1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #74 禅問答(応用編)するのも..
2023-01-08 48:59

#74 禅問答(応用編)するのもダメ、しないのもダメ。さあどうする?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:00
(BGM)
はい、ソレッドアルティオラジオ 今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
前回に引き続き、今回は全問答の中級編みたいな感じ?
はい、そうですね、今言ってくれた通り
ちょっと引き続き全問答のご紹介で
より一見するというか、一回聞いただけじゃ分からないよねみたいなものをお伝えしていきますと
分かることが目的じゃないんで、こんなやりとりしてるんだなとか
別に僕も何回も言うけど分かってないし
別に解説が全部正しいってわけでもないので
ちょっと分からなさを今回楽しめたらいいなっていう気持ちがちょっとね
とか、そういう風に言われたら分かる気もするみたいな
そういう感じでね、ぜひ楽しんでいただけたら気軽に聞いていただけたらと思っておりますと
はーい、楽しみ
ちょっと4つぐらい思っておきたいので、早速1つ目行こうと思うんですけど
引き続き、バソ・ドーイツさんの話ですね
バソとお弟子さんがやりとりをしている話なんですけど
弟子が道を2人で散歩というか歩いてるんだよね
そういう時にいきなり弟子がですね、大涅槃
いわゆる仏陀の入滅とか、入滅と悟りに至った時の
いわゆる幻術の死だよね
とか、いわゆる仏教が理想とする悟りを開いた境地の如来みたいなそのものを指す
結構大きな福井の意味の合いの言葉なんだけど
涅槃に大がつくぐらいだからね
で、「何でしょうか?」って尋ねるのね
おお、まさにこの定義を教えてくれるんだね
大涅槃で「何ですか?」って聞くんですよ
そしたらバソが一言「急だよ」って言います
急、急、急ぐとかの急ね
で、弟子さんが「急とは何でしょうか?」って聞くのね
そしたら「水を見な」って言うのね
終わり
終わり?説明無し?
説明って言うとは
ちょっと難易度上がりすぎじゃない?
でもあれだよね、たぶんこの弟子バソ同一と
弟子のやりとりはこれで終わりってことだよね
やりとりは終わりです
この大涅槃って何ですかって聞いたら「ここまで水見ろ」で終わった
終わったってこと
こんな古訓のテストあったら無理じゃん
この時のバソの気持ちを答えようみたいなさ
バソは何を伝えんとしたか
400文字以内で答えようみたいに言われたらお手上げだわ
03:01
無理でしょ
もちろんもともと中国語だから
日本語の翻訳の観点とかも含めて
いろんな解釈があるようなんですけど
1個得るのはここでは急だよ急だよとの急とか
水そのものを問題にしちゃいけないよってことは
言えるんじゃなかろうかって話がありますと
要はもともと大涅槃について話してるから
いきなり水の話とかされても要はレイヤー合ってないじゃないですか
あくまでもバソは急とか水ってものを伝える中で
大涅槃に対して何かを言おうとしているよね
っていうのは言えるよねって話はありますと
何かをね
何を答えてるのって話なんだけど
おそらくバソはやっぱり大涅槃が何かって言うのじゃなくて
急ってことは急げってことをまず答えてますよねと
で牛の方は急とか急ぐってどういうことってポカンとしてるんだけど
そこに追い打ちをかけるように水を見よって言うんだよね
どういうことなのかっていうと
要は大涅槃っていうのがいわゆるブッダの入滅というか
仏なる死だとした時に
要は人も結局一瞬一瞬瞬間瞬間その死
要は大涅槃に向かって仏になれるとしたら
その仏なる瞬間に近づいてるって言えるじゃないですか
まあそのために使用しているという話だよね
だとした時に要は仏になるのってめちゃめちゃ大変
要はブッダですらなんかその前世のいろんな苦毒があって
何回も何回も人生を繰り返してやっと
お子様したら生まれた時にブッダになったみたいな話だから
要はもう時間がないわけよ
だから大涅槃を何とか言っているその場面を捉えて
それって何だろうと考えるぐらいなんだったら
今この瞬間細けになるためにちゃんと生きろよみたいなことを
例えば思っているとしますとバスはね
それなのに急って何ですかとかってとぼけたことを言ってるから
ふざけんなと大涅槃とか仏になろうとかって言ってるのに
何何とか言ってる場合じゃないよと
で水を見ろって言うと水っていうのは結局これも解釈だけど
いろんな速さとか方向に流れているんだけど
流れているってことに変わらないじゃないですか
もちろん池とか海とかもあるっちゃあるけど
06:00
まあでもね一個一個の水みたいなものを見た時には常に流れているからね
池単位じゃなくてね
そうそうそうだからその水っていうのを考えた時に
この水はどこに流れていくんだろうとか
注着液はあるんだろうかとかじゃなくて
まず流れているっていうその瞬間瞬間を捉えるっていうのが
人生だったら仏の道だよみたいな
そういう解釈が一個できますよねっていう話があります
なるほどなるほど
だとなんかわかる気がする
その解釈の話ははいはいはい
また他にもその水を見よっていうのをあの水だよみたいな解釈
要は散歩所の中に水が流れててあれだよって言ってる風な解釈もあって
はいはいはい
それだとまあ結局その悟りっていうのは思いがけないもの
要は大涅槃とかってすごく大きなもんじゃなくて
本当にあそこに流れている水を見るぐらいの時に
悟ったりするもんだから
いつ行かない時も油断しちゃダメだよとか
そんな風に未来の音を考えて構えて
なんか大涅槃っていつなんでしょうねみたいにやってるのも間違いだよみたいな
そんな指摘って取るケースもあるんだけど
まあどっちにせよそんな大涅槃みたいな大きなこと考えるんじゃなくて
今この瞬間とか今自分が生きているこの一瞬一瞬っていうのを大事にしろよみたいな
まあそういうメッセージなんじゃないかって言われることがあります
はいはいそれも解釈の一つって話だよね
はいはい
そりゃ全問答あれだね残しちゃダメだな
解釈の余地ありすぎでしょこれ
わかんないでしょだって
わかんないもんねまあそうだねそういう意味では残しちゃダメだし
一方でいろんな解釈をして
我々一般人が楽しむ名言としてアフォリズムとして楽しむみたいなのでもいいし
悟ろうとしている人も誰かの助けになる可能性があるっていう意味ではありなんだろうけど
これは難しいね
もちよね
だから禅の冒頭でも言った通りやっぱり前提その人悟りってのはその人のものっていう前提があるから
やっぱりこの弟子の立場にならないと
なんだろうそのバスが言っていることって本当はわからないから
残ってもわからないんだよねその言葉だけ残っても
ただなんとなく僕が感じるのは
ブッダに対しても死後の世界ってあるんですかって聞いた弟子が
そんなこと考えてやめろって言われた逸話があるんだけど
あったねあったね
ブッダの時に言ったと思うんですけど
09:00
そんな感じでやっぱり修行したいとか何かをつけてみようと思うと
究極のものを知りたくなる時ってあるじゃないですか
僕はまさにそういう真理ってなんだとか
それを知ればそこにたどり着けるんじゃないかみたいに思うことがあるんだけど
それはその修行を積んだ人とか全体が見えている人からするとおかしな質問なんだよね
そんな感じでやっぱ禅門道難しいというよりは
あまりにも意味が含まれすぎているっていう話だね
そうだね難易度の話じゃなくてただ単に意味不明
情報不足というか言葉足らずみたいな
なぜなら言葉で説明しないからね禅門道
これが多分師匠からすると必要最大の言葉って話なんだね
言葉で伝えようとしないからねやっぱりその大逆反とか言ってると俺に対して
もうその考え方自体がおかしいんだまずその瞬間瞬間見ろっていうことを伝えようとしているから
それをでも頭で言ってもわからないから
いうようなやりとりがまず1個目ありましたと
次2つ目ね大丈夫?あと3つあるけど
前回との雰囲気の違いが面白いね
前回ちゃんと説明してくれた感じがあるけど師匠の方もね
次はあるお坊さんがいて禅を学んでるんだけど
複数の師匠さんというかそのいわゆる孔明なお坊さんに教えをこいに行きますって話なのね
これはバソも含むみたいな話?
バソも含む2人目がバソで1人目が別の師匠さんなんだけど
禅のことを知りたくてでも掴み損ねてるから教えてよっていうので
とあるお師匠さんのとこに行きますと
いろいろやって勉強もしたし禅も食うてるんだけどどうもきんとこないんですと
改めて教えを示してほしいんですっていうふうにお願いをするのね
それに対してとある師匠さんがOKOKってこういうのね
するのはダメしないのもダメするでもなくしないのでもダメさあどうするって答えますと
そしたらお坊さんがお手上げ状態で何言ってるかわからへんわみたいになりますと
そしたらお師匠さんがそんなになったらバソのとこ行ってみたらって進むよね
面白いね
うちは無理だけどバソならなんとかなるかもみたいな
12:01
紹介されたんだ
紹介書書かれたみたいなね
感じでじゃあわかりましたってバソのとこに行って同じ質問をします
教えを示してくださいって言うとバソはこういうのね
ある時は目をパチパチしてある時は目をパチパチしない
ある時は目をパチパチしてもよくある時は目をパチパチしてはならないさあどうする
言ったらその瞬間にお坊さんは悟って礼拝しますと
バソがね大丈夫?
面白いな面白いでしょ
バソが何がわかって礼拝したのお礼というかねって聞くのね
そしたら一人目のお師匠さんのところでは蚊が鉄の牛に止まってるようなものでした
バソがそういう風にわかったんだったらあとは自分でしっかりやってねって言って終わりますと
という話ね
はあ
これは例えが面白すぎてとてもわかっちゃったんだけど
目をパチパチする
言い方かな
たぶんね
もちろん中国語ではその風に言わないんだけど
はあそっか
やっぱあれだね
善がその1対1だっていうのをすごく示すエピソードなのかなって
すごいそんな風に感じました
うんあのやっぱりね前回も話したんだけど
登場人物の全員がやっぱりすごいなっていうのを感じるよねこれで
なぜかっていうとまずは登場人物3人いるわけだけれども
いろんな修行をした上でまだわかんないなって
別の師匠というか悟った人のとこに行って話聞いてみようと
行くわけじゃん
そうすると1人目の師匠というか悟った人に
やるのはいいしやらないのもダメみたいな話をされた
でこれを実際わかんないとちょっと懸命に巻かれてるんじゃないと思うんだけど
多分この師匠だよねこの師匠は多分悟りレベルがやっぱりバソよりは低くて
多分人に悟りを伝える時っていうのは多分もうこの例しか使わないんだよね多分この人は
この人の成功法則なんだよ多分
この悟った人の成功法則を人に伝えるってことはできるレベルで悟ってはいる
そういう意味で悟ってはいるんだけれども悟ってるって言えるのかなちょっとわかんないんだけど
1対1で相手の理解レベルっていうものを把握して
こいつこれだけわかってからこの人のオーダーメイドの
言葉を使ってやろうっていうレベルに達してないだから悟ってるけど込み力ちょっと低いみたいな
15:05
言葉が上手すぎて使えないみたいな別のところに問題がある人なのかも知れないんだけど
でもすごいと思うのはこれで伝わんねえんだったらバソさんのところ行ってみたら紹介できるっていうのは
ある意味バソと自分っていうのを相対してレベルをちゃんとわかってる
自分はここまでこれでわかんないやつは自分じゃちょっと悟らせることはできないから
じゃあバソさんのところ行ったらっていうその何かその自己認識の高さみたいなもの
高さというかその正確さっていうのをこの師匠すげえなと思った一人目でね
でその上でバソのところに行った時にバソの場合はその一人目の師匠で
その例だよねやってもいいしやってもダメみたいなそこがわかってないっていう
事前情報はさらに追加されてはいるんだけれどもそこまで来て自分のどこまで来たっていう話から
じゃあどうすっかなこの人の目を見た時にとかこの人の立ち振る前話を聞く時に
何て伝えればわかるかなみたいなことをパーッと考えた時にパチパチするみたいな話をして
でこの人にバッチリハマったんですねこのお坊さんはうわそういうことかみたいな
みんなすごいなと思うよねそのオーダーメイド性の高さもだし
それをちゃんと理解したそのお坊さんもすごいし
だしこの例えもやっぱすごいよねなんかこのやるのはいいしやらないのもダメっていうのと
目をパチパチするのの例えて同じようで全然違う気がしたんだよ自分も
これは解説あると思うんだけど先に何か思ったこと伝えていいのかなって
いいよいいよ
自分が思ったことあるじゃん回答を聞く前に
やるするのはいいけどしないのもダメっていうのはってなっちゃうと
やっぱ答えに詰まると思うんだよ本当に煙に巻かれてる
色即是空空即自色と同じでそれもそうだしそうじゃないのもそうだっていう煙に巻かれちゃって
本当に意味がわかんなくなっちゃうんだけど
面白いのはこの例えを踏まえた上でじゃあバスコさんと行っておいでって言われて
そっかじゃあという話で目をある時はパチパチしてもいいし
話を聞いた時にこの違いだよねがどこにあるんだろうってなった時に
そこにやっぱり自分の意思とその積極性なんだろうな
自分の意思だよねどっちかっていうと意思が開剤するかしないかっていうところが圧倒的に違って
たぶんこれってだから目でもいいんだけどいやダメなんだろうな
18:02
今一瞬その心臓が動くとかでもいいかと思ったんだけど不随気みたいなイメージがあったんだけど
心臓だとあまりに不随気すぎて自分じゃコントロールできないんだよね
目はコントロールできるんだよね確かに自分でも閉じるし開けるし
かといって確かに無意識的に閉じたりしてるじゃんっていう
その無意識的にも閉じたり開けたりしているものだし自分でもコントロールできるっていうのは確かに目なんだなっていう
っていう時にその自分の意思やってもいいしやらなくてもいいって言われるとそこには自分の意思しかないんだけど
でパチパチって言われるとそこにはどっちもあるんだね意思もあるし意識しないものもどっちも存在するっていう状態っていうのは
とても自然な状態平常心前回の近い状態だなっていうのをこのお坊さんは思って
そうすると最後の例えではね鉄に止まっている蚊でした自分はっていうのは
自分が蚊だとすると何に止まるかだったりとかむしろ鉄の丑に執着している自分っていうのがいたんだなっていう話みたいなものを
自分の中から答えとしてその目パチパチから自分の例えを自分で作れたっていう
それを見た場所があこいつ一個悟りレベル上がったわ良かった良かったっていう話だったんだろうっていう
ちょっとこれ感動エピソードだなあみんなすごいっていう
なんか合気の方が多分悟りに近い気がするよね僕より
え何の方がって何て言うの
僕より
あそうなのどう何か解釈
なんかすごいなと思ったやっぱなんだろうなすごい素直にさやっぱそれをさやっぱ感じ取って自分で言葉にしているじゃん今
それはすごいだと思って
言葉レベル低いから話長いんだけどごめんね
長いなと思ったよ思ったけど
でもなんかそれはなんだろうやっぱ成立というかちゃんとそれを吸収してるなと思って
僕は分からなかったやっぱ読んだ時に目パチパチってどういうことみたいなとか何が違うのって正直分からなかったのよ
えっとそれは昔の話
昔の話最初にこれ読んだ時に何がこれ違うのかとかどうしてこのお坊さんが一夢では悟れたくて
で魔装では悟れたのかってのは全然分からなかったのね
あーはいはいはいはい
でもちろん感じ取って読んだけど正直分からなかったんだけど今兄貴はそれをちゃんと違いを感じたって言ってたからやっぱすごいすごいなと思って
まあ年齢じゃない
21:00
年齢ですか年齢かな
僕はねやっぱ頭でっかちなお坊さんに自分を投影してしまうんだけど割とこういうのを読んでると
道とは何ですか悟りとは何ですかってやっぱり尋ねたくなっちゃう方なのよね
そういった意味で多分ね兄貴の方がなんか純粋にこういうのを感じ取れてるんだろうなって今思ったんですけど
本当その通りであのちょっとだけねまあ解説ってかちょっと用意したから話をすると
まさにその一人目はそのするのはダメしないのもダメみたいな感じで
ある種こう無限定で何にもしたらダメみたいな何でもしてけど何もしたらダメみたいな要は隙間がないんだよね
うんうんうんうん
でこっちの方が本質的で正しいっちゃ正しいんだけれども厳密さっていう意味では
まずやっぱり厳密ではあるけど厳実的じゃないみたいな話なんだけど
なるほどうんうん
例えばじゃあなんだろうするのもダメしないのもダメって言われるときに
じゃあ息をするのもダメかって言うと別にそんなことはないじゃないですか生きてるし
あーはいはい息も確かに近い
自分が決めちゃダメとかねそうそう
そんなことはないよと
だからある種やっぱり厳密に生きている自分が悟るってなった時のお坊さんからしたら
やっぱり分かんないんだよねと取り尽くし間もないみたいな
でもまさに兄貴が言った通り柔軟にその目をまぶたをパチパチさせる時に
自然にやってる時もあれば自分の意思でやる時もあるし
だったらもうずっと開いておくこともできる
うんうんうん
別にやっぱりやろうと思ったらできるし我慢しようと思ったらできるけど
その時やってもいいしやらなくてもいいんだよっていうように伝える
要は状況に応じてちゃんと自分で考えながれってことを言うの
はいはいはいはい
考えながれと
そしたらなるほどと
お坊さんとしてはそういう風に自分で決めていいというか
そこに自分の悟りがあるんだってことに気づく
逆に目はずっと開いてなさいとかまぶたを閉じていなさいって言われたら
それはそれで一個の執着だよね
そうだねはいはいその違いってものをね教えてるってことだね
だからやっぱり教えようのもいいしちゃんと師匠から学ぶのもいいんだけど
最終的にはやっぱ自分次第ですって言うな
ただ最後にばそも分かったのとらあとは自分でちゃんとやってねっていう
そこにやっぱり気づくんだよね
はいはいはい
そんな感じでまさにかにきが言ってくれたような一対一の環境でやっぱり悟るというか気づくみたいなところだよね
だからこそねばそさんにやっぱりいろんな弟子がいてとか
前から前習っていう習慣になったみたいなのもね何かわかるようなエピソードかなと思うんですけど
24:03
そうだねオーダーメイド力がめっちゃ高そうだねほんと
みんな浸水しそう弟子は
そうそうそうばそはねいろんな人を悟らせるっていうエピソードがいっぱいあるんだけど
次もねあるお坊さんがそのばそのところで悟った話なんですけど
次ちょっとまたご説明するね
でえっとですねあるお坊さんがそのばそのところに来て尋ねるんですよ
あのダルマさんあの母大ダルマがインドから中国にやってきたじゃないですか
それの肝心カナメの意味って何ですかっていうのね
あー死にたいそれ第1回で死にたかったことだよね100歳になってからなんで来たんだよって思う
そうそうそうでやっぱ思うじゃん聞くとまずばそは礼拝せよっていうのね
でお坊さんが礼拝するとすぐにばそは蹴っ飛ばしますとお坊さんを
でお坊さんは悟って起き上がって手を叩いて大笑いして
いやー素晴らしい素晴らしいありとあらゆる瞑想もおびただしい教養もたった一本の毛の先っちょでその根っこがわかってしまったって言って喜んで帰っていきますと
わからん全問答だねなんか
問答というか蹴ってるしね言葉使ってもいないよ蹴ってるじゃん
言葉じゃないんだよね
でも悟って帰ってくのよこのお坊さんは
喜んでるんだもんね
ちょっと無理だね30秒ぐらいとかじゃ無理だわ
この礼拝せよっていう言葉に意味がありそうなんだけどわからんね
これまでは解釈だし別にね外からわかるものではないんだけれども
もっと言うとそもそもの誰魔の真意?五代誰魔がなんでインドか中国にやってきたんだろうねみたいなことを尋ねる
マニキュもやっぱ知りたいって言ってたじゃん
それを尋ねること自体が間違ってんだよね
なんでかっていうと誰魔さんは別に誰かに何かを教えようと思ってきたわけじゃなくて
ただただインドか中国にノーハンドで来てただただ壁に向かって座禅するような人なんだよ
そのこの人には自分が仏だとか自分の心こそが仏であるっていうのを実現しようとしたっていう
もうそれしかないんだよね仏さん誰魔さんには本来は
それを誰魔さんの振る舞いとかなぜインドか中国に来たのかとかなぜ座禅したのかっていうことから知るんじゃなくて
自分の本心から自分が仏だっていうのを本当に信じるってところから出ないと絶対それはわからないことなんだよね
27:05
はいわかったわかった
わかった?わかった?悟ってた?
わかったというか悟ってない悟ってない
さっきのあれだよねあれと近いさっきというか
バソだっけか弟子とこんな月の夜は何をするっていう質問と近いね
いやそんないいじゃんみたいな自分が見たいんだったら見ればいいじゃんっていうぐらいの参考するぐらいの感じで誰魔さんは来たんだろうねぐらいの話だよね
そうねそこを考えるって本当に意味あるんだっけって話なんだけどそこになんか面白いのよ霊廃せよって何て言ったんだって話なんだけど
これも本当にね解釈だけど霊廃せよって言われて霊廃するわけじゃないこのお弟子さんとかお坊さんは
うんするよね言われたら
でもそれって要は人に祝えてやってることじゃん
だから自然に自分から出た反応じゃないんだよね
だから霊廃せよって言われて本当に本心からすいませんバソ様あの霊廃忘れておりましたって言ってやる霊廃だったらよかったんだろうけど
なんか質問されてるのに霊廃するって言ったから渋々やるぜみたいなやっぱり霊廃だったんだと思うんだよね
そんなことしたら蹴飛ばされますと要は何人からやってんだと
だれまさんっていう他の人の意図を知りたいって言ってて人に霊廃しろって言われてやっててお前はどこにあるんだって話なんだよね
はいはいはい
だから蹴飛ばされますと
なるほどなるほど
やっぱり面白いのは蹴飛ばされた瞬間にそれが多分わかったんだよねこの人も
自分は他人に倒れきろうとしてて自分の持ってなかったってことに気づいて大笑いするんだよね
はいはいはいはい
自分だよねそりゃ自分が問題なんであってだるまさんとかばそうさんとかじゃないよねっていうので悟りに至ったんだよみたいなそういうお話ですね
面白いさっきさこの解釈の話言うとささっき渋々霊廃したみたいな話がハヤトの中であったけれども
それは解釈のそういう話があるのかちょっとハヤトの中で感じた雰囲気のことか
それはもう全然自分はそんなこと考えつかないのでそういう解釈の話がありますそういう本を読んで僕がそう話してるというだけです
ハヤトどう思った?その渋々みたいな話があった時に例えば
それで言うと自分がない動きだろうなっていうのもやっぱ思うんだよね心の底から本当に自分が霊廃をしたいと思って霊廃してとか挨拶してるんだったらこの反応にはならないはずなのよばその方も
うーんそうなの?じゃあそうかごめん霊廃せよって言われて多分お坊さんが霊廃したと思うんだけども
30:11
ごめんね今ね想像した時に面白さが二通りというか
そういう中で自分がね想像してた霊廃そのお坊さんの霊廃のスタンスとその渋々っていうのはちょっと違かったから
その違いをちょっと面白いなと思って今聞いてるんだけど
そうかその本でもあとハヤトの感覚としても結構その霊廃せって言われて
しゃーねーなーみたいなあの膝ついてついてはーみたいな雰囲気だったのかな
でもそれは蹴られるよって感じなんだけど
あの別にブレーだから蹴ったとかじゃなくて
だからあのなんつーのかな
要は本当はこの人は誰もの真意を知りたいと思ってきてるわけじゃん
うんそうだね
だから誰もの真意を知るってことに囚われてるわけよ多分イメージとしてね
それを捨てないまま魔装に割れたから霊廃するっていう
要は本来善としてあるべき自分が悟りに至るとか自分が仏になるっていうところと
ずれてるんだよねだから蹴られるっていう理解
はいはいはいはいあ了解その本通じはうん
OK了解ですなんだけどそう自分が思ったのはそうあのイメージね
あれだよあのこの本質とずれてるから完全にあの余談なんだけど
はいはい
あのちょっと渋々っていうイメージじゃなかったの自分としてはもうね
質問するじゃんあの誰まで何で来たんですかねと言われて
魔装が霊廃せよって言ったら多分もう喜んで喜んで霊廃したと思うんだよねむしろ
へーはいはいはい
感覚として
うん
でもう確かにそうだってもうあの良い衝撃じゃなくてもう多分パーンってもうすぐ膝を振ってパーンと
ジャンピング同血ぐらいの感じでもう喜んで霊廃したと思うんだよね
はいはいはい
お坊さんはでそれに対してめっちゃ蹴られるんだよね
うん
で喜んで霊廃したらめっちゃバーンって蹴られてああみたいな引っかかるみたいな
なるほどね本人はあそうやーみたいな気づくみたいな
あのねこれはもうあのこの話の本質の議会の話じゃなくて
これをあの実写化するならみたいな話を
はいはいはい
何の話してんだみたいな話なんだけど
自分のイメージはそうだったんだよね
なるほどね
多分偉いお坊さん魔装のとこに来て教えをこうっていう
まあ多分テンション高い状態だったりとか偉い先生
だから霊廃すると言ったら喜んでも霊廃すると
もうそこにして上がっていればなんかこう教えが
もらえるとあったりとかさっき近づけると言ったらワクワク感もあって
なるほどね
33:00
なんか渋々じゃなくてもうめっちゃ喜んでやったらめっちゃ蹴られたけれども
それに対して自分は悟る
確かにそのダルマっていうものは地獄行きたい理由ってのは
まあそもそもどうでもいいというか
そこもあるかもしれないしないかもしれないだし
うんうん
自分がこうやって酔われたから霊廃したっていうのも
自分何やってんだって面白さもあるだろうし
そこを悟ってしまうとどっちでもいいみたいな状態
うん
っていうことをしかもそこに対して
普通怒るよね蹴られたらね
何してんだよ蹴ってるんだよって疲れかかる
そこを笑えたむしろむしかも爆笑したっていうのは
自分のその滑稽さだよね
うん
あるかも分かんないものに執着してたし
霊廃さって言われて喜んで霊廃しちゃった
そうだね
うん
でそこに一瞬間的にそういうリアクション
場所から蹴られて
面白~みたいなね
その自分への気づきっていうのは
すごくなんか潔いというか清々しいんだろうなって
思ったなって
確かにね
だからごめんね
だから全然この本質は関係ない
さっきの渋々霊廃したってところで
自分的にちょっとね違いを感じて面白かった
なんかね喜んではい霊廃しますって
霊廃したってイメージだったのね
そしたらパーンと蹴られたってイメージだった
まあでもそれも全然あったかもしれないね
要はそういうもうなんか教えてくれるんですね
みたいな感じで期待したらそうじゃなかったみたいな
むしろ本来知るべきは別に自分の中にあるんだよ
ってことだったっていうね
そういう結末でも期待した
結末は全然一緒なんだけど
表現というか演出の違いだけ
確かに
ごめん完全余談でした
でもねなんかそういうのもやっぱ面白いと思う
だからこの人はどういう気持ちだったんだろう
でも兄貴が素直だからそういうはずなんだと思うんだよね
なのでなんかねそういうやっぱりこう
登場人物のユニークさもそうだし
なんかねその関係性のちょっと滑稽さも含めて面白さ
そのやっぱ全問答の魅力かなと思うんですけど
面白いな
面白いって勝手に倒しにいってるだけだけどね
状況をイメージしてね
そうねきっとこうだったんじゃないかなみたいな
次一応ね今日の最後っていうことで4つ目なんですけど
最後はねお坊さんじゃなくて出家した役人
やっぱりそのいわゆる当時の宗教家というか
その仏教のお偉いさんって
いろんな人から尊敬を集めるような立場だから
そういう役人さんとかも来るわけですよ
場所のところに行って尋ねるんですけど
何を聞くかっていうと
酒飲んだり肉食べたりしてもいいですか
それとも食べない方がいいですかって聞くのね
36:01
まだ出家してない人だよね
まだというかもう全然出家してない材料
だから質問がちょっと俗っぽいよね
うんうんそうだね
それに対してパスタはなんて答えるかっていうと
食べたら現在において幸せが得られるし
食べなかったら未来において幸せが得られるでしょうね
っていうふうに言うの
なるほどみたいな感じなんだけど
要は普通のちょっと仏教をやっぱり知ってますとか
なんとなくちょっと信心深いですみたいな人って
やっぱり食べちゃダメなの
お酒飲んだりしちゃダメなのかなとか
聞いたら答えてくれるんじゃないかなみたいな
そういうちょっと弱さがあるじゃないですか
うんそうだね
それに対してパスタは別に食べてもいいとも
ダメとも言ってないと
出家しないんだったら別に食べたら
今おいしいもの食べて幸せだし
食べないんだったらそれはそれで
未来で仏の国で幸せになれるかもねと
でもどっちにしてもハッピーだよ幸せだよ
あなたの心持ち次第ではねみたいなことなんだよね
だから結局そういうふうにいろいろ思い悩んでるっていうのも
あなたの心次第だし
結局もっと大きく言うと
やっぱり幸せな人とか存在の世界が幸せであって
不幸な存在の世界ってのは不幸なんだよね
だから世界が幸せで
その中の一部としての自分が
幸せだったり不幸だったりするんじゃなくって
自分を前提とした世界が存在する
それが仏教の考え方だから
むしろ世界と自分とは一つだから
自分が幸せだっていう存在として
世界を捉えるなら
それが幸せなんだから
別にそういうふうに生きたらいいんじゃないの
っていうふうなことを言ってますと
そうなんだね
そっかそっかこれは
ただの皮肉というか嫌味ではないんだね
本当にこの言葉の通り伝えてるんだ
再読みしなくていいんだ
どっちでもいいよっていうか
ただ別にそうやって思い悩むぐらいだったら
幸せになる道を選んだらいいんじゃない
それっていうのが
食べるとか食べないとかってあるんじゃなくって
あなたが幸せになるかどうかだよ
はいはいはい
確かにそうかすごい話だね
そっかそっか
食べてもいいし食べなくてもいいって
これ深読みするとさ
今食べたら将来は不幸になるよとかって
深読みもできそうだよね
今食べなければ将来は幸せになれるよ
っていうふうに言ってくれてるみたいな
深読みもできるんだけれども
これどっちとも言ってないんだこれ
今の解説からすると
39:00
幸せになるとしか言ってないからね
でもねあの兄貴の言ってることもわかる
というのが要はその心は
仏教の人たちは偉いというか
自分たちよりも何か尊いものを知っていて
自分たちはそれを知らないっていう
多分感覚があるよね
だから肉とか酒をやらないと
仏の世界で幸せになるんだけど
そっちの方がいいよねっていう前提からすると
やっぱり今の幸せっていうのを大事にして
未来の仏の世界の幸せを掴み損なう自分は
ダメなんだっていう捉え方になるんだけど
相当は一言も言ってないんだよね
深読みはできるけど相当は本当に言ってないんだよね
言ってない
そう深読みしちゃうのはあくまでも僕らというか
それを平常心を知らない人たちのある捉え方
私は出家したらダメって言われるから食べないけど
あなたたちだったら別に食べて幸せになるの食べたらいいし
食べなかったら仏の世界で幸せになれるかもしれないけど
でもそれも同じ幸せだよっていうぐらいの感じなんだよね
はいはい
そっかこれ面白いね
そっかそっか肉食いたいかどうか
酒飲みたいかどうかじゃなくて
あなた自身の幸せそれこそ一般的な
肉を食べたら美味しいとかっていうことじゃなくて
君の人生の価値観ってどうなのってことをただ聞かれてるだけなんだねこれは
そう
あなたはどういうふうなあり方で生きていきますかっていう話なんだよねここは
はいはいもちろんねトレード今と未来がトレードオフではないんだけれども
ただあなたのその未来と今のその配合バランスぐらいはどうなんですかって話ってことなんだこれ
そう
自分で考えるよと
そう
深いこれは深いぞ
へー
なんかこれ素朴なねやり取りの中にもやっぱりこうね食べる食べないとかじゃなくてやっぱりどう生きるかとかどう自分らしく自分のあり方に従って生きるかだよね
そっか面白いなこれもやっぱり日常的にあるルサンチマを生むあれなんだよねルサンチマというか
この逆を言っちゃうとねさっき言った今食べたら将来不幸になるんじゃないかって恐れるのはやっぱそれもそれで間違いというか
その執着煩悩の類で平常心とやっぱり遠い存在どっちも多分どっちも得ることできるんだもんね多分今も幸せ将来も幸せっていうのを
ちょっとこう肉と魚肉とか酒からは離れるかもしれないけどどっちも得られるっていう心のあり方にたどり着けるかもしれないっていう意味だし逆もしかりみたいなね
42:08
あー
やっぱ俗世から生きる身からするとこういうあれだねあの俗っぽい例えの方がなんか入ってくるかもね
ねわかりやすいよねこれの逆にというか
そうだからやっぱりねあのちょっと今回いろんなお話を持ってきたんですけれども別になんかそのいわゆる全問答って言うと
おごとさん同士がよくわかんないこととか交渉のことだいぶしてるみたいな感じもあるけど全然そんなこともなかったりとか
さっきの大涅槃みたいなことから本当にいわゆる一般の出家しない人の肉食べていいんですかねみたいな話も
やっぱり相手の目線に合わせばするんだけどその出ている言葉の根っこにはやっぱりそのいわゆる前というか悟りというか
そういった仏の境地がやっぱあるよね
すごいねうんなんか形はわかんないけど表現したいものの本質は一緒みたいな雰囲気が
そうそうそうやっぱり不流文字っていうのは言葉はあくまでもその本質を一時的に表すものに過ぎないから
別になんて言っても本当はいいんだけどやっぱり相手に伝わらないとそれは本当に無意味になっちゃうから
はいはい無意味だったりとかさっきの一人目のお師匠さんみたいな話だよねやってもいいしでなくてもいいみたいな話でちょっと伝わらなかったりするみたいなことが起こる
それはそれで別に悟りの形としてはその人の悟りだからありなんだけどやっぱりバスはそこをちゃんとやっていたからこそさっきも言った通り
いろんな人が部下というかねその門弟になったしまさにここまであの名前が残るようなやっぱり人になったよっていう感じだと思うんですよね
はいはいうんそうだねもちろん今回でね前頭は何かは全然わかんないんだけど
うんやっぱその世界観とか全問答の意義というかねなんで全問答じゃなきゃいけなかったのかね
はいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはい
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そういう意味でねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねやっぱりねや
45:17
それがオーダーメイドなのかそれともさ自分のただそれしか手段がないのかみたいな話だよね設定部しかない自分にはなかったみたいな師匠さんもいるかもしれないしね
そういうのに対してなんかそのやっぱり頭でわかってるとか言葉で言ってるだけの人もいればちゃんとわかってる人もいてそれをどう見極めるかとかどうそこにたどり着くかっていうのはやっぱりこうある種全能難しさ
はいはいはいさっき言った通りなんかただ座ってるだけじゃダメだし
でもそうだねやっぱその自分一人のものではあるんだけれどもやっぱりこの弟子と師匠の関係師匠と弟子の関係っていうのがやっぱりすごく大事な感じもするよね
一人じゃ難しいよねみんながブッダじゃないみたいな そうそうそうみんながブッダになれるけどやっぱりそれがじゃあ自分が本当に人に近づいているのかとかそれはやっぱりわからないよね
実際に悟ったと言われる人の目から見て自分がどうかっていうのがないと そうだよね
次回雑談でも話そうと思うんですけどやっぱ僕もこうやって言ってはいるものもちろん悟ってないと言ってるのはやっぱりわかんないんですよ
言葉ではなんかこんな風にわかってるっぽく言っているつもりだけれどもやっぱそれが本当にどういう状況かとか
その3番目の手を叩いて喜んでるお坊さんがどんな境地でどんな物事を考えてるかとかやっぱ全然わかんないんですよね
はいはいはいはい でもなんか最近はそれでいいかなって思ってるというかなんかその悟りたいと思ったんだけど
別にそれぞれ人それぞれでいいし別に悟っても悟んなくてもいいんだったらそれでいいかって思ってたみたいな
はいはいはいはい そういう意味でやっぱ禅っていうのはすごく自分にとってなんか大事な考え方らしいスタンスを教えてくれたなっていう感じなんですけど
なるほど はいそんな感じでちょっと3回かなに続けてこうねちょっと禅のお蕎麦とか禅問答紹介してきたので
ちょっと次回ね雑談も含めながら兄貴にねなんかどんなことを話したかとかまた聞かせてもらえたらなと思っております
ちょっと禅はあれだねちょくちょくやっていきたいねこれ面白いな
そうねやっぱ時々ねこうなんだろうあの間におさ入りとって楽しいと思うんだよね
ちなみにあれは今回で禅は終わりだと思うけどそれはどういう決まってるんですか?
48:02
なんかねちょっと悩んでるんだけどまぁ西洋に戻るのもいいけどちょっとやっぱ東洋楽しいから
あの前ちょっと言ってたようなインド哲学やっぱそのブッダゴータマシュタルタの前みたいなところにちょっと一回戻ってもいいかなと思って
そっちでちょっと東洋をねもう少し深掘りするとか味わっていくような感じにしようかなって思ってました
わかりましたじゃあ禅はここまでですけどそうだねちょっと今後もちょっとぜひ個人的にもちょくちょく挟んでもらいたいんで
そうねあのなんかねあのこういうお話いっぱいあるのでちょっとそれはねなんかピックアップしながら持っていきたいなって思ってますので
引き続き楽しみにしていてください
はい、わかりました。次回も引き続きよろしくお願いします
お願いします。ありがとうございます
(♪ BGM)
48:59

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