1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #172 禅こそが最強の仏教!?..
2023-12-20 43:51

#172 禅こそが最強の仏教!?『興禅護国論』を書いた栄西の思惑とは


「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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サマリー

禅の歴史や禅の起こり、禅を批判する意見に対する反論、末法の世における新しい禅の広まりに関して話を進めています。禅こそが最強の仏教であり、禅寺での過ごし方や悟りの体験が重要であるという思想が述べられています。道場を作り、弟子たちと共に禅を広めるために奮闘したのは栄西です。彼は禅の力を通じて国を治めるトップの人々に正当性を持たせるため、『興禅護国論』という本を書きました。禅こそが最強の仏教!?『興禅護国論』を書いた栄西の思惑とはどんなものでしょうか。禅こそが最強の仏教!?『興禅護国論』を書いた栄西の思惑とはどんなものでしょうか。

00:05
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
英才の禅の広め方
前回から日本の禅ということで、まずは英才、英才がどういう風に禅を日本に広めようとしたか、その土台を作ったかという話を見てきました。
はい、そうですね。結構いろんな苦労をしたよとか、迫害というか、仏教禁止って言われたよとか、朝廷といろいろ環境を作るために頑張ったよとかって話をちょっとしたと思うんですけれども、
もうちょっと具体的にですね、興禅護国論って、ちょっとお伝えしたんですけど、興っていうのは起こす、復興とかの興ね。
禅は、いわゆる禅師の禅。護国は国を守る論っていうことで、禅を起こして国を守るぜって話ですね。
というところで、英才が58歳の時に書いたですね、本の内容を紹介しながら、どんな風に禅を捉えていたのか、それをね、ある種比叡山からの批判に応える、ある種禅っていうのは、本当になんだろうな、
いわゆる主流じゃないじゃないかとか、こんなところが仏教としておかしいじゃないかみたいな話とか言われるんですよ、いろいろ。
対して、いや、実はそうじゃないよっていう話をね、本の中で書いて、ある種ですね、応えていく、論破していくみたいな話が、
あるんで、このあたりをね、ご紹介していきたいなというふうに思っております。
なるほど、結構あれだね、年齢的にも58歳だと、集大成みたいな感じで書いたのかな。
うん、そう、えっとね、一応ね、74歳まで生きてますっていう話と、集大成というよりは、なんだろう、本当に基礎としてちゃんとこのぐらいは伝えておかなきゃね、みたいな感じだと思うんですよね。
わあ、じゃあ、そうか、まだまだやる気が、元気出してる。
うんうんうん、うん。
じゃあ、まだまだやる気が、元気出してる。
前回話したやっぱり色々聞かれまくると
批判されまくるっていうところに対する
FAQも今出して
佐藤認めさせてやるぜという
そうそう
中体制じゃなくてまだまだ
臨戦体制というか
そうですそうです
まだまだこれからっていう感じなんだね
そう
自分の学んだ善のことを
みんなに知らしめようとかっていうよりは
基本的なこととして
このぐらいのことは
学んでおいてねみたいな
割とそんな内容が多いかなという感じです
あとこの後言うんだけども
いわゆる
善ってさ
前回もおっしゃった通り
集団で暮らすから
自分たちの暮らし方とか
生活の仕方とかっていう
いわゆる規則みたいなものも
結構大事にしてるんだよね
善って集団で暮らすの
そこから知らないんだけど
そうですよ
善はみんなで暮らしてる
なので
臨済の時とか
やっぱお師匠さんと弟子がいて
なんか裏庭で作業をしてる時に
問答をしたみたいな話とかも
もしね
そんなのあったかもなとか
忘れたなって方は
臨済の時の話を
ぜひまた聞いていただきたいんですけど
そういうのはいわゆる
集団生活をしてるから
やっぱ出てくる話なんだよね
あーそれは基本なんだ
たまたまじゃなくて
その善っていう宗派で
出家をする
修行をするってなると
善っていう宗派で出家をする修行をするってなると
そういう集団生活になりながら
それこそ農作業をして
作物育てたりとか
それを町に売りに行ったりとか
それが
集団として役割がある中で
禅を批判する意見への反論
やってるみたいな話なんだ
たまたま集まっちゃったとかじゃなくて
もうみんなでやろうぜ
っていう風になってんだ
そうそう
そういう流れなんだよね基本的に
そうなんだじゃあ
一人でやってる人もいれば
山にこもって一人でやってる人もいれば
とかっていう話じゃなくて
基本集まろうぜという話なんだよね
そうそうそうそう
基本は師匠のもとでやる話
そう
そっかそっか
そうでもね
フリー文字だから
一人でできないよね
そっか
そうそうそう
やっぱりそうなんですよ
勉強できないんだよね
そっかそっかそっか
ちゃんと師匠につかないといけないから
そうか
そうそう
全然そっか
何回か聞いてるのに
そのイメージ持ってなかった
でもそうだよね
そうそう
だから臨済の時にも言ったんだけれども
自分の師匠さんのとこで悟れないからって言って
別の師匠さんのとこに行ってさ
お前はその師匠さんの
ありがたい気持ちがわからんのかって言われて
初めて悟るみたいなさ
お話したの覚えてるかな
あーちょっと思い出してきた
なんとなくそう
ぐらいなのでやっぱりちゃんと
師匠さんがいるし
師匠さんっていうのはいろんなとこにいる
そこであちこち回ってくっていう
殴った話で
お師匠さんのことを
かえって
どうだったって言われて
殴りましたみたいな話
あー思い出してきた
そうだそうだ
でなんかお前もやっとわかったかみたいなね
うんうんうん
はい免許書いてみたいな
そっかそういう話だったね
それで本当に悟った人は
自分の集団というか
自分の教室みたいなのを
持つ権利が与えられるっていう話なのか
まあ
まあそこまでもないんだけど
でもそういう風にして育っていくみたいな
まあそんな感じかな
へーはいはいはい
そうそうそうなんです
なので当時だから日本で言うと
そういうそもそも集団とか自体もないわけだよね
それからこそ英才がそういうのを作らねばならん
という風にして
この公然語学論っていう本で
まあそういうことを僕らはやっていくぞとか
ということを伝えていくわけなんだよね
はいはいはい
なので逆に言うと
そのさっき言ってた
そのね師匠と問答して
なんか殴りましたとかさ
つい叩かれましたみたいな
そういう話っていうのは
あんまり出てこないし
なんか色々調べてたんだけれども
なんかそういう
なんか英才がこんな問答をしましたとかっていうのも
あんまりパッと出てこないんだよね
ああそうなんだ
うんうんうんうん
うん
問答がなかったかっていうと
多分そんなことはなくって
それを公安とかって言ったりするんだけど
いわゆる全問答みたいな仕組みっていうのを
まあ日本で
広めたのは間違いなく英才だろう
っていう風に言われてますと
だから肝心なやっぱ
どんなやり取りしたのみたいなのが
あんまりわかんないんだよね
ただまあそういうことが大事だとかって話はあるんで
末法の世における新しい禅の広まり
それをちょっとねお伝えしていきたいんですけど
例えばねこんな話があって
こう
前後ねこれから広めようとかって
言っているんだけれども
実は日本では
その西暦の730年頃に
その西暦の730年っていうのが実はもう伝わっているんですと
当時1100年とか200年ぐらいだから
まあ500年ぐらい前には
もう実は禅は伝わっているんだと
しかもその最澄っていうのが
またちゃんと804年に
中国の天台山禅陵寺っていう
ちゃんとお寺から禅を受け継いでるんだっていう
そういう記録があったらしいんだよね
ほうなるほど
うんうんうん
そう
なので実は禅が日本に来てから400年が経過してますと
だからその
比叡山の人たちはさ
禅っていうのはなんかそんな新しいものは広めちゃダメだとか
伝統的じゃないものっていうのはいらないとかって言うんだけど
いやいやと
その
ちゃんとそれは最澄っていうのが伝えてきてるものだから
禅を批判するっていうことは
つまり最澄の教え自体を批判することで
引いては比叡山の教え
だから自分自身のことを批判してるのと一緒なんだぜみたいな
うふふふふふ
そんな風に言い返してるんだよね
うまいね
そっかそっか比叡山開いたのが最澄だったからそもそもね
うんうん
そこを否定することになるんだよと
一番そこの権威に一番強い人を引っ張ってきたんだね
うんそういうことそういうこと
はいはいはい
だからその本年の時はさどっちかっていうと
その浄土教ってはいかに優れてる教えかみたいな話だったと思うんだけど
最澄の場合は教えそのものってよりは
そういうまさに権威とか歴史とか最澄っていうのが
まさにそういう偉大な人を結構引き合いに出して
だから前提なんか全くそんなね新しいものってよりはちゃんと古いものなんだよみたいなことを言いやすいんですよね
なるほどまずロジックよりもまずはちょっと気持ちの面から攻めてるみたいな
まあこれもロジックではあるけれども
そうロジックなんだけど教えのロジックってよりは正当性のロジックから攻めてますと
はいはいはい
でもう一個いくつもそういう話なんだけど
もう一個面白いのが
大般若教っていう教典があるんだけど
そこに
末法の世になってから東北の方角で仏教が再び支えますっていう
お釈迦様の予言が書いてあるんだって
で私はその予言に基づいて
称えていた禅宗
その仏教の背の禅っていうものを改めて盛り上げていくのだみたいな
そんな風に書いてるんですよ
つまりねその批判する人からしたら
前からずっと言ってる通り末法の世じゃないですか今は
その辺千何年からお釈迦様がいなくなって何千年も経って
これ以降悟れる人もいないし
なんか仏教の教えっていうのも廃れていくみたいな
そういうような時代にあって
まだねその僕らみたいな
仙台宗とかねその末法じゃない時代に広まって
教えとして伝わってきているものが受け継がれていくのは分かるけど
なんで改めてその新しい禅なんて教えを広められるんだいと
そんなことはもう
末法ならできないじゃないかみたいなことをね
例えば言ったりするんだよね
なるほどなるほど確かにおかしな話だね
末法の世になってから新しいものが出てくるってありえないじゃん
そうそうそうそう
お釈迦様が言ってるでしょとそれに関してはと
そうお釈迦様がそう言ってるじゃないかと
末法になったら無理だと
っていう話をするんだけど
いやいやとさっき言ったみたいに
実はお釈迦様自身が
でもねと末法の世になって
東北の方角で
再び栄えるっていう風に予言してるんですと
うんうんうんうん
それでインドからしたら
日本では東北のまさに方角であるんだよね
禅の起源と流れ
まさに禅っていうのも
実はその禅自体が
菩提だるまが始めたって話もあるんだけど
その純粋なお釈迦様のやってたことなんだって話もあるんだよね
まあその仏教の流れではあるよねっていう話で
仏教の一つでしょと
仏教の大元の一つだと
新しいものってよりは
むしろ
古いお釈迦様に基づくものなんだと
だからこの二つを掛け合わせた時に
今この日本で末法の世に
禅を広めるっていうのは
まさにそのお釈迦様が予言したことを
自分が実現しているんだ
みたいな風に
こう引き寄せて言うんだよね
これはまあかなりやっぱり
あの強引な話
まあ解釈としてはね
正直苦しいんだけど
やっぱそういう話を
ちょっと引っ張ってきて
さっき言ってた最澄っていうような
天台宗の大元の人の権威を変えるってもそうだし
むしろお釈迦様って
もうその人の言葉なんだっていうぐらい
ちゃんと正当性をやっぱり取りに行く
しかもそれはちゃんと
この経典のここに書いてあるよねって話をして
ちゃんとそこにも正当性を持たせてるっていう
ここはやっぱり
まあちゃんと勉強してきたからこそというか
禅寺での過ごし方
うんうんうん
ちゃんとね
その天台宗で
あの比叡山でやっぱ30年学んだ
引き続きがあるからこそ
こういう風に言われたら嫌だろうってことも分かるわけだよね
いやーそうだね
うんうんうんうん
そう
なのでそういう話も引っ張ってきて
反論していきますみたいな感じなんだよね
はいどんだけ強引な解釈ではあっても
同じようにきちんとそのバックグラウンドがある中で
これを批判しきらないと
論破しないとダメっていう
そうそうそうそう
そこが結構難しいって話なんだね
相手の方からするとね
そうなんです
どう思っててもね
英才のことを
そうだから
そうだから英才に対して
デリートでやっぱそのぐらい批判が強かったって話もあると思うし
英才の側としても
やっぱり
英才の側としても
やっぱりこう大般若経っていうね
その経典自体はちゃんと見てられてるものに書いてあるじゃないか
じゃあこの否定するっていうことは
この大般若経っていう
その権威を否定することだぞって
やっぱところまで持っていかなきゃいけないわけなんだよね
全部引用ありのね
引用ありで
そう
学者さんと一緒だよね
やっぱりこう自分の説じゃなくって
脈々と受け継がれている
こういう引用とかさ
文献から引っ張ってきて
こう言ってるんですみたいな
それをやっぱり
じゃああなたは否定できるんですか
みたいな話にやっぱ持っていきます
はいはいはい
うん
いう感じなんだよね はいでここではさあどっちかというと押しは中身っていうよりはやっぱりこうねあの
なんだろうな 全の正統性という話で逆に言うと本年みたいにさあその浄土教とかあったら
阿弥陀仏という人がいてそういう人がこういう風な本願を立てているから この阿弥陀仏にすがるんですっていうようなある種こっちのロジックがあるんだけど
うん やっぱり前提結構やっぱロジックっていうかやっぱり議論で数が難しいんじゃないかなと思うん
だよね あーまあそもそも不流文字だからさ引用する
あの書物とかも少ないんだろうね 実はそれは面白くって不流文字なんだけどこれねあのちょっと
禅の思想と悟り
まさに臨済時にも言った記憶あるんですけど だからといって禅は経典を内賀書にしてるわけじゃないんだよね
うんうんうんうん
まあちゃんと全部の経典を読んでるんです読んだりして勉強してるし 勉強した上で文字だけに頼っちゃダメだよというふうにいうんだよね
はいはいはいはいうん 実はあの英才も同じこの公然語国論
英才も同じこの公然語国論言えないね もう一回ね
英才もねこの公然語国論っていう本の中で
禅っていうのは何を元にするとか経典とするかっていうときに
全ての経典だみたいなことを書いたりするんですよ
なるほど
だから別に不流文字だから経典によらないってことじゃなくて
だからこそいろんな経典を学ぶと
その学んだ上で禅っていうものをちゃんと自分から
自ら実践していくんだみたいな感じなんだよね
はいはいはい
だからこそ議論をしようと思ったときに
禅独自の教えはとか言われてもちょっと言いにくいとか
なるほど
なぜ禅の正当性が担保されるかっていうと
それはあらゆる経典からだみたいな風にちょっとなっちゃって
相手からしたらそれは議論にならないだろうみたいな
多分感じにもなっちゃうんだよね
そっかそっかちょっと浄土教のならではの
ロジック
ロジックの強さっていうところとまた違うところで
禅の仏教についてのポジションを
経緯付けみたいなのをこうやってしっかりした上で
中身についてはちょっとあれはね
苦しいけれども
風界が信仰主をさ他の仏教主が全部包含
他の宗教主が全部包含しちゃったように
禅っていうのをどっちかというとそういう他の教典
宗派みたいなものを包含して
全部学ぶんですよ
あなたたちを批判してるわけでもないしみたいな
ちょっとそういう
次元で言うとその議論が直で
お前の禅の言うことがダメだよみたいな話にならないような
立ち位置というか中身になってる
そうだね
結構やっぱ軸をずらすとかスタンスが違うみたいな感じが禅かなと思って
まさに空界の信仰宗は割と全部を包むというか
やっぱりこの一番発展した先に信仰宗がありますみたいな感じだと思うんだよね
なんとかなり経路が違うもんね
根禅とはまた
ちゃんとロジックでぶっ飛ばしてるよね他の
そうだね
ロジックでちゃんとぶっ飛ばして
だからこそ信仰宗こそが第一だみたいな感じなんだけど
禅に関してはいろいろあるのはわかるんだけど
禅っていうものこそが一番純粋であるとか
他のを包んでるわけじゃないんだけど
ちょっとなんだろうな
違う軸として禅っていうものは素晴らしいんだみたいな
ちょっとこれも人によってとか言い方によって違うかもしれないけれども
僕としてはやっぱそんな印象を受けるんだよね
なるほど
下手すると悪い方の相対主義的な
に陥りやすいというか
陥りやすい
それこそ前回お伝えした農人さんみたいに
寝てりゃいいんだみたいなさ
別にやってもいいし
じゃなくてもいいんだみたいな話で
なっちゃうとそれはそれはやっぱ違うと思うんだけど
なのでやっぱり英才が禅そのものについて語ろうと思うと
書いてることからすると
やっぱりまずそれぞれの人が悟ることだみたいな
結構そういう根本からやっぱなっちゃうんだよね
しかもこれは英才自身の言葉っていうよりは
やっぱ禅の伝統として
脈々と受け継がれてるものであったりとか
そのやっぱり大乗仏教として
やっぱりその自分自身が悟るとか
涅槃に行くっていうことがまず大事で
そこからやっぱり教えを語るんだみたいな
順序だよっていう風に言うんだよね
はいはいはいはい
でさらにその悟りっていうものについても
その悟るにはこうしたらいいんだとかってことじゃなくって
やっぱりこの生き方というか過ごし方みたいな感じで
出家した修行者っていうのは座禅の修行で忙しいってことで
やっぱりその生き方というか過ごし方みたいな感じで出家した修行者っていうのは座禅の修行で忙しいってことで
だからこそその綱旗を耕す
いわゆる農作物を作るとかって余裕もないし
いわゆる何か自分の財産とかを賭わようと思っても
いやいや仏の言葉だけが宝なんだから
そんな風に自分の懐を肥やせみたいな
そんな余裕もないんだよみたいなこととか
あとは毎日1回の食事を除いては
他の時間に食べたいと思ってはならないよとか
結構そういう過ごし方とか
過ごし方とかスタンスみたいな話が多いんだよね
あーなるほど
だからこうすれば悟れるぞとかじゃなくて
悟ると決めたんだったらこうしなさいみたいな
うんうんうん
こんな感じで
これちょっと前回も今回お伝えしたような
いわゆる禅寺という集団での過ごし方とか
やっぱりそういうことの記載が結構多いんですよね
はいはいはい面白いね
でもこれさえねやっぱり純粋に禅とかやっぱり
それを学ぶ文化とかさ
なんだろうなそういう組織を作っていかないと
やっぱ広がっていかないっていう
うんうんうんうん
やっぱりそういう思いが現れてたのとは思うんだけれども
やっぱり思想としてとかさ
じゃああなたの禅は何ですかみたいな
そういうところからするとちょっと物足りないなみたいな
やっぱり思ってしまうんですよね
まあ確かに
まあだってその土壌はないんだもんね日本には
日本にないそうそうそうないんだよね
だからこそ次回の最初の道元っていうところは
やっぱり深い禅の理解とか思想っていうものがあるという風に言われているし
実際そうだなと思うので
ちょっとねそういったものは次回からまたお楽しみにしていただきたいなという風な感じですね
はいはいまあねこういう多分こう土台を作るとか環境場を作るとか
作るみたいな多分話が今のところ多いんだけど
とはいえその道元みたいな孫弟子が育つ土壌を作った
もしくはきちんとその多分直の弟子がいて
っていう意味ではちゃんとその禅門道的なものを
これやってないわけないよねって話したんだね
うんうんうん
実際やってるし逆に言うとやっぱりそれで悟った人の凄さをちゃんと認めるとか
うんうんうん
それって素敵なことだよね
うんうんうんうん
うんうんうんうん
っていうやっぱりことを作り上げるのにもやっぱり時間がかかったんだと思うんだよね
うんうんうんうん
やっぱり禅の悟りってさそれこそリンザの時にお伝えしたみたいに
こうねポカってここで殴られてその瞬間に悟るみたいなさ
うんうんうん
結構そのなんだろうなやっぱりロジックを超越してるというか
普通には理解しがたいことが起きるわけよね
うんうんうん
でもそれはやっぱりあそうやってすごいねとか
そうやってまさに悟ってるよねっていう風にやっぱり周囲が
ちゃんと理解できるみたいな
あーはいはい
栄西の禅の理念と権威の関係
やっぱりそういう環境がないと無理なんだと思うんだよね
う〜ん
今からこそやっぱりこうね永斎が作ったその道場のことを
まあ60年後に生まれた道元っていう人がまさにそれをちゃんと仮説にしていったというか
その凄さっていうものを誰もがやっぱり分かる形にした
うん
みたいなやっぱり時間の流れっていうのもあったんじゃないかなって思うね
すごいね
いずれにしてもそんな感じで
禅の歴史とか
正当性
とかまた宗派として
ちゃんと組織として成り立っていく
そういう厳格さみたいなものを
ちゃんと伝えながら
この
公然語学論
っていう本を書いていくんですけれども
あのね
ここからその権威の話に
また戻るんだけれども
やっぱり
禅を広めるためには
いわゆる権威とか
バックとかとの繋がりが
必要だという風に思ってた
という話と前回はしたと思うんですけど
この本の中で
英才っていうのは
禅こそがね
天皇
当時のトップっていうものが
率先して学んで
起栄して世の中に広げるべきもの
なんですよっていうことまで
実は書いてるんですよ
思ってても結構
結構すごいでしょ
ちゃんとこれでも論拠っていうものを
立てていて
仁王教っていう経典が
あるらしいんだけれども
そこにね
いわゆる国王が
般若教の教えを信じる
それで国が安定したっていうことが書かれてあります
つまり当時はやっぱり
いわゆる陳語国家みたいな感じで
仏教とかの力で
国を守るとか
治めていくっていう考えはあるんだけど
それはすでに天台主とかやってるわけよね
いやーそうだね
はいはいはい
うん
陳語師もそうだと思うんだけど
だからそこにどう禅が
入っていきますか
割り込んでいきますかって話なんだけど
その禅っていうものも
いわゆる般若教の流れを組むものですと
しかつ実は英才によればだけれども
やっぱ他の教えよりも優れたものなんですと
だからこそ
栄西の厳格な禅の姿勢と手段
その天皇っていう仏教によってね
国を治めるトップの人も
禅を信じるってことには正当性があるんです
っていうことを言ったりするんだよね
なるほど
ここロジックっていうよりは結構歴史
歴史
まさにじゃあそこに対して当然ね
なんでそんなことをわざわざ天皇に言うんだと
そもそも礼儀がなってますね
なんかね
そのなんだろうね
何か勝手に広めたらいいじゃない
別に日本に広めたいなら勝手に
お前が広めればよくって
そこに天皇とか朝廷っていうのを
持ち出す必要
ないじゃないかって非判
っていうのをやっぱ言われるわけだよね
まあまあそうね
そのすり寄ってる感じするよね
なんかさ
そそれはもっともじゃないですか
うん
そこに対してやっぱり英才っていうのは
やっぱり仏の法っていうものは
やっぱりその国の君主
インドなら国王だし
後よくならやっぱり皇帝だよね
っていう人がちゃんと命令してこそ
ちゃんとその国に広がっていくのだと
だからこそ自分が広げるとかって大層な恐れを
そんなことは逆に恐れ多くて
国のトップに認めてもらってこそ
その国に前提は広がるのだみたいな
そういうふうに返すんだよね
まあそれもそうだ
それもいわゆる確かに一理あると
やっぱりこれを本気でね
やっぱり善っていうものを日本全国に広めるとしたら
優れたリーダーと取るか
地位とかね
やっぱりちょっと栄誉みたいなのを求めて
権力に近づいた人
取るかはやっぱりちょっと観点によるかなとは思うんだけれども
まあどっちもあるだろうからな本当に
両方あると思う
ただやっぱり本当の意味で
日本に根付かせようと思ったら
やっぱりそこまでしなきゃ
いけなかった
ある種本の中にそこまで書くぐらい
英才っていうのは本気でやっぱり
そう信じてたってことだと思うんだよね
たださその英才自身が
じゃあそういうねいわゆる権力欲に
豆入れた人だったんじゃないかとか
そういうね地位を得て
好き勝手したかったんじゃないかっていうこと
こうやって言うと実はそうじゃないってエピソードもあって
実際ね自分のやっぱりお寺をさ作った
その前回顕仁寺ってお寺を作りましたって話をしたと思うんだけど
当然さ最初は人も少ないし
禅っていうものももしかも広まってないから
やっぱりこうね
あのいわゆる食べ物とかに困るわけよね
お金もないし
でどうしようどうしようってなって
その弟子とかもさ
その食うに困っていくわけですよ
わーなるほどねうん
だからねまさにこう前回ビジネスの話だったんですけども
なんかね新しい会社立ち上げてベンチャー作りました
でもあのなんだろうな
まだ商品とかもないから
社員に給料払えませんみたいな
ほんとそんな感じだよね
うんあと2年待ってねみたいな
そう3年待ってねみたいなそうそうそう
もうちょっと大きくなってきましたからみたいな
そうっていう時にそのまさに真と
あのまさにこうじゃあ全員いいねって言うようになった人から
絹当時で言うと硬貨のものだよね
うんうんうんもらったんだって
はいはいうん
さっきビジネスで言うと
いわゆる寄付とかさ個人で支援してくれる
なんか1000万ぐらい多分くれたんだろうね
人が現れた時になんとこの英才さんは
そうね弟子たちに対して言うんですよ
その意思するとしてもね
やっぱりお坊さんっていうのは
いわゆる仏の道に沿ってやっぱ行けなきゃいけないんだと
うんうんうん
だからこそこの絹っていうものはね
まあ僕らが使うんじゃなくって
やっぱり貧しい人の世のため人のために使うんだと言って
うん
お寺の外の人にね分け与えちゃうんですよ
おーはいはいはい
うん
っていうぐらいやっぱり厳格に
ちゃんと仏の道を生きようとした人ではある
うーん
ちょっと美化さえし過ぎてる気もするんだけどね
うんうんうんうん
うん
だからやっぱりその自分たちが発展するためには
何だろ?
火星で人を集めて
人種を多くすればいいんだ
じゃなくて
ちゃんと世のため人のため
民衆のために
役立つことが
仏の道である
というふうなことが
思ってた人は
栄西の善の捉え方と農人の対立
はずなんだよね
なるほど
これ自分のお寺だから
自分もちゃんと
ガリガリになってたのか
気になるとこだね
この絵巻みたいなのが
残ってたとしてさ
英才だけすごい丸かったら
ちょっと笑うよね
それは
多分ね
倒されてるんじゃないかな
弟子とかに
あいつ偽物だって
そうだよね
そんな素晴らしい弟子が
スナッツとしたら
反面教師でしかない
みたいな
残んないか
自分だけ
ふくふくつやって
したらちょっと
ダメだと思う
みたいな感じで
自分もね
辛い思いをして
やっぱりね
苦しい中で
ちゃんと教えをね
純正に
広めていった
みたいな話らしいんですよね
あとやっぱり
前回農人っていうね
ちょっとこう
なんだろうな
先に
京都で
善を広めてて
好き勝手いって
博愛されたみたいな人の
話をしたと思うんですけど
やっぱり当然ね
英才の方にも
いやでもお前の善も
農人と同じだろ
みたいな
話をやっぱり
言われたりするわけですよね
そこに対して
やっぱり英才は
すごい
なんだろうな
反論者というか
一緒にやっぱり
してくれんのよ
っていう話をしてたみたいで
彼らの善っていうのは
いわゆる本当
中にいらない
通虚なものですと
我々の善っていうのは
やっぱりちゃんと
正当な教えがあって
対立もあるし
修行もあるし
ちゃんと
その中でやっていくものなんで
表現的には
離れて
暮らしたいぐらい
違うんですみたいな
そのぐらい遠ざかったもの
同じ善って
言わないでくれみたいな
そんなことも
書いたりするんですよね
民衆からしたら
やっぱり情報がないから
さあどっちも
同じようなことを
言ってるようには
見えるんだけど
やっぱりちゃんと
それこそ
仏になれますよとか
あなたこそが
仏なんですって
言葉の裏にも
やっぱりちゃんと
このロジックとか
読み重ねとか
ちゃんとするのが
あるんですよ
っていうことは
やっぱり主張したかったんだろうね
とかといって
もしかしたら
わかんない
農人最高って思ってる
人が聞いてる方に
いらっしゃるかも
知らないんですけど
でもそれはそれで
やっぱり一つの教えであると
そっか
今も残ってるんだけか
結構やっぱあるみたいな
ダルマ宗っていうのが
当時あって
はいはいはい
それ自体
なんか
昔はちょっと
秘密結社っぽい感じだって
言われたらしいんだけど
やっぱり研究が
全部進むほど
実はちゃんとした
やっぱり宗派として
残っているし
ちゃんと信者も
多かったみたいな
話があったみたいなんだよね
現在まで残ってるかっていうのは
ちょっとわかんないというか
あんまりメインではないと
は思うんだけど
うんうんうん
なるほどなるほど
じゃあやっぱり
あれだね
一編もそうだけど
農人としては
不本意で
本気で本気で
そう考えて
みんなのために
っていう草の中で
活動をしてたとすると
そうやって残るっていうのは
希望とかで言うと
そりゃ違うけど
あるんだろうね
禅の強さを探る
人を救ったって
事実はある
っていう意味で
考えるとね
うん
多分ね
ただ面白いのが
やっぱり
対立軸とか
やっぱり
歴史に残っていくものって
どうしても
なんだろうな
勝った方に
寄りやすい
みたいなのがあるんですよ
で勝ち負けっていうのも
すごく恣意的な話で
要は鎌倉新仏教とかって時に
やっぱりその
新仏教っていうニュアンスには
やっぱりそれまでの仏教は
古いっていう
そういう基地が
やっぱり
ついちゃってるんだよね
うんうんうんうん
うん
だからやっぱり
英才とか
何だろうな
法然とか
そうなんだけど
そういうのを
ちょっと古い論文とか
読むと
何だろうな
やっぱり
法然こそが新しい
先駆者だみたいな感じ
多分なっちゃってたりしますと
なるほど
そう
でももうちょっと
新しいものを読むと
それっていうのは
あくまでも
その何だろうな
やっぱり
偏った見た方で
当時比叡山の方に
やっぱり比叡山の
発展があったし
そういう教えの
深まりもあったみたいな
話がやっぱり
バランスが
捉えていくんだよね
ああ
はいはいはいはい
うん
うん
うん
ただその英才とかも
やっぱり英才っていうのを
ヒーローにしようと思うと
ノーニーみたいな
ある悪役がいて
うんうんうん
そいつのせいで
なんか不況できなかった中でも
苦労して頑張って
その善を広めていった
英才様みたいな
うんうんうん
そういうストーリー
やっぱりなっちゃうんだよね
はいはい
あの
事実ってよりは
ちょっとやっぱり
色がついちゃう
どうしてもね
うん
そう
多分事実は事実なんだけど
その
ノーニーっていう人が
いて
禁止されてた
ってのも事実だし
うん
それによって
英才が京都に入れなかったから
福岡で
公然国論を書いて
そのみんなに善を広めたってのも
事実なんだけど
やっぱりそれを
組み合わせた時に
英才はいい善の人で
ノーニーは悪い善の人だ
みたいな風な
色づきがやっぱりついちゃう
はいはい
栄西の思惑
だし今回もちょっと
やっぱそう思っちゃったもんね
そうそうそうそう
これどうしてもね
僕もそういう風な
やっぱ話になっちゃうんだけど
うんうん
やっぱりこうね
実は
そこは
あのフラット
まあ
なきゃいけないというよりは
あの
そういう風な
色づきの中で
僕らはやっぱり
学んでるんだよとか
そういうことを
やっぱり
本を読む中でも
そういうことが
前提になっちゃうんだよ
みたいなことは
結構気をつけなきゃいけないな
って思ったんだよね
はいはい
どこの視点で
語られてるかって話だね
そのノーニーにしても
そう
ハヤトンの最初
ノーニーのエピソードの時
悪者
悪者にされてるけど
っていう
話してたけれども
うんうんうん
うん
うん
これはやっぱり
比叡山みたいな
その
いわゆるその
正当派の視点から
見るとっていう
話なんだもんね
そういう形容詞の
悪者とか
邪魔だ
みたいな
偽物みたいな
うんうん
ノーニーはノーニーで
そっちの
視点だったりとか
それを信じてる人の
目線から言うと
こんだけ
その
対象に寄り添って
くれてる
ってことは
っていうやっぱ
ありがたみがある
っていうまた
一面があるだろう
って話の
まあ
あの
偽悪者
だったかもしんないしね
そこは分かんない
って話だね
これは
分かんないけど
っていう感じ
そう
実はまあ
ちょっとこれ
あの話
逸れちゃって
あれなんだけど
そのノーニーのね
やっぱり
伝わってるエピソードが
もう面白くって
悪意があるんだけど
その
ね書いた通り
その特別の
師匠にね
やっぱりついてない
みたいな話があって
結局お前
自分で
そう言ってるだけじゃん
みたいな
そういう風なこと
ノーニーとの対立
やっぱり
言われたらしいんですよね
うん
まさにこう
正当性がない
みたいな
話に対して
なんかノーニーが
何をしたかっていうと
分かった分かったと
じゃあ
あの
そういう風な
師匠に
認めてもらったら
いいんでしょ
つって
あのね
弟子2人をね
中国に派遣して
はいはい
俺が悟ったって
認めてもらってきて
みたいな感じで
おーおーおー
あの
自分は行かずに
弟子を派遣するんだよね
へー
頭良さそうなんか
そう
そうそうそう
まあその弟子が
実際に
お前の話を
一緒に言って
これこれ
こういうことだよ
って言って
まあじゃあいいよ
って言って
なんかそういう
認可証みたいなことを
もらって帰ってくるんだよね
それで
ほら
師匠からもらった
認可証あるでしょ
みたいな感じで
おー
こうやっていく
みたいな
なるほど
うん
はいはいはい
だからね
多分
聞きしこいんだよね
多分ノーニーさんは
そうだね
あの
賢いね
あの
うん
好きか嫌いか言われたら
あんま好きじゃないかもしれないけど
賢いね
そうそうそう
どうなんだろう
あー
まあ
それだけじゃやっぱりね
本人がどんだけ悟ってるかは
分かんないけれども
うんうん
何のために
それやってたのかも
分かんないけど
賢くはあるね
なるほど
だから当然さ
他でいっぱい持ってたんだろうな
そう
そう
多分いろんなものをね
積んで
積んで
まあ当然ね
その
いわゆる正当派とかさ
やっぱり古き良きみたいな
人からすると
もうそんなの
ありえない
みたいな
まあ
自分でいかないなんて
ってことだとは
思うんだけれども
うんうん
じゃあ
そうやってさ
現代にも聞かれたらさ
オンラインミーティングで
済ますなんて
やっぱりね
顔を合わせて
営業を訪問してこそ
正義が見せられる
みたいな話と
多分ほとんど同じだと思うんだよね
まあ
目指し
オンラインミーティングにも
部下行かせてるからね
まあね
本人も行かないでしょ
それでも
ぐらいの
それは間違いない
うん
まあ手紙の一つが
書いたかもしれないけど
うんうんうん
そう
そっちは
そっちで
魅力的な感じがするね
そうだよね
ちょっとそういう風にさ
聞くと
ちょっと
どんな人か
知りたいなって
思っちゃうよね
そうね
絶対こういう
歴史の主人公には
ならなそうな感じだけど
うん
面白そうだね
うん
そうなんです
うん
まあ
みたいな感じでね
やっぱりこう
A世界
生まれちゃったんだけれども
やっぱりそういう
いろんな人が
活躍しているとか
時代の流れが
ある中で
やっぱり自分自身の
教えをどう広めるかとか
まあもちろん
自分がどう学ぶかも
そうだし
うんうんうん
自分がいいと思った
善っていうものは
やっぱどう広めるか
うん
っていう中で
やっぱり
ある種すごい
ピュアにやっぱり
生きた人だとは
思うんだよね
うん
いやー
まあそうだね
うんうんうん
もう自分が悟る
っていうところじゃなくて
その善を広げる
その文化を根付かせる
っていうところに対して
ピュアな感じがするね
そう
そうそう
だからこそ
やっぱり自分自身の
善エピソードみたいなね
こういう問答を
しましたとかってよりも
ヒエザンと
ナイトルしましたとか
国とかね
朝廷と
こんな風に
関係性を
作っていきました
みたいな
そういうエピソードが
やっぱり残っている
っていうのも
なんかそういうことなのかな
って思ったりするんだよね
すごいね
本来多分
エース祭は
ものすごく
多分
善を
悟りも開いてるし
善に対する
理解も深かったろう
けれども
やっぱりその
実はその
人生としてやった
一番大きな業績は
全文の方が
栄西の思惑
やってるんだろうけど
こういうね
あの
土台作り
みたいなの
っていうのは
面白いね
なんか
だからこそ
これだけね
残ってるんだろうけどね
長ね
ほんとそう
1
お坊さん
というかね
だったら
こうはなんのやつだもんね
いっぱいでしょ
ちゃんと育てあげようだけだったら
こうはなってない
って話だもんね
そうそうそうそう
うん
ついでに多分やっぱりね
日本に善が根付いたっていうのは
やっぱりまさに
エース祭のやっぱり
なんだろうな
こう
宝石というか
うんうんうんうん
これがあってこそだとは思うから
やっぱそこに対しては
多分揺るがない
って感じなんだよね
うん
うわぁすごい魅力的な人だね
善の考え方に踏み込んでいく
うんうん
おぉ嬉しい
そうです
でね
ここまで
まぁちょっとね
エース祭が善を広めたぞ
という話はおしまいなんですけれども
うん
もう少しね
次の道元からは
ちゃんとね
こう善の考え方
そのものみたいなところに
踏み込んでいきたいな
という風に思いますと
はいはいはいはい
うん
で最近はちょっとこういう
ストーリー的な話が多くてね
そろそろね
もうちょっと
分かんない話は聞きたいぞ
とかね
ちょっと頭をね
悩ませたいぞ
みたいな人も
おられるんじゃないかな
と思うので
はいはいはい
ちょっとね
そういう人の期待に
応えられるような
まぁかといってね
ちょっといきなり
なんだろうな
あの
結構
ばいばい
結構ね
また空の話とかも
出てくるんですよ
やっぱり
へぇー
あそうなんだ
うんうんうん
うん
とか縁起の話とかも
また出てくるので
うんうんうん
そういうところのね
概念とか捉え方
みたいな話をね
また少しずつ
ちょっとお伝えしながらですね
あのまさに
日本の善
道元の善というものに対して
こうできる限りで
お伝えしていきたいな
という風に
思っている感じですね
はいはい
いやー
楽しみだね
そっか
その作った土台の中で
日本でどういう風に
広まっていったかと
そういう風に
中身だね保険の中身 難しい話をしてたことを
のまた次回も楽しんでいただけるんじゃないかななんて思っております今か僕はちょっと 久々にね
やっぱりこういう話はねマジで楽しいんだけれどもやっぱもうちょっと思想的なこと とかさ
うんやっぱり概念的なことも言いたいなーっていう気持ちもまた改めて出てきたので はいちょっとでウィトゲン社員やってもお腹いっぱいかなって思ってずっと離れ
たんだけど はいやっとねこう僕もそういう気力が取り戻さできちゃう
はいもちろんやっぱそのその上条州とか 浄土教だと多分その経典の話とかはあるだろうけれども
まあそういうちょっとわけわかんない話とかってなると前の方になってくる感じだよ なんかは多いのかないとねまぁやっぱり増強はどっちかっていうとやっぱり民衆に
広めるために どんどんどんどん分かりやすくしたりとか絶対大力
いう意味でやっぱり阿弥陀仏にすがるまずはなぜすがるのかとかそれがつがることが いいのかっていう風なロジックだと思う
もうやっぱり前の方はやっぱり自分が畑になるっていうところにまだまだこう ぐっと入っていくからやっぱり細毛とは何か
悟りとは何かそれではどういうふうにして起こるのかっていうことでやっぱ向き合って いくんだよねあーなほぼトレート
そこそこ前がと他の仏教というは大丈夫 今日そういうだいぶ
大分やすくなってきたところとこういう前だったりとか まあ確かにミッキョンとかも持ってくださったをコーヒーの
さあでそうそうんだろうかもう食べるほど うーんと去年その前のまたはくっ
わかりづらさついていくことですねもちろん さうんですね触れていきたいと
はいいき続き次回も楽しんでいきたいとおもいます では引き続きよろしくお願いしますお願いします今回もありがとうございました
ご視聴ありがとうございました。
43:51

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