間接目的語とは何か
始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
ブルーアイズホワイトドラゴンです。
みなさんは、間接目的語というものにね、聞き覚えございますでしょうか。間接目的語。
たぶん、英語?円文法で出てくる用語ではないかと思います。
典型的には、giveのような、こういう与えるみたいなね、動詞に出てくる2つの目的語のうちの1つで、間接目的語があるので、直接目的語というのもあるんですよね。
英語では、この目的語が2つ出てくる文型というのがあります。
これが第四文型か、第五、どっちかですけど、いわゆるSVOOというもので、
例えば、give him a bookみたいな感じですかね。
give him a bookといった場合は、彼に本をあげる。
give人もののような語順になります。
ここで間接目的語と言っているのは、him、人の方です。
こっちを間接目的語、もの、a bookの方は直接目的語という言い方をします。
このような、giveのような動詞のことを副多動詞ということがあって、
これについては関連エピソードがございますので、ぜひ聞いていただけたらと思います。
英語では、今言ったように二重目的語構文というか、SVOOと2つ目的語が出てくるわけですが、
日本語はそういう2つ目的語、もっと言うと、2つをがつく目的語が出てくるというのは許されなくて、
彼を本をあげたとは言えません。
彼に本をあげたというふうに、間接目的語彼にはにというものがくっつきます。
これがオートマークされることはないんですよね。
では、彼に本をあげたと言った時のこの彼にというのは、果たして間接目的語と言っていいのか、
目的語と呼ぶだけのその素質はあるのかということをちょっと考えようと思うんですね。
ざっくりしたこのイメージとして、主語と目的語というのは文の中で必須なものと考えられます。
実際必須項とか言われたりするんですよね。
それに対して例えば学校で学んだ、この学校でみたいな場所を表すものは周辺項とか、あるいは社格項とか言われることもあって、
要は文の中で脇役なんですよね。
そんな中で間接目的語っていうのはちょうど必須項と周辺項の中間みたいな感じですね。
果たしてこの日本語の間接目的語というのは目的語というだけの素質があるのか、
あるいはもっと脇役的な存在なのか考えていこうと思います。
まず文法的にちょっと考えてみると、このにっていうのは結構省略はしづらいと思います。
がとかをっていうのはかなり省略、省略と言えるかどうかを置いておいて、
がとかをとか、つまり主語や目的語っていうのは助詞が出てこないっていうことが結構あります。
あいつ来たとか、ご飯食べたとかね、がとかをはつかなくてもいいし、
つかないことによって何か表しているっていう考え方もありますけど、
いずれにせよ出てこないっていう文脈もあります。
それに比べるとにっていうのはやや省略しづらいんじゃないかなと思います。
その省略というかね、出てこないという話で言うと、
はっていうのとにっていうのは一緒に出てこられるんですよね。
彼には本をあげたと言えますけど、がとかをっていうのははと一緒に出てくることができません。
私はあげた、本はあげた、これらはいいんですけど、
彼にはあげたっていう風にね、にとはっていうのが一緒に出てきます。
日本語の特徴
ただ彼はあげたよっていう風にね、言えなかないので、
このはと一緒に出てこられるかどうかという基準で言うと、
にっていうのはやや主語や目的語っぽいかなって感じがすんですよね。
ただ数量子有理という点においては、
この間接目的語っていうのはあんまり目的語っぽくない、必須語っぽくないです。
数量子有理っていうのは、まあ何て言うんですか、数を表す要素が移動するみたいな現象で、
3人の子供が来たっていうのが、子供が3人来たっていう風にね、
このがの後に3人っていうのが出てこられるんですよね。
あるいは、子供を3人叱った。
これもいいんですけど、子供に3人与えたというと、
子供に3人の何かを与えたっていう風に、3人っていうのが、
その間接目的語を指してるんじゃなくて、
なんか目的語を指してるっていう風に感じるんではないでしょうか。
子供に3人あげた。
ですので、この数量子有理という点から言うと、
間接目的語っていうのは、あまり目的語っぽくないかなって感じがするんですよね。
逆に、間接目的語がすごく目的語っぽいなぁと感じられる現象もあります。
それは受け身文、受動態です。
受動態っていうのは、最も平たく言うと、目的語を主語にするっていう操作です。
ですので、本を与えたが、本が与えられたっていう風に、
がのつく主語に目的語が昇格するというか、ランクアップするっていうのが受動態ですが、
間接目的語でもこれができます。
子供が本を与えられた。
これの元の文は、本を子供に与えたっていう、子供にっていうね。
2がつく間接目的語なわけですけど、
これが主語にランクアップして、子供が本を与えられたということができます。
こういう風に、主語になれるっていうことは、
もっと言うと、受動態の主語になれるっていうことは、ある意味目的語であることの証なので、
そういった意味では、つまり受動態の主語になれるという意味では、
間接目的語は目的語っぽいというかね、かなり必須項よりだということができます。
ただ、この受動態の主語になれる間接目的語っていうのは、今の場合人だから結構スムーズにいけたんですよね。
これがもし物だったら、つまり水をコップに注ぐ。
これがコップを主語にして、コップが水を注がれると、果たして言えるかというとちょっと微妙かもしれません。
直接目的語の方、水の方を主語にして、水がコップに注がれる。
これはいいんですけど、間接目的語を主語にして、コップが水を注がれる。
どうですかね。状況が整えばいけるかもしれませんが、
間接目的語が受動態の主語になれるのは、人の場合に限られる、あるいはそっちの方が自然だというような制約というか傾向みたいなものがあるかもしれません。
というわけで今回は、日本語において果たして間接目的語とはどういった存在かっていうのを考えていきました。
結構どっちつかずっていうかね、必須項寄りなとこもあれば周辺項寄りなとこもある、そんな感じだということでした。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はしがじゅうごでした。
またねー。