過去の振り返り
ちょっと話が変わるんですけど、結構、私、過去のインタビューとかを読んだりすることもまああるんですよ。自分が何言ったかって。
雑誌とかも残ってるし、そういうのをたまに見る機会があるんですけど、そこで自分が言ってる言葉に対して、何言ってんだこいつ、みたいになる感覚があるんですよ。
こいつ誰だよ、みたいな。そういうことってないですか?
ありますあります。雑誌ではないけど、記憶でしかないけど、僕、高校生の時にやってたバンドとか、めちゃくちゃ激しくて。
ステージで、今だとちょっと批判されるようなレベルの激しさ。ドラムセットに突っ込むみたいな。わかります?そういうのがかっこいいみたいなのがあったんですよ。
なんか、自分の中に初期衝動みたいな。ベースぶん投げるみたいな。あったんですよ。
けど今ちょっと考えると、ちょっとな、みたいな。何してんだよ、みたいな感じはやっぱりありますよね。
そういう自分を認めて今生きてるじゃないですか。でも削除したいなとかって思ったりしますか?その自分があったことに対して。
ブログとか削除しましたよ、多分。文章で書いてたとか結構ひどくて。結構削除してるやつは多いかも。
せめて非公開にして残しとけば、自分は参照できたのに、多分結構削除しちゃったと思う。
1回、1個公開があるのが、2004年とか5年ぐらいから始めてたブログがあったんですけど、1回炎上して消しちゃったんですよ、全部。
消さなきゃよかったなって思って。
炎上した後、また新しいブログで再開したんですけど、それは残ってるんですけど、その前のブログを消しちゃったのに、今すごく結果ショックで。
ねえ。
結構貴重なデータだったのに。
あるよね、そういうの。
記録の重要性
残しておきの海になった私はみんなに言いたいです。
そうですよね。
いろんなことを。
僕は今年の目標で年始に日記を書くっていうのは分かってたけど、書いてないんで。
書かなきゃなって、今今日の話をしてめっちゃ思った。
いや、紙に書いて落としておくのが一番安全というか、確実に残る。
そうですね。火事とかじゃない限り残りますね。
ダメですね。習慣化されてないので、これやらないといけないな。
残したい。
習慣に落とし込みた方がいいですね。
ねえねえねえ、10年後はやっぱり読み返したいですもんね。
読み返したいです、今の。
絶対面白いですよ、10年前ののどっちか。面白いですもん、本当に。読み返すと。
あと10年前のポッドキャストを聞くかって言ったら、自分では聞かない気がしますもんね。
ポッドキャストってなると確かにそうですね。なんか自分が書いたものだったら、読み返してみようかなと思うけど。
そう、さらっと読めるからね。
聞き返すっていう作業をするかどうかって言ったら。
めちゃくちゃ目的意識がいりますよね。
いりますね。
なんかちょうどこの時期のここのことを知りたいみたいな時には、多分文字情報よりもさらに情報量ありそうなんでいいんですけど。
そうですね。
さーっと参照するにはちょっと重たいから。
両方はやっぱ大事ですよね、日記とポッドキャスト、ポッドキャストというか、ちょっと情報量の多いメディアと。
そうですね。あとやっぱり姿形も残しておいた方がいいと思います。
自己表現と社会的影響
そうね。
しっかり。
YouTubeやるか。映像残しておこうか。
そう思うんですよね。
そうだね。そうかも。
写真とかでもそうですけど、なんか記録を残していくこと、残し続けていくことっていうことにもっと価値が生まれるんじゃないかって思うし。
やっぱそこに価値を感じている自分がいるので。
うんうんうんうん。
僕たちの世代は生まれた時からのデータみたいなまではないにせよ、成人してから、もうちょっと経てるから30くらいからのデータがあるじゃないですか、ずっと。
そうですね。
だから、そうやって生涯にわたって、まあ大人以降ですけど、生涯にわたってデータがバーって、写真ないし動画ないし、積み上がっていった最初の世代になるじゃないですか、死ぬ時に。
めちゃくちゃあるじゃん、みたいな。
むしろなんかその人物データベースを作った方がいいんじゃないかって思います。
ああ、確かにね。いろんな普通の生活をしている人たちのデータだからね。
そうそうそう。そっちの方がリアリティが高いし、参考になることが多いんじゃないかって思います。
多い気がする。日記書こう。
日記。
写真と撮った日記を書きつつ、ちゃんと、まあポッドキャストで今やってますけど、YouTubeもやって、映像と音声と、まあ自分用の文字情報とっていう感じで、残すっていうのもちょっと丁寧にやりたいなあ。
結局なんかね、やっぱ15年前とかに作った自分の曲っていうかバンドの曲とかって、それCDにしたんですよ。
で、データもあって、なんか勇気もらうときありますもんね。
ああ、その15年前の自分が作った曲に。
そうそう。なんかやっぱ尖ってるじゃないですか、まだこう。
尖ってますね。
丸くなってるから、なんかちょっと忘れちゃいけないなみたいな気持ちになることがあって。
ああ、でもそれ思うときあります。
ありますよね。
あります。20代の頃もっと尖ってた。でも今その時は出せないなあっていう。どう頑張ったって出せないなあっていう。
そうそう、出せないんだけど、そのマインドみたいなものに刺激を受けるっていうか。
それはありますね、確かに。
ちょっと丸くなりすぎてたなあとか、なんかこうね、過去の自分から元気をもらうことってあるなあと思って。
上がり続けてる人、ほんとすごいなあと思います。今、年齢重ねても。
どういうことなんでしょうね。
どういうことなのって思う、ほんとに。
ほんとになんか、死ぬことを厭わないって感じなんでしょうね。
死にますよね。
死ぬと思いますね。いずれ早めに。
ねえねえねえねえ。
だから死を厭わない感じで、やっぱり今をしっかりと妥協なく生きてるみたいな感じのかもしれないですけどね。
普通にでも今自分が妥協してるから妥協はしてないもんなあ。
妥協って何なんですか。
うーん、本当はこうしたいけど、本当はこうだけど、ここで落とし所つけとくか、みたいな感じじゃない。
落とし所をつけないと前に進めないみたいな状況が増えてくるじゃないですか、でも。
増えてきますね。
歳をとればとるほど。なんか若い時は別にそんなこと考えてなかったけど、1か100、0か100みたいな、どっちかに振り切れば。
そういう選択をやっぱりしなくなるじゃないですか。
そうね。
やっぱり残っていくから記録が。
周りからイメージを持たれているので、自分を変えづらいみたいなやつな気がしますよね、さっき長谷さんが言った。
ああ。
もう僕たちの世代になってくると、一定なんか積み上げてたりとかするから、何らかの社会的な立場というか、そこで社会の一員ですよね、みたいになってて。
かつそれがいろいろな記録として残っているから、下手に変えづらいみたいな。
変えたとしても、その過去の自分の印象が強すぎるから、今の自分をあまり見てもらえないみたいな現象とかも起こると思います。
そうですね。
うん。残ってるがゆるいね、そういうものが。
一回消えないとダメなんでしょうね、やり直すときはね、もうね。消えるというよりは消すんじゃなくて、もうあの人どこ行ったんやろ、ぐらいの感じになって。
そこの、たぶんそこまで行かないといけない。
ねえねえねえ、再封鎖をしてきたら、あらなんかこの人前、そういえばこんな人じゃなかった?みたいな感じで、2回人生生きてる人みたいな感じの写り方だったらあり得るけど。
あり得るけど。
グラデーションで全然違う方に行くって相当高度な気がするな。
結構高度ですね。だから、一回やっぱりネット上とかで叩かれたりすると、そこのイメージがずっと残るじゃないですか。
はい。
で、消える人が芸能界だと多いじゃないですか、そこから。
はいはいはい。
そうでもしないと生きていけないんだなっていうのがそこにあるんじゃない?
そうですね。芸能人とかはもう本当そうでしょうね。プライベートなんてあってないようなもんですもんね。
全部残っちゃうじゃないですか。いくらイメージ変えようとしても。
そうね。
だから海外に行く人とかが多いんじゃないですか。
あのね、残すでね、もう一個話したいなと思ったのは、残るの怖いからって言って、いいとこだけ残す人が多いと思うんですよ。
確かに。うん。
芸能人とかそうじゃないですか。一番商品としての自分だから一番いいとこだけを残していくじゃないですか、表に。
で、そうなると周りの人からするとそれがその人ってイメージを持っちゃうんで、自分があるべき姿のハードルが上がっちゃって、もう生きていけなくなると思うんですよ。
期待値上がりすぎてるみたいな。
そっちに想像力が働くんですね。
周りのね。
なんかもう芸能人とかはもうそういうふうに見せてるだけだし、私たち一般人と同じような側面も必ず持ってるよねっていう、
そういう見方にならないですかね。
ならない人が結構多いんじゃない。
過去との比較
まあ多いと思うし、それが芸能人じゃなくて一般人でも今そのいいとこだけを切り取って、すごいイケてるように見せてる人とか、賢いふうに見せてる人とかいるじゃないですか。
ああいう人は、それは最も賢い、準備して賢くしたことを出してるとか、準備してカッコよくしてるとこを出したとかしてるから、
普段全然カッコよくなかったり、普段相当バカだったりするみたいなのは、むしろ生きづらくて表に出れなくなっちゃう。
本当は賢くないのに賢いと思われてるとか、カッコいいと思われてるからこんな姿で外歩けないとかいうことが起こって、自分を生きづらくしちゃうと思うから。
意外と僕のおすすめはやっぱね、等身大の発信をするってことだと思うんですよ。
バカな側面を見せる。
そうそう。程度はあるけど、考えてる自分もいればふざけてる自分もいるし、疲れてる自分もいれば、すごい元気な自分もいてみたいな。
それがちゃんと全部、それでも誤解はされるけど、ただ、ちゃんとそれが発信されていることで、こういう立体感を持った人なんだなっていうような認識のされ方をしないと。
いつも元気ですねってなると、元気でいないといけないみたいな感じになっちゃうとかあるじゃないですか。
いつも元気なわけじゃねえよって。
そうそうそう。だから元気じゃないところもちゃんと残していくっていうか、やっぱその残し方みたいなところがすごく重要な気がする。
なんかふざけてる自分とかも、やっぱ残しときたいんですよ。普段の自分とか。でも、あまり需要はないんですよね。
SNS上だと、やっぱりちゃんとしてるほうだったりだとかね、ちゃんと話してるほうのほうが需要はあるじゃないですか。
だから、需要のないことを一やらないといけないのが結構あれなんですけど、でもそれは結局未来の自分のためにそれが結構重要なポイントになるっていうことですよね。
そうそうそう。比率は考えたほうがいいと思いますよ。全部を均等にやる必要もないし、例えば発信が仕事に繋がってるとかであれば繋がってると思うので、
一番価値のあるとみなされる部分の割合を高めたほうがいいと思うけど、でもそこにいちふざけてるところとかをたまに入れたいとか、
入れ方もありますけどね。入れていかないと、ふざけたりとかしない人だって思われてると、ふざけられなくなっちゃうから。
うん。
きつい。
きつい。ふざけたい。
ふざけたいですよね。
だっちゅうのとか書きたいですね、そつあるでね。
書きまくりたい。そこラジオの壁に。
千流書きまくりたいですよね、壁にね。
うーん、そうなんですよ。
それなんか言ってましたもんね、一回日本に来られたときに、もう一人呼んで食事したときに、
あ、はい。
あ、なんか中須さんってすごいチャーミングな方ですね、みたいなことを言ってて。
あ、確かに。
なんかすごいこう、メディアで見てるイメージと違ったってことを言ってて、だからそれはね、あるかもしれないですね。
それはしょっちゅうですね。
あ、そうですか。
結構、初対面の人は特に。
なんか強そうって思われてるのかな。
それはね、そのイメージはずっと変わんないですね、昔から。
その印象がやっぱ強いみたいで、強そう、怖そう、性格悪そう。
性格悪そうとか言われるんですか。
そうか。
それは多かったですね、もう10年弱前ですね。
あ、でもそうかも、僕も前はそうだったかも。
怖そうとかめっちゃ言われてたから。
でも最近は言われなくなったんですよね、なんかポッドキャストやりだしたから。
あ、私もそれはなくなりましたね。
なんかまんまですね、みたいなこと言われるようになったんで、それは嬉しいですね、本当に。
まんまですねって言われたいから、もう少し頑張ろう。
ねえねえ、もっとふざけていかないといけないよね。
でもポッドキャストでふざけるのは難しいんだよな。
まあ難しいですね。
何をすればいいんだろうって感じですもんね。
ちょっとね、そういった一面もね。
何の話してるんですかね。
10年以上前の自分との比較についてですけど、
まああれですよね、僕たちの10年以上前は私も資料がないので、
日記とかあればね、あればその資料が当たるが一番いいけど、
ないときは友達の記憶に当たるしかないっていう、
結構なんとも言えない感じになったんですけど、
未来を見たときには、今残せる時代だから、
10年後とか20年後とかから見て、
今日のこととか明日のことがこうだったんだなって残ってるのはすごくいい。
しかもそれが振り返りやすい文字情報であったり、
より情報量の良い映像であったりとかって、
いろんな媒体で残しておくっていうのはいいよね、
みたいな話だったかなと思ったんですけど。
そんな話はすごいまとめるの前です。
かつですよ、さらに残すにあたって、
リアルなものを残していかないと、
まず自分が振り返る用だったとしても、
すごいバイアスかかってるし、
人に見せる用のもの、いわゆるSNSとかに投稿するものだとしても、
それが周りからの見られ方になっちゃうから、
あんまり偽りみたいなものばっかりを発信すると、
かえって生きづらくなっちゃうよっていう話も含めてですね。
記録に残すというようなテーマだったかなと思いました。
情報の記録と自己表現
こんなところですかね。
こんなところですね。
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それではまた来週。さよなら。
さよなら。