに変わってきてる。
まあね、仏教とは違うのが、結構徹底しててさ、仏教って要は執着をなくそうとか、全ては空だから、ある種、そこに隣り付けば快楽も苦痛もなくなるみたいな、そういう感じじゃない?
でもエピクロスに関しては、やっぱ快楽が善っていうのはそれはもう大前提だよね。
なので、あらゆる快楽はとはいえ良いものですっていう風に言っちゃうのよ。
なので、これは結構他の哲学者と違くて、例えばプラトンとかアリストテレスっていうちょっと前の時代の古代芸術家の哲学者がいたときに、
彼らはやっぱり快楽っていうのはある種善にも悪にもなるよねっていう風に言ってるんですよ。
うーん、ちゃんと語られてるんだ。
語られてる、語られてる。
もちろん快楽ってのは良いこともあるんだけど、例えばね、それこそ美味しいからといって甘いものだけずっと詰めてますとか、
毎日暴飲暴食したら体壊しますよねっていう感じで、快楽に従った結果、悪い結果が起きるっていうのはもちろんあるよねっていうのが、
プラトンとかアリストテレスが守っているとある種常識的な考え方なんだよね。
まあそうだよね、過ぎたりは及ばされないこともあるよね。
そうそうそうそう。
それは当たり前じゃんって感じなんだけど、
ヒプロスに関しては、それでも快楽って良いものだっていう、そこはぶれないんですよ。
うーん、ふんふんふん。
ここがある種ね、ちょっとここが哲学者と違うところで面白いんだけど、
06:05
まあでも矛盾しない感じはするよね、ある意味さっきの体に苦痛のないこととして捉えると、
甘いものを食べ過ぎて具合悪いっていうのはダメな状態だから、そっから快楽に持ってこうとすると甘いもの控えましょうっていうのが快楽に向かう道と考えると、
まあわからなくはないというか。
まあね、ほんとその感じで、やっぱり甘いもの食べまくって虫歯になりましたっていうのはまさに体に苦痛としている状態じゃない。
確かに痛いね。
そうそう痛いってなるんで、その快楽っていうのはやっぱり無視した方がいいよねとか、
逆にすごい普通なんだけど、でもその先にもっとすごい快楽がある。
これこそ仏教的で、なんか苦行して本当に悟れるんだったら、その修行も大きな快楽につながってるじゃないかみたいな。
そういうのもあるのか、目先のとかじゃなくてね。
そう、目先のとかじゃなくて、最終的にはゴールド氏の体に苦痛がなくて、魂に動揺がないっていうことを目指すから、
そこに照らし合わせて、いいことは快楽として取り入れていくし、その苦痛というものを取り除いていきましょうっていうふうな、そういうふうなことを大前提で考えてるんですよって感じなんだよね。
なるほど、シンプルでわかりやすい指針だね。
これはここで言えばシンプルなんだけど、問題としてはエピクロースがそうはいいつもとはいえ、快楽は全部良くて苦痛は全て悪いって言い切ってるんですよね。
どういうことだろう。
これ難しいというか、それだけ聞くと冒頭何か言ってくれた通り、おい好きなもの食べて好きなときに寝て起きて、ちょっと自堕落的な。
あっそれでもいいんじゃないってなっちゃうんだけど、やっぱりそこが実は違うよっていう話がエピクロース派の大事な部分でございますっていう感じなんだよね。
はいはいはい。
例えば、快楽がいいみたいな話でいくと、だいぶこれ構成なんだけど、ベンサムの幸利主義っていうのがあって、
これはいわゆる最大多数の最大幸福とかって聞いたことありますか?
うん、経済学の分野でも言われるもんね。
経済の分野でも言われるのか。
でいくと、ある種そこ個人の幸福を最大化するってことは、結局は社会全体の世の中が一番良い状態だよねっていうのはこのベンサムさんの話で、
それももちろんいろんな批判というかあれはあるとは思うんですけど、
パッと見エピクロース派ってこれに近く見えちゃうんだよね。その快楽がいいとかさ。
09:00
はいはいはい。
全てが、みんなが身体に苦痛がなくて、苦痛が取り除かせればいいよねってなると、みんながハッピーであればいいんじゃないかっていうふうにも思えるんだけど、
実はこれがちょっと違うんですよ。
エピクロース派っていうのは快楽を最大化せよとか、快楽を完成する時が最高だっていうふうに言ってなくて、
はいはい、そうなんだ。ほうほうほう。
そう、言ってなくて、またちょっと話すんだけど、
快楽とか苦痛っていうのが問題にならない、そういう状態を目指すべしっていうふうに言ってるんだよね。
ほうほうほう。だいぶフラットな感じはしてくるよね。
ここまでくると。
ここまでは。
さっきから快楽と何かって話をしてるんですけれども、改めて快楽っていうのはさっき言った通り、魂に動揺がないこととかっていう感じなんだけれども、
エピクロース派の考えでは快楽って無限に湧いて出るものじゃないんだよね。
ほうほうほう。
例えばここに一人のお腹を空かせた人がいたときに、彼は空腹っていう苦痛を感じてるわけじゃないですか。
ほうほうほう。
お腹空いたよ、食べたいよってなってるんだけど、そこに対していわゆる食べたいとかっていう欲求を通じて、その欲求を満たすために何かを食べますよね。
ほうほうほう。
そうすると快楽っていうような、食べたいっていう欲求が満たされたっていうような状態になるわけなんだよね。
うん。
これをエピクロース派的には動的な快楽、動く快楽とかの行動することによって満たされた快楽ですっていうふうに言うんだよね。
はいはい。
例えばお腹空いた人がしっかり食べ切って満足すると、空腹っていうのは苦痛がなくなったので満足した幸福快楽の状態になるじゃないですか。
うんうんうん。
そうするとこの状態では、この人は他に切り替え品することがないとしたら魂も満たされているとすると、体も満たされていて魂も満たされているっていう状態に至るんだけど、
この状態が続くことも静かな快楽だっていうふうに言ってるんだよね。
うんうんうん。お腹いっぱいの状態ってこと。
お腹いっぱいで満たされている状態。
うんうんうん。
やっぱり苦痛がない状態だよね。
はいはいはい。
っていうのを静的な快楽っていうふうに言います。
うんうんうん。
こういうふうにエピクロース派は動的な快楽、足りないものを満たすっていう話と、
12:01
その満たされ続けるっていうものを動的と静的っていう感じで分けるんだよね。
うんうんうんうん。
で、2つ目の静的な快楽、静かにずっと満たされているっていうものが、
より最楽なんだと、より高い快楽なんだっていうふうに、
その快楽の中でもグレードっていうのかな、優劣をつけてるんだよね。
うーん、なるほど。はいはい。またお腹すくいっていうのかね。
あ、そうそうそう。だからまたお腹すくとまた苦痛が出るじゃないですか。
だから、例えばその時にまた食べ物がなくなったらすごい動揺するわけじゃん。
うんうんうん。
だから例えばある程度蓄えておいて、お腹がすいても食べれるってことが分かってると、
魂の動揺がなくなるっていうふうにして、苦痛を感じにくくなるとか。
なるほどなるほど。一瞬腹減ったなっていうのあるけど、やべえ腹減った死ぬみたいな苦痛ではないから、
ある意味でお腹が満たされてるかどうかに関しては、
静的な快楽、状態が続いてるよねとも言えるって話ね。
もう食べ物が十分に備えられているっていう。
備えられていれば、多少の心体的な苦痛はあるけど、
魂を動揺させるほどじゃないし、すぐ食べればお腹いっぱいになるから、
すぐにまた静的な快楽に戻りますよねっていうふうな感じかな。
うんうんうん。なるほど。
なので僕は当然、動的な快楽って常に必要なんですよ。
要は食べたいとか寝たいとかって、ある人が生きていれば基本的には何らかの苦痛は生じるじゃないですか。
怪我者とかもそうだけど。
うんうんうん。
それは別に苦痛自体はしょうがないというか、常に起き続けるんだけど、
それをある種、すぐに満たして、その静的な快楽っていうところに戻るというか、
もしかしたら今お腹が空いても別に苦痛を感じないとか、
もしかしたら寝なくても生きていけるって人がいたらそれはもう超越するかもしれないけど、
普通の人はそれは無理なんで。
そういうふうに、苦痛を克服するものとしての欲求、
その欲求を満たし続けるために、ちゃんと自分の状態、
それは身体だけじゃなくて社会的な地位とかも含めて、
そういうものをちゃんと整えておく。
うんうんうん。
こういうことがある種、静的な快楽っていうものを感じ続けるために必要なんですよっていうふうなことを言うんだよね。
これも当たり前というか、言われたらそうだよねって思うと思うんだけど。
いやー、でもすごい現実的な感じでいいと思うけどね、ここまでの感じ。
15:03
さっき言った通りエピクロス、これはエピクロス本人の説らしいんだけど、
お酒を飲むとか寝るとかもそうだし、あとは静的な交渉とかでもいいんだけど、
それも全部良いものなんだよ。
普通が鳥の座帰るとか、普通が満足につながるっていうことで言うと、
動的な快楽としてはいいことなんだよね。
別にエピクロス派の人たちは何をしたためとかっていうことは言わないんだけど、
それ自体が人生の目的にはなりません。
これあくまでも静的な快楽にたどり着くための手段であって、
食べるとか飲むとか静的に何かするっていうところが、
それ自体の目的に快楽を得られればOKってことは、我々は言ってないですよって感じなんだよね。
はいはい、なるほど。今回あれだね、静的なっていうのが静かっていうところと、
セクシュアルなっていうところが漢字で同じになっちゃうんだね。
ごめん、ちょっとわかりにくいか。
エピクロス派の人たちにとって言うと、あくまでも快楽主義とか、
あくまで静的な快楽を、静かな快楽を目指しましょう。
それが善であり幸福だよっていうふうな感じなんだよね。
それから、無限にどこまでも快楽を追求し続けるみたいな、
エピクロス派の言うとこの快楽を、この静的な快楽を追求し続けるっていう意味が正しいんだけれども、
一般的な理解としての無限に美食を極めるみたいなのとか、
お金を貯め続けるとか、名誉を求め続けるみたいな、
あらゆる快楽を享受するとは全然違うスタンスだってことなんだ。
いわゆるジャルを知るみたいな感じの大前提はあって、
エピクロス派からすると、ある種静かな静的な快楽まで至ると、
それ以上の欲求がもうない。いわゆる満たされてるから欲求の感じようがないし、
できるだけ快楽を求める必要がなくなるんだよね。
だから、酒を飲みすぎるとか、ランチ期作業するとか、
使えないほど、余ってるのにまた物を買っちゃうとかっていうことが、
それはさすがに間違い。いわゆる快楽じゃないっていう話なんだよね、エピクロス派からすると。
執着だったり、何か別のものがありそう。
それは魂が由来でそうだもんね。何かを埋めるためにその行為をしてますみたいな。
18:07
そうそう。それはあくまでも道徳的な快楽に繋がっちゃう。
エピクロス派は別に、それでちゃんと魂の動揺が満たされるとか満足されるんだったらいいけど、
そうじゃないとしたらそれは間違ってるんじゃねっていうふうに、
シンプルに見えちゃうんだよね。
ちゃんとそれが備わってるんだね。
逆に言うとエピクロス派的には、生きるために最低限必要というか、
例えばお腹空いたらそれはみんなひもじいよとか、
貧すればドンするじゃないけど、やっぱり満たされなかったら人って苦しいんだよね。
単純にお腹が満たされるぐらいのとか、雨数をしのげるだけのということを考えれば、
そんなに難しくないでしょってエピクロス派の人たちは考えるんだよね。
それは当時のアティの状況とかもちろんあったと思うし、
今でもね、明日のご飯食べるのができるんだとかって人も日本でも全然いるからさ。
これって言うのも難しくはあるんだけど、
ある種、チーズ1つOKって前回話したと思うんですけど、
お腹空いた時にチーズ1個食べる、でお腹が満たされるっていうのは、
豪華なフルコースを食べれるかということを比較した時に、
その空腹っていうのを取り除くとか、普通を満足させるっていう意味では、
同じぐらいの快楽があるじゃないかと。
別にフルコースとチーズの快楽の質っていうのが、
お腹を満たすっていう観点で言うと全然変わらないからこそ、
チーズ1個あればOK、それで我々は満たされて十分快楽を得ているんだっていう風な、
そういう風な発想になっていくんだよね。
なるほど。
そういった意味で、エピクロス派の人たちは、
前回ストア派が自然に従って生きるだとしたら、
エピクロス派っていうのは隠れて生きるとか静かに生きるっていうことを言ったと思うんですけど、
これはまさに静かにっていう意味で、
満たすべき快楽っていうものは無限じゃないから、それを最小限に抑えましょうと。
それが満たされていればオールOKというか、
静かな静的な快楽っていう状態を実現できていて、
ハッピーだよねっていう風な、そういうロジックなんだよね。
なるほど、はいはい。
隣と、当時のエピクロスが作った庭園だよね、アテニン作った。
少なくともそこに集まっている人たちっていうのは、
ある程度この、なんだろうな、
静的な快楽の状態ではどのぐらいが足りているのか、
21:04
どのぐらいが足りていないのかみたいな、
そこは多分価値基準だと思うんだけど、
そこの価値観か、
っていうのはある程度共有しながら、
集団生活だったりとか、
集まって利用を楽しめたみたいな、そういう感じだったのかな、もしかすると。
多分ね、っていうのはあんまり残ってないんだけれども、
ただね、これはある種理想的な考えだし、
みんながエピクロスさんみたいに、
確かに確かにトロを知るだろって言って、
とりあえず一個でOKって言ってればいいと思うんだけど、
現実的にはさ、なんかもっと食べたいんだけどさ、
欲に溺れてさ、身を滅ぼすとかさ、
一回さ、ちょっと何だろうな、
高いもの買って、これで自分は満足だと思ったら、
やっぱ飽きちゃって、やっぱもっと高いものが欲しくなるみたいなさ、
やっぱそういうことって全然あるわけだけど、
要は過剰な快楽っていうのを求める人も全然いるよね、
っていうようなことがあるわけだよね。
そうね、現実世界にはいるだろうし、
それに対してエピクロス、
確かにチーズ1個足りるわっていう人もいるし、
お客も確かにそんなんじゃ全然足りない、
余計価値観の人もいるっていうのが本当にそう思う。
そうなんです。
ここは結構エピクロスさん厄介なのが、
もうこの静的な快楽、静かな快楽が大事だとか、
最大限の快楽だって言うじゃないですか。
なんでっていうのを説明してないんだよね。
あ、そうなの?
うん。
そこはもう自明のものとして扱ってる?
そうそう、伝わってないわけなのか、
でも伝わってたら多分誰か弟子とかが期待ついてるはずだから、
本当にそれはもう説明するまでもなく、
そうじゃんって感じらしいんだよね。
はいはいはい。
だからある種、彼からすると、エピクロスさんからすると、
人が快楽を求めて苦痛を避けるみたいな、
そういうふうな本能的なものっていうのは、
他の全ての生き物と同じぐらいだし、
ある種、火を触ると熱いみたいな、
そのぐらい当たり前なんだっていうぐらいのことを言ってるんだよね。
エピクロスさんも言っちゃってるんだ、そういうふうに。
言っちゃってる、そうそうそう。
世の中が静的に静かな快楽を求めるっていうのは、
火を触ると熱いっていうぐらい当たり前のことなんだみたいな。
言われると、やっぱり哲学的にはちょっと弱い感じじゃない?
そうね、哲学者同士で技能するには弱いかなと思う。
そうそうそう、そうなんだよね。
24:01
だから前回ちょっと言った、学園じゃなくて庭園みたいな話とか、
ある種、哲学的に言うよりは宗教チックなかもねっていうのは、
やっぱりそういうところにもあるのかなと思うんだよね。
あとあれだよね、前回エピクロスはわりと戦略的に
こういったアテネに場所を構えて、
情報を発信して、ある意味人を集めるじゃないけれども、
そういう集団を作っていった。
そう考えると、
ターゲット層だよね、お客さんの。
そう考えた時に、そこの根拠をつらつらと哲学的にガチで語るよりも、
人間とはそういうものですって言った方が、
そういうターゲットには刺さりやすいってのもあるのかなっていうね。
そこで考えてる可能性もあるだろうし、
エピクロスの目的がそっちだったとすると、
これ難しいけどね、そこまでガチで哲学的な根拠を作る必要もなかったし、
変に作って変に論破されるよりは自明だって言い張ってた方が、
みんなにとって幸せというかね。
自分たちのコミュニティにとってはね。
そういうのがあるのかなって思ってしまうね、前回の話。
エピクロスさん自体は大哲学者とか、すごい発想だとかっていうのが文学に出てくることはあんまなくて、
どっちかっていうと、その当時のアテネ、
プラトン・アリス・レースが出て、そこからローマに至るまでのヘリリズムっていう時代において、
一つの影響力を持った宗派、派閥というか集団だよっていう、
そういうところの影響力っていう感じなんだろうね。
若干大乗仏教っぽいよね。
南無阿弥陀仏を唱えればいいですよっていうのと、
この世はね、四季っていうものがあってね、
おさまくんがあってねとか、
それを理解した上でこういうふうな苦行だったりとか、
こういうふうなことをしましょうって言われても、
は?ってなるじゃん。
そうね。
その違いな感じですよね。
逆に最近だとさ、今でもあるのかな、いわゆるミニマリストじゃないけど、
やっぱり物を減らしましょうとかさ、
ある種、たくさん何かで満足するんじゃなくて、
満足する基準というものに目を向けることで、
自分のある種生活豊かにしましょうみたいな話ってあると思うんだけど、
逆にされば多分すごいエピクロス派っぽい考え方なんだよね。
そうなのね、はいはい。
なんか兄貴はどうそういう静かな快楽じゃんけどさ、
タルゴ知るみたいなことなんかあったりするの?
27:01
むしろ人生をテーマがそこな気がするぐらい。
そうなんだ。結構昔から?
うん。小さい頃から。
あ、そうなんだ。
そうそうそう。
例えばその、
例えばこの哲学者の人たちって、
かなりそもそも論を考えるじゃん。
イデアとは基準とは何か、この世界は何ができてるんだって。
で、そうして、そこに入ってもさっき言ったけど、
じゃあその場合、その前提に人間とはどうあるべきか、
社会とはどうあるべきか、国とはどうあるべきか。
例えば、あたりの場合は王様じゃなくて、
政治家たちがどうあるべきかみたいな話をしちゃうんだけど、
それはすごく大事なんだけど、
一市民からすると、
それに人生を賭ける覚悟だったり、
決断だったり、能力があるかって言われるとない人がほとんどなんでね。
そういった人が普通に幸せに、
人生を全うするにはって考えると、
まずこういった政治形態、こういった国になって、
こういった人間が住んでいて、
こういった義務があって、
親は実際こういう仕事をしていて、
家庭関係はこんな感じで。
考えた時に、今の経済、ビジネスというルールが、
たぶん一番身近で、
自分でコントロールできる部分が多い。
政治的な部分、法律よりも、
コントロールできる部分が多いと思うんだよね。
考えた時に、じゃあどういう仕事をして、
どういう風にどこで、場所で生きて、
家は買うのか買わないのかみたいなことを考えた時に、
どんな感じでいくと、
自分の価値観の中での性的な快楽をね。
あるを知る状態で人生を全うすることができるか、
みたいなのをすごい考えて生きてた。
考えて生きてるね。
じゃあ、ものすごい野望があって、
これをやり遂げるぞみたいな理想に燃えてとか、
そういうのはあんまなかったのかな?
そうね、全くないね。
大政治家になってやろうともないから。
確かにね。
大学とかも一番コスパよく受かろうってやったもんね。
そうだね。
センター試験だけで受かるところに入る。
それ面白いよね。
それに向かって徹底してたね、そういう意味では。
30:02
確かに確かに。
ちょっとまた、たつだんとかでも話したいんだけど、
僕は両方ある感覚があって、
基本的には静かに生きれたらいいなって思うんだけど、
何か目指しちゃうとか、何かチャレンジしたくなっちゃうとか、
今、キャリアの仕事もしてるから、
基本的には穏やかに生きてればいいじゃないっていう思いもあるんだけど、
理想は何ですかって聞いちゃうとか、
10年後どうしたいですかとか、やっぱり問いかけちゃうんだよね。
理想もどっちかってことだよね。
もちろんもちろん。
爆発したいのか、静かそういう状態を目指したいのかとはまた違うもんね。
同じ理想だし。
そこは両方もちろん見るんだけど、
やっぱり穏やかに過ごしたいんですって言われたときに、
それを実現するのも結構大変ですよって言っちゃう現実的に。
分かるよ。大変だもんだって。
そうなんだよね。
それに向かって頑張らないといけないから。
そう、結局頑張らなきゃいけないから、
エピクロス派の人たちもたぶんね、
もちろん黙ってて野菜ができるわけじゃないから、
当然何か試したいとか、何か仕事をしたいとかってやってたはずだとは思うんだよね。
っていうときに、
逆に現実的にどう実現しますかっていう話は、
それはそれであるわけだよね。
確かに自分の場合はそこがすごいモチベーションになったんだけれども、
何かを学ぶとか、環境を変えるとかっていうときのモチベーションが
その性的な、自分のときの性的な快楽、状態を持ってくるっていうのは
すごいモチベーションになってたから、
それはモチベーションだったんだ。
良い名を残すとかじゃない意味で、
すごい静かな家族ともんびり過ごすお金に苦労しないぐらい、
贅沢も別にできなくていいけどっていう状態で暮らしていくみたいなことに関しては本気出してたみたいな感じだったんだよね。
なるほどね。面白いね。
それも本気で実現するぞっていうふうな、
確かに一つの目的だよね、兄からしたときの。
そう、かなり重要な目的だった。
なるほどね。面白い。
だからやっぱり快楽っていうね、
今日のテーマであるいはエピクロスのテーマでいうと、
快楽っていう言葉を定義から話したけど、
それも人によってさまざまだと思いますよと。
当然ね、なんかわかんないよ。
ロッポンギの何?なんかでウェイみたいにする。
この話すげえダメだわ。
33:00
想像すらできなかった。
それが快楽だって。
見たことないからね。
っていう快楽もあれば、
家で静かに一人でのんびりしてるのも快楽だって、
当然それはあるわけじゃない。
エピクロス化的には苦痛を取り除くっていう、
そういうマイナスをゼロとかプラスにするっていうのは快楽だとしたときに、
それは当然いいよねってみんな思うと思うんですよ。
苦しいよりやっぱり苦しくない方がいいよねっていう。
そっからプラスになったときに、
さらにプラスをアルファを求めますかっていうと、
あくまでもエピクロス化的にはそうじゃないと。
やっぱり満たされてる静かな、静的な快楽ってことが大事だから、
逆に言うと何か言ってくれた通り、
何か過剰に求めるとしたら、
それってむしろ魂が落ちてないんじゃないですかとか、
動揺してるんじゃないですかっていうことも言えるわけだよね。
面白いね。こうやって話聞いてくると面白いわね。
例えば快楽が足りてちょっとプラスになったときに、
自分で今これプラスだわだったりとか、
今この状態は自分にとって別にこれもう、
これ以上増えることによって自分の快楽増えないわっていう、
自己認識がしっかりできてるかっていうところにめちゃくちゃ依存するなと思って。
本当にそう。
やっぱり静かに生きる、魂を修練するみたいなところが、
エピクロース派的にもあるんだよね。
そこはエピクロースも重要視してるというか、
ちゃんと語ってるところなのかな、もしかすると。
そうだね。
スタッフぐらいに厳しく鍛えるとかってのはないんだけれども、
静かに生きるためにやっぱり学びましょうとか、
お互いにそういう生活をしましょう。
やっぱり共同体とまさにそこで逸脱してる人がいたときに、
やっぱり誰かに言ってもらうと無理なんだよね。
自分ではわかんないじゃないですか。
あなたはもう満たされてますよとか言ってもらわないとさ、
自分はまだ足りないとか、
自分はもっともっとやらないと魂が疲れるんですとかって言っちゃったときに、
いやそれ違うじゃんって言えないと、
やっぱりうまくいかない。
確かに確かに。
めちゃくちゃ素で、
月収100万超えたんですけど、まだまだ自分足りないと思うんで、
魂が全然平和にならないんですよ、エピクロスさんと言われたときに、
周りの人たちがちゃんとカウンセリングできるかって話だよね。
あなたはなんでその100万月収あるのに足りないと思ってるんですか?
っていう話をちゃんとしないと本人も気づけないみたいな話じゃん。
それが本当に足りないならそれでいいし、
本人があ、俺ってすげえ実は稼いでるんだって気づくんなら、
36:00
それはそれでまた良しって話だもんね。
どっちが真理じゃなくて。
周りに月収10万20万のかわかんないけど、
自分自分豊かですよ、こうした豊かにできますよって人が言われたら、
そこにある時は確かにってなっていくわけじゃない。
逆の理論が言われがちだと思うんだけど、
世の中的には周囲の年収の平均が自分の年収だという話聞いたことある?
それは付き合う人と同じだみたいな。
結局揃っていくみたいな。
逆にビジネス的な観点で言うと、付き合う人が年収を上げて、
何千万人付き合うと自分も1000万来るとか言われがちなんだけど。
買えるなら環境からっていうのは何でも言われてるよね。
言われてるよね。
それは逆に足りないとか悪いとかじゃなくて、
そこに自分のモチベーションを置いていくっていうのはもちろん良いと思うんだけど、
エピクラスカ的には逆に上に上にとかじゃなくて、
新しく落ち着いた静かな快楽に向けて、
お互いに影響し合っていきましょうみたいな。
なるほど。そっちのほうのベクトルは働いてるんだ。
相対主義というわけじゃなくて、
あなたもいいよねっていうよりは、
ちゃんと最低限の稼働をしている方向にいきましょうねっていうような価値観もあるってことなのか。
そうだね、そうだと思う。
やっぱりチーズ一つでOKっていうところの交通認識というか、
そういう感覚はあったんじゃないかな。
もちろんすごいお腹切りやすい人がいたら、
チーズ二つでもいいよとかあると思うんだけど。
はいはいはい。
そうそうそう。みたいな感じなんですよね。
なので、やっぱり今今日話してても聞いていただいても感じると思うんですけど、
やっぱりちょっと人生というか、
やっぱりアネケエって言ってくれた通り、
どう生きるか、
世の中とは何かとかっていうよりは、
静かに生きる性的な快楽を目指すためにはどう生きるべきかって、
そっちにフォーカスが当たりやすい話だと思うんだよね。
逆に言うと、
例えばストア派とかからすると、
哲学的には弱いとか批判がおきがちなんだけれども、
逆に言うと、集まっている人たちにとっては説明する必要がない。
それこそ、宗教で神はいますって言われたら、いるよねって言うと同じぐらい、
その性的な快楽というのがいいって言われたら、確かにそうですよね。
それを知っているエピクロースさんはやっぱりすごいし、
その人と同じように暮らせば自分もそこに行けるんじゃないかって、
やっぱりそこにフォーカスが向くわけなんだよね。
39:01
だから、そこがエピクロースさんが哲学者とか、
一個の創始者であると同時に若干ちょっと教祖っぽいというか、
そういうのを感じさせる原因じゃないかなというふうにも思うんですよね。
だから、普通的にビジネスマンって感じだよね。
それもあるね。
学校の大学の教授とかっていうよりは、
そうだね、野に育たれて、
いろんな人を参加して、より生活を良くしていくみたいな、
そういうカリスマ経営者というか。
インフルエンス?
カリスマコーチ?
インフルエンス?違うな、コーチ。
それでちゃんと自分もご飯食べれてるだろうしね。
そうそうそうそう。
っていうような感じなんですよ。
なので今回はエピクロースさんの快楽をお伝えしたんですけれども、
動的な快楽というのと静的な快楽というのがあって、
学校舎の静かな快楽というのが重要な快楽ですよと。
ただエピクロースがどういう全部の快楽はいいんだって言っちゃったことで、
ランチ期騒ぎでもいいのかとさ、
あいつらはただの快楽というか協力主義者だみたいなね、
そういう批判も受け止めていくような感じになっていくんですけど、
やっぱりエピクロースとしては、
シンプルに言うことで伝えるっていうか、
結構強い言葉を使ったっていう部分もあるんじゃないかなと思うんですけど、
こういう倫理学、要は快楽こそが全て良いってなったときに、
そういう目で見たときに、世界ってどうなるのってここからそもそも論が始まっていくわけなんですよね。
始まっていくっていうか、そこから見たそもそも論って何っていうことも結構面白いんですよね。
あー、そっかそっか。今回そうなのね。
この次がある意味哲学的な部分ってことね。
そうですそうです。
もちろんエピクロースもすぐ形状的なことを言わなかったわけではないというか、
もちろんちゃんと言ってたりはするんで、
こういう今日の話を踏まえて、次回ですね、エピクロースの世界観とか認識論、
これをヘリニズム哲学の回の最後として見ていきたいと思ってますっていう感じですね。
分かりました。確かにここまで聞いた限りに宗教だったり、
自己啓発本とかに書いてそうな、そっち系の感じだもんね。
ここからちゃんと哲学的な土台というところも見ていきましょうっていう感じですね。
分かりました。
次回ですね、ついにエピクロースの哲学的なところというところで、
本当に哲学なのか、それともただの怪しい宗教っぽい感じなのかというところの審判が下されるのかなと思ってます。
42:01
官の裁判長にそこを捌いてもらいましょうか。
そういう形で楽しみにしていきたいと思います。
では次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
42:24

コメント

スクロール