1. テツセカ ~哲学の世界を知りたい!~
  2. #27 エピクロス② 感情に従え
2023-08-12 33:55

#27 エピクロス② 感情に従え

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テツセカ用語とか言ってますが、真に受けないでくださいね

サマリー

「テツセカ」という番組は、哲学に興味を持つ3人が感情に従って話しています。感情に従うことについての議論から、エピクロスの著書の量やクリュシッポスとの関係、そしてエピクロスの哲学の独自性について探求していきます。エピクロスの哲学は原子論を基にしていますが、相対主義や会議主義とは異なる独自の道を歩んでいます。 エピクロスはアリストテレスの哲学を参考にしながら、感覚や感情に従えば人間は自ら選んだり避けたりすることができると主張しています。彼は欲望の内容を分析し、快楽を生み出す要素と不快を生む要素を詳細に検討しています。感覚や感情に従って素直にそれを受け取るという感じですね。しかし、今みそちゃんが教えてくれたことやそれについての考えもあって、やはり人間は難しいなと思いました。

感情に従うこととは
感情に従え、テツセカ。
この番組は、哲学を知りたい3人が、知らないながらも知ろうと、感情に従いながらも話す番組です。
ミソです。
モーです。
トモキです。
はい。感情に従うと、感情とは欲望とかそういうところにも繋がる部分ですよね。
そうですよね。だから、フラトンの魂の3部分説でいうと、おちんちんの部分に当たるわけですよ。
ちょっとごめんなさい。なんであなたの3部分説って。
だから、知性の部分と、気概の部分と、感情の部分っていう3つに分かれるよみたいな話をしてて。
テツセカ用語では、おちんちんの部分になってくるわけですね。
なるほどね。おちんちんで物を考えるという。
そうそうそうそう。
その2人ね。
それそれそれ。
なるほどね。
呆れてるまたモーさんがいる。また始まったよこいつら。
必ずそこから入らなきゃいけないのかと。
ちょっとさ、それ用語とかにしないでくれる?テツセカ用語とか。オフィシャルっぽくなってくるでしょ。
やめてくれる?ほんとに。
いやいやいや。オフィシャルTシャツ作りたいですよ。
あー。いいっすね。
それはダメか。でもさすがに。
書くのここに?
さすがに無理か。
どうなんだろうね。
いいの?そんなん。
どうなんすかね。書いていいんすかね。
いや、分かんないですけどね。
そういうのふざけたりするから、英語とかでもそういう、本来別の意味なのにそれに持ってくるみたいなのがあるわけでしょ。ふざけたい人がいるから。
まあそうですよね。そうですよね。あんまりモロに言っちゃうとね。
どうしてそこが楽しいのそんなに。
幸せ。
幸せだよ。ほんとに幸せでいいですよね。
幸せそう。
幸せそうなんですよ。これね。みんな聞いてくださってる方ね。この二人がね。
コミュ障で困ってるのにこの話するときが一番幸せそうな。
そのうちね、YouTubeでみなさんの顔を出して、楽しそうな収録の様子をね、撮れたらいいと思いますよね。こういうの。
言ってましたね。YouTubeライブみたいな。
私はアニメみたいので、かわいいのやりたいんですけど。
アバターで?
あれアバターっていうのは動くの?この私の口の。
表情出ないじゃないですか。
VTuber的なやつか。
私はそれね。どうやってやるかわかんないか教えてもらって、二人はそのままで。
なるほど。
だから下ネタも役に立つ日が来るかもしれないんで。
常に役に立ってるつもりなんですけどね。
そう思ってますけどね。
まあいいや、本題にどうぞ。
本題に入ります。
エピクロスの著書と関係者
本題の前に、前回ちょっとミサさんが触れてた、エピクロスもめちゃくちゃね、著書を残してた人だよっていう話のところなんですけど。
哲学者列伝、リオゲネス・ライル・ティオスには、エピクロスは極めて多作で、その著書の量では全ての人を超えているのか。
彼の書いた巻物の数は300にも達しているとか。
しかもその中には他人の書物からの引用は一つもなく、あるのはエピクロスその人の言葉のみであるとかって書かれていて、さすがに大げさだろうと思いつつも。
これはうさんくさいね。
なんかね、リオゲネス・ライル・ティオス、やたらエピクロス持ち上げるんですよね。
多分そっちにちょっとエピクロスの教えを学んでたのかわからないんですけど、なのかもなーみたいな感じで思いましたね。
これ前回のシリーズでも話したと思うんですけど、ストア派のクリュシッポスっていう人もね、多作で知られていた人なんですけど、3代目の学徒の人ですね、ストア派の。
クリュシッポスは、これリオゲネス・ライル・ティオスが書いていることによると、クリュシッポスはエピクロスが何かを書くと負け字と同じだけ書こうとしたと言われてて、
だけどエピクロスとは違ってそのエピクロスが書く量に負けたくないという気持ちだけで書いていたので、たびたび同じことを繰り返したりとか、
他人の書物家の引用で埋め尽くしてたらしいとかって言われてますということで、とにかくクリュシッポスは量を書くことについてエピクロスに負けたくないという気持ちだけで書いてたらしいみたいですね。
逸話が残っていると。
手段と目的が逆転してるタイトル。
なるほどね。
だけど、このディオゲネス・ライリティオスがこれ引用してきてるんですけど、これも実はアカデミー派の学徒を務めたカルネアデスっていう人が、
こんな風にね、クリュシッポスはエピクロスに負け字とただ書いてただけの人間なんだよみたいなことを、カルネアデスがこういう風に表していたっていう話なので、
色々入り組んでるんですけど、アカデミー派がストア派を貶めたいために、あえてエピクロスに追いつこうとして、
クリュシッポスはエピクロスの書物を食い物とする規制中だとかって、
そういうやつかよ。
言ったりしてるっていう話なんで、
この辺もバチバチ感があるわけですよ。
エピクロス派とアカデミー派とストア派が入り組みながらバチバチやってるっていう感じが伝わればなっていうところで紹介したんですけど。
ネガキャンの嵐なのとさ、ギリシャ人ってあれだよね、政治の世界でも見苦しい争いをするしさ、
哲学者同士の争いでも見苦しい争いをしてるしさ、
ギリシャ人を割って決めつけるのはよろしくないんでしょうけど、歴史に残っているのを見ると実に見苦しいことをいっぱいやってるなという感じがありますね。
あとプルタルコスって、英雄伝のプルタルコスっているじゃないですか、あの人もアカデミー派だったらしいんですよ。
アカデミー派だからなのかわかんないんですけど、エピクロスのことを表して書物を残してたらしいんですけど、
エピクロスの教説に従っては誰も心よく生きることはできないことについてのお覚え書きっていうのを残してたらしいですね。
よくわかんないな。プルタルコスってあれでしょ、ローマの人でしょ。
そうそうそうそう、ローマの人。
だいぶ後の人なのに、そこまで批判するっていうのもよくわかんないなって感じですね。
エピクロスはね、やっぱりローマの頃まで結構残るんですよ。サンパトムも残るんですけど、
それこそルクレティウスっていう人がね、同じぐらいの時代、プルタルコスと同じぐらいの時代かな、もうちょい前かなぐらいにいたりとかするんで、
相変わらずこの辺でも批判をし合ってるみたいな構図が見えるなっていうことですね。
エピクロスの哲学と独自性
ということで、改めてエピクロスの哲学についてちょっと見ていきたいなっていうところなんですけど、
前回言った通り、自然学の部分では原子論を中心に据えつつ、
倫理学みたいな部分では独自の哲学を展開していくみたいな流れになっていくんですね。
デモクリトスの原子論はプロタゴラスやゴルギアスの相対主義にも通ずる部分もあるし、
ピュロンの会議主義みたいなのも生んだわけですよ。
デモクリトスに従えばどちらもね、やっぱり正しいものなんて基本的にはないよね、みたいな立場になっていくし、
アカデメイア派も言ったらこういう会議主義みたいな方向に行っちゃったわけですよね。
でもエピクロスは違うんです。ここが決定的にデモクリトスと違うところで、
原子論を中心に据えてるのに、相対主義にも会議主義にも陥らないみたいな感じになってくるんですね。
デモクリトスって運命論なんですよね。
原子はずっとぐるぐる回っていて、その運動はもう決まっているんで、
私たちの運命とか、いつ死ぬかとか、そういったことも物理的に決まっていることなんだよ、みたいなことを言ってた人なんですけど、
その運命論とかもエピクロスは否定していくっていうような流れになっていくんで、
この辺が独自性があるんですが、ここの議論がめちゃくちゃ難しくて、
わからない部分は大いにあるんですけど。
たぶんこれはナウシパネスからいろいろ学んだりしている原子論の師匠ですね、ナウシパネスって。
クラゲ野郎とかって呼んで、タモチと分かったわけですよ。
そこで何かこいつが言ってること違ぇな、みたいなことを思ったのかもしれないんですけど、
ナウシパネスも弁論術とかをすごい重要視したりとかしてたんで、
相対主義とか会議主義とかソフィストみたいに奇弁化みたいになっていくことに対して、
何か違うんじゃねぇの?みたいな疑問が出てきたっていうような感じなんだろうなぁとは思うんですけどね。
ソフィストとか会議主義者のように良いも悪いも何もないなってことは多分言いたくなかった。
ちゃんと良いことは悪いことはあるしってことをちゃんと言いたかったんだろうなっていう、
これちょっと私の想像が入ってるんですけど。
けどやっぱりエピクロスの自然学は自然観自体はベースに原子論を置いてるんで、
当然ストア派とかアカデミー派とかとも相入れないし、かなり独自路線になっていくということですね。
原子論の派生系みたいになっていくと。
なるほど。なんでデモクリトスは運命論的な感じで帰結をしたのにエピクロスはそこでは違うって言えたんですかね?
そうなんですよね。そこの議論が難しいというか、いまいち残ってないというか、
残ってるんですけど、正直私にはそれでそうなる?みたいな感覚があって。
そう言えるか?みたいな。ちょっと腑に落ちてない部分は結構あるんですけど。
ただ、原子の動きとかも違う風に取られてたっぽいんですよね、エピクロスは。
これもね、デモクリトスはぐるぐる原子が回りながらぶつかり合ってるに過ぎなくて。
言ったらね、お日様とか月とか天体が今日も明日も明後日も同じ動きをするように我々の運命が決まってるんだよっていうようなことを言ったわけですけど。
たぶんそういう風にぐるぐる回ってるみたいな捉え方じゃなくて、上から下に落ちてくるみたいな原子は重力とは言ってないと思いますけど。
なんかこう、上から下に落ちてくるもので、それのこう、なんていうのかな。
たまにこう、方向が変わることがあるんだよみたいなことを言ったりとかしてるんですけど、その辺がね、分かんなかった。
なんか最初読んだ時は、これ人間の意志によってそれは原子を変えることができるんだみたいなことを言ってんのかなと思ったんですけど。
なんかね、何冊か読んでたら、いやそういうことでもないみたいなことがあって、違うんかいってなってですね。
余計なんかドツボにはまってたんですけど。
エピクロスのアリストテレスに対する反駁
そんな感じでちょっとその運命論じゃではないんですっていうところだけちょっと抑えておいてもらえればなっていうところですかね。
確かに人間には抗えない自然法則とか物理法則っていうのはあるけど、人間はちゃんと選ぶことができるし、
自分で自分のことを決めることができるんだっていうことをやっぱりそこは強調したかったんだと思うんですよね。
まあこれ、一回この原子論自体もデモクリトスの原子論自体もアリストテレスにかなりボコボコに、
もう論理的に成り立たないじゃんみたいな感じで、論破されちゃってる感じにこの当時は多分なってたっぽいんですよね。
もちろんナウシパネスとかは、いやそうは言っても原子論の方があって思ってたんだと思いますけど。
まあまあちょっとこの辺の議論も非常に難しい。どう論破したのかとかっていうのも非常にややこしいんで、ちょっとあえてもうそこは掘り下げないですけど。
そんな感じで、アリストテレスに論破されている原子論をあえて復活させるみたいな動きをしていくというところで、
エピクロスはそのアリストテレスもちゃんと勉強してたんで、アリストテレスの哲学を踏まえた上でそれに対してさらに反駁して独自の形で補強していくみたいな。
中で運命論とは違う自分で自分のことを決めることができるんだっていうことを主張するようになっていたみたいな感じだと思う。
さらに分からなかったのは、じゃあどのような場合に人は自ら選んだり避けたりすることができるのかっていうところも、
細かい議論は非常に難しかったんですけど、ちょっと分かったところだけ紹介すると、
なんで自ら選んだり避けたりするのかの前提なんですけど、
エピクロスの認識論みたいな、これ認識論って前回ストア派とアカデミア派の議論の中で、
物をどのように認識するのかとか、把握に至るにはどうするのかとか、判断すべきなのかみたいな話をしてたと思うんですけど、
そこにエピクロスもちょっと参戦していくような感じになるんですね、この認識論の中で。
この認識をするにあたってエピクロスが基準にしたもの、何を基準に判断するのかっていうと、
感覚と感情に従うことの主張
エピクロスは感覚や感情に従えと言うんですよ。
感覚や感情こそが物差しなんだって、ここで物差しっていうアカデミア派が使ってた用語みたいなのが出てくるんですよね。
アカデミア派は元々は理性ですら間違えるし、
ましてや感覚なんて怪しいから判断をするな、エポケーしろと言ってたわけだし、
ストア派は感覚や感情は間違えるからこそ理性を使ってそれをつかみに行けと、把握しに行けと言っていたのに対して、
エピクロスは違うんだと。感覚っていうのは間違えないんだって言うんですよ。
表彰そのものを、それを捉える感覚も間違いない。感覚はちゃんと表彰をありのままに捉えると。
前回言ってた例で言うと、遠くから見れば岩に見えるみたいな、なんかあるなぐらいに見えたと。
もうちょい近づけばビールみたいなのが見えたと。もっと近づけばラブホに見えたみたいな例を出してましたけど、
ここに、そういうふうに見えたっていうことに対しては何ら誤りはない。
誤っているのは岩に見えた時点で、これを岩だみたいなことを断定的に判断しちゃう判断の方にあるんだみたいなことを言っているんですね、エピクロスは。
感覚でその時に捉えたものと、そこで判断したっていうのが違うのは?
違うみたいです。エピクロスに言わせると、ちゃんとだってそれはその時岩に見えたんでしょ?みたいな。
だってそれは見えたんだからしょうがないじゃんというか。だって見えるものはそう見えるしって。
その表彰として現れているものは別にそれ自体に間違いはなくて、遠くから見たら岩に見えるものだったよっていうだけであって。
もうちょい近づいたらなんだラブホだったんだっていうだけであって。
別にそこの感覚とか表彰に間違いっていう部分はないんだということを言っている感じだと思うんですけど。
岩に見えたのは事実だし、そういうふうに感覚は捉えたと。
これを岩であるはずだみたいなふうに判断した理性の方に誤りがあるんだみたいな。
判断すれば理性なくなる。
快楽と不快の分析
エピクロスに言わせるとですね。
だから感覚に従って語感に従って、今現在の目の前に明白に現れているものだけに集中するみたいな言い方をしていて。
遠くから見れば岩に見えたというのは、遠くから見ているという今目の前の状況も当然含んでいるわけで。
その表彰は当然真に岩じゃないかもしれない可能性も含んでいるわけですよ。
遠くから見ているっていう状況はわかってるわけですから。
もう少し近づいたら何か違うものに見える可能性がその時点で含まれているみたいな表彰として。
そういえばそうなんだろうなって感じなんですけどね。
前の表彰とかの捉え方はどういうんだったっけ?
前教えてもらった表彰、それは物差しでっていう。
この時に議論してたのはアカデミー派は判断保留を主張しているんですよっていう説明の中で使ったんで、ずっと判断しないんですよ。
ラブ法まで行っても判断しない。何かも分からないみたいな。これが何か分かりませんみたいなことをずっと言ってるっていう感じなんですけど。
ストア派はいやいや近づいていけば分かるやんみたいなことを言ってたっていうわけですね。
その違いっていうところなんですけど。
エピクロスから言わせると遠くから見ているみたいな、そういった状況も含めての感覚表彰なので、
それなのに遠くから見ているのにも関わらずこれは言わないみたいなことを理性で判断しちゃったらそれは間違うでしょっていうことを言ってるということみたいですね。
これがエピクロスの認識論の感情とか感覚に従えっていうことが主張されてるわけですよここで。
判断保留を違う角度から言ってるような気もしなくもないんですけどね。
これもまた、この例え話がどこ出てるか分かんないですけど、
これもまたアカデミア派とストア派に対する若干のネガキャンを含んでる感がすごくあるような気がしないでもないというか。
ある感じしますよね。
第3局で参戦しますみたいな。
なんで当たり前のことを保留してんだアカデミア派はって感じかし。
そうかもしれない。
ここで例えば言ってるストア派は近づけば分かるやんって言ってるわけだから別に遠くから判断するとは言ってないわけで。
そこで遠くから判断する理性をディスられてもしょうがないし。
そっかそっか。
なんかちょっとそんな感じは思う。
だからねこれも難しいですね。
確かにその段階があるんでしょうね。その議論の段階でストア派はやっぱり確かなものはあるっていうところから基本的には出発していくんで。
それに対する反論としてアカデミア派はいやいや遠くから見たら分かんなくないですかみたいな話をしだすわけですよ。
だけどそれに対する反論としてストア派はいや近づけばいいじゃんっていうことを言っていくわけなんで。
まあまあまあちょっとそのステップがねあるとは思うんですけど。
まあまあそうですね。
そうですねまあだからまあでもなんかアカデミア派の最後の方とかはあの理にかなったものというねあの物差しを持てみたいなことを言ったりとか。
こう説得的表彰とか言い出してこうなんかねその目の前の表彰がね魂を説得してくるんだとかって言っているのを考えると。
まあ彼らも表彰を表彰として捉えて生きていくんだって言ってるのと近いと思うんで。
まあなんかなんかそう考えると何が違うのかがちょっと分からないっていうか。
別になんか感覚表彰は間違えないんだって言ってるエピクロスとそんなに違わないんじゃないかって気もしなくもないんですけど。
まあでも多分このこの議論をしだすのはエピクロスの言うことだと思うんですけど。
でも多分このこの議論をしだすのはエピクロスが生きている時よりもっと後の話なんで。
もしかしたらエピクロスの議論を踏まえてこれやってるのかもなって気もしますけどねそのアカデミア派ね。
実際にだからエピクロス派の人たちは生活もなんかこう感情に任せてとかしてたわけでしょ?
まあまあそうそう。
でもアカデミア派とかストア派っていう人たちはなんとなく同じような生活をしていたのかな?実際には。
アカデミア派はそんなことないんじゃないかな。分かんないけど。
アルケシラオスもカルネアデスっていう後の人も酒の飲みすぎで死んだって言われてますし。
まあそれなりのことをやってたんじゃないかなって。
僕と同じようにビールが説得的表彰が魂を説得してくるんだよって言いながら飲み続けるみたいな、そういうことをやってたんじゃないかなと思うんですよ。
面白いね。ぐちゃぐちゃ言わないでいい思うって思っちゃうんだよね。
実際的にはどういうふうにしてたのかなっていうのも興味がありますね。
そうですね。
どういうところに住んでてとか、実際には。そうするともっと言ってることがわかりやすくなるかなと。
確かに。それはあるね。だしね、その酒を飲んで死んだとかもね、ちょっと怪しいですからね。
なんかストア派これ言ってません?みたいな感じがしますね。
あいつはまじで堕落した生活をしてみたいな感じもね、もしかしたらあるかもしれないんで。
ひでえ奴ら。
そんな感じで、感覚、感情にエピクロスはそのまま従うことで、人間は表彰を捉えることが可能となっていくんだよと。
さらにそこから、じゃあその感覚、感情からどうやって人は自ら選んだり避けたりするのかっていう議論になっていくわけですよね。
ここからちょっと倫理学みたいな感じに入っていくんですけど、もちろんエピクロスは最初の方に言った通り感覚や感情に従えば何でもいいと言っているわけではなくて、
表彰から受け取って呼び起こされた感覚、感情のうち快楽を選び不快を避けるべきだということを主張するわけですよ。
やっとここで快楽に入っていくんですけど。
ただこの快楽といってももちろんその中身が問題になってくるわけですよね。
最初に言った通り感覚や感情っていうのはおちんちんの部分なわけなので、欲望の部分ですね。
なのでこの欲望を分析して何が快楽を生むのか、何が不快を生むのかみたいなのを吟味していくっていうステップがあるんですよ。
っていうのが次回になっていくかなというところですかね。
なるほどね。
面白い。僕は面白かったっすね。
アカデメイヤ派との違い
感覚、感情、エポケ、犠牲、そういう対比というかキーワードのところでどこを抜き出してどれを重視するかみたいな。
そういうような話だったんで、なんとなくアカデメイヤ派とかとの違いっていうところがそういうところが究極ではないにしても根底の部分に近いんだろうなみたいなね。
そうですよね。やっぱりアカデメイヤ派は当然プラトンの教え子たちなわけなんで、優手知性の部分を大事にしてるはずですからね。
欲望の部分ってお前とは思ってると思うんですよね。
東洋哲学で道教ってあるじゃないですか。
老子の老僧思想って言われるやつ。
それで無為自然っていう考え方があるわけでございますけども、無為自然っていうのは知識、学問、欲望、技術、道徳、法律などの作為というものは社会に混乱と争いを招くので、
それらを全て考えずに自然に行きましょうっていう考え方なわけですよ。
定的ですね。
ただこの今挙げた知識、学問、欲望、技術、道徳、法律っていうところの無為自然の中で捨てられてるものをどこを引っ張り上げるかによって、
それで一つ哲学の派閥みたいなのが生まれていくような感じのこともちょっと思ったりしたんですよね。
一応そういう風に分類してるから、逆に取り上げることもできちゃうわけですよね。
欲望の部分っていうのを取り上げたのがエピクロス派なわけでしょうね。
逆にこういうところと照らし合わせるとわかりやすいなっていうところを思ったりしましたね。
すみません、もさん何かありますか。
難しくなっちゃったな。
感覚や感情について
だから感覚や感情に従って素直にそれを受け取れみたいな感じですよ。
でも今みそちゃんが教えてくれたのもそういうのもあって、やっぱ人間って難しいなって思いました。
感情とかの部分も感情ってどこから来るのかとかそういうのも今度教えてもらえたりするんですかね。
いやそれは農科学者とかに聞いた方がいいんじゃないですか。
だって感覚とか感情。
化学物質なんじゃないですか。
だからでもさ。
精霊?わからないけど。
ちょっと考えすぎてますね。
感情はどこから来るのか。
まあまあ確かにね、それ考えたら面白いかもしれないかな。
トモキさん風になるおちんちんから来るんじゃないですか。
いやこれプラトン風に言うと。
でもない人はどうするの?私はないからさ、じゃあどうしたらいいの?どっからって説明するの?
空想のおちんちんから来るんじゃないですか。
人間誰しもおちんちんがあるっつって。
悪魔でも例えですね。
ごめん私がいけなかったんだね。
きっとこんな質問をして感情はどこから来るのとか言っちゃったからもう終わりにします。
ありがとうございます。
いいんですか?今日終わりでいいですか?
どうぞどうぞ。
ごめんなさい。もうちょっと今動揺した。
今日も最後までテツセカをお聞きいただきありがとうございます。
テツセカはスポーティファイ、アップルポッドキャスト、グーグルポッドキャストで配信しています。
お聞きのアプリで番組フォローいただくと更新時に通知が来ます。
テツセカお気に召しましたら高評価ボタンを押していただいたりレビューを残していただけますと嬉しいです。
ツイッターはハッシュタグ、あ、ツイッターじゃない。
Xはハッシュタグテツセカをつけてつぶやいてください。
ほんとファンレター欲しいなあ私ほんとみんなにね。
大好きともきさんとか大好きみそちゃんとかそういう一言でもいいねあったら。
ちょっとそういうの読んでみたいですよろしくお願いします。
つい先日ともきさんがミニセカの方でファンレター読む回やりましたけれども
ファンレターあんだけ来てるんだからこっちにも寄越してくれよと
思ったりはしなくもないですね。
ほんとですよね。今度お便り会はともきやって。
読むの?
読むのとかもいいけどもう全部やって。
疲れるんすよあれマジで。
上手にできてたからすごい。
編集したからねあれはね。
編集したんですね。
確かにしてたね。動画の方で見てたけど。
とりあえずねぜひファンレターください。
もう3人目のファンレターをお待ちしてますのでよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
そんな感じで終わります。ありがとうございます。
ありがとうございます。
33:55

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