1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-04-16 09:26

#295 家で「の」楽しみ方 from Radiotalk

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「英語の授業」でした、すみません
「がとは」ではなく、「がとを」です。

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育 #この1年で定着した家での楽しみ方
00:02
はい、志賀十五です。 今日も志賀十五の壺、やっていこうと思います。
まずはお便りをいただいているので、そちら読み上げたいと思います。 こちら、はるはるさんからいただきました。
志賀さん、こんにちは。はるはるです。 ふと思ったことがあり、お便りをお送りします。
子供の時は勉強はさせられるものだと感じていたのが、 大人になると勉強は主体的に行うものと感じるようになってきました。
あんなに嫌だった勉強の授業が、今ではお金を払ってでも受けたいと思う時があります。
大人になるにつれて、それらの価値がわかるからかもしれません。 人生とは常に学びだと感じております。
ではまた、ということで、はるはるさんどうもお便りありがとうございます。 まあ、こういったことは往々にしてあるんでしょうね。
だからこそ、大人は子供に向かって勉強しなさい、勉強しなさいって言うんでしょう。
子供の方はそれはよくわかってないっていうことですが、 まあ、子供は子供で、自分の世界があるっていうか、
自分たちの事情があるんでね、あんまりきつく言うのもかわいそうだなぁと思うんですけど、
ただまあ、学ぶことっていうのはね、いつでもできることだと思うんでね。
はるはるさんみたいにそういう意欲があるっていうのは素晴らしいことだと思います。
まあ個人的には、あんまり勉強は苦労したことがないので、
僕自身はあんまりさせられているとか、そういったことは感じたことがないんですよね。
まあ向いてたんでしょうね、勉強にね。
というわけで、はるはるさんお便りどうもありがとうございました。
それで今日のトークはですね、今週のお題トークっていうのについて話そうと思ったんですが、
そのテーマっていうのが、この1年で定着した家での楽しみ方と、まあこういうふうになってるんですね。
この1年でって言ってるってことは、おそらくコロナ禍においてとか、ステイホーム動向とか、まあそういうことだと思うんですが、
このね、お題トークを見る限り、家での楽しみ方って言ってるだけで、
何を楽しむかっていうのは指定してないんですね。
まあだからこそ、いろんな視点からっていうかね、いろんなトークを幅広く募集しようっていうことだと思うんですが、
ちょっとそれを見ててね、家での楽しみ方、こののっていうのは非常に面白いなぁと思ったので、
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今日はこののについて考えていこうと思います。
こののっていうのが何をやっているかっていうと、 まあ平たく言えば名刺と名刺をくっつける接着剤みたいなものですよね。
俺のスマホみたいに所有者というか持ち主を表すこともあれば、
紙の箱みたいに材料とか材質とかそういったものを表すこともあるし、
あるいは教室の扉みたいに全体と部分の関係みたいなのを表すこともあります。
このので表される意味関係っていうのは非常に多義的で、っていうのはよく言われてるんですよね。
例えばね、先生の絵といった時に、これは何を表すのか、先生が持っている絵なのか、先生が描いた絵なのか、
逆に先生の姿を描いた絵なのか、といろんな解釈があり得るわけです。
ここが一つ日本語のの面白いところだと思います。 割とどんな要素でもつなぐことができるというかね。
だからこそ日本語学習者にとっては難しいものの一つかもしれません。 わかんないけど。
ほいで、今回のお題トークを見ると、家での楽しみ方ということで、この場合はね、そういった多義性みたいなのはあんましないですね。
なぜなら、「で」というのが入っているからということです。 家っていうのが場所を表しているっていうのが、「で」という格助詞ですね。
専門的にはこの格助詞によって示されているということで、意味はかなり特定されているということになります。
で、この格助詞と一緒にのっていうのが出てくるっていうのも、のの面白いところだと思います。
どういうことかというと、英語みたいな言語だと、あれは格助詞というよりは前置詞を使うんですが、
a letter from her みたいに、彼女からの手紙っていうのは、from だけしか出てこないんですよね。
無理やり直訳調にして、of from みたいな言い方はありえませんよね。 なので、英語母語話者が日本語を学ぶときに、
彼女から手紙みたいな語用がね、結構見られるようです。 日本語はこの格助詞っていうのは、
動詞としか関わり合いが持てないっていうかね、 彼女から手紙が届いたみたいにからみたいなものは、
動詞と一緒に使うことはできるんですが、 名詞と使うときはからのっていうふうにのを入れなくてはいけません。
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で、これは今週のお題トークも一緒で、 家での楽しみ方みたいに名詞を並べるときは、必ずのが必要で、
家で楽しみ方とは言えないんですよね。 逆に家で楽しむみたいなときは、楽しむは動詞なので、
格助詞でだけでいいということになっています。 なので、今までの話をまとめると、
英語の前置詞fromみたいなものは、 まあtoもそうですけど、inとかatとかもそうですね。
格助詞は動詞とも名詞とも一緒に使うことができるんですが、 日本語のでとかからとか、そういったものは基本的に動詞としか一緒に使えなくて、
名詞と一緒に使おうと思うと、家での楽しみ方みたいにのが必要になるということです。
じゃあ日本語の格助詞は、名詞と一緒に使うとき、 必ずのを後ろにくっつければいいんだと思われるかもしれませんけど、実はそういうわけでもありませんね。
でとかからみたいなのは、さっき言ったように家での楽しみ方とか、彼女からの手紙っていう感じに格助詞のっていう風にすればいいだけなんですけど、
格助詞のがとかをの場合は、のと一緒に出てこられません。 こういうのを専門的には狂気制限があるみたいな言い方をするんですけど、
例えばがの場合だと、 彼が発表するというのを名詞にした場合、
彼がの発表とは決してならないですよね。彼の発表となります。 あるいは部屋を掃除するを名詞にした場合、
部屋をの掃除とはならず、部屋の掃除となります。 だからがとをってかなり特別の位置を占めていると言っていいと思うんですよね。
実はのだけではなくて、はともこの2つは狂気することができません。
彼がは発表したとは言えず、彼は発表しただし、部屋をは掃除したとは言えず、部屋は掃除したということになるので、
がとはってよくね、消えがちなんですよね。
もう一つ、にっていうのものと一緒に出てこられないんですよね。
彼に手紙を書くを名詞にした場合、彼にの手紙とは言えないんですね。
彼への手紙みたいに必ずえに置き換えなくてはいけません。 こういうふうにのっていうのは詳しく見るとかなり面白い特徴があるんですが、
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何より面白いのは母語話者がそれを意識せずにやっているということですね。
というわけで今回のトークはここまでということで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ほいじゃまた次回お会いいたしましょう。ごきげんよう。
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