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こんにちは、上水優輝です。
永里優輝です。
さて、今日は美学、ありますか、という話をしたいと思います。
はい。
これちょっとね、なんかありそうだなって思って。
自分の、なんだろうな、このようなことが美しいと思っているとか、
このようなことを美と思っており、そのように行動するんだ、とか、
もしくは、こういうことはしないんだ、とか、なんかあるんじゃないかなと思ってて、
どれぐらい言語化できるかわかんないですけど。
わかんないですね。確かにあるっちゃあるっていうふうに、自分の中でも思ってるんですけど。
うん、だからかっこたるこれというよりは、なんか今日はバラバラと出しながら、
そうですね。
こうかも、みたいな話になってきたなと思います。
なんかあります?
うーんとね、美学ってほどではないけど、
ごまをする人嫌いなんですよ、僕。
え?ごまをする?
えっとね、こびへつらうっていう。
あ、そっちのごますじですね。
普通にごまをするって思ってたんですよ、本物のごまを。
こびへつらうことがとても美しくないなと思うので、
それをしない、できないっていうのもあるんですけど、美しくないと思っているから、
見にくいって思っているからしたくないっていうのはそう言っているけど、
絶対こびへつらわないっていうのは思っている。
礼儀正しくとかそういうのは大事だと思っているんですけど、
なんかこびるのがね、とにかくダサいなと思っていて。
それはダサいですね。
5位です。同じです。
あ、本当ですか?
いやでも、こびのすり、ごまのすり方、知っててやらないのと、
わからないでやれないっていうのはまた違うじゃないですか。
私の場合すり方がわからないでやれないんですよね。
やりたいけどってこと?やってもいいかなって思ってる?
やってもいいかなって思わないですけど、だからやり方すらもわからないですけど。
それをやってる人とかを見てると、確かに軽蔑になるし、
その人とはやっぱ距離を置くし、関わりたくないなって思っちゃいますね。
なんかそういうことをする人って、
もちろん度合いがあるから、ゼロではないと思うんですよ。
みんなその生きていくためにしなければならないラインみたいなのがあると思う。
環境によってはね。だから仕方ないなみたいなラインとかはわかるんですけど、
過剰な人いるじゃないですか。本当に自分のためにやってる人。
自分がそこで有利な立場に立つためにやっているみたいなぐらいの度合いになっていると、
嫌だって言ってるんですね。
で、それをやる人っていうのは逆側も見てるんですよ。
自分より下みたいな人も見てるんで、人を上下で見てるんですよね。
その人から見た時の下の人に対してちょっと舐めた感じの態度をとるみたいな。
それで言ったら、一回試合に出れてない選手がいて、
みんなのいる前で監督のところにいて、監督の前で涙をわざと流してる選手がいて、
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泣くと思って、試合に出れないのなんでみたいな、出してほしいみたいな感じのご祭りをしに行ったと思うんですよ。
それが確か試合の前日だったんですね。
その次の試合の日、その選手がスタミナになったんです。
そういうご祭りをする選手を見た瞬間に、
この組織にいる価値とかも本当ないなとかいうふうに、そこまで厳密しちゃいましたし。
そうですね。監督がそういう意思決定をしたってことですもんね。
ごま吸ってる人間を重要視して使ったってことですよね、スタミナとして。
美しくないですよね。
全然美しくないです。見にくさしかないですね。
たぶんね、目的をすごく重要視してるからだと思うんですよね、僕たちは結構。
だからそういう人からすると、そういう枝葉の感情を訴えかけて状況を変えるみたいな。
確かに人間なんてそんなものかもしれないけど、動物としてはね。
もっと大いなる何かプロジェクトとしてやってるわけだからさ、みたいな。
そんなんで決めんなよって思ってしまうんですよね。
だったらもうやらんでいいやんみたいな。
やらんでいいよっていう。
だったらもう出さんでいいよって私のこと思って。
思っちゃいます。
思っちゃいますよね。
中里さんはないんですか?
美学。
美しくないよねでもいいし、これって美しいよねでもいいんだけど。
なんかその再現性がないゴールは美しくないなって思っちゃいます。
偶然スーパープレイだったみたいなのは別に美しくもなんともない。
美しくもなんともないって思っちゃいますね。
何度も宣伝して磨かれて、何度も何度も試しながら同じことを試しながら、
それで生まれたゴールに美しさを感じます。
なるほど。この人のこの角度からのミドルシュートはもう天下の宝刀ですよねみたいなのがほぼ美しい。
美しい。
この人にこの角度で打たせちゃダメだよねみたいな、そういう再現性のある怖さみたいなのは美しい。
美しくてたまらないですね。
あとそのタイミングと角度とすべてが合致した瞬間に生まれたゴールとか、
私の自分の中で好きな角度とかがあるんですよ。
タイミングとかシュートコースとかってのがあって、
それを自分で決めるっていうよりは、見てるのに美学を感じますね。
そういうことができる選手に対して。自分ができるかって言ったらそうじゃないですけど。
それはでも、それも同意しますね。
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仕事を連搬通ずるところじゃないですか、そうやって。
ああ、そんなふうに再現性を持ってここを決めきるんだみたいな。
営業とかでもそうかもしれないし、何でもいいんだけど、会議とか会議一つもそうかもしれないけど、
ここでこの人のこの切り返しってやっぱ、
再現性があるとね、やっぱ美しいですよね。
美しいって感じてますね。
あとなんかそのパスとかを出すときに、
味方の走るスピードと相手の走るスピードを全部計算して、
ボールのスピードをどのスピードにするべきかっていうのを計算してパスを出せる選手とか。
すごく美しいなって思います。
なんかその一瞬のその状況で全部を読み取るんですよ。
ああ、読み取り具合がすごいみたいな。
そう、すごい。
で、それで、
フィルターンされ尽くしてるから。
そう、もう数秒っていうか、1秒、2秒の間に全部計算し尽くして、
その正確な球のスピードを計算して、
それを自分で技術に変えてそれを出すっていうことができる人。
すごいな、確かに。
美しいなって思うんですよ。
いますよね。
でもあと味方はそれを決めるだけみたいな。
何の無駄な努力もいらない。
ただボールをゴールに放り込むだけみたいなパスが出せる選手。
美しいなって思う。
そうでありたいですよね。
そうでありたいです。
そういうパスを出したいんですよね。
分かる。そういうパスを出したいですよね。
全部計算してますよっていう。
あって出せる選手とかが最高だなって思います。
行動ベースでやってることってあります?
こだわってというか、これはすごく自分にとっては美しい行動なんだ。でもいいし、
これはさっき言ったように美しくないからやらないようにしてるとかなんだけど。
味方とハイタッチっていうのが美しくないなって思ってるんで。
極力やらないようにしてます。
ハイタッチ美しくないからやらないなって。面白い。
どう美しくないんですか?ハイタッチ。
ハイタッチ?
ハイタッチするぐらいなら自分の仕事しろって思っちゃうんで。
ハイタッチいつするんですか?普通というかみなさんは。
やたらと、ハイタッチ文化って結構あってアメリカって。
練習の中でセッションとセッションの間とかでセッションからセッションに移行するとき、
次のセッションに。その間とかにグッジョブ的な感じでハイタッチをしている選手とかがよくいて。
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お前別にグッジョブしてないのになんで私お前にハイタッチしなきゃいけないっていうのが常にあるんですよ。
私の中で。その行為は絶対に美しくない。
本当にグッジョブしたときだけしか私はハイタッチしないよっていうこだわりがあります。
なるほどね。
それ周りの人も理解してるんですかね?
わかんない。どうなんだろう。
ドミノ倒し的にハイタッチが始まったりするんですよ。
その流れが始まったと思ったらその輪から遠ざかってきます。
でもいいプレイしたときはその輪に入るんだ。
入りますけどね。
なるほど。
本当にいいプレイだっていう。いいプレイっていうかいい仕事したって思ったときは。
ハイタッチに限らずかもしれないですね。本当にそうだったらそう思ったらそうするが思わなかったらそうしないみたいな。
そうですね。ハイタッチに限らずですね。確かに。
表現をするのは嘘の表現をしないみたいな。
嘘の表現をしない。それはありますね。
結構美学じゃないですか。
表現に対する美学がすごいよね。
表現に対する美学確かに強いかもしれないです。
正直であるというか。
そこはもう嘘の表現はしたくないですね。自分が思ってない表現は絶対にしたくないって思いがあります。
それはどうなんだろうな。美しくないっていうことなのか、もうちょっと違う感情なのか。
表現的には自分が表現するものとしては美しくないって思いがありますけど、内心としては自分に嘘をつきたくないってのがあるかもしれないです。
自分に嘘をつきたくない。なんでなんですか。自分に嘘をついてる人いっぱいいるじゃないですか。
そんなになんで自分に嘘をつきたくないのかな。
自分に嘘をついた瞬間になんか罪悪感になりますね。
なるほどね。罪悪感なんだ。
で、そこになんか引っ張られちゃうんですよ。あの時嘘ついちゃったな自分にみたいな。
面白い。罪悪感なんだ。僕は結構ね、自分の人生が退屈になってしまうんですよ急に。
自分に嘘をつき出すと。なんか別にじゃあなんでもよくね。みたいになってしまって。
退屈になるんだ。なんかその視点はあんまないですね。
こだわる。全てのことにこだわる意味がなくなってくるくない。みたいになってしまう。
じゃあなんでもいいからなんでもいいな。どうでもよくなってくるから退屈になる。
確かにそれはあるかもしれないですね。嘘をつき続けたら本当どうでもよくなっちゃう。
だから生きるに値するなんか。
その視点はあるかもしれないです。生きるに値する自分でありたいっていう。
自分にとって生きるに値する自分であるためには自分に嘘をつかないみたいな。
言っていきますよね。
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なんかあるかな。
練習とか試合に入っていくときに自分の全部タイミングで自分の決まったルーティンをやりながら
自分の体と対話をしながら今日の調子はどうかなっていうので
対話をしながら練習に入っていく。試合に入っていくっていうのが完璧に決まって入れた時とかすごく気持ちがいいなっていうのがあって
そこに対する結構美学は持ってるかもしれないです。
ルーティンみたいなのがあるんですかね。そこに入っていく。しかも綺麗に決まる瞬間とか。
外的要因によって邪魔されたりする時もあるじゃないですか。空間とかをやっぱりシェアしてるんで。
自分のリズムで全部できなかったりする時とかもやっぱりあるんですよ。
それを邪魔されずにできた時とかすごく気持ちがいいですね。
綺麗にできた今日はみたいな。
なるほどな。
そういうの欲しいな。
なんかルーティンみたいなのあるけど崩れがちなんで、そうやって決まったなって素晴らしいなとか気持ちがいいなって思える儀式みたいなものを自分の中に持っておくみたいなのはいいですよね。
だって自分自身で整えることができますもんね。
そうです。まさにそうです。
いいな。整いですね。
自分がしっかり整った状態で挑めたな、入れたなって。
確かにそれちょっとね、また別の機会にゆっくり話しましょうよ。自分を整えるそういう、なんていうのかな。
結構それ無意識にやってること多いかもしれないですね。
それちょっとまた別の機会に自分を整える儀式、ルーティンみたいなものとかをやってみましょう。
ぜひ皆さんからもね、事前にいただけたら嬉しいですね。
それは確かにそうですね。
自分を整えるためにこんなことやってますよ、儀式やってますよ、こういうルーティンでやってますよと思ったら、それも参考にしてお話できるかもしれないんで、もしよかったらぜひ自分を整える儀式、ルーティンみたいなものを募集したいと思います。
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それではまた来週。さようなら。
さようなら。