朝の散歩、ピラティス、読書会
はい、sonoです。おはようございます。朝の散歩っていうよりは帰り道から。反省会ですね。
えっと今日は水曜日で、多分day54くらいになったはずですかね。
よく晴れてて、もう時間も遅めなので暑いです。
今日は、朝ちょっと早起きして、
出かけてピラティスをして、その後ちょっと朝食をゆっくり食べて、
で、今帰ってくるみたいなところなんで、本当帰り道なんですよね。
もう一仕事終えた気がするけども、これから仕事っていう感じですね。
リモートワークと、あとはフルフレックスのいいとこ撮りをした日だなっていう感じなんで、
環境を生かしたといえば生かした日になるかなと思ってます。
で、そうだなぁ。
昨日は、まず昨日のことから振り返ると、昨日はえっと、
ちょこっと、もともと会議がある日ではあったんだけど、ちょこっと会議があって、
そんで、あとは作業をする時間というので、結構昨日はガリガリと、
新しくスクリプトを触る環境で動かすっていうのに取り組んでましたかね。
ちょっとなんか力技でやればなんとかなるみたいな感じなんだけども、
まあ定期的に実行するために一つずつ動きを確認したりとか、
まあちょっとできるだけこのやり方もうちょい辛くなんないかなみたいなのを試しながらずっとやってたっていう日ですかね。
夜は夕飯を作り、その後にまた少し遅めで作業もしつつ、
夜ね、10時からなんでもう夜遅くになるけども、
このグラボで関係から始まるの、まあ何だろう、再読書会みたいな、
読書会かやったそのさまりをもとに読んでこうみたいな読書会があって、
昨日は7章8章の話をしてたんだけど、
まあ割とねニーズも少なめだったんで、少し雑談ベースで話してたっていうところだね。
前回僕が参加できなかったのはキャッチアップもあって、
なんか少し話が横に反れたりとかはしてたけど面白かったかな。
まあなんか昨日話した論点でいくつかあったんだけども、
社会公正主義っていうので物を見ましょうっていうのが関係から始まる本なんだけども、
なんていうか、7章8章は知識とか知っていうものがどういうふうに再定義されますかとか、
教育っていうのはどういうふうに再定義してしなきゃいけないのかみたいなところで、
もともと研究者の方が書いているから割と研究、彼にとっての身近な分野についての話をしていて、
それはそれでその絶対的なもの、因果みたいなところからは、
どっちかっていうと関係の中で作られていく共同行為としてのマーチであったりとか、
それを目指す教育っていう再定義があったりはしたんだけど、
その前の章、7章以降はどっちかというと応用編というか、
基本的な考えができたから考えてこうなんだけど、
5章6章はどっちかっていうとその関係性っていうのをどう作っていくかみたいなところの話をしていて、
それも一応振り返りで見てて、前はあまり引っかかってなかったんだけども、
昨日は絆、関係性っていうのを作られると、またその関係性によって壁が作られるっていう、
境界が作られるみたいな話があって、
そうなると絆をまた自分で生き延びようとする、生存しようとするみたいなのがあるよね。
それは結局、人の集まりとかでもグループ、
それこそお仕方とかでもいいのかもしれないし、他コミュニティとかあった時に、
ある程度その中で意味を持つみたいなことを同じ価値観であったり理解でまとまった人たちが集団を持つと。
古くは、それは本には別に書いてないから個人的な感想だけど、
古くから宗教とかもそういう側面を持っているなと思うんだけど、
それによって境界を作って、また圧力になる、周りを這いするみたいな力を持っていくみたいなのってあるよねっていうので、
なるほどなと思ってたんだよね。
そうなった時に、絆とか関係性壁っていうのが何によって作られるのかっていうところが結構、
自分としては興味があって、っていうのはなんかね、
今インターネットで新しく作られるものっていうのは多分終焉を迎える。
もちろん別にないとは言わないけども、少なくとも右肩上がりでどんどん増えていくみたいなところはもうモードが変わっていて、
AIっていうのが今すごく自分自身も関わっているし、
そういう意味では自分のキャリアとか人生にも大きく影響を与えているけども、
AIによるコミュニケーションの薄さ
AIっていうのが発展していった時に、
AIって基本的には集合値であり、その中の一番平均的なもの、
もちろんパラメータをつけるとかファインチューニングしましょうとかで多少偏りっていうのは持たせることができるけど、
根本的にはやっぱり第一の法則に従って伝えられることというか、
生成されていることなんで、どうしても一般的なことにどんどんなっていくと。
そうするとコミュニケーション自体は便利さもあるし、
デジタル特有の実行コスト、コストゼロ、正確にはゼロじゃないけども、コストゼロっていうところが出てきて、
AIによるコミュニケーション、今みたいにチャットボットでどうっていうのはまだ目に見えてるし、
人間の活動伴うからいいんだけど、すごく自動でコミュニケーションが起きるみたいなことっていうのはすぐに起き得るなと。
そうなってきた時にコミュニケーションの量は増えるんだけども、
その関係っていうのがすごく希薄になっていくんじゃないかなみたいなのもちょっと思いつつ、
一応ね、社会構成主義を学んだ時に僕が一つ面白いなって思ったのは、関係の基本的には量が増えれば、正確にはバリエーションが増えれば、
関係性っていうのが増えていくっていうのが、何ていうか、重みみたいなものとかが議論されてなかったので面白いなと思うんだけど、
人が作るコミュニケーションとAIのコミュニケーション、AIを介したコミュニケーションであったりとか、
AIとのコミュニケーションっていうのが薄いっていう風にね。
僕はちなみに、そういう意味だとAIのネイティブ世代ってわけでもないから、
どうしても比較してしまう、ないところとの比較っていうのをしてしまうから、
僕自身も偏った判断をするし、でも何ていうのかな、人類全体で見ると少しずつ置き換えられていく、
AIネイティブの世代に置き換えられていくって見ると、今時点では自分が多数、大多数の意見だけども、
これが息子とかになってくると、またやっぱりちょっと変わってくると思うんだよね。
この辺をどう考えていくか、リスクとかベネフィットとか以前にどういう法則というか、定義ではないけども、
公式になっていくのかな、みたいなところが結構気になるなっていうのと、
それを割と改めて深く考える、あるいはいつも見なかったことについて深掘りするみたいな時間を取ってなかったんだけど、
久しぶりにそういう時間で面白かったなっていうのが、今持ってる感想かなっていうので、
今日はちょっと考える日ではあるので、そういう問いも少し忘れないようにしつつ、目の前に集中していきたいと思います。
そんなわけで、今日も良い一日を。