同じ毎日をどう生きるか
こんにちは、モロトメ ジョーです。今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録をしています。時間は5時47分です。
今日も寒いと言えば寒いですが、風がないので、それほどでもないですかね。
とはいえ、なんだか今日の日中とか明日は相当風が強くなるらしくて、
ちょっと怖い感じもしているくらいです。
先ほど、天気予報のアプリを見ていたら、風速が8メートルとか、これかなりですよね。
という感じで、春一番とかそういうことなんでしょうか。
という余談を挟んでみたところで、今日のお話を始めていきます。
テーマは、同じ毎日でも最高に生きる考え方、ということです。
最高に生きる、そんな考え方ができたらいいですよね、と。
日々いろいろなことがある中で、それでも、
今日が最高だと、今が最高だと言えるような生き方ができたらいいじゃないですか、と。
そういった生き方、考え方というのも習慣の一つなのかな、ということで取り上げてみましたよ、と。
ところでということなんですけれども、日々いろいろなことがあると言いました。
この点、哲学者のニーチェという人がいますよね。
神は死んだというような名言が残されていますし、聞いたことがある有名なので、ニーチェは知っているという人も多いと思いますけれども、
そのニーチェは、最悪の毎日とは何かというような問いに対して答えを出しています。
最悪な毎日、日々いろいろあるんですけれども、
それでもなお一番最悪な日々、最悪な毎日とは何なのか、それは永劫回帰だと言っています。
未来永劫の永劫と回帰は、戻るというような意味合いですかね。
回生の回に帰ると書いて回帰です。
そして永劫回帰、これはどういうことかというと、同じことをずっと繰り返している。
良いことであれ悪いことであれ、とにかく同じことの繰り返し、これが一番最悪の毎日なんだということなんですよね。
こんなエピソードも聞いたことがあるかもしれません。
一番最悪の拷問というのは、穴を掘らせて、またその穴を埋めて、そしてまた穴を掘らせて、また穴を埋める。
特にそこに目的はなく、それだけを繰り返しやらせる。
これが最悪の拷問なんだと。
いつ終わるかもしれない、何の目的かもわからない。
それを繰り返すというのはとても人にとってつらいことなんだと。
そういったことも踏まえて、21への永劫回帰ということがあるわけです。
さて世界はどうなんだろうかということなんですけれども、実際に世界は永劫回帰じゃないかと思われるかもしれません。
今を大事にする
だって毎日ほぼ同じことの繰り返しですよねということを感じている人もいるんじゃないでしょうか。
僕は今そういった感覚は弱くなっているわけですけれども、会社勤めをしていた頃はまさに永劫回帰の状態にあったような気もします。
今にして思えばということなんですけれども。
そんな同じことの繰り返しでも21は言っています。
今を大事にすることで乗り越えられるんだと。
同じことの繰り返しでも今を大事にすれば乗り越えられる。
21はそう言っているわけですよね。
ただ今を大事になんていうのはなんだかありきたりというか当たり前の話だよねと思われる人も多いと思います。
でもということなんですよ。本当に大事にしてますか。今を大事にあなたはしているんですかと。
それがここからのお話なんですけれども。
例えば家族と一緒に暮らしているのであれば家族の今日の笑顔にかけがえのない幸せを感じたんだろうか。
それは決して当たり前ではないんですよね。それはというのは家族の笑顔というのは決して当たり前じゃない。
当たり前じゃないというのはまた明日も同じ笑顔が見れるかわからないということも踏まえてなんですけれども。
そんな当たり前じゃない家族の笑顔にその瞬間幸せを感じることはできたんだろうか。
その時に片手間に何かをしていて見逃していたり見てはいたけれども心ここにあらずといったことがなかっただろうか。
そんな例えば話もありますし他にも例えば仕事。
その中でどんなにつまらない退屈な仕事であったとしても学びはあるとその学びに目を向けることはできたんだろうか。
あるいはつらいことがあったとしてもその中から経験として生かせることがあるはずだとそこに目を向けられたんでしょうか。
そして何気なく見上げた空の青さに平和や健康あるいは幸せそういったことを感じることができたんだろうか。
舌をうつむいてばかりで歩いていたなんてことはなかったんだろうか。
いろいろ例を挙げてみましたがなんだか思い当たる節があるぞという人もいるんじゃないでしょうか。
さらにということですが不謹慎な例ではありますがあくまで話をわかりやすくする例ということでいえば
たとえ腕を一本失ったとしても命までは失っていないとその幸福に感謝ができるのか。
ここまで言われると僕としてもかなり自信はなくなってくるわけですけれども
ゆえに今を大事に生きるなどというのはそんなに簡単ではないことがわかりますよねということです。
未来ではなく現在を見る
いずれにせよどんな今であったとしてもその今に最高を見出すことができるかどうかできるはずだというのがニーチェの残した言葉でもあるわけです。
そして今この瞬間が最高だと言える姿勢こそが最高の考え方であり生き方なんじゃないのということになります。
そしてこれは言い換えるとということなんですがどうなりたいかよりもどうあるかが大事だということを表している。
僕たちはどうなりたいかという未来に目を奪われがちじゃないですか。
どういうことかどうなりたいかいつもそういった未来ですよね。
そこにばかり目を向けているとだからあれが足りないとかあれも欲しいとかそういったことばかり言ってはいないだろうかということなんです。
振り返ってみてどうでしょうか。あれが足りないなあれも欲しいなということばかりの毎日ということであればそれはどうなりたいかという未来に目を奪われているからかもしれません。
そしてどうなりたいかというその理想と現在のギャップですよね。理想と現在がかけ離れていることによって不幸を感じやすくなっているということがあるのかもしれません。
でも一方でどうあるかを考えるんだったらどうでしょうか。先ほどどうなりたいかよりもどうあるかが大事なんだと言いました。
どうあるかを考えるというのは今ここにあるもので満足できるということ。今ここにあるものに満足を見出すんだということです。
そして今この瞬間にどうあるかを考えるということなんだと思います。
この点もっと具体的な行動に目を向けるんだとすれば、今何をしているかに注目をするということですよね。
これは僕たちが普段分かっているようで分かっていない、やっているようでやっていないことかなと思います。
3万になっていて集中ができず、片手間に何かをやっていないか、本来今何をしているかに改めて注目をするということです。
それは仕事であってもプライベートであっても、今この瞬間の今何をしているかに改めて注目をする。
そして何気ない感謝や幸せを汲み取れるかどうか。いろいろなことは起きるんだけれども、感謝や幸せを先に考えてみるということですね。
先ほど言ったようにつらいこととかつまらないことがあったとしても、その中から感謝や幸せを見出すというような視点です。
あるいは、今日が最後の一日だと想像してみるということもあると思います。
明日が来るのは当たり前じゃないんだ。今この瞬間はもう次の瞬間にはなくなっているかもしれないと想像することで、今に集中するということも少しはできるんじゃないのということです。
そして今言ったようなことを気づく一つのサインとして、たまにはちょっと深呼吸をしてみるということでしょうかね。
ふとした瞬間に深呼吸をしてみて、今に目を向けてみるというのは一つの癖というか、自分の中でのルーティーンとして取り入れてもいいのかなと思ったりもしています。
というわけで、今言ったようなどうなりたいかよりもどうあるかということ、これを今日は考えてみませんかということでお話をしてみました。
同じ毎日であったとしても、同じように見える毎日であったとしても、最高に生きるということに近づけるのではないか、そんなことを思ったというお話です。
それではこの後も良いチャレンジを。また明日。