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(♪ BGM)
はい、ソレテツラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回は、弁証法の中で、それを理解するために矛盾というところが重要であるというところから、
さらにその矛盾を深掘りしていったというところでした。
はい、そうですね。前回聞いてくださった方はわかると思うんですけれども、
多分、3、40分話して矛盾ということにたどり着けませんでしたと。
この前の「空」みたいな話で、やっぱりそれを説明するために、
その手前にある概念がそれぞれ上っていってるというのが今なんですけど、
ちょっと今回だけ聞いても正直分からないと思うので、できれば、
もし今回は聞いていただいている方は、前回もセットで聞いていただければと思ったんですけれども、
ヘイギュルの弁証法の「弧」とか「格」になっている矛盾という概念を考えるときに、
本当に知性という意識の出発点としての同一性と区別という概念を見できますと。
でも簡単に言うと、同一性というのはある意味では「AはAであれ」みたいなシンプルなんですけど、
要は「何も言ってないよね」とか「情報を吹いてないよね」みたいな視点から、
区別という「AはAだ」「BはBだ」というのがいっぱいあるときに、
「ABC」という横に並ぶものがあるよねというところを見てきました。
その中に再生という違いが横並びにありますという話と、
あと対立、お互いがお互いを否定し合っているとか、
逆に否定だけじゃなくて定義し合っているとかも含むんですけど、
そういう関係性があるよという話を見てきたんですけど、
そこの対立にも3段階あるよという話があって、その3段階目以降の話を今日はしますと。
まだ対立の話なんだね。 まだギリギリ対立の話。
前回のハンバーガーの俺で言うと、本物のハンバーガーは誰か?というので、
ハンバーガーとフィッシュバーガーとベーコンレタスバーガーみたいなのが、
お互い戦いを広げたりとか、俺とお前はハンバーガーだけどお前は違うみたいな、
もしくはみんなハンバーガーみたいなところを一生懸命戦っているというか、
おのれだったりとか、敵と戦っている状態でついにその3段階。
そうですね。その通りです。今回聞いてきた相手が今言って、
こいつ何言い出したと思っていると思うんですけど、前回のお話だったら聞いてください。
なんでこいつこんなハンバーガーについて熱く語るんだろうみたいな。
今言っていた通りで、そういうごちゃごちゃしたというか、
お互い概念同士をお互いに否定し合っているみたいな話があったときに、
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その3段階の対立においては、横並びの各要素、ハンバーガーでいうと、
フィッシュバーガーとかチーズバーガーとかベーコンバーガーというものが、
お互いに関係し合ったり対立し合っているという話と、
さっきアイキュラはハンバーガーは誰かという話をしていたんだけど、
そのハンバーガーの本質とは何か。それは唯一の一つのものであるという考え方だと、
ハンバーガーっていろんなハンバーガーがあるという多様性の対立という、
縦と横の対立の両方が含みますよねという話を前回も知ったんですけど、
そこから出発しますと。
なるほど。その問題ではみんなバトルロワイヤルしているという状態と、
とはいえ優勝を決めるルールって何なんだったって。
審査員の名刺みたいな状態をどうすんだっていう話が。
そこに第3者の審査員を立てるじゃなくて、
ヘイギルを考えるのが、即かつ対直な政治的に肯定的なものと、
即かつ対直に否定的なものと言いますと。
ちょっともうこれ、正直言葉として分かりにくすぎるのと、
あと言いづらすぎるので、一旦肯定的なものと否定的なものと話すんだけど、
いわゆる肯定、これは良いとか否定これは悪いとかダメだということについて
話してるんじゃないということにはちょっとお気を付けくださいと。
はいはいはい。
あくまでもシンボルというか、題名詞的な感じで、
これとかそれとかというような意味合いで、肯定的なものとか否定的なものというふうに使いますと。
了解です。
前回で言う対立みたいな感じで、一旦ちょっと今思っている意味を捨ててねって話だね。
そうそうそう。まさにそれでお願いしたいとか難しいところをお願いしてるんですけど、
ちょっと言っていってみますと。
まず、肯定的なものというのは、状態としては、対立していないもの。
もっと言うと、排斥された対立であるというふうに言われるのね。
どういうことかというと、対立ってのは元々存在しなかったんじゃなくて、必然的に対立は絶対存在しますと。
はいはいはい。
対立があった上で、その対立っていうのは完全に敗績というか、やり尽くしたもの。
だから、兄貴が言うところの、俺が真のハンバーガーだって言ってる状態ね。
肯定だから、自分のことをある種、全行でできている状態ですと。
はいはいはいはい。
なので、あるものの本質はこれこれである。
AとはXであるっていう、別の意味で言えた状態のことを、この肯定的なもの。
もっと言うと、即かつ対立的に肯定的なものっていうふうに言いますと。
なるほど、俺が優勝したぞって言ってる状態だね。
そうそうそうそう。
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はいはいはい。
この状態においては、その同一性、その最初の段階における、その絶対的否定性要はAはAであるとしか言えなかった、その空虚さっていうのも、否定というか、強いぞけられてて、乗り越えられてるよっていうふうに言うのね。
うん、はいはいはい。
だから、ある種特定の要素。
仮にだけど、ハンバーガーとはフィッシュバーガーであったって言えるとしたら、このフィッシュバーガーっていう持つ要素が、本質として成立しているし、ハンバーガーっても全部言い当てているよみたいな状態ですって。
はいはいはい。
だから、対立的っていうのはこの意味で、例えばハンバーガーの本質を完全に実現しても、フィッシュバーガーは絶対に完全には実現しないから、
仮にハンバーガーXっていうのがあった場合に、そのハンバーガーXっていうのは、ハンバーガーとはこれこれであって概念を完全にその中に含んでいて、かつ肯定できている状態だっていうふうに言うのね。
なるほどなるほど。
その理想というか、概念としてのハンバーガーXがあったらっていうことです。
うんうんうん。了解了解。優勝者ね。わかった。考えると勝手に分かりやすい。
確かに優勝者が現れましたっていう状態。
うんうんうん。
続いて否定的なものの方なんだけど、これは大きな意味では同一性っていうのが絶対的に否定性、要は空虚さであったっていうところなんだけど、
さっき言った通り俺が優勝したぞって言ってるんだけど、でも兄貴が言ってくれた通り、その基準ってないじゃん。
ない。ルールないからね。
ルールもないし基準もないから、本来本質っていうのは否定しきれない、特定しきれないものなんだけど、それを言い当てたように感じちゃいますと。
でもその優勝者と思っている、自分を自分で言い当てたと思っているハンバーガーの中に、
でも優勝のルールなかったよね、とか、なれがどうしたら優勝か分からなかったよねっていう潜在的な自己否定性とか自己崩壊性が含まれていますと。
だからさっき言った公正的なものっていう、完全に言い当てたぞっていうものの中に、言い当てる先のその本質の概念がないよねっていう、暗さというか言い当てられない可能性っていうのが含まれていますと。
だからハンバーガーの話に戻ると、フィッシュバーガーとベーコンバーガー対立したところに、ハンバーガーXってのは出てきて、俺が優勝したぞって言うんだけど、
そもそもハンバーガーっていう概念というか、それの中で話をしている限り、ハンバーガーの本質を表現しきれないっていう不可能性がある。
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そうなんだ。これはあれか、最初の、よく優勝するじゃん。例えばフィッシュバーガーが優勝して、俺こそがハンバーガーだって言うんだけれども、
そのハンバーガーっていうものが、最初階段の0段目で言う同一性っていう空虚なものがゆえに、いくらフィッシュバーガーが俺がハンバーガーだって言うところで、そのハンバーガーの存在意義自体が、かなりぐらぐらしたものだから、結局言い切れないよっていう。
で、また同じルールがない大会がまた結局開かれるんじゃね?みたいな、そういう無限連鎖みたいなものがあるよねっていう感覚はちょっと違うかな。
無限連鎖とまでは言わないまでも、そもそもその大会すら開かれていたんだっけ?みたいな話が近いかもね。要は、本質を言い当てられるって思っている知性があるんだけれども、そもそも本質のようなものがなかったっていう同一性が出発線になりますと。
だから、どれだけこれが本質だとか、他の全部の可能性を否定した結果これだけが残ったって言っても、絶対に、だからこそこれが本質だとは言えないっていう不可能性っていうのがついてまわりますよねっていうことを言ってるのも。
さっき振り出しに戻るみたいな話しちゃったけれども、その一歩手前みたいな感じかな。そう。同一性からスタートしてる以上超えられない壁みたいな、超えられない、次元みたいなものがあるよみたいな。そういうことですよ。
だから、階段置いてるんじゃなくて、着地に進んでるんだけど、最初の一歩目が同一性っていう完全な空虚性から始まってるから、その階段っていうのはすごく脆いというか、本当にたどり着けるかどうかがわからんっていう構造がそのものの本質とか存在って中に含まれてるよねっていうことを言うのね。
だから、みんなハンバーガー俺が優勝だっていうし、仮に他の人がお前が優勝だよって言ってくれるとしても、優勝って何っていう一言言われた瞬間に、みんな困るみたいな状況が起こります。
はい、確かに審査員もいないし、点数も決まってないし、焼けられるとイイング数も決まってないしみたいな。そこで、俺が優勝したって思ってるけど、証明する手段もルールも何もないみたいな。
そうそうそう。
その無情感。
そうだね。
やっぱりその意味が空とか無情っぽい意味だけど、ここに来てやっと矛盾っていう概念が出てきますと。
やっとか。
そう、頭の中でハンバーガーがいろんな戦いを経て、俺が優勝した、お前が優勝だって言ってるんだけど、優勝って何っていうそういう状態を思い浮かべたほしいんだけど、そこに出てくる基本的な構造として、まず最初に出てくるのが自己矛盾ですと。
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だから、その肯定的なもの、優勝したハンバーガーっていうのは、自分の探しさっていうのを証明して、俺こそが本質だっていう、かくたるものにならなきゃいけないんですと。
絶対的な肯定性っていうのを得なきゃいけないんだけど、そのためには否定的なもの、要はこれはハンバーガーじゃないとか、俺以外のものはハンバーガーの本質ではないっていう、その否定性にある種生きなきゃいけない。
要は、自分が肯定的な存在であるためには、他のものを否定するっていう否定性を持たなきゃいけないっていう自己矛盾が生じますと。
それ自己矛盾?
そう、自分が絶対的に肯定なもの、これこそが本質あるとか、自分がかくたる本質だっていうことを言わなきゃいけないんだけど、そのためには自分の中に否定性を持たなきゃいけない。
そうなんだ、これ、そうなんだね。フィッシュバーガーがフィッシュバーガー、ハンバーガーの王であり続けるためには、ベーコンエッグバーガーとか、スキミバーガーとかを排斥しちゃいけないみたいなことはちょっと違うんだね。
まあ、その例で言うと合ってるはずなんだけど、兄貴の納得できないところってなんだろう?
自己矛盾だよね。だから今まで言うと、フィッシュバーガー、俺はフィッシュバーガーだけどフィッシュバーガーじゃないんだっていう感覚を持ち続けなきゃいけないのか。
そういうことか、ごめん。それは自己矛盾っていう言葉を一般の理解で捉えちゃってる。
フィッシュバーガーっていう存在が矛盾するんじゃなくて、自分はフィッシュバーガーとしてハンバーガーの本質を完全に実現しているっていう、その肯定性と、でもその肯定性を保つためには他のハンバーガーを否定しなきゃいけない、否定性っていうのが矛盾してるのね。
うん、そうだな。あー、OK。ごめん。矛盾っていう言葉の、あー、ムズイな。
対立とか、今回の肯定とか否定を赤ちゃん状態で理解したときに矛盾っていう言葉を今取りこぼしてた。
そうそうそう。矛盾だけ素朴に感じてるでしょ、多分。
うん、矛盾って言葉をアンラーニングできてなかったな。
今の反応めっちゃリアルだったな。
しかも、その矛盾って言葉を今説明しようとしてくれてるのにね。
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うん、そう。確かに。でもごめん。僕もちょっと言い過ぎてた。
矛盾っていうのは、自分っていう存在が、あーでもある、こうでもある、とかってことじゃなくて、自己っていう存在の中に肯定性と否定性が両方入っていて、
それの肯定と否定っていう概念が両方存在してることを矛盾と言っているってことだよね。
はいはいはい。そっかそっか、そうだもんね。今矛盾の話をしてくれてるんだった。とは何かっていうね。
そうそう。もっと言うと、これまでの話を聞いたみたいに、一つの目の前のものの中に多様性がある、いろんなご属性があるっていうのも矛盾だし、
要は一つの中に多があり、多の中に一があるっていうのは矛盾だよね。同じ、一と多は絶対に違うものだから。
だし、肯定と否定というのはもう絶対に違うものじゃない。
でも、一つの存在と概念の中に肯定するという働きと否定するという働きの両方があるということを自己矛盾である。
という風にまずヘーグルが言います。
なるほど。はいはい。もう一回ハンバーガーで言わせてもらっていい?
OK。
議会の確認してほしいんだけど。
フィッシュバーガーがハンバーガー…。ずっとこの話ばっかり聞いてる方には申し訳ないんだけど。
フィッシュバーガーがハンバーガーの王といった瞬間に、フィッシュバーガーイコールハンバーガーになるじゃん。
ハンバーガーイコールフィッシュバーガーになるから、俺がハンバーガーだってなった時に、新しいハンバーガーだよね。
そうするとハンバーガー2世みたいなものが生まれました。
で、ベーコンエッグバーガーが俺もハンバーガーですって顔を覗かせた瞬間に、お前は違うんだよって言わなきゃいけないっていう状態が、ハンバーガー業界、ハンバーガー王国の状態がもう矛盾してるよねって感じです。
もう平気な言い、この自己矛盾の状態ってことはね。
そうだね。そういう状態が起きるよとか、そういう本質を本当の意味で定めようとするっていうのはそういうことだよって。
その状況をね、実現しようとするとそういうすごく排他的な状況というか、そういう作用が働くような環境になるよってことはね。
そうそうそう。排斥機関係ですと。
これは今、肯定的な方を言ったんだけど、次は否定的な方、即かかつ対立的に否定的な方じゃ何かっていうと、
これは、まず破れたハンバーガーたちがいるじゃないですか、ベーコンバーガーがいるんだけど、
否定的なものになったんだけれども、そのベーコンバーガーをね、そこには否定的なものである、肯定的なものに対して自分は否定的なものであるという自己同一性が生まれますと。
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つまり、ハンバーガーという本質において、ハンバーガーの同一性に含まれないという風に弾き出されたものが、排斥された時点で否定されたものであるという同一性を持ち出しますというのね。
だから、兄貴の例で言うと、ハンバーガー王国から追放されたベーコンバーガーは、隣でベーコンバーガー王国を作るんですよ。
で、俺はハンバーガーじゃないけど、ベーコンバーガーだみたいな自己同一性を持ち出して、否定されたという働きの中に肯定性を持ち始めますと。
これは即座におけるから、即かつ対立的にという話なのね。しかもそれを誰かに対しなくて、自分の中でおきますと。
みたいに肯定性を追求すると否定性を帯びちゃうし、否定されて、否定だけの存在になった瞬間にその存在を肯定されるという矛盾が起きますよという風に思う。
へいげるが言う矛盾は今矛盾の話にやっときてるんだけど、ただお互いに対立してるとか相互依存してるとか、自己否定してるとかってことじゃなくて、肯定性が否定性になって、否定性が肯定性になるみたいな、自分の反対側のものに移っちゃう、その属性を持っちゃうっていうことになりますよと。
すごいなぁ。そっか。そこでもうハンバーガーってなったはずが、しかも排斥したから、他のを否定したからハンバーガー、真のハンバーガーになったのに、否定したっていう行為があるがゆえに、もう対立、解消した瞬間にまた新たな対立がその瞬間にまた生まれていて。
そうそうそう。
そうするとき特ハンバーガーでなんだっけっていう問いが永遠と繰り返されてしまうみたいな状態。
状態。
うんうんうん。
なぜならハンバーガーとはXであるっていうXがない、存在しないとこから生まれているから。
うん。そっか。じゃあ一度対立っていう状態になったものをいくら否定したとしても、その真のハンバーガーに至ることは不可能で、とりあえずずっと対立し続けている、その構造の中でぐちゃぐちゃしてるしかないみたいな。
そうそうそう。
感じがしてきた。
そうなんだけど、それだけだとただ荒れ果てた世界というか、争いの絶えないハンバーガー王国大丈夫かみたいになっちゃうじゃないですか。
瞬中戦国時代でハンバーガーの。
なので、面白いというか、それがどういう状態になるかというと、結局何か物事の本質を、例えばハンバーガーのやつだけど、ハンバーガーの本質を追求すればするほど、ハンバーガーの可能性は狭まっていくんだよね。
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ちょっとごめん、ハンバーガーが消したりとかし始めたけど、聞いてる方本当に申し訳ないんだけど。
概念としてのハンバーガーだね。
まあまあ、ハンバーガーとか好きなもの。
これは何かというと、実は個性的に本質を理解しようとか定めようとする人間の限界なんだよという風に言えます。つまり、二元論的なとか、AがあってBがあってCがあってみたいな、そうとしか捉えられない。
要は、あっち行ったりこっち行ったりして、でもそれを別々のモノとしか捉えられない、捉えられない個性という知性の段階においては、ある本質を追求しようと思っても絶対に取り付けないし、それを広い意味で捉えることができない。
はいはいはい。ということが、ヘイゲルはある種実証していて、それが矛盾だとか矛盾から起きることだという風に言えます。
なので、ここに立ってヘイゲルというのは、矛盾というのがただそこにあるだけだと、それこそさっき言ったように混乱、戦国時代になっちゃうんで、それを肯定的なものと否定的なものを統一することによって解消された矛盾になる。矛盾が解消されるんじゃなくて、矛盾が解消された矛盾になることが本質の根拠だという風に言えます。
そういう風に言えるんじゃないかな。
うーん、はいはいはい。
矛盾は、どういうことか僕なりの理解で話すと、まず、同一性が同一のままだと、そもそも世の中に表現されることがないです。
AはAであるというAに言い続けるだけだから、そこから何も出てきません。逆に区別のままだと、1個の妄想として存在できません。ばらばらになっちゃうからね。
だから、それが行き来するという運動において、矛盾というものが解消された矛盾になる。だから矛盾が解消されることはないんだけれども、それが動きを経て全体性を持ってくると、それ自体が次の次元になるというか、次の可能性になるし、
その運動自体が本質が存在するという根拠になります。要は、本質が固定された、ある特性のものだったら、それは同一性か再生か、区別かだから、絶対に特定できないんだよね。
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でも、矛盾して運動することによって、その本質というものを言い当てられる可能性とか、それが存在する可能性があるという風に言えます。だから、これに近い考え方は実はいくつかあって、
例えば古代芸術者のヘラクラエティスという場合、万物はルテンスといって常に動き続けるようなこととか、やっぱり仏教の色足絶空とか空足自式的な行ったり来たりしてるよねみたいな感覚と近い印象があって、
固定した本質とはこれであるというのがあるんじゃなくて、いろんなものが移り変わっていく中で、その中にこそ本質が発生し得るとか、あるいは肯定性と否定性という両方を持つ中で、その本質というものが浮かび合ってくるみたいなことが言えるんじゃないだろうかと僕が思ってます。
さっき解消された矛盾というところに至った後の話ということですね。
解消された矛盾というのはどういう状態かという話。
解消されたという状態にいった時に、弁証法的な新しい次元に行く。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
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そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
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そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
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そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
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そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
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そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
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そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
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そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。
そういうことです。