占いとの出会い
こんにちは、上水優輝です。
永里優輝です。
さて、今日は占いについてお話ししていきたいと思ってます。
よっしゃ。
よっしゃ。
珍しいですよね。なんか、永里さんから占いについてちょっとお話しましょう、みたいな。
いや、占い結構好きなんですよ、私。
はいはいはい。
こう見えて。
はい。
LINEに椎茸占いってあったの覚えてますか?
椎茸占い、わかりますよ、はい。
はい。その椎茸占いがずっと楽しみで、
毎週多分1回送られてくるんですよね、メッセージで。
で、その週の星座の運勢なんかが書いてあって、だいたいなんか、自分の心理状態と当たっていることが多いんですよ。
で、それを結構頼りに生きてたんですね、私。椎茸占いを頼りに。
というか、頼りにというか、心の支えにして。
なんですけれども、それが急に配信停止になってしまったんですよ。
はい。
去年あたりぐらいから。
なんか、防具の連載だったけど、防具じゃなくなったみたいな、そんなやつですよね。
はい。で、それでしばらく占いとかやってなかったんですよ。
占いの効果と経験
で、最近ちょっと人生について悩むことも多くなってきて。
ちょっと、基本は触れないでおきますけど、はい。
多くなってきて、それで、そういう時に私、結構占いを頼りにすることが多いんですね。
自分のその心理状態と自分がこうしたい、こうしたほうがいいんじゃないかって思ってるその感覚とその称号したいっていうのがあるんですよ。答え合わせじゃないですけど。
そういう感覚で占いを使うことがあるんですけど、椎茸さんは占いとかってやったりしますか?
僕はね、占いと格闘した過去があるんで。
え?どういうことですか?
18歳の時に細木和子とか流行りませんでした?僕たち。
あー、流行ってましたね。
そう、あの時に。
オーラの泉。
あー、オーラの泉とかも流行ったんですよ。結構なんかちょっとスピリチャルなやつとか占いとかはなんか、普通にゴールデンタイムのテレビとかでやってる時代だったと思うんですけど。
やってましたね。
人生のこうね、ガクッてこういいところからすごい最悪のところにバーンと落ちた時があって。
うん。
高校卒業した瞬間ぐらい。で、その時にちょうど細木和子流行ってて。
うん、はい。
で、ちょうどその時に調べたら、金星人マイナスだと。
はい。
で、ちょうどその年から大作戒だったみたいな。ただそんだけだったんだけど、それによって僕は大作戒だからだって思ってしまった、18歳の僕は。
はい。
思ってしまって、そこからちょっと系統しまして、六星戦術に。一瞬。
はい。
で、一瞬というか一年ぐらい多分あったと思うんだけど、期間としては。
うん。
めっちゃそれ通り頼りに、長笹さんでいるところの椎茸占いかもしれないですけど、めっちゃ頼りにやってきたけど、もう大作戒だから基本的にもういいこと書いてないわけですよ。
で、なんかその通りやってももう気も重いし、全然日々もうしんどいから、もう死んでもいいやと思って。
あの、やっちゃダメってこと全部やったんですよ。
うん。
そしたら何も起こらなくて。
うん。
むしろ元気になってきて。
その瞬間呪いが解けました。
やばい。
で、っていう過去があるせいで、僕は占いに対してすごく、占いそのものの価値がないとは当然思わない。むちゃくちゃ価値があると、まさに後で椎茸占いについてちょっと言おうと思ってますけど。
うん。
占い自体すごく価値があると思っているんですけど、なんかそのネガティブな呪いとしてなる場合もあるから。
うん。
そういう時もあるから、使い方めっちゃ要注意だなと思ってるのが占い。
占いの心理的側面
それはありますね。
ねえねえねえ。
そういう意味で僕はもうあえて信じない、信じるか信じないかとか本当か嘘かっていうよりは信じないようにしてるっていうスタンスを貫いてますね、それ以降。
自分で決めるみたいなのをすごく意識してて。
自分で決められない時ってないですか?
自分で決めた方がマシみたいな消去法で自分で決めるっていう、頼れるものはないっていうのをそこでやってるのかな。
一回戦ったんだよ、占いと。
確かに。
まあ確かに決断いったらそうなんですよね。頼れるものはないんですよ、自分以外に。
けど自分で決断をするのが怖い時があったりするんですよね。
でもその感覚って今まで一度もなかったんです、そこまでその決断が怖いって思うことって意外と。
で、今この状況になって初めてなんか決断をすることに恐れている自分がいるんですよね。
決断っていうか何かを選択する、ある選択肢の中から。
で、それをできるだけ自分が一番納得する形に近いものを選択しようとすればするほどドツボにはまっていくんですよ。
はいはいはい。
なんか考えすぎちゃって、いろんなことを。
パターンが無限に出てきますもんね。
こうしたらいいかもしれないけどダメだったパターンはこうなるしって。
どっちの道を選んでもどのパターンも想定されるから分岐しまくりますよね。
で、自分で決められないよこれみたいな状況になってしまう時に、なんか信頼できそうな、占いって統計学じゃないですか。
と言ってますけどね、占いはね。
で、占いの種類によってもその統計学と何かを組み合わせてやってる人っていうのが結構多くて、占いかける心理学とか占いかけるレイシーとか、
なんかそういった感じで、あと占いかけるタロットカードとか、
なんかいろんなものを掛け合わせて占ってる人っていうのがいて、
それをね、私は別に信仰してるわけじゃないんですよね。
けどなんか、何やったって上手くいかない状態の時に、
なんかもう私はこういう星回りなんだっていうふうに思うしかない時とかがあって、
で、そういうことを考える時に、結局自分の人生の運命ってもう既に決まってるんだよなって思うことがあるんですよ。
自分が何を決断しようがしまいがあって、もう既に自分の人生のシナリオは決まっていて、
その通りに星は動いていて、世界は動いていて、
で、その世界が持ってるそのシナリオのその一役を私は担ってるだけで、
その一役のシナリオとストーリーを私はただ演じてるだけなんだって思うことがあるんですよ。
だから、自分で決断することに意味がないっていうふうに思う時とかもあるんですね。
すごくわかります。
たぶんね、占いのまず根本で2つに分岐すると思ってた占いが、
なんだろう、精神的に何か作用をもたらすという意味での効果の路線と、
本当に占いそのものが真理であるみたいな信仰に近いものとってまず分かれると思ってて、
その信仰路線は文化的なものとかもあれば、
なんかちょっとね、本当に強烈な信仰みたいなのもあるから、
一旦それは脇に置いておいて議論できないんで、それはもう主観的な世界なんで。
もうちょっとこう、心理的な効果の方で話していくと、
まさに未来のことって、例えばABC考えてる道があって、
それぞれAに行ってもまたその次に分岐点があって、
ABC、ABC、ABCで無限に分かれていくって考えたら、結局わからんやんってなるから、
Aも入り口のABCどれも選べんみたいなこと起こると思うんですよ。
つまりは不確実だよねみたいな未来に対して、
ある程度あなたの星周りはこうですよとかいうふうに言ってもらって、
後押ししてもらったら、Aでいいんだって納得しやすいみたいな、
そういう不確実な状況に対して安心感を与えてくれるとか、
すでに今すごい落ち込んでいるけれども、
今はそういう時期でここから上がっていくんですとか、
これは成長するための機会なんですって言ってもらったら、
占いの役割と効果
そういうことかってちょっと頑張れるみたいな支えになってくれるとかもあると思うし、
あとはタロットとかでよくやるけど、運命がこうだとかっていうのは、
タロットはその出た目で割と短期的な、数ヶ月しか占いないみたいなことを言ったりするんですけど、
一時期タロットもやろうとしたんです。
あるんですけど、それって結局は未来がこうなりますよみたいな話っていうよりは、
今の自分が内省するきっかけ、今こういうこととかあるよなとか、
確かにこういうことってちょっと悩んでるよなとか、
こっちとこっちで迷ってるけど、確かにそう言われてみればこっちもあるよなみたいな、
内省するきっかけとして占いがあるとか、
あとはおみくじみたいに話題期してたねみたいなエンタメとして楽しいみたいな楽しみ方もあるっていう、
結構具体的にあると思うんですよ、占いの効果っていうのは。
長谷さんがおっしゃってるのは、まさに不確実な今後どうしていこうかってところに、
何らかの後押しをしてもらえると、もうAって選びやすくなってありがたいとか、
どうしてどれ決めてもね、さっき言った決断してもどうなるかなんてわかんないんだから、
安心してAを選べるっていうことに価値があるとかだと思うんですよ。
だからそういう前向きな使い方としての占いは、僕はなんかすごいいいんじゃないかなと思ってるっていう。
だいたい自分の中で9割近く答えは決まってるんですけど、
決まってるんだけれども、後押ししてもらうのが、
身近な人となんかちょっと、その人が言ってるんだからみたいになりやすいらしい、
全く知らない、全く関係ないところの人にちょっと後押ししてもらったほうが、
なんか精神的に楽っていうか、後押しした人に責任も生まれないし、っていうのがあって。
それで言うと、シーザー・キューラーはやっぱすごいんですよね。
絶対エールを送るっていうか、人を後押しするような書き方じゃないですか。
へこませたりしてこないじゃないですか。
絶対しないです。
だからあれはもう僕の中で占いのあるべき姿って感じなんですよね。
今言った不確実性とか心理的なサポートであるとか、内政とかエンタメとか、どこにも対応できるし、
なんかね、すごいなと思った、シーザー・キューラーが本当に。
ホロスコープの体験
ホロスコープやったことありますか?
ホロスコープはないです。
あります?
やったことがあるんですよ。
はいはい。どうでした?
まあ、なんかその、自分の中の感覚と一致してることが多いですね。
そうですか。
結局。
で、くれたんですよ、PDFファイルかなんかを。
はい、なんかくれますよね、レポートみたいな。
チャートかなんかですか。
で、くれるんですけど、その若年期、前世期、晩年期って、その3つの段階に分けて、どういう生活を送るか、どういう性質があるか、どういうことに特徴、特性がある。
強く出るかみたいなね、ことを書いてくれるんですけれども。
で、自分が今どの時期にいるのかっていうのが、分かったりするんですね、それで。
私も結構、なんかもう晩年に近いんですよね。
それは人によるんですか?
多分人によります、これ多分。
あ、そうなんだ。
ですけど、その晩年に近いような生き方を今していて、みたいなこととかも分かったりして。
なんかこう、自分の中ではなんか本質的にこうだよなって思ってる自分。
その人が見るよりも自分がどう意識してるか、自分のことを。
それってその自分の中の感覚だから、人には分からないじゃないですか。
人に説明したところでは分からないし、その人が私のことをどう見てるかっていうのが必ずしも一致してるとも限らないし、私のことを知ってる人が見てても。
でも全くそういうことを知らない、ただ名前と生年月日と生まれた場所とか時間だけで、そういうことを的確に当ててくるっていう感覚ですかね。
ってなると、なんかやっぱりその、生まれた日と場所によってもうすでに運命が決まっていて、むしろそのなんだろう、母親のお腹に命が宿る前から。
その意識の世界ですよね。
意識の段階の時点でもそれが決まってるんじゃないかっていうのを思ったりして、だからよく私、自分の潜在意識というか無意識というか、この感覚の中にある意識に問いかけることが多いですね、自分の中で。
はいはい。
わかりますか。
何を問いかけるんですか。
確認ですよね。
あってます?みたいな。
あってます?みたいな確認を。
はいはいはい。
そのために結構私、書く作業とかやるんですよ。
はいはいはい。
とにかく書いて、言語化するっていうのをやって、自分が納得した生き方をしたいからそうやってやるんですけど、結局。
けど、じゃあそこまでして、そういうふうにして生きる必要はあるのかって最近思ったりしてます。
どうした?